夏休みも終盤を迎えて残暑厳しい折りではあるけれど、恋の季節はまだまだこれからが本番。……というわけで、今日はちょっと気合いを入れてみた。
普段なら夏休みの宿題を口実に図書館に誘うのが精一杯の圭ちゃんを、プールにお招きしてみました!
もちろん興宮にある鹿骨市営の市民プールなんてしょぼい事は言わない、ちょいと何駅か電車で足を伸ばせばあるのです、思春期の少年少女がデートするに相応しい程度には小綺麗なプールというやつが!
というわけで、今日は鬼婆様に用事を押しつけられそうな雰囲気だったからさりげなく早い時間に屋敷を抜け出して、お姉の自転車でここ興宮駅にやってきた。
やかましい蝉の声を聞きながら、ああこいつらも恋の季節が終わりそうで焦ってるのかなと余計なことを考えつつ、駐輪場の前、日陰になっている車止めに軽くお尻を乗せて待つこと二十分少々。ようやく圭ちゃんがやってきた。
「よう、魅音」
「はろろ~ん……って、なんですソレ」
思わず変な目つきで見てしまったのは、圭ちゃんの腰にしがみついて横乗りしている余計なモノだった。そいつは子供っぽく両足で着地するなり、にぱ~☆と笑顔を向けてくる。
「ソレは酷いのですよ、魅ぃ」
いやいやソレで十分なくらい邪魔なんだけど。
「いや、プールに行くって言ったら自分も行くってきかなくてさ」
なにその聞き分けのない妹を持った兄みたいな苦笑い!?
むむ……確かに、別に内緒で来いとも二人きりだとも言ってなかったので、圭ちゃんを責める理由は特に見つからない。責めるとしたら、
「圭一、魅ぃの水着姿、楽しみでしょ?」
明らかにこっちの意図をわかってて介入してきた、このちびっちゃい悪魔のほうだ。
「この前キャンプで見ただろ。楽しみじゃないとは言わんが」
「くすくす、当然今日は新しい水着を用意してきたと思うけどね?」
とはいえ、圭ちゃんの自転車に乗って来た時点で追い返すのは困難だ。ここは多少の妨害を覚悟して連れていくしかないか……ふぅ。ここは年上の度量を見せないとね。
「それじゃ、とにかく行こうか。ちょうどいい頃合いだし」
昼間の電車は1時間に2本がいいところの興宮だ、時間に遅れなかっただけでもよしとしよう、うん。せっかく積極的に行くと決めたんだから、ここはポジティブにね。
電車に乗り込み、がらがらの車内で圭ちゃんと向かい合わせに座ったら、梨花ちゃんは何を思ったか私の隣にちょこんと座ってきた。……そこは圭ちゃんの隣で所有権主張するパターンじゃないわけ?
……と訝しく思いながら見たら、目が合って満面のにぱ~☆を向けてくる。
レナならずとも可愛いのは認めざるを得ないところだけど、この子の本性はやたらと危険だというのがわかりきっている私としては油断できない。だから、同じくらい邪気のない笑顔を浮かべ返してやった。
「お前ら、意外と仲いいのな。御三家ってのは親戚みたいなもんなんだっけ」
窓枠に頬杖をついた圭ちゃんが、感心するような顔で言ってくる。
「え? あ、うん、まぁね~」
同格の家柄なだけに長い歴史の中では互いに婿入り嫁入りもあっただろうから、親戚というのは間違いではないし、御三家同士での集まりも年に何回かはあるから面識もある。
……ってあれ?
そういえば、こいつと羽入は私……というか『園崎詩音』の存在を知ってるんじゃなかったっけ。だとすれば……あぁあ!?
急に汗ばんでしまいつつ、にこにこしている梨花ちゃんを横目で見てしまう。
子供の頃から、『魅音』と『詩音』を周囲に見分けさせるための記号として、『魅音』はポニーテール、『詩音』は髪を下ろしてリボン、ということをしてきたわけで……あの事件のあと退院して以来の私は基本的に『詩音』としての髪型で通しているばかりか、体育の着替え時やキャンプの時の水着など、明らかに鬼を背負ってない背中をこの子たちに晒してしまっている……!
鬼婆様には髪型の件は気分転換で通じてるはずだけど、この子は私が魅音ではないことに気づいているのではないだろうか?
「魅ぃはボクたちの、離れて暮らしてるお姉さんみたいなものなのです☆」
こ、この笑顔……底が知れない……!
「ふぅん……まあ、魅音ならなにかと姉御肌で面倒見いいから、いい姉貴分だよな!」
なにもしらない圭ちゃんはそう言って、とてもいい笑顔を見せてくれる。
圭ちゃんに褒めて貰えるのは本当に嬉しいんだけど……、うぅ。この子がどこまで気づいているかという心配事を抱えてしまった身としては、素直に喜べない……!
それさえもこの子の狙いじゃないかと思ってしまう私は、疑心暗鬼まっしぐらだったりしないだろうか。
……あ、でも、待てよ?
冷静になってみると……この子が気づいているとすれば、少なくともキャンプの時点でそれに気づきながらもそのことを黙認していることになる。
私本人に、本物の魅音がどこにいるのかと聞いてこないのが解せないけど……。
そこで突然思い出した。
この子には、予言をはじめとする不思議な力があると噂されていたことを。
だとすれば、話は簡単だ。今年の祟りで叔母が殺され、魅音が消えたことをこの子は何らかの方法で察知した。
それを仲間たちに言えば、魅音の不在という事実を突きつけることになり、みんなで沙都子を支えているいまの仲間たちに亀裂を生む結果になりかねない。だから私が身代わりをしているのを幸いとばかり、然るべきときまで見過ごすことにした……と。
「みぃ?」
すっとぼけたこの無邪気な顔の下に隠されているであろう冷静な計算と、仲間への思いやりに少しだけ舌を巻く。
いいだろう、古手梨花。そちらがそのつもりなら、私に異存があるわけもない。お姉の所在は正体を明かした葛西に頼んで調べてもらっている、今しばらくこの馬鹿げた茶番劇を続けるとしよう。
……にしても、姉の羽入のほうにはまったくそういう気配が感じられないのはアレだろうか、いわゆる……天然?
吹っ切れたところで私はいつものように魅音モードの自然体で会話を交わせるようになり、梨花ちゃんも交えて圭ちゃんとこの夏休みの思い出や沙都子の話などに花を咲かせることができた。
そうこうするうちに電車は目当ての駅に着き、改札を出た私たちはまるで仲のいい親子か兄妹のように手を繋いでプールへと向かった。
……親子。ん~、それは悪くない。もっと大人になった圭ちゃんを想像し、ついでに自分の大人バージョンもちょっぴりの願望を交えて構想する。子供は……うふふ、圭ちゃん似の男の子もいいし、詩音だった頃のお姉みたいな可愛らしい女の子もいいなぁ。
「魅ぃ、なにか幸せな妄想ワールドを脳内に展開させてるわね……」
「うん、いい笑顔だ。人は妄想するとき、完全なる自由を手に入れるのだよ」
梨花ちゃんと圭ちゃんが微笑ましげにこちらを見ているのに気づいて、慌ててよだれがでそうな口元をごしごししてしまう。
「い、いやぁ~、こういう仲良しな雰囲気ってのも素敵だな~って思ってね!」
あっはっは、と誤魔化し笑いをするしかなかった。
「じゃ、先に待ってるからな」
プールに着いた私たちは入り口のカウンターで入場料を支払い、圭ちゃんと左右に分かれて更衣室に向かう。男の子の着替えはとにかく早いので、圭ちゃんが私たちを待つことになるのは間違いないだろう。
ロッカーを確保して脱ぎ始めたところで、梨花ちゃんの視線に気づいてはっと動きを止める。彼女の視線は背中……ではなく、胸へと注がれていた。
「ちょっとぉ、やめようよその視線は……!?」
同性とはいえ、まじまじと見られて気持ちのいいものではない。たとえそれが、なんとも物欲しげな、羨ましげな視線であってもだ。
「……みぃぃ」
まるでしゅんとしたみたいに下を向いた梨花ちゃんは、自分の遮るものなき足元を見つめながら呻く。ちょっぴり泣きそうな声に聞こえたのは、私の耳がおかしいわけではないのだろう、たぶん。
「まだこれから成長期でしょ、梨花ちゃんは。羽入も細いけどそれなりにはあるし、そのうちちゃんと出るとこ出るって!」
自分でも気休めっぽいなと思うフォローを入れつつ、タオルを巻いてちらちら送られてくる視線から自分の身体をガードしながらさっさか手早く水着に着替えてしまう。はあと小さくため息をついた梨花ちゃんも、あきらめたように自前の水着を身につけた。
以前叔父さんの店で手配してやった趣味に走りまくった白いヤツ……ではなく、今日は薄紫のワンピースらしい。お子様用にしてはシックな色合いとシンプルさが、その物憂げな表情には妙に似合っているから不思議だ。……いや、それに包まれた体型について詳細に語るほど私は冷血女でもなければレナちっくでもないので念のため。
「あっはは、めげないめげない。行こうか!」
「……みぃ」
梨花ちゃんの手をとってプールサイドへ。
目の高さがちょうどそのあたりだからか、まだちらちらとこっちの胸に視線を送ってくるけど、それはあえて黙殺する。
貧しき者にはわかるまいが、富める者もそれなりに苦労していることをわかってほしいものだ。男どもの目線がやけに低いことにたま~に苛々したり、同性にもあれこれとろくでもない質問をされたり、男女問わずこちらの頭の中身まで勝手な推量を当てはめてこようとするのはどうなのよ。私ゃそーゆーのも利用できるところは利用して武器にしてはいるが、ストレスが皆無ではない。
まだなんとか肩こりに悩まされたり下着の色柄を選べなくなるところまでは行ってないが、将来は重力や張力という敵とも戦わねばならないだろうし、当事者としては諸手をあげて喜べることばかりではないのだよ。……あえて貧しき者に理解は求めないけどね。
これはいわゆるノブレスオブリージュというやつか。……ちと違うな。
「お、二人とも新しい水着か! むむむ」
声をかけられて振り向けば、待ちかねていた圭ちゃんが早速その審美眼を向けてくる。
「……ど、どうかなぁ~。あはは」
有象無象の視線が鬱陶しく感じることはあっても、意識している男の子の視線は全く別の話だ。その触れた場所が暖かくなるような錯覚ももはやおなじみだし、なんだかくすぐったくてむずむずするような気持ちは嫌いじゃない。
まーなにより圭ちゃんの場合助かるのは、気づかれてないと思ってチラ見してくる連中と違って、時としてダイレクト過ぎるくらいにその喜びを表現してくれるので、多少恥ずかしくても悪い気はしないというのが大きいかもしれない。……そういえば最近、悟史くんもそういう傾向を獲得しつつあるのは彼のために喜ぶべきところなのだろうか?
「うむ! 魅音の足の長さと脚線美とをより強調するハイレグというチョイスには感嘆するほかないし、夏の太陽を彷彿とさせるイエローを基調にシャープな黒のラインと斜めにデザインされたロゴはその素敵な起伏をより目に楽しませてくれる。健康的に伸びた四肢とも相まって、魅音本来の弾ける魅力を遺憾なく発揮するまさに至高の逸品! ちくしょう、傍らに我が友サニーもレナもいない今、俺はこの身体の奥底から沸き上がる喜びを誰と分かち合えばいいんだぁぁあぁ!?」
「ひとつお尋ねしますが、サニーって誰?」
「沙都子のにーにーで略してサニー。ひだまり的な意味もこめて。コメント等で候補を下さった皆様ありがとうございましたッ!」
感涙にむせぶ圭ちゃんがなにやらわけのわからないことを言っているが、とにかく喜んでくれてよかった。数店のお店を巡りながら十数着を試着し、入念に絞りこんだ甲斐があったし、昨夜もどこかヘンなところはないだろうかと姿見とにらめっこした挙げ句、背中側も見ようと部屋からミラーを抱えて廊下を水着のまま歩いているところを鬼婆様に見つかって小一時間お小言を喰らった苦労も報われたというもの。
何が言いたいかというと、物凄く嬉しいんだってばッ!
「みー……」
私にばかり構っているものだから、梨花ちゃんがすねそうだったが、圭ちゃんは鈍い割に目端がきくのかすぐにそれに気がついてその髪を撫でながら言った。
「梨花ちゃん、そんな顔すんな。……その鮮やかに染め上げられた藤色という古式ゆかしいカラーセンスと時代絵巻から抜け出してきたかのような姫カットの織りなす美しい調和、スリムかつタイトな身体のラインを引き立てるシンプルなデザインの持つ隠された色気と凄み、いまだからこその期間限定ともいえる淡い陰影の作り出すわびさびすら覚えさせるその立体感! 愛らしさのあまり今すぐお持ち帰りたいくらいに高得点だぜ!」
「ひぅ……ッ!?」
陶然として圭ちゃんの笑顔を見上げたまま立ちつくす梨花ちゃん。
わ、私もさっきあんな様子だったんだろうか……周囲の目だってあるというのに、なんて嬉し恥ずかしプレイ!?
「さぁて、せっかく来たんだ、楽しもうぜ!」
萌えモードから、バチッとスイッチが切り替わるみたいに真夏の似合う無邪気な少年そのものになってしまうその器用さにすぐにはついていけず、ぽわんとしたままで梨花ちゃんと目が合った。
お互いに、内心でため息をつくのがわかる。とんでもないのを好きになってしまったものだという……ある意味、同病相憐れむような共感を覚えた。
とてつもなく厄介で、せつなくて、……それでいて絶望的なくらいにこの先が知りたくてワクワクしてしまう、そういう同じ形をした恋心を持てあまし気味になってる、それがいまの私たち。世間的に見ればレナや羽入を含めた私たち4人とも、男を選ぶのが当然なくらいのいい女になるのが保証されてるってのに、雛見沢における数少ない選択肢のそのひとつが、世界中探し回っても見あたらないくらいの魅力的な変態なんだから困ったものだ。もうひとつの選択肢だって匹敵するくらいに魅力的だったのは認めるけど、どこへ行き着くかわからないこのスリルに魅入られてしまった以上、途中でこのゲームを降りるなんてことはありえない。結論が出るまでは振り回されるしかないというのがとんでもなくムカつくけど、運が悪かったと思ってゲームセットまで付き合おう。
「どうしたんだよ、置いてくぞ……ぶわっ!?」
プールの縁に立ってこちらを振り返ろうとした圭ちゃんを、梨花ちゃんと並んだまま無言で突き落とした。芸術的なポーズで硬直しながら水中に没する圭ちゃんを見て、すこしだけ私たちの溜飲が下がる。梨花ちゃんが隣できらきらと輝くようなすっきりした顔してるから、たぶん私も同じ顔をしてるんだろう。
「いっきなり何すんだよ、このッ!?」
勢いよく水面に顔を出す圭ちゃんの頭を、二人がかりでうふふくすくすとサディスティックに笑いながら足を使って水中に押し込もうとする。良い子はこんなことして遊んではいけません。レナと羽入がここにいたら間違いなく止めているだろう。
「うぉ、やめ、溺れ、こら!」
水面でがぼがぼ言いながら圭ちゃんが両手を頭の上に伸ばし、私たちの足首をつかむ。
「がはっ! お前らなぁ、……ぜ、絶景発見!?」
どうにか落ち着いて、文句を言おうと顔を上げたくせに、唐突に目を輝かせるものだから私と梨花ちゃんは瞬時に視線を交わして頷き合った。
「ほぅわッ!?」
まったく同時にプールサイドを蹴った私たちの全体重が圭ちゃんの頭上へと舞い降りる。
御三家による息の合ったコンビネーションの前に圭ちゃんはなすすべもなく撃沈、私たちも一瞬後には水中へと呑み込まれていた。
反動と浮力で身体が軽くなる解放感を心地よく味わいながら水面に顔を出した私たちは、一瞬遅れて浮き上がってきた圭ちゃんが目を回しているのにけらけらと笑いながらその身体にぎゅっとしがみついた。
「こ、こら、今度は何を……ッ!?」
気がついた圭ちゃんが手足をばたばたさせてもがくが、私たちはその感触を堪能しながら目を閉じて抱きしめる。決して厚みのない、でも引き締まった身体。ともすればずっとこうしていたくなるような、この得体の知れない感情の理由を誰か教えてほしい。
「はふ……」
思わず漏らした吐息が、梨花ちゃんと重なってしまったことが可笑しくて目を開ける。
「お、おい、どした……」
もがくのをやめて、さすがに全身に押しつけられる私たちの感触に照れたのか真っ赤になった圭ちゃんに、私たちは幸せに緩みきった笑顔を向ける。そして梨花ちゃんがひょいと潜って圭ちゃんの足を持ち上げるとの同時に、
「ほッ!」
私は抱きついたままプールの底を勢いよく蹴って思い切り圭ちゃんの身体をはね上げた。いわゆる水中バックドロップ!
「どぅわぁあぁああ!?」
頭から水面に叩きつけられた圭ちゃんがもがきながら沈むのを見て、私と梨花ちゃんはぱしんとハイタッチし、互いの健闘を讃え合った。
「魅ぃとは、新たな友情が育めそうなのです」
「うん、同感。今日はじっくり楽しもうね!」
そう、私たちは圭ちゃんが好き。
強い圭ちゃんも、優しい圭ちゃんも、格好良い圭ちゃんも大好き。
でも、照れたり困ったり狼狽えたりする格好悪い圭ちゃんだって大好きなのだ。やられっぱなしでは女がすたる、今日はとことん圭ちゃんをいじり倒そう。
そういう決意と共通認識をこめた、爽やかなハイタッチだった。
「お・ま・え・ら・なぁあ~!」
がるるる、と唸りをあげつつ水中から復活してくる圭ちゃん。
「きゃー、襲われるー!」
「みぃぃ、変態ですー!」
「人聞きの悪いことを言うんじゃねぇえー!?」
ばしゃばしゃと水を掻き分けながらの追いかけっこが始まる。
なんてはた迷惑で、なんて平和で、なんて愉快なんだろう。ここに沙都子やお姉を含めた仲間全員が揃っていないのが心の底から惜しいくらいに。
そんな夢みたいな光景をいつか現実にするために。
「待ぁちやがれぇぇえー!?」
私たちはこの手で、この笑顔で、幸せな未来をたぐり寄せる。