村の中を走り回っても走り回っても見つからなくて、もう沙都子に会えないんじゃないかと思い始めていた。僕らにとっては敵ばかりの村で、沙都子の行方を尋ねてまわれるわけもなくて、自分の目で沙都子の姿を見つけるしかない。圭一も魅音もレナも梨花ちゃんも羽入ちゃんも必死で探してくれているけど、たった数人の仲間たちだけで村中を探し回るなんてほとんど不可能で無意味なことだと気づいていた。
神様……、オヤシロ様、どうか沙都子を、僕の妹を奪わないでください。
オヤシロ様の掟に背いて、村を捨てようとした両親を奪っただけじゃ飽き足らず、なにもしていない沙都子まで僕から奪うのはお願いだからやめてください。一度ならず村と沙都子を捨てて逃げ出そうなんて思ってしまった僕が罪を犯したというのなら、沙都子じゃなくて僕を消してください。
いつもあんなに泣いている沙都子に、これ以上過酷な運命を背負わせないでください。
何度目かに商店街へ入り、魅音の姿を探して視線を走らせる。でも僕が魅音を見つける前に、魅音のほうが僕を見つけてくれていた。
「こっちこっち! 沙都子、見つかったよ!」
僕が来るのを待っていたのか、手を振りながら飛び出してくるなりそう言った。
「ホント!?」
「うん、さっき鷹野さんが来てくれてさ。玉子川の吊り橋んとこで、圭ちゃんと羽入が見つけたんだって! いまは二人が家に送ってくれてるらしいよ」
もし自転車に乗っているのでなければ、安堵のあまりそのままへなへなと座り込んでしまったかもしれない。沙都子はもうしばらく前から泣く気力さえないのか、虚ろな表情をするようになってしまって……二年前、目と鼻の先で両親が死んで入院していた頃とそっくりな、心が疲れ果てた様子だったから。
無事に見つかったいまだから言えるけど、衝動的にこの敵ばかりの村から逃げ出してしまったり、最悪自殺してしまってもおかしくないと思っていた。
「よかったね、よかった、ほんとに……!」
僕はよほど安心しきった顔をしてしまったのだろうか、魅音は自分まで半分泣きながら僕の両肩を支えてくれた。魅音には、本来彼女が負うべきでない責任まで背負わせて、どうして助けてくれないのかと酷いことばかり考えてしまっていた気がする。
「う、うん……本当にありがとう、魅音。レナや梨花ちゃんにも、僕がありがとうって言ってたって、伝えてくれるかな……」
そのせいで彼女が思い詰めて、事実上村の三役だったのにドロップアウトさせてしまったのかもしれないと思うと、本当に申し訳が立たなかった。魅音はこうして、苦しいときにはちゃんと力を貸してくれる、かけがえのない仲間だっていうのに!
「うん。伝えておくからさ、早く行ってあげて。きっと沙都子、寂しがってるよ」
とても優しい笑顔でそう言ってくれた。
普段はわざとおちゃらけて見せているけど、やっぱり彼女は素敵な女の子だと思う。
「あと、鷹野さんによるとすこし熱があるみたいだったって。今日はいいけど、明日は朝一番に診療所につれてきてねって伝言だよ」
「うん、わかったよ! ありがとう魅音、それじゃまた明日!」
もう一度頭を下げてから、僕は自転車を走らせた。
圭一と羽入ちゃんにも、お礼を言わなくちゃ。
特に羽入ちゃんは、今週の綿流しのお祭りで奉納演舞をしなくちゃいけないことになっていて、その上魅音が抜けた分までお祭りの準備も取り仕切らなきゃいけない立場で、とても忙しいはずなのに。
レナと梨花ちゃんにも、明日学校で会ったらしっかりお礼を言おう。
きっと大丈夫、僕らはちゃんとやっていけるはず。
今週には綿流しで、魅音は露店めぐりをしながら部活の拡大版をやるんだって張り切ってた。勝負ごとが好きな沙都子もきっと燃え上がるに違いないし、圭一も対抗してとんでもなく熱い対決になるだろう。
来週には僕と圭一にアルバイトのお給料が出て、一緒にあのぬいぐるみを買いに行く。
沙都子に誕生日おめでとうって渡したら、どんな顔をするだろう。欲しかったはずの大きなぬいぐるみ、でも絶対に手に入らないと思っていたぬいぐるみ。
僕がこのひと月くらいあんまり構ってあげられなかった理由がそれだって聞いたら、逆に怒り出しちゃうかもしれないなぁ。
でも照れながら怒る沙都子はきっと可愛いだろうな。レナならはぅ~、お持ち帰り~って言い出すかもしれない。圭一だって言うかもしれないな。そしたらきっと沙都子のトラップが炸裂して、圭一とレナと、それからなぜか僕の上からタライが降ってくるかも。
そんなみんなとの楽しい思い出が詰まったぬいぐるみだから、きっと沙都子の支えになってくれる。壊れそうなとき、泣きそうなとき、ふかふかのぬいぐるみに抱きついて沙都子が元気になってくれたらいいな。
うん、きっとそうなる。
そうしたら僕らは、圭一や魅音たちともっともっと騒がしくて楽しい日々を過ごせるようになるんだ。沙都子の誕生日まで頑張れば、きっと新しい毎日が始まる。絶対に。
……でも。
これはいったい、誰のどんな罪に対して、誰が下した、どんな罰なんだろう。
「圭一、圭一、すぐに……すぐに、入江が来てくれますのです……圭一ぃ……」
羽入ちゃんが泣いていた。
血まみれでぼろぼろの圭一を抱きしめて、自分の蹴られた背中も構わずに泣きじゃくっていた。
誰が犯人かなんて、考えるまでもなかった。
羽入ちゃんにまで手をかけるような罰当たりは、この村に一人しかいない。
「悟史……、沙都子のところへ、早く行ってあげてください。叔父に連れていかれてしまったのです……!」
羽入ちゃんは僕に気がつくと、泣き濡れた顔で必死にそう言った。
あぁ、……頭がおかしくなりそうだ。
あの人は、いったいどこまで僕らを苦しめるつもりなんだ?
僕にとってははじめてできた、大親友の圭一を傷つけて。
ご両親をなくしてもけなげにほわほわした笑顔を絶やさず、いつも沙都子やみんなを支えてくれた羽入ちゃんを泣かせて。
そして慌てて帰ってみれば、具合を悪くして思い詰めた挙句に逃げ出し、圭一たちがようやく連れ帰ってくれた沙都子を身じろぎさえできないくらいに打ちのめしていた。
「煙草ぉ買ってくるんね! ええかげんこのメスガキ、きっちり躾けとけやぁ!」
いつも泣き虫で甘えんぼだけど、それでも僕は知っている。
この状況こそが異常なだけで、この家の大人二人が許されないほどの仕打ちをしているだけで、沙都子は本当はとても強い心の持ち主だって知っている。僕がいないときはいつだって耐えて耐えて耐え抜いて、僕やみんなに迷惑をかけてしまったと嘆いてばかりの、妹の年齢に相応しくない強さをわかっている。
なのに。
その沙都子の目が、もう完全に死んでしまっていた。
とても気丈な沙都子の心が、目の前で大切な友達を傷つけられ、心無い暴力を叩きつけられて、歪んでひしゃげてしまっていた。
助けられなかった。
間に合わなかった。
小さな妹が絶望の淵へと追い込まれる瞬間に、僕は手を差し伸べてあげられなかった。
「悟史ィ……、お前が甘やかすから、こんガキがつけ上がるんね!」
怒りのあまり血液が沸騰するなんて、文学的な表現に過ぎないと思っていたけど、このときばかりは本当にその感覚を味わった。
でも、何もできなかった。
「ぐ……、うぅ」
「親に向かってなぁんくっそ生意気な目をしとるん、誰のおかげでメシ食ってるんか、わかっとらんのぉ、悟史!」
狂おしいくらいに憤りながらも何も言えない僕の心まで折ろうと、叔父さんは得意の暴力を叩きつけてきた。そのとき僕ははじめて、叔父さんを、なんてつまらない男だろうと軽蔑した。哀れにさえ思った。こうやって他人を力でねじ伏せて、下に置くことでしか自分を保てない、図体のわりに気の小さい男だ。
こんな奴と比べるのも失礼だけど、圭一の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
圭一は圭一が自分で思っているよりも、ずっと強靭だ。
かつての自分が間違っていたことを認めていて、僕やみんなの力になることで自分の正しさを取り戻そうと必死で足掻いている。人は間違えないことが大事なんじゃなく、そこからどう立ち上がるか、くじけずに強さを求め続けることができるかが大事なんだと、圭一を見ていると信じられる。
圭一は年下だけど、どうせなら彼のようになりたいと、ひそかに憧れているくらいだ。
「……まぁた出ていきよったんね、あの宿六! この子みたいな役立たずに買い物なんかさせるほうが悪いんよ、釣り銭でも誤魔化すんがオチやんねぇ」
そして、あんな愚かな男の愚かな暴力を黙って見過ごしたばかりか、沙都子がとっくに壊れきってしまったことにも気づかずに自分のストレスを転嫁しようと、浅薄に過ぎる言葉のナイフを投げつけていい気になっている叔母さんにも呆れ果ててしまう。
「いつまでぼさっと寝とるんね、お手伝いする気もないんかぃ、相っ変わらずいらん子やなぁ、あんたはもぅ!」
女性は本来すべからく、本能として他者を慈しみ労わる優しさを宿しているはずなのに、まるで彼女の心にはその基本的な機能が備わっていないかのように、ただ自己の不平不満を自分よりも弱い沙都子の心を手酷く切り刻むことで和らげようとする。
「叔母さん……、僕が、やるから。沙都子は、熱があるから休ませるようにって、診療所の鷹野さんに言われてるんだ」
魅音やレナ、羽入ちゃんや梨花ちゃんよりもずっと長く生きているくせに、彼女たちの足元にも及ばない。その上、そのことを自分自身気づいてさえいないのだ。あんな下衆な男しか捕まえられない上に浮気までされてるのは、完全に彼女自身の欠陥が原因だろう。
「あら、そうなんね。どうせまだ大げさ言うとるんに、あの人も付き合いがえぇんねぇ。くっさい香水ききすぎて、頭わやぁなっとるんちゃうかねぇ」
こんな心まで醜悪な女に僕の可愛い妹、大切な沙都子をこれまで好き放題に切り刻ませてきたのかと思うと、兄としてあまりにも至らない自分に眩暈さえしてくる。
「熱あるんならしゃあもないん、沙都子奥に寝かせてきぃ。どうせ食欲もないやろ、そのまんまぐうたら寝とったらえぇわ。悟史、あんたはさっさと戻ってきてご飯食べな、片付かんね。あぁあぁ、この家で苦労すんのは、いっつもあたしばかりやんねぇ」
……そう、もっと早く決断しなければならなかった。
母の最後の再婚相手となった北条の父は、強面ではあっても物の道理を弁えた大人の男で、ただ母を愛していただけでなく僕らのことを真剣に家族として思いやってくれていた。
最後まできちんと伝え切れなかったとはいえ、度重なる再婚と離婚の繰り返しで傷ついた沙都子の傷口をちゃんと理解したうえで、それを癒してあげたいと望んでくれていた。
そういう父の弟夫妻だったから、世間的にはあまり尊敬される人たちじゃなくてもきっとどこかに良い所があるのだろう、いつかは沙都子のこともちゃんと可愛がってくれるに違いないと自分に言い聞かせていままで耐えてきた。沙都子にも我慢しようと言ってきた。
でも、それは全部間違いだった。
「沙都子、行こう……痛かっただろう、ごめんね。すぐに来てあげられなくてごめん」
いくら書類上は僕らの親になる権利を持っていても、彼らのような未熟な人間に人の親など務まるわけがなかったのだ。社会が彼らのような人間を受容するのは仕方のないことであっても、そんな出来損ないの大人に親でございという顔をされて振り回され、犠牲にされる僕らまでが受容しなければならない理屈はない。
「ごめん沙都子、ほんとうにごめん……助けてあげられなくて、ごめんね……」
そして社会は僕らの人権を好き勝手に土足で踏みにじる彼らの権利を、親だというだけで保護している。被害者である僕らの権利はちっとも守られていないのに。
社会が僕らを救ってくれないというのなら、言うまでもない。
僕自身が立ち上がらなければいけなかったのだ。
そんな明白な結論を今日まで先延ばしにしてきたことは恥じ入るしかない事実だ。
「……片づけが終わったら、ヨーグルトを持ってきてあげるから、だから、だからもう、泣かないで、沙都子。ヨーグルト、好きだよね。すこしだけ、ひとりで我慢できるね?」
幸いと言ってはいけないけれど、この村には一年に一度だけ、誰かが死んで誰かが消えることを祟りのせいにしてしまえる日がある。あとたった数日の後に、その日はやってくるんだ。
なんて皮肉だ。
祟りに両親を奪われ、苦しめられてきた僕が、自ら祟りを起こそうとするだなんて。
僕はレナの、魅音の、圭一の、羽入ちゃんの、そして壊れてしまった沙都子の仇を討つ。
それは僕にとって、とても悲しくてつらい試練になるだろう。
いまはもはや憎悪と憐憫しか抱くことのできない人たちだけれど、2年の間一緒に暮らしてきた家族をこの手で撲殺しなければならないのだから。
「ひとりぼっちで怖かったよね……痛かったよね、沙都子。僕は、僕は……うぅう……!」
ああ、神様。いや、誰だって構わない。僕に人殺しをする以外の方法でこの致命的で恐ろしい間違いを正せる道が本当にあるというなら、今すぐ教えてほしい。わずかな味方しかもたない僕らに、話の通じない人間を平和的に排斥できる魔法があるなら授けてほしい。
でも、それはきっと無理な相談だろう。
「うぇぇ、うぁ、うぅぅ……にーにー、にーにー……!」
人間は有史以前から、戦って勝ち取るよりも手っ取り早くて確実な手段をいまだに編み出せていないのだ。いつだって誰だって、それが悲しいことだと知りながらも、その手段で手に入れたものを自分の権利だと声高に主張してきたのだから。
「沙都子、すこしだけ、すこしだけ我慢してね……」
そう、あとすこしだけ……。
僕が彼らを抹殺するまで、待っていて。……沙都子。
決行を前に、決めなければいけないことがある。
まっすぐな殺意は、きっと刃よりも強力な武器になる。
でもそれは、逆を言えば殺意に寸分の迷いや曇りでもあれば、殺すのに失敗してしまいかねないということ。
僕は自分が決断力に乏しくて、すぐに甘さを思い出してしまう弱い人間だということをよくわかっているつもりだ。順調に進んでいても命乞いをされたり、怯えたような表情でも見せられれば躊躇してしまいかねない。
叔母さんならばともかく、それはあの喧嘩慣れした叔父さんに対しては致命的な隙になり得るだろう。
それを防ぐには、正面きっての戦いを避けるのが一番いい。
すなわち、背後からの奇襲だ。
僕にとってもっとも有利に戦えるのは少年野球で使い慣れた金属バットだという確信がある。もちろん冷静に考えたら自分の愛用のバットを使うのはまずいから、それは前日までになんとか調達するとして……鈍器を振り回すのに必要なスペースも考え合わせれば、邪魔の入りにくい家の中で殺すのはちょっと無理がある。やはり、外におびき出すしかない……か。
まずは……、叔母を誘い出す。
この前、家の近くの粗大ゴミ置き場に叔母さんが興味を持ちそうな机があったからあれを囮に使えばいいだろう。そして、引き出しをのぞきこんだところで背後から一撃で頭蓋を叩き割る。あんな哀れな女だ、せめて最後くらいは苦しまずに死ねるように祈ってやろう。
そして確実にとどめを刺したら、次は叔父さんの番だ。
いったんバットを隠して、叔父さんを呼びに行く。叔母さんが大怪我をしてしまったと言えば、多少面倒くさそうにしても、一応出てくるだろう。
僕は救急車を呼んでから行くといって背後をとり、叔父さんが叔母さんの死体を発見したその瞬間を狙い澄まして殴りつければいい。さすがに連れ合いが無惨な死体になっていれば誰だって動揺し、一瞬の思考の空白が生まれるに違いない。
そうして叔父さんを殴り殺したら、道の反対側、沢にでも死体を投げ捨ててしまおう。
本当はどこか離れた場所に埋めて、完全にその存在を消してしまいたいが……あの場所は一応往来だ、祭のために人通りが少ない時間を狙うとはいっても、僕に叔父さんの死体を運ぶだけの時間が許されるとは思えない。
となれば、不完全ではあっても一人が死に、一人の死体がしばらくの間見つからなければそれでいい。それは立派な、オヤシロ様の祟りとして扱われるはずだ。
もし僕が疑われても、のらりくらりと逃げ続ければ、沙都子の誕生日まではなんとか逮捕されずに済ませられる。
叔父さんも叔母さんもいなくなって、あのぬいぐるみがあれば……沙都子の笑顔も、いつかは戻って来るだろう。もしも僕がその場にいなくても、圭一や魅音たちが、みんなが沙都子を支えてくれるに決まってる。
「信じるからね……圭一」
僕は呟いて、バットを握りしめた。
さぁ、取り戻しに行こう。
祟りの名のもとに奪われた、僕らの幸せに過ごす世界を。
無慈悲に踏みつけられ、砕けてしまった優しい時間を。
悲しみに流す涙じゃなく、皆と分かち合う微笑みを。
この罪深い決意が、間違いじゃなかったと思える日々を。
……そして、決行の日はいよいよ明日。
凶器の金属バットは、ダム現場で苦労して見つけることができた。
お祭りの途中で、魅音たちに沙都子を任せて家に戻る口実も用意した。
もう誰も、僕の祟りを止められない。
明日は綿流しのお祭り。
殺人さえも許される、年に一度のハレの日だ……!