「ですから、メイドが悪いとは申しませんのよ」
むくれた顔の沙都子が言う。
学校帰りに寄った沙都子の病室で、鷹野さんがこの前のみんな揃って撮った写真を僕に渡してくれたのだ。いまは沙都子と一緒にそれを眺めていた。
「魅音さんなんか見違えましたし……ええ、もちろん鷹野さんはとても素敵だと思いますわ。ナース服よりもお似合いですわよ」
「あら、ありがとう。……はい、どうぞ☆」
沙都子の横でしゃりしゃりと音を立ててメスでリンゴの皮を剥いていたメイド鷹野さんが優しく微笑いながらウサギさんの並んだお皿を沙都子の膝の上に差し出す。
さ、さすが、カットも完璧だ。
そしてこの心癒す笑み……女神が、女神がここにいるよ圭一!
「ありがとうございますわ。……でも正直、結構ひねくれたところのある梨花とか、にーにーまでがその……身も心もメイドになってしまわれるのはどうかと思いますの」
「むぅ……でも僕はメイド属性だからね」
今日だって、魅音に借りたこのメイド服で通学した。
そしたら、いつもは僕が見えないかのように振る舞う野良仕事の人たちが微笑みながらおはようって言ってくれた。もちろん僕もメイドさんとして恥じないような笑顔での挨拶を返したつもりだ。これは、メイドの存在が世界を優しくする好例ではないだろうか。
「属性とか萌えとか、よくわかりませんわ……にーにーたちは、圭一さんに毒されているんじゃありませんこと?」
「それは違うよ沙都子。圭一はね、僕のどこかに埋もれていたものを掘り当ててくれただけなんだ。僕はそのことをとても感謝してるんだよ……!」
祈るように両手を組んで目を閉じ、圭一の笑顔を思い浮かべるだけで、こんなにも心が生暖かくなる。これはきっと尊敬を超えた尊敬の形なんだ。(きっと違います)
「はぁ……わたくしのにーにーを、勝手に掘らないでほしいものですわね」
呆れたように首を振る沙都子。
「でも、そうね……あの子には、このメイド服が届いてからというもの何度か個人レッスンを受けたけれど、不思議な魅力があるのよね。包み込むようなまなざし、力強くありながらも優しく耳に残る声、うまくできたときに撫でてくれる手の温かさ……。私もひそかに、理想のご主人様はあの子だと思っているのよ」
頬に手をあててうっとりと語る鷹野さんだった。
でもすこしせつなげに目を伏せて、
「ジロウさんにあの子のレクチャーを受けて貰えるように頼んだのだけれど、泣きながら『ごめん、僕はあくまでもナース萌えに生きる男。とても魅力的だけど、ご主人様になるわけにはいかないんだ』……ですって。ああ、このままでは私、いけないメイドになってしまいそう……☆」
目をあげた鷹野さんの瞳には熱がこもっていて……まさに恋する乙女そのものだった。
メイドの語源は元来『乙女』に由来するという。メイドとして誰にも恥じないだけの魂を宿した彼女が、思春期の少女のように理想のご主人様を求めてしまうのはきっと誰にも止められない、仕方のないことなのだろう……。
そしてトミー。
そこまでして自らの萌えを貫こうとする命懸けの行動に、僕は敬意を表するッ!
「鷹野さん……きっと圭一も、富竹さんも、わかってくれます。メイドとして鷹野さんが圭一を恋い慕うのは、決して間違いなんかじゃない!」
そっと手をとって言うと、鷹野さんは嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、私もそう思うわ……ありがとう、悟史くん!」
彼女もきっと、もっと素直になることができる、そう信じさせてくれる笑顔だった。
「け、圭一さんは素敵だと思いますけれど……ご趣味までは理解できませんわ」
沙都子は肩をすくめると、ウサギさんのリンゴを口にした。
「でも圭一は、沙都子のぶんのメイド服も作ろうって話をしてたよ」
「え、本当ですの!?」
ぱっと顔を輝かせた沙都子だったが、慌てて下をむくと、
「……ま、まぁ、罰ゲームやたまの余興でしたらいいかもしれませんわね。せいぜい可愛いものにしてくださいませ」
これなんてツンデレ?
我が妹ながら、天性の萌える属性を装備している沙都子にちょっと戦慄してしまう。
……まあ、みんながメイド服を着ているのを見て、自分が仲間はずれのようでちょっと寂しかったということもあるのかもしれない。
「あはは。だからさ、沙都子。今度ちょっと散歩とかどうかな。圭一たちも呼ぶから、それなら安心だよね」
そう言うと、沙都子は目をそらしてぼやく。
「でも……、わたくしを狙ってる人がいたら、にーにーや圭一さんたちにまで迷惑がかかってしまいますわ」
やっぱりまだ祟りのことが頭から離れないらしい。無理もないとは思うけど、最近は沙都子もだいぶ落ち着いてきたと思うのに……。
「この間の件なら大丈夫よ、沙都子ちゃん。ちゃんと警察に引き渡したし、うちのセキュリティシステムは診療所にはもったいないくらいの最新設備なんだから」
「この間って……?」
「ええ、ここに入り込もうとした人がいて……大丈夫よ。村とは関係のない人だったみたいだから、すぐに警察を呼んだわ」
むぅ、どこもそうだけど、時代の流れでのどかな雛見沢も物騒になってきたのかな……そういえば、レナや魅音も最近なにか家に覗きが入ってきたような話をしてたっけ?
「確かに、それはかえって安心しましたけど……」
この診療所の警備に不安をもってトラップを仕掛けたがっていた沙都子からすればひとつ安心できる要素にはなったのかもしれないけど、相変わらず診療所の外に出ることは躊躇があるみたいだ。
むぅ……やっぱり、沙都子を安心させるには、圭一がやった以上にもっともっと村にメイド文化を蔓延させるしかないんだろうか。
以前は村の人たちに『美人で親切だけど猟奇趣味でちょっと気味が悪いよね』って評価を受けていた鷹野さんも、メイドになってからはすっかりその優しさが評判になっているし……今朝の様子も、村のみんなが『メイドっていいもんだな』って認識を改めてきた証拠なのかもしれない。やっぱりメイドは世界を優しくするんだな、うん。
「……にーにー、なにか不思議なことを考えていませんこと?」
不審そうに僕を見る沙都子だった。
「あはは、なんでもないよ沙都子。……あ、そろそろ診察時間終わりですよね」
鷹野さんはちらりと時計を見て頷く。
「ええ、入江先生の手が空く時間ですね」
「今度の試合の打ち合わせがあるんだよ。今日はそろそろ失礼するね」
僕はスカートを軽く払って立ち上がると、沙都子の頭をぽふぽふと撫でた。
「沙都子ももうおやすみ。魅音たちに伝えておくことは何かある?」
「いえ、特には……皆さんお忙しいのに、しょっちゅう顔を出してくださってますもの。いつものようにありがとうございますとだけ伝えていただけますかしら」
沙都子はふわりと微笑んでそう言ってくれた。
1日の大半を眠って過ごす沙都子にとっては、外の時間の流れはとても速いものだ。魅音と僕が週の半分くらい、それ以外のみんなは週に2回くらいのお見舞いだけど、沙都子にとっては毎日顔を合わせているのとあまりかわらないのだろう。
「それじゃ鷹野さん、沙都子をお願いします」
「ええ、お任せ下さい」
胸に手をあててにっこりと微笑んでくれる鷹野さんだった。人に奉仕する喜びを知っている笑顔は、なんて純粋で美しいんだろうと見とれてしまいそうになるのをこらえて、僕は沙都子に手を振りながら病室を出た。
所長室の前で監督に会う。
「あ、監督。お疲れさまです」
「悟史くん……、きょ、今日もメイド服なんですか?」
嬉しそうに目を輝かせながら僕を所長室に招き入れる。
「僕は部活メンバーの中でも地味なほうで……個性を大事にしたいから、登校用の制服にしようと思ってるんですよ」
ぐっと拳を握りしめて言いながら、監督の向かいに座る。
「それに魅音とはネコミミ、メイドと属性がかぶっているから……負けたくないんです」
「なるほど……キャラクタ性のせめぎ合い、まさにこれぞ青春といったところですね」
監督はまた新調したらしい眼鏡をそっと指先で押し上げながら微笑む。
「私も学生時代に、Kやあなたたちのような理解者に出会えていたなら……こんな回り道はしなくてすんだのかもしれませんね」
そう言う監督の目は、すこし寂しげだった。
「まだ遅くないですよ、監督。僕たちは仲間なんですから……!」
「ええ、ともに精進を重ね、理想郷を目指しましょう!」
夢や目標を語ることはとても楽しい時間だった。
でも、気がかりがないわけじゃない。ここに来たのはそれが最大の目的だ。
「それで……あの、沙都子は実際、どうなんでしょう。僕からみると、起きているときの沙都子は以前とかわりないくらいに落ち着いてきていると思うんですけど」
以前から思っていた疑問をぶつけてみる。
「ええ……、沙都子ちゃんにとっていまはあなたがたや鷹野さんといった、信頼のおける人としか顔を合わせずに済んでいるからこそ、その間は以前の彼女を取り戻せているのだと思います。見知らぬ人間や村の人を避けようとする傾向には変わりありません」
やっぱり、そうなのか……。
結局のところ僕たちは、僕たちといるときの沙都子しか知らない。沙都子が抱く外の世界への怯えというものの本質を理解しきれているとは言い難いのだろう。
「先月、大石刑事が面会を求めてきましたが、沙都子ちゃんはやっぱり会いたくないと拒みましたからね。そのときは鷹野さんにしがみついてずっと泣いていて……」
ふっと息を吐き出す。
「医者というのはね、無力なものです。人間というのは均一の規格ではないのです、心も体もね。ある人には良薬でも、ある人には深刻な副作用を生む毒となる。本当にその人が必要とする治療、処方を見つけだすのは至難の業なんですよ……弱音を吐くべきではないとわかっていても、ついそんなことを考えてしまう」
機械を修理するように、この故障ならこの部品を取り替えればOK、というわけにはいかない。人によって体質も違うし、体力や抵抗力にも差がある。病んでいるのが直接目に見えない心だというならなおさらだ。
「……実を言えば、前原さんのあの無謀といえる挑戦、私は特効薬になりえると思っているのです。鷹野さんがメイドとして不動の優しさを身につけてからというもの、彼女の症状は明らかな改善傾向を示している。鷹野さんのようにメイド服をまとった人物に対しては、警戒心が生まれにくくなる可能性はとても高いと思うのですよ」
そう、メイドは沙都子の心の扉を開く鍵になりえる。
きっとそうだ。
「しかし、彼女が外の世界に出たがらない、そのことはどうにもならない……!」
悔しそうに首を振る監督だったけど、僕は膝の上で拳を握りしめた。
「監督、……僕たち部活メンバーは、諦めるという気持ちを捨てました。誰よりも圭一は絶対に諦めたりしない。どんな奇跡だって起こしてくれます」
「奇跡……、ですって?」
監督は僕が何を言いたいのかと訝しげな目を向けた。
「任せてください、監督。……僕は、前原圭一に賭けます」
僕は診療所を出た足で防災倉庫に向かい、このことを圭一に相談することにした。
圭一と古手姉妹は、その話を真剣に聞いてくれた。
「そうか、監督がそんなことを……」
「あぅ、僕たちに何ができるでしょうか?」
「……メイドが鍵になるっていうのはツッコミなしなのね」
梨花ちゃんは半信半疑という様子だったけど、沙都子を助けたいという気持ちは同じなのだろう。圭一を見つめて、打開策が生まれるのを期待しているのがありありと窺えた。
「わかった。……まかせろ、悟史。俺も、いつかはやらなくちゃいけないと思ってた」
そう言って、圭一は立ち上がった。
とても強い炎をその瞳に宿して、あの不敵な笑みを浮かべてくれる。……わくわくする。これからいったい、何が起きるのか。
「ど、どうするの?」
「……いいか、悟史。理想郷ってのは、この世のどこかにあるもんじゃない。それを追い求める誰かが、いいやこの俺が、この手で作り出すものなんだよッ!」
決意と覚悟を握りしめて、拳を突き上げる圭一。
そのとき僕が、たぶん羽入ちゃんや梨花ちゃんも思ったのは……僕たちはきっと、
伝説を目撃する……!
それから圭一の行動は迅速だった。
羽入ちゃんの手引きで、町会の場へと殴り込んだのだ。
「な、なんだね、圭一さん。いま役員会の……!」
ずかずかとテーブルをまたぎ越えた圭一は、羽入ちゃんと村長さんの間、本来ならば魅音が座っているはずの席までいって振り返った。
「なぁん考えとぉん、無礼もんがぁ!」
叩きつけるような非難の声が飛ぶが、圭一はかけらも怯まずに声をあげた。
「無礼はどっちだ、静かにしろい! この前原圭一が、てめぇらが潰しちまったチャンスをもう一度くれてやろうってんだ、耳かっぽじってよぉく聞きな!」
場を圧するかのように、一同へと鋭利な視線を走らせる。
「いいか、俺がこれから言うのは3ヶ月前にこの場で魅音が言ったのと同じことだ。北条家、いや北条悟史と北条沙都子に対する有形無形の嫌がらせ、その全てを今日限りで終わりにしてもらうぜ。これは俺の決定だ、文句があるやつは前にでろ!」
……完全に、喧嘩を売っていた。
話し合いだなんて上等なものじゃない、もはや命令しているに等しいその態度。
血の気の多い村の老人たちは、何人もが腰をあげて机を飛び越えた。拳骨を固めて、生意気な小僧に身の程を思い知らせてやるとばかり殺到しようとする。
「覚悟もなしにがたがた騒ぐんじゃねぇッ!」
圭一は足で長テーブルを蹴倒して、老人たちの行く手をふさいでしまう。その言葉の強さと、この場の全員を敵に回したとしても一歩も退かないと言いたげな笑みに、誰もがその境界線、圭一が蹴倒したテーブルでその場に引いたデッドラインを踏み越えるだけの勢いを失った。これだけの怒り狂った人数を相手になんの怯みもない人間というのは異常であり、その異常者を相手にすることへの本能的な恐怖が足を止めさせていた。
「さあ、文句があるんだろ? 聞くだけ聞いてやるから言ってみな。……ただしッ!」
拳を固めて、まるで狙い撃つみたいに顔の前へと水平に掲げる。
「3ヶ月前に魅音に論破されたような腑抜けたタワゴトを吐くなら、とっとと尻尾を巻いてどっかに失せろ! ましてや町会の和が大切だとかぬかすんなら今日限り雛見沢町会はこの俺が解散させてやるから覚悟しとけ! いいかてめえら……」
まるでそれは、不完全燃焼していた炎が大量の酸素を得て一気に燃え広がるかのような……そんな熱量を持った叫びだった。
「仲間の誰かを踏みつけなきゃ保てないような“和”なんてものに、用はねえんだよッ!」
圭一の放つ灼熱に、誰もが口を開く余裕を持てなかった。
「敵に立ち向かうのは結構だ、どんどんやりゃあいい。相手が誰だろうが、この雛見沢の前原圭一があんたらの先頭に立ってやるよ。だが悟史や沙都子はあんたらの敵か!? 違うだろうが! 現にこの村に生きて、この村のためになにかしたいと思ってる、この村の未来を拓いていく子供だろうがッ! 何がダム戦争の遺恨だ、ふざけるんじゃねえ!! お前らはな、お前らが命に換えても守らなきゃいけない村の子供を、雛見沢って土地が培ってきた団結と、それを引き継いでいく明日を……土足で踏みにじってるだけなんだよ! いいかげん気付けッ!」
マシンガンみたいに繰り出される強い言葉。老人たちが張り巡らせていた薄っぺらな鉄のカーテンを、あまりにも容易くブチ抜く貫通力がそこにあった。
「俺は雛見沢に来てまだ日は浅いが、あんたらよりもずっと強くここを愛してる。だってそうだろ? あんたらはかつて守り抜いたこの村の本当の姿を、受け継いでいくべき理想を、平気でドブに投げ捨てようとしてるんだ。だとしたら雛見沢の敵は誰だ? 悟史か沙都子かそれとも俺か? いいや違うね、お前ら自身だ。これだけ言ってもまだわからねえなら相手になるぜ、この前原圭一が雛見沢を守る最初の一人だ! そして最後の一人になったってこの道を譲りゃあしねぇから、ハラぁ括ってかかって来いッ!」
……誰も、動けなかった。
この場にいる人々は、皆それぞれに雛見沢に対する誇りがある。
だからこそ、圭一の言っていることが間違っていないと、わかってしまうのだ。ただ怒りにまかせて突き進んだなら、それは文字通り……自分自身が、雛見沢に対する敵だと認めることになってしまう。
戸口で見守っていた僕たちも頷き合い、人々の後ろを回って圭一の傍らに立つ。
「私は長い間ここを離れてましたけど、この雛見沢も、そこに住むみんなも大好きです。でも、だからこそ……その大好きな場所に私の仲間を悪戯に傷つけるような愚かな間違いがあることを許さない。圭一くんと雛見沢の敵は、私の敵です」
レナが拳を構えて、静かに言った。
「僕はダム戦争の余波は、いつか時間が解決してくれると思ってました。憎まれ役がいることもしょうがないと思っていた……だけど、そのために妹の沙都子が傷つかなくちゃいけない理由なんてどこにもなかった。沙都子や圭一の敵は、僕の敵です」
僕も、両拳を固める。
「……オヤシロさまは、赦す神です。争いや諍いは人の世の常なれど、そこに生まれた怒りや悲しみは互いに許し合い、祓われねばなりません。僕たちは今日まで、そのための努力を怠ってきた。僕も戦います、村に真の縁を結ぼうとする圭一の敵は僕の敵です」
羽入ちゃんが立ち上がり、清涼な鈴のような声で告げる。
「どんな奇跡も入り込む余地がないと思っていたこの運命を、圭一は二度までも覆そうと動いてくれた。魅音があなたたちを動かすのに足りなかったものは覚悟でも正しさでもなく、勝利への意志だったと今は理解できる……圭一とこの奇跡の敵は、私の敵よ」
梨花ちゃんがいつもとは違う鋭い声音と視線で告げる。
「……かつて私たちは戦った。この場所を守るために、力を合わせ、心を重ねて戦った。その私たちが、誰かを棒もて追い打ち、その居場所を奪い去ろうとすることは自らと私たちの戦いを否定すること。圭ちゃんと死守同盟の魂に仇為す者は……“園崎魅音”と私の敵です」
戸口に残った魅音が厳かに最後を引き継ぎ、その背後からふたつの人影……園崎家頭首、お魎さんと魅音のお母さんが現れる。
「……前原の坊主、話にゃあ聞いとったが、無茶ぁしよるんね。しゃあもねぇダラズがぁ」
「やれやれ、将来うちの婿になるかもしれないってぇ男が、こんな無鉄砲じゃあ先が思いやられるねぇ……魅音、しっかり縄つけておかなきゃ駄目だろうに」
魅音が小さく笑みを浮かべて、ひらひらと手を振ってみせる。
「鎖でつないで大人しくなるような男なら惚れやしないし、仲間が危ないとなりゃ引きちぎってでも駆けつけるんだからね。無駄無駄」
それを聞いて現頭首とその娘がこらえきれないように失笑する。
「くくっ、あんたも言うね。いいね、いい覚悟さ……そうでなくっちゃあねぇ」
「ひゃっひゃ……、じゃあったら、坊主の覚悟のほど、見せてもらおうかぃねぇ……!」
すらり、と杖がわりにしていた日本刀を抜き放つ。
白刃の冷たい輝きに、さすがに身が強張るのを抑えられない。
でも圭一は、すっと目を細めながら僕たちを庇うように前に出た。
「レナ。みんなも……手を出すなよ。ここから先は、俺の戦場だ」
「……うん」
いつの間にか圭一の手を握っていたレナが、躊躇いながらもそっと放す。
お魎さんは、薄い笑みを浮かべながら一歩、二歩と間合いをはかるように前に出てきた。その足運び、そして容易く人を殺傷できる刃を手にしていながら震えのひとつさえない手、本当に人を殺しかねない老人離れした眼光を前にして、圭一は揺るがない。
「……怖ぁないんね」
試すように撫でるように、しわがれた声が放たれる。
静寂、数十の瞳がその対決に注がれている。
この場の誰もが、数々の修羅場をくぐってきた園崎の頭首、鬼と呼ばれたその女性と……目の前のたった中学1年生の少年が、対等の場所にいると認めざるを得ない。
「怖いさ……怖いに決まってる。だけどな、婆さん」
骨が軋む音。拳をより強く、覚悟で固めている。
「守るべきものが後ろにあるのに、逃げちまうほうが俺にとってはその何十倍も怖いんだよ……グダグダ言わねぇで、根性決めてかかってこいッ!!」
「よぉお言うたぁあっしゃああああッ!」
白刃が閃く。
老婆は踏み込むと同時に転がっていた机を飛び越え、圭一の首へと刃を走らせた。
鮮血が飛び散り、その場に悲鳴が漏れる。
……白。
ぎりぎりとそこに開いていく白だ。
前原圭一が、白い歯を剥き出して……笑っていた。
老婆に向けて突きだした拳、その腕は真紅に染まっていた。刀の切れ味の落ちる鍔元をその腕で受け止め、肉に食い込んだ刃を、腕の骨がかろうじて止めていた。
圭一の拳はお魎さんの眼前、数センチのところで止まり……刃の先端は、圭一の首の数センチ先で止まっていた。互いに、刃と骨で鍔迫り合いをしているようなもの、どちらもそれ以上動けなくなっていたのだ。
「チ……、退くんも強さのうちっちゅうんを知らんかぃ」
舌打ちしながらも、老婆は凄絶に笑って刃を引き、さっと血を払うと鞘に納める。
圭一は圭一で、腕を引いて傷口を軽く舐めると笑みを返した。
「そんなのは、ほかの誰かに言いやがれ。俺は……」
唖然とする一同に全く構わず、二人はくくっと低い笑い声を同時に漏らす。
「……雛見沢の前原圭一だ。誰が相手だろうが、往く道は譲らねぇ」
それが限界だったのだろう、お魎さんは笑った、声を立てて笑った。
「くぁっはっはっはッ! 口のへらんのまでよぅ似とるんね、ほんっに向こう見ずのダァホがぁ!」
そうして背を向け、肩越しに笑ってみせた。
「好きなようにしたらえぇん、前原圭一。ぬしゃあおおごとぉ吐いたん、責任とらんかぃね!」
僕たちは思わず顔を見合わせた。
それは、圭一にこの件の全権を委任するという宣言にほかならなかった。
いや、ひょっとしたら……村を任せたとさえとれる言葉だった。
町会の誰もが異存を唱えられず、園崎家頭首が認めたなら……その決定に反対する者など、いるわけがなかった。
圭一は血まみれの腕を押さえながらも、低い笑い声をあげる。
「くっくっく……そうと決まりゃあ、あんたにも協力してもらうぜ。嫌だってんならもう一度やろうや」
「……なぁんね、言うてみぃ」
さっきよりはずいぶん穏やかな声でお魎さんが問う。
悪戯っぽいと言うべきか、それとも悪人っぽいと言うべきか……圭一は底意地の悪い笑みを浮かべて、その先の言葉を続けた。
誰もが、あっけにとられるようなその言葉を。
……。
その数日後、僕は診療所を訪れていた。
「ん……ぅ」
眠らされていた沙都子が目を開ける。鷹野さんが言っていたとおりの時間だった。
「……にーにー? 鷹野さん……、おはようございますわ」
億劫そうに身体をおこす沙都子に、僕と鷹野さんが微笑みかける。
「おはよう、沙都子」
「沙都子ちゃん、今日は気分はどうかしら?」
「……えぇ、悪くありませんわ」
ごしごしと目をこすりながら言う沙都子に、鷹野さんはいつもどおりに体温計を手渡して検温する。そして返ってきた体温計の数字を書き留めながらも、沙都子のおでこに自分のおでこをあてて、じかにその熱を読みとった。
「うん。……元気そうでよかったわ」
すこしだけくすぐったそうにしながらも、沙都子もなんだか幸せそうにはにかむ。
そしてボードや体温計を傍らのチェストに置くと、鷹野さんは窓へ向かった。
「ちょっと空気を入れ換えるわね」
カーテンを開き、窓のロックを外す。
「沙都子、起きられるかい?」
僕はその間に沙都子に肩を貸してベッドから床に立たせて、その頭を撫でた。
「……なんですの?」
まだすこし眠たげにしながら、きょとんとして僕を見る。
「沙都子も、外の空気を吸ったほうがいいよ。窓からでいいからさ」
「それは……構いませんけど」
……僕は演技がへただなぁ、と我ながら感心してしまう。沙都子はいったいなにがあるのかと警戒しながらも、僕と鷹野さんが両側に寄り添う形で窓の前に立った。
「……ぇ……」
その見開いた目に飛び込んできた光景は。
診療所の前に広がる、収穫の終わったあとの田んぼで、何日か前と同じようにメイド服に身を包んだ仲間たちが手を振っていた。
「はろろ~ん、沙都子~!」
「あはは、沙都子ちゃーん!」
「あぅあぅ、沙都子ぉ~!」
「沙都子、おはようです~!」
「やっと起きたかよ、寝ぼすけ!」
先頭に立つ圭一の横には、魅音のお母さんやお婆さんも。
……メイド服に身を包んで、手を振っていた。
「これって……、いったい……」
みんなの後ろでは、百人か二百人か、……それとももっといるのか、メイド服を着た村の人たちが声をあげ、手を振ってこの窓を見ていた。
その身に纏うメイド服は、ただこの日のためだけにこれだけの数が用意された、皆が口先だけでなく心から沙都子を受け容れるのだという……なによりの意思表示。鷹野さんや部活メンバーと同じように……これからは、全力で沙都子の味方をするというメッセージだった。
『沙都子ちゃんガンバレ』
『いままでごめんなさい』
『はやく元気になって』
『沙都子ちゃん死守同盟』
『雛見沢のトラップマスター』
『元気印の笑顔をみせて』
『みんな待ってるよ!』
そんなのぼりやプラカード、横断幕がいたるところに見えた。
メイド服の村長さんが、拡声器を手に声を張り上げる。
「北条沙都子ちゃんのぉおー、回復を祈ってぇえー……!」
それを合図に、村人たちが一斉に叫んだ。
『おかえりなさいませっ!!』
山々に響きこだまするその声の中心に……ざまあみろとばかりに胸を張る、右腕に包帯を巻いた悪戯小僧の笑顔がある。
沙都子の両頬に、……伝い落ちる涙。
「どこで……こんな、おかしな世界に、なってしまったんですの……っ!?」
その口元には、間違いなく……輝くような笑みがあった。
おかしな世界に巻き起こるおかしな奇跡の行く先はまだ、見えないけれど。
でも、……きっと大丈夫。
みんなが沙都子の帰りを……待っているんだから。
「ありがとう……ございますわっ……!」
窓から身を乗り出して、いまの沙都子にできる精一杯の強さで手を振り、皆に応える。
窓の外の皆も、その沙都子の元気な姿に、手を叩き声を上げ旗を振って応じてくれた。
前原圭一の脚本によって描き出された、それはまさにひとときの理想郷。
これから先もきっと、村人たちは今日と同じ強さで魂にメイド服を纏い、沙都子のために、いや、村の全ての子供たちのためにその力を尽くすだろう。
「あの人は、あの馬鹿馬鹿しくて……、素敵な人は、いったい、何者なんですの……っ?!」
僕はそれに対する唯一にして最高の答えをもう持っていた。
だから告げた。
「あれが……圭一だよ。沙都子」
沙都子は感極まって鷹野さんに抱きつくと、声をあげて泣いた。その涙はまさに、メイド服という確かな幻想をもって圭一が起こしてくれた奇跡の産物。
その愛らしい声は、僕たちの胸を暖かいもので満たしてくれた。
あぁ……、メイド万歳……ッ!