ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第21話 その時、村史が動いた

それは私がずっと思ってきた……単なる本音に過ぎなかった。

 

自由になることなどなにもない、大事なものさえ守れないなら、この重すぎる責任は何のためにある?

 

私が大切に思うもの、雛見沢、家族、友人。

 

彼らが笑って暮らせる未来のためなら、どんな重い荷であろうが背負う価値がある。彼らを傷つけるものがあるなら、その前に立ちふさがりこの身を盾にしよう。

 

だけど、現実はどうだ。

 

友人を守るどころか、傷つけ苦しめているのが園崎の力だ。

 

そんなもの、誰が望んだ?

 

私が頭首になる何年後かを悠長に待てないくらいに、すでに事態は切迫している。

 

悟史と沙都子を斬りつける見えない刃は鋭すぎて、二人はもう血と涙を流しすぎた。

 

こんな理不尽なら、放り投げたって構わない。

 

そして私はやっぱり出来損ないの園崎詩音だと宣言して、背中の鬼を焼き捨ててしまえばいい。そうすれば今度こそ詩音が園崎魅音の地位を引き継ぎ、私よりもよほどうまくやってくれるはずだ。

 

私は運が悪ければ死、良ければ詩音として幽閉される……それだけのこと。

 

この私自身の無力と比べれば、なんて安い代償だろう。

 

だから……目は、そらさない。

 

ここ一度だけ、ありったけの勇気と気迫を振り絞るんだ、園崎魅音ッ!

 

婆っちゃはしばらく私を見据えていたが、……ふっと目を伏せる。

 

そして、嗤った。

 

「はん、未熟もんがぁ……」

 

かっと、さらに怒りが募る。

 

それが恐怖さえ凌駕して、怒鳴りつけようと口を開きかけた、その瞬間だった。

 

どっ、と重い音がその場に響き渡った。

 

いつの間に抜いたのか、婆っちゃ、いや園崎お魎は日本刀を手にしていた。

 

その刃は布団と畳を易々と刺し貫き、白く冷たい光を放つ。

 

……殺される!

 

総毛立つ。けれど身体は動かない。生存を優先しない本能など役立たずだ。

 

私はいま、目の前の老婆に……命を、握られている。

 

「黙って聞ぃとったらよぉ言うたのぅ、願い下げっちゅうんはどの口が言ぃよるん!」

 

平時の婆っちゃからは考えられないくらいにドスのきいた声だった。

 

いまは老いさばらえたが、この人の伝説は幼い頃からさんざん聞かされている。

 

話半分だとしても、若い頃には片手の指では足りないくらいの人間を斬っているはずだ。

 

あの刃は、雛見沢に仇なす者たちの血を吸い肉を裂き骨を断ってきた。

 

……まさに、鬼。

 

母や詩音、正統な鬼の後継ならばあるいはこの殺気に抗えるのかもしれない。

 

レナならば、怒りだけでそれをはねのけられるのかもしれない。

 

臆病な私には、そのどちらの力もありはしない。

 

がくがくと震える体を、意志の力だけで必死に押さえる。十数秒後には首をはねられてもおかしくない、その圧力……いまこうして目を見開いていることさえも、奇跡に近い。

 

この瞬間、殺さないでと泣き叫ばずにいるのが、精一杯なのだ……!

 

くくっ、と低い笑い声が響く。

 

「……知ったこっちゃあないん、あほらし。去ね去ね」

 

深々と刺さっていた刀を、軽々と引き抜いて鞘に納める。

 

それで私の金縛りが解けた。

 

「ま、待ってよ……!」

 

言い募ろうとした瞬間、吠えられた。

 

「去ねぇいッ!」

 

背筋に電流が走ったような衝撃があって、立ち上がろうとしていた私はバランスを崩してそのまま後ろに倒れ落ちる。……いまの位置関係からそうだと推測できるだけで、主観的にはひと声で吹き飛ばされたのと変わらない。

 

……これ以上踏み込めば、今度は本当に斬られる。

 

それは無駄死にだ。死ぬなら、悟史や沙都子を苦しめる全てのものと差し違える必要がある。だから仕方なく、その場は引き下がった。

 

廊下に出ると、そこには意外な人間がいた。

 

「いつまでもねんねだと思っちゃいたけど、あんたもなかなか無茶を言うじゃないか」

 

「……母さん」

 

私と詩音の母、園崎茜。

 

若い頃に勘当されたことで園崎家頭首として雛見沢に君臨する資格を失いはしたものの、その背に鬼を刻まれた生粋の鬼だ。かつては武闘派だったとうそぶくだけに武勇伝も祖母に劣らぬだけのものを持ち、誰が呼んだかついたあだ名は鹿骨の鬼姫。

 

「私も、……勘当されたってことかな?」

 

ようやくそう言ったら、母さんはくすくすと笑い出した。

 

「ったく、あんたの意気地のないのは、どこのどいつに似たのかね。……鬼婆さまはね、知ったこっちゃないって言ったんだよ」

 

何を言いたいのかわからずに、眉をしかめる。

 

そうしたら母さんは、呆れた様子で私の背中を拳で軽くどつく。

 

「ほんとにこの子はもう!……味方もしないけど邪魔もしないから、好きなようにやるだけやってみろって言いたいんだよ、うちの家系は素直じゃないからねぇ!」

 

やるだけやれって……許可するって、こと?

 

信じられない。北条家をあれだけ嫌っていた婆っちゃが、消極的にとはいえ悟史たちを救う許可を出してくれるだなんて……。

 

「けど、大変なのはここからさね……性根据えてかかるんだね、魅音。やり方はあんたしだいだけど、園崎の名が自由に使えるわけじゃあない。頭首代行のあんた、魅音の力だけでやらなきゃいけないってことだからね」

 

そこまで説明されてようやく母さんと、それに婆っちゃの言いたいことがわかった。

 

要するに、これは試練なのだ。

 

自分のやりたいことを自分の力でやれないようなら、そもそも園崎の鬼を継ぐ資格なんかない……と。

 

「ま、そういう事さね。……あんた、さっきひとつ間違えちまってるからね。ひとつ減点ってとこだよ」

 

「え……?」

 

「立場なんてのは人を縛るだけのもんさ、立場は人を救わない。人を救うのは、やっぱり人なんだよ。ここまで来たら、実力で勝ちとってみせな……園崎魅音」

 

正直、痛いところを突かれたと思う。

 

考えてみれば、当然のことだ。

 

婆っちゃの力は、園崎家の頭首であるところから生まれてくるんじゃない。

 

それだけの力の持ち主だからこそ、園崎家の頭首を張れるのだ。

 

私が詩音に感じていた劣等感も、結局そういうこと。詩音なら、園崎の頭首に相応しいだけの力を持っている。問題の根本は、知っているはずなのに間違えてしまっていた。

 

だから、だ。

 

悟史や沙都子を救おうというなら、それは私の力でなければならない。

 

私の指示で動かせる範囲はごく限られたものだ。

 

それでも、やりようはある……。

 

あるはずだ。

 

この数年間、詩音のかわりにこの雛見沢で積み上げてきたものが全くの無駄だったなんて認めたくない。人を動かす術を、損と得を計る尺度を、上に立つ者としての信頼を、すこしずつではあっても身につけて来たはず。

 

詩音に負けを認めるのは構わないが、それは自分がまったくの無価値と認めることとイコールではない。いや、イコールであってはならない。

 

それが私の、せめてものプライド……!

 

翌日から私は、いつもどおりに過ごした。

 

仲間たちに負担をかける必要はない。いざというときに犠牲になるのは私ひとりで済むように。

 

詩音にさえ相談しなくてもいいだろう。どんな結果になろうとも、詩音なら何も言わなくても結果から私が何を考え、何を実行したかを感じ取り、私の期待する役割を演じてくれるに違いないから。

 

……そして、その日はやってきた。

 

まがい物の園崎魅音、最初で最後の晴れ舞台だ。

 

「では、模擬店のくじ作成については部会のほうで来週までに詰めていただくということで……え~、他になければ、本日はこれまでとさせて……」

 

役員会の席上、村の長老と言える老人たちが揃い踏みのその場で、私は切り出した。

 

「お待ちください」

 

老人たちの視線がいっせいに上座の私へと向けられる。

 

まるでこれから私が言い出そうとすることを知っているかのような……警戒の目。

 

わずかに生まれた怯えを押し殺す。この鬼どもを黙らせるのに必要な仮面を作り上げる。

 

「私、園崎魅音より、皆様に発議させていただきます」

 

「魅音ちゃん、何だい? 聞いていないが……お魎さんからの通達かね?」

 

公由のお爺ちゃんが困惑を装いながら、やんわりと私を止めようとする。

 

……でも、止まるわけにはいかない。

 

「いいえ、これは園崎家頭首の意向ではなく、園崎魅音個人からの請願とお考えいただきたい」

 

「……魅音?」

 

古手家の代表として隣に座る羽入が、瞳に不安の色をこめてこちらを見る。

 

それを黙殺し、目を閉じてひとつ息をつく。

 

そして顔を上げ、居並ぶ長老たちをひととおり見回した上で、口を開いた。

 

「私たち雛見沢の民は、父祖より受け継ぎし愛すべき郷土を水底に没せんと企図した悪辣なる国家の専横に対して、当地の守護神たるオヤシロ様の名のもとに一致団結し、敢然と立ち向かいました。このことは、ご列席の皆様の記憶にも新しいと存じます」

 

老人たちは互いに顔を見合わせ、頷き合う。

 

鬼ヶ淵死守同盟の結束は、形式上解散した今でも彼らの心に息づいているのだ。

 

「しかし今なお、私たちは真の意味での勝利を勝ち取ってはいないと考えます」

 

どよめき、どういう意味だと囁き合う声。

 

ダム計画は無期限凍結という玉虫色ではあっても事実上の幕引きを済ませている。皆が手を取り合い。歓喜の声を上げたあの日が勝利ではないと言われれば私自身だって戸惑うしかない。

 

「我々が守りたかったのはただ郷土のみならず、そこに住む私たちの誇りであり、連綿と紡がれてきた歴史であり、オヤシロ様より託されたこの地の気高い連帯そのものであったはずです。ところが、あの計画によってもたらされた幾多の悪弊、わけても雛見沢の要となる人々の『和』は、いまもって回復しているとは言い難い」

 

そこでようやく、私の言いたいことがわかったとばかりに老人たちの表情に警戒心が取り戻される。詩音が沙都子と手をつないで帰ったあのときから、下地はできているのだ。

 

「私たちは私たち自身の手で、ダム計画前の平和な雛見沢の姿を取り戻してはじめて、あの苦難に満ちた闘争に完全勝利したのだと胸を張る資格を得るのです。そのために、皆様にお願いしたいことはただひとつ……」

 

ざわめきが大きくなる。鋭い視線が、敵意の矢が、私の身体に幾重にも突き刺さる。

 

……それがどうした。

 

この身はすでに捨てたも同然、悟史と沙都子の盾になると決めたのだ。わずかの痛痒もありはしない。

 

「ダム戦争時に我々自身の手で仇敵とみなした北条家を再び村の一員として迎え入れ、彼らの健全な営みを取り戻すことにご協力をいただきたい!」

 

言い終わる前から、すでに非難の声はあがっていた。

 

「なぁんぬかしよっとね! 北条の野郎の暴言を忘れたっちゃあ言わさんぞ!」

 

「北条の悪たれどもは、祟られて当然の裏切り者じゃろうが!」

 

「村から追い出して決着っちゅうんならまだしも、許せるわけがねぇ!」

 

予想された反応だった。

 

ダム計画の立ち退き案を受け容れ、裏切り者となった北条を憎む者は多い。いまさら許せと言われて、はいそうですかと許せるわけがなかった。ここにいる者たちは、鬼となってあの戦争を戦い抜いた人間ばかりなのだ。

 

けれど、その憎しみに、私の仲間を思う気持ちが負けているなんてことは……絶対に、ありえない!

 

「かつての北条の振る舞いが許せないという、皆様の憤りはごもっともです。しかしその本人は2年前に鬼籍に入っており、いま村に残っているのは彼の弟夫婦、そしてともに亡くなった妻の連れ子だった兄妹のみ。……なるほど、弟は兄に似て粗暴な男です。その妻も、およそ褒められた人物ではないことも認めましょう。……では、私の友人でもある兄妹、北条悟史と北条沙都子はどうです?」

 

ありったけの威圧をこめた視線を、老人の一人に向ける。

 

「あなたは、北条悟史にどのような遺恨がおありで?」

 

「そっ……、そりゃあ……」

 

言葉に詰まる男を無視して、別の一人に視線を移して、尋ねる。

 

「ではあなたは、北条沙都子にどのような暴言を受けたのです?」

 

「……そんな、もんは」

 

この男も、視線を落とした。ここを先途と、声を張り上げる。

 

「どなたでも構いません。年端もいかぬ北条の兄妹に、彼らをいまのように冷遇し、悪態をつき、無視し、無力な彼らが虐げられていることに気づきながらも目を背けている卑劣を、己の矜持にかけて当然の行いだと言える方がいらっしゃるなら申し出ていただきたい」

 

しん、とその場が静まりかえる。

 

当然だ……そんな恥知らず、いるわけがない。

 

「そうではない、それが不当な処遇だと認めた上でなお、私の友人たちの名誉を貶め、傷つけ、害すると言うならば……それは私、園崎魅音に対する宣戦布告と解釈させていただきます」

 

これはほとんど、はったりに等しい。

 

婆っちゃが不介入を明言している以上、私に独断で動かせる戦力などない。

 

そしてこれが園崎頭首の意向ではないという確証があるのだから、老人たちが私を怖れる必要などありはしない。

 

これは、賭けなのだ。

 

チップをろくにもたない私が、起死回生を期して仕掛けた、ひどく分の悪い賭け。

 

「……だが、北条の子じゃあないか、蛙の子は蛙だろう!」

 

「そうだそうだ、奴ぁ恥知らずの恩知らずだったしな!」

 

「親の因果が子に報いっちゅうもんじゃないか」

 

一人が机を叩きながら言い募ると、何人かがそれに同調して声をあげる。

 

だが、そんな薄っぺらな反駁も予測済み。

 

「子の責を親に問うのならばまだ道理もありましょう。ですが、親を亡くした子に、まして血もつながらない親の責を負わせるというのですか?」

 

知らず、声が高ぶっていくのを感じる。

 

悟史の疲れ切った笑みが、沙都子の虚ろな泣き顔が目に浮かぶ。

 

「そのような理不尽と不正義が私の愛する雛見沢に横行していること、それを推し進めてきたのが私たちが担うべき御三家だという事実を恥じます!」

 

叩きつけるようにそう言ったら、その数人は黙り込んでしまった。

 

……誰も、口を開かない。

 

拳を固めて厳しい表情を私に向ける者、自問するように目を閉じる者、腕を組んであらぬ方を向き無関心を装う者。反応は様々で、感情の流れは読みきれない。

 

その沈黙を破ったのは、公由のお爺ちゃんだった。

 

「……魅音ちゃん、もう一度確認するよ? お魎さんの意向ではなく、魅音ちゃんの意志なんだね?」

 

当然の念押しだった。

 

「はい。……ダム戦争の完全なる決着は次代の雛見沢において私が然るべき役割を果たす上で、欠くことのできない要素だと考えます。私の友人を不当な理由で切り捨てるような村に、誇りをもって尽くすことはできません」

 

お爺ちゃんはひとつうなずいて一同を見回してから、私に目を戻した。

 

「わかったよ、魅音ちゃん……」

 

重々しい口調で、そう言った。

 

そこに歓喜はなかった。私はそれほど、楽観的な予測を持ち合わせてはいなかった。

 

「……いや、園崎家頭首代行、園崎魅音殿に申し上げる。雛見沢町会及び旧鬼ヶ淵死守同盟は、貴殿の一連の発言こそが雛見沢の連帯と調和を著しく乱す妄言であると判断せざるを得ない。前言の撤回、さもなくば町会顧問代行からの離任を求める」

 

厳として告げられた結論は、私の理を尽くした正論よりも、町会内の和を重視した結果だった。一座の表情はさまざまだが、誰も異論は唱えないのがその証拠。

 

そして、それがお爺ちゃんの本意でないことは、苦渋を滲ませた表情から窺える。

 

……賭けに、負けたのだ。

 

顧問代行を委任されているとはいえ、その顧問の意向と無関係なことをこの場で主張するなら、それは園崎魅音という一少女の訴えに他ならず、彼らが同意してくれるとすれば私への純粋な賛同者が相当数いるか、それとも私の将来性を見越して顔を立てておこうという配慮が働いた場合のどちらかしかありえない。

 

この敗北は、必然。

 

予想済みの結末だったが、さすがに堪える。

 

私が数年間かかって積み上げたはずの経験や信頼は、この問題から友人二人を救い出すには足りなかった、ということ。

 

「魅音……」

 

打ちのめされた私に憐れむような、労るような視線を投げる羽入。

 

そのおかげで、最後の矜持を取り戻せた。

 

私はゆっくりとその場から立ち上がり、最後に一同を見渡した。

 

「前言は翻しません。それは友人への裏切りに他ならない。……園崎顧問への取り次ぎについては公由会長に引き継ぎますので、後のことは宜しくお願い申し上げます。ダム戦争で苦楽をともにした皆様と袂を分かつことは遺憾ですが、私は私の筋を通させていただきます。……お世話に、なりました」

 

深々と一礼した拍子にこぼれ落ちそうになるものを必死で押しとどめ、一同に背を向けると重い足を引きずるようにして集会所を出た。

 

婆っちゃが未熟者だと嗤うのも無理はない。

 

これが私の、まがい物の園崎魅音の限界なのだ。

 

どうしようもないほどに無力な現実と、惨めな敗北を……この身に刻もう。

 

この、苦い涙の味とともに。

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