ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第28話 いきなり☆鉄平弾

「……くっそぉおぉおお!」

 

圭一さんを跳ね飛ばした瞬間、感じたのは敵をやっつけた達成感や高揚感ではなかった。

 

かといって、罪悪感だったかと言われても自信がない。

 

ただ、これで私はもう許されない、圭一さんや羽入さん、皆の仲間でいられる資格を失ったのだという空虚な絶望だった。

 

……でも。

 

私なんかよりもずっとずっと、諦めの悪い人がいた。

 

「圭一ッ!」

 

どうして彼女がそこにいるのか、全く理解ができない。

 

決して運動神経がいいとは言えない、性格的なものまで加味すれば鈍臭いと言っていいくらいの、ひとつ年上の彼女が、その場所に滑り込んで圭一さんへと手を伸ばしていた。

 

「……は、羽入さんっ!?」

 

俊敏さではない。そんなもの、持ち合わせてはいないはず。

 

抜け目の無さでは、もっとない。彼女には一番、似合わない。

 

それは、目の前の不条理を認めようとしない不屈。

 

華奢な身体を橋の欄干にぶつけて苦痛に顔を歪めながらも、一切の迷いや怯みをみせず、大切な人のもとへと身を乗り出していた。

 

不器用で、不様で、不格好で、……なのに、なんて美しい姿。

 

「羽入……ッ!」

 

圭一さんと羽入さん、二人の伸ばした指先が空中で泳ぎ、引き合うように重ねられる。まるで愛おしいものを求めるみたいに絡み合い、互いの手首をしっかりと掴まえていた。

 

その瞬間の重い衝撃にも決して手を放すことなく、圭一さんを重力という名の魔手から取り戻そうと、両手で縋り、その身体を押しとどめる。

 

でも、無理だ。

 

手すりにその細い足を絡めて抵抗するけれど、勝てないものは勝てない。

 

「……ッ!」

 

圭一さんのほうが体重がある、吹き飛んだ勢いもある、重力までが敵に回っている。

 

瞬間的には100kgを軽く越えるだろうその加重に、その3分の1の体重しかない羽入さんが勝利できるはずなど最初からなかった。

 

手を離してしまえばいい。

 

圭一さんのその手を離せば、羽入さんだけは助かるはず。

 

私が圭一さんを跳ね飛ばしたというのに、私はまるで祈るような気持ちで羽入さんが圭一さんの手を離して助かる未来を願っていた。

 

なのに。

 

圭一さんはもう助からない、それは神様だって覆せない答えだっていうのに、……どうして。

 

彼女は微塵の諦めさえ見せないあんな顔で、圭一さんを一心に見つめていられるのか。

 

力の均衡が崩れ、重力は彼女の身体を手すりの向こう側へと引っ張り込もうとする。

 

このままでは、二人とも……死ぬ!

 

「だ、駄目ぇ……ッ!」

 

羽入さんの愚かさが、私にまで乗り移ったみたいだった。

 

私は渾身の力と自分の体重を最大限に使い、ワイヤーを両手で引き返した。

 

橋が、三度……揺れる。

 

その激震で手すりが羽入さんの身体を強烈に殴りつけ、彼女自身とその手の先にいる圭一さんを橋の上へと引き戻す。

 

計算でしたことじゃなかった。

 

もし、私がすこしでも計算していたなら……自分の身体を跳ね飛ばしてしまいかねないようなトラップなど、発動するわけがない。

 

私の体重など、羽入さんとそう変わらない。

 

まして、ワイヤーを引くためにバランスを崩していたのだからたまらない。

 

強い風にさらわれるみたいに、私は空中へと弾かれていた。

 

「……沙都子っ!」

 

羽入さんが叫びをあげながら、反対側の手すりに背中から叩きつけられるのが見えた。その横に、圭一さんも転げ落ちる。

 

よかった。

 

二人は、これで助かった。

 

私が消えるだけ。仲間を殺そうとした、許されない私が消えるだけですむ。

 

そう思ったのに。

 

……私の、空を掻いていただけの指先が、偶然ワイヤーに引っかかっていた。

 

それは本能かもしれない。

 

永遠とも思える浮遊感の中で、私の心ではなく体のほうが死を否定した。

 

千切れそうな痛みを覚えながらも私の指はワイヤーをきつく握りしめて、がくんと落下が止まる。

 

橋を支えるワイヤーの一本は、私の体重を軽々と受け止めていた。

 

問題があるとすれば、それは私の腕のほうだ。

 

「……つぅっ……!」

 

骨と肉が、悲鳴をあげる。ワイヤーとの摩擦で擦り切れた指の皮膚がじんじんと痛みを伝えてくる。流れた血が、指を滑らせようとする。

 

一瞬でも私が力を抜けば、この奇跡はなかったことになる。

 

最初の予定通り、私はまっさかさまに墜落して、……たぶん、死ぬ。

 

それもいい。……それで、いい。

 

だから、この手を離そう。

 

魅音さん。レナさん。梨花。羽入さん。圭一さん。……それに、にーにー。

 

みんなを苦しめ、追い詰めているのは私だって、ちゃんと気づいていた。

 

私が壊れてしまわないために、みんなが心を砕いてくれていることを知っていた。

 

でもどうにもできなかった。

 

罪深い私は、呪われて、祟られて、ここで死ぬべき運命だった。

 

その呪わしい運命に、大好きな人たちを巻き込まずに済んだことだけを、神様に感謝しよう。

 

さあ、……だから、その手を離せ。北条沙都子。

 

「離すんじゃねえぇえぇぇええ!」

 

真上から叩きつけられた叫びに、はっとして顔を上げる。

 

反射的に、ワイヤーを握り直している自分に気づく。

 

手すりを乗り越え、片手でそれにつかまりながら、もう片方の手を私に伸ばしているのは圭一さんだった。

 

さっき橋の上に転げ落ちたときにぶつけたのか、額が割れて頬を鮮血が流れ落ちている。

 

なのに……、燃え立つような色をした瞳と、伸ばした手はどこまでもまっすぐに、力強く、眼下の私へと向けられていた。

 

「け、圭一さん……」

 

「沙都子、つかまれ。……戻って来い、沙都子!」

 

有無を言わせない口調。抵抗は無意味だ。この人には、どんなに正しい理屈も通じない。無理だと言われれば、その無理を通す。駄目だと言われれば、意地でもそれを覆す。

 

まさに、天性のひねくれ者。

 

こんなにまっすぐなひねくれ者は、見たことがないくらいに。

 

私がどんなに罵声を浴びせても、圭一さんは決して私を見捨てないと、……信じられる。

 

「あぁ、そうかよ。お前が手を伸ばさないなら……こっちが伸ばすだけだ」

 

にやりと笑って、圭一さんは手すりをつかんでいた手を離してしまう。

 

「な……!?」

 

ぐらりと傾いた姿勢から、私の手首を掴まえた。

 

力任せに、ぎゅっと握られたその感触は痛いくらいだった。

 

「へっ……、嫌だって言っても連れて帰るからな。覚悟しろ、沙都子」

 

見れば、手すりから離した圭一さんの手を、羽入さんが両手で引っ張って長さを補っていた。手すりに下半身を突っ張って、かろうじて支えている。

 

「あぅあぅあぅ……圭一~~、あちこち千切れそうなのです……!」

 

泣きそうな顔をして、ぶるぶると全身を震わせていた。

 

「ガンバレ羽入、あとちょっとでいいから……なっ!」

 

圭一さんは私の手を掴んだまま空へと身体を投げ出し、私の掴んでいたワイヤーに蹴りを入れて、反動で自分の身体を手すりの外側へと叩きつける。

 

「よっ、と!」

 

そして腕を手すりに巻き付けて、固定してしまった。

 

まったく……ため息が出るくらい危険なことを、平気でやってのけるのだからあきれてものも言えない。

 

そうしてへたりこみそうな羽入さんと二人がかりで、私の身体を橋の上へと引っ張りあげたのだった。

 

「あぅう、沙都子ぉ~!」

 

泣きたいのはこっちなのに、年上の羽入さんにしがみつかれてさめざめと泣き出されてはそれも出来ない相談だった。このたよりなさの塊みたいな人に、いざという時はあんな強い一面があるなんて思わなかった。

 

「だから言ったろ、絶対助けるって!」

 

ざまーみろと言わんばかりの笑顔を浮かべて、圭一さんが私の頭をわしわしと撫でる。風にいじめられたせいでもうとっくにぐしゃぐしゃだった髪が、さらに手のつけられない状態になった。

 

「もぅ……レディーの扱いが、なってませんのことよ」

 

口を尖らせてそう文句を言ってやったら、呵々大笑した。

 

「どこにいるんだよ、そのレディーってやつは!」

 

本当に失礼で、心の底から楽しそうに笑う人だ。

 

橋の向こうに車の停まる音が聞こえて、下りてきたのは診療所の鷹野さんだった。

 

「沙都子ちゃん、大丈夫!?」

 

村の人たちからは美人だけどちょっと変わった趣味でとっつきにくいところがあると思われている人だけど、私にも分け隔てなく接してくれるから嫌いではなかった。

 

「鷹野……あぅあぅ、沙都子を診てあげて欲しいのです」

 

羽入さんが言うと、鷹野さんは微笑みながら頷いて私のそばにしゃがみこむ。

 

軽く触診らしきことをしてから、くすりと笑みをこぼした。

 

「すこしお熱があるみたいね。念のため、お注射しておきましょうか」

 

「え、えぇ?……へ、平気ですわよ」

 

泣いて嫌がるほど子供ではないつもりだけど、やっぱり注射は好きじゃない。

 

「だぁめ。くすくすくす! こんな状態で走り回ったら、疲れが出るのも当然よ」

 

疲れ?……あの凶暴な気分が、鬼が取り憑いたかとさえ思った暗い衝動が、ただの疲れなんかで説明できるはずがない、と反感を覚えたけれど、鷹野さんは私の都合なんかお構いなしに手際よく注射をすませてしまう。

 

「うぅぅ……」

 

痛みは一瞬だけど、それでも嫌なものは嫌だった。

 

「はい、おしまい。えらいわ、沙都子ちゃん」

 

くすくすと笑いながら撫でられて、ついいつもどおりのむくれた表情を作ってしまう。

 

「子供扱いはよしてほしいですわ」

 

「うふふ、ごめんなさいね。……本当は、診療所に寄って欲しいのだけど、お友達も心配してるでしょうから」

 

私の事情をわかってくれているからだろう、鷹野さんは『お家の人が』とは言わなかった。そう、あいつらは私を心配したりなんかしない。家の中で私を本当に気遣ってくれるのはにーにーだけ。

 

「そのかわり、明日は必ず診療所に来ること。朝一番の予約をとっておくわ」

 

朗らかに命令されてしまって面白くないけれど、お医者さんの指示ならあいつらだってそうそううるさいことは言わないだろう。

 

「……わかりましたわ。ご迷惑をおかけしましたわね」

 

「どういたしまして。つらいときはちゃぁんと診療所をたよってくれないと駄目よ。それこそ、お兄さんやお友達がいっぱい心配しちゃうでしょう?」

 

つん、と私のおでこを人差し指でつついて鷹野さんは立ち上がった。

 

圭一さんの怪我の手当と、なにか羽入さんに小さな声で指示らしきことをすませてから、手を振りながらその場を立ち去っていく。

 

「いまの人、看護婦さんなのか?」

 

「はい。入江診療所の、鷹野三四というのですよ」

 

圭一さんは、まだ診療所のお世話になったことがないらしかった。

 

2年前に入院して以来常連となっている私にしてみれば、羨ましいかぎりだ。

 

「ほら、沙都子。家までおぶってやるよ」

 

圭一さんが私に背中を向けてしゃがみこむ。

 

「な……なっ! あなたという人は……ど、どこまでレディーを子供扱いすれば気が済むんですの!?」

 

思わずもう一度橋から突き落としてやろうかと思うくらい失礼な話だった。

 

「あぅあぅ♪ 圭一の好意に甘えるといいのですよ、沙都子」

 

さっきまではぴーぴー泣いていたくせに、もういつもどおりのほわほわした笑顔で羽入さんが勧める。

 

「お、お断りしますわ! 羽入さんがおぶさればいいじゃありませんの」

 

「あぅ?……それも素敵ですが、いまは沙都子がお病気なのですよ」

 

天然キャラは皮肉が通じないから困る。

 

「いいからさっさと乗れよ。さもなきゃ、無理矢理お姫様だっこして村の中を練り歩くぞ」

 

「ひぃぃっ!?」

 

なんという脅迫、それだけは勘弁して欲しい。

 

「あぅあぅ♪ それもロマンチックだと思うのです」

 

羽入さんなら平気なばかりか喜びそうだけど、私の感覚ではお姫様だっこに比べたらおんぶのほうがずっとマシだった。

 

「……し、仕方ありませんわね」

 

しぶしぶ圭一さんの背中におぶさる。

 

にーにーとかわらない、広くてあたたかな背中。

 

「うぉ、重いぞ沙都子!?」

 

わざとらしく驚いたような声をあげておおげさによろめきながら立ち上がる。

 

「むっきぃぃぃ、無礼千万ですわね!?」

 

仕方ないので、圭一さんの望む方向に付き合ってあげることにした。

 

「ぐぉぉ、よせ沙都子、首を絞めるなっ!?」

 

それを見ながら、羽入さんが声をたてて笑う。その楽しげな笑い声につられるように、私と圭一さんも笑い声をあげていた。

 

さっきまでの『殺される』、『殺すしかない』と思いこんでいた時間が嘘のように、すこし前までの平穏を取り戻せたような気がして、とても気分がよかった。

 

「……♪」

 

私たちの横を歩く羽入さんが機嫌よさそうに小首を傾げるだけで、いまがとても幸せなひとときだと実感できる。こんな近くにある温かなものを、どうして私は簡単に見失ってしまうのか……それが不思議でしょうがない。

 

でも、すこしだけ憂鬱な気分が入り交じる。

 

お使いに出かけたのに途中で逃げてしまった。あの女はきっと耳障りなキンキンする声で私を叱りつけるに違いない。服も汚れてしまったし、ねちねちと嫌味を言われて、きっとまた泣かずにはいられなくなる。

 

私の家族は、あいつらなんかじゃない。……にーにーと、この温かな時間をくれる仲間たちだけ。あんな家、帰りたくない。にーにーと二人で飛び出してしまえたら、どんなに気分がいいだろう。

 

「ぁ……」

 

……どうして、忘れていたのか。

 

小径の向こうからやってくる、見慣れた忌々しい顔に息を呑む。

 

今日のお使いはあの女じゃない、あいつに頼まれた煙草だった。煙草屋さんにいやな事を言われて、売ってもらえなくて……それで逃げ出したんだった。

 

「沙都子ォ! 煙草ひとつ買うのに何時間かかっとるんね!」

 

突き刺さるような怒声に、さすがの圭一さんもわずかに怯んだ様子を見せる。

 

私は慌てて、そのあたたかな背中から下りた。

 

「す、すいません叔父様、煙草が、その……売り切れていて、買えなくて!」

 

頭を下げて、怒りが最小限で済むように祈るしかない。

 

「はぁ~ん?」

 

私の答えに苛立った様子で、空になった煙草の箱をぐしゃりと握りつぶして、ずんずんと近寄ってくる。

 

「そんで、別の店に買いにも行かずにこいつらと遊んでたっちゅうんね!」

 

「す、すいませんすいませ……えっ!?」

 

叔父は私を無視してその横を通り過ぎ、まるで邪魔な障害物をどけるみたいに無造作に拳を振るった。

 

「がッ!?」

 

さっき頭を怪我したばかりの圭一さんに、それが避けられるはずもなかった。

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