ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第40話 ときめき☆マウントポジション

とても、とても暑い日のことだった。

 

「はぁ、はぁ、はぁっ……」

 

乱れた自分の呼吸音、上下に揺れる肩と胸。大量の汗が全身を伝い落ちる。

 

握りしめた醤油瓶は、衝撃のあまり砕けて割れていた。

 

……そして、ガラスの破片の中で畳の上に横たわっているのは我が姉、古手羽入のなれの果てだ。

 

「なれの果てじゃないのです梨花! あぅあぅあぅ、当たったのが角だからといっても、それはそれで頭蓋骨に響いてとんでもなく痛いのですよ!?」

 

泣きながら起きあがって文句を言う。……ちっ、生きていたか。

 

「悪かったわよ……暑くて苛々してたのよ、許して」

 

そう言って、羽入にも手伝わせながらガラスの破片を片づけることにする。

 

「いくら暑くても家族にいきなり醤油瓶で殴りかかるのは感心しませんのです。なにかあったのですか?」

 

あわよくば羽入が気絶してくれればと思ったのだが、うまくいかなかった。暑さで手元が狂ったとでもいうのか、忌々しい。わざわざ死なない程度に加減してやろうと空の醤油瓶で勘弁してやったのに運のいいやつめ。

 

……そう、私はいいかげん参っていた。

 

暑さに、ではない。

 

いやそれも深刻だ、ここ二十年くらい初夏までの暑さしか経験していない私にとって久しぶり過ぎる真夏の気温は正直言って堪える。いつ圭一が帰ってくるかわからないので、下着姿ででろ~んと涼むというわけにもいかず、女という性別に生まれたことと圭一と同居することを決めたことを激しく後悔してみたりもするのだがそんなことはどうでもいい。

 

問題はそうやって貯まったストレスをそうそう発散できないこの世界の構造にある。

 

私のストレスの解消手段はいくつかある。

 

羽入をからかったりいじめたりして遊ぶこと。

 

からかうくらいならできなくはないのだが、私との旅の記憶をもたない羽入との会話はそれなりに気を遣うし、羽入が買わせてくれないのでいまの家の冷蔵庫にはキムチも置いていない。置いていたとしてもそれを使っていじめるには羽入に直接食べさせなければいけないわけで、めんどくさい。

 

沙都子をからかったり愛でたりして遊ぶこと。

 

彼女と一緒に暮らしていないのも本当に久しぶりのことで、一応診療所に行けば会うことはできるがたいていは眠らされているし、目が覚めても話す内容にはやはり気を遣う。それでも部活メンバーの誰もが三日と置かずに彼女を見舞っているし、たぶん詩音などはほぼ毎日診療所を訪れているのではないだろうか。ま、顔を見られれば多少気分も軽くはなるが、ストレス解消としてはとりあえず使えない。

 

圭一をからかったりいじめたりして遊ぶこと。

 

これはこれでお手軽なストレス解消手段ではあるのだが、肝心の圭一が家にいる確率が少ないのが難点だ。悟史と図書館で勉強するとか、レナとダム現場で宝探しとか、詩音と図書館で勉強するとか、羽入とのんびりお散歩だとか、悟史とバイトするとか、レナと図書館で勉強するとか、羽入と祭具殿のお掃除だとか。……あ、いや、最後のは私がさぼって圭一に押しつけたんだけどね。

 

とにかくあのアホは忙しい。というか、なにをそんなに図書館で勉強しまくるのか勉強嫌いの私には意味がわからない。

 

……で、それらがいまひとつ噛み合わないときの逃避の手段はやはりワインだ。

 

連日の猛暑で苛々が頂点に達したあげく、本家の鍵を肌身離さず持っている羽入をどうにかして亡き者にしようと醤油瓶を振り上げたのだが、ヤツの頑丈な角の前に阻まれてしまった。……よく考えると当たり所が悪くて惨劇になっても困るから、結果的にはよかったのかもしれないけど。

 

「梨花、最近ご機嫌斜めなのです。いったいどうしたのですか?」

 

片づけ終わった羽入が角に傷がついていないかと鏡を覗き込みながら尋ねてくる。

 

私は窓辺で扇風機の首振りを止めて独占しつつ、答えるのも億劫だという顔をしてやる。

 

「……圭一が出かけているから寂しいのですか?」

 

うわ、この神様アイコンタクト通じない。

 

別に寂しいわけではない。……強いて言うなら、腹立たしいだけだ。

 

圭一をこの雛見沢に連れてきたのは私だというのに、夜になれば羽入のお散歩の付き添い、昼は悟史や詩音や羽入やレナと遊び歩いている。

 

……とりわけレナだ。

 

何があったか知らないが、夏休みの最初にいったキャンプ以来レナと圭一は以前よりかなり仲良くなってしまった。同条件の羽入はともかく、レナや詩音に対しては同居しているのとあの既成事実の分だけずいぶんアドバンテージを稼いでいるつもりになっていたが、このぶんではそれが埋まってしまったか、いずれ埋まる日が近いのかもしれない。

 

ちょくちょく夕方くらいになるとレナに会いにダム現場に出かける圭一が帰ってくるときには汗だくでどっと疲れた様子であることも珍しくないのでいろいろと邪推してしまい、一度は尾行して様子を見にいったこともあるのだが、二人はゴミ山で跳ね回って手にした棒を叩きつけあったり、投げつけた石をバットで次々とたたき落としてみたり、ゴミを材料に作ったらしいサンドバッグに拳や蹴りを叩きつけてみたりと、意味のわからない遊びを全力でしていたので馬鹿馬鹿しくなって帰ってきた。

 

そういえば、例の事件以来圭一は家でも腹筋だの腕立てだのをしているが、あれだろうか。また鉄平みたいのとやり合うようになったときのために鍛えているとか。

 

……ま、そう考えればレナほど戦闘訓練の相手にぴったりの人間もいないだろう。彼女は私の知る限り最強の殺人鬼であり、あまたの世界でほぼし損じることなく北条鉄平を始末した恐るべき女なのだ。……私はもちろん、詩音だって返り討ちにあったことがあるんだけど。

 

その詩音もここにきてちょっと厄介だ。

 

彼女が髪型と服装を変えてくれたおかげで私は可能性の一つとして疑ってはいた双子の入れ替わりに確信を得た。いつからかは確証がないが、あの町会との直談判前後に魅音と入れ替わったのだろう。

 

キャンプのときにはセパレーツの水着で来るようなアホをやらかしてくれたので、本来の位置に入れ墨がないことを確認し遅ればせながら証拠も固めることができた。

 

学校での着替えのときも魅音がさりげなくTシャツや壁を背にすることで隠していたからあの入れ墨を知っている者はそう多くなく、知識として知っているはずの羽入もそれがないことに気づいた様子はない。もともと女性であり、背中といってもだいぶ下のほうに彫られていたのでそれを露出するような機会はあまりないのが幸いしているのだろう。

 

結果として園崎詩音は、私以外の誰からも園崎魅音ではないとバレることなくすでに1ヶ月以上を過ごしていることになる。

 

もちろん私にそれを告発するつもりはない。彼女が魅音ではないと言い募れば必ず、では魅音はどこにいるという話になってしまい、大切な仲間の不在という惨劇の爪痕を皆に突きつけることになる。それで詩音に不信感をもたれても困るし、言い出せるわけがない。

 

だから私は当然のごとく彼女を魅音として扱い、気づいていることを彼女自身にも気づかれてはいないはずだ。

 

で、そんなこととは全く関係なく、彼女もまた圭一にちょくちょくアプローチをかけているというのがなんとも疎ましいのだ。詩音だったら詩音らしく、おとなしく悟史に惚れていろと思うのだけど、これも圭一が昭和57年にいることの余波のひとつなのだろう。

 

この百年の魔女たる私にしてここまで惚れこませてしまった圭一のことだから、多少モテるのは仕方ない。たいていの世界で互いに好意を抱いていたふしのあるレナと親密になるのもわかるし、一緒に暮らしていてなにかと助け合ったり連れ立って出かけることの多い羽入もまぁ許そう。詩音は多少納得いかないものがないわけでもないが、思い返せば詩音が表立って現れる世界では姉に当てつけるためとはいえ圭一と必要以上にいちゃついているのも珍しくはなかった。

 

だが……その、つまり。

 

「あぅあぅ、梨花……?」

 

「べ・つ・に……ッ!」

 

アイコンタクトが通じないのでくわっと目を見開いてそう言ってやったら羽入はあぅあぅあぅと怯え、部屋の隅で壁に向かって体育座りを始めてしまった。写真立ての両親に涙ながらに話しかけているのも鬱陶しい。

 

……ええい、もう。率直に言うと、だ。

 

その3人や親友の悟史とは毎日のように遊び歩いてるくせに、この私を構ってくれない圭一の了見が気に入らないのだ、私は。

 

たとえ精神的にであっても齢を重ねるというのはこれがなかなか難儀なもので、圭一に自分から遊んでほしいと言い出すのはプライドが許さない。これで沙都子でもいれば、口実になるのだけれど……羽入ではいまひとつ役に立たない。

 

だいたい、私が圭一への気持ちを自覚したのはここ最近、というかはっきり好きだと気づいたのはこの世界に来てからの話だ。百年前から彼を知っているということがそれほど有利に働いていないのだから困ったものだ。

 

「羽入がなんかいじけてるんだが……」

 

「知らないわよ」

 

そもそも頭に来るのは、あの既成事実を圭一の馬鹿はどう考えているのか。そりゃあ、ムードもへったくれもなかったことは認めよう。だがそれでも、私にとっては記憶にある限りファーストキスだったのだし、圭一だってあれ以前にそういう経験があったとは思えない。なのにどうしてもっと私を意識してくれないのか、理解に苦しむ。

 

やっぱりあれか、この小さすぎる体がいけないのか。羽入はもちろん沙都子に比べても小柄で貧相なこの身体が、圭一にそういう気を起こさせないというのか。あの既成事実さえ単なる幼女によるじゃれつきととられてしまっているのなら、私に打つ手は……。

 

「なあ、梨花ちゃん」

 

「うるさ……ッ!」

 

残りの言葉は声にならず、ぱくぱくと口を動かすのみ。

 

目の前に圭一がいた。

 

一緒に暮らしている上に羽入に対してはどうしても素が出てしまうので、圭一の前で素を見せてしまうのは全然珍しくもないのだが、基本的には梨花ちゃまモードで武装しなくては圭一に話しかけられない最近の私はとてもチキンであり、いくら苛ついていた上に相手が圭一だと認識していなかったとはいえ怒鳴りつけながら手を払おうとしてしまったという事実には泣きたい気分になるばかりだ。

 

「羽入! 羽入、いますぐループ! 私の人生のリセットボタンは何処!?」

 

途方に暮れた私は遠い空に向かってやり直しを要求するしかなかった。

 

「なんだかよくわからんが、……暇ならどっか行かないか?」

 

と、圭一が困ったように笑いながら申し出たのでぶんっと首をそちらへと戻してしまう。

 

「……レナと予定は?」

 

「夕方の約束だ」

 

「……魅ぃとは?」

 

「あいつ今日はバイトだって言ってたと思うが」

 

「……悟史と男の語らいは?」

 

「診療所に一日詰めてるはずだ」

 

「……なら羽入とは?」

 

すっと無言で体育座り羽入の背中を指さす。

 

なるほど……。

 

すこしプライドが疼く。予定がたまたまあいていて、羽入に拒絶されたから私を誘ったというのがちょっぴり気に入らない。でもクールになれ古手梨花。頭の中で算盤を弾いて、もしここで私が断ったら圭一は早々にダム現場に向かうという予測が立つ。

 

予定よりも時間があれば、レナとの間にどのようなめくるめく訓練が展開されるかわかったものではない。

 

『圭一くん、これがマウントポジションだよ。だよ』

 

『む、なるほど……これは身動きができないな』

 

『抜け出す方法を考えてみてくれるかな。かな』

 

『いいや、むしろ下から攻撃するほうが俺に合ってるぜ!』

 

『はぅ、そんな、圭一くん、圭一く~ん!?』

 

ぶんぶんと首を横に振ってその濃厚すぎる妄想を頭から追い払う。

 

そんな未来は即・却下である。

 

「……なに考えてるんだと思う?」

 

「梨花はとても賢い子ですが、ときどきとてつもなくアホの子なのです」

 

戸惑った様子で尋ねる圭一に、羽入がいじいじしながら余計なことを答えていた。

 

「圭一、ボクと出かけるのです!」

 

すっくと立ち上がって、それを告げる。古手梨花、大地に立つ!

 

「うん。どこに行きたい?」

 

「そんなの、圭一のエスコートにおまかせするのです」

 

どこかの翠色っぽい人形よろしく両手を頬にあててやんやんと恥じらってみせる可憐な私であった。

 

「んじゃ、商店街の駄菓子屋にアイスでも買いに」

 

圭一が言い終わる前にメメタァと私の拳が圭一の頬にめりこんでいた。

 

「半分冗談だったんだが……」

 

むしろ半分も本気だったというのが許せん。

 

「……気が変わりましたので、ボクが雛見沢の穴場を案内してあげるのです」

 

ひきつりながらそう言ったら、圭一は苦笑しながら頷いた。

 

「ああ、まかせるよ」

 

「では、水着袋を持ってしばらく外へでているのです」

 

「水着? 川遊びにいくのか?」

 

「さっさと行け、なのです☆」

 

圭一の背中を蹴って部屋から叩き出すと、私はそそくさと着替えを始める。

 

「むむ、本当は汗を流していきたいところだけど……」

 

「外に出ればまた汗だくになるのです。無駄無駄無駄なのですよ」

 

羽入に言われて、それもそうかと思い直す。

 

だいたい、これから行く場所が汗を流す場所なのだから意味がない。

 

とりあえずそれでも全身をタオルで拭いて、下着からなにから変えていくのだけは譲れない一線であった。

 

「……それより梨花、いったいどこに行くつもりなのです?」

 

「どこでもいいでしょ。ついてきたら懲罰だからね」

 

凄みをきかせて言ったらひっ、と羽入が息を呑むのがわかった。

 

「あぅあぅあぅ……」

 

その怯えた瞳に、さすがにちょっと可哀想かなとも思ってしまう。考えてみれば、今日は羽入に八つ当たりしてしまったのだ。オヤシロ羽入ならともかく、普通の小学生であるところの姉羽入に対しては罪悪感がないわけでもない。

 

「ごめんごめん。この次は羽入も一緒に連れてってあげるから、3人でいきましょ」

 

にこりとしてそう言ったけど、羽入は首をかしげるばかりだった。

 

まあ無理もない。

 

とりあえず前原父捕獲用のとっておき、白いワンピースに着替えて麦わら帽子をかぶった私は、水着その他もろもろの入ったショルダーバッグとともに家を出た。

 

倉庫の入り口、日陰になるところに圭一が座って待っていた。

 

「お、その服可愛いな」

 

やはり親子、同じ属性持ちなのだろうか。この服を持ち出してよかったと思いつつも、なにやら顔面の筋肉が発熱して力が入らないと言う身体異常に気づき愕然とする。

 

こ……これは、まさか、雛見沢症候群の前駆症状?

 

はい、嘘です。

 

そりゃ私だって百年過ごそうが千年過ごそうが女の子のはしくれなので、好きな男の子に可愛いなって褒めてもらえれば赤くなりもするし思わずにやけてしまいます。

 

「そ、それはどうも」

 

つんとすましてそっぽを向くのだけれど、横目で窺うとなにやら圭一が心底面白そうに笑っているのが見えてしまって落ち着かなくなる。

 

憮然としてしまいそうになるのを必死でこらえた。笑顔なら私の専門なのだが、レナみたいに可愛くむくれるという技術をいまだに身につけていない私としてはうかつにむくれて不細工な表情を見せてしまうわけにはいかない。

 

くそ……、今度、笑顔以外も鏡を見ながら研究しておかなければ。角度とか。

 

「それじゃ行こうか。ずいぶん遠いのか?」

 

「歩いて1時間……ううん、もうすこしかかりますです」

 

へぇ、といって隣に並ぶ圭一は自然と私に歩調を合わせてくれていた。

 

……無神経を地でいくような圭一がこんな気遣いをできるというのはちょっと意外に思えるかもしれないが、普段から部活メンバーの女の子と歩くことが多い圭一はどの世界でも数週間とせずにそれに慣れてしまうのだ。特にこの世界では羽入と毎日のように歩いているせいか、そちらのほうがもはや自然になっているふしもある。

 

「……我々は魔界のごとき森へと足を踏み入れたのであった」

 

圭一が思わず探検隊のようなナレーションをしてしまう理由は、私が躊躇なく裏山に踏み込んだからだった。

 

「圭一、ここから先は危険地帯です。ボクの隣を離れないようにするのです」

 

「よし、たよりにしてるぜ梨花ちゃん」

 

そう言って圭一が私の手を握ってくれる。どきりとしたが、子供じゃあるまいしこんなことでどきりとしてたまるか。なにこの矛盾した文章。

 

……こほん。ともかく、先へ進むことにする。

 

沙都子のトラップは昭和58年ほどには充実していないが、当然ながらあちこちに仕掛けられているし、無人で機能するものも山ほどあるのだからここが危険地帯には違いない。

 

雛見沢住人の誰もが避けるこの危険地帯、裏山を越えた先に……その目的地はあるのだ。

 

この私がいつかの世界で、まだ山狗だとはわかっていなかった敵から逃げているときに偶然発見した、秘湯中の秘湯が!

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