私、竜宮レナが数年ぶりにこの懐かしくて優しい雛見沢に帰ってきて、まだ十日も経っていない。
村がおぼろげな記憶の中とあまり変わっていなくて安心したけど、友達の顔はすっかり忘れちゃってて、ひとつ年上の園崎魅音、魅ぃちゃんともずっと小さい頃には一緒に遊んでいたはずなのに、お互いよく思い出せなかった。
でも魅ぃちゃんの持ち前のフランクさのおかげもあって、雛見沢の学校にはすぐに馴染めそうだから、心配することはないのかもしれない。
ほかに年長組、いわゆる中学生はもう一人、やっぱり一学年上の北条悟史くん。どこか繊細な雰囲気のある、でも穏やかな笑顔のよく似合う男の子。この子のことも、やっぱり覚えていない。
雛見沢での幼かった日々が楽しかった印象は強く強く残っているのに、肝心の別れたくなかったお友達は覚えていないという中途半端な自分に自己嫌悪を覚える。
「うん、僕はすこし印象があるよ。年下なのに、すごくしっかりした女の子がいた覚えがあるかな」
こっちは覚えてないのに悟史くんがそう言ってくれて、ようやく自分が村にいたことを確信できたと言ったら笑い話になってしまいそうだ。
「僕も覚えてますです。礼……レナは、喧嘩が凄く強かったのです!」
う。
ひとつ年下の羽入ちゃんには余計な思い出が残っていたらしい。言われてみれば、興宮の子たちと遊び場の取り合いかなにかで殴り合いをしたような……?
「町の子たちのガキ大将だった幸一を、3つも年下なのにワンパンチで鼻から大流血させて、大泣きさせていたのですよ。さすがレナ、僕たちにできないことを平然とやってのける! そこに痺れる憧れるッ、だったのです」
私自身が覚えていない、年頃の女の子としては致命的なまでに恥ずかしい戦績を掘り起こされてしまった。
とにかく、連休もはさんだせいで転校してきてから学校に通ったのは半分もない、そんなときにまたもや突然の転校生だった。
「東京から来た前原圭一です、よろしく」
なんだかそっけない自己紹介。
さまざまな年齢の生徒たちが入り交じる教室の様子には物珍しそうな様子だけど、その子たち一人一人には興味がないというのが窺える。
「ええと、前原くんは、竜宮さんと同じ中学1年生でしたね。竜宮さんの隣へどうぞ」
この転校は不意打ちだったから、沙都子ちゃんも私のときとは違ってトラップを準備していなかったとみえて不満そうに口を尖らせている。
「竜宮さんも先々週に転校してきたばかりですので、お互い助け合って、仲良くしてくださいね」
先生の言葉に生返事を返しつつ、前原くんは職員室から持ってきた机を私の隣に置くと、私に小さな会釈だけして席についた。そのままかばんから教科書や参考書、ノートなどを取り出す。
……う、う~ん。
東京から来たというだけあって、のんきな村の子たちよりは私がいた茨城の子たちに近い雰囲気を感じる。もちろん私のいたところは都会じゃなかったけど、やっぱりこの村の空気のほうが独特だからだろうか、余計にそう思えた。
「あ、あのね。私、竜宮レナ。レナって呼んでね。仲良くしよう……、ね?」
一応そう話しかけた。
でも前原くんはちらりとこっちを見て、微妙な頷きを返しただけ。
東京ではそっちが普通なのかもしれないけど……その態度、とっつきにくいよ。
「なんっか、愛想の無いヤツだねぇ」
前原くんとは反対の席から、魅ぃちゃんが小声で言ってくる。
「緊張してるのかもしれないよ。……しょうがないよ」
「やれやれ、レナはやっさしいなぁ」
と皮肉っぽく肩をすくめたところで、先生の声がかかった。
「委員長、お願いします」
魅ぃちゃんは慌てて立ち上がり、起立の号令をかけた。
「きりーつ、礼! 着席!」
そして、授業に入る。
小中学生が混在する教室の中に、先生は一人だけ。だから必然的に私たち年長組はほぼ自習に近い状態を強いられる。私は魅ぃちゃんや悟史くんと机を並べて、わからないところがあれば悟史くんに聞くことになっていた。……魅ぃちゃんの進み具合があまり芳しくないから、隣の魅ぃちゃんには聞けないのだ。
悟史くんの隣には妹の沙都子ちゃんがいて、そこに羽入ちゃんとその妹の梨花ちゃんが机をくっつけている。沙都子ちゃんと梨花ちゃんは同学年で、私のふたつ下。
「……ねぇ、前原くんも誘ってあげたほうがよくないかな、かな?」
一人で参考書を開いている前原くんを見てそう聞いてみるけど、第一印象がよくなかったのか、魅ぃちゃんは「え~?」とあからさまに気が乗らないという様子を見せた。
「魅音、転校生が孤立しちゃわないように気遣うのも委員長の仕事じゃないかな」
悟史くんが口添えすると、仕方ないとばかりに腰をあげた。
「う~ん、まぁそうかなぁ……どれ」
魅ぃちゃんに聞いたところでは、私のいない間村にダム戦争っていう大事件が起きていて、そのときに村の主流派である魅ぃちゃんの園崎家と対立していた悟史くんの北条家は、ダム賛成派のリーダーだったお父さんが2年前に事故で亡くなってからも村で微妙な立場に立たされて、学校以外では村の人たちに半ば無視されるような生活が続いているらしい。
自分がそんな状況にもかかわらず前原くんのことを気にかけてあげられる悟史くんは、大人だなぁって思う。……そんな状況だからこそ、なのかもしれないけど。
「えーと、前原くんさ。よかったら、おじさんたちと一緒に勉強しない? わかんないところとかあったら、おもに悟史に聞いていいからさ!」
しっかりちゃっかり自分に聞くなというニュアンスをこめる魅ぃちゃんは、ある意味正直者なのかもしれなかった。
「別に。お気遣いなく」
前原くんは参考書から目を上げるのも面倒だといいたげに、シャーペンを持った手を軽くあげただけできっぱりと断った。
二言目をつけた分だけ、本人としてはサービスしたつもりなのかもしれない。でもそんな半端な気の遣い方が魅ぃちゃんに通じるわけもなく、ぷりぷりしながら戻ってきた。
「なーに、あの態度。都会もんだからって、何様だよぅ!」
ほれ見たことか、という視線を私と悟史くんに送ってくる。
余計なこと言っちゃったのかな……。
でも、都会で暮らしてた前原くんにはきっと実感が沸かないだろうけど、雛見沢みたいな村で暮らすにはそれなりに隣近所とうまく付き合うことが必要だ。あんな態度をとっていたら、村に馴染めるわけがない。
……あとで、ちょっとお話してみたほうがいいかな。
と思っていたら、片目に眼帯をした梨花ちゃんが席を立って前原くんのところへ向かった。
「圭一、ここ教えてほしいのです。なんでひっくり返してかけるのかわからないのです」
「うん?……あぁ、分数の割り算か」
しょうがないな、という顔をした圭一くんはノートのあいたページを開いて、
「梨花ちゃんは……そうだな、ケーキは好きか?」
「はい、好きです。でも羊羹のほうがもっと好きなのです」
「……意外と渋い趣味だな。じゃあ羊羹でもいいや。もらいものの栗羊羹がひとつあるとする」
さらさらと直方体をノートに書いて、ご丁寧に爪楊枝まで添えている。
「みー、おいしそうです♪」
「で、梨花ちゃんはこの栗羊羹を3日に分けて食べることにした。一度に全部食べたら晩御飯が入らないし、もったいないからな?」
直方体に線をひいて3つに分割し、2つぶんには×をしてわきへ書き直す。
「食べすぎるとおなかぽんぽんなのです。大事にしまっておくのです」
は、はぅ……目の前に本物の栗羊羹があるみたいににこにこする梨花ちゃんはかぁいかった。
「でも、羽入の分を計算に入れてなかったことに気づいた。さぁどうする」
「みー、残念ですけど半分こするのです……」
一気に盛り下がってしゅんとする。
……でも、ちゃんと分けてあげるんだ。良い子だね。
「そうすると、梨花ちゃんが食べられるのは最初の栗羊羹を3つに分けたうちのそのまた半分だけだよな。これが3分の1かける2分の1、分数の掛け算な」
3分の1の羊羹をさらに2分割。さらさらと小さな直方体を2つ書いてお皿に載せた。
「はい。ボクの取り分は6分の1なのです。すくないのです。文句ぶーぶーですよ」
前原くんは我が意を得たりとばかりに、にやりとしてみせた。
「文句ぶーぶーな梨花ちゃんは、もっと食べたいから逆に考えた。1日分を二人で分けるんじゃなくて、さっきしまったもう一切れをもってきて羽入にあげることにした。そうすると、3日に分けて食べるはずだったのに2日ぶんの羊羹が必要になるわけだ」
横によけていた2つぶんのうち1つをもってきて、最初の1つの横に並べた。
「わぁ、ボクも羽入も大満足なのです!」
「この、『逆に考える』って部分が、ひっくり返してるってことなんだ。2人で1人分を分けるのと2人で必要な分だけ出してくるのって、ちょうど逆の変え方だろ?」
それを聞いた梨花ちゃんは、頭をひねりながらノートに式を書き始める。
「みー。これぞまさしく『逆に考えるんだ梨花、羽入にやっちゃってもいいさと考えるんだ』なのです!」
「いやいや、それはなんか違うからな」
……ちょっと意外だった。
コミュニケーションが苦手なタイプなのかと思っていたけど、前原くんは困った様子ひとつ見せずにちっちゃな子にもわかるように身近な状況に置き換えて解説した。低学年の教科書とかではよく使われる例えだけど、私はとっさに迷うこともなくポイントを踏まえた例え話をひっぱり出してこれるかと言われたら自信がない。
……というより、なんでひっくり返してかけるのかなんて考えたこともなかった。
ただ、先生がそう言ったから、言われたとおりにやっていただけ。
「さて、今度は数字だけで考えてみようか。梨花ちゃん、分数で1わる2は?」
「馬鹿にしないでほしいのです、2分の1ですよ」
「じゃ、1かける2分の1なら?」
「み?……1ぶんの1かける2ぶんの1だから、やっぱり2分の1なのです」
「うん。じゃ、1わる2を同じように、分数に直してみな」
「……1ぶんの1わる1ぶんの2です。分数の割り算はひっくり返してかけるから、1ぶんの1かける2ぶんの1になって……あ、2ぶんの1なのです」
梨花ちゃんの顔が輝き始める。それは自分の頭で理解した証拠だった。
「1に2分の1をかけるのと1を2で割るのは同じことなのですね、圭一。だからひっくり返してかけると、割り算の答えになるのです!」
「そーゆーこと。じゃ、同じようにほかの問題もひっくり返してかけてみな」
さきほどの羊羹の例え話をヒントにして、今度は数字で一番単純な例をあげることで計算そのものへの抵抗をなくしてしまった。これなら、算数に苦手意識のあるらしい梨花ちゃんも素直に理解できる。
単にこれが正解だと教えるのではなくて、正解に至る手順を教えることで『知る喜び』や『解く楽しみ』を体感させる。それが彼のやりたかったことだと思う。
これはマンツーマンだからこそできることで、たぶん本物の先生も一人一人の生徒にそうしてあげたくてしょうがないけど、何十人かをいっぺんに教えなければならない都合から個々の理解度に合わせてあげることができなくて、泣く泣く諦めている方法なんだ。
「わかったのです。ありがとうです、圭一!」
梨花ちゃんはお礼を言って、自分の席に戻ると「みーみーみー♪」と鼻歌まじりで計算ドリルを埋めていく。その様子を見ていた低学年の子たちが、しばらく顔を見合わせたりしたあと、ぱらぱらと前原くんに質問をしにいくようになった。
おかげで普段その子たちの質問責めでなかなか自分の勉強を進められなかった悟史くんや羽入ちゃんの負担が減ったらしく、助かったという顔をしていた。
最初はとっつきにくくて怖そうだと思われていた前原くんも、話してみると意外とそうでもないという印象を持った子が多いみたい。
……これは、梨花ちゃんのお手柄だね。
「みー、閃いた! 逆に考えると、羽入を亡き者にすれば全部ボクのものなのです☆」
ちょ、梨花ちゃん。そこでオチをつけなくても!?
「あぅあぅあぅ……梨花ぁ~、おやつは仲良く食べるのです!」
さらにボケを涙目の天然ボケで返す羽入ちゃん。
……かぁいい上に侮れない姉妹だった。
「はん、東京もんは口が回るねぇ」
さして興味もなさそうに呟く魅ぃちゃんのノートにごちゃごちゃと分数が書き留められているのを横目で確認して、私はくすくすと笑ってしまった。
早々に東京から来た無愛想な転校生とレッテルを張った彼女も、そこに口先と家庭教師の素質くらいは追加してやってもいいと思っているそぶりだ。まだちゃんと知り合ってから日は浅いけど、魅ぃちゃんは明らかに人の上に立つ才能を持っていると思う。
リーダー気質って言うのかな、感情的な好き嫌いとは別のところで人の長所や短所を評価して、それを集団の中で発揮させ、あるいはフォローすることを日常的な思考として身につけているらしい。
学年混在の混沌としたクラスを取りまとめる委員長さんにはぴったりだと思うけど、どこでそんなものを学んだかはちょっぴり興味があるかもしれない。
やっぱりダム戦争のときに魅ぃちゃんの家が村のリーダーだったのと関係があるのかな……?
「……え、前原くんって梨花ちゃんたちの家に住んでるんだ?」
お昼休み、お弁当箱を洗いに来たところで魅ぃちゃんがそんな情報を教えてくれた。
「そーなんだよ。ほら、梨花ちゃんが東京で怪我したでしょ。そのとき、救急車を呼んでくれた恩人があいつなんだってさ」
「へぇ……?」
たまたま雛見沢に転校してくるはずだった前原くんが、雛見沢から東京に遊びに行っていたピンチを救った……ある意味運命的だけど、なにか不自然な気もする。
それに、梨花ちゃんと羽入ちゃんは姉妹二人だけで暮らしているはずなのに、そこに男の子の居候?……よく考えなくても、変な話だ。
「ま、よくわかんないけどさ。私たちにゃ、それより重要な話があるんだし」
そう言って魅ぃちゃんは肩をすくめる。
「……うん。ほうっておけないよね」
転校早々、魅ぃちゃんに相談されたのは沙都子ちゃんのことだった。
沙都子ちゃんは兄の悟史くんと一緒に叔父さん夫婦に引き取られているんだけど、その叔母さんが酷く沙都子ちゃんをいじめているらしい。学校にいるときは笑顔も見せてくれる沙都子ちゃんだけど、放課後になって家に帰る時間が近づくにつれて表情が暗くなる。
おつかいやお手伝いのために早く帰らないと叱られるけど、早く帰ってもこき使われたりいじめられる時間が長くなるだけ。……その板挟みになったあの痛々しい表情は、見ているだけでつらい。
「魅ぃちゃん……前原くんにも、相談してみるのはどうかな?」
もともと魅ぃちゃんは、私が村の外から来た転校生だから村の人間には思いつかないようなアイディアがあるのではないかと相談してきたのだ。なら、それは前原くんにも当てはまるはず。そう思って提案してみるけど、魅ぃちゃんはあからさまに気が進まさそうな顔になった。
「う~ん、レナと違ってあいつは、『そんなの俺が知るか』って言いそうなんだよねぇ」
口を尖らせて、悲観的な予測を口にする魅ぃちゃんだった。