ばん、と音を立てて白球がミットに吸い込まれ、フォアボールが宣告される。
「むぅ……」
……さすがに、これは悔しがってもいい場面だろう。
打率の高さで雛見沢ファイターズの4番に置いてもらっているというのに、僕の打順を前にあからさまな敬遠とは。興宮タイタンズの監督はこれまでの経験から、塁を埋めてでも次の僕で打ち取る策できたということだ。
確かに僕はチャンスに弱い。
いざというときには打てずに終わるのがいつものパターンだと言われれば、返す言葉がまったくない。どうでもいいときは結構打てるのだから、それは技量というよりも精神的な問題が大きいという自覚はある。
でも自覚したからといってすぐに解決できるようなら、そもそも問題ですらないわけで。
「あぅあぅ、頑張るのです悟史ぃー!」
「かっとばせぇー、さ・と・しぃー!」
バッターボックスへ向かおうとした僕に、本日の我が雛見沢ファイターズが誇るチアリーダー2名からありがたい声援が飛ぶ。……試合も終盤なのに、二人ともまだ真っ赤なのは無理もない。ちょっと足を上げただけで……その、見えてしまいそうな短い丈のスカートは精神的ダメージが大きいに違いない。羽入ちゃんはもちろん……圭一は特に。
なにかどこからか僕の罰ゲームを期待する電波が送られてきた気もするけど、ここは圭一の可憐といっていい姿で我慢してほしい。
男子としてはやや長めの髪を両サイドでまとめて、短めのツインテールに細い黄色のリボン。健康的に日焼けした肩と腕、白いソックスに包まれた両足、そのきめ細かな肌の瑞々しさだとか、恥じらいながらも声をあげる必死な表情なんかは……うん、レナや監督ならずとも見とれてしまいそうな可愛らしさだ。
実際、この校庭にいる人の半数くらいは圭一が男の子だとはいまだに気づいていないかもしれない。僕もよく魅音とかに言われるけど……あそこまで女装が似合うのは、なにかの特殊な才能だとしか思えない。
もちろん隣の羽入ちゃんも、運動神経のせいか動きはバラバラだけど一所懸命にやっているのがわかるから逆に可愛い。角が隠せるように大きな白いリボンを結びつけていて、飛び跳ねるたびにそれが動くのはなんとも言えず微笑ましいし、その身体全体の細いけれど緩やかに丸みを帯びたシルエットは……見る人の趣味にもよるけど、絶妙のバランスじゃないだろうか。
ちなみにあの日の部活では魅音が僕と圭一に猛烈な攻撃を加えてきて、同盟を組んだ梨花ちゃんと羽入ちゃんがそれに便乗する形で僕らを追い込んできた。まわりの流れに関係なく執拗に梨花ちゃんと羽入ちゃんを追い落とそうとしていたのがレナで、最後の最後、その攻撃に対して姉を裏切る形で突き落とした梨花ちゃんの策略によりビリが羽入ちゃん、そして僕と圭一は僅差だったけどかろうじて僕が逃げ切る形となった。
なんというか……渡る部活は鬼ばかり、という気分だったのは間違いない。
「圭一、見ててね。君のために打ってくるよ」
「よ、よせよ悟史……。みんな、見てるだろ」
思わず足を止めて二人を見つめていたら、魅音とレナに妙なアフレコをされてしまって、梨花ちゃんやチームの皆がどっと笑う。
「だぁあー、なんだよその点描飛ばしかねないノリは!」
さすがに圭一が憤慨して、二人にビシッと指を突きつける。
「わかってねぇ、全然わかってねぇ! そこはもっと、……こうだ! 悟史!」
アイコンタクトを送られて、いいのかなぁという気もするけど圭一の希望どおりの流れでいくことにする。
「圭一、教えてあげるよ……君は結局、僕なしじゃいられないってことをさ」
「そいつはこっちの台詞だろ。やってみろよ、悟史……俺は、高くつくぜ?」
恥ずかしそうに見つめ合うラブコメ路線では生ぬるいとばかりに圭一が提示するのは、互いが主導権を握ろうと不敵な笑みを交わし合う、危険な火遊び系のノリだった。
「ちょ、二人ともそれって……!?」
「はぅ、お肌にツメ立てそっ……☆」
魅音とレナが顔を赤くしつつへなへなとベンチに撃沈していく。
その隣ではなぜか梨花ちゃんが余裕の笑みで、
「ふふ、面白いけどまだまだね圭一……くすくすくす!」
などとのたまっているから相変わらず得体が知れなかった。沙都子、戻ってきてもみんなに染まっちゃダメだからね。……僕はもう、ちょっぴり汚れてしまった気がするけど。
とにかく、わけのわからない遣り取りでずいぶん緊張のほぐれた僕はバッターボックスに入る。苦手なこの場面で自然と力が抜けているのは……みんなのおかげかな。
ふりかぶったピッチャーの表情を見れば、その思考が手にとるようにわかる。
ふざけた僕らの目を覚ましてやるとばかりに、初球は得意の速球をど真ん中へ……!
僕はただタイミングを合わせて、インパクトの瞬間に最大の威力を叩きつけるだけだった。
快音が響き、白球が野手の頭上をまっすぐに飛び越えていく。
「やったぁぁぁぁぁ!」
「さとしぃぃぃぃぃ!」
雛見沢ファイターズのベンチから大きな歓声があがる中、僕はバットを転がすとゆっくりとダイヤモンドを回るのだった。
結局、それが決勝点だった。
「いや、お見事でした! 今後もぜひ応援に来ていただきたいものです!」
戦勝を祝うバーベキューパーティの席で、監督は上機嫌を絵に描いたようだった。
ここしばらくは負け続けだったから、監督として鼻が高いらしい。
「もう勘弁してください……」
試合終了でようやく着替えることを許された圭一が、げっそりしながら言う。その隣では同じく普段着に戻った羽入ちゃんが、甲斐甲斐しく料理を圭一の口に運んでいた。
「圭一、これはちょっと熱いのですよ~」
「はふはふ……ン、美味いぞ!」
「あぅ、よかったです~」
串焼きがメインなんだから、左手でも食べられると思うんだけど……二人とも気づいてないみたいだし、ある意味幸せそうだからあえて指摘しないことにする。一緒に暮らしているせいだろうか、ときどき二人が夫婦のように見えてしまうくらい仲睦ましげな様子は見ているこっちが恥ずかしくなる。
「監督、沙都子にも1、2本持ってあげていってもいいですかー?」
「ええ、そうですね。沙都子ちゃん、きっと喜びますよ」
魅音は沙都子のために手土産を用意してくれているらしい。病室で今日の話を面白おかしく話しながら一緒に食べるつもりなんだろう。沙都子はまだ外の世界に怯えているけど、そこに楽しいことが待っているんだって教えてくれるのは本当にありがたいことだった。
「魅ぃちゃん魅ぃちゃん、今日はレナも一緒に行ってもいい?」
「いいよ~。ただし沙都子をお持ち帰りぃ~はダメだからね!」
「あはは、ざんねん~。パジャマの沙都子ちゃんかぁいいのに~☆」
レナも沙都子のこと、いや仲間全体のことを気にかけてくれているのがよくわかる。
本当に……僕たち兄妹は、いい友人に恵まれたのだと今になって実感する。
いまだに村ぐるみの無視という状況は変わっていないけど、商店街では以前ほどあからさまに意地悪をされることはなくなってきたように思う。両親に加えて今年の祟りで叔母さんが亡くなり、唯一の保護者となった叔父さんは家を放り出して姿をくらまし、そして沙都子は塞ぎこんで診療所の病室に閉じこもってしまったいま、ひとりぼっちの僕につらく当たり続けるほどには雛見沢の風も冷たくはないということだろうか。
「……梨花ちゃん、どうしたの?」
ひとりだけすこし離れたところでお皿をつついている梨花ちゃんに声をかける。
「みぃ……ちょっと、考え事をしていたのです」
梨花ちゃんはそっと視線を上げて僕を見る。
「……圭一から聞いたかもしれませんですが、僕の予言は、半分当たって半分はずれてしまったのです」
「え?」
なんのことだろう、圭一からそんな話をされた覚えはない。
「今年は叔母が祟り殺され、悟史が鬼隠しに遭って消える……そういう予言でした」
「……ッ!」
自分が消えるはずだったなんて聞かされて、冷静でいられる人間はいない。
確かに一度は、それも覚悟した。叔父さんと叔母さんをこの手で殺せば、今年か来年か、いつになるかはわからないけど僕の順番がまわってくるだろうと考えていた。
でも、村でも予言の力があると噂される梨花ちゃんの口から、本来僕が消えていたはずだと聞くのは意味合いが大きく違った。
「む、村の人たちは……なんて言ってるの? やっぱり、僕か叔父さんが消えるべきだったって噂してるのかな……」
できる限りの勇気を振り絞って聞くと、梨花ちゃんはにこっと笑ってみせる。
「悪いほうに考えないでください、悟史。悟史や沙都子が消えなかったことを喜んでいる人はいても、消えればよかったなんて思ってる人は村の中に一人だっていませんのです」
本当だろうか。……いや、そうかもしれない。村の人たちの視線にこめられているのは同情や憐憫、決して僕が消えていないことを訝しむような様子はないはずだ。
「皆にはわからないことですが、……消えたのは別の人です」
そこですこしだけつらそうに顔を伏せる。
「別の人……? 梨花ちゃんの知ってる人なの?」
すくなくとも僕の知っている限りでは、雛見沢の住人が行方不明になっているということはない。だとすれば興宮かどこかの、雛見沢と関係のある誰かが……?
「はい……ボクも、気づくのが遅すぎました。いまはその傷口は隠れていますが、いずれじわりじわりと痛み出す……それが、ボクたちにとっての致命傷でないことを祈るばかりです」
彼女の言葉はなにか深遠な意味が含まれていると直感でわかったけど、僕にはどうしようもない。梨花ちゃん自身、僕にこうして話しているのは何かをどうにかしてほしいという意図があるのではなく、彼女の中で考えを整理しようとしているのかもしれない。
でも、……聞かずにはいられなかった。
「梨花ちゃん……、ひとつだけ、教えてほしい」
「…………」
すっと梨花ちゃんの表情から無邪気さというものがひとかけらもなくなる。
それはたぶん、彼女の素顔。それだけ真剣に、僕の話を聞いてくれるという意思表示だ。
答えてくれるとは限らない。彼女がそれを知っているかどうかもわからないし、知っていたところで僕に話してくれる保証もない。
それでも、知りたかった。
「鬼隠しで消えた人は……どうなるの? 死んでしまうのか、この世から消えてしまうのか。それとも……本当にどこかに隠されているだけで、帰って来られる場合もあるのか」
僕の問いを最後まで聞き届けた梨花ちゃんは、目を閉じてしばらく黙り込む。
それは神託を受ける巫女の横顔にも……悲しみが通り過ぎるのを黙して待つすべを身につけてしまったそのことを悲しむ、疲れきった老人の横顔にも見えた。
「……いままでに消えた人は皆、この世を去りました。でも、今年の祟りで消えた人はきっとまだ生きています。その人がボクたちの世界に帰ってこれるかどうかは、その人の意志と、ボクたちがその日を信じられるかどうかにかかっていると思います」
つまり……隠されているだけ。
彼女がそれを僕に告げる意味は、明白だった。
予言どおりに僕が消えてしまった場合には、その人と同じ運命をたどっていたということなのだろう。そして彼女の予言と、あの夜に圭一が僕を止めた理由を重ね合わせれば……浮かび上がるひとつの事実。
僕がそうするはずだったように、消えてしまったその人が、叔母さんを殺した人間である可能性が高い……ということ。
「……僕は、信じるよ」
「悟史……」
それはきっと、いまここにいる北条悟史の義務だ。
「僕にはその人が誰なのかわからない。でも、彼か彼女かが沙都子のために流してくれた涙は偽りじゃないし、戦ってくれた事実は無駄でもない」
いつかその人が僕らの世界に帰ってこられるように、僕はきっと祈り続ける。
「やり方が間違っていたからって、その想いまでが間違っていたなんて思わない。だから……その人に『ありがとう』って言える日がくることを、信じるよ」
梨花ちゃんは一瞬泣き出しそうな瞳をみせたけど、すぐに微笑みに変える。
「悟史がそう言ってくれるなら、きっとその人も喜ぶと思うのですよ。にぱ~☆」
そして想いを馳せるように、遠い空を見つめる。
「ボクも信じます、悟史。この痛手は大きいけれど、きっとボクたちをもっと強くする。だから誰もこの世界から欠けたりしない、また全員が揃って笑える日が来るのです」
小さな拳を握り締め、その小さな身体に覚悟と決意をみなぎらせる。
その瞳に宿っているのは……圭一と同じ色をした炎だった。
たぶん、僕の胸にも同じ強さで、同じ炎が静かに燃えているはずだ。
火付け役とはよく言ったものだ。
あの激しい嵐の中で一度は消えかけたものを、圭一の咆哮は再び熱く燃え上がらせた。
あれが僕たちの敗北だったことを認めよう、その事実を胸に刻もう。
でも、もう負けはしない。
僕たちは一人じゃない、かけがえのない仲間がいる。
どんな嵐が再び僕たちに襲いかかろうとも、今度は決して負けはしない。
だからその日まで、隠されている誰かや、道に迷っている沙都子が帰りつけるようにこの暖かい場所を守っていこう。
「ところで魅音さん、次の応援時の衣装にリクエストがあるのですが……!」
監督の必要以上に熱のこもった声に、僕と梨花ちゃんは顔を見合わせる。
「……はー、一応お聞きしましょうか」
「メ・イ・ド! 当然、メイド服です。そもそもメイドとは、ご主人様の生活を支え、ひいては職務を支え、さらには戦場に赴くその背中を守る者でもあるのです。即ち、メイド服こそが誰かを応援するのに最も相応しい最強の装いであることは、もはや疑いようもない事実!」
きらーん☆と眼鏡を光らせて高らかに宣言する監督。
そこに、低い笑いが割り込んだ。
くっくっくと目を閉じて笑みをこぼしているのは……やっぱり圭一だった。
「む……、なんです前原さん。まさか異論があるとでも?」
「……笑止! 笑止千万だ、そんな理屈は詭弁に過ぎん!」
まるで荒野の戦場に立っているのかと錯覚するくらいに威風堂々たる構え。
「なっ!?」
「メイドさんの応援? そりゃあ確かに心ときめくよな。だが思い浮かべてみろ、メイドさんが両手にポンポンを持って足を高々と上げて、どこが嬉しいんだ!? 嬉しくないだろ、そりゃあメイドさんの役割じゃないからだ。俺なら魅音にこう頼むぜ!」
くわっと目を見開いて、魅音へと詰め寄る。
「え、な、何?」
「魅音、今度の試合のときには……メイド服で弁当持参の上、マネージャーをしてくれ!」
びしり、と監督の眼鏡に亀裂が走る音がした。
「そ……、それは、まさか!?」
「そのまさかさ! 妄想してみるんだな……この魅音がメイド服に身を包み、柔らかな笑顔で監督や選手たちを気遣い、お昼にはビニールシートを広げて手作りのお弁当に舌鼓!『早起きして、皆さんのために心をこめて作ったんです。たっくさん食べて、頑張ってくださいね!』どうだよ、これこそ真のメイドさんの応援スタイルだろうがあ!」
どういう仕組みになっているのかしらないけど、監督の眼鏡のレンズが粉々に砕け散る。
「た、確かに……まごころのお弁当にかなうものなし……! しかもそれが魅音さんだと思うと、普段の強気さとのギャップでよりまろやかな味わいが……私の負けですッ!」
地面に膝をつき、うなだれる監督。そこまでショックなことなんだろうか。
「この私が、メイド道において後れをとることがあろうとは……あなたはいったい!?」
圭一は胸を張って答える。
「俺は前原圭一、萌えの伝道師……Kとでも呼んで貰おうか!」
どこまでも無駄に不敵な男だった。
「ま……まぁ、圭ちゃんがしてほしいなら……してもいいけど」
もじもじしながら何か言っている魅音は、背後から狙っているレナの脅威に気づかない。
「み、み、魅ぃちゃぁあ~~~~ん☆」
地の底から響くようなその声は、恒例の大騒動が始まるゴングみたいだ。
僕は隣の梨花ちゃんとくすりと笑い、頷き合って駆け出した。
大切なのはきっと、こんな日々。
だから全力で楽しもう、……いつもどおりの馬鹿騒ぎを。