ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第95話 希望を抱いて溺死しろ

近くの民家に駆け込んで監督に電話した。

 

監督は往診用の車ですぐに駆けつけ、レナは診療所に運ばれた。が、もう一度詳しく怪我の状態を調べた監督は、

 

「……ここでは、充分な検査ができません」

 

悔しそうに言って、即座に興宮の病院にいるという知り合いに連絡して話を通し、そのまま興宮に運んでくれた。

 

「そんなに悪いんですか?」

 

心配になって興宮に向かう車の中で聞いてみたが、監督は難しい顔をする。

 

「見た限り、頭部表面のダメージはたいしたことはないようです。骨に異常があれば危険な状態でしたが……それもとりあえずはなさそうに思えます」

 

「それじゃあ、礼奈は……大丈夫なんですね」

 

それを聞いて親父さんが安堵した表情になる。

 

「ですが……」

 

だが、監督はなにかを振り払うように首を振った。

 

「金庫というのがまずいんです。頑丈な上に、構造上打撃では壊れないようにできている。同じ大きさでも壊れやすいものなら衝撃はそちらに返るんですが……」

 

金庫はその程度で壊れようがないから、力が分散しない。

 

「頭骨や頭皮は無事でも、内部で脳挫傷や脳内出血が起きている可能性もある。本当はなるべく動かしたくないんですが、診療所には検査するための設備が……ないんです」

 

申し訳なさそうな顔で親父さんや俺を見る。

 

しかしすぐに安心させるように明るい表情を見せて、

 

「ですが、向こうの設備をすぐに使わせてもらえるように手配しましたので、結果は今日中にでも出るはずです」

 

監督は結局、大丈夫だとは言わなかった。

 

そのことでレナの親父さんは不安そうな顔をしていたが、それなりに監督と親しい俺にはその理由もわかる。

 

監督は医者として、無責任な気休めを言えないだけだ。

 

興宮の病院につくと、既に受け入れの準備をしていた病院側のスタッフによりレナはすぐに搬送されていった。

 

検査には時間がかかるというので、俺と親父さんは鉄平に受けた怪我の処置を受けるように言われた。

 

といっても、俺の負った怪我は痣やたんこぶ程度で、この一年に負った怪我に比べれば大したことはなかった。

 

「……羽入たちに電話しなきゃ」

 

処置室を出て電話を捜そうとしていたら、

 

「圭一さん」

 

鷹野さんが声をかけてきた。

 

彼女も、わざわざ自分の車で一緒に来てくれたのだ。

 

「みんなには、私から電話しておいたわ」

 

言われてすこしきょとんとしたけど、すぐに頭を下げる。

 

「すいません」

 

心配してるだろう仲間たちに先回りして連絡をしておいてくれるとは、相変わらず気のきく人だ。

 

「いいのよ。……心配ね、レナちゃん」

 

そう言って爪を噛むような仕草をみせる。

 

「……はい」

 

外来の時間が終わった病院内は人通りがすくなくて、俺と鷹野さんは廊下のソファに腰を下ろして監督を待つ。

 

すこししてやってきたのは、俺と同じく大げさなくらいの手当をされた親父さんだった。

 

「……どうも。ええと」

 

言いよどむ様子に、大事なことを忘れていたのに気づく。

 

俺は立ち上がって、頭を下げた。

 

「前原圭一です。レナとはクラスメイトで……去年の秋頃から、レナはうちに泊まってます」

 

「……そうか、君が」

 

親父さんはそれだけ言って、言葉に詰まった様子だった。

 

それも当然といえば当然だろう。

 

自分自身もほとんど家に帰っていなかったとはいっても、家出した中学生の娘がクラスメイトの男のところに半年以上もの間泊まっていたと聞けば、反応に困るだろう。

 

すぐ頭に血が昇らないだけでも大したものだと思うし、逆に礼など言われても困るだけだ。なにしろ、俺や梨花たちにとってレナはすでに家族なのだから。

 

「鷹野三四です。診療所の看護婦で……レナちゃんや圭一さんとは、親しくさせてもらってます」

 

鷹野さんも頭を下げて自己紹介をすませる。

 

「その……いつも、礼奈がお世話になっています」

 

礼奈がレナの本名だとは知っていても、そう呼ぶ人間は雛見沢にいないので、どこか違和感があった。

 

まるで、俺たちの知らない別人のことであるかのように。

 

その場に沈黙が下りる。

 

会話が弾むわけはなかった。

 

俺たちはあの青白い顔をしたレナを見ているのだから。

 

それからどれくらい待っただろうか。

 

「……お待たせしました」

 

疲れた様子で監督がやってくる。

 

「せ、先生! 礼奈は……!」

 

親父さんが立ち上がって詰め寄ろうとするのを手で制し、

 

「結論から言えば、竜宮さんの命に別状はありません」

 

やや硬い口調でそう言った。

 

手放しで喜びたかったが、監督の表情には、それをすこし躊躇わせるものがある。

 

「ここの設備でわかる限りでは脳内にも大きな損傷は見られないようです。それでもごく微細な出血はあるかもしれませんので、しばらくは入院の上安静が必要です」

 

「しばらく、というと……」

 

「様子をみる意味も含めて、2~3週間というところですね。2~3日の間はこちらに入院ということになりますがその後は診療所に移っても大丈夫でしょう」

 

最後まで告げた監督はかすかに頬を緩めたので、ようやく俺たちの間にも安堵した空気が生まれる。

 

「圭一さん……!」

 

「うん、よかった……!」

 

俺と鷹野さんは手を取り合って微笑み合い、親父さんは親父さんで、ふらふらと壁にもたれて天を仰いでいる。

 

「礼奈……っ」

 

「意識が戻ってもしばらくは目眩や吐き気に悩まされたりするかもしれません。ですが、今後の経過が順調であれば後遺症は残らなくてすみそうです」

 

ダメージを受けたのが脳だけに、その程度で済むのならばまだ運がいいほうに入るのだろう。

 

「お父さんは入院の手続きなどがあるそうですのでこちらへお願いします。……鷹野さん、前原さんを送ってあげていただけますか」

 

監督がそう言って鷹野さんがうなずいたけど、俺は監督についていこうとした親父さんを呼び止めた。

 

「あの、ちょっとだけいいですか?」

 

「なにか……」

 

振りかぶった拳を、親父さんの顔面に炸裂させる。

 

「うあッ!?」

 

ふらついたところを監督が支える。

 

「ま、前原さん……いきなりなにを?」

 

「いえ、前々から一度殴っておこうと思ってたんで……。ああそうそう、これも言わなくちゃ」

 

拳を固めたまま、親父さんを睨みつけた。

 

「『俺のレナを、泣かせるんじゃねぇ!』」

 

この人が最初からしっかりしていれば、レナは泣かなくて済んだし、こんな目に遭うこともなかったのだ。

 

最後の最後で踏みとどまってレナのために父親であろうとしてくれたことには俺自身感謝するところもあるが、レナのためにこの一発だけは入れておきたかった。

 

すこしぽかんとして俺を見ていた親父さんは、監督の手を振りほどいて自分の足で立ち上がると、俺のほうにやって来る。

 

頭でも下げるのかと思ったら、拳を固めて振りかぶる。

 

……俺は目をつぶらないように意識して、そいつを顔面で受け止めた。腰のまったく入っていない、軽いパンチ。

 

鉄平の一撃に比べれば軽すぎる。

 

たぶんそれがこの人の精一杯なんだろう。

 

どうやらレナの“才能”は、すくなくともこの人からの遺伝ではないらしい。

 

「りゅ、竜宮さん!? なにやってんです!」

 

もう目の前の出来事に完全にあきれた様子の監督。

 

「先生……男親なら、娘を奪っていく生意気な若造に一発入れるくらいの権利はあるでしょう?」

 

親父さんは憤然とした口調で言って踵を返し、監督の背中を押して立ち去ろうとする。

 

……すこし、笑い出したい気分になった。

 

そういや一年前も俺は病院の廊下で親父に殴られたっけ。

 

理由は全然違うけど、結局のところ父親ってのは、大事な子供のためには誰かを殴ることも必要な商売なんだろう。

 

道を誤った子供を叩きのめして叱りつける。

 

子供を傷つけようとした誰かを殴り飛ばす。

 

いつか巣立っていく娘の幸せを祈って、娘の手をとった誰かをぶん殴ることも、父親の役割なのかもしれない。

 

「……はは」

 

俺もいつか、父親になったら。

 

子供のために、胸を張って誰かを殴る日が来るだろうか。

 

殴られた頬を軽く撫でると、俺は親父さんの背中にすこし意地悪な言葉を投げてやった。

 

「そりゃそうだな、『いろいろ』奪っちゃったもんな♪」

 

ぴたり、と親父さんの足が止まる。

 

おそるおそる、なのか怒りに震えて、なのか。

 

ゆっくりと振り向いた顔はひどく無表情だった。

 

「……『いろいろ』……?」

 

「そりゃもう、心とか唇とか……『いろいろ』な」

 

くっくっく!と詩音ばりの含み笑いをしてみせる。

 

「れっ……礼奈はまだ……!」

 

中学生だ、とか子供だ、とか言いたいのだろう。

 

「成長期の娘が一年前と同じだなんて思ったら駄目だね。ちょっと目を離せば、いろんな経験をしてるもんさ☆」

 

あえて笑顔でそう言ってやった。

 

「けっ……経、験……!?」

 

わなわなと震えだし、いまにも飛びかかってきそうな親父さんを慌てて監督が羽交い締めにする。

 

「お、落ち着いてください!」

 

「は、離してくださっ……!」

 

狼狽ぶりがおかしくて、ますます笑いがこみ上げてくる。

 

俺は隣でくすくす笑っている鷹野さんの手をとると、

 

「てなわけで、あんたはとっとと働き口でも捜した方がいいんじゃない? またレナを泣かせる可能性があるうちはあんたの家にレナを帰すつもりはないからさ!」

 

最後にそれだけ言って、鷹野さんと一緒にその場を走って逃げ出した。

 

「ま、待てぇー! こらぁあー!」

 

病院ではお静かに。

 

さっさと逃げ切った俺たちは駐車場に停めてあった鷹野さんの車に乗り込み、ひと息ついた。

 

「ふぅ……、笑った笑った」

 

助手席に深々と身体を沈めて、大きく息をつく。

 

「……圭一さんたら、意地悪が過ぎるわよ」

 

「あ、ひどいな。鷹野さんだって笑ってたくせに!」

 

まだくすくすと笑みをこぼす鷹野さんが肩をすくめる。

 

「……おつかれさま、圭一さん。ここなら平気よ?」

 

そう言われて、急に顔から笑いが抜けていくのがわかる。

 

「はは……、お見通しかあ」

 

「それは、ね。……大人ですもの」

 

かなわないな、と思う。

 

正直言えば、泣きたい気分だった。

 

泣きたい理由は、いくつもある。

 

レナが助かってよかったっていう嬉し泣きもある。

 

これからどうなるんだろうって不安もある。

 

いつも大口叩いておきながら、大したことができなかった自分の無力を嘆く感情も……当然、ある。

 

それになにより、怖かった。

 

鉄平やあの女が現れただけで、俺たちが一年かかって作り上げた幸せな日常は壊される寸前までいってしまった。

 

レナを失うかもしれなかった、その事実に恐怖する。

 

こんなにも弱いままで、俺たちは……、

 

 

五年目の祟りに、立ち向かわなければいけないのか。

 

 

時間がほしいと、これほど切実に思ったことはない。

 

俺がもっと強くなって、もっと大人になれば……みんなを守れるだけの力が手に入るかもしれないのに。

 

それだけの猶予は、与えられない。

 

鉄平ごときに震え、小細工と口先をたよりにようやく勝ちを拾うのが精一杯のちっぽけな前原圭一のままで、本当に乗り切れるのか。

 

それを思うと、本当に泣きたくなる。

 

でも……。

 

「いまは……、やめとく」

 

鷹野さんは横目で俺を見ながらエンジンに火を入れた。

 

「そう?」

 

「泣けないよ。守りたい人の前で泣いちゃいけないって、教えてくれたやつがいるから」

 

あの日、俺は泣いてすがった。

 

脆くも砕けてしまいそうな嘘、壊れそうな前原圭一を認めてほしくて、もう嘘はつかなくていいと許してほしくて、羽入に助けを求めた。

 

でも、あいつは『許さない』と言った。

 

自分が居場所を求めてついた嘘なら、そこに賭けたみんなのために最後まで嘘をつき通せ、と。

 

全身全霊をかけて、情けない俺にそう言ってくれたのだ。

 

だから、いまは泣けない。

 

鷹野さんだって、俺の守りたい仲間の一人なんだから。

 

「……ありがとう」

 

その想いが伝わったのか、うつむきながらかすかに笑みを浮かべて、鷹野さんは車をスタートさせていた。

 

俺はシートにもたれたまま、すこし力を抜いてフロントグラス越しの流れる星空を眺める。

 

泣きたくなったときには、上を見るのが一番いい。

 

空の遠さ、目標の高さは、俺にみっともなく泣いている暇なんてないと思い出させてくれるから。

 

さあ、もっと嘘を重ねよう。

 

嘘がばれないように、もっと上手な嘘をつこう。

 

その嘘が嘘だと気づかれないくらい、大きな嘘をつこう。

 

この世の誰にもそれが嘘だと証明できないくらいに見事な嘘なら……それは、もう嘘じゃない。

 

諦めるのは簡単だ。

 

俺は弱いからと、本当のことを言って投げ出すだけ。

 

でも、それじゃ駄目なんだ。

 

嘘をつくほうがずっと難しいなんて、皮肉なもんだ。

 

それでも……俺は、あきらめるわけにはいかないんだ。

 

「……え?」

 

ぐるりと視界が回転し、星空が林の向こうに隠れる。

 

なにが起きたのかと思って視線を戻すと、車は雛見沢へと向かう本道をはずれて、林の間の狭い坂道を登っていた。

 

「鷹野さん……?」

 

「…………」

 

鷹野さんは無言でハンドルを握ったまま、車を進める。

 

すぐに視界は開け、車は建物の前に出た。

 

「……ええええ!?」

 

思わずそう叫んでしまったのも、無理はないだろう。

 

その建物はおよそ正気とは思えないような外観だった。

 

西洋風のお城に近いイメージに、品のないネオンの装飾。

 

いやいや、そりゃあこれがどんな建物かは知っている。

 

興宮と雛見沢をつなぐ道の途中にこれが建っていることは分校に通う一番小さな子供だって知っているだろう。

 

ただ、その用途がなんなのかについては……梨花や沙都子たちの学年以上じゃないと、知らないかもしれないが。

 

「た、た、鷹野さん……?」

 

「しっ」

 

なにかイタズラっぽい仕草で指を立てて唇に当てる。

 

その唇がなぜか艶めかしく感じてしまうのは、気の迷いと言ってしまっていいのだろうか。

 

車はスロープを通って地下へと進み、車を止めた鷹野さんは俺に下りるように促して自分も車外へと滑り出る。

 

「ちょ、ま……」

 

「いいから」

 

いやよくないって!?と慌てる俺の腕に自分の腕を絡め、強引にエレベータへと連行する。

 

「……いったい何がどうなってんの……?」

 

よほど頭に血が昇っていたんだろうか。

 

鷹野さんの先導のままに部屋に連れ込まれて、待っているように言い渡されてベッドに腰を下ろし、彼女が消えたバスルームのドアを見つめる。

 

いきなりの事態に、頭がついていかない。

 

えーとえーと。

 

レナの検査のために興宮の病院にいって、とりあえずレナが助かったのはわかったから、鷹野さんに送ってもらって家に帰ることにしたわけだ。

 

「病院」→「家」!

 

「病院」→×→「家」ッ!

 

×って何!? ×って何よッ!?

 

と思わず詩音になってしまいそうな俺だったわけだが、

 

「お待たせ」

 

バスタオル一枚身体に巻き付けただけの鷹野さんが部屋に入ってくるにあたって、混乱は頂点に達していた。

 

「あ、あ、あ、あの……えと、トトトトミ富竹さん!?」

 

鷹野さんは正座してわけのわからないことを口走る俺を、ちょっと不思議そうな顔で見返したがすぐに笑った。

 

「嫌ね、誤解しないで」

 

「は、はいぃ!?」

 

「……この格好には、理由があるの。服のどこに盗聴器がついているかわからないから」

 

「ええええ、と、盗聴……器?」

 

なにかこの場にそぐわない、不穏な単語が耳に入る。

 

鷹野さんはうなずき、俺の隣に腰を下ろす。

 

「車にもね、盗聴器があるから……あなたと話すにはこんな方法しかなかったの。ごめんなさい、慌てさせたわね」

 

労るような笑顔。

 

……それでようやく、いつもの鷹野さんだとわかる。

 

しかしそうなると、その単語が嫌でも意識される。

 

「盗聴器って……いったい誰が?」

 

「それを話したかったの。聞いてくれる?」

 

迷うことなく、頷いた。

 

……まったくの直感にすぎないが、これは俺たちの立ち向かうべき嵐、五年目の祟りに関係していると感じた。

 

「まず、いままで隠していたことを謝らせて。私は本当は看護婦じゃない……そして、入江診療所も本当は、単なる診療所じゃない」

 

「単なる診療所じゃない……まさか!?」

 

「秘密のメイド養成機関でもないわよ、念のため」

 

鷹野さんが笑顔で釘を刺す。

 

「安心したような、ちょっぴり残念なような……」

 

ふふ、と微笑む。

 

……あのう、露出した白い肩や鎖骨が目に毒です。

 

「雛見沢症候群、という病気があるわ」

 

唐突な話だった。

 

「雛見沢に古くから伝わる風土病と言えばわかるかしら。村の人たちはほぼ全員が感染している……発症するのは稀だから、誰も気づいてはいないけれど」

 

風土病……そして感染症か。感染はしても発症しない病気というのは案外多いと聞いたことがある。

 

鷹野さんの話は、その意味では不自然ではなかった。

 

「発症すると……どうなるんですか?」

 

尋ねると、すこし悲しげに目を伏せる。

 

「身体的な不調はごくわずかよ。でも……問題は『心』のほうなの。発症者は人を信じられなくなり、疑心暗鬼の末に人を傷つけたり、最終的には自殺することもある」

 

それを聞いてすこし、引っかかる部分があった。

 

「もしかして……」

 

「ええ。……沙都子ちゃんは去年、深刻なレベルまで発症してしまっていたわ」

 

そう、沙都子だ。

 

あの頃の沙都子は、俺たち部活メンバーや鷹野さん以外を信じられず、村人たちに傷つけられる、祟りに襲われると本気で怖がっていた。

 

いくらなんでもあれは異常過ぎると、俺にだってわかる。

 

「感染者は村から長い間離れたり、強いストレスに晒され続けると発症してしまうことがあるの。沙都子ちゃんが発症してしまった理由は、……わかるわね」

 

俺は頷いた。それが発症の条件なら、あの状況下で沙都子が発症しないほうがおかしい。

 

それどころか、悟史も発症してたっておかしくない。

 

「雛見沢村が歴史上、陰惨な事件の舞台になったのもこの病気に原因があると考えられるわ。もちろん、『オヤシロさまの祟り』にも……ね」

 

連続怪死事件。

 

その概要を頭の中でざっと流してみる。

 

「……ダム現場の事件は、犯人たちが発症していた?」

 

「えぇ、おそらくはね。もしかすると被害者のほうも」

 

確かに、当時はダム戦争のまっただなかで、ダム工事関係者が強いストレスに晒されていたのは容易に想像できる。

 

「第二の事件は……まさか、沙都子が?」

 

沙都子がそのときすでに発症していたなら、両親を突き落とすような凶行に出ることもあるかもしれない。

 

鷹野さんは沈痛そうな瞳で俺を見る。

 

「……そう考えても、不自然ではないわ。事実はわからないけれど、少なくとも事件直後に保護された沙都子ちゃんは発症した状態にあった」

 

さすがにこれはショックだった。

 

あの沙都子が、自分の両親を突き落としていた可能性が高いだなんて……。

 

「そんな顔はしないであげて……。発症すると、まわりが敵に見えてしまうの。善意は悪意に解釈され、差し伸べられた手は自分を害するためのものに見える」

 

沙都子もあの橋の上では俺たちに近づくなと叫び、羽入や俺は一歩間違えれば転落死していたかもしれなかった。

 

「……それじゃ、第三の事件は?」

 

さっきよりも痛ましげに顔を歪める鷹野さん。

 

神主の変死に、その妻の失踪。

 

そこに、どんな形で雛見沢症候群が関係するのだろう。

 

「それは……私たちの仕業」

 

「え?」

 

意味がわからなかった。

 

「入江診療所は、雛見沢症候群を秘密裏に研究するために作られたの。これは内緒だけど、ちゃんと政府がお金を出している、国営の研究所よ」

 

言われてみれば、あの診療所は雛見沢の人口に比して立派すぎるような印象は以前からあった。

 

「あの診療所の建物はそれこそ氷山の一角よ。地下には、研究のために最新の設備が整っている」

 

「え……って、まさか!?」

 

うなずいて、俺の手を両手で握った。

 

「所長を責めないであげて。機密保持は厳重で、不用意に踏み込めば危険な目に遭う……それがわかっているから、レナちゃんのために地下の設備は使えなかった」

 

本当は興宮の病院に頼らなくても、診療所の地下にはレナを検査できるだけの設備があったということだ。

 

結果的にレナは無事だったからよかったものの、移送のための時間や動かしたことが原因でもしレナが死んでいれば俺は一生監督を許せなかったかもしれない。

 

「研究が極秘になっているのは、いまの雛見沢には二千人に近い感染者がいる上に、時代とともに雛見沢から離れて遠くで暮らす人たちも多くなっているからよ」

 

……ああ。

 

確かに、雛見沢症候群の存在が明るみになれば、恐ろしい事態になることは俺にも想像できた。

 

なにかのはずみで殺人鬼になりかねない人間が二千人。

 

そして、全国のどこに紛れているかもわからない感染者の存在に人々は脅え、パニックになる。

 

最悪、雛見沢住人の抹殺を唱える人間が出たり、魔女狩りのように感染者を見つけだそうとして、罪もない人たちが傷つく事態になりかねない。

 

「だから、機密保持は絶対。雛見沢の人たちのためにも」

 

不承不承とはいえ、うなずくしかなかった。

 

「誰にも知られることなく、私たちは雛見沢症候群を研究しなければならなかった。その研究に協力してくれていたのが……羽入ちゃんと梨花ちゃんのご両親よ」

 

「協力していたって……?」

 

神主さんが病気の治療に協力、というのがぴんと来ない。

 

「雛見沢の人たちは、それが病気だとはっきり知らなくても、昔から雛見沢症候群の存在に薄々は気づいてたのよ。おかしな村の掟については聞いたことない?」

 

一年も暮らしていれば、そういう話は聞こえてくる。

 

村から離れちゃいけないって時代錯誤な掟。

 

……それに、羽入が東京にいけないといったしきたりも、似たようなものかもしれない。

 

待てよ、羽入ってことは……もしかして。

 

「そうよ。古手家が特別とされ、オヤシロさまをとおして村の信仰を担っているのには理由がある。古手家の血統に雛見沢症候群の症状を鎮静化する要素がある」

 

「まさか羽入が村を離れられないのは、羽入がいなければみんなが発症してしまうから……!?」

 

「正確には、その可能性があるから、ね」

 

注釈はつけられたが、意味としては同じことだ。

 

古手家頭首である羽入の存在が、間接的にではあっても村を守っていることになる。

 

「その特性は母から子に受け継がれるものらしくて、私たちの研究が始まったときには既に羽入ちゃんがその特性を持っていて研究に協力してくれた……、でも」

 

なぜか、聞く前から胸が痛んでしまう。

 

「二年前、古手夫妻は羽入ちゃんが高熱を出したのをきっかけにそれ以上の協力を拒否してしまった。それは子を思う親として仕方のないことだけれど……」

 

知りたくはないのに、想像はついてしまう。

 

研究に協力しているうちはいい。

 

だがそれを拒否し、研究から離れていけば……秘密を守るために一番手っ取り早いのは、殺してしまうことだ。

 

加えてこの場合、親がいなくなれば残った羽入には協力を続けてもらえる可能性もある。

 

「本当に、申し訳ないことをしたと思うわ……羽入ちゃんや梨花ちゃんには、どんなに謝っても謝りきれない」

 

静かに目を伏せ、涙を流す。

 

慰めになるかどうかもわからないけれど、俺はそっと鷹野さんの髪を撫でてその感情が落ち着くのを待った。

 

羽入はその真実を知らされてはいないのだろう。

 

……梨花は、知っている気がする。

 

遠足の湖のときに、鷹野さんとふたりきりになった直後の梨花はなにか感情を無理矢理に抑えている気配があった。

 

予言なのかなんなのかは知らないが、梨花にはそういう、知るはずのないことを知っている部分が確かにある。

 

鷹野さんのすすり泣きが落ち着くのを待って切り出す。

 

「……去年。第四の、事件は?」

 

第一の事件、第二の事件は雛見沢症候群による偶発。

 

第三の事件は、入江診療所の機密保持のための事件。

 

ならば俺たちを敗北させた第四の事件にも……この不吉な病気が関わっているのだろうか?

 

「去年の真相は、正直言って私にもわからないの。沙都子ちゃんの叔母さんが発症していたらしいけど、確保できずにその場で転落死させてしまった……、としか」

 

あの状況では、ありえるとしか言いようがない。

 

問題は、いなくなった魅音のほうなのだ。

 

「……祟りは一人が死んで、一人が消える。沙都子の叔母が死んだのに、去年は誰も消えていない……ですよね?」

 

そう聞いてみた。

 

鷹野さんと診療所の人間がどこまで知っているのかを量るために。

 

「……いいえ。消えた人間は、いるわ」

 

鷹野さんは、すがるような目をして俺を見上げてきた。

 

「園崎魅音。……魅音ちゃんが、消えている」

 

「ッ……!」

 

知っている。

 

診療所は、魅音が消え、詩音が代わりをしていることを、すでに気づいている……!

 

「いま魅音ちゃんを名乗って学校に通っているのは、双子の妹の園崎詩音ちゃん。私たちにも、それくらいは調べられるわ」

 

「……それじゃ、本物の魅音はどこに?」

 

祈るような気持ちで尋ねたが、鷹野さんは子供みたいな仕草で首を横に振った。

 

「わからないわ。……あの夜を最後に消えてしまった」

 

深い色をしたその瞳に嘘があるかどうか、読み切れない。

 

レナならともかく、俺には……そんな才能はない。

 

「でも……私が心配しているのは、五年目のことなの」

 

「五年目……?」

 

こくん、と頷いてから息をつき、俺の肩に額を寄せる。

 

「私たちを……入江機関を、調べている者がいる」

 

ずきん、と胸をわしづかみにされるような感触。

 

なんだよ……、これ?

 

「言うまでもなく……それはとても危険なことよ。機密に触れたものは、特定されれば殺されることもある」

 

そう、神主夫妻のように。

 

「すでに相手を調べる動きは出ているけど……私には誰が調べているのか、ほとんど予測がついてるわ」

 

それが……誰なのか。俺にだってわかる理屈だ。

 

「……詩音ちゃん、よね。きっと、園崎家が動いている」

 

詩音が……、殺されるっていうのか?

 

俺の心中の声を聞き取ったように、鷹野さんは首を振る。

 

「それだけではすまないでしょうね……」

 

悲しげに、瞳が揺れる。

 

「詩音ちゃん一人ならともかく、動いているのが組織だと確定すれば、上は手段を選ばない可能性があるわ」

 

「え……? 手段を選ばないって……?」

 

「研究の即時中止と……抹殺」

 

目の前が真っ暗になる。

 

秘密を知る者が多ければ多いほど、全員を始末するのは難しくなるが……難しいだけで、不可能ではない……?

 

「まさか……そんなこと、できるわけない」

 

「相手は国よ……できないことなんて、ないでしょう?」

 

ぞくり、と冷たいものが背中を走り抜けた。

 

できるのだ。

 

この人は、それが可能であることを知っている。

 

それ……すなわち、雛見沢そのものの抹殺。

 

「どうして……、俺に、そんな、こと」

 

心が軋み、悲鳴をあげていた。

 

これ以上……俺に、重荷を負わせないでくれ、と。

 

だけど鷹野さんは、悲しそうな……本当に悲しそうな目をして、俺を見つめてこう言った。

 

「助けてほしいの。私は自由に動けない……だから、圭一さんに、みんなを助けるために協力してほしい」

 

雛見沢、二千人の命運。

 

……ただの中学生の肩には、重すぎる荷だった。

 

「こんなことお願いするのが、残酷だってわかってるわ。でも……あなた以外、頼れないから」

 

本当に泣きたい気分で天を仰ぐ。

 

だけどそこに遠い夜空はなくて……鏡に映った泣きそうな自分の顔があるだけだった。

 

「……わ、かった」

 

震える声で、そう告げた。

 

告げるしかなかった。

 

ほかにどんな選択肢があったのか、俺に教えてくれ。

 

「俺がなんとかする。みんなを……助けるから」

 

「ごめんなさい、こんな……本当に、ごめんなさいっ」

 

俺にすがりついて、鷹野さんは泣いた。

 

受け止めきれずに倒れてしまうような、弱くてちっぽけな俺にすがって……子供みたいに泣きじゃくった。

 

それから、どれくらい時間が経ったのだろう。

 

ベッドの上に落ちている小さなケースに気づく。

 

「あ……、それは」

 

鷹野さんがはだけかけていたバスタオルを胸元に引き寄せてから、ケースを開けてみせた。

 

入っていたのは、注射器とアンプル。

 

「私たち研究所の職員が、雛見沢症候群に備えて打っている予防薬よ。完璧とはいえないし、もう感染してしまっているはずの圭一さんには気休めだと思うけど……」

 

そう言って、手際よくアンプルをセットし、俺の腕をとって消毒し針を血管に沈ませる。

 

「……あなたは、最後の希望だから」

 

その言葉は、途方もなく重いけれど。

 

逃げるわけにはいかなかった。

 

賭けられたものが大きすぎて、投げ出す自由さえもない。

 

刺さった針の先から、予防薬が体内に流れ込む。

 

これが俺の希望になるというのなら、受け容れよう。

 

「ごめんなさい、圭一さん……」

 

目の前の人は、俺に賭けてくれた。

 

レナも詩音も羽入も梨花も、みんな俺に賭けてくれた。

 

ゆっくりと、ベッドのスプリングを軋ませながら上半身を起こし、鷹野さんの華奢な身体を抱き寄せる。

 

「謝らなくていいよ」

 

仲間のためだから、俺のとるべき道は決まっている。

 

筋金入りの大嘘つきにつけるのは、嘘だけだ。

 

だから解き放つ、“本当”に変わる“嘘”を……。

 

「絶対に……俺が、なんとかしてみせる」

 

出口どころか……、入り口さえも見あたらない最悪の迷路に踏み込んだことを自覚する。

 

それでも……いまにも溺れ死にそうな俺にできることは、嘘をついて誰かの涙を止める、きっとそれだけだから。

 

「……圭一さんっ……!」

 

腕の中で小さく震える鷹野さんを抱きしめる俺の視界に、シーツの上で転がるアンプルが光っていた。

 

小さなラベルには、無味乾燥な四文字の記号。

 

 

“H132”

 

 

それが何を意味するのか、俺にわかるわけがなかった。




最悪の引き方をしつつ第2部終了です。
部活メンバー最強のレナが入院、
みんなを束ねる部長・魅音は失踪中、
トラップマスター沙都子と仲間の火付け役、
圭一の二人は鷹野の手中に……。
悪条件の揃った昭和58年6月の幕開けです。
神楽舞の明日はどっちだ!?

ここまでの二部までの感想、評価、などなどリアクションしてくれると、とっても嬉しくなります。
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