「梨ぃ~花ぁ~!」
役員会に出ていた羽入が、帰ってくるなり泣きながらエプロン姿の私に飛びついてきた。
妹に泣きつくあたりがなんとも羽入だけど、いったいどうしたのよ。
「あぅあぅ、魅音が、魅音がぁ~!」
泣きじゃくるわ、話が前後するわ、あぅあぅするわでまったく理解し難いことこの上ないが、どうにか一部始終を聞き出して愕然とした。
あの魅音が、役員会の席上で悟史と沙都子の保護を訴えたというのだ。
結果は思わしくなかったが、とにかく魅音にしては珍しいくらいに思いきった行動だ。
「あれでは、魅音が可哀想なのです……」
羽入はすんすんと鼻を鳴らす。
こんなことを言っては魅音ファンが怒るかもしれないが、私の中での園崎魅音という少女の認識は『愛すべき根性なし』というものだった。仲間を誰より心配していながら、自信がない、覚悟がない、空気が読めない、立場が邪魔で動けない、といった数多い弱点も抱えているため、惨劇を見過ごしてしまったり、よかれと思ってしたことが裏目に出たりする。そして、いざ事が起こってしまうと何も出来ずに狼狽えるばかりで全くあてにできない。厳しいようだが、百年の経験に裏打ちされた評価というやつだ。
一応フォローしておくと、彼女にはそれを補って余りある美点がある。心に余裕がなくて疑心暗鬼に陥りやすい他の仲間に比べるとずっと安定していて気持ちが優しいし、なんだかんだいってもあくの強い部活メンバーをまとめあげているのは彼女の人望故だ。本人の自己評価は低いが、他の皆のような突出した才能に恵まれていないだけで普通に考えたら非凡、いや傑物と言ってもいいだろう。
逆境に弱いから圭一やレナに代表されるような英雄的活躍は望めないが、本当に必要なのは事が起こってからどうにかする才能ではなく、事が起きないように手を打つ才能だと考えるなら私が一番に頼るべきは魅音かもしれないという思いはある。
その魅音が、真っ先に具体的行動を起こしたのは意外というほかはなかった。
この場合、その魅音を名乗っていたのが行動力の塊というか暴走トリオの筆頭である詩音だという可能性も考えなければならないが、あれでも正常なときの詩音は、多少は姉に気を遣っているので、魅音の名前でそこまで思いきった行動をするのを納得させられるほどに魅音を丸め込んだというならそれも驚くに値するし、最悪の場合魅音をすでに始末して入れ替わっているという線もなくはないのだが……圭一という親友を得た悟史がいつもの昭和57年よりもずっと余裕のある様子を保っているこの世界で、詩音にそれだけの理由があるとは思えない。
やはり、今回のことは魅音本人の心境の変化に起因するとみていいだろう。
「……梨花が、なにか難しいことを考えている顔なのです」
泣くだけ泣いてすこし落ち着いたのか、きょとんとした様子の羽入。
こいつが百年の旅路の記憶をすぽぽーんと忘れてしまったので、相談相手にならないのは正直もどかしいけど、よくよく考えると羽入に相談して役にたったためしもない。
「気にしないで。それより、そろそろ圭一が帰ってくる時間でしょ。さっさと晩ご飯の支度を済ませないと」
「あぅ、お手伝いするのです」
中断していたお料理に戻りながらも、私の思考の迷走は続く。
魅音の訴えは最終的には却下され、お魎の代行からも外されてしまったらしいが羽入を信じるなら理詰めで負けたのではなく、喜一郎が町会の面子と現状維持をとったということらしい。前の世界で圭一が起こした奇跡の再現にならなかったのは、時期尚早だったからなのか、それとも魅音では役者不足だったのか。
「そういえば、梨花。沙都子のお誕生日プレゼントはどうするのですか?」
私を手伝いながら、気を取り直すように羽入が話題を変えてきた。
「……そうね、そろそろ考える時期か」
昭和57年のその日は、悟史が消える日でもあるから私にとってはあまり良い印象を持っていなかったし、お祝いをしようとしても無駄になるのが常だった。
でも、考えてみれば圭一のおかげでこの世界の悟史が発症する確率はかなり低くなっているので、失踪するとは限らないではないか。
「羽入は何がいいと思う?」
「あぅ、僕は甘ぁ~いお菓子がいいと思うのです。お菓子を食べたら、きっと沙都子も元気になってくれるのですよ♪」
「いやいや、それはあんたが欲しいモノでしょ。私は、形に残るもののほうがいいと思うけど?」
「それはそうですが、お洋服や靴はなかなかお高いのですよ……」
確かに、圭一が生活費を入れてくれているとはいえ、私たちもそう楽な生活をしているわけではない。
「あ、圭一にスポンサーになってもらうのはどう? バイトしてるんだから、多少強制徴収したって死にゃあしないし」
私がナイス提案をしたのに、羽入は恐ろしい子を見るような目を向けた。
「あぅあぅ……圭一は悟史と一緒にプレゼントを買うつもりでアルバイトしてるのです。僕たちのプレゼントにまで参加させては可哀想ですよ」
「そうなの?」
……とすると、例のぬいぐるみか。
なるほど、そういう意識があるのかどうかは別にしても圭一は的確に悟史を助けている。
昭和57年というのは、あらゆる悪循環が悟史と沙都子を追い詰めていく世界だといえる。
元気のない沙都子を喜ばせたくて誕生日のプレゼントを買おうと、魅音に紹介されたアルバイトを始める悟史。ところが、兄に守られる時間の減った沙都子の精神状態は日増しに悪化していく。それでもお金の足りない悟史は、きついアルバイトと沙都子の板挟みになり、数少ないストレス解消の場である少年野球もやめてしまう。
私が思うに、そうやって心身の疲労を溜め込んだ悟史が発症して叔母を撲殺し、疑心暗鬼の果てに失踪したか、山狗に身柄を拘束されたかのどちらかが結末だったはずだ。
この世界では圭一がアルバイトに参加し、親友として相談に乗ることで悟史のストレスはかなり抑えられている。私の知るほとんどの世界では、すでにこの時期悟史は部活も参加せず、周囲への拒絶を深めていたのに、いまはむしろ楽しそうに圭一と働いている。
たったそれだけでも、圭一がここにいる価値はあるのだ。
「梨花、閃いたのです! ケーキを作ってあげるのはどうですか?」
「羽入、ケーキなんて作れたっけ?」
千年前にしか料理していなかったくせにカレーの作り方を知っている時点ですでにおかしいのだが、目の前の羽入は単なる小学生なのでそんな経験があってもおかしくはない。
「いえ、作ったことはないのですが……レシピさえあれば、大丈夫だと思うのです」
いまひとつ不安なことを言い出す。
「……たしか、洋菓子ならレナが多少作れるはずだから教えてもらおうか」
他の世界では何度かクッキーとかを作ってくれたことがあるはずだ。
「そうなのですか……ついでに、シュークリームの作り方も教わるのです!」
またそれかい。
「魅音にも食べてほしいです。元気を出してほしいのです……」
運命に悲観的でどうせ駄目駄目なのですよ~とか言うときは頭に来るが、羽入は基本的にいい奴なのだ。発症者を心配してついてまわったり、責任を感じて謝り続けたりとか、結果からみると怖がらせて逆効果の気もするけど、そうせずにはいられないくらいのお人好しなのは認めてやってもいい。
「大丈夫よ。魅音はあれで強い子だもの、月曜にはあるぇ~?とか言いながら何事もなかったかのように記憶をすっ飛ばして登校してくるに決まってるわ」
「いえ、それはそれで人としてどーかと思うのですが……」
と、そこへ圭一がアルバイトから帰ってきたらしく、階段を昇ってくる音がする。
「羽入、これお願い!」
「あぅ!?」
私は羽入にふきこぼれそうな鍋を押しつけると、すばやく玄関に出た。
がちゃりと玄関が開いて圭一が顔を見せるなり、お玉を片手に微笑んでみせる。
「おかえりなさいです、圭一☆」
「あ、あぁ、ただいま梨花ちゃん……」
あまりに愛想よく出迎えるものだから、圭一が怪訝そうな顔になる。そこを一気に畳みかけることにした。新婚の幼妻を思わせるはにかんだ笑みを装備して、
「ご飯にしますですか? お風呂にしますですか? それとも……、は・にゅ・う?」
ずっこけた圭一が玄関のドアにごすっと後頭部を強打すると同時に、台所からはずっこけた羽入が食器棚にがいんとツノを強打する音が聞こえた。あぁ楽しい☆
「うぅむ、そこでさらっと姉を差し出すあたりが、腹黒いというか梨花ちゃんらしいというか……」
「り、梨ぃ花ぁ~、あやうくガラスが割れて惨劇発生になるところだったのです。あぅあぅあぅ!」
とりあえずこの二人をなんだかんだとからかって遊べるので沙都子がいない寂しさは紛れるし、悟史がこの6月を乗り切れるという希望もある。イレギュラーだらけのこの世界を私はかなり気に入っているのだ。
だからこそ、最善の結果を求めたい。
あの愛すべき根性なしがここまで動いてくれたのだから、言わば『愛らしい役立たず』であるところの私だって見ているだけというわけにはいくまい。……自分で愛らしいとか言うなって?
とりあえず圭一と羽入が恒例の夜のお散歩に行っている間に、私にできそうなことを考えよう。
「梨花、いってきますです!」
「遅くなったら、先に寝ちゃっていいぜ」
景色も見えない夜中の散歩の何が面白いのかよくわからないが、あの二人はいつも上機嫌で出かける。今度こっそりついていってみようかとも思うのだが……まぁ、羽入には山狗の監視もついているのだから、やましいことはしていないだろう。
ん……、ちょっとしたデート気分だと考えれば、機嫌がいいのもわからなくはない、か?
それはそれで心なしかムカつくような羨ましいような……いやいや、今はそれよりも沙都子と悟史のためになにができるかを考えるほうが先決だ。
懐中電灯で足元を照らしつつ、仲良く防災倉庫から離れていく二人の背中を見送った私は冷蔵庫からオレンジジュースを出してグラスに注ぎ、窓辺に腰掛けて考えることにした。……本当はワインを混ぜたいのだが、この世界では古手本家の鍵は頭首の羽入が管理しており、しかも家の鍵と一緒に散歩に持ち出してしまうのでいまだに父のワインをくすねることができずにいるのだ。ここの羽入とは感覚がリンクしてないから、うるさいことを言われずにワインを楽しめるチャンスだというのに、ええい忌々しい。
えぇと、なんだっけ。……そう、私に何ができるか、だ。
とりあえず沙都子のフォローはいまでもしているが、どれだけ効果があるかは疑わしい。
私以外にも、この世界ではレナ、魅音、羽入などが相談して出来る限り一緒にいるよう心がけてくれているが、羽入はともかく昭和57年のレナたちがその程度の努力をするのは珍しいことでもない。
悟史が一緒にいられる余裕ができそうな分だけ見込みはあるものの、現時点での沙都子の状態はあまりよくないのだ。そもそも、いまの私にとっておなじみとなっている昭和58年の沙都子と今の沙都子では雲泥の差があることも認めたくない事実だ。
恒常的に、そして陰険にいじめる叔母の存在、ときたま帰ってきては暴力を振るう叔父の存在、村の皆からの冷たいあしらい……は昭和58年でも同じだが、沙都子の心構えからして大きく違う。強くなって悟史を待つと決意して私と暮らし始めた沙都子と、この時点の困ったらとにかく悟史を呼ぶことを真っ先に考える甘えんぼさんの沙都子では、精神的な強さが全く異なる。
そして、もうひとつ決定的に違うことがある。
入江診療所から貰える治療薬の有無。
沙都子の体調が悪くなれば診療所に行くし、微熱を理由に風邪薬だといって注射くらいはしてくれるが、入院患者でもない人間に日に2回とか3回の注射を指示できるわけがない。また、治療薬の研究が進んだのは私と沙都子が暮らし始めて以降だ。入江は言葉を濁していたが、私はその最大の理由は山狗が確保した悟史という生きた検体の存在ではないかと疑っている。
不完全な治療薬を不定期に投与されるだけの沙都子の症状が安定しているわけがなく、いつまた末期症状を引き起こして入院という状態になってもおかしくない。
そう考えていけば、いまの沙都子があの環境で一応はまともに日常生活を送っているということが既にちょっとした奇跡であり、本来あの子がもっている強さ故なのだろう。
沙都子のそばにいてあげること以外に、私にもできそうなことはないか?
……ない、と言ってしまうのは簡単だ。
なぜなら、私はすでに過去の世界で多くの可能性を試している。
喜一郎に二人の保護を願ったこともある。すまないね、と断られた。
お魎にだって、直談判をしたこともある。迫力不足か、笑って流された。
入江にも、なにか理由をつけて二人を入院させられないかと持ちかけた。叔父夫妻が入院費用の支払いをしぶったりしてうまくいかなかった。
あまり言いたくはないが、自ら叔母を襲って病院送りにしたり、悟史たちのいないときを狙ってあの家に放火して夫妻を焼き殺そうとしたこともある。これも、入院した叔母に沙都子が世話を命じられて学校にこれなくなったり、小火騒ぎで終わってしまって悟史の村への不信感を悪化させてしまったりと、ろくな結果にならなかった。
よく考察サイトとかで、やれることをやらずに諦めてるとか批判されるけど、私だっていろいろやってるのよ……ほんとは……。いじいじ。
それ以上にいろいろと試したくても、困ったことに私個人にはあまり現実的な力がない。
村での地位もマスコットに過ぎなくて、発言権はほとんどない。むしろ前の世界で試したとおり、診療所に対しての発言力のほうが大きいくらいだが、この世界ではどっちも羽入に役割が移ってしまっている。
直接的な戦闘能力だって部活メンバー中最弱クラスだ。経験値こそあっても、レナや詩音に勝てないのは実証済みだし、圭一や悟史相手なら力負けする。単純な身体能力だけとっても、魅音や沙都子のほうが上だ。……うう、羽入にだけはなんとか勝てると信じたい。
もっとも、戦闘能力で最高のレナが鉄平に返り討ちに遭い、発言力で最高の魅音でも村を動かせなかった今、私に期待される役割がそれでないのは明白なんだけど。
結局のところ、私にできることなどなきに等しいのだ。
……たったひとつ、私にしかできない悪魔の手法を除いては。
「悪魔でいいわ……悪魔らしいやり方で、沙都子を救ってみせるから」
翌日、私は境内の掃除を引き受けてそいつを待っていた。
しばらくぼんやりと掃除をしていると、石段の下から軽い靴音が響いてくる。
来たな……。
ぞくぞくと、腹の底から笑みが沸いてくるのを感じる。
会いたかった、この世界でようやく会えた。
そいつは、ゆっくりと鳥居の下へと姿を現した。
「あら……、梨花ちゃん。朝からお掃除? えらいのねぇ」
お前に受けた苦痛と屈辱、一瞬たりとも忘れるものか。
「みー。鷹野は、富竹と逢い引きですか?」
両親の、前の世界のみんなの、そして百年の間殺され続けた私の仇。
「くすくす、おませさんね。ジロウさんには、カメラを教えてもらっているだけよ?」
鷹野三四。
今度はこの私が、貴様を骨の髄まで利用し尽くしてやる番だ……!