晴れ渡る青空、蝉たちの大合唱、風にそよぐ緑の木々、澄んだ水面のせせらぎ。
「夏だねぇ、圭一」
川辺の岩のうえでのんびりとそう言ったら、隣で圭一が頭を抱えた。
「悟史……、てめぇいったいどこを見てそう言ってる!」
「え?」
いまは夏休みに入ったばかり、僕たちは谷河内から上流へさらに2時間ほどさかのぼった山中へキャンプに来ていた。
「まだだ、まだ俺たちの夏は始まってもいねぇ! 目の前の光景に何かが足りないと思わないのか、悟史!」
「足りないもの……?」
いくら圭一でも夏といえば海じゃないとダメだなんて無茶は言わないだろうし、昼間から花火ってこともないだろう。もう着替えちゃったから今から虫取りをするっていうのもないだろうし……う~ん。
悩んでいたら、圭一が勝手にヒートアップしつつ答えてくれた。
「水着だよ、水着の女子!」
あぁなるほど、圭一のテンションはそのせいか。
「もうじき着替えて出てくるから、もうすこし待とうよ。女の子の着替えは時間がかかるんだからさ」
「それでいいのか、お前は!?」
ぐっ、と最近治ったばかりの拳を握り締める圭一。
「お前に情熱はないのか悟史、歴史に残る名勝負になるとわかっている日本シリーズの中継を見もせずに夜のスポーツニュースで結果だけ見て満足するような人間なのか!?」
……何が言いたいのかよくわからないけど、圭一のしたいことは薄々わかる。
「圭一。……気持ちはわかるけど、それはやめよう」
見たいか見たくないかと問われたらそりゃ僕だって男だから、うん。
とても見たい!(力強く)
でも、僕たちを信じて無防備に着替えているであろう仲間を裏切るのは嫌だし、最初から全く信じていなくて返り討ちに遭うのはもっと嫌だ。ちなみに僕としては前者の確率が3%くらいで、後者の確率が97%くらいじゃないかと思う。
「悟史……、あまり俺を失望させてくれるなよ」
やれやれと言わんばかりに両手を広げて肩をすくめる圭一が何を言いたいのかは相変わらずよくわからない。
「あいつらを傷つけることもなければ俺たちが傷つくこともない、最善の選択肢から目を背けるんじゃねえ、悟史! あるだろ、目の前に第三の道ってやつが!」
まさか……、と感づいてしまう自分が、やっぱり汚れてきたなと感じる。
「この自由の空へ広げるのさ、妄想の翼を! 信じろ、飛び立てばきっとたどりつける……俺たちの、理想の世界へな!」
無駄に熱く叫びながら、圭一は自らのイメージする理想の世界を空間へと投影していく。
「まずはそう、魅音だな! ヤツは半端じゃないぜ、あのド迫力のツインキャノン! 想像してみろ悟史、俺たちの手に余るそのボリュームと、それでいて重力に力強く反逆する垂涎のフォルム。なにより指が食い込むそのしっとりとした触感をな。同時にそれは食感でもあるのだと言えば、お前にもこの興奮が伝わるだろうか……!」
う……、た、確かにそれは魅力的な想像かもしれない。
「あの茂みの向こうではその巨砲が惜しげもなく空気に晒されているんだぜ……くそ、森の木々になって静かに暮らしたいとこれほどまでに思ったのは初めてだ!」
それはなんて開放的な光景だろう……。どうして日本にトップレス文化が育たなかったのか、そのことがとても悔しく思えてくる。
「次はレナだな。へへ、レナといえば年相応、バランスのとれた美しいプロポーション。まずそれが真っ先に思い浮かぶよなあ、悟史!」
「う、うん……そうだね、ちょっと細身だけど、スタイルはいいと思うよ」
「やっぱりな。そこだ、そこが素人と玄人の目のつけどころの違いなんだよ!」
「ど、どういうことさ……?」
圭一はびしっと拳を握りしめ、全身を震わせる。
「レナの運動能力、身体能力のなにげな高さは悟史も知ってのとおりだ……ではそのポテンシャルを生みだしているのはなにか? そう、ぽよぽよの皮下脂肪の下に隠されている筋肉だよな。レナが細く見えるのは、ガリガリに痩せているんじゃない、その逆だ。高性能の筋肉が全身を引き締めているからなんだ。……となれば、あとはわかるよな!?」
想像力を働かせれば、すぐにその答えは導かれる。
「あぁ……、そうか! 一見華奢に見えるからそれ相応だと思いがちなバストサイズも、実は意外に侮れない数値を叩き出している可能性がある……!?」
「あぁそうさ。これはあくまでも仮説の域を出ないが、実は脱いだらけっこう凄いレナ、というのは俺の中では神話の域に達しそうな勢いなんだ、悟史」
控えめなレナの服の下に描かれる神秘の曲線……。圭一、君はそんなロマンチックな夢を追いかけていたのか……!
「見果てぬ夢で終わらせたくないが、次は梨花ちゃんだな!」
言われてすぐに思い描くけど、……むぅ。さすがに未発達な梨花ちゃんのボディラインではなかなか盛り上がりに欠ける。圭一は僕のそんな様子を見抜いて笑った。
「ああ、無理はないぜ悟史。普通の男は梨花ちゃんくらいの子には情熱よりも微笑ましさに近いものを覚えるのが当然だ。でもな、ここで問われるのは本能により感じる美じゃない、そのスリムボディが心に投げかけてくる精神性なんだよ……!」
「せ、精神性っていったい……あっ!」
思わずはっとする。確かにそうだ、煩悩まみれの視線でみるなら梨花ちゃんはたしかに発育不足もいいところだ。沙都子という妹をもつ僕にとってそんな対象にならないのは当然のことだった。でも、そこに苦悩と焦燥のスパイスが加わればどうだろう。
「年の割には丸みを帯びていかない自分の身体へのコンプレックス、いつまでも幼く見られてしまって恋する資格に届かないのではないかという嘆き。それらを抱えながらも表面上は笑顔で装う健気さ……そうか、そこに愛しさを見いだす、これが圭一の言う“萌え”なんだね!?」
圭一は笑顔で親指を立てる。
「とうとうお前もそこまでたどりついたか悟史! だが奥深いのはここからさ。愛しさがそこにあるなら、それは恋に変わりうる……つまり、その心と身体のアンバランスさこそを愛するのが、梨花ちゃん萌えの本質なんだ!」
な、なるほど……そう考えると逆に、異性として不足なスタイルだからこそ愛おしく、愛らしい。彼女の小さな身体を抱きとめて守ってあげたいというのはまったく正しい愛情の発露なんだ。
「そしてラストは羽入だ。日本人にはなかなか珍しい髪の色や、チャームポイントの角に着目するのもいいが、ここであえて語りたいのはその神聖さだ、わかるか!?」
「わかるよ、圭一。巫女さんというだけなら梨花ちゃんも同じだ。でもオヤシロさまの生まれ変わりという一種独特の神々しさを兼ね備える羽入ちゃんの白い柔肌には、ときとして触れることさえも躊躇う清らかさと気高さがある……そうだよね?」
禁忌というのは、どうしてこうも人の心を強く揺さぶるのか。肌も露わな彼女を思い描くことさえ罪深いと思えるのに、だからこそ胸が高鳴るという不思議な感情。
「わかってきたじゃねぇか、悟史。だがその深奥には女性として当たり前の心と願いが息づいているんだぜ。いつか愛する人と結ばれ、子を授かりたい。そこには何の罪もないはずなのに、情愛を禁忌とみなさねばいけないその矛盾。それらを内包しているからこそ、余人の目に触れることのないその汚れなき玉体はひときわまばゆく輝くのさ!」
「凄いよ圭一……いつも監督や圭一が話している“萌え”っていうのが、こんなに高尚な概念だなんて思いもよらなかった。親友の君を理解しようとしなかった僕を許してくれ、圭一!」
「ああ、当然だぜ悟史。俺たちはいま、わかりあった。理解し合えたんだ。それは、仲間ってことじゃないか。仲間の非を許し、助け合うのは当然のことだろ!」
「圭一ッ!」
「悟史ぃ!」
僕と圭一は、熱い抱擁を交わす。僕はこの奇跡を、感動を決して忘れない。新しい世界の扉はいま、開かれたんだ……ってなんだろうあの飛んでくる金物は!?
「ぎゃ!?」
「うわ!?」
タライとかバケツとかやかんとか、無性に僕の大切な妹を思わせる飛来物をその身に受けて、僕と圭一は岩の上からたたき落とされ水中へと落下した。
「げほ、げほげほ……」
「……み、みんな、着替え終わったんだ」
溺れかかりながらもどうにか水から上がった僕らの前には、水着に着替えた残りの部活メンバーが勢揃いしていた。
「あぅう……大丈夫ですか、二人とも」
おずおずと心配そうな視線を向けてくれるのは羽入ちゃん。僕たちのやりとりを聞いてなおその優しさを向けてくれるあたり、ほんとに神様じゃないだろうかと感動してしまう。
シンプルというか、オーソドックスな紺のスクール水着だ。営林署を間借りしている雛見沢分校には当然のことながらプールがないけど、夏には数回だけ近くの沢で水と親しむという名目で水泳の授業が行われる。制服と同じで学校指定というわけではないけど彼女のはそのとき一般的に女子が着ているものだった。名札の『はぬ~』というのはたぶん梨花ちゃんがふざけて書いたものだろう。
「にぱー☆ 沙都子直伝の即席トラップが役に立ったのです」
その横でカタパルトの材料を手に笑っているのは梨花ちゃん。……沙都子にもよく言うけど、ただ金物を投擲するだけの仕掛けは飛び道具であってトラップじゃないと思うな。
それはともかく、彼女が着ているのは羽入ちゃんと同じ型の、でも真っ白なスクール水着だった。彼女の長い黒髪に紺の水着では色的に重くなりすぎることを避けるためのチョイスだろうか、珍しいものだから例によって手配したのは魅音の差し金だろう。スクール水着のある種野暮ったいデザインは彼女のような体型の子が着たときに一番似合うように出来ているんだな、というのが実感としてよくわかる。
「ったく、二人とも。あんな大声で恥ずかしいことをよくもまぁ……」
心外だとでもいうように口を尖らせてぶつぶつ言っているのは魅音。たしかにこういうさわやかな大自然の中でするには相応しい会話じゃなかったかもしれない。
魅音は黒を基調にライトグリーンを配したスポーティなセパレーツの水着だった。きゅっと引き締まったウエストやすらりとした足の長さも目を引くけど、やっぱり視線は上の方、圭一言うところのツインキャノンに向かってしまう。普段の服の上からでも十分にわかるけど、水着だとその流線形の感動的に美しい形状がくっきりと映える。やっぱり中学2年生でこれはちょっと破格だ。
「はぅう~、どうしてレナも仲間に入れてくれないのかな、かな☆」
ふわふわとした笑顔ながらも本気で残念がっているらしいのがレナ。女の子でありながら男女お構いなしに独自の基準で萌えられる彼女はある意味僕らの理解者かもしれない。
レナの水着は目に鮮やかなオレンジのビキニで、個人的には白に次いで彼女には似合う色じゃないかと思う。こうしてみてみるとなるほど、圭一の観察眼の鋭さがよくわかる。華奢なようでいて細すぎることのない引き締まった体つき、それに心なしかいつもの制服のときよりも胸のボリュームが増しているような気もする。肩から腰、そして足へと向かう健康的で鮮やかな曲線は優美の一言に尽きる。これこそコンパクトな中にも均整のとれたプロポーションというのだろう。
「わかる、わかるぜ悟史……お前の感覚が研ぎ澄まされているのがわかる。大自然の中だからこそ感覚は鋭敏になるのが男の本能ってもんだよなあ!」
楽しげに笑う圭一の水着も一応紹介しておくと、真っ赤なハーフパンツ型。力仕事のバイトやここ最近始めたというトレーニングの成果だろうか、上半身もなかなか締まってきたように見える。ちなみに僕のはごく一般的な紺の海パンなので特に解説するまでもない。
「それ以上暴走を続けるんなら、罰として女子用スク水の着用を命じるけど?」
「……すんません、もうしません」
「ごめん、気をつけるよ魅音……」
魅音の恐るべき一喝で気持ちを切り換えた僕たちは、素直に川遊びを楽しむことにした。
もとよりそれが目的でここまでやってきたのだし、水着がどうとか以前に4人とも間違いなく可愛いし、こうして楽しく遊ぶことに異存などあるわけがなかった。
いまは診療所のベッドで眠っているであろう沙都子のぶんまで、全力でこの夏を遊び倒すことが僕たちのいまするべきことだと、みんなが知っていた。
……いや、遊び倒すというのはホントによく言ったもので、日が傾きかける頃まで全身全霊で騒いだ僕たちは心地の良いけだるさを覚えながら水辺で横になって息を整えていた。
「いやー……遊びましたねぇー……」
どこか眠そうなぼーっとした口調で魅音が言うと、
「遊びましたのですぅー……」
圭一の横でぐったりした羽入ちゃんも呟く。
「疲れたけど、楽しかったね……」
僕もそう言ってごろんと寝返りを打って空を仰いだ。
「脱力するくらい気持ち良いのですよ……☆」
梨花ちゃんが聞きようによっては危ないことを言って、
「でもさすがに腹へったぁあー……」
その隣で大の字になった圭一が笑った。
「そろそろご飯の支度しなくちゃだね……」
レナの声を合図に、僕たちはのろのろと起きあがって風よけにTシャツやパーカーなんかを羽織りながら夕飯の準備をすることにした。もちろん今日は定番のカレー。
「下ごしらえと薪拾いで二手に分かれるよー。はい、クジ引いて」
この手のギミックが好きな魅音はすぐに自分の荷物からクジを取り出した。
「赤いの引いたら薪拾ってきてね。あんまり遠くに行くと迷うよ~」
結果、印のないクジを引いた僕は下ごしらえの班に割り当てられて魅音を手伝うことになった。手伝い、というのは魅音がひどく手際がよくて僕は洗ったり皮を捨てたりと雑用に専念していればいいからだ。向こうではお米を研ぎ終わった梨花ちゃんと羽入ちゃんがやけに原始的な方法で火種を起こそうとしてるけど、あっちのほうが大変そうだな……。
ああそうそう、テントは当然のように二つで、男女に分かれている。梨花ちゃんあたりは圭一と一緒がいいと言ってたけど、それをやられると羽入ちゃんもついてくるだろうし、そうなるとレナや魅音と一緒というわけにもいかない僕の立場が微妙すぎるというのでしぶしぶ納得してくれた。テントを立てるのはここに着くなり僕と圭一が頑張った。一応女子のぶんを立てるときは休んでいた魅音とレナも加わってくれて助かったけど、ここまでテントやその他の主な荷物を背負って歩いてきたのも僕と圭一だったりするわけで……むぅ、食事の支度くらいは免除されてもいいんじゃないだろうか?
「悟史……さ、普段は食事とかどうしてるの?」
ぼうっとしてたら手を休めないまま魅音が話しかけてきた。
「うん、自分でなんとかしてるよ。大したものは作れないけどね」
一応食事だけは世話してくれていた叔母さんが亡くなったので、僕は見よう見まねで自分のぶんの食事を用意しなければいけなかった。とりあえずお米くらいは炊けるので、最初の夜はふりかけご飯だった。さすがに育ち盛りにそれだけではもたないな、と気づいて次に手を出したのが袋入りのインスタントラーメン。これも具がないとなかなかに味気なくてつらかった。あと、朝食に目玉焼きを焼くようになった。
結局、レナに知恵を借りて商店街のお総菜とセブンスマートで買った冷凍食品を駆使してお弁当のほうにもそれを回すという技を覚えたのでどうにか食いつないでいるかんじだ。
これでも我慢できているのは僕一人だからで、沙都子が一緒ならもうすこしはマシなものを用意してあげたいと思うところだろう。
「そっか……、あのさ。大変なこととかあったら遠慮なく言っていいからね。さすがに婆っちゃの手前、うちに食べにおいでーとは言えないのがつらいところだけどさ」
ははは、と力無く笑う魅音がとても優しい顔をしているのに気づく。
「なんならお弁当くらい用意してあげるよ?」
「うん、ありがとう魅音。でも大丈夫だよ、いまはなんとかやっていけてる」
僕はそう言って魅音に微笑んだ。
たぶん魅音は、僕や沙都子を村八分から救えなかったことを悔やんでいるんだと思う。
でも、それは決して魅音のせいなんかじゃない。むしろ、魅音はしなくてもいい苦労を背負い込んでくれたんだと思っているから、魅音には感謝してもし足りないくらいだ。
「恨み言のひとつも言ってくれたら、救われるんだけどな……」
はっとして息を呑む。
魅音の頬を伝う涙。……そこまで僕たちのことで魅音が悩んでいたのかと思うと、申し訳ないという気持ちのほうが先に立つ。
「そんなの、あるわけないよ」
僕が静かにそう言うと、魅音はふるふると首を振った。
「……そうかもしれないけど。でも、私はなんにもできなかったから」
全力で戦ってくれて、それでもどうにもならなくて負けた。それ以降も沙都子のために笑顔でいてくれて、あの夜には身を挺して沙都子の命を守ってくれた。
これ以上のことを魅音に望むほど、僕は恩知らずじゃない。
「魅音には返すべき恩はあっても、恨み言なんてひとつもない。だから、泣かないで……魅音」
そう言って撫でたら、魅音はすこしきょとんとしてからくすくす笑い出した。
「……別に泣いてませんって。コレです」
まな板の上の、切りかけのたまねぎを指さす。
「なんだ、そうだったんだ」
にこりと笑顔を返して……話を合わせた。
それが本当だとしても、たまねぎを切るタイミングで泣いてしまいそうな話をした彼女の気持ちに偽りはないと知っていたから。僕に負担をかけないように、言い訳を用意してくれる気遣いにも……、
「ありがとう」
心からお礼を言うべきだと思った。