クジ引きの結果、俺とレナは薪拾いに向かうことになった。
「いこっ、圭一くん」
「おう、まかせろ!」
雛見沢では都会もんというレッテルを張られている俺ではあるが、勉強漬けになる前は親父の趣味で夏になるたびにサマーキャンプへ連れていかれた経験があるから、薪拾いであろうがカレーの担当になろうが実のところはお手の物だ。
「圭一くん、すごいよね。テントの張り方とか、すっごく手際よかったもん」
「へへ、見直したろ? 俺の秘めたる実力ってやつをな」
そう、男ってヤツは、いつだって心の中に自分だけのテントを張っている。そこには譲ることのできない柱がそそり立ち、夢や浪漫、そして溢れる愛が息づいているのさ!
「はぅ、テント……圭一くんのテント」
ぽわんとした表情になるレナ。……し、しまった。考えていたことが顔に出ていた上に、なにか違う解釈をされているかもしれないっ!?
いかん。イリーとの宿命とも言える邂逅や悟史の劇的な覚醒など、同じ道を行く男たちとの心躍る出会いが強烈すぎるせいか、最近の俺は第二の親父へと順調にシフトアップしちまっている気がするぜ……クールになれ、前原圭一。どこからか聞こえてくる、いいぞもっとやれなんて声に惑わされるな前原圭一ぃぃっ!?
「はぅ~……ひゃ?」
ぽわぽわしながら歩いていたレナが小さく悲鳴をあげる。見れば、着ていたパーカーの裾が木の枝に引っかかってしまっていた。
「ああ、動くな。とってやるよ」
「う、うん……ありがとう」
俺はちょこんとおとなしく立っているレナのそばへと向かい、引っかかった部分をはずそうとするのだが……むむ、こりゃ意外に厄介な絡まり方をしちまったみたいだな。無理に外そうとすると布地が裂けてしまいそうだ。
「こいつは慎重にやったほうがよさそうだぜ。レナ、ちょっと脱いでくれ」
「え……、うん。そ、そうだね」
おずおずと袖から自分の腕を抜いて、パーカーを脱ぐレナ。うーむ、さっきまでさんざん水着で遊んでいたというのに、脱衣という概念が加わるだけで妙に興奮するのはなんでだろうな……と考えていたらそれがレナにも伝わってしまったのだろうか、すこし恥ずかしそうに視線をそらして俺から離れていく。
……せっかく午前中の荷物運びやテント設営といった肉体労働でちょっぴり上がったであろうレナの中の圭一株が、さっきから連続で安値を更新しているのではないかと不安になるが、俺はその不愉快な想像を頭から追い払って作業に集中した。
大切な服を破いてしまったら、余計にレナを悲しませてしまう……集中しろ前原圭一。
「こう……で、こう、か?」
ははあ、この飾りのジッパーに先端が引っかかっちまってるのか。それなら……、と作業を進めようとしたとき、さきほどよりもさらに大きめの悲鳴が俺の耳に飛び込んできた。
「ひゃうぅうっ!?」
ぱきぱきと小枝が折れる音、すざざと地面になにかがこすれて転がっていくような音、振り向いた俺の視線の先にレナの姿はない。
ただ、レナがいたであろう場所の地面に足を滑らせたとおぼしき乱れた痕跡があるだけだった。おいおい、大丈夫かよ!?
「おーい、レナ!?」
いったんパーカーは枝に引っかけたまま、その場へ向かって斜面の下に声をかける。
見下ろすとそれほど急斜面ではないが、足場があまりよくない。これはだいぶ下まで転がっていっちまった可能性もあるな……。
「大丈夫かー、怪我してねぇか!?」
もう一度呼びかけると、返事がかえってきた。
「うぅ……、へ、へいきー! ちょっと足をひねっちゃったかな、かな……あぁあ!?」
レナの慌てた声に、最悪の想像が頭をよぎる。まさか、変な落ち方をして足が折れた……とかだったら!
「おい、そこで動かずに待ってろよ! すぐに行くから!」
そう声をかけて、周囲の木々や枝を手がかりにして斜面を下り始める。さっきのレナの二の舞になったらまずい、ハーフパンツが藪にひっかかったりしないように気をつけていかないとな。
「え、いいよいいよ! 圭一くん、こないで! きちゃだめぇ!」
なぜかあわあわとしたレナの声が返ってくる。その声に苦痛の色がないことにすこし安堵したが、来るなというのは不可解だ。
「なに言ってんだ、足くじいたかもしれないんだろ? 一人で上がれないだろうが」
「はぅ……そうだけど、でも、でもぉ!」
だんだんレナの声が近くなっている。目的地はすぐそこのようだ。
「レナ、そこだな!」
ひょいと木につかまって、胸くらいの高さの段差を飛び降りた。着地したすぐ横の地面にレナが小さくなってうずくまっていた、のは、いいのだが……!
「ぶふぉ!?」
思わず目を見開きつつも足元がおぼつかないまま後じさってしまい、さらに斜面を転がり落ちてしまいそうになった俺を誰が責められよう。
「け、圭一くんっ!」
悲鳴に近い声をあげながら、足をいためているはずなのに一瞬にして立ち上がり俺に飛びついて転落から救ってくれたのはレナだった。
ぎゅっと胸にしがみつかれて、かろうじて踏みとどまることはできたのだが……どっひぃぃぃ!? ななな、なにか物凄いことになってます先生!?
「は……、はぅぅぅぅ……」
両手で俺にしがみついたまま動けなくなったレナが、泣きそうな顔をするのもまったく無理のないことだった。
そう、レナは……斜面を滑り落ちたときにまたどっかに引っかけたのだろうか、ビキニの上をなくしてしまっていた。それで俺に来るなとわめいたのかと合点がいく。
で、そのあられもない姿を目の当たりにして動揺した俺が足を滑らせて……見捨てればいいものを反射的に飛びついてしまったいま、レナのなにも着けていない上半身が、やっぱり何も着けていない俺の上半身にぎゅっと押しつけられた状態でありましてですね、しかも、尻餅をついたような俺の上にレナが座り込んでしまった状態と言いますか、その……ひぃぃぃぃ、なにこの幸せの感触、桃源郷!?
「け、圭一くぅん……顔が、えっちだよ……はぅう」
涙目レナかぁいいぃぃ、おもちかえりしてぇえぇぇ!?
……と絶叫する本能をかろうじて叩きのめして、セーフモードで再起動。
「わ、悪い。こんな……少年誌にたいてい一本か二本は載ってる、絵はうまいけど中身はわりとスカスカ気味のエロコメみたいなありえないシチュエーションが展開しているなんて夢にも思わなかったらさ……」
「圭一くんがなにを言ってるかわかんないよぅ……」
ひーん、と真っ赤な顔で狼狽えるレナだった。……レナには悪いのだが、その、なんだ。普段歳に似合わない冷静さをみせることもあるしっかり者のレナが、その身を守る衣類の少なさ故かやたらと無防備で弱々しい表情を見せてくれるのは、正直言って可愛すぎる。
反則だろ、これ……!?
いや落ち着け、落ち着くんだ前原圭一。確かにレナは可愛いが、その可愛いレナを助けるために降りてきておいて、不覚にも当の可愛いレナに助けられてしまった今、俺が可愛いレナにしてやれることっていったいなんだ!? あぁレナ可愛いなぁもう!
「その、レナ……ええと、目つぶるからさ、すこし腕、緩めてくれ」
焦りつつも打開策を見つける。レナが抱きついたまま離れられないのは、ほんの数センチ先に俺の顔がある状態で身体を離せば、無防備すぎる状態の胸元が俺の目に容赦なく飛びこんでしまうからであって、俺が目をそらし、顔をそむけてやれば平気なはずだ。
こんな簡単なことも思いつかないくらい頭がフットーしてしまっていた俺たち二人はとんでもなく格好悪いような気がしなくもないが気にするな!
「ぁ、うん……見ないでね、見ちゃだめだよ、絶対だめだよ、目を開けたら嫌だよ!」
弱々レナが泣きそうな声で俺に念入りに釘を刺す。
あぁ、世のレナ好きな皆様ご覧になっていますか……? 俺、前原圭一はいま、あのハイスペック少女レナの新たな魅力、新境地へと辿り着いてしまった気がします……☆
「大丈夫だレナ、俺を信じろ!」
そう言って目を閉じ、首の可動範囲限界ぎりぎりまで後方を向く紳士・前原圭一。
おそるおそるといった仕草で、俺を抱きしめていた両腕がゆっくりと脇の下から引き抜かれ、俺の胸からレナの柔らかいふたつの塊が離れていくのがわかる。……あぁ、お前たちとはまた離ればなれになってしまうけれど、でもいつだってその幸せを願っていることを忘れないでおくれ……!
それから悟史よ。今日まで見果てぬ夢だと思っていたそれがあまりにも正しく現実だったことを、心の中でだけそっと伝えておくぜ。レナのために口には出さないけど、お前ならきっといつか、わかってくれるよな……?
「……ぃ、いいよ、圭一くん」
「お、おう……」
レナの心なしか上擦った声で首を元の位置にぎりぎりと戻して目を開けた俺は、その幸せの果実たちがレナの白い両腕でしっかりとガードされているのを確認してから、いろいろあって肩に引っかかっているだけの状態になっていた俺のパーカーを脱いでレナの肩にかけてやった。
「よし、立てるか?」
「う、うん……痛っ」
俺の上からどくことを思いつきもしていなかった様子のレナが慌てて立ち上がろうとして、顔をしかめながらよろめく。突っ伏してきそうなレナを抱きとめた俺は、その身体を両手で支えながら自分で立ち上がった。
「……よし。じゃあ、後ろ向いてるから、とりあえずそれ着ちゃえよ」
どこまでも紳士な俺は、レナに背中を向けてパーカーをきちんと着込む時間を与えてやる。
「うん……ありがと、圭一くん……」
さっきまでよりすこしだけ落ち着いた声のレナが答え、背後で衣擦れの音がする。
俺はその短い時間で、さきほど飛びついてくるときに目に焼き付いてしまった鮮やかな記憶を、反芻すべきなのかそれとも忘れるのが優しさだろうかと葛藤していた。
「もう、……いいよ」
言われて振り返ると、パーカーを着込んでしっかりと前を閉めたレナが……ほわんと、酔っぱらったみたいに赤い顔をして立っていた。
「圭一くん……」
うつむき加減で上目遣いに俺を見るレナの口元が、ふにゃっと緩む。
「……レナ?」
足をくじいているのだから当然だが急激な動きではなく、あくまで緩やかにおずおずと近寄ってきたレナが、ぽすんと俺の身体に抱きついてきゅ、とその腕を巻き付けてくる。
「えへへ……圭一くん、優しいからちょっと嬉しいよ」
「そ、そ、そうか……?」
いろいろとみっともないところを見せてしまって幻滅されたかと思っていたので、その意外な感想にはなんというか、ほっとした。
「……圭一くん。いつだったかダム現場で話したこと、覚えてるかな。……かな?」
もうすっかり落ち着いた口調、でも……なんだろう、レナのこの表情は。なんというか、満ち足りたような……こう言ってはレナの名誉にかかわるかもしれんが、大好きなご主人様に甘えられて満足な子犬のように安心しきった笑顔は。レナに尻尾があれば、いまごろ元気良くぶんぶんと振っているに違いない。
「ダム現場で……あぁ、俺がレナ萌えだって話か」
「はぅ……☆」
なにを思い出したのか、くすぐったそうな声を出して寄せていた頬を左右いれかえる。
「そ、それもそうだけど……えと、圭一くんが、レナのこと」
そこまで言われて、会話の内容が記憶から鮮明に蘇ってくる。
「……ああ、これからレナのことをもっと知っていったら、好きになるか、嫌いになるかって話だったな」
「うん……。圭一くん、あの夜のことも聞いたよね?」
あの後、それぞれの角度からの情報を共有しようと意識を取り戻した魅音の病室で一部始終を話し合っていた。レナも悟史と同じく、叔父と叔母を始末しようとしていてそれを察知した梨花ちゃんと羽入のコンビにくい止められた、という話を聞いたときは驚いたが、仲間思いのレナだからこそ、その結論に達してしまったのだろうとある意味では納得もしていた。
「ああ。でも……」
「それだけじゃないの」
レナは目を閉じて微笑みながら、俺の言葉を遮った。
「……レナ、お母さんがいないんだ。茨城にいるとき、お父さんと離婚しちゃって」
「そう……なのか」
それは初耳だった。両親を亡くした羽入と梨花ちゃんはともかく、レナが毎日自分で作ったお弁当を持ってくるのはよほどの料理好きなのだろうと思っていたが、そうじゃない。ほかに作ってくれる人がいないだけだったんだ。
「詳しくは言えないけど、その離婚って、レナのせいでもあったから……レナ、ずいぶん荒れちゃった。暴れてガラスを割ったり、お友達を傷つけたり、カミソリで自分を斬りつけちゃったりしたよ……」
それはつらい告白のはずなのに、レナの声はあくまでも静かで……表情は穏やかだった。
「精神的にもおかしかったんだろうね、そういう病院に入れられて、お薬で眠らされて、ベッドに縛り付けられて……ほんの3ヶ月前まで、いまの沙都子ちゃんよりずっと重症だったんだ。お父さんが私のこといらないって言うのも、……無理ないよね」
えへへ、と笑みを浮かべて、俺の胸に頬を擦り寄せる。
「だからね、きっと……あの人に殴られたときに、スイッチが入っちゃったんだと思う。このまま沙都子ちゃんが壊れてしまったら、役に立たない私はみんなにいらないって言われちゃう、またひとりぼっちになっちゃうんだって。だから……あの人たちを殺してでもレナにとっての優しい日々を守ろうとしたの。凄く、嫌な子だよね……」
あの夜の行動は仲間のためではなく自分のためだったというレナ。それはまるで懺悔の言葉のようだった。……俺は、レナをそっと抱きしめた。顔をあげるレナに、俺の思いが伝わってほしいとすこしだけ力をこめる。
「そんなの、俺だって同じだ。俺は悟史が消えちまうのが嫌だったから、俺のわがままであいつの行動を止めた。もしレナが動くと知っていたら、レナが消えるかも知れないと思ってやっぱり止めていたと思う。俺のも結局、自分のためだ。……でもな、きっと悟史も沙都子も、梨花ちゃんや羽入も……みんな同じだったんだよ」
「…………」
レナの顔には、穏やかな微笑みだけがあった。
「俺たちはみんな、自分のお気に入りの日々が壊されちまうのが許せないからそれぞれの行動を起こしただけだ。それは決して間違ったことじゃないし、そんなことを言うやつがいるなら俺がぶっ飛ばしてやる。自分の幸せを守るために、必死で戦うのは……どうしようもなく、当たり前のことなんだよ。レナ」
木々の間に沈む夕陽が、静かに抱き合う俺たちを朱に染める。俺たちの事情などおかまいなしに鳴くひぐらしたちにすこし黙っていてほしいと思わずにはいられない。
「だからそんなことで俺はレナを嫌いになったりしないし、過去のことも関係ない。俺は何度だって、もっともっとレナのことを好きになるほうにありったけのコインを賭けてやる。だから……」
「うん……ありがと、圭一くん」
もぞっとレナが動いて俺の腕の中から出ようとするところを、ぎゅっときつく抱きしめて離さない。ここで逃がしてしまったら、レナはまたとんでもない遠回りをするような気がしてしまったから。
「圭一くん……?」
「だから、レナも。賭けてくれ、レナがみんなを、俺を、……それにレナ自身を、もっともっと好きになるほうにさ」
そのときのレナの表情を、俺は素直に綺麗だと思った。あのゴミ山で見た、痛々しい泣き笑いなんかとは違う。いつもの満開の笑顔でもなく、沙都子たちに向けるような優しい微笑みでもない。ただ胸の奥から沸き上がってきた笑顔を、押し殺すこともなければ無理に飾り立てることもせず、素直にその顔に浮かべていた。
「そ、だね……。でも、レナやみんなは大丈夫だけど、圭一くんは自信ないなぁ」
「なんだよそれ、ひでぇな……」
すこしショックを受けながら言ったら、レナはえへへと締まりなく笑う。
「圭一くんのことをこれ以上好きになるって、難しいと思うもん。……でも頑張るから、圭一くん。ひとつだけ、お願いしてもいいかな」
いまなにかとても衝撃的なことを言われてしまったのではないかと思いつつも、レナはそれを考える時間を俺に与えてくれはしないらしい。やれやれ、さっきの弱々レナはいったいどこにいってしまったんだと思いながらも先を促すしかなかった。
「……なんだよ」
レナはその先の言葉を、とても自然にさらりと言った。
「キスしてほしいな」