廃人サバイバー、異世界へ行く   作:ドレットノータス

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第4話 うちの子達

「全員いるか、確認する」

 

そう口にした瞬間、ようやく自分が何をしようとしているのかを理解した。 点呼。ただの確認だ。名前を呼んで返事を聞き、姿を見て無事を確かめる。それだけのこと。 それだけのことなのに、足がすぐには動かなかった。

 

シルヴィアはいる。門の上から私を見下ろし、名前を呼べば喉を鳴らしてくれた。触れれば硬くて、温かくて、確かに生きていた。カイザーもいる。正門の内側に黒い山のように伏せて、声に応えるように静かに頭を下げた。その存在感だけで、巨大な門そのものよりも重く見えるほどだった。

 

でも、それは二体だけだ。二体がいたからといって、全員が無事だとは限らない。 もし、奥へ進んだ先がもぬけの殻だったら。私の記憶にある区画がなくなっていたら。名前を呼んでも返事がなかったら。あるはずの場所に、あの子たちがいなかったら――。

 

胸の奥が、きゅっと縮む。考えただけで息が浅くなった。 正門の内側で立ち尽くし、広い通路の奥を見つめる。大型の子たちが通るために何度も広げた道、作業場へ続く低い通路、高所の足場へ上がる坂、奥の寝床へ続く区画。

 

全部知っているはずなのに、今はまったく知らない迷宮のように見えた。壁には記憶にある傷があり、床には何度も踏み固められた跡がある。その全部が現実の厚みを持ち、質量があり、匂いがあり、音があった。奥から、いくつもの重い呼吸の気配がする。

 

手を握りしめた。中に何もないことが怖い。逆に、何かがいることも怖い。でも、確かめないままではいられなかった。 シルヴィアが背後で小さく喉を鳴らす。振り返ると、その子は首を傾げ、大きな瞳で「行かないの?」と私を促していた。

 

「……うん。行く」

 

深く息を吸い、私は最初の区画へ足を踏み出した。

 

 

向かうべき場所は決まっている。正門に一番近い、大きな肉食の子たちの区画だ。

 

何かあれば最初に動けるように。何かが来ても受け止められるように。そして、彼らがゆったりと身体を休められるようにと、何度も補修を重ねて作った場所。 大きい子には、大きい場所を。暴れた時に壁を壊さないよう広い通路を。爪が引っかからないよう床は平らにしつつ、滑らないように少し粗く。

 

効率のため、安全のため。そう思っていたけれど、今こうして見ると、ただその子たちが狭い場所で苦しそうに身じろぎするのが嫌だっただけなのだと思う。

 

区画の入り口に立つと、空気の密度が一気に変わった。 熱い。巨大な生き物たちの体温が、ゆっくりと空間に満ちている。乾いた草と、土と、むせ返るような獣の匂い。外の静寂をかき消すような、重い地鳴りのような呼吸音。

 

ごくり、と喉を鳴らした。 薄暗い闇の奥には、影がいくつもあった。座っているもの、伏せているもの、首を床に預けて眠っているもの、片目だけを開けてこちらを見ているもの。 ギガノトサウルスの群れ。カルカロドントサウルスの影。ティラノサウルスたちの並ぶ牙。遠目でも分かる暴力そのもののような巨体が、区画の中で静かに過ごしていた。

 

暴れてはいない。吠えてもいない。壁の爪痕も、床の太い尾を擦ったような跡も、壊されたのではなく「使われてきた」確かな生活の痕跡だった。そう気づいた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。

 

「……みんな」

 

声が出た。小さな、掠れた声だった。 それでも、近くに伏せていたティラノサウルスが目を開けた。金色に近い瞳がゆっくりこちらを見る。その瞳が私を捉えた瞬間、奥の方で別の子が首を上げた。さらに奥で、低い唸りのような音が響く。 警戒ではない。それは、明らかな返事だった。

 

「いる……」

 

一歩踏み出した。目の前の光景があまりにも大きすぎて、心が追いつかない。

 

「グラウ。……うん、いる」

 

最初に呼んだティラノが、低く喉を鳴らした。この子は気が短くて、ちょっと目を離すとすぐに前へ出たがるけれど、私が近くにいる時だけは妙に大人しくなる。そんな子だった。いや、過去形にしてはいけない。今、ここにいる。

 

「ブラン。寝てた?」

 

奥で伏せていた白っぽい個体が、少しだけ尻尾を動かした。面倒くさそうなその仕草だけで、十分だった。

 

一体ずつ、見える範囲の子たちに声をかけていく。名前を呼ぶたび、頭の中でひとつずつ印をつける。いる。いる。いる。 声が返り、目が動き、尾が揺れ、喉が鳴る。

 

この子はよく前に出すぎた。この子は餌場でいつも場所を譲らない。この子は大きいわりに音に敏感だった。この子は初めて遠征に連れていった時、帰り道で崖に引っかかった――。戦闘用に育てた、ただのデータなんかじゃない。 一体ずつに性格があり、癖があり、思い出があった。

 

「カイザー」

 

振り返り、正門の方にいる黒い巨体を見る。カイザーは区画の入り口近くで堂々と伏せていた。彼の周囲だけ、他の子たちも少し距離を取っている。ギガノトたちの中心、正門の重し、この拠点の動かない警告。

 

「みんな、いてくれてよかった」

 

私の声に、区画の奥からいくつもの低い音が返ってきた。大地の奥で石が鳴るような、重い返事。普通の人間なら威嚇としか思えないそれを、私は心地よく受け止めていた。

 

「次、行こう」

 

見上げると、シルヴィアはなぜか少し得意げに胸を張っていた。案内役を買って出るように、私の前を歩き出す。巨大な翼を畳み、長い尾を壁にぶつけないよう妙に慎重に歩くその仕草が少しおかしくて、思わず笑みがこぼれた。

 

 

高所区画へ続く坂を上るにつれ、空気がまた変わった。 乾いた岩の匂い。鱗と皮膜の匂い。外の風に混じって、微かに焦げたような雷の気配がする。 ほとんど外と繋がっているような高い天井。翼を畳んで休めるように作った岩棚のような足場に、ワイバーンたちがいた。

 

炎を宿すような赤い鱗、氷を纏ったような白い体、毒々しい色合いの細い影。それぞれが自分の場所に収まり、静かに待っていた。

 

「……みんな、ここにいたんだ」

 

呟くと、一体のワイバーンが首を持ち上げ、それにつられるように別の子も目を開ける。区画の上方で翼が動き、風が私の髪を揺らした。 シルヴィアが私の横に立ち、またフンスと鼻を鳴らす。

 

「あなたが偉い顔するところじゃないでしょ」

 

呆れたように息を吐きながら、一体ずつ名前を呼んだ。炎の子、氷の子、毒の子、雷の子。 首を伸ばしてくる子、眠そうに片目だけ開ける子、返事の代わりに喉の奥で小さく鳴く子。 「うん。……うん、いる」

 

一体ずつ確認するたび、胸の奥の不安が薄れていくと同時に、それは重い責任へと変わっていく。この子たちは生きている。なら、私が守らなければならない。誰に言われたわけでもないのに、自然とそう思えた。

 

 

次に向かった非戦闘組や小型の子たちの区画は、打って変わって柔らかい匂いに満ちていた。 干し草、穀物、水場の湿り気、小さな無数の足音。大型の子たちに踏まれないよう、怖がりな子が隠れられるよう、何度も作り直した優しい場所。

 

ゆっくり扉を開けると、最初に聞こえたのは小さな、愛らしい鳴き声だった。

 

「……あ」

 

足元で、丸い鳥のような生き物が首を傾げていた。ドードーだ。ふっくらした身体に短い脚、眠そうな目。その場にそっとしゃがみ込んだ。

 

「いる……」

 

手を伸ばすと、その子は逃げることなくぽてぽてと近づき、私の膝に身体を寄せてきた。小さい。温かい。さっきまで見ていた巨獣たちと比べると信じられないくらい小さいけれど、その命の温かさに差はなかった。

 

背をそっと撫でると、柔らかい羽毛の感触が指に伝わる。この子は強くない。外の怪物には絶対に勝てない。でも、大事だ。便利だからじゃない。ここにいてくれて、名前を呼べて、一緒に過ごしてきたから、大事なのだ。

 

奥ではオヴィラプトルが卵の近くをうろうろしており、モスコプスが干し草の上でのんびり横になっている。水場のそばではダエオドンが巨体を丸めて眠り、カストロイデス(ビーバー)たちは木材置き場の近くで、まるでプロの職人のような顔をして互いの耳を前足で押し合っていた。

 

思わず笑ってしまった。 「……相変わらず」

 

その声にビーバーの一体がこちらを見つめ、何事もなかったようにまた木材へと顔を戻した。それがこの子なりの返事なのだ。 一体ずつ名前を呼ぶ。ぴ、と鳴くだけ、耳を動かすだけ。それでも胸が熱くなった。

 

入り口から顔だけを覗かせているシルヴィアを、小さな子たちは怖がっていなかった。この子たちにとって、シルヴィアは外の怪物ではなく、同じ拠点にいる「大きな家族」なのだから。

 

 

そうして採取組の広場を回り、アンキロサウルスやドエディクルス、マンモスの無事を確認していくうちに、ただの巨大な建造物だった場所が、完全に「生きている場所」へと変貌していった。

 

床の足跡、寝床の沈んだ干し草、身体を擦りつけた壁の跡。誰も棒立ちの置物なんかじゃなかった。みんな、それぞれの場所でちゃんと暮らしながら、私が来るのを待っていてくれたのだ。

 

「……ごめん、待たせて」

 

誰に向けたわけでもない言葉がこぼれる。シルヴィアがそっと肩に鼻先を寄せてきた。その温かさに支えられながら、私は最後に、木材と石と金属の匂いが強く漂う工房へと向かった。

 

そこは、整備や作業の記憶よりも先に、懐かしい「笑い声」が浮かぶ場所だった。 大きな背中に乗って意味もなく歩き回り、わざわざ専用のヘルメットを作って色を塗った記憶。被せた瞬間があまりにも似合いすぎて、誰かが冗談めかして呼んだ名前。

 

『主任じゃん』

 

工房の奥に、その大きな影は静かに座っていた。 広い肩、長い腕、厚い毛並み。ギガントピテクスの「主任」だ。その頭には、塗装がところどころ剥げた、あの時のヘルメットがちゃんと載っていた。

 

「……主任」

 

名前を呼ぶと、大きな影がゆっくりと振り返った。主任は何も言わず、ただ私を見て、それから大きな片手を上げた。ゆるく、本当に、昔と同じように。

 

「……ふふ」

 

緊張とも恐怖とも違う、温かい笑いがこぼれた。「いた。主任も、いた」 便利だからとか強いからじゃない。そこにいるだけで妙に楽しくなる、拠点の頼れるマスコット。今の主任は記憶よりも少し落ち着いていて、周りには綺麗に束ねられた木材や、直そうとしたらしい柵が整然と並べられていた。主任が本当に片付けたのかは分からないけれど、ずっとここで留守番をしていたかのような佇まいだった。

 

ヘルメットの冷たい縁に触れる。その下にある体温は、確かに温かかった。

 

「……待っててくれたの?」

 

答えの代わりに、主任はまたゆるく片手を上げた。ただの癖かもしれない。でも、それで十分だった。

 

「うん。主任も、確認」

 

無口で、少しおかしくて、どうしようもなく愛おしい。 「ありがとう」と自然に告げると、主任のその沈黙が、やけに心地よく胸に染みた。

 

 

工房を出て、拠点の中央にある広場へと戻ってきた。 シルヴィアが後ろについて歩き、正門にはカイザーが構え、遠くからは大型組の低い呼吸と、ワイバーンの羽音、小型区画の愛らしい鳴き声が響いてくる。

 

みんな、いる。 名前を呼べば、それぞれのやり方で返事をしてくれた。

 

広場の真ん中で立ち止まると、一気に足の力が抜けそうになった。 ギガノトがいるから、ワイバーンがいるから安心したんじゃない。ドードーも、ビーバーも、アンキロも、主任も、シルヴィアも、カイザーも、みんながいてくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。強さも役割も関係ない。みんな、等しく大事な命だった。

 

顔を伏せた。泣いてしまえば止まらない気がして、何度も深く呼吸を繰り返す。

 

「……よかった」

 

シルヴィアがそっと鼻先を寄せてきた。今度は押し潰すような力ではなく、ただ私の肩にそっと寄り添うような優しい熱。その鼻先に、私は額を軽く預けた。

 

巨大な門、広大な区画、補修跡だらけの壁。 ここは、私のためだけの要塞ではない。この子たちが眠り、休み、私の帰りをずっと待っていてくれたのだと思いたくなる場所。

 

「……うん」

 

シルヴィアの鼻先を、もう一度強く撫でた。

 

「みんな、うちの子だ」

 

その言葉を口にした瞬間、拠点の中を清々しい朝風が吹き抜けた。高所でワイバーンの翼が揺れ、正門でカイザーが静かに目を閉じ、小型区画から小さな鳴き声がひとつ、応えるように返ってくる。

 

知らない土地。知らない朝。知らない身体。 分からないことばかりの世界だけれど、ひとつだけ、絶対に揺るがない事実が形を成した。

 

ここにいる子たちは、戦力でも、所有物でも、ただのデータでもない。 みんな、私の大切なうちの子たちだった。

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