「おいしい……」
三四さんの薄味のお雑煮は、初めて食べる味のはずなのになんだか懐かしかった。
もしかしたら、よくは思い出せないけどお母さんが作ってくれたお雑煮の味にちょっと似ているのかも知れない。
昨日丸一日がかりで作ってくれたおせち料理も抜群だ。
これは私もちょっとお手伝いしたけど。
にーにーも同じ感想なのか、頬を緩ませて私を見た。
「ほんと、おいしいね」
「ふふ、ありがとう」
……そう言って微笑む三四さんは、やっぱり優しい。
昨夜はせっかくの大晦日だから年が変わるまで起きていたかったのに早く休むように言われてちょっとむくれてしまったけど、おかげで早起きして初日の出を見られたのだから感謝すべきところかもしれない。
……こんなに穏やかな気持ちでお正月を迎えるのは、何年ぶりか……、それとも初めてのことなのかもしれない。
「食べ終わったら着替えて、初詣にいきましょうね」
「……ええ、楽しみですわ!」
雛見沢では古手家の負担を考えて二年参りはしないように申し合わせをしているので、ぼちぼち村の人たちも起き出して、オヤシロさまに新年のご挨拶をしようと家を出る支度を始めているところかもしれない。
「本当は晴れ着を用意してあげたかったんだけど……」
「そんなのいいですわ。わたくしは成長期ですから、すぐに小さくなってしまってはもったいないですもの!」
最初に言われたときにお断りした理由をもう一度言った。
「もう、欲がないのね……」
頬に手をあてて残念そうにしゅんとする三四さんだった。
聞くところによれば魅音さんも年末年始の行事や挨拶回りがいろいろあって忙しいというし、古手家の羽入さんや梨花、一緒に住んでいるからとお手伝いを申し出た圭一さんやレナさんもクリスマス以降は忙しなく過ごしていたので、みんなのおかげでいまの優しい暮らしを手に入れた私だけが浮かれるのも、なんだか悪いと思ってしまう。
にーにーがちょっとお餅を喉に詰まらせたりしたけど、タライを落としてあげたらうまく呑み込めたようだった。
それ以外はなにごともなく、私たちはおでかけ着に着替えると家族三人連れ立って家を出た。
三四さんと暮らし始めてこの3ヶ月程度だけれど、私の靴やお洋服はそれまでが嘘のように増える一方だった。なにしろタンスをひとつ買い足したくらいだ。
やっぱりそれも成長期にはもったいないと思うのだけれど、三四さんにとっては私に可愛い格好をさせたいというのはもはや大きな楽しみのひとつらしく……。
「自分が子供のときにあまり贅沢できなかったせいかしらね、沙都子ちゃんには不自由させたくないの♪」
なんて呑気に笑って言ってくれるから、買ってきてくれたものは有り難く身につけるようにしているけど。
「遠慮しなくていいのよ。家族なんだもの」
「家族だからこそ、節約を心がけるものですわ」
なんて反論したら、おなかを抱えて笑っていたっけ。
ちょっぴりだけ失礼な、でも優しくて可愛いらしいひと。
それが三四さんで、……できればいつかは『おかあさん』って呼びたいって素直に思える、私の大切な人だった。
「うん?」
手をつないで隣を歩いている三四さんが笑顔で私を見下ろしてくる。さすがに今日はメイド服ではなくて、暖かそうなコートに自作のマフラーを巻いていた。
「……い、いえ、なんでもないですわっ」
なんだか恥ずかしくなって顔を背ける。
田んぼも畑もすっかり雪に埋まってしまって、道の脇にはもう私の腰くらいの高さまで壁ができている。これからもっと寒くなっていけば、2月頃には見上げるくらいになってしまうだろう。
「むぅ、けっこう混んでるね」
にーにーの言葉で顔をあげると、神社の石段にはもう列ができていた。テレビでは二年参りなんかの混雑がよく流れているけど、人の少ない雛見沢ではそこまでではない。
家族ごとにお行儀良く並んで会話を楽しみながらお参りの順番を待つだけののんびりとした雰囲気が漂っていた。
「おっ、沙都子ちゃん、あけましておめでとう!」
「悟史くんも、三四さんも。おめでとう!」
列の後ろへ向かう私たちに、すれ違う村のみんなが笑顔を向けてくれるから、私たちもお辞儀をして新年のご挨拶を返してまわる。
「あけましておめでとうございますわ!」
「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「今年も仲良くしてあげてくださいね」
村の人たちはおとそですこし酔っぱらっているのかほろ酔い気分で笑い声をあげ、私の頭を撫でてくれたり、ときには機嫌良くお年玉袋を取り出したりする。
遠慮しながらも断り切れずに受け取ってしまって、なんだか申し訳ない気分になってしまった。
本当にそれは……考えてみれば、信じられないような光景なのかもしれない。去年の私にこの幸せな気持ちを半分でいいから分けてあげたい。
とても大切にしてくれる家族がいて、いつでも助け合える仲間がいて、村の人たちだって優しくしてくれる。
今の幸せのために、それまでのつらい出来事があったのだと言われれば納得してしまいそうなくらいだった。
……もっともっと、取り戻そう。
そう、ただ守られて幸せになるだけじゃ、見守ってくれるみんなに恩返しにはならない。
頑張って、立派な人になって、みんなのおかげで強くなれたって言えるようにならないと……。
「……って、圭一さん?」
お話をしながら石段を登り切ったところで、泣きながらみんなにお守り札を配っている圭一さんがいた。
列の反対側にはレナさんが同じことをしている。
……問題は、二人とも巫女装束を着ていることで。
レナさんは後ろ半分をアップにして白いリボンを添えているし、圭一さんは頭の上で同じ白いリボンを結んでいた。
……妙に似合うのが可笑しい。
「手伝うって言っただけなのに、婆さんが俺のぶんまで縫ったからって魅音が持ってきてこんなことに……巫女さんは男じゃダメなんだよ、どうしてそれがわからない!」
涙ながらに力説する圭一さんと、それに同調してうんうんと頷きながら泣くにーにーだった。
ええと、一応お尋ねしますけど、メイドさんは男のにーにーでも問題ないのに巫女さんはダメというその基準はどこにあるのでしょう。
「いい質問だ、沙都子。その答はそう、巫女さんにはメイドさんとはまた違った清らかさが必要だからだ」
「むぅ……そうだね。沙都子にはまだすこし早いかもしれない。大人になれば沙都子にもきっとわかるよ」
どうして二人とも、そんなに澄んだ瞳で慈しむように私を見るのかがさっぱりわかりませんわッ……!?
「ふふふ、でもレナちゃんも圭一さんも似合ってるわ」
三四さんの言葉にレナさんはにこにこと笑顔で「ありがとうございます」と言ってるけど、圭一さんは頬を染めながらとっても複雑そうな顔をしていた。
「圭一、もし新しい地平が拓けたら教えてね!」
がっしと圭一さんの手を握って力強く言うにーにー。
「ああ、拓けないことを祈ってくれ悟史ッ!」
……男泣きだった。
そんなことをしながらも列は進んでいき、私たちのお参りの順番がやってくる。
笑顔の羽入さんに見守られながら、お賽銭を投げ入れて柏手を打つ。
……さて、オヤシロさまに何をお願いしたらいいだろう。
この幸せな日々が続くように?
それもいいけれど、まず私は謝っておくことにした。
あのときは私もおかしくなっていたのだろうか、よく覚えてはいないのだけれど、オヤシロさまに対して失礼なことを考えてしまった気がする。
オヤシロさまは祟りなんて起こさない。
きっと巫女の羽入さんと同じで優しい神様だと思うのに、祟りを私が代わりに起こしてやるなんて考えた気がする。
……だからあの夜、私の身に起きたことは罰だった。
おぼろげな記憶。
雨の中を、誰かから逃げるみたいに駆け出してきた叔母。
これからガス漏れで死ぬはずだった叔母が、どうして家を飛び出してきたのかまったく理解できなかった。叔父と珍しく取っ組み合いの喧嘩にでもなったのだろうかと呆然と思いながら、立ち尽くしていた。
足をもつれさせて地面を転がった叔母を、あのときの私は助け起こそうなどとも思いつかずに冷たく見下ろすだけで……それが叔母の気に障ったのだろう、わけのわからないことを言い始めた。
なんだっけ、あれはあんたの差し金がどうとか……?
私の首を絞めはじめた叔母を振りほどこうとしたけど……単純な力比べで大人にかなうわけがない。意識が遠くなりかけたとき、聞こえてきたのは……魅音さんの声だった。
涙に曇る視界に、魅音さんが叔母を引き剥がす姿が見えた……はず。記憶に焼き付いたそれは幻じゃないと思う。
気がついたときには私は解放されていて、……雨の中に立ち尽くしていた。追いついてきて私を助けてくれたはずの魅音さんはどこにもいなくて……ふと見下ろせば、沢には叔母が沈んでいた。
何が起きたのかわからなかった。
魅音さんが私を残してどこへいってしまったのか、どうして叔母が沢に落ちて死んでいるのか、わからなかった。
そうしているうちに背後で駆け寄ってくる魅音さんの叫びと激突音が響いて……振り向けば叔父がスクーターとともに転がり、まるで私の身代わりのように魅音さんがその場に倒れていた。
全てが私の仕組んだトラップにとっては計算外の出来事でまるで悪夢みたいな雨の一夜は、祟りだとしか思えなかったけれど……真相は私自身にもわからない。
私が気を失っていた間に何があって叔母が死んでしまったのか、一度私を助けにきてくれたはずの魅音さんがなんで叔父のスクーターから私を庇って倒れたのか。
……もしかしたらあのとき叔母から私を助けてくれた魅音さんは、オヤシロさまが姿を変えていたのかもしれない。
だとしたら、罰を与えながらもオヤシロさまは私を助けてくれたことになる。やっぱり優しい神様なのだと思う。
……だから、謝罪のあとに願うことは決まっている。
みんなが幸せになりますように。
もう変な事件なんかいらない。
私の身に起きた去年のあの日を最後に、祟りなんて呼ばれるようなことが起きて不幸になる人がいませんように。
みんなが優しく笑える、素敵な世界でありますように。
そう願いながら目を開けたら羽入さんがとても優しく微笑んでくれていた。……たったひとつ違いなのに、ときどき彼女はずっと年上のようにも思えることがある。
……いえ、ごくたまにずっと年下にも思えるんですけど。
「沙都子はなにをお願いしたの?」
順番が終わって列を離れるとにーにーが尋ねてきた。
「当然、世界平和に決まってますわよ!」
胸を張ってそう言った。嘘は言ってないと思う。
「むぅ……沙都子は立派だね」
「そう言うにーにーはなんですの? どうせ、『立派なメイドさんになれますように』とかではございませんの?」
肩をすくめてみせたら、にーにーはますます難しい顔で、
「それもあるけど、もっと大事なことだよ」
「やっぱりそれもあるんですのね」
「泣き虫の沙都子がもう泣かなくていいような、いい年になりますようにってさ」
……う。ちょっとは嬉しいですけど、それ以前に失礼な。
「だ、誰が泣き虫ですの!?」
「あら、沙都子ちゃん」
三四さんはにっこりと笑って私の頭を撫でてくれた。
「泣き虫は悪いことじゃないのよ。大人になるとね、悪いことや悲しいことが起きても泣けなくなってしまうことのほうが多いの。……そういうとき、かわりに泣き虫さんが泣いてくれるとみんな、あぁ頑張らなくちゃって思うの。だから泣き虫さんはね、本当は一番優しい人なのよ」
三四さんの言う理屈はよくわからなかったけど……でも、やっぱり私はもっと強くなりたかった。泣き虫さんの頭をよしよしって撫でてあげられるような強い人になりたい。
「鷹野さんは何をお願いしたんですか? やっぱりオヤシロさまへのお願いだから、縁結びとか……」
「ふふ、オヤシロさまが男女の縁を取り持つようになったのは近年のことよ。……まずは沙都子ちゃんや悟史くん、それに部活メンバーのみんなと縁を結んでくれたことへの感謝。それから、みんなの健康と安全をお願いしたわ」
富竹さんがちょっとかわいそうではあるけど、たぶん三四さんの言う『みんな』には富竹さんも入っていると思うので、あまり気に病まないことにする。
「おみくじ、引いていきましょうか」
絵馬や破魔矢を売っているのは梨花だった。
「あけましておめでとう、沙都子。売れ残った破魔矢はトラップ用にあげるから買わなくてもいいわよ」
私の親友でもある巫女さんは、にやりとして罰当たりなことを言っていた。……なんだか秋くらいからキャラが変わっているけど、そっちのほうが本人は自然に喋っているように見えるからあまり気にしないことにしている。
おみくじも一応用意してあって、三四さんが三人分のお金をくれた。
「これとこれとこれね。……ふふふ、覚悟はいい?」
おみくじで覚悟ってなんですの!?
にーにーが最初に開く。
「……むぅ。中吉だね。梨花ちゃん、素朴な疑問なんだけど……これって普通の吉とどっちが上なの?」
「いいじゃない、どっちでも。吉引いたら吉のほうが上で中吉ひいたら中吉が上だと思ってなさい」
おそろしくいいかげんな巫女がそこにいた。
「中吉の中は『中る(あたる)』とも言って的中、命中、意中なんて言葉にも使われてるくらいよ。願い事がかなうって意味だと思ってればいいんじゃないかしら」
三四さんの言葉にすこし気をよくするにーにーだった。
「それなら今年は、ホームランがいっぱい打てるかもしれないなぁ」
「わたくしは……あら、大吉ですわー!」
「お、やったじゃない沙都子! 今年は本数けっこう少ないのよ、それ。それを引き当てるなんてやるわね」
……意地悪梨花のことだから、羽入さんに内緒で本数を調整していそうだ。
「……でもなにやら、内容が怪しいのですけれど」
どれどれ、と覗き込む二人。
「恋愛、ハーレム来る。学業、飛び級小学生並み。仕事、寝てても昇進……くすくす、内容は誰が考えたの?」
「私と圭一」
……どうりでテレビの占い以下のアホな文言が並んでいて御利益なんてなさそうだと思いましたわ。
「書いたのは真面目な羽入さんのようですのに、こんなのをよく許してくれましたわね……」
「羽入によればおみくじっていうのは本人の心がけが一番大事だから、内容よりもどう受け止めるか、ってことらしいわ。神様のお墨付きだからありがたく受け取りなさい」
と言ってナムナムと手を合わせる梨花だった。
……神仏混合にもほどがありますわ……。
まあ、お手製だからなのかそれほど高額ではないことだし別にいいのかもしれない。
「そういうものかもしれないわね。さて、私のは……」
自分のおみくじを開いた三四さんが固まる。
まさか大凶?……すこし心配になって、背伸びをしてその手元をのぞきこむ。
するとその仕草に気がついたのか、三四さんは苦笑しながら手をもっと下げてくれた。
「……なんですの、これ?」
私やにーにーのとは違って梨花のものとおぼしき悪筆で書かれたそのおみくじには『∞吉』とあった。
「これは……むげんきち、でいいのかしら?」
三四さんが紙をつまんで梨花に見せる。
「そうよ。大吉のはるか上を行く、一本だけの特賞よ☆」
からんからんと鐘を鳴らす梨花だった。
……商店街のくじ引きじゃないんだからおやめなさいな。
「それにしては内容が物騒な気がするんだけど」
「受け止め方しだい、なのですよ。にぱ~☆」
ひさびさに梨花の、なのですにぱ~☆が炸裂する。
……見れば、内容はよくわからないものだった。
恋愛、恋人を殺し損ねる。射撃、一発もあたらず。陰謀、未然に防がれる。家族、円満に暮らせ。
「最後のは命令形ですわ!?」
「オヤシロさまのみことのり~☆」
からんからんと鐘を鳴らして抗議を敢然と無視する梨花。
「……ふふ、そうね。考えてみれば悪いことは書いてないかもしれないわね。ありがとう、梨花ちゃん」
三四さんは前向きに受け止めることにしたようで、笑顔でそう言って梨花をそっと撫でた。
「約束……、忘れないでね」
その三四さんを見上げながら、すこしだけ真剣な目をして梨花が言った。三四さんは頷いて微笑む。
「四人じゃ大変でしょ? 私たちもお手伝いするわ」
その提案に、私もにーにーも元気良く頷いた。
……でも。
三四さんの、そんな自然な笑顔を見ることができたのは、その日が最後だったのかもしれない。
次の日にかかってきた電話で蒼白になった三四さんは大慌てで東京へと向かい……翌日になって、ひどく疲れ切った様子で帰ってきた。
「……なにかあったんですの?」
心配になってそう尋ねたら、一瞬泣きそうな顔をして……でも取り繕うような笑顔を浮かべた。
「なんでもないの、沙都子ちゃんは心配しなくていいわ」
そう言いながらも……私をぎゅっと抱きしめて、三四さんは震えながら……、すこしだけ泣いていた。