いきなりスレッジハンマーで後頭部をぶん殴られたみたいなキツい衝撃!
しかも植物油をたっぷり塗って極上の波紋を流したとびきりのヤツだ。こいつは究極生物でもちょいと耐えきれないに違いないが、俺は考えるのをやめるわけにもいかない。
いまレナはなんと言った?
キス?……と言いますとあれですか、俺が梨花ちゃんに衝撃のファーストブリットを奪われて、その日のうちに羽入にまで撃滅のセカンドブリットを喰らってしまった記憶が否応なく蘇りますが、所謂唇を重ねる行為ですか。通常日本の社会的慣習におけるそれは性愛的な行為の第1段階とされることからもわかるように、相思相愛の男女、夫婦ないし恋人同士の間で行われるのが常識である。実際あれ以来俺にとっての梨花ちゃんや羽入が単なる年下の同居人や家族的存在とはもっと違う、時折無性に抱きしめたくなるなにかに変わりつつあることから証明されているとおり、なんの約束もない男女間でそれを行えば両者の関係を劇的に変えてしまいかねない。それをこの場で、現在のところ友人でありクラスメイトであり部活の仲間でしかないはずの俺に求めるレナの意図がはかりかねる。……いやまあ、さきほどの衝撃的すぎる既成事実の連続で、そこいらの手をつなぐのがやっとの初々しいカップルを軽く飛び越えてしまう程度に親密な仲になっただろと言われればそれは厳然たる事実であるのだが……(約1秒)
俺が困っていると思ったのだろうか、レナはくすくす笑いながら見上げてくる。
「だめかな。かな?」
これほどに甘い誘惑をこめた『かなかな』はとんと耳にしたことがありませんや。俺がこの場でどうすればいいのか、ひぐらしたちは知っているのでしょうか。
「あのね、レナは……うーん。ちょっぴりは残念だけど、圭一くんを独占したいなんて思ってないよ。たぶんね、圭一くんはまだ当分の間みんなにとって必要な人だから」
レナの言うことがいまひとつ掴めないが……つまり、恋人にはしてくれなくていいからキスだけしてくれと?……レナ、俺はお前をそんなふうに育てた覚えはありませんよ。
「梨花ちゃんも、羽入ちゃんも……たぶん魅ぃちゃんも。それぞれ、みんなに話せなくて自分ひとりで抱えちゃってる何かをもってるよ。仲間に話せないほどの秘密だから、とても重くて、苦しくて……たまに音をあげたくなっちゃう。そういうとき、みんなを支えてあげられるのは、たぶん圭一くんだと思う」
それはなんとなく、俺も感じていたことだった。ただレナのようにはっきり言葉にはならなくて、言われてみればああそうかと納得できる程度の予感。
「あは、ひょっとしたら悟史くんも圭一くんを一番のたよりにしてるかもしれない。……レナはいま、抱えていたもの全部圭一くんに話しちゃった。そして圭一くんはそれを受けとめてくれた。だから、レナは圭一くんと一緒にみんなを支えていく側になれると思う」
その理屈は、わからないでもない。
……それがどうしてキスしてほしいなにつながるのかはさっぱりなのだが。
「でもね、やっぱりレナは弱いから……全部知ってくれた圭一くんにだけは、甘えさせてほしい。それをもし、圭一くんが許してくれるなら……えへ、キスしてほしいなって」
やたら照れくさそうに言って、自分で小さくはぅはぅ言ってるのがなんとも言えず可愛いが……それって、いいのだろうか? 俺としてはとても嬉しいが、どうも俺を好きでいてくれるらしいレナにはとてもつらい選択になるんじゃないかとも思う。
確かに、どこか壊れてしまいそうなものを抱えながら必死で過ごしているいまのみんなを思えば梨花ちゃんや羽入や、場合によっては魅音や悟史も、俺に遠慮なくよりかかるためには俺とレナが付き合うというのはまずい結果しか生まないと思うし、俺の気持ちにしたってレナと同じくらいみんなを大切に思ってるからいますぐレナだけにそれを向けてくれと言われたら絶対に困るだろう。
……あ、そうか。レナはそれで、俺を困らせないためにこんなことを言い出したのか。
まったく……レナも、ほかの仲間たちもそうだが、ときどきどうかしてると思うくらいにお人好しで、そのくせいつも必死だ。梨花ちゃんや羽入があれ以来責任をとれみたいなことを言い出さない理由も、たぶんレナと同じなのだと気づいてしまった。
「圭一くんはレナのものじゃなくていいから、レナのことを圭一くんのものにしてほしい……それじゃ、だめかな?」
内心で傷つくに違いないことを、こんな屈託のない笑顔で言えるレナが羨ましい。
一点、引っかかる部分もないではないが……それは多分、レナ自身も内心でわかっていることだろうから、それを突きつけてみてもただ傷口をえぐるだけになるだろう。
俺はひとつため息をついて気持ちを切り換えると、すこし意地の悪い笑い方をする。
「……いいのか~レナ、キスだけじゃすまないかもしれないぞ」
「は、はぅ?」
「くっくっく……中学生男子の情熱はとどまるところを知らぬ、まさにパーフェクトソルジャーだ。さっきより凄いことになってしまっても、俺は知らないぞ~?」
覿面に真っ赤になったレナは、戸惑うように視線をふらふらと泳がせて……こくん、と頷いてみせる。そしてまるで狙い澄ましたような上目遣いで、さっきの涙も乾かないのかそれともまたじわじわあふれているのだろうか、涙目のまま俺を見つめ返す。
「いいよ……、圭一くんなら」
やれやれ、……本当にレナは生真面目というか律儀というか。
からかって悪かったなと思いながら俺はレナの頬をそっと手で包んで、顔を上向かせる。
「……はぅ……っ」
慌ててきゅっと目をつぶったレナの唇に、そっと自分の唇を押し当てた。
「んく……」
息を呑み込むレナの仕草が可愛くて、思わず頬を緩めながらゆっくりと顔を離す。
「……今日はこれでいいか? 俺もほら、今これ以上は、本当にいろいろとまずいです」
うっすらと目を開けたレナと目があって、なんだかばつが悪くて笑ってみせたら、真っ赤になってこくこくと頷いて身体を離してくれた。……察してくれてありがとうレナ。さすがにパーカーの布地一枚しか遮るもののない状態でその神話級の秘密兵器を押しつけられているとなにかいろいろなものが爆発してしまいそうになるのでレナの心遣いに感謝するしかない。
「はぁ……、神は俺に茨の道を進めと仰せか」
思わずぼやきながら、レナの足元にしゃがんで背を向ける。なにも言わなくても俺の意図を察したらしいレナはふわりとその背中に覆い被さり、素直におんぶされてくれた。
「茨の道じゃないよー、ハーレムルートは圭一くんの夢でしょ?」
すました声でそう言ってくるのだから、女の子ってのは本当にわからない。
「夢見ることは大切だが、そいつは禁断の扉でもあるんだよ。イスラムにも一夫多妻制はあるが、男にその度量と経済力がなけりゃ破綻するのが常識さ」
「あはは、圭一くん詳しいね」
「ふっ、夢をかなえるために現実と向き合うのは進路選択の第一歩さ」
俺のとぼけた答えに、レナは声をたてて笑いながら子供みたいにぎゅっと首にしがみついてくる。ここはお約束を要求されてるんだろうか。
あの返しを期待して、定番の台詞を口にする俺だった。
「……レナ、あたってるぞ」
「はぅ……ッ!?」
ぼわん、と一瞬で真っ赤になってしまう。……ごめん、全然そのつもりではなかったのか。
「け、圭一くん、ひどいぃ……」
ふにゃにゃとばかり弱々レナが戻ってきた。おかえりなさい、会いたかったよ。
不可解な形でのフラグ消化もあったものだなと思いながらレナを斜面の上まで運んだ俺はさっきの場所にばらまいてしまっていた薪を拾い集めるのをレナに任せていったん戻り、途中の木の枝に引っかかっていたレナの水着を回収する。それからレナのパーカーも無事に取り戻し、レナが着替えるのを待ってから、再びレナと大量の薪を背負って野営地へと引き返した。
「圭一くん、……重くないかな? かな?」
「重いに決まってるだろ」
素直にそう返したら、レナが小さくぶーぶーとブーイングしてくる。……それはそれで可愛くていいのだが、俺がいいたいことはそうじゃないぞレナ。
「……俺にとっては、レナもみんなも、決して軽くなんかないってだけさ」
「ふぁ……、う、うん。そっか」
そう、この荷はそんなに軽々しく扱えるものじゃない。俺はまだ半人前の情けない男で、自分自身の面倒だってちゃんとできているかどうかわからない。
でも、レナにその重荷を指摘されてなお、俺はそれを負うことをやめないほうを選んだ。やめるのは簡単だ、あそこでレナの願いを断ればよかった。それだけで、俺にはレナやみんなのことを背負う覚悟がない、よりかかられても困ると表明することができたし、俺がそちらを選んでもレナはちっとも責めやしなかっただろう。
ただ、あのときのレナの落ち着きようから……レナが、俺をよく見ているなと思えた。
俺がそっちを選ぶなんて可能性を考えもしなかったに違いない。
そりゃそうだ。
この俺が前原圭一であるかぎり、傷つき疲れ果てた仲間たちを放り出すなんてことは絶対にないと言い切れる。誰が何を言おうが俺は俺を知っている、どんなにレナたちの気持ちが重かろうが、俺はそれを背負い、決して足を止めない。
理由? 野暮なこと聞くな、男だったら言ってみたい台詞があるんだよ。
「一切合財、俺にまかせろ!」
唐突だったかも知れない俺のその言葉に、レナは一瞬きょとんとしたが、すぐにくすくすと笑いながら身を乗り出して俺の頬に頬を寄せた。
「うん。……おまかせするね☆」
そう、やっていけるさ。
レナたちの向けてくれるその笑顔がまさに、みんなと違って自分自身の重荷を負っていなかった俺にとっては拠って立つ足場なんだからな。
「あぅ、圭一、レナー!」
「おー、おかえり。遅かったね~」
薪が足りなくて火を大きくできなかったのだろう、みんなはビニールシートの上にカード麻雀を広げて待っていた。
「圭一……助けて……」
魅音の対面でもじもじと居心地悪そうに正座した見知らぬ猫耳スク水の人がしくしくと悲しそうに俺を見るのだが、すまん。今の俺にしてやれるのはこのくらいだ。
「似合ってるぜ、悟史!」
「かぁいいよ~、はぅ☆」
両手がふさがっている俺のかわりに、背中のレナが笑顔でサムズアップしてくれた。なんだこの素敵なコンビネーション。
「レナ、怪我したのですか?」
羽入が心配そうにやってくる。
「うん、ちょっと転んじゃって、足をひねっただけ。遅くなってごめんね」
「みぃ~、足をくじいておんぶだなんて、山系の定番イベントなのです。さすが圭一、基本ははずしませんのです」
……梨花ちゃん。実はおんぶよりも凄いことになってたんだが、これは言わぬが花か。
それからはみんなでわいわいとカレーを作って、煮込んでいる時間に交代でテントに引っ込んで着替えた。
よく考えてみれば最初からとっとと着替えておけばよかったのだが、遊び疲れて気分的にだるかったのと、まだ陽射しの強い時間だったので暑苦しい服を着込む気にならなかったせいもあるし、何者かの都合もあったのかもしれない。最後のはなんのことだかわからんが、結果的にレナとの絆は深まったし俺も腹を括ることができたから深く考えるのはやめておくとするか。
「ん、なかなかさっぱりした辛さじゃねぇか!」
ほかほかのカレーを食して俺は感嘆の声をあげるしかなかった。
「にぱー♪ 羽入直伝のレシピなのです☆」
味付けを担当した梨花ちゃんが満面の笑顔になる。この歳でこの味、侮れん!
「あぅっ!? ぼ、僕は甘口のカレーしか作ったことがないのです!」
さっきから一口ごとにひーひー言っている羽入が涙目で抗議する。
「でもほんと、おいしいよ。凄く温かい味がする」
悟史がにこにこしながらカレーを口に運んでいる。……ところで猫耳は外さないのか。
「これくらいなら簡単に作れると思うよ。今度、教えてあげようか?」
魅音がそう言うけど、笑顔のレナが静かに首を横に振った。
「このカレーはみんなで作ったカレーだもん。一人で食べても、きっと美味しくないよ」
言われて魅音も納得したように顔を綻ばせる。
「来年になるか、いつになるか……まだわかんないけどさ」
俺たちはそれだけで、魅音が何を言いたいのかわかってしまう。
「……今度は沙都子も。全員、揃って一緒に食べたいね!」
だから明るい声を出す魅音の言葉に、みんなが揃ってうなずいていた。
大丈夫、きっとその日は来るさ。
みんな欠けることなく、こうしてもう一度キャンプに来て……みんなで作ったカレーを食べるんだ。そういう未来が、絶対に来る!
この前原圭一が言うんだから絶対だ。来ないようなら俺が胸ぐら掴んで引っ張ってきてやるからな!
そう考えながらカレーを頬張ったら、まるで俺の内心の声が通じたみたいにレナが俺のほうを見て微笑みながら頷いていた。
「さぁて、片づけもすんだところで……花火しようか!」
魅音の合図で再び川辺に出た俺たちは、思いっきり賑やかに騒ぎ出す。
ここは山奥、雛見沢よりもさらに近所迷惑とか気にせずに思いっきり騒げるからな。
「みー、圭一! 沙都子直伝、ホーミングロケット花火なのです☆」
「どーゆー仕組みだ!?」
「おおっと、圭ちゃんそこ危ないよ! 秘技、ドラゴンスクリュー!」
「投げるなキケンッ!?」
「圭一、爆竹とネズミ花火の素敵なコラボレーションだよ!」
「猫耳はずせよ悟史!?」
だいたいなんでみんな俺がターゲットなんだよ!
背負うとは言ったが、標的になってやると言った覚えはねぇぞ!?
「あぅう……良い子は花火を人に向けたり投げつけてはいけませんです。大変に危険なのですよ」
隅の方でおとなしく線香花火なんかをやってるのは性格的についていけないらしい羽入と足をいためているレナだ。あいつらまで参戦してたら今日が俺の命日になってたな。
「あはは、でも圭一くん楽しそう☆」
息を切らしてあちこち逃げ回る俺をみて、いったいどうしてその感想が出てくるのか教えてくれレナぁ!?
……大騒ぎでまたもや疲れ切って、片づけをすませた俺たちは早々にテントに引っ込んで明日に備えることにした。本当はこのあと夜通しで部活をする計画もあったが、魅音もさすがに空気を読んだのか言い出さなかった。
隣ですやすやと寝息を立てる猫耳(気に入ったのか?)をぼんやり眺めながら、俺は夕方のレナとの会話の中で引っかかったことを思い返していた。
「いらない、か……」
人の親だって人の子だ、レナから聞いた話が事実なら、離婚と娘のノイローゼに晒された親父さんが心労からそんなことを言ってしまうことも絶対ないとは言い切れない。
……それでも、本当は言っちゃいけないことだ。
結果的に、レナはそれで親父さんに捨てられることを極度に恐れるようになって、そのおかげで暴れ出したりしなくなったのだろう。
でも、それは親子の間にきっと決定的な断絶を作ってしまったのだと思う。レナはたぶん二度と親父さんを心から信用できないだろう。親父さんだって、それを後悔しているのならむしろレナに合わせる顔がないはずだし、娘の苦悩に気づきもしていないのならそもそもそこには最初から溝があったことになる。
だからレナは……恋愛感情と同時に、俺に父親的なものを求めているんだと思う。それが悪いなんて言わない。レナだってまだ12、いやこの前誕生日がきたから13歳か。たったそれだけの子供であって、本来はまだ親に甘えてもいい年頃だし、誰かに守られたいと思って当然だから。俺の軽口に過剰に反応したのも、反抗しない良い子でいなければという意識が顔を出したせいだろう……そのことが、すこしだけ痛ましい。
「……考えても、しょうがないな」
レナの気持ちに嘘はない。ただ、好きだという俺に親父さんが果たしてくれない父親の役割も求めてしまうだけ。それならそれで構わない。……ただ、もし会うことがあったら親父さんをぶん殴ってやろうと心に決めた。
俺のレナを泣かせるんじゃねぇ、ってな。