廃人サバイバー、異世界へ行く   作:ドレットノータス

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全会一致

光裁の壇は、焼け焦げていた。

 

白い石で組まれていたはずの壇は、中央から裂けるように崩れている。支柱は黒く焼き切れ、敷かれていた白布は半分以上が灰になっていた。聖印を刻んだ飾り板は砕け、焦げた破片が石畳の上に無惨に散らばっている。

 

祈りの言葉が記された布片が、風に寂しく揺れていた。

 

魔に触れた魂を光へ返すための神聖な場所。

 

そう説明されていた壇は、今や圧倒的な破壊の痕跡でしかなかった。

 

広場には、まだ生々しい血の跡が残っている。

 

負傷者はすでに運び出されていたが、治療術士達が何度も行き来し、倒れた護衛や巻き込まれた民衆を手当てする声が響いていた。地面に膝をつき、焦げた聖印の破片を握りしめて祈り続ける者もいる。

 

誰もが見ていたのだ。

 

空から落ちてきた、あの青白い閃光を。

 

雷を帯びた竜が聖座の断罪台を裂き、魔女とされた女を奪って飛び去った、あの狂気的な光景を。

 

それは、リィナ・エルシアにとっては救出だった。

 

しかし、ここに残された者達にとっては違う。

 

聖座の裁きが破壊された。

 

魔女が奪われた。

 

魔王の竜が、人の世の空へ現れた。

 

その事実だけが、黒い焦げ跡よりも深く広場に刻まれていた。

 

 

サイラス審問官は、その広場の端に立っていた。

 

左腕は布で吊られ、額には白い包帯が巻かれている。法衣の片側には乾きかけた血の跡が残っていたが、彼の表情にはほとんど何も浮かんでいない。

 

怒りも、恐怖も、興奮もない。

 

ただ、冷徹な記録を作る者の顔だった。

 

記録官が震える手で筆を握っている。サイラスは崩れた光裁の壇を一度だけ見つめ、静かに告げた。

 

「断罪直前、禁忌の島由来と推定される竜が出現」

 

記録官の筆が紙を走る。

 

「竜は聖座の光裁の壇を攻撃。壇の支柱および周辺聖具を破壊。聖座護衛複数名が死傷。被疑者リィナ・エルシアを拘束具ごと奪取」

 

広場の向こうで、誰かが激しくすすり泣いた。

 

サイラスは淡々と続けた。

 

「竜は、リィナ・エルシアに対して攻撃行動を取らず、むしろ保護するように扱った。リィナ・エルシアは竜の名前を呼び、竜を制止するような発言をした。竜はその声に反応し、追撃を中止。その後、リィナ・エルシアを抱え、海の方角へ飛去」

 

記録官の筆が止まりかけた。サイラスは静かにそちらを見やる。

 

「続けなさい」

 

「は、はい」

 

筆が再び動く。サイラスは、崩れた壇から視線を外さなかった。

 

「以上から、リィナ・エルシアと禁忌の島の竜の間に明確な結びつきが認められる」

 

記録官の喉が鳴った。

 

「審問官殿……この記録は、魔女と魔竜の関係を、完全に証明するものとして扱われるのではありませんか」

 

サイラスは、ゆっくりと記録官を視線で射抜いた。その目は、どこまでも冷たかった。

 

「感情は不要です。見たことだけを記しなさい。ただし――見たことの意味を、取り違えてはなりません」

 

それは矛盾した言葉だった。

 

事実に徹しろと言いながら、その事実の意味を先に規定している。

 

だが、サイラスにとってそれは矛盾ではなかった。

 

彼は何一つ嘘を書いていない。

 

竜が来た。

 

壇を壊した。

 

護衛を攻撃した。

 

リィナ・エルシアを奪った。

 

リィナは竜の名を呼び、竜はその声を聞いた。

 

その一つ一つは、紛れもない事実だった。

 

ただ、その事実が何を意味するかを、彼はすでに決めていた。

 

聖座の裁きは、魔王の竜によって破壊されたのだ、と。

 

「聖都へ送ります。急ぎなさい」

 

記録官が震える手で書面をまとめる間にも、広場では人々の恐怖が爆発的に広がっていた。

 

「魔女を取り返しに来たんだ」

 

「魔王は、王都まで手を伸ばしたんだ」

 

誰も、シルヴィアがただ寂しくなって会いに来ただけだとは知らない。

 

友達を傷つけようとしたものに、純粋に怒っただけだとは思わない。

 

広場に残された者達にとって、それは単一の絶対的な恐怖だった。

 

その恐怖は、記録よりも早く、聖都へ向かって走り始めていた。

 

 

聖都に非常の鐘が鳴ったのは、その日の夕刻だった。

 

それは朝夕の祈りを告げる鐘でも、巡礼者を導く穏やかな音でもない。低く、重く、聖都の石造りの街並み全体へ沈み込むような、警告の音だった。

 

一度。

 

また一度。

 

間を置いて、さらに一度。

 

その音を聞いた聖都の人々は、一斉に足を止めた。

 

広場で祈っていた巡礼者が顔を上げ、施療院の修道女が立ち止まり、孤児院の子供達が窓辺に集まる。

 

正式な報告が聖都へ届くより先に、不穏な噂はすでに街へ入り込んでいた。

 

魔女が竜に乗って逃げた。

 

断罪台が光で焼かれた。

 

リィナ・エルシアは笑っていた。

 

魔王は王都まで手を伸ばした。

 

誰かが確認したわけではない。誰かが聞いた話を、さらに誰かが恐怖の形に整えただけだ。

 

それでも、人々はそれを真実として信じかけていた。

 

恐怖は、事実より圧倒的に速い。

 

やがて、王国内の聖座直轄教会から正式な記録が届いた。サイラス審問官の署名が入ったその記録は、噂の核を完全に補強した。

 

――魔女リィナ・エルシアは、断罪直前、禁忌の島の竜によって奪われた。

 

それだけは、誰にも否定できなかった。

 

聖都の空気が完全に変わった。

 

施療院では病人達が不安そうに神官へ尋ね、孤児院では小さな子供が修道女の服の裾を掴んで怯えていた。

 

誰もが悪人ではない。

 

多くは、ただ怖かっただけだ。

 

自分の家族が、自分の信じてきた光が、どこか遠くの禁忌の島から現れた竜に焼かれるのではないか。

 

その恐怖は、本物だった。

 

だからこそ、危うかった。

 

聖座は、その肥大化する恐怖へ「答え」を出さなければならなくなった。

 

 

緊急枢機卿会議は、日没後すぐに開かれた。

 

場所は、聖座中央庁舎の奥にある円卓会議室。

 

大卓の上には各地から届いた報告書と、サイラスの冷徹な記録が並べられている。そこに集まった者達は、誰一人として普段通りの顔をしていなかった。

 

会議の進行役を務めるのは、白冠派のマティアス・ヴェルナー枢機卿だった。

 

聖座の秩序、権威、手続きを誰よりも重んじる人物である。性急な断定を嫌い、本来であれば魔王という言葉にも慎重であるべき男だった。だが、その彼でさえ、この日ばかりは表情が硬かった。

 

円卓の一角には、黎明派のアレクシオ・レーヴェン枢機卿が座っている。

 

終末論と最終聖戦教義を重んじる人物だった。厳格ではあるが、決して悪意の人間ではない。彼は本気で、人類すべてを守らなければならないと信じていた。信徒だけではなく、祈りを知らぬ者も、異国の民も、幼子も老人も、すべて守るべきだと考えている。

 

その向かい側には、金香派のグレゴール・マルセイン枢機卿がいた。

 

穏やかな微笑を浮かべる男である。表向きには聖都の慈善、巡礼、物資調達に通じた実務家だった。だが、その背後には商会、献金、聖具、船舶、巡礼統制といった複雑な利権が絡んでいる。

 

そして、燭台派のクラリス・ベルティア大司教も出席していた。

 

施療院や孤児院を預かり、民衆の生活を知る人物である。病人の手を取り、孤児達の名前を覚え、地方教会の苦しさを知っている。本来なら、聖戦には真っ先に反対したい側の人間だった。

 

マティアスが、円卓の中央へ視線を向けた。

 

「始めます」

 

記録官が立ち上がり、淡々とした声でサイラスの記録を読み上げていく。

 

光裁の壇の破壊。

 

護衛の死傷。

 

そして、リィナ・エルシアが竜の名を呼び、竜がその声に反応して彼女を抱え飛び去った事実。

 

読み上げが終わっても、誰もすぐには口を開かなかった。

 

重い沈黙だった。

 

それは、怒号の前の静けさではない。

 

そこにいた者達の多くが、取り返しのつかない現実を理解してしまったからこその沈黙だった。

 

最初に口を開いたのは、アレクシオだった。

 

「これ以上、何を待つのですか」

 

その声には、怒りではなく深い悲しみがあった。

 

「リィナ・エルシアを憎んではなりません。彼女は、かつて確かに光に仕え、多くの者を救った者です。だからこそ、これは恐ろしい。魔は、もっとも光に近かった者へ手を伸ばした。聖女の名を持つ者を通じて、人の世へ入り込んだ。そう見るべき段階に来ています」

 

クラリスが唇を引き結ぶ。

 

アレクシオは彼女を責めるようには見ず、痛みに耐えるように目を伏せた。

 

「彼女を救えるなら救うべきです。けれど、そのためにも、魔王の影響を断たなければなりません。すべての人間を守るためです。もし我らが今、動かなければ、次にあの竜が現れるのはどこですか。王都ですか、施療院ですか、それとも孤児院ですか」

 

彼は拳を固く握りしめた。

 

「人の世に届く竜を、禁忌の島に放置してよい理由はありません」

 

マティアスが、ゆっくりと指を組んだ。

 

「レーヴェン枢機卿の言葉は重く受け止めます」

 

彼は感情を排した声で言った。

 

「しかし、事実を整理します。第一に、聖座の光裁の壇が襲撃された。第二に、聖座の裁きが妨害された。第三に、被疑者リィナ・エルシアが奪取された。第四に、あの竜は王都上空まで到達可能である。第五に、王国は情報を今なお秘匿している」

 

ひとつひとつ、冷たい石を積むような声だった。

 

「この状況で聖座が沈黙すれば、我らは手続きを理由に沈黙したと受け取られます。これは、もはや一人の聖女の疑義ではない」

 

その一言で、退路の一つが完全に閉じた。

 

これは、聖座と禁忌の島の本質的な対立である、と定義されたのだ。

 

 

グレゴール・マルセイン枢機卿は、そこで穏やかに口を開いた。

 

「混乱は、すでに始まっております」

 

彼の声は柔らかく、怯える者達をなだめるような響きさえあった。

 

「信徒達は答えを求めています。我らが沈黙すれば、恐怖は無秩序に形を変えるでしょう。ならば、聖座が祈りと秩序の受け皿を示さねばなりません。義勇を願う者達を放置すれば、彼らは勝手に粗末な船で海へ出ます。物資を集めねば負傷者を救えず、船を整えねば統制なき群衆が海で死ぬのです」

 

金香派の枢機卿は、ゆっくりと手を広げた。

 

「だからこそ、窓口が必要です。義勇兵受付、物資調達、船舶確保、治療術士と神官の派遣準備。それらを、聖座の厳格な秩序のもとに置かなければなりません」

 

彼は、金の話を一切しなかった。利権という言葉も使わなかった。

 

しかし彼の言う「窓口」と「管理」は、聖戦によって動く膨大な人と金と物の流れを、すべて自分が握るという宣言に他ならなかった。

 

聖戦が始まれば、献金が動き、船が動き、聖具が売れる。

 

その流れを誰が支配するのか。

 

グレゴールは、その利権の答えをもう見据えていた。

 

それでも、彼の言葉は一分の隙もない正論だった。だからこそ、何より厄介だった。

 

「私は、反対です」

 

クラリス・ベルティア大司教が言った。

 

声は震えていない。だが、その奥には明確な痛みがあった。

 

「聖戦となれば、多くの者が死にます。恐怖のまま大軍を動かすことは、救いではありません。私達は、まだ禁忌の島の主人を見ていません。その者が本当に魔王であるか、確かめた者は限られています。リィナ・エルシアが何を見たのか、何を守ろうとしたのか、私達はまだ十分には知らないのです」

 

それは正しすぎるほどの正論だった。

 

だが、すぐに別の枢機卿が冷酷に言い放った。

 

「では、もし本当に魔王だった場合、その者達を誰が守るのですか。施療院の病人は逃げられますか。孤児院の子供達はどこへ隠れますか。魔王が本当に人の世へ手を伸ばした時、最初に踏み潰されるのは、力のない者達ではありませんか」

 

クラリスの言葉が、ぴたりと止まった。

 

彼女は民衆に近いからこそ、想像できてしまうのだ。

 

病室で寝たきりの老人、足の悪い子供、貧しい漁村の人々。もしあの竜が再び空から来たら、真っ先に犠牲になるのは彼女が守ろうとしている弱者たちかもしれない。

 

聖戦は望まない。

 

だが、何もしないと言うこともできない。

 

その引き裂かれるような矛盾に、彼女は打ちのめされた。

 

「……それでも、恐怖を理由に剣を掲げれば、戻れなくなります」

 

アレクシオが静かに答える。

 

「恐怖だけではありません。すべては、守るためです」

 

その言葉もまた、曇りのない本心だった。

 

この部屋に、分かりやすい悪人だけがいたなら、どれほど楽だっただろう。

 

善意も、恐怖も、秩序も、利権も、祈りも。

 

それらが一本の巨大な縄になり、破滅へと向かおうとしていた。

 

 

マティアスは、長い沈黙の後、決議案を整えた。

 

「決議案を読み上げます」

 

マティアスの声は、硬かった。

 

第一。禁忌の島の主人を、人類社会への重大な脅威として認定する。

 

第二。禁忌の島の主人、およびその支配下にある魔物群に対し、人類防衛のための聖戦を宣言する。

 

第三。リィナ・エルシアを、魔王の影響下にある被疑者として扱う。彼女の救出、浄化、または再断罪を聖座の責務とする。

 

第四。聖座は遠征軍を編成する。聖騎士団、武装神官、各国教区、義勇兵、治療術士を中心に、必要な編成を整える。

 

第五。各国教区へ、人員、船舶、物資、聖水、食料、医療資材の提供を求める。

 

第六。王国へ、、禁忌の島に関する情報開示要求、ならびに聖戦軍派遣の通達を行う。

 

第七。信徒へ向け、聖座は沈黙しないと声明を出す。聖座の指揮のもと、秩序ある防衛へ参加する道を示す。

 

読み上げが終わる。

 

会議室は静まり返っていた。

 

その決議文に、侵略という言葉も、虐殺という言葉もない。あるのは防衛、救出、浄化、秩序。清潔な言葉ばかりだった。

 

だからこそ、恐ろしかった。

 

誰も自分達が悪に手を染めたとは思っていない。皆が、守るために立つのだと信じていた。

 

「採決に移ります」

 

 

最初に意思を示したのは、黎明派だった。アレクシオ・レーヴェン枢機卿が静かに立ち上がる。

 

「賛成。ただし、これは人類を守るための聖戦です。リィナ・エルシアについても、救う道を閉ざしてはなりません」

 

彼は本気でそう信じていたから、賛成した。

 

次に、白冠派の枢機卿達が沈黙の後に頷き、マティアス自身も最後に声を絞り出した。

 

「聖座の秩序と裁きの権威を守るため、賛成」

 

金香派のグレゴール・マルセイン枢機卿は、胸に手を当てて微笑む。

 

「信徒の不安に応え、混乱を防ぐため、賛成。祈りと物資の流れは、聖座が責任を持って整えなければなりません」

 

他の枢機卿達も、一人、また一人と賛成を表明していった。それぞれの言葉は違う。だが、向かう先は全く同じだった。

 

最後に、クラリス・ベルティア大司教の番が来た。会議室の視線が彼女に集中する。

 

クラリスは、すぐには言葉を出せなかった。

 

反対したかった。

 

今でも、心の奥底では反対していた。

 

帰ってこない者が必ず出る。施療院には負傷者が溢れ、孤児院には親を失った子供が増える。

 

だが、断罪台は破壊され、竜は王都へ来た。民衆は怯えている。

 

もし本当に魔王だったら、何もしなかったせいで民が死んだら、その責任を自分は負えるのか。

 

彼女は目を閉じた。

 

祈りの言葉は浮かばず、ただ、自分が守りたい弱者たちの顔が浮かんだ。

 

彼らを、何としてでも守りたい。

 

それだけは、嘘ではない。

 

クラリスは、静かに口を開いた。

 

「……民を守るために、賛成します」

 

その声は、勝利の声ではなかった。

 

完全な敗北の声だった。

 

彼女は賛成した瞬間、自分が守りたかった民を戦場へ送る扉を開いたことを理解していた。恐怖に押され、善意に追い詰められて、最後の反対の可能性が、そこで完全に消滅した。

 

 

拍手はなかった。

 

歓声もなかった。

 

ただ、記録官の羽ペンが紙の上を走る音だけが、不気味に響いていた。

 

マティアスは、決議文を見下ろした。

 

「全会一致により、決議は成立しました」

 

会議室にいる者達の多くは、決して悪人ではなかった。

 

アレクシオは本気で人類を守ろうとし、マティアスは秩序を守ろうとし、クラリスは民を守ろうとしていた。

 

悪意だけでは、聖戦は決まらなかった。

 

善意だけでも、恐怖だけでも決まらなかった。

 

秩序、信仰、利権、民意、祈り、責任、誇り。

 

そのすべてが最悪の形で噛み合った結果、「全会一致」という名の怪物が誕生した。

 

「各部署へ通達を」

 

マティアスが告げる。

 

「聖騎士団には編成準備を。各国教区へ緊急文書を送付。義勇受付、物資窓口、船舶確保、すべてを即座に整えなさい」

 

グレゴールが静かに頷き、アレクシオが人類防衛の意義を厳かに説く中、クラリスは何も言わなかった。

 

ただ、膝の上で握りしめていた手を、ゆっくりと解いた。その手のひらには、血が滲むほどの爪の跡が残っていた。

 

 

聖都に鐘が鳴り響いた。

 

今度は、非常を告げる鐘ではない。聖戦を告げる鐘だった。

 

聖堂前の広場では、民衆が一斉に膝をついた。巡礼者が泣きながら祈り、修道女が子供達を強く抱き寄せる。

 

彼らは本気で願っていた。

 

光が、魔王から自分達を守ってくれることを。

 

その祈りは、あまりにも純粋だった。

 

だが、その純粋な祈りの先に、多くの船が集められ、剣が磨かれ、義勇を望む者達の名前が聖座の窓口へ殺到し始める。

 

誰も、まだ知らない。

 

この決議が、どれほど巨大なうねりになって世界を飲み込んでいくのかを。

 

白冠派は管理可能な遠征を想定し、黎明派は人類の決起を期待し、金香派は富の流れを掴もうとし、燭台派はせめて規模を抑えたいと願う。

 

けれど、放たれた『聖戦』という言葉は、すべての制御を超えて、人と金と物と船、そして祈りまでも底なしに吸い寄せていく。

 

聖座はこの日、ただ破滅への門を開いたのだ。

 

そして、その門がどれほどの人々の命を飲み込んでいくのかを、この時はまだ、世界の誰も知らなかった。

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