廃人サバイバー、異世界へ行く   作:ドレットノータス

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第23話 島の主

外へ出ると、宴会場の音が少し遠くなった。

 

扉の向こうでは、まだ調査団の声が聞こえている。船員達の低い笑い声。兵士達の抑えた会話。若い研究者達が何かを聞きたくて仕方がないように小声で話す声。教授がそれをたしなめる声。食器の音。シルヴィアが私の近くで鳴らす、不満げな喉の音。

 

けれど、バルコニーへ一歩出ると、それらは急に薄くなった。

 

代わりに聞こえてくるのは、島の夜の音だった。森の奥で葉が揺れる音。遠くの海が岩場に当たる音。どこか高い場所で翼が風を切る音。そして、もっと遠く、海の下から響くような低い水音。

 

ライラにとっては、もう慣れた家の音なのだろう。けれど、王国軍将官にとっては違う。夜の静けさの中に潜むもの。見えない場所からこちらを見ているもの。海、空、森、門、拠点、そのすべてに存在する圧倒的な気配。

 

禁忌の島は、眠っていない。この家は、静かに息をしている。将官はそう肌で感じているようだった。

 

バルコニーからは、拠点の一部と、その向こうに広がる暗い森が見えた。月明かりに照らされた外壁は、城のようにも、大きな屋敷のようにも見える。

 

ただし、王国の城や屋敷とは根本的に違う。これは人間だけのために作られた場所ではない。

 

大きすぎる門。サイズの違う出入口。高所にある足場。地面に残る巨大な足跡。遠くにうずくまる影。空を巡る翼。

 

そして、その中心で、ライラは手すりに軽く触れながら首を傾げていた。

 

「それで、話って何ですか?」

 

声に警戒はない。ほんの少しだけ不思議そうで、ほんの少しだけ困っている。

 

将官は、その表情をじっと見つめた。

 

年若い少女。王国を相手にしているという自覚があるのかも怪しい。自分がどれほどの戦力を背負っているのか、本当に分かっているのかも分からない。

 

だが、その少女の一言で、カイザーは立ち止まった。シルヴィアは距離を取った。ワイバーン達は降下をやめた。小型の子達は道を開け、採取組は荷を持ったまま止まった。主任と呼ばれた存在は、彼女の言葉に無言で応じた。

 

統制された軍隊ではない。号令で動く兵ではない。けれど、彼らは確かにライラの声を聞いていた。

 

その事実は、王国軍人にとって何より重い。

 

将官は一度、深く息を吸った。

 

「率直に伺います」

 

「はい」

 

ライラは素直に頷く。将官は、遠回しにしなかった。

 

「貴女は、王国を征服する意思をお持ちですか」

 

ライラは瞬きをした。

 

「……はい?」

 

「あるいは、人類そのものを敵と見なすお考えはありますか」

 

夜風が流れた。

 

ライラは、しばらく言葉を失った。

 

王国を征服する。人類を敵と見なす。あまりにも、自分の中になかった言葉だった。

 

考えたことがない。その一言で終わる話のはずなのに、あまりに問いが大きすぎて、逆にすぐ答えられないようだった。

 

ライラが考えているのは、もっとずっと小さくて、もっとずっと近いことだ。

 

今日の食料は足りているか。採取組は無理をしていないか。海の子達は変なものを食べていないか。小型の子達が大きい子の足元に入り込んでいないか。シルヴィアが私に近づきすぎていないか。カイザーが門の前でまた動かなくなっていないか。来客のご飯は足りたか。ビールを出しすぎていないか。私が疲れていないか。

 

それくらいだった。

 

ライラは困ったように言う。

 

「……世界征服、ですか?」

 

「はい」

 

「考えたこと、ないです」

 

将官は黙っている。ライラは、もう少し言葉を探した。

 

「人類を滅ぼす、というのも……どうしてですか?」

 

「貴女にその意思があるかを確認しています」

 

「ないです」

 

今度は、はっきり答えた。

 

「たぶん、じゃなくて、ないです。私は、ファミリア達とここで暮らせれば、それでいいので」

 

夜の海から、低い波音が届く。

 

「ここが安全で、みんなが食べられて、眠れて、外に出たい子は出られて、家にいたい子は家にいられて、帰ってこられれば、それでいいです」

 

ライラは正直に付け加えた。

 

「王国とか、人類とかは……よく分からないです」

 

それは、本音だった。

 

敵意もない。野心もない。支配欲もない。ただ、関心が遠かった。

 

ライラの世界の中心にあるのは、ファミリア達とこの家だった。外の世界は、今はまだ遠くにあるものだ。私が帰る場所。今日来た人達が戻っていく場所。人がいて、国があって、教会があって、色々な決まりがあるらしい場所。でも、そこをどうこうしたいとは思っていない。

 

将官は、その答えを聞いていた。

 

そして、彼なりに理解したようだった。

 

征服という言葉が、彼女の関心の外にある。人類滅亡という言葉にも、憎悪がない。できるかできないかではない。そもそも、する必要がない。

 

この少女にとって重要なのは、この島とファミリア達の平穏。

 

ならば、そこを侵さない限り、王国は生かされる。

 

逆に、そこを侵せば――。

 

将官の脳裏に、これまで見たものが一瞬で浮かんだはずだ。カイザーの圧倒的な存在感。シルヴィアの雷を帯びた翼。海の下で向きを変えた巨大な影。そして、そのすべてが、ライラの言葉に反応する。

 

王国が敵対した場合、勝てるかどうかではない。王国という国家が、その後も王国でいられるかどうかの段階の問題だった。

 

将官は、静かに姿勢を正した。

 

「承知しました」

 

ライラは、何を承知されたのか分からず、少し困った顔をする。

 

「王国軍を代表し、ここに申し上げます。我ら王国は、貴女およびこの島に敵対する意思を持ちません。貴女がこの地に在ることを望む限り、王国はその平穏を侵さぬよう努めます」

 

「ええと……」

 

「必要とあらば、王国は貴女に恭順し、忠誠を示す用意があります」

 

ライラは、完全に止まった。

 

「……忠誠?」

 

「はい」

 

「いや、あの、そういうのは……私は王様じゃないです」

 

ライラは慌てた。

 

その言葉を聞いた将官は、さらに深い誤解へと進みかけた。王を名乗る必要もない。形式的な支配に価値を置いていない。称号や権威に依存しない存在。王という枠組みの外にいるからこそ、より慎重に扱うべき相手なのだと。

 

将官の思考が、さらに一段深い方向へ進みかけた、その時だった。

 

「将官閣下」

 

私はバルコニーの扉を開けた。声は静かだったが、明らかに焦っていた。

 

「何をなさっているのですか」

 

ライラは、助かったという顔で振り向いた。

 

「リィナ」

 

私は一瞬だけライラへ視線を向け、それから将官を見据えた。将官はどこまでも真顔で答える。

 

「王国の生存に関わる確認をしています」

 

頭を抱えたくなった。本当にそうなのだろう。この人はふざけてもいなければ、錯乱してもいない。この島を見て、ファミリア達を見て、ライラを見て、王国が生き残るために最も現実的な対応を考えた結果、こうなっている。

 

だからこそ厄介だった。

 

「確認の結果、王国が忠誠を誓う方向へ進むのは、かなりおかしいと思います」

 

「しかし、聖女殿」

 

「ライラさんは、王国の忠誠など求めていません」

 

すぐに言った。

 

「この方が望んでいるのは、この島とファミリア達の平穏です。王国を臣下にしたいわけでも、人類を滅ぼしたいわけでもありません」

 

ライラも強く頷いた。「はい。そういうのは、よく分からないです」

 

少しだけ息を整える。この場で言葉を間違えれば、王国とライラの関係が妙な方向へ進む。忠誠。恭順。臣下。そんな言葉は、ライラにとって重すぎるし、間違っている。

 

「ライラさん、ライラさんが一番困ることは何ですか。王国や外の人達が、何をしたら困りますか」

 

ライラは少し考えた。今度の問いは分かりやすかったようだ。

 

「ファミリア達を傷つけられたら、嫌です。勝手に入ってきて、みんなを攻撃したり、連れていこうとしたり、変なことをされたら困ります」

 

私は頷く。

 

「では、それをしなければ?」

 

「普通に来るなら、お客さんだと思います」

 

「忠誠は必要ですか」

 

「いらないです」

 

「王国を支配したいですか」

 

「したくないです」

 

「人類を滅ぼしたいですか」

 

「どうしてそうなるんですか」

 

ライラは本気で分からない顔をした。

 

その顔を見て、胸が痛くなった。この少女は、本当にそうなのだ。

 

世界は彼女を禁忌の島の主人として見、王国は未確認の超戦力を背負った存在として扱うだろう。学者達は未知の生態系の中心として見、教会は神学的な意味を与えようとするかもしれない。

 

でも、ライラ本人は、今この瞬間もただ困っている。

 

自分は王ではない。忠誠はいらない。ファミリア達を傷つけないでほしい。普通に来るなら客だと思う。それだけなのだ。

 

私は将官へ向き直った。

 

「将官閣下。必要なのは忠誠ではありません。相互不可侵です」

 

一語ずつ丁寧に置く。

 

「そして、礼節です。ライラさんの家を侵さないこと。ファミリア達を傷つけないこと。王国側が不用意な敵意を向けないこと。逆に、ライラさん側も王国へ敵意を向けない。今必要なのは、その確認です」

 

ライラは頷いた。「はい。それなら分かります」

 

「将官閣下。王国が忠誠を誓うと言えば、ライラさんは困ります。おそらく、その意味も扱い方も分かりません。ですが、攻撃しない、傷つけない、礼をもって接する。そういう話なら、通じます」

 

将官は、しばらく沈黙した。

 

ライラに征服意思は見られない。人類への憎悪もない。だが、ファミリアを傷つければ敵対する可能性が高い。忠誠ではなく、相互不可侵と礼節。確かに、その方が適切だった。

 

将官は深く息を吐き出した。

 

「理解しました。では、先ほどの言を改めます」

 

ライラが少し緊張した顔になる。

 

「王国は、貴女とこの島に対し、敵対の意思を持ちません。貴女の家と、ファミリア達の平穏を侵さぬよう、最大限努めます」

 

ライラは少し考え、「はい」と短い返事をした。「お願いします」

 

将官は深く頭を下げた。

 

私は、ようやく息を吐いた。

 

胃の痛みは消えない。むしろ、別の形で増えた気もする。けれど、最悪の誤解は避けられた。王国がこの場でライラに忠誠を誓い、ライラがよく分からないままそれを受け取るという、そんな事態だけは避けられたのだ。

 

ライラはまだ少し困ったように言った。

 

「えっと、話は終わりですか? じゃあ、戻ります? まだご飯あります」

 

将官は一瞬だけ沈黙し、私は少しだけ笑いそうになった。

 

この少女は本当に変わらない。王国の存亡に関わる確認をされた直後でも、来客の食事を気にしている。

 

将官は、深く頷いた。

 

「戻りましょう」

 

 

三人が宴会場へ戻ると、場の空気はまだ騒がしかった。

 

船員達はビールを名残惜しそうに飲み、兵士達は緊張を残しながらも、食事の温かさに表情を緩めている。若い研究者達は、教授に止められながらも、ファミリア達や食器、倉庫の構造へ視線を向けていた。

 

シルヴィアは、私が戻ってきたことに気づくと、すぐに顔を上げた。近づこうとして、ライラに「待って」と言われ、少しだけしょんぼりしている。

 

私は、それを見て少しだけ安心した。

 

将官の態度は、先ほどよりさらに丁重になっていた。それに気づいた教授が、目を細める。何があったのか、おそらく察したのだろう。教授は小さく私を見たが、私は目を逸らした。説明したくない。本当に説明したくない。

 

将官は宴会場を見渡し、すぐに判断した。ここに長居すべきではない、と。

 

この情報は、一刻も早く国王へ報告しなければならない。滞在が長引けばそれだけ事故の可能性が上がるし、研究者達が好奇心に負ける危険もある。王国としての正式な方針が定まる前に、ここに居続けるべきではないのだ。

 

将官はライラの前へ進んだ。

 

「ライラ殿。本来ならば、さらに確認すべきことは多くあります。ですが、本件は早急に国王陛下へ報告すべきものです。本日は、これにて帰還させていただきたく存じます」

 

ライラは目を瞬かせた。

 

「もう帰るんですか?」

 

その声には、はっきりと残念そうな響きがあった。

 

「ご飯、まだあります。泊まれる場所も、少し用意してたんですけど……」

 

調査団の空気が、また変わる。禁忌の島の主人が、本気で泊まっていけばいいのにと思っている。それは、ありがたいのか恐ろしいのか、誰にもすぐには判断できなかった。

 

胸が痛んだ。ライラは、本当に来客を楽しみにしていたのだ。

 

私が誰かと来るかもしれない。そう思って、座る場所と食事と泊まる場所を準備していた。その善意を、王国側の事情ですぐに終わらせなければならない。

 

「すみません、ライラさん」

 

私は頭を下げた。「王国へ報告しなければならないことが多すぎます」

 

「そっか」

 

ライラは少し寂しそうに頷いた。「リィナも帰る?」

 

「はい。今回は」

 

「また来ますか?」

 

答えに詰まった。来る。おそらく、必ず。王国はこの島を知った。禁忌の島は、もうただの伝承ではなくなった。この先、何度も接触の機会は生まれるだろう。ただ、それが良い形になるかどうかは、まだ分からない。

 

「……来ると思います。ただ、次はもう少し、ちゃんと話してから来ます」

 

ライラは頷いた。「じゃあ、また準備しておきます」

 

その言葉が、胸に刺さった。

 

この島は世界から禁忌と呼ばれ、王国は最重要機密として扱い、軍は敵対を避けるべき戦力として見る。学術院は既存分類を超える未知として記録し、教会は揺れる。

 

だがライラは、次の来客のためにまた準備しようとしている。

 

その温度差が、どうしようもなく大きかった。

 

 

調査団の帰還準備は、慌ただしかった。

 

研究者達は明らかに名残惜しそうだった。「まだほとんど見ていません」「せめて採取組の作業だけでも」「今は帰還が優先です」。教授が制したが、教授自身も表情に名残惜しさを隠しきれていなかった。

 

船員達は早く船へ戻りたがる者と、ビールの樽を名残惜しそうに見る者に分かれた。兵士達は無言で荷物を整えている。彼らは一刻も早く帰りたいだろうが、ここで気を抜けば最後に事故が起こると理解していた。

 

神官は、最後まで祈りの言葉を選びかねているようだった。この場所を、何と呼べばよいのか。聖なるものか。禁忌か。魔の巣か。それとも、ただの家か。答えは出ていない。

 

ライラは、残った食事を見て少し考えた。「持って帰りますか?」

 

船員達の顔が少し明るくなる。将官は一瞬迷ったが、丁重に受けた。「可能であれば、少量を」

 

研究者達の目が輝き、教授が咳払いした。「食用として、です。分析用ではありません」

 

「教授」

 

「分かっています。半分は食用、半分は記録用に……」

 

「教授」

 

私が低く言うと、教授は少しだけ目を逸らした。

 

ライラはよく分からないまま、保存できそうな食べ物を少し包んだ。主任が無言で布と箱を用意する。調査団はそれを見て、また固まる。どこまでも手際がよく、どこまでも生活感がある。

 

禁忌の島の恐ろしさは、単に怪物がいることではなく、怪物と呼ばれる存在達が、生活の中にいることだった。

 

やがて、調査団は拠点を出た。

 

ファミリア達が、また道を開ける。小型の子達が遠巻きに見、採取組は荷物を運びながら時折こちらを見る。上空にはワイバーン。シルヴィアは私の近くにいたがって、何度もライラに注意されている。カイザーは離れた場所で静かに見守り、海側からはモサ達の気配がする。

 

調査団は、来た時よりも落ち着いていた。だが、恐怖が消えたわけではない。むしろ、理解したからこそ怖くなった部分もある。

 

この島は、ただ危険なだけではない。生活し、意思疎通し、来客をもてなし、必要なら世界を滅ぼし得る力を抱えたまま、日常を送っている。それが、恐ろしい。だからこそ敵対してはならないのだ。

 

海岸まで戻ると、小舟が準備された。

 

ライラは波打ち際まで見送りに来た。

 

「気をつけて帰ってください。また来るなら、先にリィナに言ってください。準備するので」

 

将官は深く礼をした。「ご厚意、感謝します。次に伺う際は、必ず正式な手順を踏みます」

 

ライラは少し安心したように頷いた。

 

私は、最後にライラへ向き直る。

 

「ライラさん」

 

「うん」

 

「今日は、本当にありがとうございました」

 

「こっちこそ、来てくれてありがとう」

 

また胸に刺さる。少しだけ笑った。

 

「また、来ます」

 

シルヴィアが私へ顔を寄せた。「シルヴィアさん、また」

 

私が鼻先に軽く触れると、シルヴィアは名残惜しそうに喉を鳴らした。カイザーは遠くから見ている。小型の子達も、採取組も、ワイバーン達も、それぞれの距離で見送っていた。

 

私は小舟へ乗った。調査団も続く。小舟が岸を離れる。

 

ライラは手を振っていた。

 

その表情を見て、改めて思った。

 

あの人は、本当に王国をどうこうするつもりなどない。ただ、家に来た客が早く帰るのを寂しがっているだけなのだ。

 

 

帰路は、静かだった。

 

行きと同じように、何も起きなかった。だが、調査団の誰もがもう理解していた。何も起きないことは、安全を意味しない。見逃され、許されているだけだ。

 

海の下にも空の上にも何かがいて、私がいるから通してもらえている。その事実を、今度は多くの者が感覚で理解していた。

 

船員達は無駄口を叩かず、兵士達も緊張を保っている。研究者達は記録をまとめようとしているが、何度も手が止まる。教授は甲板で海を見ていた。

 

「紙に書くには、あまりにも大きすぎる」

 

そう小さく呟いた。私は隣で聞いていたが、何も言わなかった。

 

将官もまた、ずっと黙っていた。おそらく、帰還後の報告内容を整理しているのだろう。

 

禁忌の島は実在した。島には主人がいた。主人に現時点で外界への敵意は見られない。しかし、その周囲に存在する戦力は、王国の想定を大きく超える。敵対は避けるべき。接触は慎重に。詳細は厳重に管理。そして、忠誠ではなく、相互不可侵と礼節。

 

私は、船の縁から遠ざかる島を見つめた。もう見えない。それでも、あそこにはライラがいる。ファミリア達がいる。あの家がある。

 

王国へ帰れば、すぐに報告が始まる。世界が動き出す。そう思うと、胃が痛んだ。けれど、もう止まらない。

 

 

王国へ戻ると、調査団はすぐ王宮へ向かった。

 

将官はその日のうちに王宮へ緊急報告を上げ、私も同行を求められた。教授もまた、学術院代表として呼ばれた。

 

報告の場には、国王がいた。宰相、軍上層部、王国支部の高位聖職者、学術院の代表、記録官。限られた者だけが、その部屋に入ることを許されていた。

 

扉が閉ざされ、外の音が消える。

 

将官は、王の前で深く頭を下げた。

 

「報告いたします。禁忌の島は、実在しました。島には主人がいます。聖女リィナ・エルシア殿を救助した人物と同一と見てよいでしょう。その周囲には、既知の分類と戦力評価を大きく超える存在群がいます。地上、空中、海中、いずれにも確認または強く推定される脅威があります。敵対は避けるべきです。王国軍単独での制圧は現実的ではありません。仮に大規模戦力を投じても、失敗した場合、王国本土への報復を防げる保証はありません」

 

宰相が静かに息を吸い、高位聖職者は唇を引き結んだ。

 

教授が補足に立つ。

 

「学術院としても報告します。島で確認された存在群には生活圏がありました。役割分担が見られ、採取、整理、見回り、食事といった行動を行っています。単純な魔物の群れではありません。島の主人との間に意思疎通らしきものが確認されており、支配でも野生でもない関係が見られます。現時点では、聖女リィナ殿が用いた『ファミリア』という語が、最も誤解が少ないと考えます」

 

その言葉を聞いて、私は少しだけ胸を押さえた。教授が、あの言葉を採用してくれた。恐怖だけで呼ばないための言葉を。

 

国王の視線が私へ向く。

 

「聖女リィナ」

 

「はい」

 

「あなたの所見を」

 

私は一歩前へ出た。

 

「島の主人に、現時点で外界への敵意はありません。少なくとも、私が見た限りでは、王国を征服する意思も、人類を滅ぼす意思もありません。ですが、ファミリア達を傷つけることは絶対に避けるべきです。あの方にとって、彼らは戦力ではなく、家族に近い存在です。あの島に必要なのは、忠誠ではありません。相互不可侵と礼節です」

 

将官が、静かに頷いた。

 

「島の主人は、自らの家とファミリア達の平穏を望んでいます。そこを侵さない限り、対話は可能だと思います」

 

国王はしばらく沈黙した。部屋の誰もが、その沈黙を待つ。

 

やがて、国王は言った。

 

「名は」

 

私は、一瞬だけ目を伏せた。

 

「ライラ、と」

 

その名が、王宮の最奥で初めて記録された。

 

「ただし」

 

私はすぐに続けた。

 

「その名、姿、年齢、性質、ファミリア達の詳細は、絶対に外へ出すべきではありません」

 

将官も同意した。民衆に流せば信仰や恐怖が暴走し、他国へ漏れればあらゆる不穏な動きが発生するからだ。教授も頷き、不用意な情報公開は島への無礼であり、王国にとっても危険だと反対した。

 

国王は静かに目を閉じた。

 

禁忌の島は実在した。島には主人がいる。その主人は敵意を示していないが、敵対すれば王国の存続が危うい。

 

けれど、隠しきるにはすでに事態が大きくなりすぎている。聖女リィナの帰還。聖竜の噂。海域異変。調査団の出航。沿岸部の伝承。他国や教会がいずれ嗅ぎつける可能性。王国が先に公式見解を出さなければ、噂と憶測が先に世界を動かす。

 

「発表する。禁忌の島の実在と、島に主人がいることのみを。詳細は最重要機密とする。島の主人の名、姿、能力、ファミリアの詳細、戦力規模、聖女リィナとの関係、帰還時の飛竜、海域の存在、拠点の構造。すべて伏せる。王国としての基本方針は、接近禁止。無許可の航行禁止。敵対回避。接触は王国の管理下でのみ行う」

 

将官が深く頭を下げ、私も胸の奥で小さく息を吐いた。

 

世界は知る。禁忌の島が実在したことを。そこに主人がいることを。

 

だが、まだ知らない。その主人が、来客がすぐ帰ってしまったことを残念がるような少女であることを。

 

 

王国の発表は、数日のうちに整えられた。

 

文面は慎重に練られ、余計な情報は徹底的に削られた。信仰的解釈も軍事的脅威の誇張も避け、事実だけが示された。

 

――王国は、古くより禁忌海域として伝承されてきた海域に、島の実在を確認した。当該島には明確な意思を持つ主人が存在する。王国は当該存在と接触済みであり、現時点で王国に対する敵対意思は確認されていない。ただし、当該海域は極めて危険であり、許可なき接近を固く禁ずる。詳細は厳重に管理する。

 

その発表は、王国中を揺らした。沿岸部の人々は震え、漁師達は禁忌を改めて語り合った。王都では噂に尾ひれがついて広がり、教会は慎重な声明を出した。学術院には問い合わせが殺到し、軍は沿岸防衛体制の見直しを始めた。他国にも当然のように情報は届く。

 

世界は、その事実を知った。

 

 

同じ頃。

 

禁忌の島。後にアルカノアと呼ばれることになるその場所で、ライラは宴会の後片づけをしていた。

 

皿をまとめ、余った食事を確認し、ビールの樽を倉庫へ戻し、使った布を分ける。主任が黙々と手伝ってくれ、小型の子達が足元をうろうろして時々邪魔になる。

 

シルヴィアはリィナがいないことに不満そうに鳴き、カイザーはいつもの場所へ戻っていた。海からはモサ達の気配がし、空にはワイバーン達が飛んでいる。採取組は、もう普段の作業に戻り始めていた。

 

日常が戻ってきていた。

 

来客は、すぐに帰ってしまった。

 

ライラは、空になった皿を見て、少しだけ頬を膨らませた。

 

「もう少し、ゆっくりしていけばよかったのに。また来るって言ってたから、その時はもう少しちゃんと準備しようね」

 

主任が片手を上げ、ライラは少し笑う。

 

「うん。主任も手伝ってね」

 

小型の子が足元で鳴き、遠くでカイザーが低く息を吐く。海の方から、ゆっくりと波の音が届く。

 

世界がこの島の実在を知ったその日。禁忌の島に主人がいると、王国が全世界へ告げたその日。

 

その主人は、ただ初めての来客がすぐ帰ってしまったことを残念がっていた。

 

世界は、禁忌の島の実在を知った。そこに主人がいることを知った。

 

けれど、その主人が何を望み、何を大切にしているのかを、世界はまだ誰も知らなかった。




ここで第一部完結です。
一つの区切りということで、質問や短編リクエストなどもあれば受け付けています。

「このキャラのここが気になる」
「ファミリア達の日常を見たい」
「リィナ視点であの場面を読みたい」
「シルヴィアやカイザーの小話が見たい」
など、気軽に書いていただけると嬉しいです。

第二部の合間や番外編として、書けそうなものがあれば拾っていきたいと思います。


質問に関しては、なんでも受け付けてますが、以降のネタバレに関するものは反応しないのでよろしくお願いします。
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