夜の診療所を走り抜ける。
レナのほかに数人ほどいたはずの入院患者は興宮にでも移動させたのか誰もいる気配がなかった。
もちろん、当直の看護婦や医師の姿も見あたらない。
奇妙だけど、この診療所はいまや日常の中の魔界。
わずか数百メートルかそこらの空間という薄皮一枚で人々の平穏な生活と隣り合っていながら、紛争地帯さながらの火器を繰り出しての銃撃戦や爆発も、なんでもアリの異空間となり果てていた。
誰かが気づき、無警戒に踏み込めばその魔界に呑み込まれ、もの言わぬ骸になるかもしれない。
誰かが気づき、然るべき機関に通報したなら、いくばくかの時間を経て誰かがこの魔界の『痕跡』を見るだろう。
何者かが村で唯一の病院内で銃撃戦をしたらしい、……とそこまでの事実が明るみに出ることは間違いない。
でも銃撃戦の当事者はどこにもおらず、死体が転がっているわけでもない。
地下への入り口も厳重に封鎖され、見つかるのはせいぜいが回収し忘れた薬莢くらい。
火災現場の弾痕と関連づけて考えるものはいるだろうが、きっと真相は闇の中。
山狗が勝てば証拠隠滅、私たちが勝てば雛見沢から手を引かせるための脅迫のネタになるだけ。
そう、どちらが勝っても、……闇の中。
ならば、この場でこれから起きる『何か』がどんなに過激であっても許されるということ……。
せいぜい派手にやらせてもらおうじゃない!?
「待合室、2名発け……うぐぁッ!」
照準から発砲までの一連の動作が流れるように終了して、診療所正面玄関から入ってきた山狗を撃ち倒す。
「お姉ってば、それ全然狙ってなくないですか? あんまりはしゃぐとうっかり殺しちゃいますよ~?」
ひとのこと言えない詩音は、低い位置からわたしと同じような位置に一連射を叩き込んで、移動しようとした別の山狗をその場所に縛り付ける。
穴だらけになった待合室のソファが倒れて床を転がった。
「赤坂さんが見てなくてラッキーでしたねぇ? 愛妻がドSのガンマニアとか、どんな罰ゲームですか~?」
「そ、そんなの詩音だってそうじゃん。圭ちゃんが見たら百年の恋も醒めるかもよ!?」
「圭ちゃんはほら、こういうの結構好きですから。男子中学生の好みに、がっつりHITですよきっと」
とは言いながらもやっぱりちょっとは不安なのか、口を尖らせて抗弁する。
「はっ、ないない! フルオートで敵をなぎ倒すような女の子とはデートしたくならないね!」
ひらひらと手を振ってきっぱりはっきり否定してやる。
「な……圭ちゃんなら平気ですぅ! カッコいいって惚れ直しちゃいます! 雛見沢の鉈女の名を欲しいままにするレナとも仲良くデートしてますもん!」
いやいや、ほかの女の子とデートしてるのを自慢げに語るのもそれはどうなのさ、我が妹よ。
と、睨み合うふたりの真ん中を火線が閃く。
「「じゃまッ!」」
同時にそちらにライフルの銃口を向けて引き金を引く。
「がふッ!」
腹に二連射を同時にくらって、山狗が吹き飛んでいった。
でもさらにその後方に後続がいるらしくて、わたしたちの身体の近くを実弾が音を立ててかすめていく。
慌てて左右の柱に分かれて引っ込んだ私たちはいつの間にか空になっていた弾倉を手早く交換する。
「あっぶなー……戦争くらい真面目にやろう詩音」
「今回ばかりは同意です。……そっち、マガジンあといくつ残ってます?」
「いくつもなにも、これでラストだよ」
新しい弾倉をセットし終えた銃を同時に構える。
「……あちゃ。こっちも最後です」
「うわ、弾の切れ目ってやつだね」
これはあくまでも実銃ではないので、当たればかなり痛いとはいっても単発ではさすがに大の男を気絶させるほどの威力はない。
確実に仕留めようと思えば連射を確実に当てるしかない。
自然、弾切れが早いのも……まぁ、欠点か。
まだまだ改良の余地アリってことが実戦に使ってみて判明したわけだ。
……って、こんなこと考えてる場合じゃない。
「お姉、来ますって!」
詩音の声に頷き、振り向きざまに一連射。
こちらの弾が途切れた隙を狙って接近していた山狗をどうにか捉えて打ち倒したものの、それが敵の狙いだった。
「うぁ!」
身を晒した私めがけて玄関口付近からの銃弾が殺到する。一瞬、曳光弾の光で目の前が真っ白になった。
「お姉ッ!」
とっさに詩音が飛び出して反撃、弾幕が破れる。
「だ、大丈夫っ!?」
気が付けば、私はへたりこんで壁にもたれていた。
じーんと耳の奥が痺れて、目眩がおさまるのには数秒ほどかかってしまった。
「ったたた……」
見れば、右腕がべっとりと赤いもので染まっている。
指のひとつも欠けているだろうかと一瞬青くなったが、腕の肉がすこしえぐられただけで済んだようだ。
痛いことは痛いけど、これならまだ治る怪我だろう。
「大丈夫ですかってば、お姉ぇ!」
時折撃ち返しながら詩音が怒鳴ってくる。
「あ、あぁ、うん、大丈夫……」
右腕を使わないでなんとか立ち上がるけど、なにか軽いと思ったら、私のライフルが床に転がっていた。
「あっちゃ~……」
弾が当たったのだろう、まっぷたつに砕けて銃身も歪んでしまっている。
耐久性にも問題アリか……って言っても、実弾が当たって壊れるのは仕方ないかな。
ウェストポーチから取り出したビニルテープを折り畳んで貼り合わせ、手早く負傷した腕に巻き付けた。
ちょっと傷口がひきつって痛いけど、巻き方のコツさえ知っていればその場での応急処置にはなかなか便利だ。
ほかにもいろいろな小細工に使えたりする。
「こっちもそろそろ弾切れです。赤坂さんと合流したほうがよくないですか?」
衛さんは1階の各室の窓から侵入してくる敵に後をとられないように見張りをしてくれている。
基本的に時間はこちらの味方なのだ、焦りから山狗に隙が出来るのを待つのもそう悪くはない。……はず。
でもさすがに、銃器なしではこの先がキツいか……?
「詩音、衛さんと合流していったん裏口に撤退する。車に戻れば予備の弾と、ハンドガンくらいはあったでしょ」
「オッケー、みっつで出ます」
その言葉の終わりから、心の中でみっつ数える。
私たちに限っては、その数えるスピードがズレるなどということはありえないのだ。
「ハイッ!」
詩音の連射と同時に私は玄関側に音響手榴弾を放り投げ、廊下に向かって駆け出していた。
すぐに詩音も追いついてくる。
背後、詩音の銃弾から逃れようとして柱の陰に隠れた山狗たちの真ん中で音響手榴弾が炸裂。
とりあえず、これで後続はないだろう。
衛さんと合流して、とそこまで思ったときだった。
唐突に目の前の窓が音を立てて割れ、飛び込んできたものが着地と同時にこちらへ向かってきた。
「なっ……!」
詩音が反射的に銃口を向けるけど、
「だめ、避けて!」
「!?」
私の叫びは一瞬だけ遅かった。
その影はすでに懐。
目にも留まらぬ速度でナイフの切っ先が閃き、即座に詩音の手からライフルが弾かれていた。
「速……ッ!」
でもさすがは我が妹と言うべきか、第二撃をさばきながら横に逃れ、逆に相手の耳めがけて爪を走らせていた。
「ハッハア!」
自らバランスを崩すような動きでそれをかわし、駄賃代わりと詩音のおなかに蹴りを叩きつけた。
「く……!」
詩音が素早く後にさがったぶんその一撃は浅く、大したダメージはなかったらしい。
ヤツは壁に手を突き、崩れた態勢を瞬時に直すとニヤリと笑いながら半身の構えをとっていた。
「いいぜ……粗いが、容赦のねぇ動きをしやがる!」
「……いちいち出てくるね、三下!」
それは言うまでもなく、あの小此木だった。
指揮官が嬉々として最前線に出てくるとか、戦闘マニアの考えることは……って私も最前線にいるんだけどさ。
「この……女の子のおなかを!」
詩音は詩音で、いきなりの奇襲でダメージを受けたのが気に入らなかったのか顔を歪めて構えをとっている。
「へっへ、こいつぁいいや。一人でもそれなりに楽しませてくれるお嬢が、いまならもう一人サービスってワケだ」
ギラついた眼光が私と詩音の顔を往復する。
それは肉食獣の舌なめずりする様を思わせた。
「豪勢な姉妹丼ってぇのも、悪くねぇな!」
「お姉、なんですかこの変態は」
挑発的な台詞を切って捨てる詩音。
んん、雛見沢きっての変態に惚れてるあんたに言われたくはないと思うけど。
「油断しないで。こいつ、技は雑だけど私とレナを同時にさばいてみせたヤツだからね」
「お姉とレナをですか」
詩音がすっと表情を引き締める。
一年間親友としてレナといっしょにいた詩音だからこそ、その強さは肌で感じているはずだ。
「……でも、お姉と私を同時にさばいたワケじゃない」
唇の端を歪める詩音に、私もニッと笑い返す。
そして構えた。
そう、ただ単体として見るならレナは確かに強い。
ずば抜けた戦闘に対するセンス、鋭い反射神経とバランス感覚、スピードに瞬発力。天性のボディコントロールなど、あれはもはや芸術の域に近い。
体格を除けば、近接格闘に必要な全ての才能を生まれながらに持ち合わせ、なおかつ冷静な判断力と思い切りの良さでそれを使いこなすという、個人戦闘におけるある種のバケモノ。
鉈アリなら当然、素手でも急所撃ちがアリなら、ひょっとすれば衛さんとだって結構いい勝負をするんじゃないかという、掛け値なしの天賦の才。
でもそれだけに、あのレナの『舞い』についていける人間などそこらにいるわけがない。
つまり、他人と連携するには向かないのだ。
昨夜の私との同時攻撃も、リズムが合っていたとは言い難い。
小此木は二対一を制したのではなく、私とレナ、それぞれの一対一を同時にさばききってみせただけの話。
でも、私たち二人なら単純な数以上の戦力を生み出せる。
私たちは、長らく『魅音』と『詩音』を使い分けてきた、限りなく『一人』に近い二人。
呼吸、鼓動、リズム、思考……全てを容易に重ねられる。
それがこと戦いの連携において、どれほど重要か。
「双子の鬼と戦うってのがどんなにキツいか、ちょっぴり思い知ってもらおうじゃない……後悔しなッ!」
「痛くしますんで、ママのお胸くらいは用意しといた方がいいですよ。泣いちゃってもやめませんから!」
私と詩音はその言葉と同時、全く同じタイミングで身体を振って、小此木の左右へと飛び込んでいた。
「うぉ……!」
しょせん、『人』である小此木の腕は二本しかない。
四本の腕を持つ私たちの、全く同時の攻撃をさばききれる道理はどこにもないのだ……!
私の首を刈りにいく手刀と、詩音の爪を立てて喉を狙った鋭利な突きが左右から襲いかかる。
「く……!」
両腕をガードにあてる、その反応速度は悪くない。
でも、続く私と詩音の第二撃、逆手による顎への掌打と死角である脇腹への回し打ちを両方防ぐのは不可能……!
「が、は……!」
小此木にできたのは、のけぞることで掌打の威力を減じることだけだった。
詩音のフックはまともに脇腹に入り、内臓へと衝撃を突き抜けさせる。
「ぎッ……!」
「あらあら、ごめんなさァい。痛かったですかぁ?」
間合いをとって離れながら、詩音は悪どいとしか言い様のない笑みを浮かべる。
見れば小此木の脇腹には、五寸釘とおぼしきものが突き刺さっていた。
コインを接着剤で貼り付けて、握った拳の指の間から突き立てられるように細工をした即席の暗器だ。
並みの拳を通さない腹筋のガードも、金属による刺突の前ではろくな役には立たなかったらしい。
……詩音が怖いのは、こういうところだ。
充分な才能がありながら、楽をすることに躊躇がない。
だから小此木の言ったとおり私に比べて多少動きは粗いかもしれないが、それを補えるだけのズルをした上でその過剰な攻撃性を惜しげもなくぶつける。
相手を簡単に無力化するスタンガンを持ち歩くなんてのはそのもっともわかりやすい例である。
武の極みに至った達人だってマシンガンで撃たれれば絶命するように、戦闘において楽をするのは圧倒的に正しい。
「あぁ、こりゃあ痛ぇや……『らしく』なってきたぜ!」
鋭い痛みを圧して、なお笑う。
おそらく……この男の本質は、戦場にあるのだろう。
ルールに沿わず、なりふり構わない痛撃こそがますますこの男の野性を研ぎ澄ませる……!
「あら、痛いの大好きっ子でしたか……ド変態が!」
吐き捨てながら、前に出る詩音。
なんの合図もなく行われた踏み込みだが、当然のように私も小此木の横へと回り込んでいる。
「破ぁッ!」
でも小此木は大きな踏み込みとともに詩音へと速度重視の拳を放ちにいった。
私たちと対峙すれば、誰だって考える。
同時に攻撃されるから防御できないなら、相手の攻撃よりも先に片方を沈めてしまえばいい、と。
「甘いですね」
そう断じて、詩音は揺れるような動きから小此木の拳撃をすり抜けた。
当たる直前で重心をそらし、懐にするりと滑り込む流水のような動き。
私がさんざん修練して出来るようになったそれを、ろくな練習もせずにやってのける要領の良さも相変わらずだ。
「……はあっ!」
同時に真横から私が踏み込んで、脇腹めがけて渾身の寸打をぶつける。
「ぐ……!」
間一髪、肘を割り込ませてガードはしたものの小此木をよろめかせる程度の打撃は入った。
バランスを崩した小此木に、至近距離へ迫った詩音が肩を越える軌道で拳を振りかぶる!
「せえっ!」
小此木はようやくそこで自分が手にしている有利に気づいたのだろう、詩音を止めるべくその拳の軌道にナイフの刃を合わせようと斬り上げる、が。
「ぐ、が……!」
背後に回ったわたしの上段蹴りが、小此木の延髄を襲う。
詩音は直前で拳を止めていて、あっさりとナイフをやり過ごしてから身体の重心を後ろへ。
小此木の軸足にローキックを一発叩きつけて後退した。
「痛ッたぁあ~……!」
が、顔をしかめながら叫んだのは詩音のほうだ。
「なんっつー足してんですかこいつ!? 岩蹴ったのかと思いましたよ!」
それはそうだ。
そこいらのゴロツキなら一発二発で足腰立たなくなるようなローキックでも、そもそも筋肉の厚みが違う。
欲張って急所狙いを忘れるからそうなるんだ。
できれば信じたくないが、事実。
けっこう体重を乗せた綺麗な蹴りを延髄にクリーンヒットさせたというのに、小此木はダメージに唸るどころか、首をコキコキと鳴らしてみせただけで構え直す。
「やれやれだぜ……対策済みってぇわけか」
……私たちがまったく同時に攻撃できる、ということはつまり、攻撃しないこともできる、ということだ。
先にどちらかが狙われればそちらは防御を優先して受け身に撤し、もう片方はフリーとなっている間に重い打撃を叩き込む……なんてパターンも開発済みではあった。
でも、素人相手ならまだしも、小此木に対してはそもそもの身体能力やタフネスに差がありすぎることを痛感するだけだった。
「なんですかこれ……めちゃめちゃ厄介じゃないですか」
「だからそう言ってんでしょ。厄介じゃなければ、とっくに私とレナがブッ倒してるよ」
私の渾身の蹴りは、たとえば衛さんのそれと比べれば、半分どころかそのまた半分くらいの衝撃力しかない。
その上延髄を撃ったつもりでも、身長の違いから狙う位置が高すぎて、力が正しく伝わらないのだ。
身体の大きさ、体重、筋肉の総量。
単純な話だが、大きい奴ほど強い。格闘戦においてそれはあまりにも大きな差となる。
男と女の身体のつくりという絶対の差異が、どれだけ技を突き詰めても最終的には響いてくるのが接近戦なのだ。
それはあのレナですら、条件によっては一般の山狗にさえ組み伏せられるという当たり前の結果になって表れる。
「どうした、もう来ねぇのか?」
ダメージがないわけではないのだろうが、歯を剥き出して余裕をかましてくれる小此木。
「チ……、調子に乗ってんじゃないってーの」
苦虫を噛み潰したような顔をする詩音。
得意のスタンガンも持ってはいるが、あれは武器としてはリーチが短すぎる。
この状況で使ったところで、小此木のナイフに阻まれ手首から先をもっていかれて終わりが関の山。
油断させて不意打ちで使うとか、工夫が必要になる。
「……詩音。もう一手、試させてもらっていい?」
「はぁ……しゃーないですねぇ。私ゃ圭ちゃんに任せたほうがいい気がしてるんですけど」
私たちの遣り取りを聞いて、小此木がせせら笑う。
「まだ諦めないでくれるってワケだ。こりゃ嬉しいぜ!」
叫びながら、再び前に出る。
狙いは詩音。
さっきの五寸釘のような隠し玉を警戒してのことだろう、詩音を防御役、私を攻撃役としてコントロールするのが最適だと判断したらしい。
つまりそのほうが受けるダメージが少ない、と。
舐めてくれる、としか言いようがない。
「……く!」
小此木が放ったのは、リーチが長く防ぎ手が少ない中段への回し蹴り。
詩音は両手を束ねるようにガードするものの、それで止まるような威力でないことは昨夜の立ち合いで証明済み。
ガード越しの圧力に負けて壁まで退がらざるを得ない詩音だけど、小此木にそれを追わせることなく、私は跳ぶ。
「ぃやぁあッ!」
踵で空を切り裂くように、袈裟懸けの蹴りを小此木の背中に向けて放つ。
「オラァッ!」
身体を起こすと同時、小此木の下方向からの裏拳が私の蹴りを捉えてあっさりといなす。
でもその返し手は、私の予想の範囲を超えなかった。
かかった……!
弾き返された形で私が着地すると同時に、詩音が小此木を挟んで私と正対する位置に飛び込んでいる。
同時に踏み込み、同時に蹴る!
「……無駄だ……!」
片腕のガードで詩音の回し蹴りを受け止める小此木だが、私のほうに向けた片腕には手ごたえがなかった。
一瞬遅れて私の後ろ回し蹴りがガードをまわりこんで小此木の顔面を襲う。
「な……、に!?」
同時の蹴りでありながら逆回転、そしてインパクトを半秒ずらせる利点を得て、ガードを崩した。
でもこれだけではさっきと同じ、直撃はしてもダメージは不十分という結果しか得られない。
ダメージを与えた瞬間のほんのわずかな間隙、それを縫うことにこそ意味がある……!
「今ッ……!」
私と詩音は、蹴った姿勢のままで両手を伸ばし、ガードにかざした小此木の腕をとる。
そしてそれを捻りながら蹴りの軸足で、跳ぶ。
普通にやれば筋肉の塊のようなその腕を捻り上げるだけでもひと苦労だが、空に浮いた体重とジャンプの勢いというふたつの異なるベクトルを得て、その剛腕をひねる。
コマンドサンボでやるような、飛びつきからの腕関節技に近いオリジナルの技だ。
しかもそれを両腕同時にやられるのだから、対応する暇もなく両腕を折られるのみしかない……!
「決まっ……えぇ!?」
「舐めてんじゃねぇえッ!」
小此木は文字通り、化け物だった。
強靭な下半身をもって私たちの体重を支えきり、完全に極まる寸前で片腕を大きく振り回す。
「きゃあぁあッ!」
背中から壁に激突した詩音が苦痛の叫びをあげ、極めきれずに離すしかなかった私はどうにか着地する。
でも予想外過ぎて足腰に力が入らず、がくんと膝が落ちそうになって慌てて引き戻す。
そしてその隙に立て直した小此木が拳を大きく引き、立ち尽くす私めがけて突っ込んでくる。
「……破ぁあッ!」
逆手のナイフでなく、拳。
すぐにわかった。
小此木にとってこれは一年前の雪辱なのだ。
真正面からあのとき当たらなかった正拳を叩きつけて私を地に這わせ、あの嵐の夜に翻弄された記憶を雪ぐ。
とっさに動かない足を叱咤し、もう間に合わないと悟ってなお……私は、迫り来る鉄拳を防ぎ反撃に転じるための、あらゆる策を高速で駆け巡らせていた。
駄目か……いや、諦めるな。まだ、なにか……!
「ぐっ……!」
小此木の表情が不意に歪み、その顔に影がさす。
私を仕留めるための拳を解き、眼前にかざすことで……、至近距離、横合いから放たれた拳の狙いを外す。
「……ぉおおッ!」
その不完全なガードの上から叩きつけられた拳はそれでも小此木の身体を床から浮き上がらせ、数歩も後退させる。
全ては一瞬の交錯。
バランスを崩して背中から壁に突っ込んだ私と、反対側の壁にもたれて咳き込む詩音の目の前、さっきまで小此木がいた位置に……衛さんが、拳を振りぬいた形のままで毅然と立っていた。
「銃声が止んでも戻らないから来てみれば……、私の妻と義妹にちょっかいをかけるのはやめてもらおう」
珍しく不機嫌そうな声で小此木を睨みつける。
「チ……まぁたテメェか。怪我人はおとなしく寝てろ」
笑みの形に顔を歪めながらぼやく小此木のほうへ、くるくると非常灯の光を浴びながら飛来するものがあった。
「……なんだ、こりゃあ?」
受け止めた掌には、10円玉。
「電話代だ」
衛さんは、小さく肩をすくめる。
「事務室の電話を使わせてもらった。興宮の知人に用事があったんでね」
「興宮……、てめえ……!」
それが何を意味するかに気づいて、小此木が歯噛みする。
もちろん衛さんの電話の相手は大石だろう。
興宮署でS号関連の事件について専門家としての立場を持ち、多くの刑事たちに慕われる大石の影響力は強い。
衛さんとの捜査協力や詩音との密約で事のあらましを知っている彼は、充分な戦力を率いてここにやってくるに違いない。
そして診療所を調べる捜査陣に彼がいれば、地下施設の件は表沙汰にこそならないだろうが、山狗の背後にいる勢力がもっとも嫌がる形で公安へとその証拠が流れることになるのだ。
いまや小此木率いる山狗がこの本拠地に残れるのは、大石が駆けつけるまでの何十分かに制限された。
二度と戻ることはできないのだから、その撤収作業にいったいどれだけかかるのか……小此木にも計算できないはずがない。
住民に通報されるよりも、これは明らかな決定打。
「以前と違って電話線が切れてなかったんで、助かった。そして、今度はどうやら間に合った……!」
私と詩音を庇うように前に出て、静かに構えをとる。
「護ると決めたものを護れない後悔は、たくさんだ」
覚悟の拳をかざし、小此木の出方を待つ。
その隙のない不動の構えを前に、ナイフの切っ先を揺らしながら……小此木はわずかに一歩、後退する。
そして後退してはじめて、自分が一歩退がったことに気づいて、自嘲をこめて舌打ちした。
その表情から、気圧されていることを認めたくなかったことがはっきりと読みとれた。
ことノールールの戦闘という条件ならば、この二人の実力にそう大きな差はないはずだ。
素手での立ち合いに限定するなら、衛さんがすこし上。
そして武器や策略を使うならば、小此木が上だろう。
でも、背後の私たちを護ればそれで勝利といえる衛さんと、こうなった以上撤退の指示を出さねばならない小此木とで、この場に許される余裕には大きな差があった。
「く……」
だから迷う。本来迷う余地もないことに。
しかも、まるで駄目押しのように、
「魅音ちゃん! 詩音ちゃん! 脱出する、乗るんだ!」
ひとつの窓から身を乗り出した富竹さんが、短機関銃を構え小此木に狙いをつけていた。
その時点で、小此木はこの場に勝機を失った。
「……預けとくぜっ! 全班撤収準備! 連中には構うな、負傷者の回収を優先! 二班と五班は地下の封鎖に向かえ!」
言い捨てて背を向け、後半はおそらくマイクに向かって叫びながら小此木は非常口へと駆け去った。
その背中から銃口を外して、富竹さんが叫ぶ。
「羽入ちゃんたちはもう助けた、君たちも早く!」
富竹さんの言葉に、目を丸くする。
私たちが正面玄関側からの山狗たちを食い止めている間に、思ったよりも事態は進行していたらしい。
慌てて窓に駆け寄ると、鷹野さんのものとおぼしき乗用車が壁際に停まり、ワゴンの群れに突っ込んだ葛西さんの車が見えた。
そのあたりでは乱戦になっていたようだが、いまの小此木の命令でそれも終息したのだろう、撤退していく山狗たちが見える。
「……行こう。長居は無用だよ」
この場の痕跡を消すのは、おそらく山狗たちが必死こいてやってくれるだろう。いい気味だと思わずにいられない。
それでも消しきれない痕跡は、大石が調べ上げて衛さんの交渉材料にしてくれる。
富竹さんの運転する車に乗り込んだ私たちは、一足早く動き出した葛西さんの車についていこうとするが、
「魅音さん! わたくしたちも乗せてくださいまし!」
駆け寄ってきたのは、裏山ではぐれたと聞いていた沙都子と、ほかに山狗らしき男が一人。
沙都子の様子からして、敵ではなさそうだ。
富竹さんが速度を緩めてくれたので詩音がドアを開けて沙都子を引っ張り上げ、その向こうから大柄な山狗が飛び込んでくる。
「せ、狭い狭い!」
詩音と二人で広々と並んでいた後部座席を、そいつ一人で半分も占拠して窓に押しつけられてしまう。
「そちらの彼は?」
助手席の衛さんが尋ねると、詩音の膝の上に座り直した沙都子が答える。
「雲雀十三さんですわ。山狗を抜けてわたくしの手伝いがしたいと泣いて頼むので、連れてきてあげましたの」
「……素直に助けてもらったと言えねーのかHOJO」
それだけの説明ではよくわからないが、なんでも沙都子の裏山に一人で挑戦してきて知り合いになったといういわくつきの山狗で、その後も何度か出会っているらしい。
その知り合いのよしみでなのか、本人曰く「ガキをいじめる仕事が気にくわなかったから」という理由でなのか単独で追い詰められた沙都子を助け山狗を裏切ったのだとか。
「なるほど、沙都子のヒーローってわけですか」
「そ、そんなんじゃありませんわ! 圭一さんに比べたらまだまだ足元にも及びませんわよ!」
冷やかすような口調の詩音に、真っ赤になって答える沙都子。まぁ憎からずというところなんだろうけど、さすがに歳の差が……ってこれは人のこと言えないか。
「あ、沙都子。向こうの車は誰が乗ってるかわかる?」
リアウィンドウから美雪ちゃんが手を振っているのは見えるんだけど。
「えぇと、運転しているのが葛西さんで、助手席には監督がいましたわ。あとは三四さん、にーにーと美雪さん、梨花に羽入さん……レナさんに圭一さんで全部ですわ!」
「む、向こうも大勢だね……」
美雪ちゃんや古手姉妹が小さいからかろうじて入れるとはいえ、相当に窮屈だろうなとは思う。
羽入だけでなく、監督や鷹野さんまで確保できているのは心強い限りだ。人質にとられて困る人はいなくなった。
「嘘!? 圭ちゃんとレナが向こうにいるんですか!? いつの間に合流したんですか……!」
行方不明で心配していた思い人と親友の名前を聞いて詩音が慌てた。向こうに乗りたかったと顔に書いてある。
「この車に隠れていたらしい。鷹野さんが味方になるってあの二人は信じていた、ということだろうね……」
運転中の富竹さんが、考え深げな口調で言った。
「……そっか。これでもう、完璧ですね」
詩音は沙都子を抱きしめながら感無量という顔をする。
一年間、詩音は耐えてきた。
秘密を抱え、人を疑い、誰が敵で誰が味方なのかばらばらのピースを組み立てようと必死で戦ってきた。
部活メンバーは、私も含めてようやく全員が勢揃い。
そして鷹野さんや監督、富竹さんも含めて、味方であってほしいと願った全員がいまはこちら側にいる。
それは事態の中心、水面下でずっと悩み続けてきた詩音が今、ようやく解放されたということだった。
「詩音。……おつかれさま」
労いの言葉に、詩音はちょっと泣きそうな顔をする。
でもすぐに、柔らかな笑顔で微笑ってみせた。
「うんっ」
<雑談>
第3ラウンドは部活メンバーの圧勝。
山狗に明日はあるのか。
神楽舞完結後、次に読みたい作品は?
-
神楽舞、お疲れ様会もやってほしい
-
ひぐらし短編集
-
ひぐらし連載、長編もの(圭羽、梨圭など)