「……アリ、ですね」
彼女がぽつりと口にしたのは、そんな言葉だった。
「え……?」
僕は信じられない思いで彼女を見つめる。
アリってなにさ? 虫? ボクサー?
「これはこれで美味しいです。やっぱりカレーはなんでもよく合います☆」
つまり、その笑顔こそが答えだった。
僕がこの暑い中商店街にマラソンして、しかもよく考えると自腹で、罰ゲームでもなければ9月のはじめに買うことなどありえないはずのあったか~いホットおしるこを買ってきた上、僕がいない間に始まっていたらしい部活に巻き込まれてレナに殺されかけたり圭一に真空飛び膝蹴りを喰らったりしながらも愛しのマイラバー知恵先生のお昼の食卓に届けたというのに、彼女はその全てを徒労に終わらせてくれたのだ。
「これでようやく悟史くんの言いたかったことが理解できました。つまりこうですね……『添えた飲み物が微妙でも、やっぱりカレーはとんでもなく美味しいよベイビー。ほら、試してみ?』……そうでしょう?」
「その……」
でも、その笑顔はやっぱりとても幸せそうで、キュートで……。それを壊すなんて、僕にはできなかった。
「……そうです先生、新しい発見ですよね!」
顔で笑って、心で泣いて。
こうやって僕らは言いたかった言葉を呑み込むたびにすこしだけ大人になっていくのかもしれない。
「失礼します……」
カレーの芳香漂う職員室をあとにして廊下に出た僕は、小さくため息をつく。
僕は……なんて、無力なんだ。
こんなんじゃ、親友にして師でもある圭一に合わせる顔がないよ……。
と、教室に戻ったら、魅音と古手姉妹がまだ蓋も開かないお弁当箱を前に話し合いをしていた。午後は部活の予定だったから部活メンバーはお弁当を持ってきているけど、クラスのほかの子たちはみんな帰ってしまったらしい。
「いや~、まさか負けるとは思ってなかったからさぁ……」
「そうは言っても圭一は完全に本気なのです。用意しなかったらどんな恐ろしいことになるか……みぃぃ」
「あぅあぅあぅ、今度こそ学生にあるまじき領域に突入してしまうのです!」
なんだろう、とても楽しそうな話題だ。
「ねぇ、圭一とレナは?」
そう声をかけたら梨花ちゃんが振り向いて、
「まだ上でお昼寝中なのです。さっき覗きにいったらレナも寝ちゃったみたいで、お返事がなかったのですよ」
「そっか。寝返り打って屋根から落ちたりしないといいけど……ところで、何の話?」
自分の席についてお弁当を取り出す。
「あー、うん。日曜の話なんだけどさ。みんなでメイドしなきゃいけないんだけど、メイド服の数が足りないんだよね、これが」
魅音の後ろ、ロッカーにはメイド服が3着かけられていた。大、中、小という並べ方だ。いちばん大きいのは僕も何度か着たことがあって、たぶん僕と圭一のために用意されたサイズなのだろう。真ん中のは魅音用。着たことはまだないけど、レナが罰ゲームになったら多分これを着るんじゃないだろうか。そして最後のは羽入ちゃんが着たことのあるやつで、沙都子と梨花ちゃん用でもある。
……なるほど、魅音は基本的には罰ゲーム用のコスチュームを3サイズ用意してあったのか。それで野球の応援に来たチアの服も圭一と羽入ちゃんのがちゃんとあったと。
「あぅ、今度は僕たち全員なので、これではぜんぜん足りないのですよ」
「日曜日まで日数がないからね、取り寄せるのもちょっと厳しいし……ほかのコスチュームで代用できないかなって」
「悟史はどんな服でご奉仕されたら、メイドじゃなくても許せますか?」
梨花ちゃんが僕に質問を振ってくるが、そんなの答えは最初から決まっている。
「ご奉仕といえばメイド、メイドさんならメイド服だよ。代用できるほど僕や圭一のこだわりは浅くないよ梨花ちゃん」
どん、と机を叩くと梨花ちゃんがみぃと鳴いて身をすくめた。
「で、でもさー、悟史。メイドさんだって人間だもん、オフのときにはメイド服じゃないのを着て出かけるわけじゃない?」
「なに言ってるのさ魅音。そりゃメイドさんにもオフはある、私服で出かけもする。でもその心はメイドさんである限り、魂にメイド服を纏っているのさ。自分のための買い物にきたのについつい珈琲ショップに寄ってご主人様が喜んでくれそうな豆を探してしまったり、本屋に寄ってご主人様の読んでいた本を買ってしまって、すこしでもあの方と同じ思い、同じ感動に身を震わせたいと願ってしまうものなんだ。それくらいの忠誠と信頼、そして愛情がなければメイド服を着たところでそれはメイドさんなんかじゃないんだよ魅音。そしてご主人様の前に出るときにはご奉仕の精神を形にしたメイド服で完全武装、これは理想のご主人様に巡り逢い、お仕えできることの喜びを現す心象表現なんだ!」
3人はしばらくぽかんとしたように聞き入っていたけど、「お~」と唱和しながら拍手をしてくれた。うん、いまのはちゃんと僕の考えが伝わった手応えがあるよ。
これが萌えの伝道という崇高な行為なんだね、K……!
「言われてみれば確かにそうです、妥協するべきではないのです、魅ぃ」
梨花ちゃんが言うと、魅音も深々とうなずいた。
「そうなると、自作するしかないね。梨花ちゃんのぶんとレナのぶんの2着、みんなで頑張って仕立てよう。半端はなしだよ!?」
「あぅあぅ、お任せなのです魅音。お裁縫は得意なのですよ!」
「そうと決まれば、午後の部活は中止だね。さっさとご飯食べて、興宮にベースになる服の調達にいかないと。忙しくなるよ~!」
梨花ちゃんと羽入ちゃんが『ファイト、お~☆』と拳を突き上げる。
「ありがとうみんな、わかってくれて……!」
そして迎えた日曜日。
僕たち部活メンバーは、今日の会場となる古手本家のお屋敷へとやってきていた。
最初は防災倉庫が会場になる予定だったけど、大人数でお邪魔するのには向かないというので梨花ちゃんが提案してきたのだ。
「うおおおおおお、マジかよ……!?」
圭一が感動の面持ちでずらりと並んだメイドさんを見渡す。
なぜか圭一だけメイド服じゃなくて制服を着ていた。どうやら今日は圭一はご主人様役、言うなれば審査員みたいな扱いらしい。だから圭一が納得してくれるかどうかを気にしていたのか、と納得がいく。
「イリー、トミー。この場にいない兄弟たちにも見せてやりたいぜ……俺が命懸けで手に入れたこの理想郷を……!」
まずは魅音だ。ひさしぶりに見るポニーテールメイドさん。エプロンドレスでは隠しきれないその贅沢な曲線としゃんと背筋の通った姿勢もさることながら、特筆すべきは今日の彼女の表情だ。優しさと穏やかさにあふれ、いつぞや圭一が監督に語っていたまごころメイドさんを体現しようという気概に満ちている。これは手強いぞ……!?
次は梨花ちゃん。オリジナルの黒いメイド服、長い黒髪に凝ったカチューシャが映える。西洋風の装いでありながら和を感じさせる落ち着いた佇まい、もはやこれは明治や大正の世に実在した洋館を闊歩する本物の日本人メイドさんの再現だといっても過言ではない。その細い足を包む白のタイツも、お子様メイドとしての趣に溢れている!
羽入ちゃんは長い髪を二つに分けて両サイドで黒いリボンで結び、角を覆うみたいに肩へと垂らしている。着ているのはベーシックなメイド服でありながらその日本人離れした髪の色と黒いリボンが奇妙な調和を醸し出して、一枚の絵画のような美しさと気高さを放っている。それでいてにこにこと圭一を見つめるあどけない表情も羨ましい限りだ……!
レナは一風変わった赤いメイド服で、セーラーのような大きな白い襟の下、胸元がやけに強調されたデザインのエプロン、腰の大きなリボンやメイド服としては異例の短いスカート丈、しなやかな足を覆う白いオーバーニーソックスはどこかのウェイトレスさんを彷彿とさせる装いだけどレナ本来の清楚さがミックスされ個性として昇華されている。
「……ところで、なんで悟史もメイド服なんだ?」
最後に並ぶ僕を見て圭一がきょとんとしている。
「なんでって、今日はメイド勝負なんでしょ? メイド属性持ちとして、ここは後れをとるわけにはいかないからに決まってるよ圭一!」
気合いを入れてそう言ったんだけど、圭一とほかの4人が顔を見合わせる。
……なんだろう、その微妙過ぎる表情は。
「いいんじゃない? 自業自得で勝負の開始時間にいなかったんだし、不戦敗でさ」
「本人は楽しんでやっているみたいなので、別に構わないと思うのです」
「あぅ、さすがに属性持ちだけあって着こなしは完璧なのですよ……」
「はぅ……☆ あのおっきなリボンかぁいいよね。おもちかえりしたい~!」
どうやらなにかの結論が出たらしく、圭一がぽんと僕の肩を叩いた。
「OKだ、悟史。我がメイドハーレム王国にお前は不可欠な人材だという結論が出た。今日一日、メイドとして最高の輝きを見せてくれると信じてるぜ!」
「はい、ご主人様……!」
目を輝かせてうなずく僕だった。
そして圭一は、皆のほうへと振り向いて声を上げた。
「いまここに、我がハーレム王国の建国を宣言する! 今日一日という限りある時間ではあるが、俺は皆のこの艶姿を一生涯忘れないし、これほど極上のメイドさんたちに囲まれて過ごす今日という一日を俺の誇りとして胸に刻もう。俺は信じるぜ、この思い出が俺たちをつなぐ鋼の絆、その『環』のひとつになると!」
それはまるで、魔法の言葉。
だって一瞬、見えた気がした。どんな激しい嵐が僕たちを試しても繋ぎ止める堅固な鎖、それはきっと今日を含めた過去と現在と未来の思い出でできていくのだと。
みんなどこかで気づいていてはいても、ここまで確かな言葉で言われてしまえばそれはもはや予感ではなく、誓いにも等しかった。
笑顔を見交わし、頷き合う皆。さあ始めよう、この確かな幻想を。
「はい、ご主人様!」
皆が唱和した。心地よい共鳴が、僕たちの間へと満ちてゆく。
圭一は満足そうに頷き、
「それじゃ、まずはみんなでここの掃除を頼むぜ!」
羽入ちゃんが鍵を開け、僕たちは古手本家へと入り込む。和風の邸宅にメイドがぞろぞろ歩いている様子はなんだかおかしいけど、それはそれでレアな光景だと言うべきかもしれない。
月に一度くらいは掃除に来ていると言うけど、やっぱりそれだけでは手の回らないところもあるのだろう、普段人の住まない家はやはりどこか空気が澱んでいる気がした。
「それでは皆さん、お掃除の分担ですけれど……」
魅音が屋敷の見取り図を机に広げて、てきぱきと指示を出していく。彼女は最初から計画を立ててきていたらしく、その内容は徹底したものだった。
各部屋の家具を移動させながらの掃き掃除はもちろんのこと、長い廊下には水拭き乾拭きによる雑巾がけ、内外からの丁寧なガラス磨き。庭の掃除に草むしり、植木の手入れに柵の補修。はては障子の張り替えや畳の表替え、書庫の整理整頓に至るまで。
「うんうん、こうでなくっちゃな。メイドさんはそこに飾っておくものじゃない、働いている姿こそが最高だよなぁ!」
せっせと働くメイドさんたちの姿を満足そうに見回りながらも、圭一もふんぞりかえっているわけじゃなかった。重い物を運ぶときは積極的に手を貸すし、高い場所の掃除などを買って出ることもあった。
いま圭一はこの仮想空間において古手家の主人であり、使用人であるメイドたちに仕事を任せながらも彼女たちが若い女性であることを心得て、怪我をしたり無理をすることのないように大切に気遣っているんだ。そう、これこそがご主人様とメイドのあるべき理想の姿……深いよ、圭一。ただ欲望のままにメイドさんを鑑賞し、あまつさえ奴隷のようにこき使う、そんなのはメイド道じゃない、そう言いたいんだね……!
監督の診察室に飾ってあった圭一の色紙の言葉が蘇る。
“メイドに萌ゆる者、常に紳士たれ”
あれはこういう意味だったんだ……!
ちなみに入江診療所内には待合室、病室、廊下などいたるところにK名義のメイド語録が飾られていて、どれも趣深いものだった。
“メイドは一日にしてならず”
“メイドを語るならばまず愛を語れ”
“全ての道はメイドに通ず”
“NoMaid,NoLife”
“メイドには花を、俺にはメイドを”
“全てが失われようとも、まだメイドが残っている”
“メイドを抱くように夢を抱け”
“老いてなおメイドを求めん”
“メイドさえ諦めた奴に夢が叶えられるか”
“信頼なくしてメイドなし”
“メイドを愛することは、世界を愛すること”
“未来にはメイドがいる。だからもうすこし生きてみよう”
“真のご主人様は、真のメイドを知る”
“メイド賛歌は人間賛歌”
時々やけっぱちな気もしなくはないけど、圭一のメイドという存在への愛と夢がこめられた含蓄深い言葉ばかりだ。僕や監督はその境地に辿り着きたいと四苦八苦しているというのに、圭一にとってはメイド萌えはその壮大な萌えの世界の一部にしか過ぎないというのだから、もう恐れ入るしかない。
「おお、綺麗になったな。ありがとうな」
圭一になでなでされている魅音が嬉しそうに顔を綻ばせている。
そうして圭一は皆に声をかけ、手伝えるところは手伝ってくれるから、皆ももっと圭一を喜ばせたいと懸命に働く。そんな好循環が続き、あれだけの掃除のメニューがたったの数時間、お昼前にはほぼ全て消化されてしまっていた。
「ご主人様、お茶です」
昼食の準備を手伝えない僕は、居間でくつろぐ圭一にお茶を出すことにした。
「お、さんきゅ」
お茶を口にして、ふぅと至福のため息を漏らす圭一。台所からは、楽しそうに昼食の支度をするメイドさんたちの声が聞こえてくる。この状況はまさに男の本懐かもしれない。
「……俺はさ、悟史。この夢のような時間を終わらせたくないって思ってる」
それが何を意味するのか、僕にはわかった。
「いや、終わらせない。この俺が……絶対に、終わらせるもんか」
ぎゅっと拳を握りしめる圭一の横顔は、同性の僕から見ても……格好良かった。
思わずお盆で赤くなった顔を隠してしまうくらいに。
目だけ出して覗いていると、圭一は遠い目をしてそっと呟いた。
「ハーレム王国よ、永遠にっ……!」
ごすん。
僕は額からテーブルに突っ伏してしまっていた。
……夢のような時間ってそっちのことか!?
さすが圭一、どっちの話題も真顔で語るから見分けがつかないことこの上ない。ここは褒めるべきところなんだろうか……?
「どうした悟史、おでこ大丈夫か?」
涙目で顔を上げた僕のおでこに圭一がそっと触れる。……その触れ方はほかの皆に対するものと差がなくて、圭一の分け隔てない優しさが詰まっていた。
何故かどきどきしてしまう。
男が男に惚れるって、こういうのを言うんだろうか……!?(たぶん違います)
そして圭一は、夢を求める男の笑顔を見せた。
「さて、メシを食べ終わったら行くぜ、悟史! いやサニーよ!」
「ど、どこへでございますか?」
ぐっと拳を握りしめる圭一だった。
「もちろん、みんなで沙都子の見舞いに行くんだよ……!」
沙都子のお見舞い。
つまり、それは……、診療所に行くということ!
「こ、この格好ででございますか!?」
「そのとおり! 沙都子にもこの幸せを分けてやらないとな!」
いやいや沙都子もいるけど、診療所といえばイリーだよ、監督だよ!
メイドに対する志の面ではともかく、その意欲と執着でいえば雛見沢で間違いなく最強の監督がいるあの診療所に、僕を含めて5人ものメイドを引き連れて乗り込むだって……?
それはほとんど、宣戦布告なんじゃないの!?
「案ずるな、サニー。この前原圭一、メイド萌えの総量では確かにイリーには叶わないだろう……だがここにいるのはただのメイドじゃない、お前たち部活メンバーだ! お前たちへの愛で、この俺に叶うやつなどいるはずがないだろうがぁあ!」
炎のように燃え上がり、津波のように押し流す。
この男の勢いは、もはや誰にも止められない……っ!
「こんにちは、沙都子の見舞いに来ました」
予告どおり、楽しく昼食をすませた僕たちは古手本家をあとにして、入江診療所にやってきた。村道をぞろぞろと圭一につき従うメイド軍団に、途中で畑仕事をしていた村の人たちは誰も手を止めて、というか手にしていた鎌やらなにやらを取り落として呆然と見送った。……間違いなく明日には、いや夕方までには村民全員にその事実は流布され、その中に魅音や古手姉妹が加わっていたことを考えれば大騒ぎになるに違いない。
そして診療所の入り口で、受付の人やその後ろで仕事をしていた人たちも呆然と僕たちの進行を見送るしかなかった。
「あら……いらっしゃいませ。沙都子ちゃんのお見舞いですか?」
ちょうど階段を下りてきたのはこの診療所におけるただ一人のメイド(診療所にメイドが存在する時点でなにかおかしいような気もするけど)、鷹野さんだった。
オーソドックスながら現代風にアレンジされた圭一考案の専用メイド服を完璧に着こなすその美貌と、優しさといたわりを感じさせる穏やかな物腰。表情はあくまでも柔和で、以前の鋭利な雰囲気はどこにも残っていない。もちろんその胸元のボリュームときたら魅音のツインキャノンを軽く超え、マグマのようなエネルギーを内包したまさにヴォルテックス級の圧倒的破壊力を感じさせる。その姿はまさに、人類を滅ぼしかねない危険な裁きの光をその身に宿しながらも、救いのために舞い降りた慈愛の天使そのものだった。
「ええ、鷹野さん。……相変わらず、素晴らしいメイドっぷりです」
ぐっと親指を立てる圭一に、鷹野さんは小さく小首を傾げながら微笑みを返す。
「おかげさまで、勉強させていただいてますわ」
……後光さえさしそうなそのまばゆさに、僕たちは怯むしかなかった。
こっちはメイドが5人もいるというのに……この人ひとりの輝きに、勝てる気がしない!
でも僕たちを率いる圭一はまったく頓着せず、鷹野さんの後に続いて2階へと向かった。
「す、凄い迫力だよね……鷹野さんのメイド」
「うん、レナたち後れをとっちゃってるかな」
「あぅあぅ、メイドとして悔しいのです……」
「気に入らないわね……まるで別人じゃない」
魅音たちも気持ちは僕と同じのようだった。
僕たちは病室の並ぶ2階の廊下を抜け、看護婦さんが「た、大群が……大群が来た……」と世界の崩壊を目にしたような顔をして泣き崩れるのや、車椅子のおじいさんが胸を押さえて立ち上がり、「これがお迎えか……!? いいや、認めぬ。この世にメイドある限り、ワシはまだ滅びぬよ!」と雄叫びをあげているのを横目に沙都子の病室へと通された。
「沙都子ちゃん、前原くんと皆さんがお見舞いですって」
にこやかに声をかけた鷹野さんの横を通って、僕らがぞろぞろと入室する。
「圭一さんたちが……? ひぃぃぃぃ!?」
沙都子が両頬に手をあてて目を見開き驚きの叫びをあげる。
「おや、皆さんお揃いで……なっ!?」
「ええっ、こ、これはいったい……!?」
ベッドの隣にいたのは監督と富竹さん、つまりイリーとトミーだった。
沙都子の手から落ちた写真などから察するにどうやら病室から出られない沙都子のために、最近雛見沢に撮影旅行にきている富竹さんが取った風景や野鳥の写真を見せてあげようとお見舞いに来てくれていたらしい。……たぶん、鷹野さんが頼んだんだろう。
「ななな、なんなんですのいったい!? 皆さん、にーにーまで、何がどうしてしまいましたのー!?」
沙都子が狼狽えて僕たちを見回すけど、僕たちは笑顔を返した。
「僕たちはね、沙都子にご主人様の大きな愛を届けに来たんだよ……」
「は、はぁ……!?」
完全に混乱する沙都子。
「沙都子、圭ちゃんは……ご主人様は、沙都子に戻ってきてほしいの」
「そうだよ。ご主人様はね、沙都子ちゃんの幸せな顔が見たいんだよ」
「あぅあぅ、沙都子も早く帰ってきて、ご主人様にお仕えするのです」
「みぃ、沙都子にもご主人様とともにある喜びを知ってほしいのです」
にこにこと笑顔で告げる皆に沙都子の思考が完全に停止した様子だった。
監督が椅子を蹴ってゆらりと立ち上がる。
「……ま、前原さん。いえ、K。これはいったいどういうことですか……ッ!」
圭一はじっと監督を見つめて、厳かに口を開いた。
「みんなの言うとおりだ。俺は沙都子に、戻ってきてほしい……!」
そして沙都子に向かって手を差し伸べた。
「沙都子、俺たちは待ってる。この世界には優しさが溢れてる。それを思い出してくれ、沙都子……!」
そうか……圭一の目的は、それだったのか。
優しさの象徴であるメイドさんを集めることで、沙都子の気持ちを解きほぐそうと……!
「……え、えぇえ……?」
でも沙都子はよくわからないという顔をしてその手を見つめるばかりだった。
「Kぇぇい! そうじゃない、私の言いたいことはそうじゃないんだ!」
イリーが叫ぶ。
「それならば何故! どうしてあなたもメイド服を着てこなかったのですか、K!」
でも圭一は、瞳に強い輝きを宿して言った。
「俺までがメイドだったら、沙都子はいったい誰に仕えればいいんだよ?」
「……ぐッ!」
打ちのめされてその場に膝をつく監督。また眼鏡がばらばらと砕け散っていた。
「た、確かに……沙都子ちゃんがお嬢様というのもアリですが、Kと沙都子ちゃん、どちらのメイド姿が見たいかといったらこれはもう間違いない……K、あなたはそこまで考えて……わ、私が間違っておりましたぁぁぁあ!!」
うちひしがれて叫ぶ監督に、圭一は優しい笑顔とともに手を差し出した。
「いいんだ、イリー。誰だって間違える。でもそれを許し合い、乗り越えていくことこそが……世界にメイドが存在する意味なんじゃないかって、俺は思うよ!」
「K……ッ!!」
手を取り合う二人に、フラッシュが焚かれる。
トミーはカメラマンとしての矜持にかけて、目の前の真実を撮らないわけにはいかなかった。……たとえ、涙にその目が曇っていたとしても!
「富竹、フラッシュ! 富竹ぇフラッシュ! うぅ、フラァッシュッ!」
「素晴らしいわ……これが、愛と優しさに満ちた世界なのね……」
鷹野さんも泣いていた。僕を含めたメイドさんたち全員が泣いていた。
その病室には、清らかな涙と優しい微笑みと、……メイド萌えだけがあった。
「ふ……ふわぁぁぁん! 世界はどこでおかしくなってしまったんですのー!?」
感激のあまり泣き出した沙都子の愛らしい声が、僕たちの胸を暖かいもので満たしてくれた。
あぁ……、メイド万歳……ッ!