廃人サバイバー、異世界へ行く   作:ドレットノータス

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第36話 上陸

小さな上陸艇が、次々に波間へ下ろされ始めていた。

 

それは、聖戦艦隊がまだ諦めていないという、はっきりとした証だった。

 

帆は焼かれ、信号旗は落ちていた。船底をやられた船は傾き、舵を失った船は波に流され、連絡船は海の中の触腕に阻まれている。空には竜が舞い、水面の下では巨大な影が蠢いていた。海は白く泡立ち、船団はもう整った大軍ではなかった。救助と前進と撤退、上陸の支度と漂流が入り混じった、無数のばらばらな集まりになりつつあった。

 

それでも、魔王の棲み処とされた禁忌の島は、もう目の前に見えていた。白い砂浜と、その奥に広がる濃い森。そこまで届けばまだ戦えると、考える者達がいた。

 

海の上では、圧倒的に不利だった。船は下から無残に壊され、空からは帆と旗と武器を狙いすまして焼かれる。けれど陸に上がれば、聖騎士団は盾を並べられるし、武装神官は結界を組める。義勇兵も足を踏みしめて戦えるし、治療術士は負傷者を寝かせる場所を作れる。

 

揺れる船の上ではなく、地面の上でなら。この浜に足をつけさえすれば。その縋るような望みが、彼らをまだ前へ押していた。

 

「上陸艇を下ろせ!」「急げ、ロープを切らすな!」「盾を前へ! 聖騎士団から乗せろ!」

 

燃えた帆の影で、船員達が歯を食いしばって滑車を回していた。焦げたロープを替え、歪んだ金具を叩き直して、まだ使える小舟を意地でも海へ下ろそうとする。

 

甲板の端では、聖騎士達が盾を抱えて待っていた。海水に濡れた鎧は重く、足元は激しく揺れていたけれど、彼らはまだ崩れていなかった。その隣では武装神官が聖具を胸に抱えて震える指で祈祷の句を唱え、義勇兵は青ざめながらも小舟の縁に手をかけ、治療術士は濡れた布で薬箱の中身を必死に守っていた。

 

誰もが恐れていたけれど、それでも彼らは浜へ下りていった。海から陸へ渡る以外に、前へ進む道は、もう残っていなかった。

 

◆

 

家の最上階の指揮所で、ライラは光の面を見つめていた。

 

海と空、燃える帆と壊れた信号、海に落ちた人々。救助へ向かう船と逃げようとする船、動けなくなった船、そして浜へ向かおうとする船。そのすべてが、冷たい光の中に、細かな反応の点となって浮かんでいた。

 

外の者がこの部屋を見れば、やはりここを魔王の玉座だと思うのだろう。戦場のすべてを冷たく見下ろす少女の一言で、海の獣と空の竜が同時に動くのだから。

 

けれど、ライラが見ていたものはまったく違った。海の子達の傷の反応と、空の子達の飛ぶ道筋。下がった子がちゃんと戻っているか、無理をしている子はいないか。海に落ちた人に近づきすぎていないか、救助の船を間違えて追っていないか。彼女の目は、敵の死体を数えてなどいなかった。ただ、ファミリア達の帰り道を見ていたのだ。

 

魔道具が小さく震えて、リィナの声が届いた。

 

『ライラさん。上陸艇が下ろされています。前の方の船団が、浜へ向かっています。傷ついた船を捨ててでも、上陸を優先するつもりです』

 

言葉そのものは、はっきりしていた。けれど、その奥にある抑えきれない震えを、ライラは聞き取っていた。

 

光の面の中で、反応ははっきりと分かれていた。救助へ向かう船と後ろへ流れる船、動けずに漂う船、そして前へ出てくる船。小さな上陸艇の反応が、次々に波間へ下り始めていた。

 

ライラは、短く息を吐いた。

 

「上陸する船を止めて。逃げる船は追わないで。救助してる船も外して。海に落ちた人は、そのまま」

 

そこで一度言葉を切ってから、何度も言い聞かせてきたことを、静かにもう一度繰り返した。

 

「食べちゃだめ」

 

凄惨な戦場には、あまりにも不似合いで、あまりにも優しい命令だった。けれど島の海では、それが絶対の決まりだった。来る船は止め、帰る船は追わず、助ける船は外し、そして人間は食べない。ライラの引いた線は、そこにあった。

 

◆

 

最初に狙われたのは、甲板から吊り下げられた上陸艇そのものだった。

 

トロペオグナトゥスが、低く速く、船団の隙間をすり抜けていく。甲板より少しだけ上の、弩砲で狙うには低すぎ、槍を投げるには速すぎる高さだった。背に負った見慣れない装備が、鈍い駆動音を立てる。

 

次の瞬間に起きた激しい爆発で狙われたのは、人間ではなく、上陸艇を吊るしていた滑車と留め具、ロープ、そして小舟を支える梁だった。その仕組みだけが、正確に弾け飛ぶ。上陸艇は、不自然な角度で斜めに落ちていった。

 

「ロープが切れた!」「支えろ! 下に人がいるぞ!」

 

船員達は叫んだけれど、その重さを支えきれるはずもなかった。小舟は半ば海へ落ち、半ば船体に引っかかったまま大きく揺れ、乗り込もうとしていた聖騎士達が床に転がり、義勇兵が必死に甲板にしがみついた。

 

次の船では、ファイアワイバーンが索具を正確に焼いた。船を丸ごと燃やすことも、甲板の人間を焼き払うこともしない。上陸艇を下ろすためのロープと木の渡し板だけを、ためらいなく焼き切っていく。燃え上がった渡し板が折れて、海へ落ちた。

 

その下で、トゥソテウティスの巨大な触腕が動いていた。上陸艇が水に触れた瞬間、黒い腕が、がちりと絡みつく。人間を引きずり込みはしなかった。小舟だけを掴み、横へずらして、波に乗せて回転させる。

 

乗っていた兵達が悲鳴を上げて、海へ投げ出された。そのすぐ近くを、メガロドンの影が音もなく横切っていく。兵達は、今度こそ食われると覚悟した。けれどメガロドンは誰も噛まずに、彼らのすぐ横を悠然と通り過ぎ、小舟の進路を遮るように泳いでいっただけだった。

 

「なぜ食わない!?」「祈りが効いているのか……?」「違う、船だけを狙っている!」「魔女が選んでいるんだ!」

 

理解できないものほど、恐怖は大きくなる。食われないことさえ、聖戦軍には不気味な呪いのように思えた。それが祈りでも気まぐれでもなく、ただライラがそう決めたからだということを、彼らは知らなかった。

 

◆

 

海の中からは、さらに別の力がかかっていた。

 

ダンクルオステウスが、浅瀬へ向かおうとする小型船の底に回り込んだ。兵を浜へ運ぶには十分な大きさのその船の、浅い船底へ、骨の顎ががちりと噛みつく。ばきり、と重い音が海の中に響いて、舵が割れ、底板が歪んだ。船は沈まなかったけれど、もう真っすぐには進めなかった。

 

その横を、エラスモサウルスが速く抜けていった。細長い影が水を裂いて不自然な高波を起こし、小型船は大きく揺れて、乗っていた義勇兵達が一斉に片側へ転がった。

 

「体勢を戻せ!」「盾を落とすな! 水が入ってきた!」

 

浜へ向かうはずだった小舟が、なすすべもなく横へ流されていく。そこへトロピカル・クリスタルワイバーンが水面すれすれを抜けて強い飛沫を叩きつけ、小舟の前へ回り込むと、鋭く翼を傾けて、進路を無理やりずらしていった。

 

海の中から押し上げられ、空からは執拗に追い立てられる。救助船はわざと外され、逃げる船も追われていない。けれど浜へ向かう船だけは違い、徹底的に足を止められていた。

 

モササウルスは、大型の輸送船へ向かった。傷を負いながらも、浅瀬へ無理やり乗り上げるつもりの船だった。船底が傷ついても、浜へ突っ込めば兵を降ろせると判断したのだろう。

 

けれど、海そのものが横から動いた。モササウルスの巨体が船の側面に押し当てられ、ばきばきと板が鳴って、船は浜ではなく真横へ流されていく。

 

「押されている! 舵が効かない!」「浜が遠ざかるぞ!」

 

船員達が必死に舵を切っても、舵はすでに半分壊れていた。帆は焼け、波は荒れ、船は思うように動かない。モササウルスは噛みもせず、船員を食べもしなかった。浜へ行かせないことだけを、完璧にやり遂げていた。

 

◆

 

聖戦軍の側も、ただ一方的に壊されているわけではなかった。

 

上陸艇の上で、聖騎士達が必死に盾を並べていた。濡れた盾が重なり合い、急ごしらえの鉄の壁ができる。

 

「盾を上げろ! 竜の炎を受けるな、流せ!」

 

武装神官が小舟の真ん中で聖具を掲げると、淡い光の膜が舟を包んだ。海水を激しくかぶりながらも、彼らは祈りを続けていた。ファイアワイバーンの炎がその膜に触れて激しく弾け、火は散ったけれど、小舟は燃えなかった。

 

「効いたぞ! このまま浜へ!」

 

次の瞬間、海の中から巨大な影が近づいた。エラスモサウルスが小舟の真横を猛烈な速さで抜け、不自然な高波を起こす。光の膜は炎には強かったけれど、横から叩きつけられる波と重さまでは受け止めきれなかった。

 

舟が大きく傾いて、義勇兵が一人、水に落ちた。聖騎士が腕を伸ばして必死に掴み、治療術士が薬箱を抱えたまま身を低くする。それでも舟は沈まなかった。結界は消えず、神官は祈りを切らさない。遅くとも、小舟は確かに浜へ向かっていた。

 

別の場所では、結界担当の司教が上陸艇の周りに光の輪を張っていた。光が水面に広がり、聖水が撒かれると、海の中の影がわずかに距離を取った。光は確かに効いていて、ファミリア達もそれを嫌がっていた。トゥソテウティスの触腕は光に触れて引っ込み、メガロドンの群れも一瞬だけ遠ざかる。

 

その一瞬の隙に、上陸艇の一つが前へ出た。

 

「今だ! 漕げ! 浜へ向かえ!」

 

聖戦軍の力は、決して無意味ではなかった。彼らの祈りも聖具も神聖術も、本当に働いていた。ただ、守らなければならない範囲が、あまりにも広すぎたのだ。空と海、船底と甲板、上陸艇に救助船、そして漂う人々。そのすべてを同時に守るには、彼らの光は足りなかった。結界で小舟を守れば別の船の吊り具が焼かれ、聖水で海の影を遠ざければ、空からトロペオグナトゥスが信号台を砕いていく。

 

それでも聖戦軍は、泥を噛むように戦い続けた。そして、いくつかの上陸艇は、確かに生き残った。

 

◆

 

私は、シルヴィアの背の上から、その凄惨な戦場を見つめていた。

 

船が壊れ、小舟がひっくり返り、人が海へ落ちていく。そのたびに、胸の奥がきつく締めつけられた。

 

それでも私は、目を逸らさなかったし、逸らすこともできなかった。この守りの作戦には、私自身が深く関わっている。どの船を止め、どの船を外すべきか。治療船と救助船をどう見分けるか。上陸艇をどこで止めれば、死ぬ人をより減らせるのか。それを一つずつ言葉にしたのは、私だった。だから見届けなければならなかったし、伝え続けなければならなかった。

 

「ライラさん、左側の船は救助船です。海に落ちた人達を拾っていますから、攻撃を外してください」

 

『分かった』

 

「右前方に小型艇がいます。浜へ向かっていて、止めないと岸に着きます」

 

『うん』

 

「あの船はもう、完全に動けません。追わないでください」

 

『分かった』

 

「あちらには治療術士が乗っています。直接は狙わないで」

 

『うん』

 

私の声は震えていたけれど、伝えることはやめなかった。

 

「前へ出ているのは聖騎士団の船です。まだ戦えます」

 

『じゃあ、止める』

 

「小型艇が浜へ向かっています。上陸されます!」

 

『うん』

 

短いやり取りの一つ一つが、戦場の形を刻々と変えていった。私の言葉で救われる船があり、私の言葉で確実に止められる船がある。その重すぎる事実が、胸をさらに深く沈ませた。

 

それでも、何も言わないよりはよかった。私が言わなければ、救助船も治療船も戦う船も、すべてが同じ敵として壊されてしまう。言えば、少なくとも外せるし、死ぬ人を確実に減らせる。

 

そのために、私は魔道具を強く握りしめた。シルヴィアがわずかに首を動かし、私の震えを感じ取ったのだろう、飛び方を少しだけ安定させてくれた。シルヴィアは攻撃には向かわず、ただ私のそばにいてくれる。それだけで、私はかろうじて息をつないでいた。

 

◆

 

聖戦軍の側からは、その光景は最悪の地獄に映っていた。

 

青白い竜の背に、断罪台から魔王の竜に奪われたあの魔女がいて、空から自分達を見下ろしている。そして魔女が何かを告げるたびに、竜達の攻撃の向きが、恐ろしいほどの正確さで変わっていくように見えたのだ。救助船は巧みに避けられ、治療船は直撃を免れる。その代わりに、上陸艇を吊るす船が的確に狙われ、信号船が次々に落とされていく。艦隊の息の根をより巧みに、より確実に止めるために、魔女が冷静に牙を振り分けているとしか、彼らには見えなかった。

 

「見ろ、魔女が選り分けている!」

 

甲板にしがみついた義勇兵が、絶望に顔を歪めて叫んだ。

 

「あの船を指したあとに、竜が向かった! やはりあれは、魔王の側だ!」

 

「リィナ様が……本当に……」

 

若い神官が、震えながら空を見上げていた。彼は、リィナ・エルシアという名前を知っていた。努力の聖女と呼ばれ、神聖術を研究し、多くの施療院を回り、祈りに技術を添えた人。その名前を、尊敬とともに聞いてきたのだ。けれど今、彼の目に映っているのは、竜の背から魔王の軍へ指示を送る魔女の姿だった。

 

本当は、彼女は彼らを救っていた。それでもこの戦場では、どう見えるかこそが真実になってしまう。彼女の必死の善意は、また一つ、彼らの誤解を固める材料になっていった。

 

◆

 

海と空は、聖戦艦隊を大きく削り取っていた。

 

前の方の船団の多くが傷つき、いくつかの船は、もう艦隊としての役目を果たせなくなっていた。帆を失い、舵を砕かれ、信号も出せずに、ただ波に流されるだけの船。沈みかけている船もあった。救助船が走り回り、海に落ちた人々が縄に必死にしがみつき、治療術士が甲板に倒れた者へ神聖術を施していた。上陸艇の多くは壊され、海へ落とされた。

 

それでも、すべてではなかった。守り抜かれた小舟もあれば、聖水に守られた小舟もある。半ば壊れながら進む舟も、浅瀬へ突っ込もうとする輸送船もあった。聖戦軍は、壊れてもなお進もうとしていた。

 

司令艦の上で、アレクシオはその光景を見つめていた。

 

退こうにも、後ろは混乱していて、傷ついた船が道を塞いでいる。この海で背を向ければ、さらに沈められるだけだった。アレクシオの顔に苦渋が刻まれたけれど、その声は少しも揺れなかった。

 

「浜へ向かえる船は、向かいなさい。負傷者と漂流者は救助船へ。動けぬ船は、救助の信号を掲げよ。進める者は、進みなさい」

 

船団司令が短く頷くと、アレクシオは続けた。

 

「救える者を捨ててはなりません。ですが、進める者まで止まってはならない」

 

救助も撤退も前進も上陸も、もう一つの命令できれいにまとまるものではなかった。それでもアレクシオは、できることを同時に進めるしかないと命じたのだ。聖戦軍は崩れながらも、まだ自分達の使命を手放してはいなかった。

 

◆

 

指揮所の光の面に映る艦隊は、もう一つの大きな面ではなく、乱れた点と線の集まりになっていた。戻る船、止まる船、助ける船、そして浜へ向かう船。

 

ライラは光の面を見ながら、静かに線を引いた。

 

「止まった船は、もういい。戻る船もいい。助けてる船もいい」

 

救助船の周りを回っていたメガロドンが、すっと距離を取った。

 

「前に来る船だけ。浜に向かう船だけ、止めて」

 

その一言で、戦場の形が変わった。すべてを沈めるのではなく、選ぶのだ。来るなら止め、来ないなら追わないという、それだけのことだった。

 

その判断で、確かに助かる者がいた。けれど聖戦軍の側が、それを慈悲と受け取るはずもなかった。祈りが効いたのだと思う者もいれば、魔物が別の獲物を選んだのだと考える者も、魔王が弄んでいるのだと怯える者も、魔女が選り分けているのだと憎む者もいた。本当は、ライラがそう決めたというだけなのに、その温度の差が、彼らをさらに狂わせていった。

 

◆

 

それでも、すべては止めきれなかった。一艘の上陸艇が激しい波を越えて、ついに砂浜へ滑り込んだのだ。

 

半分壊れて片側の縁は割れ、盾が一枚海へ落ちて、乗っていた兵達は誰もがずぶ濡れだった。それでも、確かに浜に着いたのだ。聖騎士が転がるように砂浜へ降りて膝をつき、鎧から海水を流しながら、震える手で盾を前へ出した。

 

「……着いた」

 

そう呟いた誰かの声は、勝利の声ではなく、生きて海を越えた者の、執念の声だった。

 

少し離れたところで、別の小舟が砂に乗り上げた。義勇兵達が、這うようにして浜へ上がっていく。手も足も震えていたけれど、剣だけは決して手放していなかった。濡れた聖典と聖具を抱えた武装神官が、水を吸った衣に足を取られながら降りてきて、聖印を掲げる。治療術士が、負傷した兵を引きずるようにして浜へ上げていた。

 

「着いた……本当に、着いた……」

 

彼らは勝ったわけではなく、海を越えただけだった。けれど聖戦軍の側から見れば、それは奇跡に近かった。魔王の海を越え、竜の空を抜けて、ついに禁忌の島の浜に足をつけたのだ。それだけで、心が折れかけていた者達の胸に、わずかに正義の火が戻ってくる。

 

「隊列を整えろ!」

 

聖騎士の一人が、浜に響くほどの声で叫んだ。

 

「負傷者を後ろへ! 神官、浜に結界を張れ! 森を抜ければ、魔王の巣だ!」

 

その言葉に何人かが顔を上げ、目の前に広がる、暗く深い森を見た。

 

◆

 

空のワイバーン達には、まだ追う力が残っていた。海の子達も、浜のすぐ近くまで迫ることはできた。上陸した者達は疲れきっていて、隊列も整っていない。追えば、さらに削り取れたはずだった。

 

それでも、ライラは言った。

 

「浜に上がったら、空の子は深追いしない。海の子達も戻って。そこから先は、森の子達。怪我した子は戻って。まだ動ける子も、一回下がって」

 

それから、光の面に映る、帰ってくるファミリア達の反応を見つめた。

 

「みんな、ありがとう」

 

兵器に向ける言葉ではなかった。家を守ってくれた家族へ向ける、心からの言葉だった。

 

海の中の影が沖へ戻り、ワイバーン達が高い空へ上がり、トロペオグナトゥスが島の方へ帰っていく。まだ戦える子達も、浜の上までは決して追わなかった。

 

聖戦軍の者達は、その不気味な引き際を見て息を呑んだ。

 

「……追ってこない?」「なぜだ、浜へ上がったからか?」「ここからが、本当の地獄なのか……?」

 

彼らには、まだ分かっていなかった。見逃されたのではなく、役目が移っただけなのだということが。

 

◆

 

私は、上空からその浜を見つめていた。

 

一部が上陸したことを、認めなければならなかった。第一防衛線は、終わったのだ。

 

海と空は、聖戦艦隊を大きく削り取った。多くの船を壊し、多くの進路を乱した。それでも、すべては止めきれず、浜へ上がった者達がいる。

 

それは、失敗なのだろうか。そう考えかけて、私は違うと思い直した。第一防衛線の目的は、全員を海で殺すことではなかった。上陸できる戦力を減らし、艦隊としてのまとまりを奪うことで、その役目は確かに果たされていた。

 

けれど、生きて浜へ上がった者達は、助かったわけではなかった。次の防衛線へ進んだだけなのだ。目の前には、島の内側へ続く、濃い緑の壁があった。

 

唇を強く噛みながら、私は思った。海で全滅させるよりは、ずっとよかった。逃げた船があり、救われた人がいて、食べられた者は誰一人いない。その事実は、せめてもの救いだった。けれど、救いだけでは終わらない。浜へ上がった者達は、これから森へ進んでいく。そこでまた、凄惨な戦いが始まるのだ。

 

魔道具に触れると、出てきた声は掠れていた。

 

「ライラさん。一部が、上陸しました」

 

返ってきた声は、どこまでも静かだった。

 

『うん。見えてる』

 

少しの間があってから、ライラは言った。

 

『海の子達、戻って。ありがとう』

 

その言葉を聞いた瞬間、胸がひどく痛んだ。戦場で、ライラは「ありがとう」と言ったのだ。言われたことを果たして帰ってくる家族に向かって。

 

私は、静かに目を閉じた。そのあまりにも変わらない優しさが、どうしようもなく苦しかった。

 

◆

 

浜へ上がった聖戦軍の前には、森があった。

 

背後では海が轟き、燃える帆の臭いが風に混じっている。遠くではまだ助けを求める声が聞こえているのに、目の前の森は、不気味なほど静まり返っていた。

 

濃く深いその森は、朝の光が差しているはずなのに、木々の奥が暗く沈んでいた。葉は厚く重なり、幹は太く、枝は複雑に絡み合っていて、鳥の声ひとつ聞こえなかった。

 

聖騎士達は息を整えながら盾を並べ、武装神官は濡れた聖具を掲げ、治療術士は負傷者を後ろへ運んだ。義勇兵達は震えながら、剣や槍を握り直していた。

 

「ここまで来た。上がれば戦える。隊列を整えろ!」

 

彼らは、ようやく戦えると思っていた。ここは海でも、揺れる船の上でもない。足元には砂があり、その先には確かな地面がある。盾を構え、槍を並べ、祈りを合わせれば戦えるのだと、そう信じようとしていた。

 

その時、森の奥で枝が揺れた。海の轟きに比べれば、あまりにもかすかな音だった。それなのに、浜にいた何人かが、本能的な恐怖に駆られて同時に振り返った。

 

葉の奥の暗がりで、何かが動いた。小さな影の素早い気配と、喉の奥で転がるような低い唸りがあるのに、その姿はまだ見えない。森はただ、静かにそこにあった。

 

海は彼らを削り、空は彼らを引き裂いた。そして浜の先には、森が待っていた。光を呑み込むほどの暗がりの奥で、小さな影がひとつ、音もなく動いた。




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今後もライラ達の物語を楽しんでいただけるよう、続きを書いていきます。
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