ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第26話 祭囃子とシュークリーム

きっかけは今朝のことだった。

 

境内で梨花と圭一が、いや、梨花が圭一に……というのが正確か。

 

とにかく、その、しているのを見てしまって。

 

それだけならよかったのだけれど、時間停止でもされたみたいに呆然と動けなくなったところへ、圭一の前から駆け去ってきた梨花が前方不注意で僕に激突してきたのだ。

 

「あぅう……、痛いのです」

 

「ったた……は、羽入!?」

 

ぶつかったのが僕であることに気づいた梨花は一瞬驚きの表情を浮かべたけど、それは急激に羞恥という名の絵の具で染め上げられていった。

 

梨花は写真に撮って保存しておきたいくらいに紅潮した顔を誤魔化すように怒り出して、

 

「あ、あんた、覗いてたのッ!?」

 

「覗くも何も、境内は神の庭であると同時に公共の場所でもあるのですよ」

 

ましてや、僕たちの家(兼防災倉庫)から裏山以外の場所に行こうとすれば必ず境内を通らなければいけないのだから、ここに僕が立っていて何の不思議があるというのか。

 

「巫女とて人の子ですから、それ自体を咎めるのは止しますが……あの、ですね。梨花も圭一もまだ子供なのですし、人の目に触れるような場所であんなことは……」

 

自分の混乱を鎮めるためにも、姉としてやんわりとお説教をしてあげようと思ったのだけど、それがよくなかったのか、梨花は赤い顔をしたまま凶悪な目つきで僕を睨む。

 

「黙らないと懲罰よ、羽入……!」

 

「あぅっ……!?」

 

なにやらその目つきと言葉だけで、遠い記憶の彼方から僕の舌に強烈な刺激と悪魔のごとき異臭が蘇ってくるかのような錯覚を覚えてしまう。それは根元的な恐怖。

 

な、なにこの嫌な条件反射ッ!?

 

パブロフさん、あなたは罪な人なのです……あぅあぅあぅあぅ!

 

「生身であろうが羽入は羽入ね……」

 

ふん、と鼻を鳴らして足早に去っていく梨花。僕はその場でしばし幻覚に苦しめられてのたうちまわってからようやく回復する。

 

「あぅう……いまのはいったい」

 

実の妹が謎の言霊を駆使して僕を虐待します、とTVの人生相談に電話するべきだろうかと悩みながらよろよろと境内にでたら、もう圭一はその場にいなかった。

 

……ほっとするのと同時に、寂しさも感じてしまう。

 

その直前から見ていたから、圭一にその気がなかったらしいのは遠目にもわかった。

 

でも……やっぱり、気になってしまう。

 

たとえその瞬間まで梨花をただの同居人、妹みたいな存在として見ていたのだとしても、あんな事があってもそのままでいられるとは思えない。

 

この感情になんと名付けたらいいものか。

 

焦り? 悔しさ? 切なさ?

 

違う……。本当は、答えなんてわかっている。

 

梨花が圭一と仲良くするのは良いこと、とても嬉しいこと。でも……圭一が、僕を見てくれなくなるのは、嫌だった。

 

今日はずぅっとそんなことばかりぐるぐると頭を回っていて、いいかげん考えるのも疲れてしまった頃になって自転車でゆっくりと農道を走る圭一の姿が目に入ってきた。

 

いつもならアルバイトから帰ってくるのはもうちょっと先、それに……梨花よりもちょっとだけ早く圭一とお話できることが、とても嬉しくて声をかけてしまっていた。

 

最初、圭一の様子がおかしかったのには驚いたけど、抱きしめられたときにはどこかに期待のようなものがあったのは否定できない。

 

そんな考えも、圭一が泣き出したのを見て吹き飛んでしまった。

 

圭一が何のために悲しんでいるのかはわからない、でも。

 

その悲しみは、人の子として生きる以上どうしようもないものなのだと直感でわかった。まさに僕も、そういう自分の弱さを受け容れられずに困り果てていたのだから。

 

だからすこしだけ、大胆な悪戯をしてみたくなった。梨花のように鮮やかに、電光石火の奇襲というわけにはいかないけれど。ちょっとくらい不器用な自分の背中を押して、我が儘になってみたいと思った。

 

圭一の言葉を借りれば、これはとても馬鹿なこと。

 

でもきっと……僕たちは、それを許し合える。そのために、ここにいるのだから。

 

「羽入……ありがとな」

 

圭一が、はにかみながら僕を見てくれる。

 

それで僕は、急に自分のしたことが恥ずかしくなって、圭一の胸に顔を埋めた。

 

……あ、そうか。

 

梨花もさっき、こんな感じだったんだ。そのときは夢中で、でも我に返ったら恥ずかしくて……それを僕に見られたんだから、きっととんでもなくショックだっただろうな。

 

家に帰ったら、梨花に謝ろう。

 

こうしている時間を終わらせるのは、ちょっとだけもったいないけど。

 

……村の人や山狗に見られたら、なにを言われるかわかったものじゃない。

 

「あぅあぅ……」

 

忘れてた。

 

いくら人通りの少ない雛見沢とはいえ、まだ日も沈まない時間から道の真ん中でなんてことをしてるんだろう、僕たちは……。梨花のことは言えない。

 

「……っと、か、帰るか」

 

圭一も気がついたのか、ゆっくりと、ちょっとだけ名残惜しそうに僕の身体を離す。

 

「あぁ、いっけね。買ったもの、落ちちゃったな」

 

すぐにしゃがんでお野菜やお魚のパックなんかを拾い集めてくれる。

 

僕も慌てて手伝った。卵とか買った日じゃなくてよかった、とちっともロマンチックじゃないことを考えてしまう自分がおかしくて、小さく笑う。

 

圭一は倒してしまった自転車を起こし、サドルの埃を払うような仕草をした。

 

「後ろ、乗ってくか?」

 

言われてすこし心が揺れたけど、……小さく首を横に振った。

 

「ゆっくり歩いて帰りたいです……駄目、ですか?」

 

自転車じゃ、神社まで数分とかからない。圭一に掴まっていくのはとても魅力的だけれど、もうすこしだけさっきの至福の余韻を味わいたかったから。

 

「あ、いや……駄目じゃないさ」

 

……それに、ほんのひとときでも、圭一を独占していたかった。

 

「行こうぜ、羽入」

 

僕の荷物を自転車の籠に押し込むと、圭一は片手をハンドルに添え、もう片方の手を……僕のほうに差し出してくれた。

 

「あぅ……☆」

 

ごめんなさい、梨花……僕はとっても馬鹿な子で、駄目なお姉さんです。

 

毎晩、夜のお散歩で圭一を独占しているのに……自分にこんな我が儘な部分があるとは知らなかったし、それが許されるとも思っていなかったのに。

 

圭一が現れてから、僕の毎日は調子が狂いっぱなしなのかもしれない。

 

そう、確実に……前よりもずっと、愉快なほうへ向かっている。

 

あとは沙都子たちを縛り付けるあの不愉快な鎖さえ断ち切ってしまえれば、僕たちには望んだ日常が待っているように思えるのだけれど……魅音のような勇敢さを持ち合わせていない僕にできることはとても少ない。

 

悩みながらも、世界はゆっくりと時を刻んでいく。

 

「たこ焼きはうちがやるっちゅうとるんね!」

 

「おぉ、やればえぇんよ。こっちもやるが、文句ぁねぇな?」

 

「どうしたのです、またなにか揉め事ですか?」

 

「あ、これは羽入様……い、いえいえ、揉めてるっちゅうわけでは……」

 

「それなら良いのですが……もう一度きちんと話し合って、仲良く決めるのです。来年と交代にするのはどうですか?」

 

「そ、そりゃあ……まあ」

 

魅音の抜けた町会は以前よりもすこしだけ活気がなくなっていて、綿流しの準備でもあちこちで小さな諍いが起こり、それを取りなすことが多くなった。

 

「何なら、片方はシュークリームを売ると良いのです。きっと大人気なのですよ!」

 

「「……羽入様、そりゃあないですわ」」

 

「あぅ!?」

 

やっぱり年若いとはいえ魅音のてきぱきと事を進めるリーダーシップは、村に必要なものだったのだと思う。

 

「あぅあぅ……魅音。おはようございますです」

 

「あれ、どうしたの羽入。なんか元気ないじゃ~ん?」

 

「い、いえ……その、あまり力になれなくてごめんなさいです」

 

「ん、気にしなくていーよ。私が勝手にやったことだしね!」

 

その魅音はといえば、梨花の言うとおり月曜になったら当たり前のような顔をして登校してきて、心配して損した……とまでは言わないけど、あれだけの仕打ちを受けて笑顔を崩さない魅音の心根がちょっぴり羨ましい。やっぱり彼女は強い人なのだと思う。

 

「そういや昨日の夕方、圭ちゃんと抱き合ってたってホント~?」

 

「あ、あぅ!?……な、なんのことだかわからないのです!」

 

「くっくっく、羽入~ぅ。うちの情報網を甘く見てんじゃないのぉ~?」

 

あぅう……すこしは人並みにへこんでほしいと、思わなくもなかった。

 

僕の気にすることといえば、もちろんそれだけではなくて……。

 

「圭一、その……演舞の練習に付き合ってほしいのですが」

 

「ん、あぁ……」

 

「駄目です、圭一はこれからボクと一緒にお風呂ですよ?」

 

「はぁっ!? そ、そんな約束はしてねぇ!」

 

「り、梨花、なんてことを言うのです、あぅあぅあぅ……!」

 

「にぱ~☆ 羽入も一緒に入りますですか?」

 

家に帰れば帰ったで、昨年まで母様が執り行っていた奉納演舞の練習もしなければならないというのに、最近の梨花は開き直ったかのように圭一とスキンシップをとりたがるのでそれはそれで気が抜けない。

 

「おおおお、俺は最低の大馬鹿野郎だぁぁぁあぁぁあぁああ!!」

 

夜中に目を覚ましたらちゃっかり圭一の横にもぐりこんでいるのを見つけて、なんだか腹が立ったので僕も反対側に入り込んで寝たら、翌朝圭一が目を覚ますなり絶叫して壁に向かってヘッドバンキングを始めたので必死に止めた。

 

「じゃ、じゃあ、なにもなかったんだな……?」

 

涙目の圭一がちょっぴり可愛い、とか思っていたら梨花がにやりとして、

 

「圭一は何もしてないのですよ。……ボクには」

 

「あぅっ!?」

 

「羽入は優しいな……俺なんかを庇って、全部なかったことにしてくれるつもりだったのかよ……」

 

なぜか遠い目をして窓の向こうを見る圭一だった。

 

ちょ、ま、楽しかった日々に想いを馳せないでー!?

 

「ち、違うのです圭一、あぅあぅあぅ!」

 

「ちくしょう、自分で自分が許せねぇっ! もう、死んで詫びるしか……!」

 

結局ヘッドバンキングを再開してしまって、お腹を抱えて大笑いする梨花に協力させてようやく止めることができた。我が妹ながら、時々真剣にたちが悪くて困ります。あぅ。

 

……まぁ、梨花のおかげというべきかどうか、例の一件以来圭一と僕たちの距離がぐっと縮まった気がするのは感謝してもいいかもしれない。

 

お散歩でも時々手の触れてしまいそうなくらいの距離を歩いてくれるし、たまに感謝や親愛の表現として抱きしめてくれるのはお互いに照れはあるけどとても嬉しい。

 

もっとも、そのことで喜んでばかりもいられなかった。

 

「先日の検査では、いくつかの数値でL4の基準を超えてしまっています……早めに手を打たなければ、危険な状態だと言えるでしょうね」

 

入江が所長室で聞かせてくれたのは、沙都子を巡る無慈悲な現実だった。

 

L4というのは、雛見沢症候群の発症の深度を示す数値であり、L5が末期症状、個人差はあれど狂乱状態に陥り、幻覚と現実を混同、自傷行為による死に至ることもある。L4というのはその手前で、周囲の人間に対する強い疑心暗鬼と、日常生活においても幻覚や幻聴を生みだしてしまう深刻な状態を示している。

 

「どうにかならないのですか、入江……」

 

「既に数値的には2年前の事故の直後に近い状態なんです。本来ならば沙都子ちゃんには入院してもらって、完全な看護態勢で対応したいところなのですが……」

 

ばさり、と苛立ちまぎれに書類を机上に投げ出す。

 

眼鏡の奥で、入江の目がわずかな鋭さと、悔しさを滲ませていた。

 

「叔母が……認めてくれないのですね」

 

雛見沢症候群の存在を説明せずに、いまの沙都子に入院の必要があると納得させるのはとても難しいことなのだ。微熱や身体のだるさなどの軽い体調不良は出るものの、本当に深刻なのは精神状態のほうなので、きちんと気遣える家族でなければその変化は些細なものであるかのようにしか見えない。

 

「入院費用はこちらでどうにかするとまで言ったんですがね……、子供を甘やかしたらつけあがるだけだ、と突っぱねられてしまって」

 

本当に罪深いことだけど、沙都子の叔母は村人との軋轢や夫との生活に対するストレスを沙都子に対する精神的暴力によって発散している面があるらしい。自分よりも弱いものを傷つけ、追い詰めることで得られる優越感や嗜虐感情で自分の精神安定をはかっているというのだ。

 

だから、入院して沙都子がいなくなってしまうことを拒絶する。

 

邪魔だ、嫌な子だ、出来が悪いなどと沙都子を排斥するような言葉をぶつけていても、その叔母こそが沙都子をもっとも必要としている人間だというのだから皮肉なものだ。

 

「沙都子は……どんな様子なのです?」

 

「彼女は……、驚くほど強い子ですね。見ていて痛々しいくらいだというのに、自分にはにーにーやねーねーが何人もいてくれるから大丈夫、と言って笑うんですよ……つらい日々のなかで、あなたたちの存在が沙都子ちゃんにとって唯一の救いなのでしょうね」

 

部活が出来る前は、沙都子が頼れるのははっきりと悟史だけだったと言っていい。

 

けれど、圭一が発案し魅音が作ってくれた部活の場で対等の相手として真剣に向き合い、心から沙都子を心配して労っている仲間たちの気遣いは、沙都子の心に少なからず届いているのだ。だから、まだ僕たちをたよってくれている。

 

それが、壊れてしまう寸前のいまの沙都子をかろうじて支えている……。

 

この悲しい迷路を抜けられる日は来るのだろうか?

 

時間は無限ではない。このまま沙都子の容態が悪化し続ければいうまでもなく末期症状へと病は進行し、沙都子は自ら死を選ぶか、それを防げたとしても廃人となり、一生病室で飼い殺される結末を迎えることになる。

 

それまでに、僕たちでどうにかしていまの状態を変えなければいけない。

 

僕自身よりも影響力がよほど強いはずの魅音が、いちかばちかの賭けに出てもなお村を動かせなかったことは大きな痛手だった。

 

いまさら僕がオヤシロ様の名を借りて村に働きかけても、状況は動かない。現在の村の信仰は、人を慰め癒す力はあっても、人を縛り従わせるような力はなくなっている。

 

それができるとすれば、近年の凶事を経て誰かが囁き始めた『祟り』の力だけだろうが、巫女としても古手家頭首としても、それを利用するなんてことは許されない。

 

それは沙都子を一時的に救うとしても、村に祟りへの明確な恐怖と近しい人々への疑心を蔓延させ、決して良い結果を生まないに違いないから。

 

その祟りによって父様と母様を失った僕にとって、その選択肢はありえない。

 

僕の願いは沙都子も含めて、みんなが仲良く暮らせること。

 

たったそれだけでいいのに、それがどうしてここまで困難なのだろう。

 

「とりあえず、今月中は様子を見るしかないでしょうね」

 

黙って聞いていた鷹野がそう意見を述べる。

 

「沙都子ちゃんの病気がとても珍しいものだから、研究の一環として治療したい……ということで入院させる案を練っています。北条夫妻には、それなりのまとまった額を示して説得にあたる予定で……ジロウさんに、予算の都合をつけてもらうようにお願いしているから、今月中には結論が出せると思うわ」

 

僕を安心させようと微笑んで述べた鷹野の意見は妥当な線で、それが実現すれば沙都子にとっての状況は好転すると思う。

 

……でも、診療所からの帰り道、僕はとても不安だった。本当に、沙都子の心は……今月いっぱいもつのだろうか?

 

あとたったの半月が、どうしようもなく遠く感じられる。

 

そんな悪い予感を裏付けるように、道の向こうから走ってくる影があった。

 

息を切らせながら、僕を見つけて駆け寄ってきたのは……レナだった。

 

「羽入ちゃん、大変だよ!」

 

「ど、どうしたのですか……?」

 

問い返しながらも、ある種の確信があった。

 

沙都子に関しての悪い報せだ。

 

「沙都子ちゃんが、お使いに出かけたまま帰ってこないみたいなの! 誰も、姿を見ていないって……魅ぃちゃんも、圭一くんや梨花ちゃんたちも探してくれてる!」

 

いつか、沙都子が暴走するというのなら……その予兆はいままでにもあった。

 

だから驚きはしなかった。

 

でも……、だからといって悲しみまでが消せるわけでもない。

 

楽しい日々の終わりは、すぐそこにあったのだ。

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