廃人サバイバー、異世界へ行く   作:ドレットノータス

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第二部
世界の反応


王国の発表は、短かった。

 

 余計な言葉はすべて削られていた。信仰を煽る表現も、恐怖を増幅させる表現も、軍事的な誇示もない。ただ、王国として確認した事実と、民に対する禁止事項だけが、硬い文章で並べられていた。

 

 古くより禁忌海域として伝承されてきた海域に、島の実在を確認したこと。

 

 当該島には、明確な意思を持つ主人が存在すること。

 

 王国は当該存在との接触に成功したこと。

 

 現時点において、王国への敵対意思は確認されていないこと。

 

 ただし、当該海域は極めて危険であり、許可なき接近を固く禁ずること。

 

 詳細は王国および関係機関において厳重に管理されること。

 

 それだけだった。

 

 島の正確な場所は書かれていない。主人の名前も、姿も、種族も、性別も、年齢も、何一つ明かされていない。島に何がいたのかも、王国が何を見たのかも、どうやって接触したのかも、どのような会話が交わされたのかも、すべてが伏せられていた。

 

 だからこそ、人々はその空白を見た。

 

 禁忌の島。

 

 主人。

 

 接触に成功。

 

 敵対意思は確認されていない。

 

 その文字列だけが、王都の朝に落とされた。

 

 ◆

 

 後に報告として聞いた話では、最初に足を止めたのは、掲示板の前を通りかかった商人だったらしい。

 

 荷を運ぶ途中だった彼は、何気なく布告を読み、途中で眉をひそめたという。

 

「……主人?」

 

 隣にいた別の男が、怪訝そうに顔を上げる。

 

「何だ、新しい税でも増えたか」

 

「いや、違う。禁忌海域に島があるとよ」

 

「禁忌海域?」

 

 その言葉に、周囲の数人が振り返った。

 

 行ってはならない海。

 

 戻らない船。

 

 霧の向こうに消える帆。

 

 海の下を通る大きすぎる影。

 

 船を食う島。

 

 昔話だと笑っていたものが、王国の正式な布告として姿を現した。

 

「島が、実在した……?」

 

「しかも主人がいるって、どういう意味だ。人が住んでいるのか?」

 

「いや、禁忌の島だぞ。普通の人間なわけがないだろ」

 

「古代の王かもしれない」

 

「神の使いでは」

 

「魔王ではないのか」

 

 誰かがその言葉を口にした瞬間、掲示板の前の空気が少し重くなったという。

 

 魔王。

 

 王国の布告には、そんな不穏な言葉は一つもなかった。

 

 けれど、正体の分からないものを、人は知っている言葉へ押し込めようとする。

 

 禁忌の島にいる、主人。

 

 その曖昧さが、人々の想像をかえって激しく刺激していた。

 

 ◆

 

 港町では、布告は王都よりも早く、深く、人々の肌に染み込んだらしい。

 

 港の掲示板の前には、漁師、船乗り、荷役、商人、港湾役人が集まっていたという。

 

 彼らは海を知っている。

 

 海の恵みも、海の機嫌も、海に飲まれることの恐ろしさも知っている。

 

 だから、禁忌海域という文字を見た時、笑う者は一人もいなかった。

 

「だから言ったんだ」

 

 年老いた漁師が、低く呟いた。

 

「あの海に近づくなってな。じいさんの代から言われてた。霧が出たら帆を畳め。海が静かすぎる日は、逆に近づくな。帰ってきた船はない」

 

 若い船乗りが、布告を睨むように見上げる。

 

「でも、王国は行ったんだろ。接触に成功したって書いてある」

 

「だから恐ろしいんだろうが。王国が見つけちまった。島だけじゃない、主人までいるってよ。海が主と認めるような何かなら、俺達が知っていい相手じゃねえ」

 

 港に、潮風が吹いた。

 

 普段なら魚や縄の匂いが混じるだけの風が、その日だけは妙に冷たく感じられたと、後に船乗りの一人が語った。

 

 酒場では、昼前からその話で持ちきりになった。

 

「王国はその主人と密約したんじゃないか」

 

「禁忌の島を押さえれば、新しい航路を独占できるぞ」

 

「馬鹿言え。許可なき接近を禁ずるって書いてあるだろ。つまり王国も手を出せないんだ」

 

「なら、なんで敵対意思がないなんて書く?」

 

「敵対されたら、国が滅ぶ相手だからだろ」

 

 笑い声は少なかったという。

 

 酒場でさえ、その日は冗談が長く続かなかった。

 

 ◆

 

 王立学術院では、布告は別の意味で火をつけた。

 

 私はその日、直接学術院にはいなかった。

 

 けれど後日、教授から聞いた話と、王宮に上がってきた報告を合わせると、だいたいの様子は想像できた。

 

「禁忌伝承が現実だったのか!」

 

「島の主人とは、支配的知性を持つ個体か。それとも群体の中心か」

 

「接触に成功したなら、言語は通じたのか。敵対意思が確認されていないということは、高度な意思疎通が成立したという意味ではないのか」

 

 研究者達は次々に言葉を重ねたらしい。

 

 発表文は短い。

 

 けれど、その短さそのものが、彼らの抑えきれない想像を刺激した。

 

 ある者は地理学の棚へ走り、ある者は古い沿岸伝承の写本を引っ張り出した。

 

 そして当然、現地調査の申請話が持ち上がった。

 

 だが、学術院の中で、あの島に同行した老教授は布告の写しを前に長く黙っていたという。

 

 彼は見ていた。

 

 あの島の浜辺で、雷を帯びた飛竜が私に絡む姿を。

 

 災厄のような巨体が、ただ困ったように立ち止まる姿を。

 

 小型の生き物達が野次馬のように集まる姿を。

 

 そして、その中心に立つ年若い少女を。

 

 布告の中では、彼女は「島の主人」になっていた。

 

 間違いではない。

 

 けれど、あまりにも足りない。

 

 教授は、机の上に置かれた封印済みの記録に視線を落としたという。

 

 書きたいことは、山ほどある。

 

 だが、書いたものを誰に見せるべきかは、全く別の問題だった。

 

 ◆

 

 教会では、布告を読んだ聖職者達の反応はさらに複雑だった。

 

 それは私自身が、王国支部に戻ってから肌で感じたことでもある。

 

 行方不明だった聖女が、竜のような存在に乗って帰還した。

 

 その少し後、王国は禁忌の島の実在と、島の主人の存在を発表した。

 

 関係がないと考える方が難しかった。

 

 しかし、王国支部は詳細を語らない。

 

 私も語らない。

 

 王宮も、学術院も、軍も、何かを知っているはずなのに、そろって口を閉ざしている。

 

「聖女様は、そこで何を見たのか」

 

「竜は何だったのか」

 

「島の主人とは、神の光が届かぬものなのか」

 

 誰も、答えを持っていなかった。

 

 そして、その答えを知っている私は、口を閉ざすしかなかった。

 

 ◆

 

 王宮は、発表の直後から混乱の中心になった。

 

 発表文が短かったからこそ、周辺諸国からの問い合わせが殺到したのだ。

 

 王宮の会議室では、国王、宰相、外務担当、王国軍将官、情報機関の者、王国立学術院の教授、王国支部の高位聖職者、そして私が顔を揃えていた。

 

 机の上には、各国から届いた外交文書が山のように積まれている。

 

「周辺国は、王国が島の主人と密約を結んだ可能性を疑っています」

 

 外務担当が書類をめくりながら言った。

 

「商業都市連盟は海路への影響を気にし、帝国は戦力評価について探りを入れてきています」

 

「法国は」

 

 国王が短く問う。

 

 王国支部の高位聖職者が、静かに顔を上げた。

 

「まだ正式な反応はありません。ただ、聖座が静観するとは思えません。禁忌の島は教会伝承にも深く関わります。王国が先に接触し、詳細を伏せていることを、快くは受け取らないでしょう」

 

 国王は、しばらく黙っていた。

 

 会議室の隅で、私は手を膝の上に置いたまま背筋を伸ばしていた。

 

 表情は整えている。

 

 けれど、指先には微かに力が入っていた。

 

 答えれば、ライラさんが晒される。

 

 ファミリア達が、研究、恐怖、利用、討伐の言葉の中へ引きずり出される。

 

 私は、その圧倒的な危険を知っていた。

 

 将官が口を開いた。

 

「陛下。改めて申し上げます。あの島とは、絶対に敵対すべきではありません。我々が確認した範囲だけで、王国の通常戦力では対応不可能です。敵対した場合、王国が国家として存続できるかを考える段階にあります」

 

 その声は、いつものように冷静だった。

 

 だが、そこには実際に見た者だけが持つ重さがあった。

 

 教授が続ける。

 

「学術的にも、既存の分類では不十分です。彼らには確かな生活圏があり、役割分担があり、意思疎通がありました。記録は厳重に封印し、閲覧者を制限すべきです」

 

 その言葉に、私は少しだけ驚いた。

 

 教授は知りたい人間だ。

 

 見たい、記録したい、分類したいという欲求は誰よりも強いはずだ。

 

 それでも彼は、近づけてはいけないと正しく理解している。

 

 王国支部の高位聖職者が、静かに言った。

 

「信仰上の問題も避けられません。聖女リィナの帰還、守護竜の噂、禁忌の島の実在。これらが民の間で結びつけば、教会内でも解釈が割れます」

 

 胸が、少し痛んだ。

 

 守護竜。

 

 聖竜。

 

 禁忌の島。

 

 主人。

 

 どれも少しずつ事実に触れている。

 

 けれど、正しくはない。

 

 シルヴィアさんは、私を王国へ送ってくれた。

 

 でも、宗教的な意味での聖竜ではない。

 

 ライラさんは、島の主人と呼ばれることになった。

 

 けれど、本人は王でも魔王でもなく、ただファミリア達と暮らしている少女だ。

 

 そのずれが、世界の中で膨らんでいく。

 

 国王は、全員の言葉を聞き終えると、静かに目を伏せた。

 

 長い沈黙の後、重々しく口を開く。

 

「あの島を手に入れるのではない。あの島に手を出さぬ国であり続けるのだ」

 

 国王の声は低く、重い。

 

「欲を出せば滅びる。恐怖で動いても滅びる。ならば、王国が選ぶべきは、知った上で踏み込まぬことだ」

 

 将官が深く頷き、教授も静かに頷く。

 

 私は、その言葉に胸の奥で少しだけ息をついた。

 

 王国は、少なくとも今は、ライラさんの家を奪おうとしていない。

 

 それだけで、ほんの少しだけ救われた気がした。

 

「リィナ・エルシア」

 

 国王に名を呼ばれ、私は顔を上げた。

 

「あなたには、今後も保護をつける。あなたが知るものは、すでに個人の記憶で済む段階を超えている。王国支部、王宮、学術院、軍、すべてから質問が行くだろうが、答える範囲は厳重に定める」

 

「承知しております」

 

 頭を下げた。

 

 守られている。

 

 同時に、囲われている。

 

 それを理解しながら、拒むことはできなかった。

 

 ◆

 

 王国支部へ戻った私の日常は、表面上は以前と変わらなかった。

 

 地方教会の報告書に目を通し、施療院からの相談に返答し、神聖術の運用改善に関する質問状に答える。

 

 いつもの仕事だ。

 

 けれど、そこに重なる視線が完全に変わっていた。

 

 私の執務机の横には常に護衛がつくようになり、外出には事前確認が必要になった。

 

 面会は厳重に制限され、手紙もすべてがそのまま私の手元に届くわけではなくなった。

 

 自分は、禁忌の島から帰ってきた聖女になってしまったのだ。

 

 まだ、魔女とは呼ばれていない。

 

 誰も公然と責めてはいない。

 

 むしろ多くの人は、奇跡の生還者として見ている。

 

 けれど、視線が変わっている。

 

 廊下ですれ違う若い聖職者が、何かを聞きたそうに口を開きかけて閉じる。

 

 施療院の者が、私の体調を案じながらも、その背後にある島の話を知りたがる。

 

 王国支部の書記官が、聖竜に関する問い合わせを持ってきて、申し訳なさそうな顔をする。

 

 中には、聖竜の加護を受けた聖女に祈ってほしい、と願う者までいた。

 

 そのたびに、丁寧に否定しなければならなかった。

 

 自分は特別な加護を得たわけではない、と。

 

 そう言えば言うほど、人々はますます、何か重大な秘密があるのだと感じるようだった。

 

 疲れ切っていた。

 

 身体ではなく、言葉を選び続けることに。

 

 夜、王国支部の自室に戻ると、部屋はひどく静かだった。

 

 窓の外には、王都の灯りが見える。

 

 そのさらに遠く、海の向こうに、あの島がある。

 

 私は、窓辺に立った。

 

 目を閉じると、ライラさんの顔が鮮やかによみがえる。

 

 困ったように首を傾げる姿。

 

 初めての来客が早く帰ってしまい、少し残念そうにしていた声。

 

 シルヴィアさんが近すぎると注意されてしょんぼりする姿。

 

 カイザーさんが遠くで静かに立っていた姿。

 

 主任が無言で素材を整理していた姿。

 

 あの場所は、恐ろしかった。

 

 今でも怖いものはある。

 

 けれど、それだけではなかった。

 

 確かな、ライラさんとファミリア達が暮らす家だった。

 

 今、世界はその場所を禁忌の島と呼び、恐るべき主人がいると噂している。

 

 誰も、そこにいるのがどんな少女なのかを知らないまま。

 

 私は胸元の聖印に触れた。

 

「どうか……」

 

 声は小さかった。

 

「どうか、恐怖だけで語られませんように」

 

 祈りは、部屋の静けさに溶けていった。

 

 王国を止めることはできない。

 

 ならば、せめて世界が、あの島を恐怖だけで塗り潰さないように。

 

 私が、言葉を尽くすしかないのだ。

 

 ◆

 

 王国の外でも、波紋は広がっていた。

 

 それは王宮へ届く報告書の量を見れば、嫌でも分かった。

 

 周辺の小国では、王国が島の主人と密約を結んだのではないかという疑念が広がっているらしい。

 

 商業都市連盟では、危険な海域と未知の資源、航路、交易の可能性が同時に語られているという。

 

 ただし、王国が接近禁止を出した以上、表向きは静観する構えだった。

 

 報告書の中には、商人の言葉として、こう記されていた。

 

 商機より先に、生存を考えるべき案件だ、と。

 

 帝国では、発表文が冷徹な軍事資料として扱われていた。

 

「王国が詳細を伏せているのは、詳細を公開すれば混乱が起きるほどの圧倒的なものを見たからだ。海上・飛行戦力を考慮し、情報を得る必要がある」

 

 そんな分析が、王国へも伝わってきた。

 

 地図の上で、禁忌海域が不気味な赤で囲まれていく。

 

 だが、そこへ向かう矢印はまだ引かれない。

 

 誰もが、様子を見ていた。

 

 学者達は各地で古い伝承を掘り返し、沿岸漁村では老人達が昔話を語り直しているという。

 

 あの海には近づくな。

 

 夜に海が鳴いたら、その方角へ網を投げるな。

 

 そこでは魚ではなく船が釣られる。

 

 大きすぎる影が海の下を通る。

 

 帰ってきた船はない。

 

 昔なら、子供を怖がらせるための話として笑われたかもしれない。

 

 だが、王国が島の実在を認めた後では、もう笑えなかった。

 

 古い戒めは、再び戒めとしての重さを取り戻していく。

 

 世界は、ライラさんを知らない。

 

 だから、世界は勝手に都合の良い物語を作り始めた。

 

 古代の王。

 

 魔王。

 

 神の使い。

 

 災厄の化身。

 

 未知の支配者。

 

 竜や海の怪物を従える存在。

 

 その空白が、恐怖を育てていた。

 

 ◆

 

 そして、法国の聖都にも、王国の発表は届いた。

 

 その場に私がいたわけではない。

 

 けれど、後に王国支部へもたらされた報告と、法国から漏れ聞こえてきた不穏な空気によって、何が起きたのかは少しずつ分かっていった。

 

 白い石で築かれた大聖堂。

 

 朝の光を受けて静かに輝く尖塔。

 

 色鮮やかなステンドグラス。

 

 祈る巡礼者達。

 

 見えるものだけなら、そこは平和そのものだったはずだ。

 

 だが、聖座の奥へ届いた一枚の発表文が、その静けさを不気味に揺らした。

 

 高位聖職者達は、その写しを前に深く沈黙したという。

 

「王国は、意図的に詳細を伏せています。当然でしょう、情報を独占しようとしている」

 

「問題は、そこに何がいるかです。主人、という表現が気になりますな」

 

「人間なのか。人間が、禁忌の島の主人であり得るのですか」

 

 その問いに、深い沈黙が落ちた。

 

 禁忌の島が実在した。

 

 その事実は、聖座の秩序を揺るがすものだった。

 

 古い文書の中で、そこは神の光が届かぬ場所、触れてはならぬ災厄の地とされているからだ。

 

 別の聖職者が、低く、冷徹な声で言ったという。

 

「聖女リィナ・エルシアの帰還と関係があるのは、もはや疑いようもありません。王国支部の聖女が、正典にない竜と共に帰還し、禁忌の島の主人と関わっている可能性がある。これは、聖座にとって看過できない重大な問題です」

 

 私の名が出た。

 

 その報告を聞いた時、胸の奥が冷たくなった。

 

 リィナ・エルシア。

 

 王国支部所属の若き聖女。

 

 孤児出身でありながら、神学校で功績を挙げ、卒業と同時に聖女の称号を得た例外的な存在。

 

 神聖術の研究者としても名を知られ、各国研究機関との繋がりもある。

 

 その私が、禁忌の島と関わっている可能性がある。

 

 聖座にとって、それは無視できる話ではなかった。

 

「王国へ正式な照会を送るべきです」

 

「照会だけで足りますか」

 

「各地の信徒は不安を抱きます。禁忌の島が実在したとなれば、教会として解釈を示さねばなりません」

 

「しかし、王国が情報を伏せたままでは判断できません」

 

「ならば、知る必要があります」

 

 白い石の壁に、声が低く反響した。

 

 聖堂の外では、鐘が鳴っている。

 

 巡礼者達は祈り、子供達は笑い、施療院では今日も誰かが癒やされている。

 

 だが、聖座の奥では、別の空気が満ち始めていた。

 

 一人の高位聖職者が、静かに立ち上がった。

 

「緊急会議を招集します」

 

 その声に、部屋の全員が顔を上げる。

 

「枢機卿以上、全員です」

 

 誰も反対しなかった。

 

 発表文は、机の上に置かれたままだった。

 

 短い文面。

 

 伏せられた詳細。

 

 そして、そこに記された一つの言葉。

 

 主人。

 

 誰かが、小さく呟いたという。

 

「主人、ですか」

 

 その言葉は、聖堂の奥の静けさに沈んでいった。

 

 やがて、別の声が低く続いた。

 

「ならば我々は、その正体を知らねばなりません」

 

 白い聖都の空に、鐘の音が響いていた。

 

 まだ、聖戦は始まっていない。

 

 まだ、断罪の言葉も下されていない。

 

 まだ、私の名は罪として語られてはいない。

 

 けれど、世界は確実に動き始めていた。

 

 禁忌の島は実在した。

 

 そこには主人がいる。

 

 その主人が、ただファミリア達と静かに暮らしたいだけの少女であることを、世界の誰も、まだ知らないまま。

 

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