盾は積まれた。
折れたもの、穴の空いたもの、そして、もう動かない持ち主の手からようやく外されたもの。それらは用途と状態ごとに分類され、第三防衛線の外れへと整然と運ばれていく。
旗は畳まれた。
泥を吸い、血を吸い、もう二度と隊列の先頭で誇り高く掲げられることのない白銀の布が、記録係の前で一枚ずつ広げられる。隊名を確認され、小さく、静かに折り畳まれていった。
聖印は布に包まれた。
割れたもの、煤けたもの、持ち主の身元を示す小さな刻印だけが残ったもの。それらは丁寧に泥を拭われ、番号を振られ、遺品として木箱の中へ収められていく。
第三防衛戦跡の殺し間には、まだ濃く戦場の匂いが残っていた。
血を吸った土、焦げた草、踏み荒らされた地面。砕けた結界杭の破片と、泥に置き去りにされた担架の跡。それらは、数日で消えるような生易しいものではなかった。
けれど、そこにあった無秩序な死は、少しずつ記録と墓へと形を変えつつあった。
倒れていた者は布で丁寧に包まれ、名の分かる者には名が記され、名の分からない者には、装備や傷の形、聖印の欠片、身につけていた布の色が克明に書き留められた。
生き延びた兵達は、作業の最中に何度も足を止めた。
昨日、自分達が死に物狂いで走り抜けた場所。仲間をその場に残し、背を向けて進んだ場所。盾が折れ、旗が倒れ、誰かの祈りが途切れた、その全く同じ場所を、今度は担架を抱えて静かに歩いている。
誰も、その矛盾を口にはしなかった。
口にしてしまえば、自分自身がこの平原で立っていられなくなることを、全員が知っていたからだ。
◆
浜と第三防衛戦跡地の中間にある、海が見える開けた丘。
戦死者墓地と定められたその場所にも、少しずつ形が生まれ始めていた。
まだ粗い土の線が引かれているだけの場所だった。けれど、すでにいくつかの深い墓穴が掘られ、簡素な木の墓標が等間隔に立ち始めている。
身元が確認できた者の墓。身元不明の者をまとめた無名墓。そして、遺体の戻らない海で散った者達のための、静かな慰霊標。
土をかける兵がおり、名を刻む記録係がおり、ただ膝をついたまま祈る言葉さえ忘れて黙り込んでいる者がいた。
墓地の外縁には、常にファミリア達の影があった。
一定の距離を保ち、大型の個体達が静かに丘を囲むように座っている。空にはワイバーンが低く旋回し、森の影からは狼に似た獣達が静かに見つめていた。
近づいてはこない。けれど、監視の目を離しもしない。
その境界線の内側で、聖戦軍の者達は黙々と死者を弔っていた。
「そこに術式を入れないでください」
リィナの声が、墓地の一角に静かに落ちた。
祈祷班の神官が、びくりと肩を震わせる。彼の手元には、死者の安息を願うための簡素な聖句板があった。だが、彼がその裏面に刻み込もうとしていたのは、ただの祈りではなかった。
「聖域化の術式は入れないでください」
リィナは、もう一度繰り返した。
神官は青ざめた唇を震わせる。
「ですが、死者の眠る場所です。せめて、清めの結界を……」
「清めの祈りは止めません」
彼の言葉を、リィナは静かに遮った。声は荒くなかった。けれど、一歩も譲る気がないことを明確に示していた。
「ですが、ここは法国の土地ではありません。墓地を置くことは許可されています。死者への祈りも認められています。けれど、ここを聖域として固定する術式、結界化する術式、そして法国の権利を主張するための碑文は、一切許されません」
神官は、返す言葉を失って俯いた。
少し離れた場所で、アレクシオ・レーヴェン枢機卿がそのやり取りを静かに見守っていた。彼は何も言わなかった。ただ、リィナの視線に気づくと、深く、重く顎を引いた。
許されている。だが、それは認められたわけではない。
この墓地は法国の聖地などではない。アルカノアの中に、条件付きで許された墓地にすぎないのだ。
その事実が、祈る者達の背中へ見えない鎖のようにのしかかっていた。
◆
仮キャンプでは、負傷者区画がかろうじて回り始めていた。
重症、中等症、軽症、感染の危険がある者。海で溺れかけて肺を痛めた者、森の毒が抜けきらない者、錯乱している者、そして看取りが必要な者。
リィナが前日に示した負傷者の分類は、従軍治癒術師達の手で少しずつ運用され始めていた。
もちろん、物資は圧倒的に不足していた。水も、清潔な布も、薬も、寝床も、彼らの術力も。
それでも、昨日までの絶望に満ちた混沌に比べれば、遥かにましだった。誰をどこへ運ぶのか、誰を休ませるのか、それを決める秩序がそこにはあったからだ。
リィナは重症者区画の手前で立ち止まり、従軍治癒術師達に向き直った。
「あなた達で回してください」
治癒術師達が一斉に顔を上げる。その中には、昨日、血の染みた布を握りしめて「誰を先に諦めるかを決めている」と泣いていた若い治癒術師の姿もあった。
「私は、全員を診ることはできません」
リィナの静かな宣告に、誰も反論しなかった。彼らはもう、頭では理解しているのだ。
リィナが手を貸せば、目の前の数人は助かるかもしれない。けれど、リィナにはアルカノア側の、屋敷の奥で待つファミリア達の治療がある。そして、リィナ自身もすでに限界に近いことを、彼らは見て取っていた。
「優先順位を間違えなければ、助かる方は増えます。術力の残っている方を、看取りのためだけに使い切らないでください。看取りは必要です。けれど、術でしか救えない方も確かにいるのです」
年配の施療司祭が、苦しげに頷いた。
「……はい」
「動かせる方と動かせない方を明確に分けてください。錯乱している方は武器から遠ざけること。聖水や聖具は、治療用であってもすべて一度管理下に置きます。必要になった場合は、私に個別に確認を取ってください」
返事はどれも重かった。けれど、昨日よりは確実に揃っていた。
聖戦軍は、まだ壊れている。けれど、壊れた残骸のまま、彼らはかろうじて最低限の形を取り戻し始めていた。
◆
屋敷の奥でも、一つの大きな山が越えられつつあった。
治療区画には、まだ白い冷気が薄く残っている。
雪フクロウ達は止まり木に伏せ、ほとんど動かなかった。羽の端に残った霜を払う力さえ惜しむように、静かに目を閉じている。
ダエオドンも横たわっていた。低い呼吸が、床をわずかに震わせている。何度も力を使い、何度も体力を絞り出したその巨体は、ひどく疲れ切っているように見えた。
医療設備の淡い光は、まだ消えていない。
リィナが残した治療術式が、寝台の周囲に細い光の糸として揺れていた。すべてが終わったわけではない。ただ、致命的な危機を、ようやく脱しただけだ。
包帯を巻かれた小型組が深く眠り、固定具をつけた戦闘組が、静かに荒い呼吸を繰り返している。
採取組の何体かは、しばらく外に出られないだろう。脚を痛めた子、毒が抜けきらない子、そして、聖印の残留がようやく薄れた子。
聖水の焼け跡は残っている。神聖術による回復阻害も、完全に消え去ったわけではない。
眠っている子もいれば、ただ動けないだけの子もいる。
そして、空いた寝台がいくつかあった。
それが、治ったから空いたものではないということを、ライラは誰にも説明しなかった。
◆
ライラは、治療区画の端、小さな椅子の背にもたれかかっていた。
座っている、というより、ただそこに体を預けているという方が近かった。
眠れていない。食べていない。返事は遅く、その視線は、ときどき空いた寝台の方をぼんやりと見つめていた。
表情は抜け落ちたように薄かった。けれど、包帯を巻かれたファミリアの頭を撫でる手だけは、いつもと同じように、壊れ物に触れるように丁寧だった。
「ライラさん、少し休んでください」
リィナが声をかけると、ライラはすぐには答えなかった。
指先が、小さなファミリアの額を撫でる。一度。二度。それから、ようやく小さく掠れた声を出した。
「あとで」
たったそれだけの返事をするまでに、ひどく長い沈黙があった。
リィナの胸の奥が、ぎりぎりと痛んだ。
「治療状況を、報告します」
ライラが、わずかに顔を上げた。
「危篤だった子のうち、何体かは山を越えました。まだ予断を許さない子もいますが、聖印の残留はかなり抜きました。神聖術の回復阻害も弱まっています。ただ、しばらくは絶対に安静が必要です。戦闘組も採取組も、外に出せない子が多いです。小型組の子達も、精神的にかなり怯えています」
ライラは黙って聞いていた。
言葉の意味は、すべて理解しているはずだ。けれど、それを受け止めるべき感情が、彼女の心の中にまだ残っているのか、リィナには分からなかった。
「助からなかった子達も、います」
その一言だけは、もう無機質な報告にはできなかった。リィナの声にも、どうしても抑えきれない痛みが滲む。
ライラは、空いた寝台を見つめた。
「もう、大丈夫?」
小さな、子供のような問いだった。
リィナは、すぐには答えられなかった。「大丈夫です」と言えば、それはただの傲慢な嘘になる。まだ危ない子はいる。痛みを抱えたまま動けない子も、眠れない子もたくさんいる。
だから、リィナは現実を正確に答えた。
「……大丈夫に、近づきました」
ライラは、ゆっくりと瞬きをした。
「そっか」
安堵ではなかった。けれど、絶望だけでもない。
ようやく、次の段階へ進むことを決められる程度には、この時間が落ち着いたのだということを、彼女は受け止めていた。
◆
話し合いの場所は、拠点ではなかった。
仮キャンプの外縁に、簡易の会議場所が設けられた。椅子があり、机があった。だが、それは交渉の場というより、境界線の上に置かれたただの板だった。
片側に、アルカノア。もう片側に、敗れた聖戦軍。
その境界の外側には大型のファミリア達が静座し、遠くにはカイザーがすべてを見下ろすように伏せ、空ではワイバーンが旋回していた。
会議の場への武器の持ち込みは、当然のように一切認められなかった。
アレクシオ・レーヴェン枢機卿は、白い法衣を整えて席についた。泥も血も完全には落ちておらず、腕には痛々しい包帯が残っている。だが、彼は背筋を曲げていなかった。
敗軍の最高指揮官として。
死者と生存者を背負う者として、彼はそこに座っていた。
ライラは、その向かいに座る。
小柄な、十六歳の少女。見た目だけなら、あの圧倒的な戦場を支配した魔王には到底見えない。
けれど、アレクシオはもう身をもって知っている。この少女の一言で、空が動き、海が砕け、森が閉じ、鋼の塔が火を噴き、巨獣達がその牙を揃えたのだということを。
そして、この少女は今、ひどく疲れ切っていた。
リィナは、二人の間に立つようにして席についた。互いの言葉を正確に補い、この一触即発の境界線で、決定的な誤解を避けるために。
会議は、静かに始まった。
◆
「生存者は、仮キャンプで管理を続ける」
ライラは、最初にそう口を開いた。
声は小さかった。けれど、それは議論の余地のない決定だった。
「ここに住ませる気はない。でも、今すぐ海に出して死なれても困る。重い怪我の人もいるし、船も壊れてるから。だから、動けるようになるまでここ」
アレクシオは、静かに頷いた。屈辱はある。だが、それ以上に重い現実があった。
「出入口の管理は続ける。勝手に出ないで。隠れないで。うちの子達に近づかないで」
「承知しています」
アレクシオは答えた。
「残存兵にも徹底させます。許可された班以外を境界の外へ出さない。武器の持ち出しも、決して行わせない」
ライラは、小さく頷く。
「うん」
それだけだった。
許されたわけではない。ただ、次の問題に進んだだけだ。
◆
次に、墓地の話になった。
アレクシオは、重い声で言った。
「可能な限り、遺体の身元確認を続けたい。海で失われた者の記録も残したい。墓地の整備も、許される範囲で続けたい」
「墓はいい」
ライラは答えた。
「祈るのもいい。でも、聖域にしないで。結界もだめ。法国の土地みたいにしないで。あと――あとで『墓参り』って言って、勝手に来るのもだめ」
その言葉は、あまりにも率直だった。
リィナが、その裏にある規律を静かに補足する。
「墓は残せます。祈りも止めません。ですが、ここを法国の領土にすることは許されません。将来、墓参りを理由に無断で島へ入ることも不可能です。墓地は、あくまでアルカノアの管理下に存在するだけにすぎません」
アレクシオは目を伏せ、苦い沈黙が落ちた。
「……受け入れます」
法国の枢機卿としては、苦い屈辱の言葉だった。だが、敗軍の指揮官としては、生きて兵を帰すために言わなければならない言葉だった。
◆
武器と聖具の話になった時、ライラの声がほんの少しだけ硬くなった。
「武器は返さない」
アレクシオの目がわずかに動く。
「聖水も。攻撃に使う聖具も。結界杭も、攻撃用の聖印具も。――それで、うちの子達が焼けた」
声は小さかった。怒鳴ってはいなかった。けれど、その底には隠しきれない、大切な存在を傷つけられたことへの怒りがあった。
「持って帰らせない」
アレクシオは、一瞬だけ反論しようと身を固くした。だが、彼が言葉を発する前に、リィナが制するように口を開いた。
「アレクシオ枢機卿。聖水と聖印具は、こちらではファミリア達を傷つける危険物として扱われます。実際に、ファミリア達に多数の負傷者が出ています。返却は不可能です」
「治療用のものもある」
「必要なものは、こちらで逐一確認します。治療用途であっても、無許可の使用は認められません」
アレクシオは、リィナの顔を見た。
疲れ切った顔。眠っていない、感情を押し殺した目。そして、昨日までファミリア達を必死に治療していたリィナの、暗く静かな決意。
彼は、ゆっくりと息を吐き、反論を飲み込んだ。
「……承知しました」
武器は返らない。
聖水も返らない。
聖戦軍第一陣は、武装を失った敗軍として国へ帰る。その現実が、境界線の上に重く沈んだ。
◆
帰還方法については、さらに現実的だった。
「帰るなら、帰って」
ライラは言った。
「でも、船を直してから。重い怪我の人を動かせるようにしてから。勝手に出たら沈む。変なことをしたら沈める」
アレクシオは、海の方を見た。
あの海。第一防衛線で艦隊を砕いた海。その下には、まだ巨大な影が潜んでいる。普通に出航して帰れるとは、もう誰も思っていなかった。
「船の修理は、許可されるのですか」
「監視の下なら」
ライラは答える。
「修理はいい。でも武器を直すのはだめ。勝手な出航もだめ。食べ物と水は最低限。それ以上は、自分達でやって」
「帰還は、自力で、ということですか」
「うん」
あまりにもあっさりした返事だった。
助けて送り届けるつもりはない。けれど殺すつもりもない。自分達で勝手に来たのだから、自分達で帰れ。ただ、そのために必要な最低限の猶予だけは与える。
それが、ライラの明確な線引きだった。
◆
「あなたは帰って」
ライラは、アレクシオを真っ直ぐに見据えて言った。
「見たことを話して」
アレクシオは息を止めた。それが命令なのか、警告なのか、一瞬判断できなかったのだろう。
いや、おそらくその両方だった。
「次に来たら、今度はもっと早く止める」
ライラの声はどこまでも静かだった。だが、アレクシオはその意味を痛いほど理解した。
今回は、段階があった。警告があり、降伏勧告があり、逃げる者は追わず、捕虜は返され、死者は弔わせてもらえた。
だが、次も同じ慈悲があるとは限らない。
十万が一万になり、捕虜は返され、死者は食われず、墓地は許された。それでも、この島は侵入者を容赦なく止めた。
アレクシオは、それを法国へ伝えなければならない。ただ魔王の島と叫び、正義の旗を掲げるだけでは、あまりにも足りないのだと。
その報告者としての重さが、彼の肩にのしかかっていた。
「……報告します」
アレクシオは言った。
「私が見たことを。起きたことを、すべて」
ライラは、小さく頷いた。
◆
不気味な沈黙の後、アレクシオが静かに問うた。
「貴女は、我々を罰しているのか」
リィナは、わずかに目を伏せた。
その問いは、昨日からずっと、生き残った聖戦軍の者達のなかに燻り続けていたものだった。
遺体を運ばせること。武器を取り上げること。墓地を許しながら聖域化を禁じること。仮キャンプに閉じ込めること。
それは、罰なのか。
それとも、慈悲なのか。
ライラは少しだけ考えた。
考える時間が、いつもよりずっと長かった。
やがて、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「片づけてる」
アレクシオは、すぐにはその言葉の意味を理解できなかった。
「……片づけている?」
「うん。家に入ってきたものを、外に出すだけ」
アレクシオは、完全に言葉を失った。
それは、あまりにも根本から異なる価値観だった。
聖戦軍にとって、この戦いは聖戦であり、人類を守るための大義だった。だが、ライラにとっては違う。
誇り高き敵軍でも、外交相手でもない。ただ家に入り込み、うちの子達を傷つけ、死者と危険物を残した侵入者。
だから、片づける。
慈悲でも、復讐でも、征服でもない。
ただ、家を元の形に戻すための行為。
リィナは、呆然とするアレクシオへ静かに言葉を添えた。
「アレクシオ枢機卿。ライラさんは、あなた方を国として扱っていません。敵軍としても、もう見ていないかもしれません」
「では、何と」
リィナは、少しだけ間を置いた。
そして、苦い声で言った。
「家の中に残った、危険物です」
アレクシオは、何も言えなかった。
辛辣な、けれどこれ以上ないほどに本質を突いた言葉だった。彼らは、ライラの平穏な家へ踏み込んだ。その結果、今こうして管理され、回収され、分類され、外へ出されようとしている。
誇りも、祈りも、彼らの掲げた大義も。
その暮らしの見方の前では、あまりにも遠かった。
◆
会議は、淡々と続けられた。
生存者の分類、修理可能な船の数、墓地作業に必要な日数。アレクシオが、次の問いを口にしようとした、その時だった。
ライラの目が、一瞬だけ深く閉じた。
ほんの一瞬。けれど、リィナは見逃さなかった。
「ライラさん」
ライラは目を開ける。
「……聞いてる」
その声は、ひどく小さく、今にも消えそうだった。
アレクシオもそれに気づいていた。彼は、目の前の少女を見た。
魔王と呼ばれた存在、十万の軍を破った島の主人。だが、その肩はあまりにも小さく、その瞳には限界を超えた疲労が沈んでいた。
アレクシオは、ゆっくりと視線を落とした。
「……続きは、明日でもよろしいか」
ライラが顔を上げる。
アレクシオは、静かに続けた。
「残存兵の管理は、こちらで行います。決められた範囲を決して出させません。遺体処理も、墓地作業もこのまま続けさせます。船の修理についても、徹底して監視下で行わせます」
それは敗者としての服従だけではない。
一万の命を預かる、責任者としての申し出だった。
ライラはしばらく彼を見つめ、やがて、小さく頷いた。
「じゃあ、それで」
それが、この日の決定だった。
生存者一万人は仮キャンプで管理を継続。出入口管理とファミリアの監視。
遺体処理と墓地整備は、最後まで聖戦軍自身が行う。
墓地は許可するが、聖域化、結界化、法国の領有主張は禁止。
武器、聖水、攻撃用聖具は返却しない。
重傷者の移動が可能になるまで、帰還は延期。
船の修理は許可するが、武器の修復は禁止。
帰還は自力。
アレクシオは帰還後、法国に事実を報告する。
戦後処理は、ようやく次の段階へ進んだ。
平和ではない。
解決でもない。
ただ、次に片づけるべきものが見える程度に、混乱が整理されただけだった。
◆
ライラは、静かに椅子から立ち上がった。
その細い身体が、ほんの少しだけ揺れる。
リィナが支えようと手を伸ばしかけた瞬間、遠くでカイザーが低く喉を鳴らした。
ライラは振り返らなかった。
ただ、屋敷の方を見据えていた。
そこには、まだ包帯を巻かれた子達がいる。
眠っている子。
そして、もう二度と動かない子達がいる。
「戻る」
それは、会議を終えるための冷たい言葉ではなかった。
ただ、疲れ切った少女が、ようやく大切な帰るべき場所を思い出した、掠れた声だった。
アレクシオは、その小さな後ろ姿を静かに見送っていた。
魔王は、玉座へ戻るのではない。
傷ついた家族の待つ、ただの家へと帰るのだということを、彼はもう理解していた。