廃人サバイバー、異世界へ行く   作:ドレットノータス

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第45話 まだ終わらない

仮キャンプに、朝が来た。

 

それは、昨日よりはほんの少しだけ、秩序の形を取り戻した朝だった。

 

テントの列は相変わらずひどく歪み、杭も天幕の布も足りていなかった。いくつかの天幕にいたっては、破れた帆布や兵士たちの外套を継ぎ合わせただけの、粗末なものだ。

 

それでも、そこには最低限の列が生まれていた。

 

負傷者区画を仕切る、簡単な目隠し。

 

水を配る場所に、静かに並ぶ人々の列。

 

乏しい食料を、義務的に分け合う者と受け取る者。

 

名を呼び上げ、生存者の数を確かめる、乾いた声。

 

担架を洗う者。布を大釜で煮沸する者。遺体処理班から戻り、己の靴にこびりついた泥を黙々と落とす者。

 

昨日の彼らは、ただ壊れ果てた軍勢の残骸にすぎなかった。

 

けれど、今は違う。

 

聖戦軍第一陣はすでに軍としての機能を失っていたが、生き残った者たちは、ようやく生き残るための営みを始めていた。

 

もちろん、そこに自由はない。

 

幕営地の出入り口は極めて厳格に制限されていた。そこには聖戦軍側の管理兵が立ち、そのすぐ外側には、まるで見張り塔のように大型のファミリアが静座していた。

 

誰が出るのか。何の目的で出るのか。いつ戻るのか。そのすべてが、淡々と帳簿へ記録された。

 

監視されている。その事実を、誰もが痛いほど理解していた。それでも、昨日よりは確実に声が通っていた。

 

「水、次だ」

 

「そっちの乾いた布は、負傷者区画へ回せ」

 

「墓地作業班、三十名。名を記録してから境界を出ろ」

 

「担架を早く戻してくれ。次の班が待っている」

 

それは怒号でもなければ、勝利の鬨でもない。

 

ただ、生き残るために必要な、最低限の生活の音だった。

 

 

その混迷の中を、リィナ・エルシアは歩いていた。

 

白い衣は一見、綺麗に整えられていた。けれど、袖口には必死な治療の痕が残り、指先にはまだ淡い神聖術の光の名残が消えずにまとわりついていた。顔色は白を通り越して青ざめ、目元には深い疲労の影が落ちていた。

 

それでも、リィナの歩みは少しも乱れていなかった。

 

彼女は、まっすぐに聖戦軍の治療区画へ向かっていた。

 

ただ人々を助けるためだけではない。

 

ここの現状を、正確に把握するためでもあった。

 

負傷者の総数と、重症者の割合。自力で動かせない者の特定。術力を使い切った治癒術師の数。水、布、薬、そして寝床の不足具合。

 

それらを狂いなく把握しなければ、この幕営地そのものが内部から腐り、崩壊する。

 

衛生環境が悪化して感染症が広がれば、死者はさらに増えるだろう。錯乱した兵が不用意に武器に触れれば、外のファミリアたちが即座にその牙を剥く。負傷者が放置されれば、そこから深い恨みと恐怖が、澱のように濁って溜まっていく。

 

リィナはもう、ただ柔らかく微笑んで人々を慰めるだけの聖女として、ここへ来たのではなかった。

 

一人の治療者として。

 

そして、アルカノア側の管理者として。

 

リィナは治療区画の入り口で足を止めた。

 

そこには、数人の従軍治癒術師がいた。彼らはリィナの姿を認めると、一様に複雑な表情を浮かべた。

 

かつての聖女。

 

今は魔女、あるいは敵側に立つ裏切り者。

 

それでも、彼らには到底及ばないほどの治療の知識を持つ者。

 

彼らの目に浮かぶ感情は、決して一つに割り切れるものではなかった。

 

「重症者は何人ですか」

 

リィナは挨拶を省き、真っ直ぐに切り出した。

 

声は低く、ひどく掠れていたけれど、そこに迷いはなかった。

 

年配の施療司祭が、手元の記録板を指が白くなるほど強く握りしめた。

 

「正確な数は、まだ……。ですが、重症区画に運んだ者だけで二百を超えています。中等症はその倍以上。軽傷者は、もはや数えきれていません」

 

「動かせない方は」

 

「七十名ほど。骨折、激しい出血、術力の枯渇、溺水後の肺の不調。森で未知の毒を受けた者もいます」

 

「治癒術師は何名残っていますか」

 

「動ける者は二十七名。術を使える者はその半分ほどです。神官見習いも含めれば手はありますが、術力はもう……尽きかけています」

 

司祭の声が、悔しさに少しだけ詰まった。

 

リィナは静かに頷いた。

 

「術力切れの方を無理に現場に立たせないでください。その方が倒れれば、助かるはずの方まで助からなくなります」

 

施療司祭は、悔しげに唇を噛んだ。

 

「……分かっています」

 

「遺体処理班と負傷者区画は、必ず分けてください。布も水も、決して共用しないこと」

 

「ですが、水が圧倒的に足りないのです」

 

「なら、優先順位を決めてください。飲み水。傷を洗う水。布を洗う水。全部を同じ扱いにしないでください。汚れた布をそのまま使わないで、煮沸できるものは煮沸を。できなければ、せめて区画を細かく分けて管理してください」

 

リィナの言葉は、冷たいほどに早かった。

 

かつての柔らかさはなかった。だが、反論の余地がないほど的確だった。

 

「聖水の残りはどこに保管していますか」

 

その問いに、治癒術師たちの表情が一瞬で強張った。

 

彼らにとっては、治癒や浄化に用いる聖なる奇跡の水。

 

だが、アルカノア側にとっては違う。ファミリアたちの傷を焼き、回復を阻害し、傷口の奥に厄介な術式を残す危険物に他ならない。

 

「……一部は治療区画に」

 

「すぐに移してください」

 

リィナは即座に言った。

 

「武器と同じ扱いでまとめて管理してください。許可なく使うことは禁じます」

 

「しかし、聖水は治療にも――」

 

「今は危険物です」

 

リィナの声は静かだった。

 

だが、その静けさが、かえって治癒術師たちを黙らせた。

 

「ここでは、あの聖水が誰をどれほど傷つけたか、私はすべてを知っています」

 

施療司祭は、返す言葉を失った。

 

リィナは視線を落とさなかった。

 

「必要な場合は個別に申請してください。使い方と対象を私が確認します」

 

「……承知、いたしました」

 

彼は、搾り出すように苦しげに頭を下げた。

 

 

従軍治癒術師たちもまた、限界を迎えていた。

 

彼らは、傷ついた人々を癒やすためにこの島へ来た。少なくとも、彼ら自身はそう信じていた。

 

聖騎士たちを守るため。

 

義勇兵を救うため。

 

神の名の下に戦う者を支えるために、荒れた海を越えてきたのだ。

 

けれど今、彼らの目の前にあるのは、無慈悲な選別だった。

 

誰から先に治療するか。

 

誰を後回しにするか。

 

誰に貴重な術を使い、誰には水と濡れ布だけで耐えてもらうか。

 

そして、誰を看取りの側へ移すか。

 

若い治癒術師が、血の染み込んだ布を握りしめたまま、うわ言のように呟いた。

 

「我々は、癒やすために来たはずでした。けれど今は、誰を先に諦めるかを決めている……」

 

リィナは、すぐには彼を慰めなかった。

 

いや、できなかった。

 

その言葉の重さを、誰よりもリィナ自身が痛いほど知っているからだ。

 

さきほどまで、彼女も屋敷の奥で、全く同じことをしていた。

 

ファミリアたちの傷を見て、聖水で焼けた痕を見た。

 

聖印の残留術式が肉の奥深くへ食い込み、結界杭で裂かれた傷が、通常の治癒術を拒むように激しく弾くのを見た。

 

助けられる子。

 

まだ分からない子。

 

もう、どうしても戻せない子。

 

その残酷な判断を、彼女自身、何度も何度も迫られてきたのだ。

 

だから、リィナは簡単に「諦めないでください」などとは言えなかった。

 

それは地獄の現場を知らない者の、ただの綺麗な言葉にすぎなかった。

 

「優先順位を決めてください」

 

リィナは重ねて、静かに言った。

 

若い治癒術師が、すがるように顔を上げた。

 

「助かる可能性が高い方から。術を使えば助かる方に、優先して術を使ってください。術を使っても助からない方にすべてを注げば、助かるはずだった方まで失うことになります」

 

言葉は、刃のように冷たかった。

 

だが、そこには治療者としての現実があった。

 

「聖女様なら」

 

若い治癒術師は、掠れた声で言った。

 

「全員を救えと、奇跡を起こせと仰るのかと思っていました」

 

リィナは、少しだけ目を伏せた。

 

その華奢な肩が、ほんのわずかに揺れた。

 

「全員は、救えません」

 

静かな、短い一言だった。

 

それだけで、治療区画の空気が凍りついたように重く沈み込んだ。

 

リィナは続けた。

 

「救える方を救ってください。看取るべき方を、決して放置しないで。錯乱している方は、武器や聖具の近くに置かないでください。眠れない方を、遺体処理班の戻り口に置かないで。死の匂いと音で確実に悪化します。負傷者区画と看取りの場所は、分けてください」

 

年配の施療司祭が、ゆっくりと重く頷いた。

 

「……はい」

 

「術力切れの方には、水と休息を。無理に術を使わせないでください。倒れた治癒術師は、ただの患者になります」

 

リィナの言葉に、もう誰も返せなかった。

 

それはあまりにも正しく、あまりにも痛い、治療者としての真実だった。

 

 

その頃、拠点の奥には、別の静けさがあった。

 

治療区画には、白い冷気がまだ残っていた。

 

雪フクロウたちが翼を畳み、疲れ切ったように止まり木に深く伏せていた。ダエオドンは低く息を吐き、腹を重そうに上下させていた。

 

医療設備の淡い光は、まだ消えていなかった。

 

リィナが残した術式の輝きが、寝台の周囲で細い糸のように揺れていた。

 

散乱した包帯と固定具。

 

剥がされた聖印の破片と、焼け焦げた布。

 

聖水の痕を必死に拭き取った、黒ずんだ跡。

 

血で固まった毛を切り取った、悲しい束。

 

そこには、人間たちの幕営地とは別の、まだ終わらない戦いがあった。

 

ライラは、その中にいた。

 

ほとんど眠っていなかった。

 

何かを食べた記憶も曖昧だった。

 

指揮をして、大切な赤枝を失い、降伏を受け入れ、生存者の管理を命じた。そして今、ようやく戻ってきた子たちの傍にいた。

 

ライラの瞳は、どこか遠くを見つめていた。

 

けれど、ファミリアに触れるその手だけは、恐ろしいほどに丁寧だった。

 

最初の子は、小さなディロフォサウルスだった。

 

名は、ミズハ。

 

雨上がりの水たまりで跳ねるのが好きで、まだ拠点が小さかった頃、ライラの足元を何度もくるくると回っていた子だった。

 

今は、布を敷かれた寝台の上で小さく丸まっていた。

 

聖水を浴びた痕は、リィナと雪フクロウが何度も処置を施した。残っていた術式もできる限り剥がし、傷も塞がりかけていた。

 

それでも、息は浅かった。

 

身体の奥の芯が、もう戻るための力を失っていた。

 

ライラは寝台の横に静かに座り、そっとその額に手を置いた。

 

かつてなら、近づいただけで嬉しそうに鼻先を擦りつけてきた子だった。

 

今は、まぶたを上げる力さえほとんど残っていなかった。

 

「うん」

 

ライラは、できるだけいつもと同じ声で言った。

 

「いるよ。ここにいるよ」

 

ミズハの喉が、小さく震えた。

 

鳴き声にもならない、微かな、かすれた音だった。

 

「頑張ったね。ちゃんと帰ってきたね」

 

ライラの声は震えなかった。

 

震えさせないように、張り詰めた糸のように必死に耐えていた。

 

ミズハの目が、ほんの少しだけ開いた。

 

ライラの方を見たのか。

 

それとも、もう光すら見えていなかったのか。

 

それは分からなかった。

 

「もう、いいよ。寝ていいよ」

 

指先で、優しく額のあたりを撫でた。

 

「痛くない?」

 

返事は、なかった。

 

「そっか」

 

ライラは、小さく息を吐いた。

 

「ごめんね。帰ってきてくれて、ありがとう」

 

最後に、喉の奥で小さな音がした。

 

それきり、ミズハは動かなくなった。

 

ライラは、しばらく手を離さなかった。

 

もう痛みを感じないその頭を、何度も、何度も、静かに撫で続けていた。

 

 

二体目は、夜明け前に息を引き取った。

 

翼膜を焼かれたミクロラプトルだった。包帯を替える時にはまだわずかに反応があったが、次にライラが見に来た時、その小さな身体はすでに冷たくなり始めていた。

 

ライラは静かに名前を呼んだが、返事はなかった。

 

三体目は、デイノニクスの若い個体だった。

 

結界杭の傷が深く、何度も術式を剥がしては血を止めた。最後には、ライラの手を噛むように、弱く弱く顎を動かした。

 

痛いほどではない。

 

ただ、そこに主人がいることを確かめるような、最後の動きだった。

 

「いるよ。ここにいるよ」

 

その顎から、ゆっくりと力が抜けていった。

 

四体目は、最期まで鳴かなかった。

 

小さな爪で、ライラの服の裾をぎゅっと掴んでいた。名前を呼ぶと、その爪にほんの少しだけ力が入った。

 

それが最後だった。

 

やがて、その爪からも静かに力が抜けた。

 

ライラは、泣き叫ばなかった。

 

誰かを責める声も出さなかった。

 

ただ、次の寝台へ行き、座り、名前を呼び、撫で、見送った。

 

その淡々とした、終わりなき繰り返しだった。

 

繰り返せてしまうことこそが、彼女の心がもう限界に近い証拠だった。

 

シルヴィアが、窓の外で低く喉を鳴らした。

 

いつもなら褒めてほしそうに顔を寄せ、鼻先を押しつけてくる大竜が、今は窓の外でじっと佇んでいた。

 

自分が動けば、狭い治療区画を壊してしまうことを理解しているのだ。

 

それでも、どうしても離れられなかった。

 

ライラは、ほんの少しだけ窓の方へ歩いた。

 

シルヴィアが、そっと大きな頭を下げた。

 

ライラは、その硬く温かい鼻先に、己の額を預けた。

 

ほんの一瞬だけだった。

 

シルヴィアの喉が、悲鳴にもならない、切ない低い音で震えた。

 

「大丈夫」

 

ライラは言った。

 

誰に向けた言葉なのか、自分でももう分からなかった。

 

それから、また次の寝台へと静かに戻っていった。

 

 

リィナが従軍治癒術師たちの案内で重症者区画を回り終えたのは、夕方近くになってからだった。

 

そこには、死の気配と、必死に生きようとする気配が重く混ざり合っていた。

 

海で溺れかけた兵の浅い呼吸。

 

森で毒を受けた義勇兵の痺れ。

 

第三防衛線で腕を砕かれた聖騎士。

 

意識が朦朧とした神官。

 

毛布を被って震える捕虜たち。

 

リィナは、感情を押し殺して指示を出し続けた。助かる者と危ない者を見分け、処置の順番を決めていった。

 

「私達は、一体何をしに来たのでしょう」

 

若い治癒術師が、ぽつりと呟いた。

 

リィナはその問いにすぐには答えず、少しだけ沈黙してから言った。

 

「傷を増やしに来ました」

 

彼の顔が強張り、周囲の神官たちも一斉に息を呑んだ。

 

リィナの声は低かった。けれどその言葉には、確かに激しい怒りがあった。

 

リィナは、静かに目を伏せた。

 

「……でも、今は減らしてください。ひとつでも」

 

若い治癒術師は、泣きそうな顔で深く俯いた。

 

「はい」

 

その返事はひどく小さかったけれど、確かに意味のある返事だった。

 

彼らの分類を進め、最低限の秩序を幕営地に戻したリィナは、重い足取りで屋敷へと戻った。

 

聖水や聖具を管理下に置き、錯乱した者を隔離した。生存者たちは少しずつ、生き残るための形を取り戻しつつあった。

 

それはライラに真っ先に報告すべきことだった。

 

けれど、屋敷の奥の治療区画に入った瞬間、リィナの言葉は喉の奥で止まった。

 

 

小さな寝台の傍らに、ライラがぽつんと座っていた。

 

そこにいたのは、まだ幼いファミリアの個体だった。普段なら小型組の端で静かに眠り、誰かの大きな尻尾にくっついて歩いていた子。

 

聖印の破片による術式が身体の奥で治癒を邪魔し、リィナが削り、雪フクロウが冷やし、ダエオドンが支えたが、ついにその短い呼吸が止まったようだった。

 

ライラは、その動かなくなった小さな爪に、自らの指をそっと添えていた。

 

そしてライラの前には、小さな身体たちが綺麗に白い布に包まれて、静かに並んでいた。

 

ひとつではない。

 

並べられた布の数を見た瞬間、リィナの喉が激しく詰まった。

 

「……何人ですか」

 

聞いてしまってから、猛烈に後悔した。

 

数で聞くべきことではなかった。けれど、一人の治療者として、確認せずにはいられなかったのだ。

 

ライラは、しばらく答えなかった。

 

視線は、布の一つに向けられていた。

 

やがて、小さく言った。

 

「今日だけで、四」

 

それ以上は、声にならなかった。

 

リィナは、何も言えなかった。

 

四。

 

数字としてはあまりにも小さかった。

 

十万が一万になった平原の戦いの後では、小さな数字に見えるかもしれない。

 

けれど、ライラにとっては全く違う。

 

四つの名前。四つの異なる癖。四つの鳴き声。

 

四つの、生きて帰ってきてほしかった、かけがえのない家族。

 

それが、今日だけで消えたのだ。

 

ライラが、ひどく静かな声で尋ねてきた。

 

「向こうは?」

 

リィナは少しだけ目を伏せた。

 

「少し、落ち着いてきています。重症者は多いですが分類は進みました。従軍治癒術師たちも、最低限は機能し始めています。負傷者区画も整いつつあり、暴動や錯乱は今のところ抑えられています」

 

ライラは、ゆっくりと頷いた。

 

「そっか」

 

怒りでも安堵でもない。

 

ただ、事実を淡々と受け止めただけの掠れた声だった。

 

少し間を置いて、彼女は呟いた。

 

「よかった。早く片づいてくれた方がいい」

 

彼女は布に包まれた小さな体をそっと撫でながら、静かに、淡々と言った。

 

けれど、その淡々としている姿勢こそが、胸を刺すように痛かった。

 

「もう、誰にも近づいてほしくない」

 

リィナは何も言えなかった。

 

その拒絶の気持ちが、痛いほど分かってしまったからだ。

 

 

夜になって、仮キャンプには点々と灯りがともった。

 

負傷者区画には水が運ばれ、治癒術師たちは声を掛け合い、墓地では名を記すための火が静かに揺れていた。テントの間にはまだ呻き声や泣き声があり、眠れない者が大勢いた。

 

けれど、彼らは少しずつ、生き残るための明日を作り始めていた。

 

その同じ夜。

 

屋敷の奥では、ライラがもう動かない小さな頭を、何度も、何度も撫で続けていた。

 

リィナはその隣に、静かに寄り添うように立っていた。

 

治療区画には、まだ息の荒い子がいた。眠っている子もいた。眠っているようにしか見えない子もいた。

 

ライラは、ぽつりと言った。

 

「……まだ、終わらないね」

 

リィナは、答えることができなかった。

 

戦闘は終わった。

 

降伏も受け入れた。

 

捕虜も返し、生存者も集めた。

 

人間たちは、少しずつ明日を作り始めていた。

 

けれど――この家が、大切な家族を失う時間は、まだ、何一つ終わってはいなかった。

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