「……なるほど。それは確かに様子がおかしいね」
ようやく正月が過ぎて身体のあいた魅音さんのお家にお邪魔して相談したら、すぐに同意してくれた。
「なにがあったのかは言わないんだね?」
「ええ。……考えてみればわたくし、三四さんのことは何も知りませんわ」
ふむ、と腕組みをして考え込む魅音さんに期待の眼差しを向けてしまう。それに気づいたのか、
「……うん。私も正直、診療所に勤める前の鷹野さんについてはなにも知らないよ。園崎にわかってるのは、彼女が地元の人間じゃあないってことだけ」
この界隈で知らぬ事はないと言われる園崎家だけど、さすがにその守備範囲はせいぜい鹿骨市内くらいだそうだ。
三四さんは東京にいくと言って出ていったので、園崎でも足取りを追うことは不可能というのが実情らしい。
人の事情を詮索するのはあまりお行儀のいいことではないから、仕方ないとあきらめはつくのだけれど……。
「なにがあったのかはともかく、元気になってほしいですわ。三四さんにはいっぱい元気を分けていただきましたのに、……なにもできないなんて、悔しいですわ」
あの恐ろしい祟りから私が立ち直れたのは、村の悪弊を吹き飛ばしてくれた圭一さんのおかげもあるけれど、一番つらかったときにそばにいて優しくしてくれた魅音さんと三四さんの恩も忘れることはできない。
とりわけ三四さんは、本当はただのお仕事だったはずなのにメイド服まで身につけ私の専属みたいになってくれて、最後にはあの叔父を追っ払って私の家族にまでなってくれた本当に大切なひと。
その優しい三四さんが笑顔も浮かべられないほどに打ちひしがれているのに、支えてあげられない自分が許せない。
「……沙都子、鷹野さんのこと、好き?」
「大好きに決まってますわ!」
魅音さんに尋ねられて、即答していた。
たとえ三四さんの全部を知らなくたって、そこに私の知らないなにが隠されていたって……そんなことじゃ、私の気持ちは揺るがない。にーにー、魅音さん、梨花、圭一さん……仲間たちと同じくらい、かげがえのない人だから。
「……そだね。じゃあ沙都子、明日の部活は決まりだ」
「部活、ですの?」
魅音さんはにやり……と笑ったつもりなんだろうけれど、その目からは優しさが消し切れていなかった。
そういうところだけは、不器用な人だ。
「そう、部活。三四さんをみんなで励まして、一番元気づけられた人が優勝ってことでどう?」
またおかしなことを言い出すものだ。
……でも結局、そのおかしなことをこれ以上ないくらい真剣にやるのが、私たち部活メンバーのいつもの日常だ。
その日のうちに連絡がまわり、翌日私とにーにーはまだ元気のない三四さんを連れ出して前原屋敷へ向かった。
それぞれが趣向を凝らして三四さんを元気づけるべく前原屋敷で待っているらしいんだけど……どうなることやら。
「今日はどんなゲームなのかしらね」
せっかくの部活なのに落ち込んでいては悪いと思っているのだろう、三四さんは微笑む。
……でもその笑顔ときたら弱々しくて、いつもどおり完璧なお化粧の上からでも昨夜あまり寝ていないのが丸わかりだった。
「どんなゲームでも、負けないですよ!」
「ほほほ、当然ですわー!」
にーにーと私もせいいっぱいの笑顔で返す。
私たちだってそれぞれに三四さんを楽しい気分にさせるような工夫を考えてきてある。
……でも。
前原家の玄関で、私たちは足を止めざるを得なかった。
そこに、ありえない光景が待っていた。
玄関の前に、……なんでお賽銭箱が!?
「……鷹野。ずっと隠してきましたが、僕には鷹野の大好きなオカルティックな特技があるのです」
巫女服……それも肩の露出した特殊な巫女服に身を包んだ羽入さんが、物凄く寒そうに身を震わせながら待ちかまえていた。
「そ、それよりも羽入ちゃん、風邪ひいちゃうわよ?」
さすがに心配そうな三四さんだった。
……というか、私たちだって心配になってしまう。
羽入さんのお脳が! お脳が大変なことにー!?
「いいから鷹野、お賽銭を投げ入れるのですッ!」
くわっと目を見開いて叫ぶ羽入さんだった。
「わ、わかったわ……ちょっと待ってね」
気迫に圧されたのか、それともとにかく穏便に事を済ませて家に入って貰おうというのか、慌てて財布を取り出す三四さんだった。
「じゅ、十円でいいかしら?」
「ベリーナイスです鷹野! 僕は空気の読める鷹野が大好きなのですよ!」
三四さんはわけがわからないという顔のままお賽銭を投げる。……と、羽入さんの目が真っ赤に光る。
一瞬空中で静止した十円玉が……まるで投げ返されたかのように三四さんのほうへ戻ってくる。それは三四さんのお胸に当たって、そのまま足元へ転がり落ちていった。
「ええええ! こ、これは凄いような……!?」
にーにーが驚きの声をあげると羽入さんは満足そうに、
「まさに神業、賽銭返し!」
両手を広げて勝ち誇る。
「崇めるのです、讃えるのです、これが神の世界にその人ありと恐れられたオヤシロ様の実力なのです!」
「す、凄いわね……それじゃ、百円ならどうかしら?」
感心しつつ百円を投げ入れる三四さん。
同じようにぴたりと空中で止まり…………、ん?
「ダメです鷹野、百円あったら、シュークリームが買えてしまうのですよ……ッ!」
力尽きたように羽入さんがくずれ落ちるとともに、素直に百円玉が賽銭箱に落ちていった。
ちょ、超常現象には違いないけど……シュークリームを買えない金額のお賽銭を返すだけって、凄く無駄な特技!?
……とりあえず私たちは、やり遂げた男のように満足そうな顔で沈んだ羽入さんを収容して前原屋敷内に入った。
「どういう仕掛けだったんでしょうね!?」
にーにーが話しかけると、鷹野さんは苦笑ぎみに肩をすくめる。
「そうね、神社からどうやってここまでお賽銭箱運んできたのかしら……?」
だめだ、と電流が走る思いで私とにーにーは確信した。
あの三四さんが超常現象よりも常識的な疑問に意識が向いてしまうようでは、とても平常運転とは言えない。羽入さんの先制パンチは、見事にかわされてしまった。
「ふふふ、いらっしゃい鷹野。羽入の余興はどうだったかしら……?」
くすくすくすと笑いながら現れたのは、セーターにミニスカート姿の梨花だった。
「つ、次の刺客は、梨花ですの……!?」
「沙都子、刺客とは物騒ね。歓迎の余興よ。うふふふ」
そう言って梨花が取り出したのは……古文書らしき紙束。
「鷹野、私からプレゼントよ。なんと、古手神社祭具殿でこっそり見つけてきた古文書! この狂気で猟奇な古手家の歴史の闇にどっぷり浸かって、あのなつかしい含み笑いを聞かせてちょうだい!」
と、三四さんに押しつけるようにして紙束を手渡した。
ごくりと唾を呑み込んでそれを開いた三四さんが、その黄ばんだ古紙に並ぶ文字を読みとっていく。
「……今日も地獄の責め苦を味わった。桜花にお小言を言ったら山葵を口に放り込まれて半刻ほど失神。この性格の悪さはいったい誰に似たのか……」
どう考えても誰かの日記だった。
梨花がずだーんと音を立ててその場に大の字に倒れ、かすかに震えながらうわ言のように呟く。
「せ、千年前から進歩してないなんて……ッ!?」
痙攣する私の親友はどうやら自分のルーツについてなにか重大な悩みに直面してしまったようだ。
「あははははは、梨花ちゃん……そんなので勝とうなんて甘いんじゃないかな。レナはひと味違うよ!?」
笑いながら階段からゆっくりと降りてきたのは、鉈を手にしたレナさんだった。
「レナちゃん、いったいどうしたの……?」
きょとんとしながら尋ねる三四さん。
レナさんはにやりと笑って、
「あのね、三四さん。レナ、知ってるの……オヤシロさまは、実は宇宙人だったんだよ!」
突然突きつけられる衝撃の事実に私たちは立ちすくむ。
「な、なんですって……!?」
「そ……そんなこと、ありえませんわー!?」
しかしレナさんは落ち着き払って、にーにーが抱えている羽入さんをびっと指さした。
「ほんとだよ……レナ、見ちゃったんだよ。オヤシロさまの巫女である羽入ちゃんが、夜中に屋根の上で踊り狂っているのを……!」
ま、まさか羽入さん、UFOと交信を……!?
宇宙人がどうとかいうよりも、友人として放っておけないくらいに心配な事実を聞いてしまいましたわ!?
「……レナ、そいつは違う」
奥から現れた圭一さんが沈痛そうな表情で首を横に振る。
「何が違うのかな。かなぁ? レナはこの目で見たんだよ……圭一くん、羽入ちゃんに口止めされてるの?」
「違うんだレナ。羽入は……俺と梨花が寝てる間に屋根の上に運んだだけなんだ!」
泣きながら真実を吐露する圭一さんだった。
「そ、そんなの嘘だよ! だったらあの怪しい踊りはどう説明するのかな!」
「たぶん服の中にスライムをたっぷり入れておいたときの話だと思う。うん、ありゃ怪しい踊りだった!」
力強く酷い仕打ちを激白する。
目が覚めたら屋根の上にいて、しかも起きあがったら肌の上をあの変などろどろしたおもちゃが這い回っていたら、それは屋根の上でも踊り出してしまいたくなる。
……大切な友人がべんとらーな人になっていないことに安堵しつつも、どうやらそんなのが日常だったらしいことに気づいて思わず涙してしまう私だった。
「レナ……信じてたのに! いつか羽入ちゃんのお兄さんかお姉さんがやってきてレナを見て『戦闘力たったの五か……ゴミめ』って言ってくれる日が来るって!」
ここにもっと心配な人が……!?
それとレナさん、たぶんあなたは低く見積もっても百くらいはありそうな気がしますわ……。
「レナ、お前の夢を壊しちまってすまない……だが、俺も負けるわけにゃいかないんでな!」
圭一さんは三四さんの前に進み出て、その手をとった。
「俺はオカルトなんて非日常には頼らない。日常を、この俺の真心をぶつけてやるぜ……!」
真剣なまなざしを至近距離で向けられて、三四さんが息を呑むのがわかる。これが、圭一さんの……本気!?
「……鷹野さん。ひとつだけ、教えてください」
「え、ええ……?」
「これにはひとりの少女の未来がかかってるんです。鷹野さんは……牛乳、好きですか!?」
この質問はいったい……!
三四さんはすこし考えてから首をかしげて笑う。
「実は子供の頃からすこし苦手なのよね……お腹を壊してしまうことが多くて」
その言葉が放たれた瞬間、倒れていた梨花がのたうちまわりながら号泣した。
「あぁあんまりよぉぉぉ!?」
そういえば梨花は牛乳がそれほど好きではなかったはずだけど……ま、まさか!
「……必死に耐えて飲んでも報われない、努力など無駄でしかない、しょせんは届かない夢だと知った者のあの悲痛な叫び……、あれをどう思います?」
にやりと笑う圭一さんだった。
猟奇ではなく嗜虐で責める……圭一さん、恐ろしい人!
「よ、よくわからないけど、……抱きしめて慰めてあげたくなるわね」
「それでいい、それがベスト!」
親指を立てた圭一さんは、のたうちまわる梨花をひょいと抱き上げると三四さんのお胸へと押しつけた。
「ぁ……、ぁ、ぁあ……!?」
絶望のあまりびくんびくんと痙攣し、灰になってしまう梨花の姿を見て……圭一さんがはっと何かに気づく。
「し、しまった……これって俺が楽しいだけだッ!? むしろ俺が顔を埋めたい!?」
三四さんが喜ばないと意味がないという大前提を果たしていないことに気づき、圭一さんまでもが力尽きる。
皆さん、大切な何かを置き去りにしているような……!?
「くっくっく……つわものぞろいの前原一家が全滅とは。やっぱり奇をてらっても駄目ってことかね……」
そう言いながら現れた魅音さんは、手にしていた紙袋を三四さんのほうへと差し出した。
「み、魅ぃちゃん、それって……!?」
レナさんの悲鳴。そう、いつの時代も強いのは正攻法。
園崎家の財力をもってすれば、どんな高価なプレゼントだって思いのまま……最強のカードを惜しげもなく切る、これが部長・園崎魅音の強さ!
「な、なにかしら……?」
「プレゼント。開けてみてください!」
魅音さんの勢いに圧されて紙袋から取り出したのは上品に包装された箱だった。器用な手つきで包装を外し、中から現れたのは……!
「こ、これは……!?」
「そう、その道の職人が精魂をこめて編み上げた、最高級わら人形の丑の刻参りセット! いつもお世話になってるから遠慮なく受け取ってくださいよ!」
「……あ、ありがとう。これはこれで素敵だけど、人を呪うのはあまりよくないと思うわ」
もっともな返答に、魅音さんががっくりと膝を落とす。
「で、ですよね……。私、空気読めてませんね」
苦い涙をこぼしながら呟く魅音さんだった。
「そ、そんなに落ち込まないで。気持ちはありがたくいただくから……ね?」
三四さんに言われて、さらに力無く床に突っ伏す。
「……むぅ。慰められるのが余計につらいってこともあるよね。状況的に」
まぁ……慰めるのが目的の部活でターゲットに慰められていたら世話はないのだけれど。
「どうやら僕の出番だね。僕には……魂を分けた兄弟たちがついているッ!」
そう言ってにーにーが懐から取り出したのは……富竹さんのカメラ!?
「あら、それは……」
思いがけない登場に三四さんが目を丸くする。
「にーにーフラッシュ!」
フラッシュを焚かれてちょっと眩しそうに目を細めた三四さんに、にーにーは会心の笑みを浮かべる。
「鷹野さんの輝く笑顔を、いただきです!」
力強く勝利宣言をするけど、三四さんは薄く笑みを浮かべたままちょんとカメラのレンズへと指を伸ばした。
「レンズキャップ、ついたままよ?」
「ぐぅっ……!」
金属バットで殴られたかのように衝撃を受けて、壁にもたれてそのまま床に沈んでいくにーにーだった。
前原家はすでに死屍累々。
あっという間に部活メンバーで残るは私、ただ一人……!
私は三四さんへと向き直り、見上げる。
小細工はいらない。トラップだって必要ない。
どこかで誰かが教えてくれたこと。
本当に誰かの力になりたいなら、手を伸ばすだけでいい。
一心不乱に、その人が手を差し出してくれることを信じて……心から、手を差し伸べるだけでいい。
「三四さん……わけを話してほしいだなんて、無粋なことは申しませんわ。ただ……私やみんなに心配だけはさせてくださいまし。どんなことがあっても、私たちの心はひとつだって……私は、信じてますわ!」
ただそう告げて、三四さんに抱きついた。
倒れ伏していたみんなも、身体を起こして優しい顔をして私たちを囲んでくれていた。
「……沙都子ちゃん、みんな」
すこし戸惑った様子だった三四さんがふわりと微笑み……私の身体を抱きしめてくれた。
「ありがとう……」
その声が、震えていた。
私の頬に、私のものではない暖かい雫が落ちる。
「……本当に、ありがとう。一人じゃないのね……悲しいことがあって、うまくいっていたことが次々と倒れだして……世界が全部終わってしまったかと思ったけれど、まだ終わってなんかいなかった。私には、沙都子ちゃんやみんながいてくれる……。一人じゃないって、信じられる」
三四さんになにがあったかはわからない。
でも、そんなこと、どうだっていい。
必要なことなら、きっといつかは話してくれる。
そう、信じてる。
だって、私たちは……ここにいる仲間全部が、なによりも大切な“家族”なんだから……!
見上げると……そこに、微笑みがあった。
泣きながら、でも、心からの喜びをたたえて。
ああ、そうか。
……この間三四さんが言っていたのは自分のことだった。
自分自身、まだ気づいていないのかもしれないけど。
私よりも誰よりも、本当は一番優しい泣き虫さんは……、鷹野三四さん自身だった。
「私、負けないわ……まだ、やるべきことが残ってる。あなたたちのために、私のために、おじいちゃんのために。やらなきゃいけないことが、あるんだから……!」
その微笑みと涙とにこめられた決意は、どんな絶望も貫くほどの強さで……気高く輝いていた。
「どんなサイコロが私を試したって……負けるものか!」
そう、この日この瞬間にはまだ私たちは知らなかった。
彼女が立ち向かわねばならないその運命という名の荒波がどれほどに激しく、刃のように彼女の心を切り裂くことになるのかを……まだ、知らなかった。