「おっ、やるなレナ。初夏の陽射しに白が眩しすぎるぜっ!」
雛見沢分校の校舎の前で出会った途端に、圭一くんが楽しげに拳をぐっと握りしめる。
「は、はぅ……変かな、変かな?」
ちょっぴりの不安と、かなりの期待をしながらくるくる回ってしまう。
そして圭一くんは、やっぱり期待に応えてくれる。
「変じゃないって。朝っぱらからさわやかな気分になったぜっ!」
今日から6月、衣替え。
私もおろしたての白のセーラーに着替えていた。白は大好きな色だから、圭一くんが喜んでくれるのは嬉しかった。
「あぅ……今朝からずっとこの調子なのです」
羽入ちゃんがちょっぴり疲れたような笑い方をみせる。
「ようやく圭一が圭一らしくなってきやがったのですよ、にぱ~☆」
よくわからないことを言う梨花ちゃんは満面の笑顔。
二人とも、可愛らしい夏服姿だった。
「は、はぅ、はぅう~! 二人ともかぁいいよぅ! お、お、おも」
「待った待ったレナ、登校早々お持ち帰っちゃ駄目だからね!」
呆れ顔の魅ぃちゃんに、後ろから襟を掴まれて止められてしまう。
「うぅぅ……魅ぃちゃん、いじわるぅ」
と、泣きながら圭一くんを見ると、私を引きずって下駄箱に向かう魅ぃちゃんのほうをじっと見つめていた。
「……何さ」
ぶすっとした魅ぃちゃんが腰に手をあてて胸を張る。
もちろん、魅ぃちゃんも夏服だ。
半袖のブラウスに薄手のベスト、下はやっぱり薄手のロングスカート。
「ん……なんか、イメージが違うなって思った」
「似合わないってことぉ? へーへーそりゃ悪ぅございましたぁー」
圭一くん、魅ぃちゃんだって女の子なんだからそういう態度は傷つくと思うな……。
「いや、似合ってることは似合ってるさ。でも……なんていうか、魅音はもっとこう」
「もっと……?」
「スカートとか短いほうが似合うような気がする。せっかくスタイルいいんだし」
あまりにも大胆不敵な爆弾発言に、靴を履き替える途中だった魅ぃちゃんがバランスを崩して壁に顔面から激突する。……あのきりもみでずっこけるの、どうやるんだろ。器用だなぁ。
「な……なななな、なにを言ってるかなこの変態はっ!?」
がばっと起きあがって、噛みつくような勢いで圭一くんを怒鳴りつける。
「魅ぃちゃん、鼻血鼻血」
あからさまな女の子扱いは苦手な魅ぃちゃんだ。夏でもスカートの丈が長いままなのは、それを好んでいるわけじゃなくて露出を少なくするためのせめてもの抵抗……だと思う。それなのに普段反目し合っている男の子にそんなことを指摘された上、スタイルがどうとか言われたらパニックになるのも無理はなかった。
「あ、ありがとレナ。……と、とにかく、圭ちゃんに四の五の言われたくないねっ!」
「……それはそうだな。悪かった」
圭一くんは苦笑ぎみではあったけど、魅ぃちゃんに素直に謝った。
「ま……、まぁいいけどさ」
不承不承ではあるけど、咳払いして謝罪を受け容れる。一応は悟史くんや沙都子ちゃんのために集った部活メンバーだからと自制しているのがわかる。魅ぃちゃんは大なり小なり組織を束ねる立場にある人間だ。より大きな目的を個人的な感情よりも優先する。
「あ、でもさ……」
教室に向かいかけたところで、ふと思い出したように圭一くんが肩越しに振り返る。
なんでもない顔で、彼は口を開いた。
「お前、……ほんとに魅音か?」
その奇妙な問いかけが、一瞬にして魅ぃちゃんの表情を凍らせた。
「……なっ……」
狼狽か、激昂か。
蒼白になった魅ぃちゃんが追いすがるように口を開きかけたけど、圭一くんは先回りするみたいに肩をすくめる。
「なんでもない、気にすんな」
ひらひらと手を振って、羽入ちゃんや梨花ちゃんといっしょに先に教室に向かう。
梨花ちゃんはさりげなくこちらを振り向いて、魅ぃちゃんと私に物言いたげな視線を投げた。なにかを心配しているのはわかるけど、内容まではわからない。
「……魅ぃちゃん、大丈夫?」
「うん……。ごめん、レナ。先に行ってて」
消沈した顔で私の背中を押して、どこかおぼつかない足取りで保健室に向かう。
……魅ぃちゃんがこんなにショックを受ける理由まではわからないけど、正直私も心配になってしまう。彼女はなんていうか、打たれ弱い。普段まとっている威風堂々とした態度に、裏付けとなる自信が全くないのだ。
「だいじょぶ、ちょっと寝不足なだけだよ」
青い顔をして笑う魅ぃちゃんが、なんだかいじらしかった。
それからお昼前に魅ぃちゃんは戻ってきて、まるっきりいつものように振る舞った。
圭一くんともいつもどおりに売り言葉と買い言葉を交わしていて、私の目にもそれがただの強がりなのか、本当に気にしていないのかを見分けることはできなかった。
放課後は、圭一くんと悟史くんに加えて魅ぃちゃんもアルバイトがあるとかで、部活はなかった。沙都子ちゃんはどこか虚ろな目をして、いったん家に着替えに戻るのだろう悟史くんに手を引かれて学校を出ていく。
「……羽入ちゃん、梨花ちゃん」
同じように沙都子ちゃんのほうに心配そうな視線を向ける二人に声をかける。
「あぅ……」
「みぃ……」
似たもの姉妹が私を見る。
沙都子ちゃんの様子は、すこしずつ悪くなっている。部活の存在や、律儀といっていいくらいトラップにかかってくれる圭一くんとの遣り取りのおかげで一時は元気を取り戻したかのように見えたけど、やっぱりそれは一時しのぎで。
沙都子ちゃんが強がれば強がるほど、健気に耐えれば耐えるほど、瞳の中の闇は深く濃くなっていく。だって沙都子ちゃんは、自分の心の平穏を削ることでその痛みと重荷を背負っているんだから。
そうやって人が壊れていくプロセスを、私は実体験として知り尽くしている。
「今日は、レナが商店街に行くから……大丈夫、心配しないで。ね」
「お願いしますのです……レナ」
羽入ちゃんがあぅあぅしながら頭を下げ、梨花ちゃんは床の一点を見つめてちっちゃな拳を震わせていた。考えても考えても、打開策はない。私たちは沙都子ちゃんをいたわり、慰めながら……いつか訪れる破滅を待ち続けるだけの無力な道化。
言うなればここは、運命の袋小路なんだ。
世界はいつだって容赦なく、神様はどこまでも無慈悲に試練を課す。
それに打ちのめされて、立ち上がれなくなった者には失意に満ちた残酷な結末を。
倒れることなく立ち向かう者には、どこまで抗えるかとさらなる責めを与え続ける。
ときに気まぐれに幸せという名の果実を与えては、不意にそれをとりあげて残った傷口に絶望の味を塗りつける。
だから、私は……神様なんて、だいっ嫌い。
「沙都子ちゃん、遅いな……」
商店街の入り口で、いつものように沙都子ちゃんを待っていたけど現れない。
今日はたまたまお使いを押しつけられなかったのだろうか。それが良いことばかりとも言えない。村の人たちにいじめられるかわりに、逃げ場のないあの家で大嫌いな叔母さんに責め続けられるだけなのだから。
あと5分、あと3分。心の中で時間を数えながら、私は待ち続けた。
それでも沙都子ちゃんが来ない、それを確信した私は……北条家に続く道へ、歩を進めていた。なにかの確信があったのかもしれない。でも、そんなものなくても構わない。
悟史くんがアルバイトでいない今、沙都子ちゃんを一人にしているのはまずい。
自然に歩みが早くなる。
林の小径の奥、沙都子ちゃんたちの住む北条家が見えてくる。
「ゃっかぁしいわッ!」
聞こえてきた怒号に、一瞬、びくりと身体がすくんでしまう。
続いて、火のついたような沙都子ちゃんの泣き声、悟史くんを呼ぶ必死の声。
心に危険信号を伝えるランプが灯る。
この先に行ってはいけない、予感がそう告げている。
だからこそ、私は近づいた。
北条家の玄関口、そこに悪夢のような光景があった。
地べたに打ちのめされ、頭を抱えて泣き叫ぶ沙都子ちゃんを酒瓶を手にした大の男が蹴りつけている。
丸太のような足が軽くて小さな身体に叩きこまれ、あっさりと転がす。
「ぴぃぴぃ泣いとらんと、さぁっさと買い直して来んかぃ、こんダラズがッ!」
華奢な沙都子ちゃんの胸を踏みにじり、咳き込ませる。
……あんなの、どう考えたって躾の範囲を超えている。
瞬時に、頭に血が昇っていた。
足が地面を蹴り、景色がスローモーションで流れるのを他人事のように見つめる。
「あぁ……? なんじゃあ、ッ!」
駆け寄った勢いそのままにロケットみたいに宙へと跳躍し、右拳を振り向きかけた男の鼻面へと叩きつける。
指の骨が軋み、痛みを訴えるのも構わずに全体重をかけて振り抜いた。
鮮血が飛び散って、男が玄関のドアに激突して転がる。
「……あなたなんかがいるからッ!」
着地と同時に、追い打ちのつま先を男の頬へとめりこませる。
歯の折れるような音がしたけど、それよりも。
男の伸ばした手が、私の足首を掴んでいた。
「ッ……じゃぁあ、こんガキゃあ、なにさらすッ!」
男の膂力は、凄まじかった。腕一本で私の身体を地面から引っこ抜き、振り回した勢いのまま壁に叩きつける。背中に激痛、後頭部に激震。
「う、ぁあ……」
朦朧とする意識を必死でつなぎとめて、いつの間にか閉じてしまっていた目を見開く。
次の瞬間。
体勢を立て直した男の膝が、私のおなかに突き刺さっていた。
「ぐ、うぇっ……!」
身体をくの字に曲げて、嘔吐感と戦う。よろめいている暇などなかった、今度は頭皮に鋭い痛み。男、たぶん沙都子ちゃんの叔父が、私の髪を掴んでいたのだ。
「舐めた真似ぇ、してくれよるんね。小娘がぁッ!」
髪を掴んだまま身体を引っ張りあげられたところへ、強烈な張り手。
鼻と口に硬い骨の部分が激突する感触、同時にその両方で血の味と匂いが充満した。
世界に火花が散った。
髪を掴まれているから後ろに吹き飛ぶわけにもいかず、衝撃が全て苦痛へと転化される。
「ッグ……!」
男の圧倒的な力の前に、私のような小娘の身体ではどうにもならない。
それでも砕けなかったのは、私の闘志だけ。
つり下げられた姿勢で身をよじりながら、男から見えない角度で拳を再び握りしめた。
もう一度ッ……、今度は寸分も容赦しない、どんな強靱な男であろうとも喉は鍛えられない、一撃で気管を潰す、最高の一撃を入れてやる……ッ!
拳の中に人を殺すためだけの決意を握りしめて、私は殺意をこめた瞳を男に向けた。
「……やめてくださいませッ!」
至近距離で響いた、沙都子ちゃんの叫び声が……その決意を打ち砕いた。
顔をくしゃくしゃにした沙都子ちゃんが涙をぼろぼろとこぼしながら、男の足に全身全霊ですがりついていた。
「お酒を間違えたのは、私が悪かったのですわ! レ、レナさんは、私がいじめられているのかと、思って……それで、誤解しただけ! だから、叔父様、もう、私のお友達に、ひどいことはしないでくださいませ……っ!」
私に張り手をもう一撃入れようとしていた男は不機嫌そうに舌打ちして、沙都子ちゃんを乱暴に蹴り払った。同時に、髪を掴んでいた手を放して私の身体を放り捨てる。
「ぁ、ありがとうございます、ありがとうございますっ……!」
地面に転がった沙都子ちゃんは、あわれっぽく泣き続けながら感謝の言葉を並べ立てる。
「ケッ、泣くだけが取り柄の役立たずのダラズにゃあ、ろくなダチがおらんね! さっさと行って来ぃ、ボケがッ!」
吐き捨てるように言って家の中に戻り、玄関を乱暴に音を立てて閉めた。
……まるで、わかっていない。
お前は今、沙都子ちゃんに命を助けられたんだ。殺される前に止めてくれてありがとうって、心から感謝の言葉を投げなければいけないのはお前のほうなんだッ……!
口の中いっぱいに広がる鉄の味が、苛立ちと憤懣を加速させる。
「レ、レナさん、大丈夫……ですの?」
自分も怪我しているのに、沙都子ちゃんがにじり寄って私を覗き込んでくる。
もうすこし黙って見ていてくれれば、あの男を確実に仕留められたのに。
邪魔をされたという意識は強かったけど、怯えきった沙都子ちゃんを怖がらせるような真似はできないと、最後の理性が押しとどめた。
「……へ、平気だよ。沙都子ちゃんは、だいじょうぶ?」
喋るだけでも口の中が気持ち悪い。はやく手当しなきゃ……。
沙都子ちゃんはぶんぶんとうなずいて、私に手を貸して立たせてくれた。
格好悪い……私のほうが助けにきたはずなのに、何してるんだろ。
「助けてくださるのは嬉しいですけど……、もうあんな無茶は、やめてくださいませ」
そう言う沙都子ちゃんの目は暗くて、腫れた頬では笑うのもつらそうだった。
……やっぱり、私たちはまだまだ事態を軽く見過ぎていたのかも知れない。
意地悪な叔母だけじゃない、叔父のほうもいる。
女子供にさえ平気で手をあげる、危険な奴が。
こんな場所にいれば沙都子ちゃんは、いや、悟史くんだって遠からず壊れてしまう。
なのに……私たちは、どこまでも無力だ。
あの状況で、縮こまっていることを選ばず身体を張って私を助けようとした沙都子ちゃんよりも弱い。みじめで哀れで、何もできない。
いままでの私たちの心配なんて、仲間を思う気持ちなんて、やっぱり口先だけだった。
どんな手段を使っても、どんな犠牲を払っても、絶対に助けるっていう決意が足りなかった。いま沙都子ちゃんが止めなければ、私は確実に二人を苦しめる原因の片割れを、始末できていたのに……ッ!
「……反撃を受けるようなやり方は、エレガントではありませんわ……」
ぞくり、傷めた背中を寒いものが駆け抜けた気がする。
口の中でぶつぶつと聞き取れないことを続けた沙都子ちゃんのほうを見る。
涙をいっぱいにためた暗く深い瞳で、彼女は笑っていた。
絶え間ない痛みのなかで、笑みを浮かべていた。
それを見て、わけもなく理解したことがひとつだけ。
……この子はきっと、夏までもたない。
どんな形にせよ、終わりのときはもうすぐそこまで迫っている。
もうすぐ終わる、全部終わる。
そう……ひぐらしのなく頃に。