プロレスを初めて見たもの皆が思う疑問だろう。
プロレスラーは誰もそれを説明しない。
それはプロレスの重力による因果であり作用であり魂だからだ。
翌週には『アンファングリアーアインス』を終了し、ダークエルフはプロレスの修行を始めた。この頃には騎兵たちは新たなる収入源として騎馬による競争競技、いわゆる競馬の興行をしてみようと準備にかかっていた(そちらはそちらで紆余曲折した楽しいストーリーになるのだが、ここで語るものでもない)。そのためプロレスについては山岳猟兵、山砲、工兵、その他から腕っぷしが強いか一芸のあるものが抽出されて特訓に入った。
グスタフノートに記されたプロレスのための体を作る特訓である。下半身、腹筋、背筋、首を中心として主に自重トレーニングによって鍛える。特にスクワットと呼ばれる下半身の訓練には重きをおいた。
「勝ち負けはストーリーもあるが、まずは観客を盛り上げる上手さと残り体力で勝敗を決めると良い。そこからストーリーを書き換えて纏めていくのだ。ケガを避けて毎日戦って行く唯一の方法である」
このようなグスタフノートの内容、そしてプロレスは我が王グスタフが戦前からダークエルフの今後のために考えていたことを纏めたものとして皆に共有された。そして勝敗を分けるもののひとつである残り体力……持久力をつける、その程度を確かめるトレーニングとしてスクワットは非常に効率的だった。
しかしグスタフノートに記された腕立て、腹筋、スクワットのメニューを初日からこなせたのはディネルース・アンダリエル少将だけであった。
「届きましたよ」
兵站参謀のリア・エフィルディス大尉が今度はいつもの笑顔で旅団の武道館にやってきた。彼女と共に馬車も二台やってきた。
リングという舞台の材料であった。いままでは体育館に野営用のシートを張り、その周りから観客が見るという形であったが、ストーリーを語り、闘いを神々しく見せるには客が見上げる舞台が絶対に必要だという我が王グスタフの話があり、グスタフノートには正方形の骨組みの上に板を置き、その上にケガ防止のマットが置かれ、上に白い帆布のシートが張られた。さらに四隅の柱から高さの違う三本の布を巻かれたワイヤーロープがそのシートを囲んだ、そんな舞台の簡易な設計図もグスタフの自筆で描かれていた。リア大尉は正式な設計図を手配し、鍛冶屋などを回って部材を発注、後の巡業に備えて分解・組み立て可能なリングを用意してきたのだ。
すぐに工兵を中心にリングは設営され、その日の夜にはお忍びで我が王グスタフその人が武道館にやってきていた。
「ぐっ、痛い」
上着を脱いでサスペンダーとワイシャツ姿になったグスタフはさらに腕まくりをしていた。リングに一礼してロープの間を潜り、リングの上に登った。そこからいきなりロープに走ってもたれかかったグスタフが痛いと呻いたのだ。彼はその後に前回り受け身をとってオーバーアクションぎみにマットを叩いた。『ダン!』といい音が響くとグスタフは笑顔になった。
立ち上がった後にはまたロープに走り、また呻きながらもトップロープを一瞬わきの下に入れたかと思うとしなったロープの反動を受けつつ、跳ねるように走り、反対側のロープでも同じコトをして数度ロープを往復した。
「楽しそうね」
続いて上着を脱いでリングに入って来たディネルースが、動きを止めて息を切らし膝に手をやりながらぜえぜえ言って下を向くグスタフに言う。
「夢だったんだ」
「夢?」
「リングに登って、ロープを使って走るのが。リングは選ばれ鍛え抜かれた強きものにだけ登るのが許される聖域だと思っていたから」
「でも、これはあなたのリングだもの。いつだって使っていいわ」
旅団のほんの一部しか知らないが、今回のリングはグスタフが自費で用意したものである。次のリングは自分たちで用意する、それもディネルースの目標のひとつだ。
「それはいけない。今後このリングは君たちの聖域でなければならぬ。ロープの反動を使って走る、このロープワークもリングの神聖さを保つ儀式と言ってもいいものだ」
「そうなの?」
ディネルースは先ほどからグスタフがしていた動きを真似してみた。
「痛い!」
走ってロープに体を預けたディネルースもグスタフ同様に呻く。
「骨にあたるようなら当てる前に少し飛んで背中の当たる高さを調整して!弾かれたら三歩くらいで反対のリングに届くように跳ねるように走って!ロープワークだけは実際やらないと伝わらないから、出来るだけ今日のうちに仕上げよう!」
グスタフの言う通りにディネルースは動く。ディネルースが走るたびに『ダンダンダン』とリングがリズムに乗った音を響かせる。それはまるで太鼓の演奏にも聞こえる。
「リズムよく走ると観客にもそのリズムが伝わり、それが試合のテンポになる。ロープは元々拳闘で負けそうな者が試合と痛みから逃げないように作られたものだと思うのだけど、ロープを四本から三本にしたプロレスにおいては観客とプロレス、日常と非日常を区切るものであり、その非日常感をさらに強くするのがリングの響きとそのリズム、そしてロープワークのスピード感なのだ。技の威力も上がっているように見えるし、実際上がる!」
グスタフの話を聞き、ディネルースが希望に沿うように跳ねる。要領を得た彼女のロープワークはさらに心地よい音楽になってきた。
しばらくして疲れたディネルースはハアハア言いながらリングに大の字になった。横ではグスタフも大の字になった。リングを囲むように建てたポールに吊るされている四つのランタンの柔らかな光に照らされて、ふたりは天井を見上げていた。
「プロレスって痛くて疲れて、思っていたよりもずっとキツい。あなたの言う練習メニューをこなせたのも事前に数日練習していたわたしだけ……」
「八百長や子供の演劇でないのがわかったろう?」
「心底身に染みてわかったわ」
まだ呼吸の伴わないディネルースが言う。
「すまないな」
「すまない?」
「君たちだけ待遇を悪くするのは正規軍としてはあってはならないことだ。だがわたしはそれを止められなかった……」
「いいのよ、自分たちに原因があったのは言葉がなくともわかる。だからこのプロレスを皆で頑張って待遇を戻して、ついでに戦火で疲れた人々も子供も笑顔にする。そしてあなたの夢ももっと叶える。既にあなたの夢のひとつなのでしょう、このプロレスの未来も」
「ありがとう」
グスタフとディネルースの本日限りの夜のプロレスは続いた。ダークエルフたちにふたりの邪魔をさせないよう武道館の扉の前で門番をしていたグスタフの護衛の巨狼族、アドヴィンは武道館の中から聞こえるふたりの呻きと息の荒さに何事かを思ったが、すぐに考えるのをやめた。リングは神聖な聖域である。
「痛い!」
「痛ったぁ!」
翌日の練習、まだプロレスについて八百長の戦いと思っていた選手たちの考えは、リングに登り、そのマットで受け身を取ってロープに背を当てた段階で消えた。それだけで普通に痛いのだ。ここでグスタフノートに書かれた技を何度も使えば怪我とは言えない程度に体を痛めるのは間違いなかった。数名の選手からはこんなに真面目にしなくてもという声も挙がったが、プロレスはダンスでは無い(ダンスも含むが)とディネルースにどやされるのだった。
実験的に試合の通し稽古、シミュレーションをしてみたが、グスタフノートに記された基本の試合の流れを全てこなせる者は誰もいなかった。それどころか7~8分間動くのがせいぜいなのだ。
「これを30分もやれと?」
もちろん皆はグスタフの元の世界の話なぞ知らないため、どこかから閃いた我が王グスタフが適当にダークエルフにキツいことをさせているのではと思う者もいた。
だが、数日のうちにディネルースが交代する部下を相手にひとりでやり切って手本を見せたために文句は出なくなる。そして少将最強説が囁かれるようになった。
グスタフノートに記された基本の技、力比べ・チョップ・ドロップキック・バックドロップ・ブレーンバスターなども流れの中で試した。見栄えは良く怪我のしにくい技だが、やられる方は当然、やるほうも痛くキツいものがある。『プロレス』は数分で勝負が終わる『アンファングリアーアインス』よりもずっとキツいものではないかと皆気づいていった。そして、そのキツいものを観客に魅せて伝えるのがプロレスだというコトも。
~ つ づ く ~
本当は次の話と合わせて一話にする予定でしたが、なんかこう単独のほうが良い気がしてこんな感じに。
内容は適当ですが、だいたいこんなコトを考えてプロレスを……いや、見てるときは考えないか、楽しいから。
次回からはオリジナルキャラなレスラーたちが登場します!
今後も引き続き応援よろしくお願い致します!