「お前、……ほんとに魅音か?」
「ッ!?」
なにげなく言っただけなのに、ぎくりとした顔になる魅音。
……?
どんなギャグの前フリなのかと考えてみたが、どこか切迫したような、それでいてなにかを期待したような上目遣いで俺を見るだけ。
仕方なく、当たり前すぎることを指摘してやった。
「……いや、親父にならともかく俺にまで丁寧に喋らなくていいんだぞ?」
「ぁ」
今日のこいつは見事なまでに百面相を演じてくれるから、話していて面白い。
魅音はなにやら数秒ほど視線を宙にさまよわせてから、スイッチを切り換えたみたいに笑顔になる。
「あ、あはははは。ほら、客商売なんかしてるとね、バイト終わってもなかなか切り換えができなくってさぁ!」
……なにかわからないが、必死で誤魔化している様子だった。
らしくない。
いつもの自分を演じようと心がけているのはわかるが、そもそもいつもなら俺相手にそんな無防備な笑い方はしないだろうに。俺が魅音に対して抱いてる印象に比べると、感情が先走りすぎている気がした。……もっとも、そんなことを判断できるほどに長い付き合いというわけでもないのだが。
でも。
それはそれで、好ましく思えるのも事実なのだ。いつもの魅音とは違った意味で、年相応の女の子らしさとでもいうのか、可愛げが感じられる。
小さな笑みをこらえきれず、俺は魅音の頭に手を伸ばしていた。
「ぇ、ひゃ!?」
くしゃりと撫でてやると、まるで借りてきた猫のように放心した表情になり、目を閉じてしまう。……そういえばこいつ、悟史にもよく撫でられてたっけ。
撫でられフェチか?
「……ん」
少しだけ開いた唇から、どこか甘さを感じさせる吐息が漏れる。
……やば。
俺は瞬時に魅音を正視できなくなり、慌てて手をひっこめると歩き出す。
毎日顔を合わせるクラスメイト、それも不倶戴天の関係にあるべき園崎魅音に『女』を感じてしまうのは正直気まずいだけだ。いままでより親しみを感じたのも確かだが……。
「……もう、いきなり何すんのさー」
まるで取り繕うような、不服そうな声をあげて追いかけてくる魅音だけど、その顔は真っ赤だった。さきほどの自分の状態をわかっているやらいないやら。
そこで俺が皮肉なり嫌味なりを返していれば、何事もなく元通りの関係になれただろう。
でも、何故かそれももったいない気もしてしまって……、
「いや、なんか……可愛いとこもあるんだな、お前」
本音をすこしだけ覗かせたら、魅音はこれまでになく狼狽した。
……いや、魅音よ。
頼むから湯気の出そうな頭を両手で抱えつつ、涙目であわあわと右往左往するのはやめてくれまいか。
どうみても挙動不審以外の何物でもない。
お前にも世間体というものがあるだろうし、人通りの多い駅前でその壊れっぷりでは、事情を知らない人が救急車を呼んでも不思議はないぞ。
やれやれ。
さすがに他人のふりをしてさりげなく立ち去るわけにもいくまい、……人として。
俺は軽くため息をつくと魅音の背中を軽く押してその場を去り、真っ赤になって俯きながら言葉少なに返答したり首を振って答えるだけの、まるで迷子の幼女のようになってしまったクラス委員長を送ってやった。
「家って……ここか?」
「……ぅん」
……はて、魅音の家は雛見沢だったと思うが、このマンションは親戚の住まいか何かだろうか?
「じゃあな、魅音」
「ぅ、うん。またね……圭ちゃん」
マンションの前、どこか名残惜しそうなそぶりで胸の前で小さく手を振る魅音は、いつもよりひとまわり小さく見えた……と言ったら笑われそうだが、そのとおりだったのだから仕方がない。
どこかもやもやとしたものを抱えたまま、俺は雛見沢への帰路についた。
来るときは下りだったから楽なものだが、延々とあの坂を自転車で登っていくのは正直言ってきつい。このまま一年も雛見沢で暮らしたら、無闇に体力がついてしまいそうだ。
「田舎の子供が体力あるってのはこのせいだな、絶対」
自転車はこっちに来てから必要性に迫られて買った変速付きの新品。……まぁ、梨花ちゃんのリクエストで買い物用の籠があるやつだから見た目はママチャリと変わりないがこういう土地では実用性も大事だと思うので、俺も特に異存はない。
「やっと……着いた」
道路の舗装が途切れ、見慣れた神社への道に乗る頃にはもうすっかりあたりは暗くなっていた。
街灯の少ない雛見沢の夜は、本当に暗い。
いや、暗さよりも実感するのは月とか星の明るさかもしれない。人工の強い光に彩られていない分だけ、淡い光に目が慣れてしまってそれほど闇を感じないのだ。
それは生まれたときからこの村にいる羽入たちには理解できない感覚なのかもしれない。
羽入と梨花ちゃんの共用の自転車の隣に停めて石段をのんびりと上がる。
毎夜の散歩のおかげで、あたりに響く虫の声にもすっかり慣れていた。
二人には駅から電話したから、心配はしてないだろう。
……この時間だと、二人とも晩ご飯は済ませているだろうな。散歩の時間にはまだ早いから、TVか、宿題か……と、そんなことを考えて防災倉庫へ回ろうとしたところで……展望台に小さな人影が見えた。
長い髪のシルエットを見て最初に思ったのは、羽入がはやめに散歩に出てきたのだろうかということ。でも、俺の気配に気づいて振り向いた白い顔は梨花ちゃんのものだった。
「……圭一」
いつもの砂糖菓子を思わせる笑顔じゃない、やけに大人びた顔をして目を伏せる。
口を開こうとして、うまく言葉がでてこない。
目の前にいるのが本当に梨花ちゃんなのかどうか自信がない。
それは馬鹿馬鹿しい考えだった。梨花ちゃんでなければなんだというのか。
「信じるか信じないかは、あなたに任せるわ」
妙に落ち着きはらった低い声で、そいつは切り出した。
「悟史と沙都子には、逃れることの出来ない過酷な運命がある」
雛見沢に来てはじめて出来た、親友とさえ呼べそうな男と、その妹の名前。
「あなたがいない昭和57年の雛見沢では、誰がどれほど足掻いてもその運命を覆すことは出来なかった……」
意味の分からない言葉の連なりだった。
俺はここにいるし、過去形で語られるべき話ではない。
「綿流しの夜、沙都子の叔母は頭を割られて死に……その数日後、沙都子の誕生日には悟史が忽然と姿を消す。……沙都子はひとりぼっちで、悟史の帰りを待つことになる」
梨花ちゃんの姿をした何者かの口から流れ出る、不吉な予言。
そこでようやくそいつは睫毛を揺らして目を開き、俺を視線の矢で射抜く。
闇色の瞳は、まるで嘲笑うような色をしていた。
「……あなたなら、変えられる? この運命に立ち向かえる?」
そいつと俺の距離は数メートルもあるのに、眼球の1センチ先に錐を突きつけられたみたいな鋭利な空気と不快感が襲ってくる。
知らず、拳を握りしめていた。
「……るな」
もう初夏に近いというのに、皮膚に触れるのは冷たい気流のうねり。
目の前のこいつが年経た闇、人外の存在であるかのように振る舞うのが気に入らない。
「……何?」
黒洞のような瞳を宿す目が、呪いでもかけるかのように細められる。
あぁ、聞こえなかったなら何度でも言ってやる。
「ふざけるな、だ。運命なんてものがあるなら、俺達の努力は無駄だとでもいうのかよ」
闇は答えない。
ただ、俺の次の言葉を待っている。
それが……、気に入らない。
「高みから見下ろして、運命だなんて安っぽい言葉で誤魔化して、しまいには自分がその過酷な運命とやらに巻き込んだ俺に丸投げするつもりか?」
こんな形で俺を試す前に、やることがあるだろう。
ここにある炎を、見過ごしている場合じゃない。
両の拳を握りしめて、腹の底の煮えくり返るような怒りを振り絞る。
「人選は間違っちゃいない、お前が何をしたってしなくたって俺は悟史と沙都子のために何度だって何度だってそのやわな運命とやらを打ち破ってやる。戦うのが嫌ならいつまでもそうやって他人事のフリをしてればいいさ、でもな!」
唐突に言葉を切った俺に、びくりと闇が震えた。
その怯えた瞳が、月影に冴える白い顔が、少女のカタチを取り戻していく。
もう超越者はどこにもいない、そこにいるのはただ自らの間違いに気づいて震えるだけの年相応の女の子だった。
「そうやって作った未来に……自分の居場所が欲しいなら、足掻くんだよ。どんなにきつくても、どんなに負けそうでも、顔をあげて、声をあげて、……気に入らない運命なんて知ったことかって笑い飛ばすんだよッ!」
最後の言葉を吐き出すと同時に、熱がゆっくりと引いていく。
自分でも不思議なくらいに、高ぶっていたことに気づく。
「……ごめん、なさい」
しゅん……とした様子で俯いた梨花ちゃんの前髪がその顔を隠す。
俺はゆっくりと歩み寄って、その前に立った。
「圭一は……やっぱり、圭一なのですね。すこし性急すぎたのかと思っていました。でも……あなたの強さは変わらない。いつだってボクの思い上がった間違いを気づかせてくれるのです」
弱々しく微笑みを浮かべた梨花ちゃんの頭にそっと手を乗せる。
「……俺のほうこそ、ごめん。なんか、偉そうにわけのわかんないことを言っちまって。梨花ちゃんだって、不安なんだよな」
こんな小さな子が、親友の境遇をずっと心配し続けていれば多少おかしくなっても仕方がない。俺がすべきことは、この子を泣かせることじゃなくて、笑わせてあげることだっていうのに……。
なるべく優しく頭を撫でていたら、なにやら梨花ちゃんがむずがるみたいに小さく唸ってぽすんと俺の胸に顔を押しつけてきた。
白くて細い両腕がきゅっと腰に巻き付けられる。
「……、圭一のくせに……」
なにかぼそぼそと言ったけど、はっきりとは聞き取れなかった。
……なんだかよくわからないが、すこし震えているその身体を、あやすようにそっと抱きしめる。考えてみれば梨花ちゃんは両親を亡くしてから一年も経ってない。羽入と二人で助け合っているとはいえ、あんまり人に甘えるということがないのかもしれない。
羽入も話しているとどこか大人びているようでありながら寂しがり屋の一面を垣間見ることもしばしばあって、俺みたいな奴でも家族が増えたことを喜んでくれている気がする。
もしかすると、梨花ちゃんが俺をこの村に呼んだのはそばにいて支えてくれる誰かが欲しかったからなのかもしれない。
声を殺して静かに泣く梨花ちゃんの声を胸のあたりに聞きながら、不意にさきほどの忌まわしい『予言』を思い出す。
『綿流しの夜、沙都子の叔母は頭を割られて死に……その数日後、沙都子の誕生日には悟史が忽然と姿を消す。……沙都子はひとりぼっちで、悟史の帰りを待つことになる』
綿流し、という言葉には覚えがあった。
確か羽入との雑談の中にでてきた古手神社のお祭りだ。6月なんてずいぶん中途半端な時期にやるんだな、と思ったから多少は印象に残っている。
お祭りの夜に……沙都子に意地悪している叔母さんってのが、頭を割られて死ぬ?
その上、沙都子の誕生日に悟史が姿を消すって……行方不明ってことかよ。
それが覆せない運命だとか言われても、さっぱりわからない。
……多分、梨花ちゃんに尋ねてもまともな答えが返ってこないような予感はあった。
さきほどの様子はどう考えても常軌を逸していたし、また声を荒げて問い詰めるようなこともしたくない。
「……ん?」
ふと気がついて下を見れば梨花ちゃんが熱っぽい目で俺を見上げていた。
何だろう、なにかをねだるような気配を感じて手が止まっていることに気づく。
誤魔化し笑いをしながら梨花ちゃんの長い黒髪を撫でると、梨花ちゃんは一瞬ぶるっと身体を震わせたが、すぐに仔猫のように気持ちよさそうに目を閉じて、しがみつく両腕にきゅっと力をこめた。
「みぃ……」
……なんか可愛いな。思わず親父譲りの妄想癖で頭の上に猫耳を幻視してしまいそうだ。
魅音といい羽入といい梨花ちゃんといい、この村の女の子は撫でられるのに弱いのだろうか。実は閉鎖的な村にありがちな変わった風習で、男が女の髪を撫でるのはプロポーズを意味するのだとか言われたらどうしよう、と余計な心配をしてしまう。
「んなアホな風習はないのですよ」
……おっと、考えていることが口に出ていたか。
梨花ちゃんは俺の胸に頬ずりをしながらくすくすと意地の悪い笑いをこぼした。
「……でも、圭一に限っては結果的にそういう意味になってもおかしくないです」
「は?」
また意味のわからないことを言われてしまった。
いつもの梨花ちゃんらしい、可愛いけれど悪意たっぷりの笑顔。
「あちこちでフラグばっかり立てまくるといらない惨劇が起きるのです。同時攻略もほどほどにするが吉なのです、にぱ~☆」
……え~と。
なにやら不穏なフラグが立ってしまった気がするのは、気のせいだろうか?