ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第54話 メイド服だったわけ

「あんたらには、メイド服を着てもらう」

 

圭一は、僕や梨花をからかうときみたいな悪戯っ子の顔でそう言ったものだから、その場の誰もがあっけにとられるしかなかった。

 

あのお魎でさえ、圭一の言葉の意味をはかりかねてぽかんとしている。

 

すぐに立ち直ってため息をつけたのは、圭一をよく知っている僕たち部活メンバーだけだった。……悟史のは感嘆のため息だけど。

 

「メイド服ぅ?」

 

誰かが素っ頓狂な声をあげる。

 

「っちゅんは、あれかぃね。北条の息子……いや、悟史くんが時々着てるような」

 

「おお、そうそう。ほれ、診療所の鷹野さんも着とるわ」

 

「おいおい、あんたらっちゅうんは、わしらも入っとるんじゃなかろうな」

 

静まり返っていた集会所の中が騒然とする。

 

「圭ちゃん、腕。応急手当するからさ」

 

「痛そう……圭一くんはいつも無茶ばっかり!」

 

魅音が備え付けの救急箱を、レナが水のはいった洗面器を持ってやってきて、圭一を僕の隣、園崎家の席に座らせた。

 

……なにげにそこは一番上座なのだけれど、お魎も含めて誰もそれを咎めるどころか気にする様子もなかった。

 

「もちろんこの場の全員、いやもっといるな。最低100人は揃えてほしいところだ」

 

あぐらをかいた圭一は魅音に甲斐甲斐しく手当されながら鷹揚に言うが、

 

「……ふん。それで何をするっちゅうんね」

 

お魎が先を促したので、誰も文句は言えなかった。

 

「知ってのとおり、沙都子はごく親しい俺たちや鷹野さんを除いて誰も信用できなくなって病室に閉じこもっちまってる。あんたらがいくら歩み寄ったところで、何年もの間村ぐるみでしてきた仕打ちがあるからそう簡単に心は開いてくれないだろう。……そこでだ」

 

圭一は100人を超える村人とメイド服を用意して、診療所の窓から見える場所で沙都子にエールを送る……という馬鹿馬鹿しくも楽しげな計画を語った。

 

「必要なのはインパクトなんだ。もっともらしい御託はいらねぇ、あんたらが悟史や沙都子に対して悪かったと思ってるなら、その証を立ててくれ。何年もの間無視したり嫌がらせをしたりするのに比べたら、たった一日のことだ、なんてこたぁないだろ」

 

老人たちは顔を見合わせ、どうしたものかと囁き合う。

 

そんな様子に圭一はにやりとして、

 

「難しく考えることはない、こいつはお祭りだ。祭装束だと思えばいい。無理なことをやれなんて言ってない。ただ、傷ついて疲れ果てちまった沙都子のために、あんたらのできることをしてほしいだけだ。……あんたらはダム戦争ってでかい祭りをブチあげて、国の連中の計画からこの村を丸ごと救ってみせたんだろ? まさかたったひとりの村の子供を救えないなんてわけはねぇよな」

 

そして、まだ包帯も巻いていない右腕をぐっと握り締めてみせる。

 

「沙都子はいつ自分が祟られるかって怯えちゃいるが、そりゃ病気で心が弱ってるからさ。考えてもみろよ、この雛見沢の人間があるかどうかもわからねぇ祟りにケツまくって逃げ出すようなタマか? 冗談言うな、相手が祟りだからって俺たちがビビるわけがねぇ。……見せてやろうぜ、その気になりゃ誰が相手でも、どんな大事なもんでも救っちまえる、雛見沢の本当の連帯ってやつを!」

 

圭一の言葉と、その自信満々の笑みが、その場の人々の心を鼓舞していく。

 

「確かに、……やられっぱなしてのは性に合わんね」

 

「……そうだ。俺ら雛見沢もんは、そんな腰抜けじゃあない」

 

「小さな子供も守れねぇで、連帯なんて言えた義理じゃねぇや」

 

ざわめき、頷き合う人々を見回して、圭一はその瞳に力をこめた。

 

「だから、頼む。あんたらがもう敵じゃないんだってことを、沙都子が一瞬で理解できるようにするために力を貸してくれ……!」

 

そう言って、圭一は深々と頭を下げた。

 

園崎家頭首をその拳で黙らせた人間に頭を下げられて断れるような人間がこの場にいるはずもなく、そして兄以外の家族を祟りに奪われて心まで壊されてしまった沙都子を不憫に思わないほどに冷たい人間もまたいなかった。

 

「……やるか。沙都子ちゃんのためだ」

 

「おぅ、恥をかくのも祭のうちだ」

 

「はっは、罪滅ぼしってやつだぁな!」

 

「そうさな、ひと肌脱がないわけにいかんわ!」

 

「雛見沢の魂ってやつを見せてやるんね!」

 

その場に強張っていた空気が流れ去り、皆の間に笑顔が広がっていく。

 

「……くっく。あっほらし!」

 

お魎がおかしそうに笑う。

 

「こんなあっほらしいお祭りはほかにないんね。……圭一、そのめーど服っちゅうんを用意するんは、婦人会に任せんね。手縫いで二百、三日で揃えてやるわぁ」

 

「おう、そっちは任せた。そうこなくっちゃあな。燃えてきたぜ、くっくっく……こりゃあでかい祭になるぜ、みんな!」

 

圭一が立ち上がって叫ぶ。

 

「こいつは馬鹿げていればいるほどいいんだ、なんせあのでかいダム計画をブッ潰した村が平和を取り戻して馬鹿をやればやるほど、あのとき尻尾を巻いた国の連中だって悔しがるに決まってるからなぁ!……いくぜ、てめぇら! ダム戦争の本当の終結を派手に祝いあげる新名物、その名も雛見沢メイド祭りの始まりだッ! 」

 

その威勢のいい雄叫びに、公由たちが「応ぉうッ!」と力強く拳を突き上げる。

 

盛り上がったところで、レナがぺしんと圭一の後頭部を叩いて座らせた。

 

「圭一くん、まだ包帯巻いてないんだから座ってて!」

 

「ってて、わかったよ……」

 

ぶつぶつ言いながら従う圭一の様子に、村の皆がどっと笑う。

 

……圭一は短い時間で、その場の人間全てを味方につけてしまっていた。

 

「いや、あの若さでたいした男じゃないか。うちの組にスカウトしようかね」

 

隣で茜が本気か冗談かわからないような笑みを浮かべていた。

 

「あぅ、茜……物騒なお誘いはいらないのです。圭一には古手神社の宮司というそれは輝かしい未来があるのですから」

 

「そうです、圭一はボクの玩具なのであげないのです。にぱ~☆」

 

梨花が隣で小憎たらしい笑顔を浮かべていた。

 

「おやおや、聞き捨てならないね。あれだけの男を古手家で独占しようってのかい?」

 

僕たちはくすくすと笑い合った。

 

……この日の圭一の賭けは図に当たり、沙都子は病室から元気な姿を見せてくれた。

 

それを見た村人たちは互いに抱き合って涙を流し、本当の意味であの悲惨なダム戦争が終結したことを心から喜び合うことができたのだった。

 

その数日後のこと。

 

「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」

 

買い物帰りに診療所へ寄ると、いつものように鷹野が所長室に案内してくれた。

 

……それにしても、相変わらずメイド服がよく似合っているのが何故か意外でならない。

 

あのミニスカナース服でさえ鷹野にはあんまり似合わないと思っていたのに、メイド服なんてイメージが180度くらい違う。

 

いや、鷹野が根底のところで優しい女性だというのは認めるけれど、なんというか……そう、清楚、慈愛、母性、和み、癒し、柔和さ、慎み深さ。そうしてなによりも、純粋さが足りないっ!……というのが、僕の鷹野に対するイメージだったのだけれど、いったいどこでこんなメイドらしさを身につけたのだろう。

 

僕の様子を横目で見ていた鷹野はすこし考え深げに首を傾げて、

 

「あら……、何か心配事? もしも私でよければ、今度相談してね?」

 

違う! そこは違うのです鷹野! 僕の脳内鷹野のイメージだと……

 

 

 

 

「くすくす、どうしたの? 私の内臓の色でも考えてるのかしら~?」

 

「あらあら、恋のお悩み? 恋敵を呪い殺す儀式教えてあげるわよ?」

 

「うふふふ、なにかしら? とっても失礼な気配が漂ってるけれど?」

 

 

 

鷹野ならこのくらいの性格の悪さはむしろデフォルトというか、あるべき姿だと思うのだけれど……あぅう、こんなこと考えてる僕のほうが性格悪いっぽい!?

 

なぜか理不尽な気持ちになっている間に、入江のところに通されていた。

 

「いや、素晴らしい成果ですよ。検査結果は極めて良好、各数値が軒並み快方に向かっています。これもK……前原さんのおかげです」

 

入江は珍しく笑顔でそう話してくれた。

 

「雛見沢症候群においてなによりの薬となるのは、信頼です。やはり患者さん本人が人を信じることができるかどうかにかかっているんです。沙都子ちゃんの場合、発症中も彼女を支えてくれた部活の皆さんや鷹野さんに対しては疑心暗鬼の目を向けなかったからこそそれ以上の悪化を抑えられていたのですが、もっとも治療のネックとなっていたのが、村の皆さんに対する猜疑心なんです」

 

徹底した無視や些細な嫌がらせ、無言の冷たい視線に晒される生活をしていた沙都子にとって、そこから守ろうと手を尽くしてくれる部活メンバーの存在は救いであると同時に、防波堤だったのだ。そして壁に囲まれた場所に逃げ込みそこを安住の地としてしまえば、壁の外の世界に興味を失うのは必然……。

 

皮肉にも、僕たちの存在によってそれ以上悪化しない沙都子は、僕たちの存在があるからこそそれ以上良くなることを拒んでいた。

 

それを責めることはできない。

 

自分を傷つけるかもしれない環境に飛び込むということは、とても大きな勇気と努力がいる。もしその大きな勇気を出すことができたとしても環境のほうが沙都子を受け容れなければ元の木阿弥、いや、前よりも症状が悪化してしまう危険性さえあった。

 

だから、本来ならこれはとても長い長い時間をかけて、沙都子と村の人たちが互いに歩み寄っていかなければ解決できない厄介な問題だったのだ。

 

「鷹野さんや悟史くん、そして部活メンバーの皆さんが纏うことで、沙都子ちゃんの中でメイド服は安心できる“記号”になったのです。彼女の味方であることを示す、視覚的な記号です。我々もスタッフの制服としてメイド服を取り寄せようかと検討を始めていたくらいでして……だが、前原さんは一気にその問題を解決してしまった」

 

そう、それはたったひとつの冴えたやりかた。

 

あのとき、ただいつもどおりの村人が同じ行動をとったとしても、村人を敵として認識している沙都子の中では猜疑心が顔を出し、窓の外の光景を自分のためのものだと理解するには至らなかっただろう。それは雛見沢症候群のもっとも危険な症状のひとつ、恐怖や疑念がその認識の中に“敵”を生みだしてしまう幻覚症状が原因だ。

 

そこにいるのが村人だと認識した時点で、沙都子は彼らの応援の声を冷ややかな罵声に、プラカードの文字を排斥の言葉に読み換えてしまっていたはずなのだ。

 

それは救いどころか、沙都子の精神にとどめを刺す結果に終わった可能性がある。

 

雛見沢症候群の存在も、そんな理屈も知るはずのない圭一が、ただ直感だけでそれをやり遂げてしまった。

 

「窓から見える人々が、メイド服を身につけていたことで彼女は混乱したでしょう。自分の“味方”がどうしてこんなにいるのか、と。窓の外、彼女を傷つけるはずの外の世界に大勢の味方がいる。それを視覚的に納得させてしまうことができた。だからこそ、皆さんの声は沙都子ちゃんに届いたのです。私たちにどうすることもできずにいたものを……前原さんは、一夜にして塗り替えてしまったのです」

 

圭一は最大の困難、町会と園崎家頭首の説得を自らの傷と引き換えに成し遂げ、沙都子に味方の存在、そして迎え入れてくれる優しい世界を誇示するという至上命題を……まるで喜劇のようなやり口で強引に果たしてしまった。

 

「すでに彼女を眠らせる必要はなくなりました。彼女は診療所内の人たちを恐れずに出歩くことができるようになりましたし、今日などは待合室のお婆ちゃんたちに孫娘のように可愛がられていましたよ。近日中に鷹野さんの付き添いで村の中を散歩してもらって、様子をみることになっていますが、沙都子ちゃんも乗り気なようです。これがうまくいけば……、そうですね。定期的な通院と、日に3回程度の治療薬投与は必要になりますが、自宅療養に切り換えることも可能になるでしょう」

 

信じられない。それは……沙都子が退院できるということを示していた。

 

こんなにも早くそれが実現するなどとは、事情をよく知っているからこそ入江や僕たちには想像できなかった。

 

「入江……それでは沙都子は、学校に戻れるのですか?」

 

「はい。自宅療養といっても、体調の不良として現れるのは従来通り、たまに微熱に見舞われるのがせいぜいですからね。学校に通い、社会生活を営むことが彼女の精神的な健康にとっては一番良いでしょう。……それにですね」

 

そこで入江は笑顔を僕の後ろに向ける。

 

振り向けば、そこで鷹野が柔らかく微笑んでいた。

 

「しばらくの間、私が北条家に住み込みで沙都子ちゃんと悟史君のお世話をさせていただこうと思っています。ここまで関わった以上、最後まで沙都子ちゃんに責任を持つつもりです」

 

胸に手をあててそう告げる彼女の表情には、まるで母のように確かな、沙都子への強い愛情を読みとることができた。

 

「……鷹野。本当に、お世話になりますです」

 

さっき内心であんなことを思って申し訳なかったと頭を下げる。すると鷹野は照れたように口元に手をあてて、

 

「うふふ、気にしないで。沙都子ちゃんはとっても可愛いし……圭一さんが作り出してくれたこの奇跡、最後まで無駄にするわけにはいかないでしょう? 研究者としても、二度にわたって末期症状に達しながらも救われた患者さんがいるということは、今後の症候群研究にとって何よりの励みになるものね」

 

そのあふれんばかりの後光にあてられたのだろうか、がたっと席を立つ入江だった。

 

「ええ、まったくです! そして、鷹野さん……、あなたはまるでメイドの鑑のような人だ! 沙都子ちゃんもいいが、鷹野さんもいい! そう、成熟した大人のメイドさんにこれほどの神聖な美しさを見たのははじめてのことですよ! あぁッ、富竹さんのことさえなければ、いますぐにでも求婚して沙都子ちゃんと悟史くんを養子に迎えたいところです! いいやこの気持ちは止められない、私とメイドでいっぱいの幸せな家庭を築きましょう鷹野さん!」

 

……って求婚してるのです!?

 

「うふふ、申し訳ないですけれど所長、いまのところ結婚の意志はありませんわ」

 

ころころと笑って受け流す鷹野。

 

「あっははは、参ったなぁ。僕も雛見沢に骨を埋める覚悟が必要かなぁ」

 

と、照れているのは、いままで存在感はないけれどそこにいた富竹だった。

 

「うふふ、ごめんなさいねジロウさん。いまのところ結婚の意志はありませんから」

 

ころころと笑って受け流す鷹野。

 

「へぇあ……」

 

入江と同レベルの対応を受けてしまってショックを受けたらしい富竹はひとり壁に向かって「しゅっしゅっぽー……しゅっしゅっぽー……」と虚ろな声音で言い始めたが、とりあえず本題には関係ないので見なかったことにしておく。

 

鷹野と入江も同じ結論に達したらしく、

 

「いやあ、申し訳ない。つい気持ちが高ぶってしまって、お恥ずかしいところをお見せしました。やはり、初志貫徹が大事ですね。いつか沙都子ちゃんを私のメイドに、そしていずれは妻にという野望は持ち続けていきたいと思います」

 

照れくさそうに爽やかな笑顔を浮かべながら、犯罪スレスレの発言をする入江だった。

 

……悪い人ではないのだけれど、この特殊な趣味さえなければ。

 

と思いかけて、そういえば僕の好きな人は入江に心の師と慕われているなあという余計な記憶が浮かびあがってきてしまう。あぅあぅ……よく考えると、圭一のほうがやってることはよっぽど犯罪のような気もするし……。

 

「あぅ……、と、とにかく、経過が良好なのは良い報せなのです。入江、鷹野、いつもありがとうです!」

 

取り繕うように立ち上がって頭を下げると、二人は微笑んでくれた。

 

「いえいえ。羽入ちゃんの研究への協力もあってのことですから」

 

「それに今回の立て役者は圭一さんですから。私からも、彼にお礼を言いたいくらいよ」

 

沙都子の本当の症状を知らない圭一たちにその真実を伝えることはできないけれど、感謝くらいは伝えてもいいのではないだろうか。

 

買い物の途中だったのであまり遅くなるわけにもいかず、僕は二人にもう一度頭を下げて診療所を出た。

 

沙都子のことはもう大丈夫、軽はずみなことを言わないようにといつも慎重な入江があそこまで太鼓判を押してくれるのだし、部活メンバーや鷹野に加えて村のみんなも味方なのだから、心配するほうが野暮というものだ。

 

むしろ僕にとっては、本当に心配すべきは圭一のほうかもしれない。

 

町会に真っ向から喧嘩を売り、お魎の振りかざす白刃に素手で立ち向かった圭一はあの瞬間から雛見沢で一目置かれる伝説の男になっている。それ以前でさえただの中学生よりは高い評価を得ていたが、今度の活躍は桁が違いすぎた。

 

嵐の夜の立合いや咆哮を知っている部活メンバーが圭一に対して持っていた絶対の信頼を、一気に雛見沢全体で共有させるのに充分すぎるほどの出来事。

 

それを衆目の目の前で見事に成し遂げてしまったのだから、圭一はもはや村の英雄だといっていい。

 

でも、圭一の真実……あの日の告白、重すぎる嘘。

 

それを知ったうえであの大立ち回りを見ていた僕にとっては、冷や冷やするしかなかった。町会に喧嘩を売ってみせた圭一の行動はあまりにも無謀過ぎた。あの時点で老人たちが止まらなければ、多少レナと鍛えているからといって数人がかりの攻撃をいなすような実力など圭一のどこを振っても出てくるわけがない。

 

そしてお魎との対決。年老いたとはいえ修羅場をくぐってきたお魎の刃を見切ることなど圭一に出来るはずもなく、遮二無二突っ込んだ結果があれだっただけだ。

 

お魎は最初から、圭一の眼前で刃を止めるつもりだったのだ。

 

当たり前だ、普通の神経の持ち主ならばあそこは退く。どれほど勇気を振り絞ったとしても身体が無意識に恐怖を訴え、踏み込むのが一瞬遅れて……白刃の前に命を晒され、どんな意気も挫かれる。お魎の意図は、そうして無謀すぎる圭一に冷や水を浴びせた上で町会に意見を聞き、圭一の覚悟に免じて彼らからも沙都子たちを許してもいいという言葉を引き出すことだったのだろう。

 

なのに、圭一はそのお膳立てさえぶち壊しにしてみせた。

 

怪我などさせる気のなかったお魎の刃を恐れずに飛び込み、……あの場では押し隠していたが、彼女の心胆を寒からしめた。刃が骨まで達するほどの傷を受けてなお笑える人間など、お魎の生き様を持ってしてさえ数えるほどしか出会わなかったに違いない。

 

だから彼女は、圭一をただの坊主ではなく園崎家頭首に真っ向から意見できる対等の相手として認めたのだ。

 

でも……。

 

ただの中学生に過ぎない圭一の本心は、どれほどに怖かっただろう。

 

彼の勇気はまがい物で、その無謀な行動は過剰な演技に過ぎない。

 

圭一は身の丈に合わない嘘をついた代償として、これからは『雛見沢の前原圭一』という英雄をも演じなければならない。彼の仲間を思う気持ちは本物でも、期待されるその役割は完全に彼の能力を超えてしまっている。

 

……自分が彼に嘘をつき続けてほしいと願ったことを、いまさらながらに後悔する。

 

僕の恋心、皆の信頼を嘘にしないために……圭一は背負ってしまったのだ、雛見沢という途方もない重荷さえも。

 

圭一は『いつかやらなくちゃいけないと思っていた』と言った。

 

彼の演ずる前原圭一にとって、北条家の件を、魅音の無残な敗北を放置しておくことは、許されないことだった。それでも踏み出せずにいたのは、彼の本心がこうなることをどこかで恐れていたからなのだ。

 

この重すぎる嘘が、圭一にとっていつか命取りになるかもしれない……。

 

それは、ある種の恐怖さえ伴う確信だった。

 

 

 

 




大体、この話で、半分くらいが終わりました。順次投稿し続けます。引き続きお楽しみください。
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