廃人サバイバー、異世界へ行く   作:ドレットノータス

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第5話 まだ、名前のない家

点呼を終えると、拠点の内側に、いくぶんかの静けさが戻ってきた。 とはいえ、無音になったわけではない。むしろ逆だ。あちこちに確かな息遣いが満ちている。低く重い呼吸、翼が擦れる音、小さな足音、水を飲む音、寝床の草がかすかに揺れる音。

 

先ほどまで私の呼びかけに応えていた子たちは、それぞれの定位置へと戻っていった。大型の子たちは、ずしりと足音を響かせながら自分たちの区画へ。ワイバーンたちは高所の岩棚へ戻り、翼を畳んで身を落ち着ける。小さい子たちは眠そうに寝床へ集まり、誰かの羽毛に顔を埋める。採取組は穏やかな足取りで素材置き場へと引き返していった。

 

主任は、ヘルメットを被ったまま何も言わずに、工房の奥へのんびりと戻っていった。それなのに、作業場へ入っていくその背中だけは、妙に頼もしげに見えた。

 

正門の方では、カイザーがまた伏せている。あの巨体がそこにあるだけで、門そのものの威圧感まで、何倍にも膨れ上がって見えた。 シルヴィアだけは、私のそばから離れようとしない。私が数歩でも歩けば後ろからついてくるし、足を止めれば隣に大きな頭を擦り寄せてくる。相変わらず距離感がおかしいけれど、今はその温もりがひどく心強かった。

 

中央に近い広場で、ゆっくりと周囲を見渡す。 本当なら、ここで座り込んでしまいたかった。喉はまだ乾いているし、足も重い。身体の奥には、夜を越えた疲労がまだ残っている。 けれど、安心したからこそ、次の不安が鎌首をもたげる。みんなが暮らすこの空間そのものは、果たしてどうなっているのか。防壁は崩れていないか。倉庫の物資は無事か。餌箱は満たされているか。水場は機能しているか――。

 

ここは見知らぬ地の中にある。でも、この場所だけは、私の記憶と確かに繋がっている。だからこそ、この目で確かめなければならない。

 

「……ここ、本当に私の拠点なんだよね」

 

ぽつりと呟き、ゆっくりと歩き出した。

 

 

まず目を向けたのは、正門と外壁だ。この一角は、拠点の中でももっとも初期の構想を残している。 高くそびえる門、石造りの壁、外側を見下ろせる見張り台。朝日を受けて、門の金属部分が鈍く光っている。壁はところどころ補修され、石材の色も完全には統一されていない。それでも、遠目に見れば城と言えなくもない。 少なくとも、最初はそういう西洋の城を作ろうとしていたはずだ。堅牢な壁と正門があり、塔が立ち、中央に巨大な館を構える。外敵を防ぎ、内側に資源と作業場を集約させ、必要なものを即座にクラフトできる、見栄えの良い要塞。効率を極めた城塞。

 

「……最初は、もっと綺麗に作るつもりだった気がする」

 

正門の横に立つ塔を見上げる。形自体は悪くないが、左右対称ではない。片側は後から壁を継ぎ足したせいで分厚くなっている。塔の上へ続く階段も、元からそこにあったというより、後から無理やり繋ぎ合わせたような歪な角度をしていた。

 

門の内側では、カイザーが黒い山のように陣取っている。それだけ切り取れば、たしかに城だ。恐ろしい獣が守る、巨大な城門。 でも、カイザーの尻尾が通路の一部を塞いでいて、それを避けるように床の端が削られているのを見ると、急に城というより、巨大な家の玄関みたいに思えてくる。

 

「……カイザー、そこ邪魔じゃない?」

 

問いかけると、カイザーは片目だけを開け、ほんの数センチだけ尻尾をずらした。通路の端に、僅かな隙間ができる。 「うん。ありがとう」 返事なのか、ただの気まぐれなのかは分からない。けれど、それで十分だった。

 

奥へ進むにつれて、その整然とした形は少しずつ崩れていく。 通路の幅が場所によってばらばらで、壁の材質も床の色も揃っていない。石材が多い一角もあれば、金属補強が目立つエリアもある。さらに奥へ行くと、木材を多用した温かみのある区画も見えた。 後から増築した廊下、途中で拡張された部屋、元々の壁をぶち抜いて繋げた空間、天井を高くするために強引に上へ継ぎ足した跡。綺麗ではない。城として見れば、ひどく不格好だ。

 

でも、その不格好さには、すべて理由があった。 ここは大型の子が通るには窮屈だったから、広げた。ここはワイバーンが翼をぶつけそうだったから、天井を高くした。ここは小さい子が通るには危なかったから、低い横道を用意した。ここは一体だけで寝るには広すぎたけれど、仲間と一緒にいたがる子たちがいたから、壁を取り払った――。

 

一つ一つ、蘇ってくる。 私はこの建造物を、設計図通りに作り続けたのではない。誰かが増えるたびに、誰かが困るたびに、手探りで作り変えていったのだ。

 

「……そっか」

 

壁にそっと触れる。後から増設されたその場所は、色も質感も隣の壁とは微妙に違う。でも、そのちぐはぐさが変に愛おしく見えた。

 

 

通路を曲がると、空気が一変した。生き物の匂いは薄れ、代わりに金属や油、乾いた素材の匂いが鼻をつく。作業場と倉庫が集まる工業区画だ。 作業台、炉、修理用の設備、予備装備、サドル、薬品、餌、ペイント道具。棚や箱は、記憶にある通りに整然と並んでいた。

 

近くの収納に手を伸ばす。どこに何があるのか、考えるより先に身体が記憶していた。ここの箱には金属。隣には石材。奥には繊維や皮。中身もきちんと整理されていて、荒れた様子はない。

 

「……ちゃんとしてる」

 

思わず苦笑した。ここは確かに拠点の心臓部だ。このエリアが機能しなければ、この子たちの寝床も餌場も増やすことはできなかった。 でも、改めて歩いてみると、工業エリアは想像以上に手狭だった。拠点全体の面積から見れば、二割、多く見積もっても三割程度。当初は、ここを中心にした生産拠点を核にするはずだったのに。

 

棚の奥に、小さな箱を見つけた。中には赤、青、白、少しの黒い塗料が残っている。横には使いかけの筆。効率を上げるためにも、生き残るためにも、なくても一切困らなかったはずの代物。 けれど、目にした瞬間に鮮明に思い出した。主任のヘルメット。わざわざ作り、色を塗り、かなり真剣にこだわって塗装したのに、出来上がったものを見て思わず笑ってしまった、あの時の楽しさ。

 

「こんなの、必要なかったのに」

 

ぽつりと漏れた。でも、捨てられなかった。 棚の別の箱には、小型組の高さに合わせて角を丸めて作った小さな餌入れがあった。別の棚には、シルヴィア用に使おうとした、防御力には大して影響しなさそうな綺麗な金属の装飾材が眠っている。 必要だからではない。捨てたくなかったからだ。そういう品々が、合理性の塊であるはずの工業区画の中に、いくつも紛れ込んでいた。

 

工業エリアのために暮らしがあるのではない。暮らしのために、工業エリアが存在しているのだ。今さらながら、その事実に気づかされた。

 

「……うん」

 

小さく頷き、工業区画を後にする。 シルヴィアは入り口の外で、中へ入りたそうに首を下げて待っていた。さすがに中は窮屈だと理解しているらしい。 「えらい」と声をかけると、シルヴィアは得意げにフンスと鼻を鳴らした。ひどく誇らしげだ。 「褒められ待ちだったの?」 もう一度、鼻を鳴らされた。どうやら図星らしい。私はふっと笑い、居住区の方へと戻った。

 

 

改めて歩き回ると、居住区は笑ってしまいそうになるほど広大で、城の構造としては完全に破綻していた。通路は蛇行し、部屋の広さもまちまちだ。外観の美しさよりも内側の都合が優先されきっている。でも、雑な造りではない。その子たちの生態に合わせて、何度も丁寧に手を加えられている。

 

大型組の区画の床にしゃがみ込み、壁の無数の爪痕の近くに手を当てた。深い。 最初からここまで規格外に作るつもりはなかった。でも、ギガノトが増え、ティラノたちも増え、一緒に過ごしたい子たちがいた。密集している方が落ち着く群れがいたから、壁をぶち抜いた。床を補強した。立派な城の形を保つことより、この子たちが窮屈な思いをせずに丸くなれる広さの方が、ずっと大事だったのだ。

 

「……そりゃあ、城じゃなくなるよね」

 

独り言に呼応するように、奥で伏せていたティラノが低く喉を鳴らした。私は口元をほころばせ、立ち上がった。

 

ワイバーンたちのための高所区画は、天井がどこまでも高く、ほとんど外と直結しているような開放感がある。岩棚のような足場がいくつも並び、悠々と翼を畳んで休めるようになっていた。 シルヴィアは自分の定位置に近づくと、露骨に足取りが軽くなった。尻尾の揺れ方が、なんともご機嫌に見える。

 

「ここ、気に入ってる?」

 

問いかけると、当然のように喉を鳴らした。 その岩棚は、私が拠点内でよく通るメインルートのすぐそば、見上げやすい特等席だった。呼びやすく、乗りやすい。便利だからそこにしたのだと思っていたけれど、今見上げると、少し違う気がした。近くにいてほしかったのだ。すぐ声をかけられる場所に。ふと通りがかった時、いつでもそこにいると分かる場所に。

 

「……あなた、ほんと特等席にいるね」

 

シルヴィアは誇らしげに胸を張った。その立ち姿は非の打ち所がないほど格好いいのに、どこか威厳がない。私は肩を揺らして笑い、そのしなやかな首元を撫でた。

 

小型組の区画は、床に干し草や柔らかな敷物がふんだんに使われ、とりわけ空気が穏やかだった。餌箱の背は低く、小さな子が楽に届く浅さの水場。大型の子が誤って入り込まないよう、低い仕切りが設けられている。小さな子たちが踏まれないように、怯えないように、一体で身を潜められる隙間。 不便そうにしている姿を見てしまったら、放っておけなかったのだ。効率だけを求めるなら、こんな手間は必要ない。でも、この子たちが少しでも快適に過ごせる方がよかった。

 

採取組と運搬組の区画は、機能と暮らしの中間のようなエリアだった。アンキロサウルスが壁際にどっしりと座り、ドエディクルスは丸まり、マンモスはゆっくりと長い鼻を揺らしている。アルゲンタヴィスやケツァルコアトルスも専用の台に身を預けている。 この子たちは、役割で言えば採取や運搬を担う子たちだ。でも、今ここで静かに眠っている姿を見ると、それだけではなかったのだと実感する。単なる作業場ではなく、一仕事を終えた後に安らぐための家でもあった。 通路の端の壁に、誰かが重い尾か大量の荷物をぶつけたのだろう、後から念入りに分厚く補強された跡を見つける。 「ほんと、どれだけ直したんだろ」 呆れながらも、嫌な気分ではなかった。

 

 

次に、一番奥のエリアへと足を踏み入れた。そこは、他の区画とは明らかに異質な空間だった。 通路が狭まり、空気がふっと冷え込む。壁の材質も変わり、照明の色がわずかに青白さを帯びていた。生き物の体臭が途切れた最深部に、青白い光を内側に抱えた、洗練された無機質な装置群が鎮座していた。

 

TEK設備。

 

私の理解を絶するほどのテクノロジーを秘めたそれは、木と石と獣の体温に満ちたこの場所の中で 、ひどく異質で、浮き上がっていた。だが、それを目にしても、私の心はさほど揺れ動かなかった。

 

「あった」

 

ただ、それだけだ。必要に迫られれば使えるというセーフティネットとしての安心感はある。でも、ここは私の日常の中心ではない。あの子たちの穏やかな寝息もないし、餌の匂いもない。床に刻まれた足跡も、壁についた身体の擦れ跡もない。ひたすらに冷たい。 危険だから隔離したわけではなく、ただ、この手作りの拠点の空気にあまりにもそぐわなかったのだ。木と石と布、爪痕と足跡と体温に満ちた泥臭い生活空間の中に、この完璧な青白い光はひどく浮いてしまう。だから奥底へ隠した。

 

「……遠いし」

 

思わず身も蓋もない本音が漏れて、少しだけ気が抜ける。水も食料も、作業場もみんなの居住区もある。ならば、ここをわざわざ生活の基盤にする必要はない。TEK設備は確かに絶大な力を持つ。でも、私が帰りたいと思ったのは、この無機質な青白い光の中ではなかった。

 

地上へと引き返す。通路を上がるにつれて、少しずつ馴染み深い土や草、獣の体温の匂いが戻ってきた。その泥臭い匂いに包まれると、無意識に強張っていた肩の力が抜けた。

 

シルヴィアは地下へ続く入り口の手前で待っていた。私が戻ると、すぐに長い鼻先を寄せてくる。 「うん。ただいま……って、まだ変かな」

 

最後に、自分の部屋へ向かう。人間の背丈に合わせた、私専用の入り口。手を伸ばすと、ドアノブの位置を身体が正確に覚えていた。 扉を開けると、中は思ったよりもずっと静かだった。さほど広くはない空間に、ベッド、収納、机、小さな窓。どこに何があるかは完全に把握しているのに、ここに自分が眠っていた実感だけがどうしても追いつかない。

 

窓へ近づき、外を眺める。正門の方にカイザーの巨体が見え、高所にはシルヴィアのシルエット。増築を重ねた屋根が幾重にも連なり、巨大な居住区が広がっている。 窓の外には、私の子たちがいる。あの子たちが息をしている場所の中に、この部屋もある。

 

それは、まだ確信ではなかった。けれど、拒絶でもなかった。 なら、ここにいてもいいのかもしれない。自然とそう思えた。

 

 

部屋を出て、拠点全体を一望できる中央の高所へと向かった。 城塞を目指した名残である高い外壁や塔、整然とした工業エリア、その深部に眠るTEK設備。けれど、拠点の大部分を占めているのは、それらとは全く別のものだった。 後から無秩序に増築された居住区、ワイバーンたちの高所のねぐら、大型組の広大なエリア、小型組の柔らかな寝床、採取組の広場。

 

ここは城ではない。用途としてはあまりに不格好だ。工場でもない。面積の多くは居住区が占めている。兵器庫でもない。強力な装備は奥底にひっそりと隠されている。

 

「立派なお城を作るつもりだったんだと思う」

 

誰に聞かせるでもなく、ぽつりとこぼした。 「でも、出来上がったのは城じゃなかった。完璧な工業拠点にするつもりだった気もする。でも、それも違った」

 

風が吹き抜け、私の髪を揺らす。

 

「ここ、みんなのために変わっていった場所なんだね」

 

言葉にして、ようやくパズルのピースがはまった気がした。ただ生き延びるためのシェルターではない。ただ外敵を拒絶するだけの城でもない。 みんなが帰ってくる場所。みんなが待っていてくれた場所。そして、たぶん、私も帰ってきていい場所。

 

ゆっくりと、唇を開いた。

 

「……ただいま、でいいのかな」

 

風に溶けてしまいそうな小さな声。でも、かき消されはしなかった。 シルヴィアが低く優しく喉を鳴らし、正門の方でカイザーが応えるように小さく地響きを立てる。小型区画から愛らしい鳴き声が返り、高所で翼がばさりと揺れ、工房の方で何かがカタンと置かれた。

 

それはまるで、この場所全体からの返事のようだった。

 

私は、堪えきれずに笑い声を漏らした。 ここには、まだ名前がない。大層な名前をつけるには、まだ早い気がした。ここで本当に生きていくのだと認めるのが、ひそかに怖かった。この世界が何なのかも、私はまだ何も知らない。 それでも。拠点という言葉では味気なさすぎた。城という言葉では、いかめかしすぎた。

 

もう一度、眼下に広がる景色を見渡す。不格好な防壁、増築だらけの迷路のような通路、奥底に封じられた冷たい光、肥大化しすぎた居住区。あちこちから聞こえる、愛おしいうちの子たちの息遣い。

 

名前はまだない。けれど、ここはきっと。

 

まだ名前のない、『家』だった。

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