「ま、どーぞどーぞ、おかけになってください。はい、アイスコーヒー。いやぁ~、日増しに暑くなってきて、この時期は特につらいですねぇ~。おっと、前原さんはお若いから、そんなことないですかね。なっはっは!」
どうしてこう、大人というのはさっさと用件を切り出さないのだろう。人生の残り時間はどう考えても大人のほうが少ないんだから、もっと有効に使えよと怒り出したくなる。
のんびりした雛見沢にきたのだから、こんな斜に構えた考え方はそろそろ捨ててもいいのだが長年培ったものはそう簡単には変えられない。
「……あー、やぁ。お時間、あまりないんでしたっけ。すいませんすいません。それじゃきりきり本題に入らせていただきますか」
顔に似合わず、といったら失礼だがずいぶんと察しがいいようだった。
もっとも、鈍かったら刑事は勤まらないか。
「まぁ、ちょっと詮索がましいのは承知の上なんですが、うちもそういう商売なんでそこはぐっと堪えていただけると助かります。前原さん、あなた、古手家の分家筋とか、そういうお方で?」
大石さんがおもむろに切り出したのは、俺の出自についての質問だった。
「いえ、特に血のつながりとかはないです」
「ふぅ~ん、それじゃ差し支えなければ、どうして古手のお嬢さんたちのお宅に居候されてるか、お聞きしてもよろしいですかね?」
なんだなんだ。ひょっとして俺、家出人だとか思われてるのか?
「俺が引っ越してきたのは、親も承知の上のことですよ」
「あ~、はいはい、わかってますよぅ。商売柄、多少は調べさせていただきました。ちゃんと住民票も移ってるし、学校にも通われてるようですし。ただね、古手さんちとの接点が見えてこないんですよ。いやもぅ、お手上げです。んっふっふ」
それは当然だ、ありもしないものが見えてくるわけがない。
俺はひとつため息をつくと、いろいろと覚悟を決めた。
「連休に梨花ちゃんが東京に来たとき、怪我をしたのは知ってますか?」
「えぇ、ちらっと聞きましたね。でも、大したことはなかったんでしょう? 目的どおりあなたを連れて帰ってきたくらいですから」
そこがすでに違う。……知らない人からはそう見えるのだろうか。
「違うんですよ、その怪我は俺のせいなんです」
「おやまぁ……、と、言いますと?」
予想外、という言葉がありありとその表情に浮かんでいた。
「刑事さんにお話するのは自白みたいで気分がよくないんですけど……俺がその、エアガン、わかりますよね、弾の出るモデルガンっていうか」
「えぇ、最近のはよくできてるみたいですねぇ。ときどきいますよ、モデルガン持って銀行強盗やっちゃう人が。私の頃は、銀玉鉄砲だってなかったんだけどなぁ」
正確にはモデルガンは単なる銃の模型だから弾は出ないのが普通なんだけど、その違いは別に説明する必要もないだろう。
「そのエアガンで遊んでたら、その……間違って通りすがりの梨花ちゃんに当たっちゃって、慌てて救急車を呼んだんですよ。怪我は軽くてほっとしたんですけど、なんでもするからって謝ったら梨花ちゃんが、雛見沢に来てほしいって」
「………………はい?」
大石さんが目を点にするのも無理はない。
「あの、それ以前はお知り合いじゃなかったわけで?」
「えぇ、全く」
う~ん、と大石さんが腕組みをしながら考えこんでしまうのも当然だ。こうして正直に話してみれば、自分でも嘘みたいな話だと思う。
「ならこうですか、古手梨花さんは見ず知らずのあなたに、怪我のことを許すかわりに雛見沢に来て、一緒に住んで欲しいと申し出た……と?」
「はい。一緒に住んでるのは、家が建つまでの緊急避難ですけど……あれ?」
そういえば、どうして俺に雛見沢へ来てほしいのか、その理由は全く聞かされていないことに気づく。あのときは俺も両親も気が動転していたせいもあって、そこまで深くは考えていなかった。正直にそう言ったら大石さんは困ったように笑って、
「なっはっは、とんでもない話で煙に巻かれるというのはたまにありますが、こりゃどう解釈したものかなぁ……それが本当なら、古手さんが前原さんに一目惚れ、ってあたりが唯一合理的な説明になっちゃいますよねぇ」
「そんな、少女漫画じゃあるまいし……」
と苦笑してから、ふと今朝のことを思い出す。
交通事故的というか、それとも関節技的というべきか、そんなロマンチックのかけらもないような代物ではあったけど、梨花ちゃんはいきなり俺に、その、あんなことをしてきたわけで……突拍子もない考えだけど、その線で考えたほうが自然なのかもしれない。
「あるいは、……うん。こう言っちゃなんですが、仕返しのため、ということはないですかね?」
「仕返し?」
やけに不穏な単語が飛び出した。
「えぇ。……前原さん、オヤシロ様の祟りって話、ご存じです?」
……なるほど。
大石さんが言いたいのはつまりこうだ。梨花ちゃんはああ見えて俺をこっぴどく恨んでいて、今年の祟りに遭ってしまえ!と思って雛見沢に連れてきた……と。
「それこそ荒唐無稽ですよ。ダム戦争とはなにも関係ない、余所者の俺が祟られる理由がないでしょう」
「いやいや、前原さん。本当にそう思われます?……よくご存じのようなんで、言っちゃいますがね。連続怪死事件の被害者は、ほとんどが余所者ばっかりなんですよ」
第一の事件……ダム現場の監督、たぶん行方不明の主犯の男もそうか。
第二の事件……北条夫妻。再婚だって話は聞いたから、悟史たちと血がつながらない父親のほうが土地の人間じゃなくても不思議はない。叔父夫妻だって、いま住んでるのはその父親が雛見沢に買った家だって言うし……。
第三の事件……古手夫妻。もちろん、羽入たちの家は代々雛見沢に住んでるけど、入り婿の神主さんはどうだろうか。雛見沢の出身でないことは十分にありえる。
なるほど、こうして見ていけば祟られて殺される側は土地の人間じゃないという共通項はあるかもしれない。祟りを鎮めるために鬼隠しに遭う人間はそれに巻き込まれているだけだと考えれば、一応の説明はつく。
「って言っても、俺とその人たちの共通点は、それだけじゃないですか。やっぱり祟られる理由がない」
「祟りの理由は、年々薄くなっているのはおわかりかと思いますがねぇ……まぁ、私だって、本当に祟りなんてものがあるって仮定でこんなことをお話してるわけじゃありません。祟りなんかでどんどん人が死ぬんじゃ、私らもお手上げですので」
何が言いたいのか、よくわからなかった。
「……つまりですねぇ。祟りを選んでいるのが、雛見沢御三家だとしたらどうです?」
御三家の話は羽入から聞いたことがあった。
村長さんの公由家、魅音の園崎家、そしてオヤシロ様を祀る古手家。
彼らが祟りを選んでいる、いや……起こしているのだとしたら。
古手家の梨花ちゃんが、自分に怪我をさせた不届き者を今年の祟りの生贄にするために、雛見沢へ連れてきたのだとしたらどうか……?
ぞくりと悪寒が走り抜ける。
あまりにも馬鹿げた、そして笑えない妄想だった。
今朝の、あの涙の理由が、ほかでもない俺に対する罪悪感だったら……?
祟りに遭わせるために俺を連れてきたのはいいけれど、思ったよりも仲良くなってしまったことを悔やみ、何も知らずに祟られるしかない俺を憐れんであんな真似をしたのだとしたらどうだ……!?
今までわけのわからなかった梨花ちゃんの行動を、ひとつひとつの点を線で結ぶことで説明できてしまう。いつかあの展望台で聞いた言葉。悟史と沙都子に下される過酷な運命、それを変えるために俺がここにいるっていうのは……、つまり。
俺を身代わりにするためだったっていうのか!?
きりきりと頭の芯が引き絞られるような痛みを訴え、視界が歪んでいく。
祟りを選ぶのが、雛見沢御三家。
代表するのは羽入、魅音、村長さん。
みんなが、俺が梨花ちゃんにしたことを知っていたら……そんな想像をするだけで吐き気がしそうだ。
祟られて当然の人間なんて、疑いようもなく俺だった。
「いやいや、落ち着いてください、前原さん。まだそうと決まったわけじゃあない」
大石さんがやんわりと俺の暴走しかけた思考を止める。
「ただ、そういう可能性もあるかなって思っただけなんですよ。御三家が怪死事件の黒幕だったら、ありえるかなぁ~って」
「……でも。その御三家の一角が、去年祟られてるじゃないですか」
そうだ、羽入や梨花ちゃんの両親、神主夫妻が祟りに遭っている。
御三家が祟りを決めているなら、身内を選んでどうするって話だろう。
「そうなんですよねぇ……たとえば、こんなのはどうです? 去年亡くなった神主さん、この方はダム戦争でも穏健派だったそうですよね。祟りになぞらえて村の邪魔者を始末していく、そんなやり口に耐えかねて内部告発しようとしていた……とか、ですね」
裏切りに気づいた園崎家と公由家は、表面上は別の人間、たとえば叔父夫妻を祟る計画を進めながら、綿流しの夜に不意打ちで神主を抹殺、その事実に気づいた妻も……。
あとは操りやすい子供で、オヤシロ様の生まれ変わりとして村の象徴でもある羽入を頭首に据えて御三家を維持していく、そんな構図が浮かび上がる。
「まぁ、これはあくまでも想像なんですがね。とりあえず、身辺に気を配っていただいたほうがもしもの時のためにいいんじゃないかと思いまして」
大石さんはそう言うと、俺にメモを差し出した。
見ると、そこには電話番号が書き留められている。
「もし、あなたの周辺で怪しい動きがあったり、今年の祟りについてなにか聞きつけたらこちらにご連絡下さい。……もちろん、なにもないことを願ってますよぅ」
安心させるようにそう笑って、大石さんは肩と腹をゆすりながら立ち上がった。
「お友達が来たようですし、今日のところはこれでお暇します。良いお年を」
去り際にみせたその笑みは、ちょうどいい餌を見つけて水面に糸を垂らす釣り人のように楽しげなものだった。
「あれ、圭一。いまの人は……」
本棚の向こうから、悟史がやってくる。
「……あぁ、なんでもないよ。ちょっと、世間話をさ」
歯切れ悪く答えて、結局手をつけないままだったアイスコーヒーを一気に飲み干すと空のカップをゴミ箱に投げ込み、悟史と一緒に適当な本を借りて図書館を出た。
雛見沢に戻る頃にはもう夕刻で、診療所に沙都子を迎えにいくという悟史と別れてのろのろと自転車を走らせる。
このまま古手神社に帰ってもいいものだろうか。
さっきのたちの悪い想像が事実だったら、俺は羽入や梨花ちゃんに命を狙われることになってしまうが……どう考えても、普段の二人の態度はそんな陰謀とはかけ離れている。
羽入は人懐っこくて優しくて慌てんぼで寂しがり屋だし、梨花ちゃんはちょっと腹黒いけど憎めない仔ダヌキで、あれでなかなか甘えんぼで……このひと月以上もの間、一緒に暮らしていて、あの姉妹には振り回されてきたけど、でも妹がいっぺんに二人もできたみたいで楽しかった。あの笑顔が全部演技で、俺の命を狙っているだなんて、本当にそんなことって、あるのかよ……?
ありえるとしたら……、ひとつ。
二人は、このままでは悟史と沙都子に祟りが及ぶと確信しているんじゃないか?
だからそれを覆すために俺をこの運命に引きずり込んだ。
園崎や公由を納得させるだけの、祟られる理由のある人間を持ち出した。
魅音が必死になって役員会を説得しようとしたのも、村の一員である悟史たちよりも、俺を祟りに選ぶべきだと主張していたんじゃないのか?
くそ……、なんだよこれ。
みんなが俺を殺したがっている。
死ぬべきだ、お前が祟られるべきだ。
それで悟史や沙都子が祟りから逃れられるなら、罪深いお前なんか死んで当然だ。
お前はそのためにここにいる。
死ぬために、昭和57年の雛見沢にやってきたのだ。
4年目の祟りに選ばれるために……!
「あ、圭一っ!」
おどろおどろしい極彩色の妄想を、明るい声が遮った。
反射的にブレーキをぎゅっと握りこんで自転車を止め、振り返ると商店街のほうに続く道から、買い物袋を抱えた羽入が駆け寄ってくるところだった。
「おかえりなさいです、今日は早かったのですね!」
なんでもないちょっとした偶然、帰り道の途中で会えただけなのに、嬉しさに満ちあふれたほんわかした笑顔を向けられる。
……これが、演技だって?
「羽入……」
俺はゆっくりと自転車から降りると、そのまま手を離して道に車体を投げ出した。
がしゃんと音を立てて自転車が倒れ、タイヤがからからと音を立てる。
「……あぅ?」
唐突な俺の行動に、戸惑いの表情を浮かべて小首をかしげる羽入。
俺は構わずに、間合いを詰めていった。
羽入は逃げようともしない。生贄の俺に反撃されるだなんて、想像もつかないのか?
ついに一歩も動かないまま、つま先が触れ合うほどの距離まで近づいても、羽入は不思議そうに俺を見上げるだけだ。
それも、全部演技だっていうのかよ……?
くりくりした丸っこい目が、息のかかるくらいの間近から俺に向けられている。
「圭一……?」
甘く柔らかな声が俺を呼ぶ。
その瞬間。
爆発的な衝動に背中を押され、両手を広げて羽入に襲いかかっていた。
「あぅうっ!?」
いきなり抱きすくめられた羽入が可愛らしい悲鳴をあげ、どさりと買い物袋が地面に落ちる音がした。
「け、け、圭一、いきなりなにをっ……!?」
あぅあぅと真っ赤になりながら身をよじる羽入の、小さくて暖かい身体をぎゅっと抱きしめる。壊れてしまわないように加減をするのが、一番難しかった。
ずきん、と目蓋の奥が痛んで……決壊した。
大石さんにあの話を聞かされたときから頭にこびりついてしまった疑念や恐怖、そういったものが綺麗に洗い流されて、頬を流れ落ちていく。
「あぅ……、なにかあったのですか……?」
いきなり泣き出した俺を見て、羽入は目を細めた。
そして優しく、俺の身体を抱き返してくる。
「圭一、とても悲しそうです……」
ちっこいくせに、とても母性に溢れた顔をしていた。
「……俺は、馬鹿だった。途方もない馬鹿だった。それが、悲しいんだよ」
ようやくそれだけ言ったが、これで意味が通じるわけがない。
わかっているけど、言わずにはいられなかった。
羽入や梨花ちゃんや魅音を疑ってしまった。あんな出来の悪い仮説に取り憑かれて、みんなの笑顔を偽物だと思いこもうとした。俺は、前原圭一は、この雛見沢にやってきて、ようやくできた仲間を信じられなかった大馬鹿野郎だ……!
「……圭一」
羽入はうっすらと涙を浮かべながら、微笑んでいた。
「誰だって、賢くばかりは生きられないのです。だからそれは、悲しいことではないのですよ……それに、あなたは気づいたのですから」
癒しと、赦し。
彼女がオヤシロ様の生まれ変わりだなんて言われている訳がわかった気がする。
羽入は、ただの少女の器ではおさまらないなにかを生まれ持っている。
「自分がいつでも賢いと思っていると、間違った方向に進んでいてもそれに気づかないことがあるのです。そのほうがよほど悲しいことです、圭一」
くすりと笑いながら、羽入はかかとを浮かせて俺のほうへ体重をかけてきた。
……そして、俺は本日二度目の衝撃と、混乱に見舞われることになった。
梨花ちゃんのそれとは違ってあくまでも優しく、撫でるような触れかたで……まるで涙をぬぐわれているみたいだと思った。
「あぅ……僕たちは、ちょっと馬鹿なくらいで、ちょうどいいのですよ」
頬を染めながら悪戯っぽく笑う羽入の顔が、滲む視界の中でもはっきりと見えていた。
「僕は圭一を許します。……だから、圭一も僕の馬鹿な悪戯を許してほしいのです」
この表現が妥当かどうかはわからないが……、それは、恋に落ちてしまいそうなくらいに可愛らしい笑顔だった。