廃人サバイバー、異世界へ行く   作:ドレットノータス

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第2話 門の上の竜

眠れたのか、気を失っていたのか、自分でも分からなかった。ただ、次に目を開けた時、空の色は変わっていた。夜の黒は薄まり、東の端から淡い青がにじむように広がり始めている。星はまだいくつか残っていたが、さっきよりもずっと遠く、白く霞んで見えた。

 

私は岩に背を預けたまま、しばらくぼんやりとしていた。硬く冷たい岩に一晩中寄りかかっていたせいで、背中も腰もひどくきしむ。膝を抱えた姿勢のまま眠ってしまったらしく、足先から太ももにかけて鈍い痺れが残っていた。手足を伸ばしてみると、あちこちが痛んだものの、思っていたほど身体は重くない。あれだけ疲れていたはずなのに、少し休んだだけで随分と動けそうだった。

 

「……生きてる」

 

乾いた唇から漏れた言葉に、少しだけ安心する。まさか朝起きて最初に自分の生存を確認することになるなんて、昨日までは考えたこともなかった。もっとも、無事に朝を迎えられたからといって、状況がよくなったわけではない。私は相変わらず、どこなのかも分からない土地に一人きりだった。

 

痺れた足を軽く叩いて感覚を戻し、岩陰から出て周囲を見渡す。夜が明けたおかげで、辺りの様子は随分と分かるようになっていた。草原は思っていた以上に広く、その先には巨大な木々が立ち並ぶ森が続いている。反対側には荒れた海が広がり、沖には鋭く尖った黒い岩がいくつも突き出していた。どちらを見ても人の暮らす痕跡はなく、森の奥から時折聞こえてくる物音が、ここに自分以外の何かがいることを教えていた。

 

どうしたものかと考えていると、喉の渇きが気になり始めた。唾を飲み込もうとしても口の中は乾ききっていて、喉には砂を飲み込んだような違和感がある。

 

「水……探さないと」

 

川か湧き水が見つかればいいけれど、ここからでは地形がよく分からない。だからといって、得体の知れない森の中に入るのも、荒れた海へ近づくのも避けたかった。そこで、草原の向こうに見える小さな丘を目指すことにした。あそこなら周囲を見渡せるだろうし、運がよければ水場や人の住んでいる場所が見つかるかもしれない。

 

「……行くしかない、か」

 

自分に言い聞かせ、ナイフを握り直して歩き始める。なるべく見通しのいい場所を選び、背の高い草むらには近づかないようにする。昨日からずっと怖い思いばかりしているけれど、こうして歩いていると、身体が妙に軽いことに改めて気づいた。足場の悪い場所でも簡単にバランスを取れるし、少し大きな岩くらいなら、思い切って飛び越えることもできそうだった。

 

こんなに運動神経がよかった覚えはないのだけれど、一体どうなっているのだろう。まだ自分の身体だという感覚があるだけに、余計に不思議だった。

 

しばらく進んだところで、地面に妙なものを見つけた。草が不自然に押し倒され、その下の土がすり鉢のように大きくへこんでいる。最初は水たまりの跡かと思ったけれど、近づいてみると、深いくぼみの先に三本の爪痕が並んでいることに気づいた。

 

「……え?」

 

足跡だった。しかも、とんでもなく大きい。片足の跡だけで私の身体がすっぽり入ってしまいそうなほどで、三本の指は前を向き、鋭い爪が地面を深くえぐっていた。どれほど大きな生き物ならこんな跡を残せるのか、想像もつかない。けれど、この形には妙な見覚えがあった。

 

「……恐竜?」

 

思わず呟いて、もう一度足跡を見下ろす。恐竜の足跡なら図鑑や博物館で何度も見たことがあるし、『ARK』でも似たようなものを見かけた覚えがあった。でも、目の前にあるのは化石でもゲームの背景でもない。つい最近、何かがここを歩いた証拠だった。

 

足跡は腰ほどの高さがある草を押し潰しながら、森の方から草原を横切り、遠くの岩場まで続いている。あまりに大きな足跡を前にして、私は思わず息を呑んだ。

 

本当に恐竜がいるのだとしたら、もちろん見てみたい。生きた恐竜なんて、子どもの頃から何度夢見たか分からない。でも、だからといって今すぐ出会いたいかと聞かれれば、話は別だった。これだけ大きな足跡を残す生き物が肉食だったら、ナイフ一本の私なんてひとたまりもないだろう。

 

「……今は遠慮したいかなぁ」

 

誰にともなく呟いて、私は足跡から離れた。恐竜探しは、水と安全な場所を確保してからでも遅くはない。そもそも、本当に恐竜だったとして、どうやって身を守ればいいのかも分からないのだ。

 

そのまま丘へ向かって歩いていると、近くの草むらが突然がさりと揺れた。慌てて飛び退き、反射的にナイフを構えたものの、そこから飛び出してきたのは後ろ脚の長い灰色の小さな生き物だった。丸い目でこちらを見つめ、鼻をひくひくさせたかと思うと、驚くほどの距離を一跳びで越えて草原の向こうへ消えていく。

 

「……び、びっくりしたぁ」

 

胸を押さえて息を吐く。ほんの一瞬だったけれど、小さくてちょっとかわいい生き物だった。できればもう少し観察してみたかったものの、何なのか分からない以上、追いかけるわけにもいかない。それにしても、さっきから知らない生き物ばかりだ。恐竜みたいな巨大生物がいるかと思えば、あんな不思議な小動物までいる。本当に、ここはどこなんだろう。

 

そんなことを考えながら、ふと空を見上げた時だった。

 

大きな影が頭上を横切った。

 

「っ!?」

 

とっさに近くの岩陰へ飛び込むと、すぐ後に突風のような風が吹きつけ、草をなぎ倒すほど重たい羽ばたきの音が響いた。頭を抱えたまま息を殺し、音が少し遠ざかったところで、恐る恐る岩の隙間から顔を出す。

 

空には、長い首と巨大な膜の翼を持つ生き物が飛んでいた。朝の光を受けた硬そうな皮膚が鈍く輝き、悠々と大きな円を描きながら上空を旋回している。その姿は、何度も図鑑で見てきた翼竜によく似ていた。

 

「……翼竜?」

 

思わず目を見開いた。図鑑の中でも、ゲームの中でも、何度となく見てきた生き物だ。けれど、あんな大きな翼で実際に空を飛んでいるところなんて、もちろん初めてだった。怖くて岩陰から出られないのに、目だけはどうしても離せない。あの巨大な翼が風を受けて動く様子も、空中で悠々と旋回する姿も、画面の向こうで見ていたものとはまるで迫力が違っていた。

 

「……すごい」

 

自分でも驚くほど小さな声が漏れた。翼竜は何度か上空を旋回すると、そのまま山の向こうへ飛び去っていった。姿が見えなくなるまで見送って、ようやく大きく息を吐く。

 

「……ほんとに、いるんだ」

 

まだ、あれが図鑑で知っている翼竜と同じ生き物なのかは分からない。それでも、あんな生物が実際に空を飛んでいるというだけで、胸がどきどきした。もし、ここに本当に恐竜がいるのなら。もし、『ARK』に出てきたような生き物たちが、当たり前に暮らしているのなら――。

 

そこまで考えて、慌てて首を振った。

 

「……だめだめ。今はそれどころじゃないから!」

 

興奮している場合ではない。さっきの翼竜が戻ってくるかもしれないし、あの巨大な足跡の主だって、近くにいるかもしれないのだ。私はもう一度周囲を確認すると、なるべく草の浅い場所を選んで丘へ向かい始めた。

 

幸い、そこから先は何事もなく進むことができた。途中で何度か立ち止まったものの、丘の斜面に差しかかったところで、ようやく探していたものを見つけた。

 

岩の割れ目から、細く水が湧き出していたのだ。

 

「……水!」

 

思わず駆け寄ると、透き通った水が岩肌を伝い、足元の小さなくぼみに溜まっていた。指先で触れると痛くなるほど冷たい。本当なら煮沸してから飲んだ方がいいことくらい分かっているし、どれだけきれいに見えても安全な水とは限らない。でも、今の私には火も鍋もなく、喉の渇きはとっくに限界を迎えていた。

 

少し迷った末、両手で水をすくって口に運ぶ。冷たい水が喉を通っていくと、乾ききっていた身体に少しずつ潤いが戻ってくるような気がした。わずかに土の匂いはあったけれど、今まで飲んだどんな水よりもおいしく感じる。

 

「はぁ……生き返ったぁ……」

 

夢中で何度か飲んでから、その場にしゃがみ込んだ。ただ水を飲んだだけなのに、こんなに安心するなんて思わなかった。まだ何も解決していないけれど、ひとまず喉の渇きだけはどうにかなったらしい。

 

ついでに顔を洗おうと水へ手を伸ばしたところで、足元の小さな水たまりに自分の姿が映っていることに気づいた。

 

「……あ」

 

そこにいたのは、見慣れた顔をした少女だった。

 

柔らかな栗色の髪は肩に届かない程度の長さで、寝癖なのか、ところどころ毛先が跳ねている。少し土のついた頬に、琥珀色の瞳。いつも鏡で見ていた私の顔であり、『ARK』の画面越しにも何度も眺めてきた姿だった。

 

「……ほんとに、私なんだ」

 

昨日から何度も確かめているのに、まだ実感が湧かなかった。顔も髪も日本にいた頃と大して変わらないのに、着ているものも、身体の動きも、何もかもが違っている。ゲームのキャラクターに自分がそのまま入り込んでしまったような、そんな奇妙な状況だった。

 

もっとも、水面に映っているのは、今にも泣き出しそうな情けない顔をした、いつもの私なのだけれど。

 

なんとなく見ていられなくなって水面から目を逸らし、顔を洗ってから乱れた髪を軽く整える。相変わらず分からないことだらけだけれど、ここまで来たのなら丘の上までは行っておきたい。私は立ち上がると、残りの斜面を登り始めた。

 

そして、ようやく丘の頂上へたどり着いたところで、思わず足を止めた。

 

「…………え?」

 

そこからは、周囲の土地が一望できた。荒れた海と巨大な森、その間に広がる草原。遠くには頂を雲に隠した大きな山も見えていたけれど、そんな景色はすぐにどうでもよくなった。

 

森が途切れた先の、見晴らしのいい崖の上に、大きな建物があったのだ。

 

高くそびえる防壁に、崖に沿って伸びる金属の足場。そして、その中央には巨大な生物が通ることを前提にしたような、とんでもなく大きな門が構えていた。

 

「……建物?」

 

最初は、人がいるのかもしれないと思った。けれど、よく見ると普通の建物とは明らかに違う。防壁の高さは場所によってばらばらで、建物同士をつなぐ足場も、後から無理やり付け足したように見える。最初から計画して建てられた城というより、必要になるたびに建物を増やし、手狭になったらまた拡張してきたような、どこかいびつな造りだった。

 

その形を見ているうちに、胸の奥がどくんと大きく鳴った。

 

「……まさか」

 

覚えている。あの壁を建てたことも、大きな門を追加したことも、何度も襲撃されて壊れたところを修理したことも。最初は小さな拠点だったのに、恐竜たちが増えるたびに広げて、気づけばとんでもない大きさになってしまった。そうやって少しずつ作り続けてきた、あの場所の記憶が次々と蘇ってくる。

 

何度も建て直したせいで形がちぐはぐになった場所も、材料が足りなくて後回しにした部分も、全部覚えていた。遠くから見ただけなのに、どこに何があるのかまで思い出せる。

 

『ARK』で数えきれないほどの時間をかけて作り続けた、私の拠点だった。

 

「……私の、拠点?」

 

口に出した途端、胸の奥から何かがこみ上げてきた。昨日からずっと、知らないものばかりだった。知らない土地に、知らない生き物、知らない空。それなのに、あそこにある建物だけは間違いなく知っている。見慣れた姿がそこにあるというだけで、今まで張りつめていた気持ちが少し緩むような気がした。

 

気づけば、足が崖の方へ向かっていた。

 

「ま、待って、落ち着いて……!」

 

慌てて自分に言い聞かせる。本当に私の拠点なのかは、まだ分からない。見た目が同じだけかもしれないし、中に何がいるのかだって分からない。それでも、確かめずに立ち去るなんてできなかった。

 

もし、あれが本当に私の拠点なら。

 

その中には、もしかしたら。

 

「……みんなも、いるのかな」

 

小さく呟いてから、私は歩く速度を上げた。

 

深い草むらを避け、岩場の陰を回り込みながら崖へ近づいていく。距離が縮まるにつれて建物の大きさがはっきりしてきて、遠くからでも巨大だと思っていた門は、目の前に立つと首が痛くなるほど高かった。

 

門の前には無数の足跡が残っていた。深く土をえぐった三本指の爪痕に、重い尻尾を引きずったような溝。何度も大きな生き物が通ったせいで、地面は硬く踏み固められている。そこに残された跡を見ているうちに、胸の高鳴りがますます強くなっていった。

 

門の表面にも、大きな爪痕がいくつも残っていた。へこんだ部分には別の金属板が打ちつけられ、何度も修理を繰り返したことが一目で分かる。あの傷も知っている。何度も襲われて、そのたびに直した場所だ。

 

きれいな建物ではない。左右の形もちぐはぐで、後から付け足した部分ばかりだった。でも、だからこそ間違えようがなかった。

 

震える手を伸ばして、そっと門に触れる。冷たく、ざらついた金属の感触が手袋越しに伝わってきた。ゲームの中では何度も見ていたはずの門が、今はこんなにも大きく、重たく、確かな形を持って目の前にある。

 

「……本物だ」

 

思わずそう呟いた。ゲームの中にしかなかったはずの建物が、今は確かに存在している。だったら、この門の向こうにいるのも、ゲームの中で何度も一緒に過ごしたあの子たちなのだろうか。

 

「……あの子たちも、いるの?」

 

そう考えた瞬間、門の奥から、ずしん、と地面を踏む重い音が響いた。続いて、硬い爪が石の床をかりかりと引っかく音が聞こえてくる。

 

中に何かがいる。それも、かなり大きな生き物らしい。

 

心臓がうるさいくらいに鳴っていた。怖くないわけではないし、知らない生き物だったらどうしようという不安もある。それでも、ここが本当に自分の拠点なら、その向こうにいるのは、ずっと大切に育ててきたあの子たちかもしれない。そう思うと、逃げるという選択肢はなかなか浮かんでこなかった。

 

迷っているうちに、門のずっと上の方で何かが動いた。大きな影が足元に落ちてきて、反射的に顔を上げる。

 

高い防壁の縁に、巨大な生き物がいた。

 

最初は飾りの石像かと思ったけれど、石像は息をしない。朝の光を受けて、紫がかった深い色の鱗が鈍く輝いている。しなやかな長い首の先には王冠のように張り出した鋭い角があり、その背中には大きな膜の翼が折りたたまれていた。

 

その翼が、ばさりと周囲の空気を震わせながら、ゆっくりと広がっていく。

 

「…………あ」

 

息が止まった。

 

ライトニングワイバーンだった。

 

『ARK』に登場する、強力な飛行生物。何度も画面越しに見てきた姿だから、間違えようがない。首筋からお腹にかけて青白い光が走り、その子が息を吐くたびに、周囲の空気が静電気を帯びたようにぴりぴりと震えていた。

 

本物だ。

 

画面の中では何度も見てきたのに、こうして目の前にすると、想像していたよりずっと大きい。あの口から雷を吐かれたら、ひとたまりもないだろう。実際にその姿を見上げていると、強力な生物だということが嫌でも分かる。

 

けれど、不思議と逃げようとは思わなかった。

 

だって、私はこの子を知っている。

 

何度も名前を呼んだ。何度も背中に乗った。何度も一緒に冒険した。ゲームの中では当たり前のように隣にいて、数えきれないほどの時間を共に過ごしてきた、私の自慢の子だった。

 

からからに乾いた喉から、その名前が自然とこぼれ落ちる。

 

「……シルヴィア?」

 

大きな竜は、じっと私を見下ろしていた。ほんのわずかな沈黙だったはずなのに、返事を待っている時間がひどく長く感じられる。

 

もしかしたら、見た目が似ているだけなのかもしれない。ここが本当に自分の拠点だとしても、目の前にいるこの子まで、私の知っているシルヴィアだとは限らない。そんな不安が胸をよぎったとき、彼女がゆっくりと首を傾げた。

 

そして、まるで私の声を確かめるように、

 

ごろごろと、低く優しい音で喉を鳴らした。




ARKの中でのワイバーンは、二本脚と翼を持つ大型の飛竜です。四足のドラゴンとは区別されており、公式の分類名は「Draconis vipera」とされています。恐竜が多く登場するARKの中では珍しくファンタジー色の強い存在で、外見もいわゆるドラゴンに近い印象があります。
種類はいくつかあり、炎、雷、毒、氷など、それぞれ異なるブレス攻撃を持っています。シルヴィアはその中のライトニング種にあたります。
ゲーム内では非常に危険な生物として扱われており、野生個体は攻撃的で強力です。仲間にするには巣から卵を盗んで孵化させるという、なかなか命がけの手順が必要になります。
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