ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第24話 ダブルにーにースパイラル

視界がスパークした。

 

痛みや衝撃があったわけではなく、あまりにも想定外の事態に思考がついていけないのだ。

 

事実だけを羅列するならば、抱きついた状態の至近距離で泣き濡れた顔をあげて俺を見た梨花ちゃんがなにを思ったか背中へ回っていた両腕で俺の頭部をぐわしっと掴み、そのまま背伸びをするものだから体重をかけられて身動きできない俺の唇に自分の唇を強引に重ねた挙げ句、味わい尽くすかのように俺の舌をひと舐めしていった……ということだ。

 

それは全て一瞬の出来事で、俺が事態を認識して行動を起こすよりも早く、梨花ちゃんが手を離して俺を解放していた。

 

「……ッ、な、梨花ちゃんっ!?」

 

慌てて後ずさったものだから、つまずきそうになった。

 

口に手を当てて目を白黒させる俺を、まだうっすらと目に涙を浮かべつつも梨花ちゃんが『圭一……もう羽入とキスはしたのかい? まだだよなァ。始めての相手は羽入ではないッ! この梨花だッ!』と言いたげな勝ち誇った目つきで俺を見ていた。

 

その舌先が、自らの小さな桜色の唇をなぞる。

 

……あれって、さっき……うわ、思い出すな!

 

「圭一、ごちそうさまです。……にぱぁ~☆」

 

好物のデザートをいただいてご満悦、というくらいに満面の笑顔だった。

 

悪魔のような顔をした悪魔はいない。

 

連中は、いつだって天使のような顔をして現れるのだ。

 

そんなことを実感しつつ、わけがわからないまま立ち尽くす俺を置き去りに、ぱっと踵を返して駆け去って行く梨花ちゃん。その後姿はどうみても可愛らしい少女のもので、とてもあんな手際のいい電撃戦を敢行するようには見えなかった。

 

たったいま我が身に起きた衝撃的な事実が、思春期にありがちな妄想か、たちの悪い白昼夢だったのではないかと思えるくらいだ。

 

いや、でもあの感触は現実だよな……?

 

と思い返そうとしたら、そこまでしなくていいのに五感全部がさっきの一瞬をリプレイしようとするのでとっさに素数を50個ばかり唱えて雑念を蹴散らした。俺すげぇ。

 

ここは『もっていかれた……!』と呻くべきか?

 

それとも泥水で口を洗うのが正解なのか?

 

くそッ……ここが昭和57年でさえなかったら、いますぐ部屋に帰ってPCをたちあげ、『同居中の幼女にいきなり唇を奪われたんだが』というスレを立てて『kwsk』とか『釣り乙』とか言われることだってできるのに……!

 

いやほんと、落ちつけって前原圭一。

 

幸いにして俺は人類においてあんまり価値がないほうの性別に属するので、損失が大きいとは言えない。普通に考えたらラッキーと言ってもいいくらいだし、むしろ公平に鑑みて梨花ちゃんの方が被害甚大なのではないか、とも思う。

 

重要なのは、そこだ。

 

得にもならない行動をとった梨花ちゃんの本心がいったいどこにあるのか?

 

その行為の意味だけを素直に考えるならば愛情表現だと思っていいのだろうが、今回の場合前後の脈絡がなさすぎる。

 

「梨花ちゃんの泣き顔が、悪いことをしてしまって後悔しているように見えたので慰めるつもりで抱きしめていた」→×→「勝ち誇った顔でごちそうさまとか言って逃げた」。

 

×って何!? ×って何よ!?

 

とか叫びだしたくなるくらい、前後の出来事がつながっていない。いや、海の向こうでは×ってまさにそういう意味だった気がするけど気にするな。

 

実は閉鎖的な村にありがちな変わった風習で、泣いている女の子を慰めるのは奴隷になってもいいという意味だとか、OKの場合は女王様が唇を奪うことになっているのだとか言われたらどうしよう。

 

「むぅ……そんなアホな風習はないと思うよ?」

 

おや。いつのまにか悟史との待ち合わせ場所に来ていたらしい。ありえない出来事にショックを受けていても身体は勝手に動くものなのか。

 

「よし、バイトに行くぞ悟史。話はそれからだ」

 

「……え、あ、うん」

 

興宮へと向かう下り坂を自転車で併走する。

 

「ぬいぐるみまであと一息だな、悟史!」

 

今週働いた分までのバイト代で、じゅうぶんにあのぬいぐるみには手が届く。

 

向こうの都合で支給日は誕生日直前になってしまうけど、バイトから解放されればいまは週1回くらいしかできずにいる部活ももっとやれるようになるだろうし、悟史がもっと一緒にいられるようになれば、沙都子だってあのムカつく高笑いを教室に響かせてくれるだろう。

 

「そうだね。圭一には感謝してるよ」

 

「気にすんな。俺も沙都子の奴がしょぼくれてるのは正直つまらないからな」

 

最近の沙都子は体調を崩しがちで、教室でもだるそうにしていることが多い。あの家じゃ休めないからと学校に出てくるのだが、正直痛々しくて見てられないというのが本音だ。

 

「でも、圭一……」

 

「何だよ」

 

また余計な遠慮をするつもりかと身構えた俺だったが、

 

「誰に唇を奪われたのさ?」

 

「どひぃぃぃ!?」

 

流そうとしていた話題をいきなり引き戻されて焦った俺はカーブを曲がりきれず、咄嗟に必殺ガードレールキックターンを披露するはめになってしまった。

 

自転車でドギャアとかいう効果音を響かせるのは正直どうかと思う。

 

「そこは流してくれよ、人として!」

 

「えー、だって気になるじゃないか。この前はもてない男がどうとか言ってたのにさ」

 

人をからかっているときにまで、その邪気のない笑いはどうにかならないのか。

 

ときどきこいつはわざとやってるんじゃないかと思ってしまう。

 

「あれはそんなんじゃないんだよ!……言ってみれば犬に噛まれたような、いや違うな……そう、猫さんに噛まれたようなもんなんだよ! にゃーにゃー!」

 

悟史は実にナチュラルな笑顔で、必死に弁解する俺を眺めて一言。

 

「梨花ちゃんかぁ」

 

「のわぁぁぁ!?」

 

思わず落石防止ネットに顔をこすりつけるくらいにインを攻めてしまってあと1センチで大惨事だこんちくしょう。

 

「なんでさらっと言い当てるんだよ!?」

 

「だって、この村の女の子で猫さんっていえば梨花ちゃんじゃないか」

 

くっ……すまんみんな、俺はどうやらここで知りすぎてしまった悟史の奴を口封じのために始末しなければいけなくなった!

 

「いきなり惨劇発生はどうかと思うよ。僕は言いふらしたりしないし」

 

おお、心の友よー!

 

そうだな、いますぐ熱血硬派っぽいサイドキックで崖下へ突き落としてそこらの山林に埋めるのは勘弁してやろう。

 

「誤解のないように言っておくがな悟史。本当にまったくそういう雰囲気だったわけじゃないんだからな。泣いてるのを慰めていただけなのにいきなり、一方的に蹂躙されただけなんだ。俺は悪くない。俺は無実だ。俺は幼女に悪戯する趣味はないんだ!」

 

「わかったけど、幼女は酷いんじゃないかな。圭一は梨花ちゃんと2つしか違わないんだし……」

 

いや、言われてみればそうなんだが……羽入や沙都子と比べても微妙に小さいので、いわれのない罪悪感を覚えるんだよ。どこがとまでは言わない紳士な俺。

 

まぁ、さっきくらい密着してると、それなりには……いやいやいや、待て。いろんな感触をいっぺんに思い出すのは危険だろ!

 

「僕は言わないけど、梨花ちゃんは面白がって言いふらす可能性も……」

 

くっ……すまんみんな、

 

「始末しちゃ駄目だよ、圭一」

 

人のモノローグを横から先回りするな!

 

ちっ、薬かなにかで眠らせて、風呂場で手首を切って抱きしめながら心中しようとした俺の計画を台無しにしやがって。

 

「……なにか、僕の場合とずいぶん扱いが違うような」

 

「気のせいだ」

 

「そうかなぁ……でもきっと大丈夫だよ、圭一」

 

悟史はいつもの、人を安心させる笑みを浮かべた。

 

「梨花ちゃんのことだから、実際には金品か労働奉仕で勘弁してくれるよ」

 

「な、納得いかねぇー!?」

 

向こうが勝手にしてきたのに口止め料を払わされるってヤクザのやり口だよ!

 

「でも言いふらされて困るのはどう考えても圭一のほうだしねぇ……」

 

うん。そうだね。どうしようもないよね。

 

とほほ……また梨花ちゃんに脅されるネタが増えたということか……。

 

「梨花ちゃんルートもいいんじゃないかな。ハーレムルートよりは鬼畜じゃないよ、きっと」

 

「ほっとけよ!? お前こそ誰ルートだよ、まさか実妹ルートかよ、ソフ倫的に駄目だろそれ」

 

アホなことを言い合いながら興宮についたけど、バイトに入る時間にはまだすこし早かったので駅前に自転車を止めて歩くことにした。

 

まっさきに行くのはいつもどおり、玩具屋のショーウィンドー前だ。

 

「よかった……まだ売れてなかったね」

 

「というか、これを買う奴いるのか?」

 

「そんなに激しく自己否定しなくても」

 

「いや、そりゃまぁそうなんだが……」

 

大きなくまのぬいぐるみだ。値札の金額もでかいが、サイズもでかい。

 

まったく考えてなかったが……どうやって雛見沢まで運ぶんだよ、これ。

 

「圭一なら特殊な縛り方を知ってるだろうから、こう、背中に縛り付けてさ……」

 

「待て、縛り方関係ねぇだろそれ!?」

 

笑顔でわけのわからないことを言い出すこいつのキャラは掴みにくいことこの上ない。

 

「というか、売れたら困るのなら予約すればいいんじゃ……」

 

いきなり背後から聞き覚えのある声がして二人そろって振り返る。

 

「あれ、魅音。おはよう」

 

そこに立っていたのは、魅音だった。教室で見かけるポニーテールじゃなくて、いつだったか変な3人組に絡まれていたときと同じように、髪を下ろしている。

 

心なしか元気がないように見えるのは……そのせいか。

 

「よっ、魅音。……昨日は大変だったみたいだな」

 

そう声をかけたら、すこしびっくりしたような顔をしてからすとんと肩を落とす。

 

「え……あ、ぅ、うん。まぁね」

 

「何かあったの?」

 

きょとんとした悟史が横から聞いてくる。

 

「あぁ、羽入から聞いたんだけどさ……」

 

役員会で魅音が、悟史たちの処遇をめぐって村長さんたちに詰め寄ったという話を聞かせる。雛見沢のことだから悟史ももう知っていると思ったが、考えてみれば北条家は村八分の身の上だ、情報が伝わっていなくても不思議はない。

 

「魅音、そこまでしてくれたんだ……!」

 

結果が伴わなかったとはいえ、村の重鎮たちを相手どって丁々発止の舌戦を交わすなんてそうそうできることじゃない。悟史が感激を露わにするのも無理はなかった。

 

「ぁ……あはは、結局は、あんまり役に立たなかったけどね」

 

やはり相当堪えてはいるのか、すこし泣き出しそうな様子で無理に笑ってみせる魅音。

 

俺と悟史はきらりん☆と一瞬にしてアイコンタクトを交わす。

 

『いくぜ悟史、対魅音コンビネーション、DNSだッ!』

 

『わかったよ圭一、シュークリームは一口サイズだね!』

 

伝わってるのかいないのか不安だったが、俺たちは同時に魅音への距離を詰めた。

 

「え、えっ、えっ?」

 

左右に立たれて視線を泳がせる魅音。

 

「ありがとう魅音、その気持ちだけでも本当に嬉しいよ……」

 

悟史がふわふわと笑顔で魅音の頭を撫でる。

 

「ふぇっ、さ、さとっ……!?」

 

真っ赤になって俯く魅音。

 

「さすがだな魅音、きっとやってくれると思ってたぜ……!」

 

そこですかさず俺が反対側から撫でた。

 

「ふぁ!?……け、け、圭ちゃ……」

 

振り向いた魅音に笑いかける。

 

「ゃ、やだっ、二人とも、やめっ……」

 

涙目で身をよじるが、撫でられフェチの本能が邪魔をして動けないらしい。

 

「あはは、照れなくてもいいのに」

 

「ははは、かわいいぞこいつぅ!」

 

ぐるぐるぐる。魅音は目を回し始めていた。

 

「ふ、ふぇぇぇぇ……!」

 

間髪入れずに左右から襲いかかる撫で撫でコンボに、ついに魅音がぷしゅうと湯気をあげながら倒れていく。

 

「お、おい!?」

 

「み、魅音っ!」

 

さすがに慌てて抱き起こそうとしたが、それより早く立ち上がった魅音はなにを思ったかいきなり滂沱の涙を流しながら走り出してしまった。

 

「……うえぇえぇぇえぇぇん!」

 

物凄いスピードで遠くなっていく小さな背中を呆然と見つめる俺たちだった。

 

「いかん……思ったより効果がばつぐんだった」

 

「そ、そうだね……明日、学校で謝っておこう」

 

なんだか周囲の通行人からの視線が痛かったので、俺たちは開店したばかりの玩具屋の店内に逃げ込むと魅音のアドバイスどおりに予約を済ませたのだった。

 

「それじゃ圭一、またあとでね」

 

今日のバイトは別々の現場に連れていかれて交通整理の手伝いだったので、帰りの待ち合わせは図書館ということになっていた。なんといっても涼しいし、俺も悟史もそれなりに本を読むのは好きだから暇を潰すにはもってこいだ。

 

「悟史は……、まだみたいだな。ラッキー」

 

雛見沢に来てからは、東京にいた頃と違ってまともに本を読めるのが嬉しい。前は読書感想文のためか読解問題のポイントを押さえるために要点だけ拾うような、おかしな読み方を強要されていたのだ。

 

新刊コーナーから一冊抜いて閲覧用のソファへ向かおうとしたところで、俺の前に見覚えのない人が立ちふさがった。

 

でっぷりとした体格の、そろそろ壮年かというような大人の男。

 

「んっふっふ、ここは涼しくていいですねぇ~。……あなた、前原圭一さん? 雛見沢の古手神社に居候してらっしゃるっていう……」

 

「そうですけど……あなたは?」

 

誰だろう。雛見沢の人間は当たり前のように俺のことを知っているので、名前を言い当てられるのはこれがはじめてではなかったが、なにかいやな感じがした。

 

……図書館の中なのに、突然どこかでひぐらしが鳴き始めたからかもしれない。

 

「あ、こりゃ失礼しました。私、興宮署の大石と申します。お時間いただいて申し訳ないんですけどね、すこ~しお話させていただけませんでしょうか」

 

そう言って黒い手帳を差し出され、不思議と身構えてしまうのがわかる。

 

でも、相手は刑事だ。理由もなく拒否するわけにもいかない。

 

「待ち合わせ中なんで……それまででよければ」

 

「えぇえぇ、それで結構ですとも。それじゃ、休憩コーナーでいかがです? アイスコーヒー、おごっちゃいますよぅ」

 

どうも短時間で放免というわけにはいかない空気を感じて、俺はしぶしぶ新刊本を棚に戻すと、その刑事のあとをついていった。

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