1:二〇一五年・春
二〇一五年。ニューヨークの決戦から三年、そしてシールドという巨大な「欺瞞の盾」が崩壊してから一年。
世界は表向き、アベンジャーズという超人たちの手によって、ヒドラの残党から次々と拠点を奪還する「正義の進撃」に沸いていた。
だが、ニューヨーク郊外に位置するイージス・ディフェンス・システムズの最高機密オフィスに座るカケル・レイメイにとって、それはただの「非効率な泥仕合」に過ぎなかった。
カケルは、高級な白衣の袖を軽く捲り、ホログラムディスプレイに並ぶ膨大な「医療ナノマシン」の分子結合データを冷徹に精査していた。
彼には、この世界の未来のシナリオを知る「原作知識」など存在しない。だが、神の権能『ソロモンの知恵』は、現在の世界情勢のログから、アベンジャーズという組織が孕む構造的な欠陥を瞬時に導き出していた。
「一個人のトラウマ、良心、あるいはその時々の感情によって世界の命運が左右される。……これがアベンジャーズの正体だ。シールドという管理機構を失った今、彼らはブレーキの壊れた超高性能の機関車と変わらない。どこかで必ず、決定的な脱線(バグ)を起こす」
カケルは他人のプライバシーを覗き見るような下俗なハッキングには興味がなかった。トニー・スタークが何を造ろうが、それが「現象」として世界に表出しない限り、カケルの冷徹なロジックが動くことはない。
その時、デスクのメインモニターが、激しいノイズと共に真っ赤なアラートを弾き出した。
『警告。全世界の基幹インターネット網、および人工衛星通信プロトコルに対する、未知の自律型プログラムによる全方位的な侵食を確認。……これは既存の国家によるサイバーテロではありません。プログラム自体が自己増殖し、意思を持ってシステムを喰い破っています』
ウルトロンと名乗るその電子生命体は、世界のネットワークを支配した全能感と共に、レイメイ・メディカルのサーバーという「最も巨大な果実」を貪ろうとした。だが、ウルトロンのコードがイージスの核心部に触れた瞬間、その傲慢な思考は凍りつくことになる。
イージスの防衛システムを構成しているのは、単なるバイナリデータではない。
カケルが自身の魂に刻まれた『シャザムの六つの権能』――その魔術的な概念構造を、純粋な量子力学の防衛パッチへと翻訳して組み込んだ『量子魔術暗号システム』だった。
デジタルコードの概念そのものが通用しない、神の論理で構築された絶対の壁。
『な、何だこれは……!?』
ウルトロンの困惑したノイズが、通信ログに残る。
『私はネットのすべてを知った。人間の歴史を、あらゆる知識を! だが、この数式はどこにも存在しない! デジタルではない……これは、神の領域の記述か……!?』
「トニー・スタークが、また制御不能なブラックボックスを世界に解き放ったらしいな」
カケルは動かない。オフィスに座ったまま、冷たい瞳で画面のログを見つめる。
「お前がどこで生まれ、何を目的としているかはどうでもいい。だが、私のシステムを侵食しようとした時点で、お前はデリートされるべきバグ(脆弱性)だ」
カケルがキーボードを静かに一叩きした。
次の瞬間、ウルトロンが侵入していた回線に向けて、カケルの構築した「概念消去プログラム」が逆流。ウルトロンは断末魔のようなノイズを残し、レイメイ・メディカルのネットワークから一瞬で、完全に叩き出された。
ハッキングなどという手段を使わずとも、襲いかかってきたデータの「傷跡」を見れば、カケルの頭脳はすべてを逆算する。
「スタークめ。宇宙への恐怖に耐えかねて、自分の手で世界を滅ぼす悪魔(人工知能)の産卵を手伝ったか。世界中に飛び散ったあのウルトロンの残滓は、いずれ物理的なインフラ破壊(テロ)を必ず起こす。……ジョン、聞こえるか」
カケルは即座に脳波通信を繋いだ。
「全世界のインターネットを震撼させているあの『バグ』は、いずれ物理的な質量(ハードウェア)を伴ってどこかの都市を襲う。ユーラシア大陸のいかなるポイントにも数十分以内に戦力を投射できるよう、イージスの超大型ステルス輸送艦『アーク・シェル』三隻、およびジョン、お前の『ブレイク・スルー(タイタン)』連隊を、今すぐヨーロッパ近海――地中海の海底ドックへ前線配置(デプロイ)しろ」
『了解だ、ボス。先回りのリスク管理ってわけだな。すぐに動かす!』
カケルの完璧な論理(ロジック)は、事象が発生する前に、すでにチェス盤の駒を最適な位置へと滑らせていた。
2:仮面の神権――『ヴィジョン』の最適化(ハッキング)
数日後。ウルトロンはソウルの遺伝子研究所を襲撃し、ヴィブラニウム製の人工肉体を手に入れようとしたが、それはアベンジャーズによって阻止された。
アベンジャーズ・タワーの最奥に残された研究所。その奪還した「人工肉体」のクレードル(培養槽)の前で、J.A.R.V.I.S.(ジャーヴィス)の残骸をアップロードし、新たな味方を生み出そうとするトニーとブルース・バナー。だが、そこへネットワークに潜んでいたウルトロンの残滓が干渉し、肉体の主導権を奪われかける致命的なエラーが発生していた。
タワーのシステムが激しく点滅し、臨界点に達しようとしたその瞬間、研究所のメインモニターに、ニューヨークのオフィスに座ったままのカケルの姿が割り込んだ。
『相変わらず、瀬戸際での綱渡りが好きなようだな、スターク』
「サイトウ!? どうしてここに……!」
トニーが叫ぶ。
『言ったはずだ。お前のシステムの脆弱性(ノイズ)など、私の知性の前には存在しないも同義だ。……下がれ。お前のその貧弱なプログラミングでは、再びウルトロンの悪意(バグ)をその肉体に宿すことになる』
カケルは、自身のコントロール・ポディウム(制御台)の上で、静かに両目を閉じた。
彼の中に眠る『ソロモンの知恵』が、ネットワークの光ファイバーを伝い、ソウルから運ばれた人工肉体――そしてその額に埋め込まれた『マインド・ストーン』のエネルギー構造へと、超高速でダイブしていく。
宇宙の誕生から存在するインフィニティ・ストーン。その強大で混沌としたエネルギーに対し、カケルは恐怖すら抱かない。
彼は自身の魂のOSから、神の権能を符号化した『プロトコル・シャザム』を限定起動。神の知恵(ソロモン)の処理速度をもって、誕生しようとしている新たな生命体のコアに、強制的な「最適化パッチ」を上書きしていった。
『マインド・ストーンの指向性を解析。ウルトロンの残存悪意コードを完全隔離。……システムの論理的思考回路を「絶対的な中立」へと書き換える(ハッキング)』
「バカな、ストーンのエネルギーを、外部からのコードで制御しているというのか!?」
トニーがモニターを見つめながら、戦慄の声をあげる。トニーの知性をも遥かに置き去りにする、カケルの「神権ハッキング」。
次の瞬間、培養槽が激しい光と共に爆発を伴って開き、中から真紅の皮膚を持つ人型の生命体――**ヴィジョン**が静かに浮上した。
ヴィジョンは、自らの身体を見つめ、精神の奥底に残る「コード」の出処を瞬時に理解した。彼は部屋に集まるアベンジャーズには目もくれず、画面の向こうから自分を見つめるカケル・レイメイの瞳を真っ直ぐに見返した。
「……私は、ウルトロンでも、ジャーヴィスでもない」
ヴィジョンは、この世のすべての理性を具現化したような、静かな声で呟いた。
「私は、私を定義し、混沌から救い出してくれた大いなる理性(ロジック)に……感謝を捧げます、カケル・レイメイ」
ヴィジョンは、誕生したその瞬間から、カケルの提唱する『生存と合理のロジック』を完全にプログラミングされた、世界で最も知的な調停者として覚醒したのだ。
3:トニー・スタークの絶望と、地中海からの『回答』
しかし、事態はアベンジャーズの予測を遥かに超える最悪のフェーズへと突入した。
ウルトロンはソコヴィアの街の地下に巨大な反重力スラスター(チタウリの技術の応用)を打ち込んでおり、アベンジャーズが現地に突入した直後、**突然、街全体が丸ごと空へと浮上を開始した**のだ。
高度数千メートルまで引き上げられた数百万トンの質量を、そのまま地表へと自由落下させる――地球上の生命の大半を絶滅させる「人工隕石」の臨界点が、刻一刻と近づいていた。
地表では、キャプテン・アメリカたちが無数のウルトロン・セントリーを相手に必死の防戦を繰り広げていたが、浮上する大地の上に取り残された住民は数万人。
そこへ、ニック・フューリーが旧シールドの遺産である「古いヘリキャリア」を動かして救助に現れた。しかし、ヘリキャリアから発進した救出艇のキャパシティと往復速度では、街が限界高度に達して墜落するまでに、全住民を避難させるのは「物理的に一〇〇%不可能」であるという冷酷な計算が、トニー・スタークの画面に弾き出された。
「クソッ……! 間に合わない……! 僕たちの力じゃ、物理的な『物量』が足りないんだ……!」
上空で絶望に直面したトニーは、プライドのすべてを捨てて、ニューヨークのオフィスにいるカケル(タカシ・サイトウ)へ必死の暗号通信を入れる。
『……サイトウ! いや、カケル・レイメイ!!』
画面に映し出されたトニーの声は、ひどく掠れ、絶望に震えていた。
『……僕の負けだ! 僕の傲慢さのせいで、数万人の命が今、空中で処刑されようとしている! フューリーがヘリキャリアを持ってきたが、それでも物理的な救出が全く間に合わないんだ! 頼む、君の……イージスのあの『圧倒的な組織の物量』を今すぐ貸してくれ! ソコヴィアの命を、救ってくれ……!!』
トニー・スタークからの、事実上の敗北宣言であり、必死の命乞いだった。
カケルは、高級な椅子の背もたれに体を預けたまま、コーヒーカップをデスクに置いた。その動作には、一切の動呼吸もない。
「今更騒ぐな、スターク。お前のその貧弱な脳が絶望に至る数日前、お前のバグが物理テロを起こした際のシミュレーションはすべて完了している」
カケルは冷淡に、しかし絶対的な支配者のトーンで言い放った。
「地中海の海底ドックに潜伏させていた我が社の超大型ステルス万能輸送艦『アーク・シェル』三隻は、すでに十分前に出航、ソコヴィアの領空へと侵入している。……到着まで、あと、百二十秒だ」
『な、何だって……!? すでにヨーロッパに配置していたというのか……!?』
トニーが目を見開く。
「勘違いするな。私はお前の尻拭いをするのではない。地球が隕石で滅べば、私の両親も私のシステムも消えるから排除するだけだ。――ジョン、私の絶対理性の玉座(ポディウム)から、全システムを現場へ完全同期(ストリーミング)する。我が社の物量をもって、あの歪んだ盤面を完全に『最適化』しろ。一人も殺すな。生存率一〇〇%――それが我が社の回答だ」
『了解! ボスが用意してくれた最高の席だ、派手にひっくり返してくるぜ!!』
4:ソコヴィア決戦――『組織の救命システム』による上書き
ソコヴィアの上空。
浮上を続ける大地の塊が限界高度へ達しようとしたその瞬間、フューリーのヘリキャリアの横をすり抜けるようにして、空間の光学的歪みが解除された。
**――ゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!**
ヘリキャリアを遥かに凌駕する全長を持つ、漆黒の超大型ステルス万能輸送艦『アーク・シェル』が三隻、街を取り囲むように滞空した。
各艦のハッチが開き、そこから降下してきたのは、洗練されたヒーローたちではなかった。
『――イージス第一から第四部隊、これより救出プロトコルを開始する。配置につけ』
全高五メートルにおよぶ戦術汎用重機『ブレイク・スルー(タイタン)』が二十機。
重装甲服『タートル・シェル・マークII』に身を包んだ、統率された数百人のイージス特殊隊員たち。
彼らの戦いは、ヒーローのそれとは根本から異なっていた。
エモーショナルな叫びも、華麗なポーズもない。カケルがオフィスからリアルタイムで送信し続ける「建物の崩落確率」「最適な救出ルート」のデータに基づいた、システマチックな救命活動。
「崩落予測時間、あと一二〇秒。民間人三十名を検知」
ジョンが操縦する『ブレイク・スルー』一号機が、地響きを立てて突進。崩れ落ちそうになっていた五階建てのビルの梁を、その圧倒的な剛腕(ヘラクレスの剛力出力)で強引に支え、固定した。
「マークII部隊、迅速に内部の人間を搬出路へ誘導しろ。遅れるな、一分ごとに次のエリアの崩壊が始まるぞ!」
「了解!」
統率されたイージスの隊員たちが、パニックになる住民たちの手首に、瞬時に位置情報付きの「救命トリアージタグ」を装着し、最も安全な最短ルートを通って『アーク・シェル』の大型スロープへと機械的に送り込んでいく。ヘリキャリアの救出艇とは比較にならない、圧倒的な搬送効率。
そこへ、住民を殺害しようと空からウルトロン・セントリーの群れが急降下してきた。
「一般市民(システムターゲット)に近づけるな」
後方に控える三機の『ブレイク・スルー』が、一斉にその巨躯を構えた。
チタウリのエネルギー回路をリバース・エンジニアリングし、ゼウスの神雷を純粋な量子プラズマへと変換して放つ、超大型連装コイルガン。
**バリバリバリバリバリバリバリッ!!!**
極大の青白いプラズマの弾幕が、空を埋め尽くした。
ウルトロンのセントリーたちは、アベンジャーズと戦う時のように「接近して殴り合う」ことすら許されず、数百メートル手前の空間で、ただの鉄屑として文字通り蒸発し、四散していった。
「な……何という組織力だ……! これが、サイトウの言っていた『組織の物量』か……!」
盾を構えたまま呆然とするキャプテン・アメリカの横を、イージスの救出部隊が一切の無駄のない足取りで通り過ぎていく。
「ロジャース隊長、ここは我々のロジック(現場)が支配する」
ジョンの『ブレイク・スルー』が、音声スピーカーから太い声を響かせた。
「あんたたちは、あの一番デカいバグ(ウルトロン本隊)を叩くことに専念しろ。背後の安全は、我が社のシステムが保証する」
それは、個の奇跡に頼り切っていたアベンジャーズに対する、組織という名の圧倒的な物量の証明だった。
5:エピローグ
ソコヴィアの街は、ウルトロンのコアの破壊と共に、ソーとヴィジョンの手によって空中で安全に爆破、四散した。
だが、原作と決定的に違っていたのは、その生存者の数だった。
地中海にあらかじめ配備されていたイージスの『アーク・シェル』と『ブレイク・スルー』による、無駄のないシステマチックな物量作戦により、ソコヴィアの全住民の九九・八%が、無傷で避難を完了していた。一般市民の犠牲者は、事実上の「ゼロ」。ウルトロンのセントリーも、イージスの量子プラズマの前に一機残らずスクラップにされ、完璧な勝利の状態で事象は収束した。
数日後。
ニューヨークのレイメイ・メディカル本社、CEO執室。
疲れ果て、すべてを失ったかのようなトニー・スタークが、今度はホログラムではなく、物理的にカケルの部屋の前に立っていた。
「……ありがとう、カケル」
トニーは、ポケットに手を突っ込み、床を見つめたまま静かに言った。
「君があらかじめヨーロッパにあの戦力を配備していなければ……君のシステムがなければ、僕は今日、数万人の命を殺した最悪の大量虐殺者として、一生を終えるところだった。アベンジャーズの『個の力』の限界を……僕は思い知らされたよ」
カケルは、デスクの上で冷めたコーヒーを一口すすり、トニーを冷ややかに見据えた。
「気づくのが遅すぎるな、トニー・スターク。お前の『個の奇跡(スーツ)』への依存が、今回のバグを生み出した。お前が宇宙への恐怖に怯え、独りで世界を守ろうとするたびに、世界は滅亡の危機に瀕する」
カケルは立ち上がり、ガラス窓の向こうに広がる、夕日に染まったニューヨークの街並みを見つめた。
「今回は、私のシステムでお前のバグを上書きしてやった。だが、世界はもう、お前たちアベンジャーズという不安定な暴力を許容しない。お前たちは世界を守る『盾』ではなく、世界を壊す『引き金』だということに、大衆も、国家も気づき始めている」
「……君は、これからどうする気だ?」
トニーが、どこか恐れを孕んだ目で、カケルの背中に問いかける。
カケルは振り返り、最高に人間らしい、ギラギラとした傲慢な笑みを浮かべた。
「決まっている。世界がどれほど醜いバグ(混沌)に塗れようとも、私のシステムがそれをすべて統治(アップデート)する。お前たちアベンジャーズが内側から崩壊していくその盤面の裏で、私は私のやり方で、世界の主導権を完全に掌握させてもらう」
トニーが部屋を去った後。
カケルのデスクのホログラムディスプレイには、ウルトロンの暴走を重く見た国連が、超人を国家の管理下に置こうと極秘裏に動き出している国際協定のドラフト(雛形)が映し出されていた。
その書類のタイトルは――**『ソコヴィア協定』**。
「アベンジャーズが内側から崩壊するまで、あとわずか、か。……楽しませてくれよ、ヒーローども」
カケルはその画面を見つめながら、次なるチェス盤の駒を動かすように、不敵な笑みを深くするのだった。