「いってきま~す!」
答えがないとわかっている挨拶を口にして、私は玄関を出る。鍵をかけて、ゆっくりと歩き出した。
お父さんは、最近あまり家に帰ってこない。
興宮のお友達のところへ泊めてもらって、仕事を手伝わせてもらっているんだと言うけど、数日に一度帰ってきては金庫から数万円ずつ抜いていく行動を見ればお金を稼いでいるどころか遊び回っているだけなのは目に見えていた。
家計を預かる私にできる抵抗は、通帳を持っていかれてしまわないように印鑑を隠して、私のための生活費を別に確保しておくことだけ。
いろいろと言いたいことがないわけではない。
でもこのお金はあの人がお父さんにくれた慰謝料なのだから、お父さんが自分の傷を癒すために使い込んだからって私に文句を言う筋合いはないのだろう、多分。
お父さんとあのお金を共有しなければならないのはおそらくあと数年のこと。さすがに高校は出ておかないと選べる仕事の範囲も少ないから、あと5年とすこしはこの生活を我慢しなければいけない。
お父さんにいらないと思われている私に、独り立ちして家をでていく以外の選択肢なんかないのだから。
「っ!」
大きな音がして、慌てて顔をあげる。
道の向こうからやってきた大きなトラックを脇によけてやり過ごした。舗装路のない雛見沢には不釣り合いなその巨体が通り過ぎるのを見ながら、すこしだけ気分が浮き立つ。
あれはたぶん、この先の角で曲がって別荘地に向かうはず。
しばらく前に測量の人たちなんかがきてたから、いよいよ話に聞いていた圭一くんのお家の基礎工事が始まったんだろう。
しばらく先、きっと秋の終わり頃にはすっかり完成して、圭一くんが引っ越してくる。
そしたら、圭一くんがご近所さんになる。魅ぃちゃんとの待ち合わせ場所までのほんの数百メートルの間でも圭一くんと二人きりで毎日歩ける。朝は一番最初におはようって言って、夕方は一番最後にさよならって言える。圭一くんのご両親は忙しいって聞いてるから仲良くなって、圭一くんのごはんを作りにいってあげちゃうのもいいかもしれない。
ああ、なんて薔薇色の未来!
そう思うと、自然に足取りが軽くなった。
「♪」
そう、私には圭一くんやみんながいる。だから平気、寂しくない。
仲間っていうのはきっと第二の家族。
あの6月まではそのことに多少懐疑的だった私だけど、いまなら胸を張って言える。
私たちは無力だった、あの運命に抗うことは結局できなかった。
でも誰一人、仲間を見捨てなんかしなかった。
それぞれのやり方でせいいっぱい戦って、敗れた今も圭一くんを中心にみんなで励まし合って次に来るかも知れない嵐に備えている。傷ついた沙都子ちゃんを取り戻そうと、必死で笑顔を守っている。
苦しいときは助け合える、つらいときは身を寄せ合える、それが家族でなかったら何だというのか。その意味では私とお父さんはもう家族じゃないのかもしれないけれど、圭一くんがいてくれるから、いまは平気。
……はぅ。
圭一くんを思い浮かべただけで、ちょっぴり幸せな気分になれる。
う~ん、これって依存って言うのかな。圭一くんによりかかりすぎちゃいけないって思うけど、それでも彼なら受け止めてくれるかもしれないなんて期待もしちゃう。
圭一くんやみんなのことを考えて、私の胸を幸せな気持ちでいっぱいにしながらのんびりと歩き続けて……学校に着いていた。
「お、レナも来たな! これで全員揃ったか!」
一番に私に気づいてくれたのは、ちょっと古めかしい市松模様の浴衣を着た圭一くんだった。その横には水色地に朝顔をあしらったかぁいい浴衣の羽入ちゃんと、淡い紫の地に紫陽花を散らした柄の浴衣の梨花ちゃん。
「やっぱりレナには白が似合うね! うん、可愛いよ」
にこにこしながら私にそう言ってくれたのは、黒地に色とりどりの花火柄、足から腰にかけて金糸や銀糸をふんだんに使った錦鯉が泳いでいる……ある意味豪勢な柄の魅ぃちゃん。今日は以前のようなポニーテールで決めていた。私のは、白地に金魚柄だから……なんだか対照的かもしれない。
その傍らには、ダークスーツにサングラスといういかにもその筋の人に見えるおじさんが立っていて、砂利敷きの校庭にワゴン車を入れていた。今日はこの人が運転手をしてくれるらしいとわかって、頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ。葛西と申します。……どうぞ、お乗りになってください」
と、ワゴンのドアを開いて皆を招き入れる。
「あれ、悟史くんは?」
「そこにいますのです、レナ」
羽入ちゃんが困ったような笑みを浮かべて指さした先、一番後ろのシートの奥には着替えの入ってるらしいスポーツバッグを抱きしめるようにしてしくしくと涙を流す悟史くんがいた。
「どうして僕、肝心なときにいっつも負けるんだろうね……」
黄色地に向日葵柄の女物の浴衣を着て、髪にも向日葵の髪飾り。罰ゲームが厳しいときほど負けがこむのは、大事なときに打てない悟史くんの特性なのかもしれない。
「おも、おも、おもちかえッ……」
「待った待った、ここでお持ち帰られちゃったら罰ゲームにならないじゃん!」
魅ぃちゃんが笑いながら私を羽交い締めにして止める。
「でも、でもぉ~」
「圭ちゃん、レナを見張ってて。悟史に襲いかかろうとしたらすぐ止めること~。羽入と梨花ちゃんは真ん中の席ね!」
魅ぃちゃんはてきぱきと指示して、自分は助手席に乗り込んでいく。
「おう、まかせろ」
と、私の後ろから圭一くんが乗りこんできて、そのまま奥へ追いやられる。
「は、はぅ……!?」
私は最後部の真ん中、よりにもよってかぁいい悟史くんと、圭一くんに挟まれる格好になってしまう。こ、これ、なんてパラダイスだろ!?
圭一くんのあとから古手姉妹も私たちの前の席に並んで乗り込む。
「それでは出発いたします」
最後に葛西さんが運転席に乗り込み、魅ぃちゃんが鷹揚に「よろしく~」と言って車が動き出した。
「浴衣でお祭りなんて初めてだけどさ、結構雰囲気があっていいなぁ!」
帯にさしていた扇子を開いてぱたぱたと扇ぎながら言う圭一くん。
「圭一くんの浴衣って……」
「ああ、親父さんのを羽入が仕立て直してくれたんだよ」
浴衣はつくりが簡単だから、やれといわれれば私にも出来なくはないと思うけど……そういう年季を感じさせる小技をさらりとやってのけるのが古手姉妹の恐ろしいところだ。
「昔、父様たちと行ったお祭りを思い出しますのですよ」
角につけたリボンを揺らしながら羽入ちゃんがにこにこ笑顔で振り返る。
「へっへへ、俺はそれより、俺だけ参加できなかった綿流しのリベンジをしなきゃな!」
腕が鳴るとばかりに圭一くんが腕まくりをしてみせると、
「そうだね~、今日は部活の出張版で存分に荒らしてまわるよ~!」
魅ぃちゃんも助手席から振り返りながら言ってくる。
「ファイト、おー☆です!」
梨花ちゃんもご機嫌でちっちゃな拳を振り上げていた。
「うん、レナも頑張るよ~!」
「ぼ、僕だって。次こそ、魅音に罰ゲームをさせてやる!」
悟史くんもやけっぱちな元気さで声をあげる。
ちなみに、もし前回の部活で女の子が負けていた場合にはバニーガール+法被という圭一くんと悟史くんが合同でアイディアを出したとんでもない格好での祭への参加が義務づけられるところだった。男の子に女物の浴衣も厳しいけど、どうあっても負けられない一戦となってみんなが熱く激しく蹴落としあったのは言うまでもない。
魅ぃちゃんや羽入ちゃんや梨花ちゃんのバニーさんも見たかったけど、さすがに自分でその格好をするのは勘弁してほしいから私も頑張った。
わいわいと賑やかにおしゃべりしている間に車は興宮の町はずれにある神社の前に着き、私たちは葛西さんにお礼を言って降りる。
綿流しにも負けないくらいの人手。今日は花火も上がるらしいから、とっても楽しみだった。ぞろぞろと石段を登る間も悟史くんは顔を真っ赤にして俯いていたけど、……もともと線が細いからたぶんまわりの人は男の子だなんて思わないだろう。
「あぅ、僕と梨花はちょっとここの神主さんにご挨拶してきますのですよ」
境内に上がったところで羽入ちゃんがそう言った。もともと羽入ちゃんたちのお父さんの知り合いだとかで近傍の神社同士という以上に親交があって、ご両親が亡くなったあとも祭事のアドバイスや神社庁への取り次ぎなどいろいろとお世話をしてくれているらしい。
「ふ~ん、お付き合いってやつか。大変だな!」
「なんなら圭一も一緒に行く? 十年後の古手神社の神主ですって紹介してあげるわよ」
にやりとして梨花ちゃんが言って、圭一くんはちょっと赤くなりながら扇子を掌でぱちんと閉じた。
「んな先のことがわかるかって。さっさと行って来い!」
あぅあぅと頬に手をあてて赤くなってる羽入ちゃんと、軽やかに笑いながら梨花ちゃんが人混みの間を駆け去って行く。
「この鳥居のところで待ってるよ~!」
その背中に魅ぃちゃんが声をかけて、人混みの間をひらひらと梨花ちゃんのものらしい手が舞っていった。
「ったく、しょーがないなあいつは……」
圭一くんはぼやくけど、私は彼の梨花ちゃんに対する態度がちょっと変わったかな、と思っていた。梨花ちゃんのほうも、まるで羽入ちゃんに対するみたいな口の利き方をしていて、……ふたりがいつの間にか家族らしくなったのだと気づく。
この分だと、圭一くんの梨花ちゃんに対する呼び方が呼び捨てになるのもそう遠いことではないのかもしれない。
それはそれで微笑ましいような、負けていられないような……。
「それじゃ、二人が戻ってくるまでここで待機ね!」
魅ぃちゃんが宣言して、私たちは二手に分かれて鳥居の側で立ち話を始める。
……見ようによってはカップルに見える男の子組が何を話しているのかもちょっぴり気になるけど、いま一番気になるのは、私の隣で小さくため息をついている魅ぃちゃんだ。
「どうしたのかな、魅ぃちゃん。なんだか元気ないよ?」
「え、あ。あははは! そんなことないよ!?」
魅ぃちゃんはわかりやすいくらいにオーバーアクションで元気さをアピールするけど、私にはだいたいその悩みも透けて見えてしまっている。
「魅ぃちゃんがなんでもないならいいけど……レナのお友達の話を聞いてくれるかな? かな?」
「へ? いいけど……」
よくわからないという顔をする魅ぃちゃんに、
「あのね、その子には好きな男の子がいるんだけどね。……すこし前までは、別の男の子が好きだったの」
「へ、へぇ……」
引きつる魅ぃちゃんがちょっぴりおかしくて小さく笑ってしまう。
「両天秤もよくないって考えたのかな、その子は新しく好きになった男の子と仲良くなりたいって思ってるんだけど……その二人の男の子はとっても仲の良い親友同士だから、なかなか吹っ切ることができないんだよね」
「そりゃー難儀だねぇ……」
もう私の言いたいことがわかったのだろう、魅ぃちゃんは慌てるのをやめて肩をすくめるばかりだった。
「レナには話してくれないけど、ほかにもいろいろと複雑な事情を抱えてるみたい。魅ぃちゃんだったら、その子はどうしたらいいと思う?」
「……レナ。あんたどこまで」
呆れたような諦めたような、それでいて感心するような視線。
「うーん……ま、とりあえずさ。一人で悩んでてもしょうがないから、誰かに相談するのがいいんじゃない? レナ、なにかアドバイスしてあげれば?」
「そうだね。……レナはね。無理に悟史くんのことを忘れようとしなくたっていいと思うよ」
さっくりと切りこんだら、魅ぃちゃんはちょっぴり気弱そうな笑みを浮かべる。
「圭一くんは魅ぃちゃんが誰に未練を残していようが、全然気にしないと思うな」
「言うね……。でもさ、レナだって圭ちゃんのこと好きなんじゃないの?」
反撃のつもりなんだろうか、ちろりと横目で私を見る。
そう率直に言われると、こっちもすこしだけ照れてしまう。自然と頬が緩む。
「えへへ、そうだよ~。……レナだけじゃなくって、きっと羽入ちゃんや梨花ちゃんもね」
これはもちろん周知の事実だったから、魅ぃちゃんも驚きはしなかった。
「……それでいいわけ? せっかくみんな仲良くやってるのに、お互いギスギスしちゃったりするんじゃないかって心配なんだけどね」
魅ぃちゃんの心配は、普通の感覚ならもっともな話だった。
男女が入り交じった仲良しのグループの中に、一人の男の子を好きな女の子が四人もいるのだから、互いに牽制しあったり妨害しあったりでこじれてしまいかねない状況なのは間違いない。……でも。
「レナはね、信じてるだけ」
魅ぃちゃんはじっと私の横顔を見る。
「みんな、それぞれの理由で圭一くんを必要としてる。彼は誰も見捨てないって信じてる。私たちが必要とする限り、その期待に応えてくれる、想いに応えてくれるって信じてる」
それはとても困難な道だけど、圭一くんはあえてそれを選んだ。
そういう人だってわかってるから、甘えられる。
「梨花ちゃんや羽入ちゃんが、圭一くんからレナを切り捨てようとはしないって信じてる。二人がレナと同じ気持ちで、やっぱり自分の弱さを知っていて、みんなが同じように圭一くんの支えを必要としてることをよくわかってるって信じてる」
そういう子たちだって知ってるから、笑い合える。
「いつか、レナたちみんなに、支え合う理由がなくなったそのときは、独占欲が抑えられなくなるかもしれない。そうなったら正々堂々、圭一くんに誰かを選んでもらうのもいいかもしれない。でも、今は……独りっきりで誰にもよりかからずにいるのが、一番危ないと思うよ。……いまの魅ぃちゃんみたいに」
私はそう言って、魅ぃちゃんに笑いかけた。
「だから、魅ぃちゃんももっとレナたちを信用してほしいな。圭一くんによりかかる勇気がないなら、レナによりかかってもいいから。ちゃんと、受け止めてあげるよ?……はぅ☆」
「いやいや、そこでかぁいいモードになる時点で警戒しちゃうから!」
魅ぃちゃんは苦笑する。それから両手を組んで頭の上に伸ばして、軽く息をついた。
「……でも、言われてみればそのとおりなんだよね。なーんか出遅れちゃってる気がするけど、ちょいと頑張ってみましょうかねぇ!」
それを見て、私は笑顔を返す。魅ぃちゃんはあの綿流し前後からなんだかまるで別人のような顔をすることがあるけど、やっぱり本質的なところは変わらない。服の趣味を大幅に変えてみたり、自分のことをおじさんとか言わなくなったりはしても、やっぱり内面はかぁいい魅ぃちゃんのまま。
そのことにすこしだけ、安堵していた。
「……って、あれぇ!?」
魅ぃちゃんが私の肩越しに背後を見て、目を丸くする。なんだろうと思って振り向いたら、圭一くんが酔っぱらったおじさんを殴り飛ばすところだった。
「にゃ、にゃあんだ。この小僧。なにしゃあがる!? 俺を誰だと思って……」
「うるせえ、この俺の目を誤魔化せると思うなよ! あんたいま、こいつの尻を触っただろうが!」
みれば、悟史くんが真っ赤になりながら圭一くんを止めようとしていた。
「け、圭一、僕はもういいから……!」
「そーゆーわけにいくか! この前原圭一の仲間に手ぇ出す奴ぁ、何様だって容赦しねぇ! 文句があるなら、かかってきやがれこのトーヘンボク!」
浴衣の袖を肩までまくって威勢良く吠える。
「おぉ、よぅ言うたわぁ、兄ちゃん」
「大人に対する口の利き方ってもんを教えてやらぁ」
その酔客の仲間だろうか、何人かが前に出てくるけど、圭一くんは不敵な笑みを隠さずにその人たちを順に見渡した。
「なんだなんだ、クズにゃクズのお仲間かぁ? 大人も子供も関係ねぇ、されて嫌なことをやっておいて居直るような恥知らずにゃ、この拳で社会のルールってやつを叩きこんでやるぜぇ!」
……なんというか、圭一くんのこの自信は、いったいどこから沸いてくるのか。
大の男数人相手に囲まれても一歩も退かず、それどころか大音声で啖呵を叩き返すその威勢の良さで、周囲から拍手や喝采の声があがる。一瞬にして、圭一くんはその場の空気を味方につけてしまった。
「……魅ぃちゃん」
「うん、行こう」
私たちはたったそれだけの遣り取りで笑い合い、圭一くんの左右へと進み出る。
「酔っぱらいってのはどうにも始末が悪いね。……私の仲間に手ぇ出すんだ、すこし身の程ってやつを思い知ってもらおうかね」
「あははは、命知らずな酔っぱらいさんたち、かぁいいねぇ☆ レナがすこしだけ、遊んであげようかな、かなっ☆」
こうなっては、悟史くんだって黙っているわけがない。
「むぅ……しょうがないなぁ。あんまりやりたくないけど、僕も加勢するよ」
見た目では女の子3人が加勢に加わっただけ、向こうも退くに退けない。
「こんガキども、やぁっちまえ!」
「上等だ、その喧嘩買ったぁあ!」
喧嘩は祭の華、とは言うけれど。
……真っ先に飛び込んでいく彼のその背中が、本当に華やかで、お祭りの夜を一身に背負っているように見えたのは、きっと私だけじゃない。
まだまだ当分。
私たちは、この背中を追いかけていくんだろうな……。