廃人サバイバー、異世界へ行く   作:ドレットノータス

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まだ、名前のない家

点呼を終えると、拠点の内側にいくぶんかの静けさが戻ってきた。

 

とはいえ、無音になったわけではない。むしろ逆だ。

 

あちこちに確かな息遣いが満ちている。低く重い呼吸。翼が擦れる音。小さな足音。水を飲む音。寝床の草がかすかに揺れる音。

 

ただ、先ほどまで私の呼びかけに応えていた子達は、それぞれの定位置へと戻っていった。

 

大型の子達は、ずしりと足音を響かせながら自分の区画へ。ワイバーン達は高所の岩棚へ翼を畳んで身を落ち着ける。小さい子達は眠そうに寝床へ集まり、誰かの羽毛に顔を埋める。採取組は穏やかな足取りで、それぞれの広場や素材置き場の近くへと引き返していった。

 

主任は、ヘルメットを被ったまま何も言わずに工房の奥へ戻った。

 

歩き方はのんびりとしている。それなのに、作業場へ入るその背中だけは、妙に頼もしげに見えた。

 

正門の方では、カイザーがまた伏せている。

 

あの巨体がそこにあるだけで、門の存在感が何倍にも増圧されて見えた。

 

シルヴィアだけは、私のそばから離れようとしない。

 

私が数歩でも歩けば後ろからついてくるし、足を止めれば隣に大きな頭を擦り寄せてくる。

 

相変わらず、距離感がおかしい。でも今は、その温もりがひどく心強かった。

 

中央に近い広場で、ゆっくりと周囲を見渡す。

 

みんな、いる。

 

その事実を確認できた。それだけで、本当ならその場にへたり込んでしまいたいくらいだった。

 

けれど、安心したからこそ、次の不安が鎌首をもたげる。

 

みんなが暮らすこの空間そのものは、果たしてどうなっているのか。

 

防壁は崩れていないか。倉庫の物資は無事か。作業台は使える状態か。餌箱は満たされているか。水場は機能しているか。防衛線は生きているか。奥にしまった設備は残っているか。

 

考え始めれば、確認すべき事柄は山ほどある。

 

広場の真ん中で、もう一度深く息を吸い込んだ。

 

草の青臭さ。土の香り。獣の体温。金属。水。そして、かすかに焦げたようなシルヴィアの匂い。

 

ここは、見知らぬ地の中にある。

 

でも、この場所だけは、私の記憶と確かに繋がっている。

 

だからこそ、この目で確かめなければならない。

 

視線を上げる。

 

高い壁。広い通路。そびえる塔。見張り台。正門。奥へ続く回廊。左右に広がる区画。高所の足場。工房への道。

 

「……ここ、本当に私の拠点なんだよね」

 

ぽつりと呟き、ゆっくりと歩き出した。

 

まず目を向けたのは、正門と外壁だ。

 

この一角は、拠点の中でももっとも『初期の構想』を残している。

 

高くそびえる門。石造りを思わせる壁。外側を見下ろせる見張り台。突き出した塔の構造。

 

朝日を受けて、門の金属部分が鈍く光っている。壁はところどころ補修され、石材の色も完全には統一されていない。それでも、遠目に見れば城と言えなくもない。

 

少なくとも、最初はそういうものを作ろうとしていたはずだ。

 

西洋の城。堅牢な壁と正門があり、塔が立ち、中央に巨大な館を構える。外敵を防ぎ、内側に資源と作業場を集約させ、必要なものを即座にクラフトできる場所。

 

見栄えの良い要塞。効率を極めた城塞。

 

おそらく最初は、そんなものを目指していた。

 

「……最初は、もっと綺麗に作るつもりだった気がする」

 

正門の横に立つ塔を見上げる。

 

形自体は悪くない。けれど、左右対称ではない。片側は後から壁を継ぎ足したせいで分厚くなっている。塔の上へ続く階段も、元からそこにあったというより、後から無理やり繋ぎ合わせたような角度をしていた。

 

正門の内側では、カイザーが伏せている。

 

黒い山のような巨体が、まるで城門の守護者のように陣取っていた。

 

それだけ切り取れば、たしかに城だ。恐ろしい獣が守る、巨大な城門。

 

でも、カイザーの尻尾が通路の一部を塞いでいて、それを避けるように床の端が削られているのを見ると、急に城というより『巨大な家の玄関』みたいに思えてくる。

 

「……カイザー、そこ邪魔じゃない?」

 

問いかけると、カイザーは片目だけを開けた。

 

そして、わずかに尻尾をずらした。ほんの数センチ。通路の端に僅かな隙間ができる。

 

「うん。ありがとう」

 

返事なのか、ただの気まぐれなのかは知る由もない。けれど、それで十分だった。

 

正門から内側へ向かって歩みを進める。

 

城塞としての面影を保っているのは、入り口周辺だけだった。

 

奥へ進むにつれて、その整然とした形はいびつに歪んでいく。

 

通路の幅が場所によってバラバラだ。壁の材質も途中で変わっている。床の色も揃っていない。石材が多い一角もあれば、金属補強が目立つエリアもある。さらに奥へ行くと、木材を多用した温かみのある区画も見えた。

 

後から増築した廊下。途中で拡張された部屋。元々の壁をぶち抜いて繋げた空間。天井を高くするために、強引に上へ継ぎ足した跡。

 

綺麗ではない。城として見れば、ひどく不格好だ。

 

でも、その不格好さにはすべて理由があった。

 

ここは、大型の子が通るには窮屈だった。だから広げた。

 

ここは、ワイバーンが翼をぶつけそうだった。だから天井を高くした。

 

ここは、小さい子が通るには危なかった。だから低い横道を用意した。

 

ここは、一体だけで寝るには広すぎた。でも、仲間と一緒にいたがる子達がいた。だから壁を取り払った。

 

一つ一つ、蘇ってくる。

 

曖昧だけれど、確かな手触りがある。

 

私はこの建造物を、設計図通りに作り続けたのではない。

 

誰かが増えるたびに、誰かが困るたびに、誰かが過ごしづらそうにするたびに、手探りで作り変えていったのだ。

 

「……そっか」

 

壁にそっと触れる。そこは、後から増設された部分だった。

 

色も、質感も、隣の壁とは微妙に違う。

 

でも、そのちぐはぐさが変に愛おしく見えた。

 

最初は、効率だけで考えていたはずだ。

 

ここに作業場。ここに倉庫。ここに大型用の通路。そして余ったスペースに寝床。

 

そういう優先順位だった。

 

でも今歩いてみると、実態は違う。

 

余った場所に寝床を置いたのではない。寝床が必要になったから、空間を広げたのだ。

 

その結果、工業区画は奥へと追いやられ、居住区がどんどん肥大化していった。

 

次に、工業・ストレージエリアへ向かった。

 

通路を曲がると、空気が一変する。

 

生き物の匂いは薄れ、代わりに金属や油、乾いた素材の匂いが鼻をついた。

 

作業台。炉。修理用の設備。素材置き場。予備装備。サドル。薬品。餌。ペイント道具。

 

棚や箱は、記憶にある通りに整然と並んでいた。

 

近くの収納に手を伸ばす。

 

どこに何があるのか、身体が記憶している。考えるより先に、手が動いた。

 

ここの箱には金属。隣には石材。奥には繊維や皮。壁際には予備の防具。高い棚には薬品。作業台のそばには、頻繁に使う素材。

 

中身も、きちんと整理されている。

 

荒れた様子はない。散乱してもいない。

 

「……ちゃんとしてる」

 

呟いてから、思わず苦笑した。

 

自分で作った場所なのに、まるで他人の見事な収納を見せられている気分だ。

 

ここは確かに、拠点の心臓部だ。

 

ものを作り、直し、補充し、増築し、足りないものを補う。

 

このエリアが機能しなければ拠点は維持できない。この子達の寝床も、餌場も、水場も、増やすことはできなかった。

 

でも、改めて歩いてみると、工業エリアは想像以上に手狭だ。

 

いや、人間の感覚からすれば広大すぎるくらいだが、拠点全体の面積から見ればほんの一部だった。二割。多く見積もっても三割程度。

 

「……あれ。こんなにコンパクトだったっけ」

 

当初は、ここを中心にするつもりだった。

 

素材を集め、加工し、装備を整え、次の遠征に備える。そういう生産拠点を核にするはずだった。

 

でも今は違う。

 

工業区画は、建物の奥にひっそりとまとまっている。機能は果たしているし、必要なものは揃っている。

 

けれど、ここはこの建造物の『中心』ではなかった。

 

棚の奥に、小さな箱を見つけた。

 

中には、塗料が残っている。赤、青、白。それから、少しの黒。横には、使いかけの筆のような道具。

 

攻略や防衛には、直接関わりのない代物だ。

 

けれど、目にした瞬間に鮮明に思い出した。

 

主任のヘルメット。

 

わざわざ作った。色まで塗った。たぶん、かなり真剣にこだわって塗装した。

 

なのに、出来上がったものを見て、みんなで大笑いした。

 

「主任」と書き込んだのだったか。それとも、それっぽいマークを入れただけだったか。

 

記憶の細部はぼやけている。でも、あの時の楽しさだけは、確かな熱を持って胸に残っている。

 

「こんなの、必要なかったのに」

 

ぽつりと漏れた。

 

必要なかった。強くなるためにも、効率を上げるためにも、生き残るためにも。なくても一切困らなかったはずだ。

 

でも、捨てられなかった。

 

塗料の残りも。使いかけの筆も。主任のヘルメットを作った時の名残も。

 

棚の別の箱には、小さな餌入れがあった。小型組用に作ったものだ。

 

初期のものは背が高すぎて、食べづらそうにしている子がいた。だから高さを低くした。怪我をしないよう角を丸めた。数も増やした。

 

別の棚には、シルヴィア用に使おうとした装飾材らしきものが眠っている。

 

綺麗な金属片。防御力には大して影響しなさそうな飾り。でも、きっと似合うと思ったのだろう。使う予定がなくなったのか、まだ使っていないだけなのかは分からない。

 

けれど、残っている。

 

必要だからではない。

 

捨てたくなかったからだ。

 

そういう品々が、合理性の塊であるはずの工業区画の中にいくつも紛れ込んでいた。

 

棚を閉じる。

 

ここは機能の場所だ。作り、直し、蓄え、備える空間。

 

でも、それだけではなかった。

 

みんなが暮らすために、ここがあった。

 

工業エリアのために暮らしがあるのではない。

 

暮らしのために、工業エリアが存在しているのだ。

 

今さらながら、その事実に気づかされた。

 

「……うん」

 

小さく頷き、工業区画を後にする。

 

シルヴィアは入り口の外で待っていた。

 

中へ入りたそうに首を下げていたが、さすがに窮屈だと理解しているのか、無理に入ってこようとはしなかった。

 

「えらい」

 

声をかけると、シルヴィアは得意げに鼻を鳴らした。ひどく誇らしげだ。

 

「褒められ待ちだったの?」

 

もう一度鼻を鳴らされた。どうやら図星らしい。

 

私はふっと笑い、居住区の方へと戻った。

 

居住区は広大だ。

 

改めて歩き回ると、笑ってしまいそうになるほど途方もない。

 

通路を曲がれば誰かの部屋。階段を上ればワイバーン用の高台。広場を抜ければ大型肉食組の寝床。低い小道の先には小型組の柔らかい区画。水場に近い場所には生活組。素材置き場のそばには採取組。

 

城の構造としては、完全に破綻している。

 

通路は蛇行し、部屋の広さもまちまちだ。塔の配置もいびつで、外観の美しさよりも内側の都合が優先されきっている。

 

でも、雑な造りではない。

 

その子達の生態に合わせて、何度も丁寧に手を加えられている。

 

大型組の区画に足を踏み入れると、その容積を改めて実感した。

 

点呼の時は、そこにいる子達のサイズに圧倒されていた。今度は、部屋そのものに目を向ける。

 

広大な床。見上げるような天井。規格外の入り口。分厚く堅牢な壁。身体を預けられる岩場のような仕切り。餌場へと続くスムーズな動線。正門へ出やすい通路。

 

壁には無数の爪痕が刻まれ、床には尾を擦った跡が残る。ところどころ、補修を重ねた跡もある。

 

荒らされたわけではない。日々の暮らしの中で刻まれた、生活の証だ。

 

床にしゃがみ込み、爪痕の近くに手を当てた。深い。それだけ強大な力が加わったのだろう。

 

最初から、ここまで規格外に作るつもりはなかった。

 

でも、ギガノトが増えた。ティラノ達も増えた。カルカロ達も加わった。一緒に過ごしたい子達がいた。密集している方が落ち着く群れがいた。逆に、少し距離を取りたがる個体もいた。

 

だから、壁をぶち抜いた。床を補強した。入り口を拡張した。天井をさらに高くした。

 

立派な城の形を保つことより、この子達が窮屈な思いをせずに丸くなれる広さの方が、ずっと大事だったのだ。

 

「……そりゃあ、城じゃなくなるよね」

 

独り言に呼応するように、奥で伏せていたティラノが低く喉を鳴らした。

 

肯定してくれたのか、ただ寝言を漏らしただけなのかは定かではない。私は口元をほころばせ、立ち上がった。

 

次に高所区画へ向かう。

 

ワイバーン達のための空間だ。

 

ここは元々、外を見渡せる見張り台か塔にする予定だったのかもしれない。風の通る構造。上へ伸びる螺旋の通路。広々とした足場。

 

でも今は、完全にワイバーン達のねぐらと化していた。

 

天井はどこまでも高く、ほとんど外と直結しているような開放感がある。岩棚のような足場がいくつも並び、悠々と翼を畳んで休めるようになっている。尾が干渉しないよう、足場同士の距離も計算されている。首をいっぱいに伸ばしてもぶつからないクリアランス。

 

外へ出ずとも、空を感じられる場所。そう思えた。

 

シルヴィアは自分の定位置に近づくと、露骨に足取りが軽くなった。

 

いや、足取りというより、尻尾の揺れ方がなんともご機嫌に見える。

 

「ここ、気に入ってる?」

 

問いかけると、シルヴィアは当然のように喉を鳴らした。

 

その岩棚は、私が拠点内でよく通るメインルートのすぐそばだった。工業区画からも、中央広場からも、自室へ向かう道からも見上げやすい。

 

これまでは、単に便利だからそこにしたのだと思っていた。呼びやすい。乗りやすい。すぐに出発できる。

 

でも今見上げると、少し違う気がした。

 

近くにいてほしかったのだ。

 

すぐ声をかけられる場所に。すぐ顔を見られる場所に。ふと通りがかった時、いつでもそこにいると分かる場所に。

 

「……あなた、ほんと特等席にいるね」

 

シルヴィアは誇らしげに胸を張った。その立ち姿は格好いい。非の打ち所がないほど格好いい。でも、どこか威厳がない。

 

私は肩を揺らして笑い、そのしなやかな首元を撫でた。

 

次に、小型組と生活組の区画へ。

 

そこは、拠点の中でもとりわけ空気が穏やかだった。

 

床材からして違う。硬い石や金属ではなく、干し草や柔らかな敷物がふんだんに使われている。餌箱の背は低く、水場も小さい子が楽に届く浅さになっている。大型の子が誤って入り込まないよう、通路には低い仕切りが設けられていた。

 

小さな子達が踏まれないように。怯えないように。

 

一匹で身を潜められる隙間も、何匹かで身を寄せ合えるスペースもある。日当たりのいい寝床。奥まった小部屋。水場に近い広場。干し草がふかふかに敷き詰められた一角。

 

しゃがみ込み、低い餌箱の縁に触れた。

 

角が滑らかに丸められている。初期のものは、もっと角ばっていたはずだ。

 

ドードーが顔をぶつけそうになったのか。オヴィラプトルが食べづらそうにしていたのか。モスコプスが身体を引っ掛けたのか。

 

詳細な理由は思い出せない。だが、改修した動機は容易に想像がついた。不便そうにしている姿を見てしまったら、放っておけなかったのだ。

 

効率だけを求めるなら、こんな手間は必要ない。でも、この子達が少しでも快適に過ごせる方がよかった。

 

奥では、ダエオドンがまた寝ている。本当に一日中寝ている。

 

その近くで、ドードー達がちょこちょこと動いている。カストロイデスは木材のそばで丸まり、オヴィラプトルは卵の周りをうろうろと巡回している。

 

その平和な光景に、胸の奥がじんわりと緩んだ。

 

「ここ、ちゃんとみんなの居場所になってたんだ」

 

ぽつりとこぼすと、足元のドードーが短く鳴いた。返事をしてくれたのかもしれない。

 

私はその子の頭を優しく撫でてから、採取組と運搬組の区画へ向かった。

 

ここは、工業エリアとの境界線に近い。

 

最初は完全に効率重視で配置したはずだ。素材を運び込みやすい。作業場が近い。倉庫が近い。必要になれば即座に出動できる。

 

機能性だけを考えれば、極めて理にかなっている。

 

でも、ここもただの『重機の置き場』ではなかった。

 

巨体を休められる広々とした床。荷物を下ろしやすいゆとりある空間。水場への最短ルート。角をぶつけないよう配慮された通路幅。高所を好む子のための足場。臆病な子が身を隠せる奥まった寝床。

 

アンキロサウルスが壁際にどっしりと座っている。ドエディクルスは相変わらず丸まっている。マンモスは広い空間でゆっくりと長い鼻を揺らしている。アルゲンタヴィス達は高めの足場に陣取り、ケツァルコアトルスはさらに巨大な専用の台に身を預けている。

 

機能と暮らしの中間。そんなエリアだった。

 

この子達は、資源を集めるための労働力だ。それは間違いない。

 

でも、今ここで静かに眠っている姿を見ると、それだけではなかったのだと実感する。

 

単なる作業場ではなく、一仕事を終えた後に安らぐための家でもあったのだ。

 

通路の端を歩きながら、壁をなぞる。

 

そこにも補修の跡があった。たぶん、誰かが曲がり角でぶつけたのだろう。硬い角か、重い尾か、あるいは大量の荷物か。その場所だけ、後から念入りに分厚く補強されている。

 

「……ほんと、どれだけ直したんだろ」

 

呆れながらも、嫌な気分ではなかった。

 

直した跡が無数にあるということは、ここで共に暮らしていた時間がそれだけあるということだ。

 

次に、一番奥のエリアへと足を踏み入れた。

 

そこは、他の区画とは明らかに異質な空間だった。

 

通路が狭まり、空気がふっと冷え込む。足音が無機質に響く。壁の材質も変わり、照明の色が、わずかに青白さを帯びていた。

 

生き物の体臭が途切れる。

 

代わりに、澄んだ金属の匂いと、微かな電子的な熱の気配が漂っていた。

 

最深部、あるいは地下。そう呼ぶべき場所に、その設備群は鎮座していた。

 

TEK設備。

 

その単語だけが、自然と脳裏に浮かび上がる。

 

青白い光。無機質で洗練された輪郭。汚れひとつない金属の装甲。余計な排熱すら感じさせない高度な装置。

 

記憶のままの姿で、そこにあった。

 

強大。至便。高性能。私の理解を絶するほどのテクノロジーを秘めている。

 

巨大な恐竜たちが闊歩するこの原始的な島の中で、これだけがひどく異質で、浮き上がっていた。 だが、それを目にしても、私の心はさほど揺れ動かなかった。

 

「あった」

 

ただ、それだけだ。

 

必要に迫られれば使える。そういうセーフティネットとしての安心感はある。でも、ここは私の日常の中心ではない。

 

あの子達の穏やかな寝息もない。餌の匂いもない。干し草の柔らかさもない。床に刻まれた足跡も、壁についた身体の擦れ跡もない。

 

ひたすらに冷たい。

 

そう感じた。

 

危険だから隔離したわけではない。使いこなせないから奥へ追いやったわけでもない。

 

ただ、この手作りの拠点の空気に、あまりにもそぐわなかったのだと思う。

 

木と石と布。爪痕と足跡と体温に満ちた場所。

 

その泥臭い生活空間の中に、この完璧な青白い光はひどく浮いてしまう。だから奥底へ隠した。たぶん、それだけの理由だ。

 

それに。

 

「……遠いし」

 

思わず身も蓋もない本音が漏れた。

 

自分で言って、少しだけ気が抜ける。こんな異常事態になっても、面倒なものは面倒らしい。

 

水もある。食料もある。作業場もある。倉庫もある。みんなの居住区もある。防衛設備も、過剰なくらいに整っている。

 

ならば、ここをわざわざ生活の基盤にする必要はない。

 

TEK設備は、確かに絶大な力を持つ。でも、私が帰りたいと思ったのは、この無機質な青白い光の中ではなかった。

 

地上へと引き返す。

 

通路を上がるにつれて、少しずつ馴染み深い匂いが戻ってきた。

 

土。草。獣の体温。水場の湿り気。

 

その泥臭い匂いに包まれると、無意識に強張っていた肩の力が抜けた。

 

シルヴィアは地下へ続く入り口の手前で待っていた。

 

狭くて入れなかったのか、単に入りたくなかったのかは分からない。私が戻ると、すぐに長い鼻先を寄せてくる。

 

「うん。ただいま……って、まだ変かな」

 

呟いてから、言葉を濁した。

 

ただいま。その響きが、胸の奥に小さく引っかかった。

 

最後に、自分の部屋へ向かう。

 

みんなの部屋は見た。工業エリアも見た。TEK設備も見た。では、自分自身のテリトリーはどうなのか。

 

通路を進み、少し奥まった場所にある扉の前で立ち止まる。

 

見上げるような巨大な扉ではない。人間の背丈に合わせた高さ。巨大な子達が通るためのものではない、私専用の入り口。

 

手を伸ばすと、ドアノブの位置を身体が正確に覚えていた。

 

扉を開ける。中は、思ったよりもずっと静かだった。

 

さほど広くはない空間。ベッド。収納。机。小さな窓。壁際に立てかけられた道具。ささやかな装飾品。

 

生活感はある。でも、自分の部屋だというのに、まだどこか他人の仮宿のように感じられた。

 

どこに何があるかは完全に把握している。この収納には衣服と装備。机の引き出しには細々とした道具。窓の近くの椅子には、たぶんよく座っていた。

 

知識としては分かるのに、実感が伴わない。

 

私はいつ、このベッドで眠ったのだろう。いつ、ここを心から自分の居場所だと思ったのだろう。

 

記憶のピントが合わない。けれど、部屋の中に漂う空気は、ひどく優しかった。

 

窓へ近づき、外を眺める。

 

正門の方にカイザーの巨体が見える。高所にはシルヴィアのシルエット。増築を重ねた屋根が幾重にも連なり、回廊がうねり、巨大な居住区が広がっている。遠くには工業エリアへ続く煙突も見えた。

 

自分の部屋は、まだ少し借り物みたいだ。

 

でも、窓の外には私の子達が確かに息づいている。なら。ここにいてもいいのかもしれない。

 

自然とそう思えた。

 

部屋を出て、拠点全体を一望できる場所へ向かった。

 

中央の高所。見張り台とも屋上とも呼べる、一番開けた場所。

 

そこからは、拠点の全貌がよく見渡せた。

 

城塞を目指した名残はある。高い外壁。正門。塔。見張り台。中央の主塔。

 

工業・ストレージエリアも備わっている。整然とした作業場。素材置き場。修理設備。奥底に集約された機能の中枢。

 

さらにその深部には、青白い光を放つオーバーテクノロジーが眠っている。

 

けれど、拠点の大部分を占めているのは、それらとは全く別のものだった。

 

後から無秩序に増築された居住区。

 

ワイバーン達の天空のねぐら。大型組の広大なエリア。小型組の柔らかな寝床。採取組の広場。水場。餌場。工房。主任のヘルメット。正門のカイザー。傍らに控えるシルヴィア。

 

全体を見渡し、長く息を吐き出した。

 

ここは城ではない。城塞にしようとした名残はあるが、その用途としてはあまりに不格好だ。

 

ここは工場でもない。生産設備は揃っているが、面積の多くは居住区が占めている。

 

ここは兵器庫でもない。強力な装備や冷徹な機械もあるが、それらは奥底にひっそりと隠されている。

 

では、何なのか。

 

明確な答えは、まだ言葉にならなかった。

 

拠点。要塞。基地。

 

どれも間違いではない。だが、どこか満たされない。

 

視線を下へ落とす。

 

小型区画のあたりで、ドードーが一羽、短く鳴いた。その声に、別の子が呼応する。

 

上層でワイバーンが翼を畳み直す音が響く。正門では、カイザーが静かにまぶたを閉じている。工房の方角からは、主任が何か重いものを置く鈍い音がした。

 

シルヴィアが、私の隣へと首を下ろす。

 

その鼻先が、私の肩のすぐそばで止まった。押し付けてはこない。ただ、そこに寄り添っている。

 

私はその硬い鼻先にそっと手を添えた。

 

「立派なお城を作るつもりだったんだと思う」

 

誰に聞かせるでもなく、ぽつりとこぼした。

 

「でも、出来上がったのは城じゃなかった」

 

シルヴィアが小さく喉を鳴らす。私はふっと笑みをこぼした。

 

「完璧な工業拠点にするつもりだった気もする。でも、それも違った」

 

風が吹き抜ける。無骨な建物の中を通り抜け、私の髪を揺らす。

 

「ここ、みんなの場所なんだね」

 

言葉にして、ようやくパズルのピースがはまった気がした。

 

みんなのための部屋。通路。寝床。餌場。水場。作業場。私の部屋。

 

そのすべてが、脈絡なく繋がっている。

 

ただ生き延びるためのシェルターではない。ただ外敵を拒絶するだけの城でもない。ただ物資を量産するための工場でもない。

 

みんなが帰ってくる場所。

 

みんなが待っていてくれた場所。

 

そして、たぶん。私も帰ってきていい場所。

 

ゆっくりと、唇を開いた。

 

「……ただいま、でいいのかな」

 

風に溶けてしまいそうな小さな声。でも、かき消されはしなかった。

 

シルヴィアが低く優しく喉を鳴らす。

 

正門の方で、カイザーが応えるように小さく地響きを立てた。小型区画から、愛らしい鳴き声が返ってくる。高所で翼がばさりと揺れる。工房の方で、何かがカタンと置かれた。

 

それはまるで、この場所全体からの返事のようだった。

 

私は、堪えきれずに笑い声を漏らした。

 

ここには、まだ名前がない。

 

大層な名前をつけるには、まだ早い気がした。

 

ここで本当に生きていくのだと認めるのが、ひそかに恐ろしかった。この世界が何なのかも、私はまだ何も知らない。自分の記憶がどこまで現実なのかも、定かではない。

 

それでも。

 

拠点という言葉では、味気なさすぎた。城という言葉では、いかめしすぎた。

 

もう一度、眼下に広がる景色を見渡す。

 

不格好な防壁。増築だらけの迷路のような通路。奥底に封じられた冷たい光。肥大化しすぎた居住区。あちこちから聞こえる、愛おしいうちの子達の息遣い。

 

名前はまだない。

 

けれど、ここはきっと。

 

まだ名前のない、『家』だった

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