廃人サバイバー、異世界へ行く   作:ドレットノータス

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遭遇

海は静かだった。 空も静かだった。

 

けれど、私には分かっていた。その静けさは、何もいないからではない。すべて、見られているからだ。

 

調査船は沖合に停まり、小舟が海面へ降ろされていた。波は穏やかに見える。少なくとも、船を拒むような荒れ方はしていない。岩場にぶつかる白い飛沫も、遠目には美しい景色の一部に見えた。

 

だが、その海の下に何がいるのかを、私は知っている。空の上にも何かがいるのだと、正確に姿を見たわけではないが、感覚で分かっていた。

 

ここはもう、王国の海ではない。禁忌の島の海だ。

 

小舟へ乗り移る者達の動きは硬かった。 最初に上陸するのは、王国軍将官、私、護衛兵が数名、教授、記録係、王国支部の神官、それから最低限の船員だ。研究者達の多くは、まず船で待機することになっている。

 

本音を言えば、船に残される研究者達は不満そうだった。だが、岸が安全かどうかも分からない以上、全員を一度に降ろすわけにはいかない。

 

将官は小舟に乗る前、もう一度全員へ命令を確認した。

 

「武器は携行。だが抜くな。構えるな。未知の存在を確認しても、各自判断で動くな。聖女殿の指示を聞け。恐怖で判断を誤るな」

 

短い言葉だった。しかし、その場にいる者達の顔を見れば、誰も軽く受け止めていないことは分かった。

 

護衛兵達は緊張している。船員達は、できることなら船に残っていたいという顔を隠せていない。教授は記録帳を抱えているが、筆を持つ手がいつもより固い。神官は聖印を握りしめ、唇だけで祈りを唱えていた。

 

私も、もう一度言った。

 

「ここから先は、本当にお願いします。驚いても、叫ばないでください。近づいてくるものがいても、先に敵意を向けないでください。怖くても、武器を構えないでください」

 

自分の声が少し震えているのが分かった。けれど、言わずにはいられなかった。

 

「恐怖を感じるのは当然です。ですが、その恐怖を攻撃に変えないでください」

 

将官は静かに頷いた。

 

「心得ています」

 

その返事だけが、今の私にとってわずかな支えだった。

 

 

小舟が岸へ近づいていく。 白い砂浜。黒い岩。濃すぎる緑。遠くに見える、深い森。

 

かつて、私が打ち上げられた海岸に近い場所だった。完全に同じ場所ではないかもしれない。あの時は意識が朦朧としていたし、海岸線を正確に覚えているわけではない。

 

それでも、似ている。 潮の匂い。湿った土の匂い。緑の奥から漂ってくる、濃密な生命の気配。

 

喉の奥が詰まるのを感じた。帰ってきてしまった、と思った。 ただし、今度は一人ではない。王国の人達を連れてきてしまった。

 

小舟の底が、浅瀬の砂に擦れた。 船員が小さく声を上げ、慎重に舟を固定する。護衛兵の一人が先に降りようとして、将官に視線で止められた。

 

将官が、まず周囲を見た。海岸は静かだった。何もいない。少なくとも、見える範囲には。

 

「聖女殿」

 

将官に促され、私は頷き、最初に砂浜へ降りた。

 

――懐かしい。 そう思ってしまった感情に、また胸が痛んだ。

 

怖かった場所。救われた場所。ライラと出会い、ファミリアという言葉を生んだ場所。私が王国へ帰るために、シルヴィアの背に慣れた場所。

 

ここは禁忌の島だ。けれど、私にとっては、それだけではなかった。

 

続いて将官が降りる。護衛兵達が続き、教授と記録係、神官が慎重に足を下ろした。 誰も声を上げない。誰も武器を抜かない。そのことに、私は心から安堵した。

 

まだ何も起きていない。それでも、何かが起きるなら、きっとここからだ。

 

「周囲確認。声は抑えろ」

 

将官が低く命じた。 護衛兵達が散る。ただし、距離は取りすぎない。剣には手を近づけすぎない。視線だけで周囲を探る。

 

教授は砂を見ていた。漂着物、足跡、波の跡、岩場の苔、森へ続く草の折れ方。研究者として見たいものが多すぎるのだろう。しかし、今は勝手に動かない。それだけでも十分だった。

 

私は息を吸い、島の奥を見た。 ライラの家は、ここからすぐ見える場所ではない。だが、道はある。かつて私が助けられ、しばらく滞在した場所へ繋がる道。

 

どう説明するべきか。ライラに、どう伝えるべきか。 そんなことを考えた、その時だった。

 

 

ふいに、陽が陰った。

 

最初に反応したのは、護衛兵の一人だった。彼は空を見上げ、息を呑む。続いて、船員が短く呻いた。教授が顔を上げる。

 

私も、ゆっくりと空を見た。

 

青空を背に、大きな影が降りてくる。 紫がかった鱗。雷を帯びたような翼。身体の内側を流れる青白い光。

 

人々にとっては、聖女を送り届けた竜。記録にない聖竜。守護竜と噂された存在。 そして、私にとっては。

 

「……シルヴィアさん」

 

声に出した瞬間、影が反応した。 空を切る翼の角度が変わる。降下の速度が少しだけ落ちる。だが、それでも王国側から見れば、巨大な飛竜が自分達めがけて降りてくるようにしか見えなかった。

 

調査団の中にざわめきが走る。

 

「あれが……」 「聖女様を運んだ竜……」 「本当に、いたのか」 「聖竜……?」

 

神官が聖印を握りしめ、祈りの言葉を口にしかける。研究者の目が、恐怖と興奮で見開かれた。教授は筆を構えたまま固まっている。

 

将官は即座に低く命じた。

 

「動くな。武器に触れるな」

 

その声に、兵士達が踏みとどまる。よかった。けれど、私にとって本当に大変なのはここからだっ王国のた。

 

「シルヴィアさん、ゆっくりです」

 

私は急いで声をかけた。

 

「ゆっくり、お願いします」

 

シルヴィアは、聞いた。聞いたが、近づくのはやめなかった。 翼を大きく広げ、海岸の砂を巻き上げないように気をつけながら降りてくる。本人としては相当抑えているのだろう。あの練習の日々を思えば、それは分かる。

 

だが、初めて見る王国側の人間にとって、その姿は十分すぎるほど恐ろしかった。

 

翼が風を起こす。砂が軽く舞う。巨大な爪が浜辺に触れ、鈍い音を立てる。青白い光が、鱗の隙間をゆっくり走る。

 

シルヴィアは、私を見つけると、明らかに嬉しそうに喉を鳴らした。その声に、調査団の何人かがびくりと震えた。 竜が、鳴いた。だが、私には分かる。これは威嚇ではない。喜んでいるだけだ。

 

「シルヴィアさん、近いです。まだ近いです」

 

私が言う前に、シルヴィアの顔が迫っていた。 長い首を下げ、鼻先を寄せてくる。まず髪の匂いを嗅ぎ、次に肩のあたり。さらに、私がちゃんと戻ってきたことを確認するように、鼻先で軽く触れてきた。

 

温かい。懐かしい。けれど今は、本当にそれどころではない。

 

「シルヴィアさん、少しだけ、少しだけ離れてください」

 

シルヴィアは一応、顔を少し引いた。そして、すぐまた近づいた。

 

「近いです」

 

また引く。また近づく。

 

「今は説明をしなければならなくて……いえ、嬉しいのは分かりました。私も、また会えて嬉しいです。嬉しいですが、今は本当に少しだけ」

 

シルヴィアは満足そうに喉を鳴らした。私が嬉しいと言ったからだろう。 そのまま翼を少し広げ、半分私を囲うような位置へ立つ。完全に進路を塞がれた。私は額を押さえたくなった。

 

調査団は、言葉を失っていた。 彼らから見れば、聖女が竜に懐かれている。竜が聖女の言葉に反応している。聖女が竜を名前で呼び、竜がそれに応えている。しかもその竜は、明らかに私へ敵意を向けていない。

 

神官は祈りの途中で止まっている。教授は記録しようとして、何から書けばいいのか分からない顔をしていた。

 

将官だけは、青ざめながらも目を逸らさなかった。彼はそれを信仰や奇跡としてではなく、客観的に判断している。これは聖竜というより、私個人を認識している未知の飛行生物だ、と。その判断は、たぶん正しい。

 

「シルヴィアさん」

 

私はもう一度言った。

 

「今、王国の方々が来ています。驚かせないように、お願いします」

 

シルヴィアは王国の人間達をちらりと見た。その視線だけで、護衛兵達が固まる。しかし、すぐ私へ顔を戻した。優先順位は私の方が上らしい。

 

私は胃が痛くなった。 嬉しい。嬉しいのだ。シルヴィアが覚えていてくれたことも、飛んできてくれたことも、こうして気にかけてくれることも。 だが今だけは、もう少し威厳を保っていてほしかった。

 

 

その時、地面が微かに震えた。

 

最初は、シルヴィアが着地した余韻かと思った。だが違う。一定の間隔で、重い震動が近づいてくる。 どこか遠くで、木々が揺れた。森の縁にいた鳥のような何かが飛び立つ。

 

調査団の視線が、一斉にそちらへ向いた。

 

血の気が引くのを感じた。この足音この圧倒的な存在感を私は知っている。

 

「……まさか」

 

森の奥から、巨大な影が現れた。

 

黒に近い巨体。分厚い筋肉。地面を踏みしめる脚。鋭い爪。獣というには大きすぎる顎。既知の大型魔獣と比べることさえ、無意味だと思わせる存在感。

 

カイザーだった。

 

普段は正門付近にいることが多いと聞いていたが、今日はたまたま近くを歩いていたのか、それとも騒ぎに気づいたのか。どちらにしても、最悪のタイミングだった。

 

調査団の空気が、完全に凍った。

 

シルヴィアの時は、まだ驚きと興奮があった。聖女の守護竜、噂の存在、記録にない聖竜。そういう言葉に縋る余地があった。 だが、カイザーにはそれがない。聖なるものだと解釈する余地がない。

 

目の前に現れたのは、ただ圧倒的な生物だった。災厄が、脚を持って歩いてきたような存在だった。

 

教授の筆が止まる。研究者達の興奮が、恐怖に塗りつぶされる。神官は祈りの言葉を忘れたように口を閉ざす。船員の一人が、半歩後ろへ下がった。 護衛兵の一人が、反射的に剣の柄へ手を伸ばしかけた。

 

「動くな」

 

将官の声が飛んだ。怒鳴り声ではない。だが、鋼のように硬い命令だった。

 

「武器に触れるな。命令なしに声を上げるな。構えるな」

 

兵士の手が止まる。将官の額にも、冷や汗が浮かんでいた。 それでも、彼の判断は揺らいでいない。ここで一人でも恐怖に負けて武器を構えれば、全員が死ぬと理解しているのだ。

 

私はシルヴィアの翼に半分囲われたまま、心の底から安堵した。同時に、さらに胃が痛くなった。

 

カイザーは、調査団の少し手前で立ち止まった。巨大な頭が、ゆっくりとこちらを見る。その視線だけで、人間達は動けなくなる。

 

だが、私には分かっていた。たぶん、カイザーも困っているのだ。

 

知らない人間達がいる。けれど、私もいる。私はライラが受け入れた人間だ。なら、この知らない人間達はどう扱えばいいのか。敵なのか、客なのか。近づいていいのか、追い払うべきなのか。 分からないから、立ち止まっている。

 

ただ、それは王国側には絶対に伝わらない。調査団から見れば、圧倒的な巨獣が自分達を見下ろし、次の瞬間にも噛み砕くかどうかを考えているようにしか見えないのだ。

 

「カイザーさん」

 

私は声を出した。声が裏返りそうになるのを、必死に抑える。

 

「大丈夫です。こちらの方々は、私と一緒に来ました。敵ではありません。たぶん。いえ、敵ではありません」

 

最後の言い直しが、自分でも少し情けなかった。

 

カイザーは私を見る。そして、シルヴィアを見る。 シルヴィアは私を半分囲ったまま、何か言いたげに喉を鳴らす。たぶん、自分が先に見つけた、くらいの主張だ。今それは本当にどうでもいい。

 

「シルヴィアさんも、少し下がってください。カイザーさんも、ええと、その、見ているだけでお願いします」

 

自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。 巨大な災厄に向かって、見ているだけでお願いします。王国支部の聖女として、今までで一番意味の分からないお願いかもしれない。

 

それでも、カイザーは動かなかった。攻撃もしてこない。ただ、見ている。調査団にとっては、それだけで十分に恐ろしかった。

 

「……これは」

 

教授が、かすれた声で呟いた。筆は止まり、目はカイザーから離れない。

 

「分類、できるのか」

 

その声には、学術的興奮よりも先に、恐怖があった。 大型魔獣、海棲魔獣、飛竜、守護竜。そういう既存の分類が、目の前の存在を捉えきれない。

 

教授は初めて、少しだけ理解したのだろう。私が詳細を語らなかった理由を。 これは、紙の上で説明できるものではない。見なければ分からないし、見たら見たで、簡単には受け止めきれないのだ。

 

 

その時、さらに悪いことに、周囲の森や空や海が動き始めた。

 

最初は、小さな影だった。海岸の奥、草地の端に、小型の子達が顔を出す。何かあったのか、とでも言いたげに、こちらを見ている。 次に、採取組らしい大きな影が、荷物を持ったまま立ち止まった。木材らしきものを咥えたまま、どうしようかと首を傾げている。

 

別の中型の子が、岩場の向こうから顔を覗かせる。上空では、ワイバーンの影が一つ、二つと円を描き始めた。森の奥には、さらに大きな影が見え隠れしている。 海側では、低い水音がした。何か大きなものが、水面の下で身じろぎした音だった。

 

彼らは攻撃しに来たわけではない。 シルヴィアが来た、カイザーが立ち止まった、私がいる、知らない人間達がいる、何か騒ぎになっている。なら、見に行こう――その程度の、野次馬のようなものだった。

 

リィナがいるから大丈夫そうなのか。そんな空気が、アルカノア側にはあった。 しかし、王国調査団にその空気は伝わらない。

 

彼らから見れば、完全な包囲だった。 陸にはカイザー、空にはワイバーン、目の前にはシルヴィア、周囲には正体不明の生物達。海側にも何かいる。船に戻る道すら、安全とは言えない。

 

しかも、誰も攻撃してこない。ただ見ている。その沈黙が、かえって恐ろしい。

 

護衛兵達の顔色が悪くなる。船員の一人は、完全に唇を噛んでいた。神官は祈りを唱えようとして、声を出すことを恐れている。研究者達は、未知の生物の群れに興奮したいのに、恐怖で足が動かない。

 

将官はその全員を視界に入れていた。彼は冷や汗を流している。だが、命令は揺るがない。

 

「全員、その場を維持。動くな。声を上げるな。武器に触れるな」

 

それは、命令というより命綱だった。

 

私は本当に動きたかった。調査団に説明したい、カイザーに大丈夫だと伝えたい、シルヴィアを下がらせたい、周囲に集まってきた子達に敵ではないと伝えたい。 全部したい。しかし、シルヴィアが近い。あまりにも近い。

 

「シルヴィアさん、今は本当に、少しだけ離れてください」

 

シルヴィアが不満そうに鳴く。

 

「分かりました。分かりましたから。あとでちゃんとお話ししますから。今はまず、皆さんが怖がっているので」

 

シルヴィアが調査団を見る。調査団がさらに固まる。

 

「見ないでください。いえ、見てもいいですが、そんなに近くで見ないでください」

 

胃が痛い。非常に痛い。 カイザーは困って立ち止まり、シルヴィアは嬉しくて私から離れず、周囲の子達は野次馬のように集まっているだけ。アルカノア側に敵意はない。だが、王国側は死を覚悟しかけている。

 

この温度差をどう説明すればいいのか。私が途方に暮れかけた、その時だった。

 

 

森の方から、別の足音が聞こえた。 カイザーほど重くはない。シルヴィアほど派手でもない。

 

だが、その足音を聞いた瞬間、周囲のファミリア達の空気が変わった。

 

シルヴィアが顔を上げ、カイザーがゆっくりそちらを見る。小型の子達が場所を開けるように動き、採取組が持っていた荷物を少し横へずらす。

 

私は、息を呑んだ。

 

ライラが来た。

 

森の縁から現れたのは、年若い少女だった。 王国側の人間達から見れば、あまりにも普通の少女に見えたかもしれない。少なくとも、最初の一瞬は。

 

服装はこの世界のものとは少し違うが、威圧的ではない。手に武器を持っているわけでもない。 ただ、周囲の反応が異常だった。

 

シルヴィアが彼女を見た。カイザーが彼女を見た。周囲に集まっていたファミリア達が、一斉に彼女を意識した。 その瞬間、調査団の誰もが理解した。この少女が、中心なのだと。

 

ライラは状況を見て、少し首を傾げた。私がいて、シルヴィアが私に絡んでいて、カイザーが立ち止まっている。知らない人間達が青ざめていて、ファミリア達が周囲に集まっている。

 

「……リィナ?」

 

ライラが呼んだ。その声は、驚いてはいるが、怒ってはいなかった。 私はようやく救われたような気持ちになった。

 

「ライラさん」

 

「えっと、その人達は?」

 

当然の疑問だった。私はシルヴィアの翼の隙間から、何とか声を出す。

 

「王国の調査団です。私の帰還後、色々ありまして……」

 

本当に、色々ありすぎた。ライラは「色々」がよくわからないような顔をしたが、私が連れてきた人達らしい、ということは理解したようだった。そして、彼らは武器も構えていない。

 

「……お客さん?」

 

ライラが小さく呟いた。私は反射的に頷いた。

 

「はい。たぶん、そうです」

 

ライラは調査団へ向き直った。その瞬間、王国側の緊張がさらに高まった。 ライラは少し考え、ぎこちなく言った。

 

「えっと……ようこそ?」

 

誰も答えられなかった。あまりにも場違いな言葉だったからだ。 ここは禁忌の島。その中心で、年若い少女が「ようこそ」と言ったのだ。

 

「リィナの知り合いなら、お客さん……でいいのかな。ここは、私の家です。遠いところから来たなら、休んでいってください」

 

世界の見方が、少し歪むような瞬間だった。 だが、将官はすぐに判断した。彼は一歩だけ前へ出る。武器には触れず、軍人として、礼を取った。

 

「王国軍を代表し、貴女に感謝を申し上げます。聖女リィナ・エルシア殿を救助し、王国へ帰還させてくださったこと、深く御礼申し上げます」

 

ライラは少し困った顔をした。

 

「倒れていたので。リィナは、帰る場所があるって言っていたので。だから、帰した方がいいかなって」

 

普通のことのように言う。王国側から見れば奇跡の大事件だったが、ライラにとってはそれだけだった。不意に涙が出そうになった。

 

ライラは周囲を見回し、ようやくカイザーが固まっていることに気づいた。

 

「カイザー、大丈夫。リィナの知り合いみたい。だから大丈夫」

 

カイザーは低く喉を鳴らした。それだけで砂が震えた気がして王国側が青ざめるが、カイザーは一歩下がった。 道が、少しだけ開いた。

 

「みんなも、近づきすぎないでね。怖がってるから」

 

ライラが声をかけると、小型の子達が左右へ分かれ、採取組が端へ寄る。上空のワイバーン達が高度を上げ、海側の水音も遠ざかった。

 

包囲が、緩んだ。 この少女の言葉、たったそれだけで。 兵士達の表情が、さらに険しくなる。恐怖だけではない、軍事的な理解が追いついてしまったからだ。この島の脅威は、単に巨大な生物が多いことではない。その中心に、この少女がいることだ。

 

教授は震える手で、ようやく記録帳へ筆を走らせた。

 

「シルヴィア、離れて」

 

ライラに言われ、シルヴィアは不満そうに鳴きながらも少し下がった。私はようやく翼の壁から出られた。

 

「ありがとうございます……」

 

「えっと、ずっとここにいるのも大変だと思うので」

 

ライラは少し考えてから、当たり前のように言った。

 

「座れるところに行きましょう。ご飯も出します」

 

沈黙。この状況で食事。 私の胃が、また痛んだ。

 

しかし、将官は冷静だった。ここで断る方が失礼であり危険だと判断したのだろう。彼は深く一礼した。

 

「ご厚意、感謝します」

 

ライラは少しだけ安心したように頷いた。

 

「じゃあ、こっちです」

 

ライラが歩き出す。それに合わせて、ファミリア達が道を開ける。シルヴィアだけは私の近くに残ろうとして、ライラにもう一度注意されていた。

 

調査団は、動き出した。足取りは重い。だが、進むしかない。 彼らは禁忌の島に上陸した。そこで最初に受けたのは、攻撃でも威嚇でもなく、島の主人によるあまりにも無自覚な歓迎だった。

 

ライラの背中を見つめながら、私は思った。ここからが本番だ、と。 恐怖だけで見させない。敵意に変えさせない。王国の目を連れてきてしまった以上、その目が何を見るのかを、最後まで見届けなければならない。

 

ファミリア達が開けた道の先に、ライラの家が見えてくる。 王国調査団は、言葉を失ったまま、その後を歩いた。

 

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