ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第142話 天下無敵のお祭り男!

どん。

 

 

 

「鳳1、負傷者の搬送準備整いました」

 

「……ご苦労。何人動けそうだ?」

 

どうにか診療所地下の封鎖と隠蔽工作を済ませ、警官隊の到着寸前に診療所を脱出した俺たちが逃げ込んだのは谷河内の採石場だった。

 

パトカー一台くらいならば警官を始末して時間を稼ぐこともできたのだが赤坂の差し金だろう、覆面を含めて10台もの警察車両が近づいているという報告には青くなった。

 

「搬送先からドライバーが戻れば……10名です」

 

「ハッ……」

 

思わず笑ってしまうような数字だった。

 

終末作戦発動時には百人近くいた山狗が、わずか1割。

 

隊の3割失えば全滅と呼ぶものを、実に9割を損耗したのだから、これは旧軍の玉砕を笑えない。

 

2名の失踪者によって十数名が戦闘不能となり、ダム現場の包囲戦で予想外のトラップを受け、さらにその場に赤坂・大石の両名が加わったことで全体の3割近くが失われた。

 

抵抗者たちにとどめをさすべく女王感染者の奪取を試みたものの、逆に本拠地へ乗り込まれて銃撃戦の末に半数以上が脱落するという大損害を被ったうえ、人質は全て奪回された。

 

もっとも、これが一番信じられないことだが……負傷者ばかりで、死者は一人もいないのだ。

 

命を奪うつもりなら、話は簡単だったはずだ。

 

竜宮レナが鉈を鈍器としてではなく刃物として使っていたのなら、負傷者のうち二十数名は殉職している。

 

園崎姉妹の銃が実銃で、園崎組の葛西や調査部の富竹二尉による狙撃がことごとく急所を外していなければ、さらにその倍は死人が出ていてもおかしくない。

 

これで向こうの不利に事が進んでいるのなら甘いと嘲笑うこともできるのだろうが、一方的に不利な状況に追い込まれているのはこちら側だ。

 

せいぜい十数人の、ほとんどが女子供の集団でありながら百人近い兵士を相手に、命を奪わない程度に手加減して、多少の負傷はしながらも全員が生存しているのだ。

 

「空恐ろしいってのは、こういうことを言うんだろうさ」

 

「はぁ……」

 

独り言に勝手に反応して困惑する部下を無視し、身体を横にする。

 

俺自身の疲労も負傷も、決して軽くはない。

 

とりあえずの手当てはしてあるものの、赤坂や園崎姉妹に少なからぬダメージを受けた。

 

本来なら負傷者として搬送されてもおかしくはない。

 

……が、指揮車のホットラインで報告した結果、それでも郭公は残りの人員で作戦を遂行しろと言ってきた。

 

あとの始末はほかの部隊を派遣するから、とにかく女王感染者を明日の早朝には死体にしておけ、と。

 

……もう日付が変わったから、今日ってことになるか。

 

あちらさんも必死のようで、調整してしまった以上はコレに失敗すれば自身の破滅は免れないってことだろう。

 

まさに最後の賭けってワケだ。

 

「さて……、お姫さまがどこにいるか、だな」

 

雛見沢の各地を監視できるほどの人員はもうない。

 

動けるほとんどの人間を診療所に集めて、そのほとんどが負傷し病院に運ばれたのだから、当然だ。

 

運良く無傷だった何人かも、いまは搬送車両の運転で戻るのは実行直前になってしまうことだろう。

 

最小の人員でできる作戦行動など限られている。

 

ならばアタリをつけて襲撃し、速やかに古手羽入を殺す。

 

さすがに、前原の家には戻らないだろう。

 

一番ありそうなのは園崎家だが、ありそうなだけに読みを外してくるかもしれない。

 

裏の裏、その裏を考え出せば余計にわけがわからない。

 

鷹野三佐がここにいれば意外と向こうの思考を読み切って正答を示してくれそうだが、あいにく三佐も向こう側だ。

 

自分で答を出すしかない。

 

どこだ……、どこにいる……?

 

この笑えねぇ喜劇の最後の舞台は、どこになるんだ……?

 

 

「!」

 

 

思わず身体を起こす。

 

部下がびくりと身をすくませるのがわかった。

 

「……おい、あの小僧が最後になにか吠えてたらしいな」

 

「は、……はい。鳳1への伝言だそうで、『最後の舞台で待っている』と……」

 

それだ。確かに聞いた。

 

報告の中では聞き流したが、ようやくその意味がわかる。

 

間違いない。

 

ヤツは、あの場所にいる……!

 

 

 

 

どん。

 

 

 

 

山影の向こうから、かすかに空が明るみを帯びてくる頃。

 

搬送から戻ってきた数少ない隊員たちを連れて、俺は再び雛見沢に舞い戻っていた。

 

朝の早い雛見沢の年寄りどもも、さすがにこの時間はまだ寝床で高いびきをかいている頃だろう。

 

人影もなく薄暗い村道を抜けて、砂利の敷かれた駐車場に二台のワゴンを止めた。

 

「待ち伏せもあり得る、周囲を警戒しろ」

 

まずないな、と思いながらもそう指示を下す。

 

隊員たちはワゴンを降車し、周辺の林に何者かが潜んでいるのではないかと息を詰まらせる。

 

「……誰もいないようですっ!」

 

「上出来だ」

 

地下で拘束されているところを発見した鶯1は、運転席にあった。

 

「ワゴンの警備に2人ずつ残す。警官に職質された場合、2名以下なら始末しろ。村人に誰何された場合もだ」

 

「……了解。それ以外の場合は?」

 

おそらく答えはわかっているのだろう問いだった。

 

俺は小さく笑って、ワゴンのボディを軽く小突く。

 

「調査部か、警官数名以上の場合は投降していい。お前の判断に任せる」

 

へたに抵抗して、罪状が追加されるよりはマシだ。

 

もともと郭公が意地でオリていないだけで、これ以上勝負を続けても勝ちの目は相当に低いのだ。

 

向こうには三佐もいるのだから、こちらの目的が古手羽入を殺すという一点にあることは読まれている。

 

ならば、そう簡単には果たせまい。

 

これから向かう場所に、女王感染者がいるとしても、赤坂や富竹あたりがガードについて、隙は見せないだろう。

 

「了解。……ご武運を」

 

鶯が、らしくもない言葉を告げる。

 

「……全部終わったら、一杯やろうや」

 

軽く手を挙げてワゴンを離れると、4名の隊員を指名し、ひぐらしどもの声を聞きながら道を横切って斜面に向かう。

 

林を切り開いて作られた、歴史を感じさせる石段。

 

それを特に警戒もせず、登り始める。

 

隊員たちも、戸惑った様子ながら俺の後についてきた。

 

……いるんだろ、この上に?

 

 

 

……どどん、どん。

 

 

 

文字通り腹に響く、重低音。

 

昨日五寸釘を刺された腹筋が、ずきずきと痛む。

 

ときおり軽い音を交えて拍子を刻みながら、荘厳といっていい響きが、朝の空気を震わせる。

 

石段を上がりながら、すこし目を閉じて思う。

 

山狗を任され、興宮と雛見沢を往復したこの数年間。

 

しけた町並みに、辛気くさい村。

 

糞面白くもねぇ監視や工作に、カバーはしがない造園屋。

 

庭の手入れに土いじりが日常業務と来る。

 

部下は戦場を知らねぇ甘ちゃん揃いで、上官は戦場どころか軍隊にも縁のないような医者の坊ちゃん嬢ちゃんだ。

 

命令ならばと割り切っても、……そりゃあクサる。

 

それでも、……最後はわりと悪くない。

 

戦場でだって、何ヶ月も待機待機で、終わってみりゃあ敵に向かって一発も引き金を引かなかった、なんてのは珍しくもなかったんだ。

 

それに比べれば、ここ数日のガキどもとの小競り合いは、なかなかに愉快なモンだった。

 

任務はくだらねぇし、新しい上官もいけすかねぇが、この先で待ってるってぇ結末にはちょいと興味もある。

 

なによりこんなハレの日に、いじけたツラは似合わねぇ。

 

最後まで楽しんで、笑ったモンが勝ちだろうに。

 

「くくっ……」

 

目を開けて思わず、笑みがこみあげた。

 

最後の数段、後ろから来る部下たちにはまだ見えていないのだろう、……この馬鹿げた光景が。

 

 

 

どん、どん、どどん、どどん、どん。

 

 

 

夜明け前の古手神社の境内。

 

赤や白のハデな色合いの祭提灯が十重二十重に吊り下がり、色鮮やかな法被を着た村の男たちが立ち並ぶ。

 

石畳の一番奥、本殿の扉は開かれて、その手前には演舞の行われる舞台が設置されていた。

 

そこには諸肌を脱いだ男たちが打ち鳴らす大太鼓。

 

舞台の中央に立つのはオヤシロさまの巫女ではなく、制服の上からマントのように法被を羽織った小僧だった。

 

胸の前で腕を組み、目を閉じて戦太鼓に聴き入っている。

 

その周囲。

 

神官たちが立つべき場所に本来の巫女である古手姉妹や、竜宮レナ、園崎姉妹、北条兄妹、三佐や所長の姿もある。

 

赤坂、富竹らは、村の男たちの列に加わっていた。

 

……なるほど、この喜劇のシメには相応しい。

 

本来ならばここは終末作戦という惨劇の『最後の舞台』。

 

計画どおりに進めば、女王感染者はこの場所で眠ったまま開腹され、そのハラワタを引きずり出されて果てる。

 

それを合図に滅菌作戦が発動し、命令書にサインが為されれば翌朝を迎えることなく、雛見沢の全ての村人たちは不幸な災害の犠牲者となる。

 

そんなクソッタレな絵図を書き換えた途方もない馬鹿がひとり、この舞台を締めようと立っている。

 

異様な光景に部下達が戸惑う声を背中に聞きながら俺は鳥居をくぐり、笑いをこらえきれぬままに前に出る。

 

「……来たか」

 

舞台の中央で、その馬鹿がゆっくりと目を開けた。

 

 

 

* * *

 

 

 

「……来たか」

 

圭一が顔をあげて、真正面……古手神社の鳥居を背にして立つ小此木を見る。

 

祭太鼓は徐々にその拍子を速くしていた。

 

今から始まろうとしている何かが、ひとつの終わりであると理解しているかのように。

 

本来の巫女である僕ではなく、圭一の奉納する神楽舞を彩るために、それは打ち鳴らされている。

 

「おうよ。人を招いておいて、ずいぶんとしょぼい歓迎をしてくれるじゃねぇか、小僧」

 

嘲る小此木の声に、圭一は応えない。

 

かわりに一歩、山狗たちを囲むように列を狭めたのは村長の喜一郎や、死守同盟の中心だった老人たちだ。

 

その攻撃的な空気に圧されて小此木以外の山狗たちは一様に息を呑み、銃を構える。

 

「こんなジジイどもを集めただけで、どうにかなるとでも思ってんのか?……山狗も相当に舐められたもんだ」

 

そんな空気を面白がるように、小此木が圭一を挑発する。

 

「……集めたわけじゃない。勝手に来ただけだ。一人一人が雛見沢の危機を察して、雛見沢の魂を護りに来た」

 

そのとおり、老人たちは理由も知らずにここに来たのだ。

 

ただダム現場の火災、続く診療所の異変を知って、自分の知らぬところに雛見沢の敵がいると気づいた。

 

そして武器を手に、圭一のところへ自ら現れた。

 

どうすればいいと問うために。

 

必要ならこの命を使えと告げるために。

 

たった14歳の、雛見沢の英雄の戦列に加わるために。

 

剣道の鍛錬用だろうか、使い込まれた年代物の木刀を肩に負った喜一郎が一歩、前に出る。

 

「く、来るな! 撃つぞ!」

 

山狗が警告の声を放つ。

 

……が、それはかすかに震え、かすれていた。

 

銃口を向けられているというのに、喜一郎は笑っている。

 

「……外すなよ、小童。心の臓はここだ」

 

片手で自分の胸をさす。

 

「もしも外さば……、外した二人と同じところに行くことになろうよ」

 

引き金にかけられていた山狗の指が、ぴくりと震える。

 

「ひとり目は大陸の馬賊で……、ふたり目は闇市の地回りだったか? 案外とな……人間、腹に穴を開けただけでは死ねんものだったよ」

 

喜一郎の目が鋭く細められる。

 

そして他の老人たちもまた、力強く一歩を踏み出す。

 

そう。

 

この場にいる老人たちは、ただ老い先が短いからという理由で、死にに来たわけではないのだ。

 

僕たちも、山狗たちも生まれる前の時代。

 

老人たちはかつて兵隊として出征していた者ばかりだ。

 

中には実戦を潜り抜けたものもいるし、戦争が終わってもその直後は混乱の時代が続いた。

 

雛見沢復興の資金源とすべく、闇市で横流しの物資を売りさばいた宗平たちだが、そんな場所で余所者が大きく儲ければ、それが気に入らない誰かを敵にまわすことになる。

 

戦場帰りの男たちが巷間にあふれる時代のこと、血生臭い修羅場は一度や二度ではなかったはずだ。

 

つまり。

 

喜一郎たちは……プロの兵士である山狗たちよりもよほど実戦経験、殺し合いの経験が豊富だということだ。

 

「う、ぁ……」

 

恐ろしい事実に気づいた山狗が蒼白になる。

 

目前に立つのは、鬼。

 

かつてその名に鬼を棲まわせた、鋼のごとき猛者……!

 

「……どうした、撃たぬのか」

 

一歩、踏み込んだ喜一郎が正眼に構えた剣先を揺らす。

 

たとえ木刀といえど、喜一郎のような剣道の有段者の手にあるそれは、真剣にも劣らぬ凶器となりうる。

 

無慈悲な鈍器は一撃で首をへし折り、あるいは額を割り、あるいは喉を突き潰すだろう。

 

二人の間合いは、せいぜい一息で詰まる距離。

 

一撃で仕留めなければ、殺されるかもしれない。

 

その張り詰めた空気は……まさに鉄火場。

 

 

「……やめとけ」

 

 

制止の声は、ふたつ重なっていた。

 

ひとつは、山狗の上官である小此木の声。

 

もうひとつは、雛見沢の英雄である圭一の声だった。

 

「無駄な血はいらねぇ。決着は俺がつける」

 

静かなその声に、喜一郎はふっと笑みを浮かべて退がる。

 

「……命拾いをしたな、小童」

 

言われた山狗は腰が抜けたように後退り、仲間に支えられて大きく息をしていた。

 

「手出しは無用。……テメェらもだ」

 

圭一の言葉は山狗たちへの恫喝であり、この場が神聖不可侵であることの布告。

 

邪魔をすれば……死ぬ、と山狗たちは直感し、蒼白となる。

 

「応。……存分にやってくれ、圭一さん」

 

喜一郎たちが頷く。

 

……太鼓の音が、緩やかなものとなる。

 

それはまるで、嵐の前の静けさのようだった。

 

 

 

* * *

 

 

 

「ククッ……見事なもんだ」

 

小此木が嗤う。

 

奴から見ればただの小僧に過ぎない俺が、村長たちに全幅の信頼を置かれていることが可笑しいのだろう。

 

そりゃそうだ。

 

俺だって可笑しくなるくらいだ。

 

ハッタリと口先の詐術で、俺はこの座に登り詰めた。

 

いまだって、身体の芯から来る震えが止まらない。

 

できることなら逃げ出したい。

 

でも……、これは俺が始めた戦争だ。

 

だから終わらせるのも俺でなけりゃいけない。

 

ちっぽけで弱い俺に、その役目は相応しくないだろう。

 

でも、それがどうした?

 

俺は最強じゃない。

 

でも、最強じゃないことを恥じている。

 

どこの誰からであっても、仲間を守るだけの力がないことを心から恥じる。

 

とどのつまりは、弱いんだ。

 

自分が『弱い』という事実を認めて、受け容れるのが……大人になるってことなのかもしれない。

 

 

だけど、俺は認めない。

 

 

絶対に受け容れない。

 

だから造るんだ。

 

この世のどこにもありはしない、『強い』自分を。

 

捏造しろ。

 

最強の前原圭一を、幻を造り出す……!

 

それがたとえ嘘でも。

 

一秒でも長く仲間を守れるなら、命を削ってもいい。

 

心を、魂を削っても、振り絞るんだ……偽りの勇気を!

 

 

……止まった。

 

 

足の震えが、頭の中の警鐘が。

 

それでいい。生存本能など、眠っていればいい。

 

だって俺は前原圭一だ。

 

だから勝てる。

 

だから怖くない。

 

せいぜい嘘つきと嗤うがいい、虚勢だとなじるがいい。

 

構うものか。

 

仲間を守れないくらいなら、俺は嘘つき野郎でいい!

 

手を、まっすぐに伸ばす。

 

ゆっくりと指を折り、拳を固める。

 

骨の軋み、絞られる筋肉の痛みも知らない。

 

こんなもの、今日この場で砕けても構わない。

 

この場で逃げて、悔やみ続ける未来などいらない。

 

前原圭一は、そんな賢い選択肢など選ばない。

 

生きたいと泣き喚く、無様な自分などいらない。

 

ここにいるのは、『前原圭一』。

 

この世の真実を打ち砕く、天下無敵の『嘘』。

 

我知らず、笑みが浮かぶ……。

 

自分で自分を追い詰めるその可笑しさが、可笑しい。

 

「始めようか。……いや、終わらせるぜ。全部」

 

 

さあ……、『前原圭一』。覚悟はいいな?

 

 

 

* * *

 

 

 

「始めようか。……いや、終わらせるぜ。全部」

 

小此木を見下ろし、まっすぐに拳を突きだして笑う。

 

そのあまりにも堂に入った、落ち着き払った態度が気に入らないのだろう、小此木は唾を吐く。

 

「その余裕がどこから出てくるか聞きたいもんだ。貴様がどれだけ人を集めようが、こっちは一人殺せばそれで終わりの、楽な任務だぜ?」

 

小此木の言うのが嘘だとは、僕にすらわかる。

 

この場にたった4人しか山狗を連れてこられない時点で、彼らが相当に追い詰められているのは自明の理だ。

 

羽入ちゃんを狙おうと銃を構えれば、その瞬間に富竹さんの銃口が火を噴くだろう。

 

「まだ、気づいてないのか」

 

圭一はまるで、諭すような声で問うた。

 

「……あぁ? 何が言いてぇ。はっきり言いやがれ」

 

挑み返すように目を細く、視線を尖らせる。

 

その眼光にすら、圭一は動じない。

 

あきれるように再び腕組みをして……低く笑った。

 

圭一の瞳は、悪魔のように狡猾な光を宿していた。

 

「ここ数日、やけに動きやすいと思ったことはねぇか?」

 

意味がわからないという顔をする小此木と山狗たち。

 

「いくら過疎の村でもな……すこし異常だったろ?」

 

くくっと喉の奥で嗤う。

 

「余所者のてめぇらには、いつもどおりの雛見沢に見えてたってのかよ?」

 

その言葉の意味を反芻して……小此木が目を見開く。

 

鋭い視線が左右へと走り、そこに死守同盟の村人たちの姿を見て……ある結論に達していた。

 

「ま……まさか、てめぇ……!?」

 

ようやく気づいたかと言わんばかりに鷹揚に頷き、腕組みをしたまま小此木を見下ろす……!

 

たったの数段。

 

境内と舞台という高低差が……いまの小此木には、天にも届く頂から見下ろされているかのように錯覚するに違いない。

 

「これが俺の『イカサマ』だ……!」

 

圭一が詩音に頼んだという、切り札。

 

それは……、とてもくだらないことだった。

 

 

『雛見沢の村人を、雛見沢から立ち退かせる』。

 

 

本来、できるはずのないこと。

 

雛見沢の人々はその大半が農家であり、この時期に自らの農地を離れるなど普通ならばありえない。

 

この男は、そしてそれを頼まれた詩音と魅音は……軽々とやってのけた。

 

彼が築いてきたのは、絶対的な信頼。

 

村人たちは『雛見沢の前原圭一』という男の頼みだと聞いたからこそ、詩音と魅音の言葉に従った。

 

それが無ければ、いくら園崎家が全ての損害を補償するからと言っても自分の土地を離れることを躊躇ったはずだ。

 

 

それはまさに、圭一の描いた軌跡であり、奇跡。

 

 

この村の誰もが、信じていたのだ。

 

圭一のやることならば、どんなに突拍子もないことでも。

 

 

必ずや『とびっきりのお祭り』になるだろう、と!

 

 

誰もがその見たこともないお祭りに胸を躍らせ、いかなるサプライズで魅せてくれるのかと……わくわくしながら、園崎家の指示に従った。

 

「くっくっく……一軒一軒回って、さりげなく買い物や用事のふりをして村を出て貰うのはちょっと大変でしたよ。ま、『園崎魅音』が二人いれば余裕でしたけどね!」

 

村人が興宮にでるのはごく普通の、日常的なこと。

 

それを監視する暇が、部活メンバーに振り回されっぱなしの山狗にあるわけがない。

 

そして、街に出ていった村人が帰宅しなかったとしても、それを不審に思う機会など与えられてはいなかった。

 

学校から子供たちの姿が毎日数人ずつ消えても、商店街の人通りがやけに少なくても、全部がいなくなったわけではないのだから、気づけるはずがないのだ。

 

だから簡単だった。

 

これはただの手品だ。

 

世界で一番大がかりな、人体消失トリックに過ぎない。

 

「いまごろは親戚のところや、どこかの観光地のホテルでのんびりしてるだろうね。村全部はまわりきれてないけど半分、いや三分の一でも効果は充分……くっくっく!」

 

そう、たったそれだけのこと。

 

雛見沢の住人が何割か、この地を離れている。

 

それだけで、……どうしようもなく致命的。

 

「ありえねぇ、ありえねぇだろ、畜生ッ!」

 

小此木は高みから自分を見下す圭一に指を突きつける。

 

それは、糾弾だった。

 

「悪魔みてぇなド汚ぇ手を使いやがって……!」

 

圭一は片目を閉じて、唇を歪める。

 

「悪魔?……おいおい間違ってるぜ、オッサン。雛見沢にいるのは千年も昔から『鬼』に決まってんだろ?」

 

悪辣な詐欺師は、薄ら笑いのままで続けた。

 

「てめぇらは雛見沢を人質にとった。だから俺も、人質をとることにしただけだ……!」

 

圭一が人質に取ったのは、鹿骨市。

 

いや、最悪の場合は日本全部。

 

『東京』による滅菌作戦の対象は、雛見沢に住む千数百人という雛見沢症候群の感染者たち。

 

彼らを全滅させる手段はすでに用意されている。

 

無論、雛見沢が封鎖されているわけではない以上、彼らの何人かが何らかの事情で網の外に出てしまうことも想定はしているに違いない。

 

だが怖いのは集団発症であって、個人単位の発症者ならばその気になればいつでも始末できるし、放っておいて事件を起こしたって対処は可能。

 

探し出すのも難しくはないはずだった、故郷の村が全滅すれば、彼らは勝手に名乗り出てくるだろう。

 

……でも、雛見沢を出ていた村人が、村の数割にも達するほどの大人数だったなら?

 

しかも彼らが、いくばくかの金を握って好き勝手な場所に寝泊まりしているとしたら?

 

答えは明白。

 

雛見沢を封殺する作戦そのものが、一瞬で瓦解する。

 

何人が網の外にいて、どこにいるのかもわからない。

 

そんな人々をまとめて抹殺するには、何十倍……いや何百倍もの規模で事を起こさねばならなくなるのだ。

 

千数百人の寒村でさえ政府を揺るがしかねない一大事だというのに、たとえば村人の親戚縁者が多い鹿骨市全部を対象にすれば、数万の命を奪う作戦が必要となる。

 

そんな命令書にサインできる人間など、いるわけがない。

 

「あぁ畜生、なんてぇデタラメだ……!」

 

戦っているつもりでいながら、その実いつの間にか負けが確定していたことに気づき、小此木が唸る。

 

圭一は、村全部が人質という前提条件そのものを、丸ごとひっくり返してみせたのだ。

 

それは、盤をひっくり返すなんて表現ではなまぬるい。

 

盤上で追い詰められた人間が席を立ったと思ったら、巨大な重機で対局相手を家ごとひっくり返して生き埋めにするくらいの……とんでもない暴挙だった。

 

こうなっては、すでに村人の皆殺しは不可能。

 

羽入ちゃんを殺す意味も、陰謀さえも無価値になる。

 

村人が戻ってくるのを待って事を起こしたくても、ダム現場と診療所に残された証拠はすでに警察の握るところとなり、数日中には『東京』の深部に公安が手を下し、ゲームエンドとなるだろう。

 

至極単純にして明快な手口の、なんと堂々たるイカサマ!

 

大局においてもはや、圭一と雛見沢の勝利は揺るがない。

 

さんざん圭一を追い回し、追い詰めておきながら、最後の最後、追い詰められていたのは……小此木と山狗だった。

 

イカサマもここまでくれば、笑うしかない。

 

圭一はこの惨劇に数万人を巻き込むことで、ただの一人も死なせない喜劇に変えてしまった。

 

「滅茶苦茶やりやがる、このガキがッ……!」

 

小此木の笑みは、まるで敗者には相応しくないもの。

 

牙を剥き出しにした、獰猛な笑みだった。

 

嘘とイカサマで無理矢理勝ちに来たこのインチキな勝者を引きずり降ろして、今すぐにも噛み殺してやりたいという剥き出しの殺意が宿っている。

 

「はっ。勝負ってのは、勝ちゃあいいんだよ」

 

圭一はそれに笑みを返しながら前に出た。

 

その笑みもまた……小此木のそれに負けないくらいに凶暴な意志を滲ませている。

 

まるで撃鉄を起こした拳銃のように……火薬の匂いがする笑顔だった。

 

腕を立て、拳を握りしめる。

 

「さぁて……負けたテメェにゃ、楽しい楽しい罰ゲームのお時間だぜ……!?」

 

ぎりぎりと肉と骨を軋ませながら、拳を固める。

 

「俺の仲間をこれだけ好き勝手に傷つけてくれたんだ……もう覚悟はできてるよなあ?」

 

度重なる闘争を潜り抜け、自分のものか敵のものか、もはやわからないほどに血の滲んだ、ぼろぼろのバンテージに包まれた鋼鉄の拳を。

 

 

「この前原圭一さまにぶん殴られるっていう、とびきりの罰ゲーム! 受けてもらうぜ、負け犬野郎……ッ!」

 

 

肩にかけていた法被を投げ捨てて叫ぶ。

 

露わになったワイシャツの白い背中が、僕たちの目に否応なく焼き付けられる。

 

 

白だ……。

 

どんな色にも染まらない、孤高の白なんかじゃない。

 

何者にも変われる。

 

どんな未来だって描ける。

 

 

『本当』に変わる白……!

 

 

圭一はその『白』と、雛見沢全部を背負って……。

 

いままさに、その伝説を始めようとしていた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「この前原圭一さまにぶん殴られるっていう、とびきりの罰ゲーム! 受けてもらうぜ、負け犬野郎……ッ!」

 

 

肩にかけていた法被を投げ捨て、咆哮する。

 

この野放図なお祭り騒ぎ、雛見沢全部を巻き込んだ部活メンバーと山狗の丁々発止の遣り取り全てに、ぐうの音も出ないような決着をつけるに足る唯一の方法。

 

全てをご破算にする、罰ゲーム。

 

ヤツはその意図を理解すると、余裕で肩をすくめる。

 

「わからんヤツだ。大人の忠告ってのは素直に聞いておくもんだ。人生にはな、現実を思い知ってからじゃ遅いってこともあるんだぜ……世間知らずの小僧がッ!」

 

そう嗤う小此木に、俺も鼻で笑い返す。

 

「あぁ、あの勝てないヤツとは戦うな、とかいう賢い大人の知恵だっけか? それともありゃ寝言だったか?」

 

嘲笑え。

 

罵れ。

 

そして、笑い飛ばせ。

 

「オッサン……、てめぇがどれだけみじめに現実に屈したかなんてのに、これっぽっちも興味はねぇ!」

 

震えるな。

 

いや、震えてなお、猛り狂え。

 

「ちっぽけなモノサシで俺をはかるんじゃねぇッ……!」

 

血を吐くように、嘘をつけ。

 

そうだ、笑え。

 

いまから始まるのは、ただの喧嘩だ。

 

火事と喧嘩は祭りの華って言うだろ?

 

これほど今の俺たちに相応しい言葉もない……。

 

つまりこれはただのお祭り騒ぎで、その最後の最後に華を添えるだけの、一世一代の大喧嘩!

 

だから……ここは笑っていい場面だろうがッ!

 

「勝てなくても戦うべきときを俺は知ってるし、戦うなら意地でも『勝つ』ッ!」

 

そうさ、最後に笑う権利があるのは、勝てない喧嘩を賢く回避した腑抜けじゃない。

 

勝てない喧嘩に勝ってみせた大馬鹿野郎だ!

 

「……へっへ!」

 

小此木も、笑う。

 

牙を剥きだして猛獣のように笑う。

 

「吠えるな、小僧ぉ……っ! そのクソ度胸だけは買ってやってもいいぜ!」

 

「はッ!」

 

この期に及んでも、まったく勝てる気がしない。

 

あぁ、それくらいでちょうどいい。

 

勝てるとわかってる喧嘩をするほど、野暮じゃない。

 

「寝ぼけてんなよ、俺が売ってんのは喧嘩だ、喧嘩ぁ! それも、とびっきり極上のヤツをなぁ!」

 

やけっぱちな叫びとともに、境内へと降り立つ。

 

 

 

どん!

 

 

 

祭太鼓の重低音がまるで合図のように、

 

 

……風が、止まった。

 

世界が静止したかのような、圧倒的な静寂。

 

梢の鳥たちも、境内の木々も、空を流れる雲も。

 

そして早過ぎる夏の祭りを布告するひぐらしたちも。

 

全てが俺を、いや、今ここに顕現した大嘘の英雄、

 

 

『前原圭一』を見つめて、押し黙っていた。

 

 

だからこの空気を圧して、口を開けるのは唯一人。

 

英雄である、『前原圭一』だけ。

 

 

 

「 刻め。」

 

 

 

その簡潔な言葉、いや、暴力的な命令は、目の前の小此木だけに告げたものではなかった。

 

 

 

「唯一絶対の不屈をみせてやる」

 

 

 

それは最強を超え、無敵すらも退ける最悪のイカサマ。

 

この世のどんなものにも屈しない。

 

人の法も天地の理もはねのけて、突き進むだけの愚直。

 

だがそれ故に、何者にも止められない大法螺。

 

その弾丸に打ち砕けない壁など存在しない。

 

理外からの一撃を防ぐすべなど存在しない。

 

それを見せつけることが……『前原圭一』の役割だ。

 

 

だから解き放つ。

 

 

……本当に変わる、嘘を!

 

 

 

「ブチ貫いてやるから、覚悟を決めろ……ッ!」




<雑談>

そして迎えた最終幕。
圭一vs小此木、はじまります。

神楽舞完結後、次に読みたい作品は?

  • 神楽舞、お疲れ様会もやってほしい
  • ひぐらし短編集
  • ひぐらし連載、長編もの(圭羽、梨圭など)
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