「悟史……、お前と俺は、同志だ!」
いまや形見となったにーにーの金属バットを手に、戦場へ向かうのはその瞳に悲壮な炎を宿した圭一さんだ。
「悟史を消せたように、簡単に消せると思うなよ!」
「死んでないよ、アウトになっただけだよ!」
ベンチに戻りながらツッコミを入れるにーにー。
せっかくヒットを打ったのに、スライディングのときに落ちてしまったカチューシャを拾いにいってタッチされるのは、野球選手として以前に人としてどうだろう。
「いえいえ、いいんですいいんです。あなたの行為には、メイドとしての気高い魂を見ました。この入江京介、社会と法律が許すなら今すぐこの場であなたにプロポーズしたいくらいです!」
戻ってきたにーにーを相変わらずのハイテンションで労うのは、監督……いえいえ今はご主人様だった。
「ご主人様、お茶が入りました」
やっぱりメイド姿の魅音さんが、グラウンドには場違い過ぎる高価そうなティーカップで紅茶を監督に差し出す。
「あぁどうもどうも……ふっふっふ、この青空の下メイドさんに入れてもらうお茶は最高ですね。いまの私の心境を一言で言うならば……そう、『なんか出そう☆』です!」
「とりあえず出さないでくださいまし!?」
なんとなく危険な発言のような気がしたのでツッコミを入れておいて、疲れた気分で座り直す。
先週の放課後、健康診断の結果を伝えにきたついでに部活に飛び入りした監督が、有無を言わせぬほどの大差でトップの栄冠を手にしたのが、この悪夢の始まりだった。
こんなときに限って勝者が残りの全員に好きな罰ゲームを課すことができるというルールになっており、監督が望むことは当然メイドだった。
部活メンバー全員が一日メイドという悪夢。
問題はいつそれをするかだったのだけれど、このゴールデンウィーク、それぞれに細かい予定がいくつか入っていたりして全員が都合を合わせられるのは今日だけしかなく、今日は興宮タイタンズとの練習試合が予定されていた。
そこで、こうしてメイドさんたちが雛見沢ファイターズの代理部隊として強制参加させられている現実がある。
ご主人様と同じく飛び入り参加していた知恵先生(みんなにそれぞれ違うカレーを作らせて一日カレーの女王様を気取るという遠大な野望を抱いていたらしい)も含めて総勢9人、もともとレギュラーのにーにーを除けばメイドさんに先発メンバーが総入れ換えされて、メイド服がユニフォームのようになってしまった今、もはやこのチームは雛見沢ファイターズというより雛見沢メイドシスターズと呼ぶのが正しいのかもしれない……。
「富田さんたちはよろしいんですの? せっかくの試合ですのに活躍できなくて……」
念のため聞いてみたら富田さんは何故か真っ赤になって、
「いっ、いいなんてもんじゃないよ! キタコレだよ!」
と意味不明なことを言いながら涙を流して喜んでいた。
岡村さんは岡村さんで、ベンチで白いタイツに包まれた足をぶらぶらさせているメイド梨花を見ながら感涙にむせぶばかりだ。
「我が生涯に、一片の意味なし……!」
……そこは悔いではなくて?
「くぅう、どうして、どうしてイリー。君は医者なのに、ナースシスターズじゃないんだ……ッ!」
その後ろでやっぱり泣きながらシャッターを押しまくっているのは、ゴールデンウィークに合わせて雛見沢に来ていたらしい富竹さん。
「んっふっふ。バニーでないのは残念ですが、これはこれで眼福というものですね」
隣でにやにやしているのは刑事の大石さん。この方も圭一さんやにーにーと仲がいいけど、お仕事はいいのかしら。
「母さん、やっぱり私たちは雛見沢に住むべきなのかもしれないと今思うよ……素晴らしい、このような素晴らしい文化の息づく聖地が日本の片隅にあったなんて……!」
スペシャルゲストといってもいいのか、あまり見かけない顔はやっぱりゴールデンウィークで東京から逃げてきたとかいう圭一さんのおじさまだった。
まあその文化とやらは、主にあなたの息子さんが煽動して根付かせたものだったりするのですけれど。……ちなみに、現在雛見沢におけるメイド服所有率が1倍を超えてしまっているのは認めたくない事実だ。
「おるぁあッ!」
で、その張本人というか諸悪の根源は、バッターボックスでスカートを翻しつつ優雅に空振り回っていた。
「ぐぐぐぐ……!」
「圭一くーん、頑張ってー!」
やたらと胸元を強調し、凶悪なスカート丈の赤いメイド服に身を包んだレナさんは、その破廉恥さをものともせずに爽やかな応援の声をあげている。
「おう、まかせろっ!」
圭一さんは一声吠えて構え直し、不敵に相手のピッチャーをにらむけど……格好が格好だからむしろ可愛らしくて、マウンドの甲子園投手とやらも居心地悪そうに帽子のつばを深くかぶりなおしたりしている。
「K……ずるいッスよ。あんな羨ましい生活をしている上に女装してもかわいいなんて。……くっ、これぞまさしく『憎さ余って可愛さ百倍』ってやつッス!」
泣いていた。
どうしてこう涙腺の脆い人が多いのか理解できないけれど本音がぽろりと漏れているのを見れば圭一さんやにーにーと同類らしいと理解できる。
……理解できてしまうほどに、変態に囲まれて日常を送る自分がすこし嫌になるけど。
「さぁ来い、亀田くん!」
圭一さんの声に、涙を払って大きく振りかぶる。
「Kぇい! 今度デートしてくださいッス!」
白球を放ちながら、なにかいらないこと言った……!?
「悪いが俺の予定は来月までいっぱいだぜ!」
予定が空いてたらデートするんですの!?
……とつっこむ暇もなく、圭一さんはまわっていた。
くるくるり。
「バッターアウッ!」
「はぅ~」
勢い余ってぺたんと座り込む姿は男子学生にあるまじき可愛さではあるけれど、相変わらずこういう場面では頼りにならない人だった。
「ウサギ一匹とれなかっただ……」
ずるずるとバットを引きずって戻ってくる。
「仕方ないですね、私がなんとかしましょう」
さっとスカートを払って立ち上がった知恵先生は圭一さんからバットを受け取り、颯爽とバッターボックスへ向かっていった。教師として教室にいるときよりも凛とした雰囲気なあたりは、先生もどこか謎の多い人だった。
「お疲れさま。はい、圭一さん。熱いから気をつけて」
「あ、うん。サンキュ」
うなだれていた圭一さんは三四さんからお茶を受け取って笑顔をみせる。三四さんのほうも微笑み返した。
「ほら、こんなに汚して……しょうがないわね、もう」
「しょうがないでしょ、スカートなんて慣れてないし」
そうしていると仲のいい姉妹のよう……ああ違った、外見に惑わされてはいけない。姉と弟のようだと言うべきだ。
「あつつっ!」
「ふふ、気をつけてって言ったじゃない」
部活仲間には家族みたいな空気があるけど、へたをすれば親子ほども歳が離れているのにそんなふうに見えてしまうのは、ただ単に三四さんが若々しいだけでは……ないような気がしている。
きっと二人の間には、二人だけにわかる信頼の形があるのだろう。私と三四さんにも、私とにーにーにも、私と梨花の間にも、それぞれ違った形の信頼があるように。
……と、それで思い出した。
「梨花……、昨日はどうでしたの?」
「ほえっ!?」
私の隣でぼーっとしていた梨花が、びくんと身をすくませながら振り返った。
「ききき、昨日って!?」
なにやらしどろもどろの反応だった。
「ですから、圭一さんと湖へ遊びにいったんでしょう?」
「……ぁ、うん」
梨花はつと目をそらして……その頬が桜色に染まる。
と思ったらその色は見る間に顔全体、さらには耳まで凄い勢いで広がっていく。
「どどどどうっていうか、そう、ふっ、普通よ!」
とんでもなく普通じゃない様子だった。
「普通って……楽しくなかったんですの?」
「た、楽しいとか楽しくないとかじゃなくって……えと、あの、うふふ?」
真っ赤な顔のまま、可愛く小首をかしげる梨花だった。
「疑問形で笑う人をはじめて見ましたわ……」
どうやら梨花は相当に狼狽えているらしい。
「その……だから、ね?」
「ええ」
じっと見つめていたら、梨花は思いっきり顔をそむけた。
何を思い出しているのか、つま先でのの字を書いていたと思ったら……ぺちん、と小さな両手を顔にあてた。
「ひゃ~☆ ひゃ~☆」
両足をばたばたさせつつ、いやいやと首を左右に振る。
「な、なんですの……? この、可愛いのになぜか無性に殴りたくなる生き物は……!?」
思わず握りしめた拳が震えてしまう。
「昨夜帰ってきてから梨花はずっとそんな調子なのです」
ものすごく疲れた様子でコメントする羽入さんだった。
と、覆っていた両手を顔から離した梨花がまだうっすらと赤みを帯びた顔で私に向かって微笑む。
「大丈夫よ沙都子……沙都子にもいつか、素敵な王子様が現れるもの。私が保証する……!」
両手を組んできらきらと瞳から星を放ちながら、私を慈愛の目で見つめる梨花だった。
「あぅあぅ、沙都子! 気持ちはとってもよくわかりますが殿中なのです、殿中なのですよ!」
「は、離してくださいませ羽入さん! わたくしの拳が、目の前のアホを殲滅せよと轟き叫ぶのですわー!」
羽交い締めにして止めようとする羽入さんを振り解けず、私の凶行はくい止められてしまった。
「ふ。アホ……ね」
可視レベルの幸せオーラを放つ梨花は余裕の表情で私たちに腹が立つくらいに見事な流し目を送る。
「何を言われても、いまの私のヘヴン状態をうち崩すには足りないわ。この私ときたら、身体測定で生意気盛りな発育っぷりを見せつけたにっくき沙都子が私を『大平原の小さなお胸』と呼ぼうとも、にっくき羽入がお調子に乗って『盛るぜぇ~、超盛るぜぇ~、なのです☆』などと言い出そうとも笑って許せるほどの心の広さを獲得したのよ!」
にぱああああああ☆
「あぅ……! 梨花が眩しいのです!」
「ご、後光がさしてますわ……!?」
……勝てない。
いまのこの子には、全く勝てる気がしない。
梨花は勝ち誇る。
「私の『ゴールド(黄金)エクスペリエンス(体験)』の前には、多少の発育など、無駄無駄無駄無駄……!」
たった一日のデートで、私の親友の身にいったいどのような劇的な変化があったというのだろう?
梨花は恍惚として、自らの回想に酔っていた。
「生まれろ……! 新しい生命よ……!」
「あぅあぅ、どさくさに紛れてなんか言ってるのです!」
羽入さんが慌てふためく理由が全く理解できない。
「……欝だ死のう」
視界の隅に、ふらふらとバックネットに向かう少年の影。
「お、岡村さん!?」
土気色の顔をした岡村さんは妙に手際よくてきぱきとバックネットにロープを通し、作った輪の先を自分の首にかけるとバックネットによじ登り始めていた。
「突然クラスメイトが死を選ぼうとしてますわー!?」
未知の衝撃に立ちすくむしかできない私だった。
「よ、よせよ。お前の気持ちはわかるけどやめるんだ!」
親友である富田さんが必死に叫ぶけど、岡村さんは激しく首を振って拒否するばかりだ。
「お前に、僕の気持ちがわかるもんか!」
悲愴の二字を顔に浮かべて叫ぶ少年。
「お前にはまだ希望があるさ、でも僕は! 僕にはもう、希望なんてカケラも残っちゃいないんだ!」
「そ、それは……」
なにを言いたいのか私にはよくわからないけど、富田さんがぐっと言葉に詰まっていた。
「僕だって信じていたさ、希望はあるって。諦めたら試合終了ですよって自分を励ましてた! 目の前でズッキュウゥゥンされようが、一緒にお風呂だとか一緒に寝てるだとか知りたくないこと知っちゃったときだって、それは過剰なスキンシップだと自分に言い聞かせて、明白な事実から目をそらして、自分を誤魔化して生きてきたんだ!」
岡村さんの涙に濡れた視線の先には、にぱああああああ☆と光り輝く梨花がいた。
「絶望した! 憧れの幼女がギャングスターになりそうな現実に絶望した!」
「仰る意味がまったく理解できませんわ!?」
頭を抱えて叫ぶ私の横で、羽入さんは沈痛そうに呟く。
「時には、傷の浅いうちに諦める賢さも必要なのだと学んでしまった僕なのです。岡村、ゴッドスピード……!」
何故はらはらと涙を流しながら敬礼しますの!?
「……待ちなさい」
きらきらと星を飛ばしながら、すっとバックネットの前に進み出たのは他ならぬ梨花だった。
いまにもゴールしてもいいよねと言い出しそうな岡村さんを慈悲深いまなざしで見上げるその姿に、感嘆のため息が漏れてしまう。
「ふ……、古手……!」
相変わらず梨花は幸せの黄金オーラを放ちつつも祈るように両手を組み合わせて岡村さんに告げる。
「あなたの想いには答えられないけれど、これだけは言わせて……命を、未来を粗末にする人に、人を愛する資格はないわ……!」
悲しげに目を伏せ、しかしすぐに顔を上げる。
「逆に言えばそれほど深く人を愛したあなたには、きっと輝く未来が待っているはず……! だから、うつむくのはもうやめて。あなたらしく、胸を張って生きなさい!」
「古手……ッ!」
ぼろぼろと涙をこぼし、バックネットから滑り降りた岡村さんは梨花の前に跪くと、振り絞るような声で言った。
「生きるよ、僕は……この絶望を、乗り越えて生きる!」
その泣き濡れた横顔には深い悲しみと同時に、固い決意が垣間見えていた。
……そうか、この人は梨花のことを……。
光の化身たる梨花は岡村さんの頭を『かわいそかわいそ』とそっと撫でると、清らかな声で告げた。
「予言するわ……その気高い決意を忘れなければあなたはきっと、鹿骨一のおとうふ屋と呼ばれるでしょう。究極のとうふ屋ドリフトで伝説にかわるまで精進なさい」
「わかったよ、古手……! 雛見沢最速のダウンヒラーになってみせるよ。君の作る幸せな家庭に、新鮮なお豆腐を運んでみせるから……幸せになってくれ、古手……!」
少年はこうしてひとまわり大きくなるのだろう。
その涙を見届けて微笑んだ梨花は、ゆっくりと背を向けてベンチへと立ち去っていく。
清浄な光をまとうその背中は、地上に降りた最後の天使のようだった。
私は聞いた。梨花に聞こえないように、岡村さんが小さく小さく呟いた言葉を……。
「……でもね古手、僕んち、とうふ屋じゃないんだ……」
その一言に、私も羽入さんも涙を誘われてしまった。
「あぅう、僕の妹のアホさは、マジパねぇのです……!」
梨花、あなた……いまだに富田さんと岡村さんを区別できないんですのね……!
こうしてひとつの恋が、儚く散ったらしい。
……結局、梨花の身になにが起きたのかはわからないままだったけれど。
「……な、なにかバックネット付近で謎のドラマが展開してたみたいだね」
「はぅ、ぴかぴかしてる梨花ちゃんかぁいいねぇ☆」
バックネットで騒いでいたせいで一時中断していたプレイが再開すると、一球冷静にボール球を見送った知恵先生が次に来た速球を鋭いスィングで打ち返していた。
「ぬがッ!?」
打球は一直線に甲子園投手の顔面を直撃し、あまつさえ勢いのままになぎ倒して悠々センター前に抜けていった。
残されたのは、マウンドに大の字になって倒れたピッチャーとてんてんと外野を転がっていく打球、そして青ざめた表情で見守る野手たちの間をゆっくり回る知恵先生。
……本当にあの人は、何者ですの?
「むぅ……! やっぱり、そうなのか……カレーに溺れなければ、人はあそこまでの強さを体得できないのか……」
がくがくと震えるにーにーの肩を圭一さんが掴む。
「待て、悟史! いくら影が薄くなりそうだからって人の道を踏み外すつもりか!?」
けれど逆ににーにーは、その言葉で決意を固めていた。
「僕は真人間をやめるよ圭一ィィィ……むぅ!?」
WRYYYと叫びそうな勢いだったので、とりあえず金ダライを頭上から落として意識を失わせておいた。
不慮の事故で倒れ落ちたにーにーを揺さぶって圭一さんが悲痛な声で叫んでいた。
「なっ! 悟史! しっかりしろ悟史ッ!」
「落ち着いて前原さん、私に任せてください」
さすが医者というべきだろうか、本日のご主人様である監督が駆け寄ってにーにーを助け起こす。
「軽い脳震盪のようですね。応急処置を施します」
「さすがご主人様、たよりになるぜ!」
「まずは人工呼吸です!」
……のっけから対処が間違っているような気がしたけど、ちょうど戻ってきた知恵先生からバットを受け取った私はバッターボックスに向かうしかなかった。
「沙都子、絶対塁に出て私とレナに回してよね。知恵先生のランニングホームランでようやく同点……私たちで、絶対沙都子をホームに返す」
魅音さんの声を背中に受けて、私は肩越しに自信の笑みを返す。
「別に、逆転してしまっても構わないのでしょう?」
その答えに、魅音さんはにやりとして親指を立てると私を送り出した。
「かっとばしちゃえー、沙都子ちゃーん☆」
「頑張るのです沙都子!……梨花、何をしてるのです?」
「ふふふ、幸せパワーを送っているのよ。みみみみ☆」
「沙都子ちゃん、思いっきりいっちゃって!」
「よっしゃ沙都子、悟史の尊い犠牲を無駄にするな!」
仲間たちの声を背に、私はバッターボックスに立つ。
選手交代したマウンドに立つのは、助っ人ではない興宮タイタンズの本来のエースナンバーの持ち主。
私はバットをすっと青空へ向けて構えた。
「さぁ……あなたの生涯最高の一球をお投げあそばせ! わたくし、北条沙都子がその一球を見事フェンスの向こうに運んでさしあげますわ!」
青空の向こうに……、思わぬところでファーストキスを失うことになったにーにーの涙まじりの笑顔が浮かんでいる気がした。
タイタンズのエースは歯噛みしながらも大きく振りかぶり、気合いの声とともにボールを離す。
「ふんもっふ!」
なんだかスペクタクル的に曲がりそうなかけ声だったけど曲がる前に強引に叩き、全身のバネを総動員して無理矢理にはね返した。
白球はぐんぐんと加速し、呆然と立ち尽くす外野手の頭上を飛び越えて……フェンスの向こうへと消えていく。
がくり、とマウンドに膝をつくエース。
「馬鹿な……俺の、生涯最高の一球が、ちびっこメイドに打たれるなんて……っ!」
「……あなたは、良い球を投げましたわ」
私は余裕の笑みを浮かべつつバットをその場に転がすと、一塁に向かってゆっくりと駆け出した。
「ただ相手が悪すぎただけ、ですわ……!」
甲子園投手を助っ人に呼んだ興宮タイタンズを一蹴した謎のチーム、雛見沢メイドシスターズの名がこの界隈の野球関係者の間で伝説となったのは言うまでもない。
一年前のゴールデンウィークに梨花が東京から連れてきた圭一さんの存在が、この村のなにもかもを変えた。
たった一年前に、いまの雛見沢を想像できた人なんているわけがない。予言ができるという梨花自身だって、まさかここまでなにもかもが変わってしまうなんて思わなかったはずだ。
でも……、きっとこの先に、私たちを試す嵐が来る。
いまの楽しくて優しい雛見沢は、五年目の祟りという名の激しい嵐に耐えられるだろうか。
それとも、あまり考えたくないけれど……今度こそ、深い絶望に屈してしまう日が来るのだろうか。
どちらにしても、鍵を握るのは圭一さんだと思う。
「圭一よ……今日、私は確信した」
試合終了の礼をすませてみんなが後かたづけを始めた夕方のグラウンドで、おじさまが圭一さんの肩を叩く。
「雛見沢という奇跡の土地は、お前というきっかけを得て聖地になろうとしている。お前は、ここに必要な人間だ」
「ああ、そのつもりさ!」
毅然と答える息子に、おじさまは笑みを浮かべた。
「お前の勇姿を、そして美しいメイドたちをキャンバスに刻みつけるために、私は当分の間雛見沢に滞在を……!」
「あなた」
叫びかけたおじさまの背後に、ぬっと現れた人影。
その声を認識すると同時に、みるみるおじさまの顔が蒼白になっていく。
「……追ってきたわ」
圭一さんによく似た顔立ちの女性。
おそらくは……おばさま、ということだろう。
「ば、ばかな……どうして、ここが」
どう見ても死亡フラグです。
本当にありがとうございました。
「締め切りがいくつ重なってるか……わかってるわね?」
「オワタ」
なぜか、おじさまはとてもいい笑顔で両手を天に掲げた。
「皆さん、どうもご迷惑をおかけしました。圭一、また来るからしっかりね」
「う、うん。その……母さんたちも、頑張って」
瞬時に殲滅され、簀巻き状態で引きずられていくおじさまを眺めつつ……私たちの胸に去来したメロディは、あえて語るまでもない。
「さ、さすが圭一さんのご両親ですわね……」
私たちはひきつり笑いをしつつグラウンドの整備に戻り、さきほど直面した恐怖を忘れようとつとめた。
……仮に、あくまでも仮にだけれど、将来圭一さんと結婚でもしようものならあのご両親と同居するのか。
素直に、梨花を応援した方がいいのかもしれない……。
それは日常の続き、平和な一日。
でも、その裏側で……終わりは始まっていた。