翌朝、目を覚まして最初に気になったのは、みんなの餌のことだった。
昨夜は久しぶりにまともなベッドで眠れたものの、途中で何度か目が覚めてしまった。知らない土地にいることも、恐竜たちが本当に生きていることも、まだ頭の中で整理しきれていない。それでも、昨日あれだけ歩き回ったおかげか、身体の疲れはずいぶんと取れていた。
ベッドから起き上がって窓の外を眺めると、高所の足場ではワイバーンたちが朝の時間を過ごしていた。ちょうどシルヴィアが大きな翼を伸ばしているところで、こちらに気づくと嬉しそうに首を持ち上げてくれる。
「おはよう、シルヴィア」
声をかけてから、ふと考えた。昨日はみんなと再会できたことが嬉しくて、そればかり考えていたけれど、ここが私たちの家なのだとしたら、これからもずっと、みんなで暮らしていかなければならない。
当然、そのためには食べ物が必要だ。
「……そういえば、餌ってどうなってるんだろう」
昨日、倉庫を確認したときには十分な備蓄が残っていた。だからすぐに困ることはないはずだけれど、あれだけ大勢の子たちがいるのだから、消費する量も相当なものになるだろう。
ゲームの中でも、肉やベリーを集めて餌箱へ補充するのは日課だった。ただ、今はみんなが本当に生きていて、食べて、眠っている。腹を空かせたからといって、画面の向こうの出来事だと割り切ることなんてできないし、そもそも周囲にどれだけの食料があるのかも分かっていない。
「……うん。やっぱり、ちゃんと考えないとね」
まずは備蓄がどのくらい残っているのか確かめよう。それから今後の食料をどうするか考えればいい。そう決めて、私はベッドから降り、身支度を整えた。
◆
部屋を出て中央広場へ向かうと、拠点ではすでに多くの子たちが活動を始めていた。大型の恐竜がのんびりと歩き、小型区画からは賑やかな鳴き声が聞こえてくる。昨日はその一つ一つに驚いていたけれど、今朝は少しだけ、この光景にも慣れてきた気がした。
広場ではシルヴィアが待っていて、私の姿を見つけるなり嬉しそうに首を伸ばしてきた。
「おはよう。今日も元気そうだね」
鼻先を撫でてやると、シルヴィアはごろごろと喉を鳴らし、そのまま私の後ろについてくる。どうやら今日も一緒に行動するつもりらしい。
「これから倉庫に行くんだけど……シルヴィアは中に入れないから、ちょっと待っててね」
そう言うと、途端に不満そうな声が返ってきた。
「そんな顔しないの。すぐ戻ってくるから」
もう一度鼻先を撫でてから工業区画へ向かうと、シルヴィアは渋々といった様子で足を止めた。少し離れた正門では、カイザーが昨日と同じ場所に伏せている。私が声をかけると、大きな瞳がゆっくりと開かれ、短い声が返ってきた。
「カイザーも、おはよう!」
軽く手を振ってから、私は倉庫へと向かった。
◆
工業区画の奥にある倉庫には、肉やベリー、保存食などが種類ごとに分けて保管されていた。昨日も確認した場所だけれど、今度は中身を一つずつ確かめながら、どのくらい使えるかを考えていく。
肉の備蓄は十分にあり、草食の子たちが食べるベリー類もかなりの量が残っていた。保存用の食料や薬品も揃っているし、水の供給設備にも、見たところ大きな問題はない。
「……うん。すぐに足りなくなることはなさそうかな」
ひとまず安心したものの、問題はその先だった。
これだけの食料があっても、使えば当然減っていく。しかも、うちにはカイザーをはじめとする巨大な肉食恐竜が何頭もいるのだ。ティラノサウルスやカルカロドントサウルス、ワイバーンたちも含めれば、毎日必要になる肉の量は相当なものになるだろう。
草食の子たちだって同じだ。小型の子ならともかく、マンモスや大型の草食恐竜たちが食べる分まで考えると、今ある備蓄だけでいつまでも暮らしていけるわけではない。
「……やっぱり、補充する方法を考えないとね」
ゲームの中なら、狩りや採取に出かけて必要なものを集めればよかった。けれど、ここがどんな場所なのか分からない以上、同じやり方で何とかなるとは限らない。
周囲にどんな生き物がいるのか、食べられる植物は生えているのか。安全に利用できる水場はあるのか。そもそも、拠点の外を自由に歩き回れるのかさえ、まだ確かめていなかった。
幸い、当面の備蓄はある。だったら、余裕があるうちに周辺の状況を調べておくべきだろう。食料だけでなく、木材や石材などの資源を確保できる場所も知っておきたい。
「……よし。今日は外を見に行こう」
そう決めると、私は開けていた収納箱を閉じ、倉庫を後にした。
◆
外へ出ると、待ちかねたようにシルヴィアが顔を寄せてきた。大きな鼻先を胸元に押しつけられ、思わず一歩後ろへよろめく。
「わっ、もう! ちゃんと戻ってきたでしょ!」
文句を言いながらも鼻先を撫でてやると、シルヴィアは満足そうに喉を鳴らした。まったく、少し離れていただけなのに、ずいぶんな歓迎である。
そんなシルヴィアをなだめながら、私は正門の方へ目を向けた。
門の向こうには、まだ何も知らない土地が広がっている。昨日見た深い森や草原、遠くまで続く海。巨大な足跡もあったし、空には見覚えのない翼竜も飛んでいた。
調べたいことは山ほどあるけれど、いきなり遠くまで行くつもりはない。まずは拠点の周辺を見て回り、安全な場所と危険な場所を把握する。それから食料や水を確保できそうな場所を探せばいいだろう。
そんなことを考えていると、シルヴィアが私を追い越し、正門の方へ首を伸ばした。振り返ったその子は、私と門を交互に見つめている。
「……もしかして、シルヴィアも外に行きたい?」
そう尋ねると、大きな翼が少しだけ開かれた。期待しているのが分かりやすくて、思わず笑ってしまう。
「そっか。そうだよね、ずっとここにいるのも退屈だよね」
拠点の居住区は十分に広く作ったつもりだけれど、ワイバーンにとっては空を自由に飛び回れる方が気持ちいいだろう。大型の恐竜たちだって、たまには広い場所を歩き回りたいに違いない。
もっとも、だからといって、今すぐみんなを外へ出すわけにはいかなかった。
この辺りにどんな生き物がいるのかも分からないし、危険な場所へ入り込んでしまう可能性もある。それに、うちの子たちは大きくて強い子が多い。何も考えずに放してしまったら、周囲の生き物たちにとっては、こちらの方がよほど危険な存在になってしまうだろう。
「……うん。まずは周りを調べてからかな」
シルヴィアの鼻先に手を当てながら、私は少し考えた。
地上を歩いて調べるのもいいけれど、最初は上空から見た方が周囲の地形を把握しやすいはずだ。森や川の位置も分かるし、危険そうな場所を避けながら広い範囲を確認することもできる。
何より、ここには空を飛べる頼もしい子がいるのだから。
「ねえ、シルヴィア。ちょっとお願いしてもいい?」
大きな瞳がこちらへ向いたので、私はその鼻先を軽く撫でながら続けた。
「これから拠点の周りを調べに行こうと思うんだけど……一緒に来てくれる?」
そう尋ねた途端、シルヴィアは嬉しそうに喉を鳴らし、大きく首を持ち上げた。今にも翼を広げて飛び立ちそうな勢いだったので、慌ててその鼻先を押さえる。
「待って待って! まだ準備してないから!」
どうやら、返事を聞くまでもなかったらしい。私は張り切っているシルヴィアをなだめてから、正門にいるカイザーへと目を向けた。
「カイザーは、今日はお留守番お願いね」
声をかけると、大きな頭がゆっくりとこちらへ向けられた。
「周りの様子が分からないうちに、みんなで出かけるのは危ないから。それに、ここを守っててほしいんだ」
カイザーはしばらく私を見つめていたけれど、やがて低く喉を鳴らし、再び頭を下ろした。
「うん、よろしくね」
カイザーがいるなら、留守の間も安心できる。もちろん、ほかにも頼もしい子はたくさんいるけれど、この子が正門にいてくれるだけで、心強さが全然違った。
◆
出かける前に、工房で必要なものを揃えることにした。
倉庫から水袋と保存食を取り出し、採取用の道具や包帯、予備の装備を確認する。あまり荷物を増やしても邪魔になるので、今回は短時間の調査に必要そうなものだけを選んだ。
ひと通り揃えたところで、近くにいた主任がこちらを見ていることに気づいた。
「おはよう、主任。ちょっと外に行ってくるね」
主任はヘルメットを被ったまま、いつものように片手を上げた。そののんびりとした挨拶がなんだかおかしくて、私も軽く手を振り返す。
「留守番よろしく。……あ、何かあったらカイザーたちにもお願いしてね」
当然ながら言葉での返事はなかったけれど、主任はもう一度、ゆるく手を上げてくれた。私はその大きな腕を軽く撫で、準備した荷物を持ち直した。
昨日確認したTEK設備のことも少し頭をよぎったけれど、今回は拠点周辺の様子を見るだけだ。いきなり高度な装備を持ち出す必要はないし、何よりシルヴィアが一緒にいてくれる。
まずは無理をせず、できる範囲から始めよう。
◆
中央広場へ戻ると、シルヴィアが待っていた。私の姿を見るなり嬉しそうに首を上げ、翼を少し広げてみせる。
「お待たせ。準備できたよ」
その言葉に反応して、シルヴィアが正門の方へ歩き出した。どうやら、私よりよほど出かけるのを楽しみにしているらしい。
私はその後ろをついて歩きながら、近くにいた子たちへ声をかけた。
「じゃあ、ちょっと外を見てくるね。みんなはお留守番よろしく!」
近くのティラノサウルスが顔を上げ、遠くの高所ではワイバーンが翼を動かした。私の言葉をどこまで理解しているのかは分からないけれど、何頭かがこちらを見てくれたので、軽く手を振っておく。
正門へ近づくと、カイザーが大きな頭を持ち上げた。
「カイザー、行ってくるね。何かあったらお願い!」
低い声が返ってきたので、私は門の開閉装置を操作した。重たい金属音とともにロックが外れ、巨大な扉がゆっくりと開き始める。
門の向こうには、昨日と変わらない草原が広がっていた。その先には深い森が続き、遠くには青い海が見える。けれど、昨日は何も分からず歩いていた場所を、今日は自分の意思で調べに行こうとしている。
そう考えると、少しだけ気持ちが違った。
「……よし、行こうか」
シルヴィアに声をかけ、私は門の外へ足を踏み出した。
朝の草原には涼しい風が吹いていて、昨日よりも空が高く感じられた。シルヴィアは嬉しそうに翼を広げ、私の方へ振り返る。
その姿を見て、私はようやく大切なことに気づいた。
そういえば、今からこの子に乗るんだった。
『ARK』では何度もワイバーンに乗って空を飛んでいた。シルヴィアと一緒に遠征したことだって、数えきれないほどある。けれど、今目の前にいるのは、画面の中のキャラクターではない。実際に呼吸をして、身体を動かしている、本物の巨大な竜なのだ。
しかも、ワイバーンには普通の騎乗動物のようなサドルがない。今まで何気なく乗っていた背中を見上げると、思っていた以上に高く、思わず足が止まってしまった。
「……これ、結構怖いかも」
乗ること自体はできると思う。どこを掴めばいいのかも、身体をどう動かせばいいのかも、なぜだか分かる。けれど、実際に空を飛ぶとなれば話は別だった。
シルヴィアが翼を広げれば、私は地面から何十メートルも離れることになる。そこからさらに高く飛ぶかもしれないし、風に煽られることだってある。落ちたら痛いどころでは済まないのだから、怖くなるのも当然だった。
そんな私の様子に気づいたのか、シルヴィアが不思議そうに首を傾げた。
「……いや、分かってるよ? シルヴィアが上手に飛べるのは知ってるんだけど……」
言いながら、少しだけ苦笑してしまう。今まで何度も一緒に飛んできたはずなのに、私の方が怖がっているなんて、シルヴィアからすれば不思議なのかもしれない。
すると、シルヴィアはゆっくりと身体を低くし、私が乗りやすいように首を下げてくれた。
「……ありがと」
差し出された背中に手を伸ばすと、硬い鱗の下から確かな温かさが伝わってきた。私は一度だけ深呼吸してから、見覚えのある突起に手をかける。足を置く場所を確かめ、身体を引き上げると、思っていたよりもずっと自然にシルヴィアの背へ収まることができた。
「……あれ、意外と平気?」
少し驚きながら姿勢を整える。何度も乗っていたのだから当たり前なのかもしれないけれど、身体が思っていた以上に動いてくれたおかげで、少しだけ自信が湧いてきた。もっとも、まだ地面にいるだけなのだけれど。
シルヴィアは私が乗り終えたことを確認すると、ゆっくりと首を上げた。背中から伝わる身体の動きに思わず身構えたものの、しっかりと掴まっていれば、すぐに振り落とされるような感じはしなかった。
「……よし。シルヴィア、お願いね」
声をかけると、シルヴィアは嬉しそうに喉を鳴らし、大きな翼を広げた。
次の瞬間、力強い羽ばたきが起こり、猛烈な風が草原を吹き抜けた。足元の草がいっせいになぎ倒され、シルヴィアの身体がふわりと浮き上がる。
「わっ……!」
思わず声を上げ、背中の突起を強く握りしめる。
さっきまで歩いていた草原が少しずつ遠ざかり、目の前に広がる景色が一気に変わっていく。風が顔に当たり、栗色の髪が後ろへなびいた。想像していた以上の浮遊感に心臓が跳ねたけれど、シルヴィアの飛び方は驚くほど安定していた。
恐る恐る顔を上げると、眼下には巨大な拠点が広がっていた。不格好な城壁に、増築を重ねた建物。大きな恐竜たちが歩く広場も、ワイバーンたちの高い寝床も、上からなら一度に見渡すことができる。
昨日、ようやく見つけた私たちの家。
これから何が起きるのか、まだ何も分からない。けれど、みんなが安心して暮らせるように、まずはこの周りのことを知らなければならない。
「……よし。まずは近くから見ていこう!」
そう声をかけると、シルヴィアは元気よく鳴き、大きく翼を羽ばたかせた。私はその背中にしっかりと掴まりながら、眼下に広がる見知らぬ土地へ目を向ける。
こうして、シルヴィアとの初めての空の散歩が始まった。