廃人サバイバー、異世界へ行く   作:ドレットノータス

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第8話 最初の獲物

 

海には、答えがあった。 波の下から返ってきた低い振動。水面を割って現れた巨大な影。すでに自分たちで狩りをして、命を繋いでいた海の子たち。その姿を思い出すたびに、胸の奥が少しだけ軽くなる。

 

海棲組は無事だった。ちゃんと食べていた。この近海でなら、ある程度自由にしても大丈夫そうだった。 遠くへ行きすぎないこと、怪我をしたら戻ること、変なものを見つけたら食べる前に知らせること。そういう約束はしたけれど、海の子たちが自力で食事を得ているという事実は大きかった。備蓄だけで全員を養わなくていい。少なくとも、海側には食料の目処が立っている。

 

けれど、それで全部が解決したわけではない。 拠点の中央広場で、私は昨日主任が用意してくれた木片を見下ろしていた。そこには、私が簡単につけた印が残っている。

 

『島らしい』

 

『海岸線あり』

 

『森あり』

 

『山あり』

 

『川らしきものあり』

 

『文明跡、今のところなし』

 

『海棲組、無事』

 

『海には食料あり』

 

そして、その下に、まだ何も書けていない空白があった。

 

『陸』

 

そこが、今日確認しなければならない場所だった。

 

「海の子たちは大丈夫そう。でも、陸の子たちはまだだよね」

 

呟くと、隣にいたシルヴィアが低く喉を鳴らした。いつものようにすぐ近くにいる。距離が近いのはもう今さらだけれど、昨日の海岸で水しぶきを嫌がっていた姿を思い出すと、少しだけ笑いそうになった。

 

「今日は海じゃないよ。森と草地の方」

 

そう言うと、シルヴィアは分かりやすく顔を上げた。水しぶきもない、空から見渡せる場所だ。そう理解したのだろう。ひどく得意げだった。 「うん。今日も頼むね」 首元を撫でると、シルヴィアはさらに誇らしげに胸を張った。

 

何度見ても格好いい。紫がかった鱗、青白い光、鋭い角、長大な翼。空を飛べば天災か神話の竜にしか見えないのに、私の前では分かりやすく褒め待ちをする。その落差が、今は妙に安心できた。

 

正門の近くにはカイザーが黒い巨体を伏せている。動かない。ただそこにいるだけで、門の安心感が桁違いだった。

 

「カイザー、今日も留守番お願いね」

 

声をかけると、カイザーの片目がゆっくり開いた。低い、地面の底が鳴るような音が返る。了承、と受け取っておこう。

 

工房の方では、主任がヘルメットを被ったまま、静かに座っていた。その前には、水袋と布、簡単な道具、それから昨日使ったものより少し大きめの袋が並んでいた。

 

「……主任、また用意してくれたの?」

 

主任はゆるく片手を上げた。昔と同じ、よく分からないけれど妙に主任らしい返事。ただ、並べられているものはやっぱり的確だった。今日の目的を分かっているのか、それとも偶然か。主任は何も言わず、ヘルメットの下でじっとこちらを見ているだけだった。

 

「……ありがとう。借りるね」

 

荷物を腰に固定し、正門へ向かう。小型区画の方からドードーが短く鳴き、モスコプスが眠そうにこちらを見ていた。ビーバーたちは相変わらず木材の近くにいる。 「まだ待っててね。今日は食べ物を探してくるから」

 

ただ腹を満たせればいいわけではない。安全なものを食べさせたい。ちゃんと食べて、ちゃんと眠って、怪我なく過ごしてほしい。だからこそ、外を知らなければならない。

 

門が開き、外の風が流れ込んでくる。海よりも少し湿った森の匂い。私はシルヴィアと一緒に門の外へ出た。昨日より足取りは少しだけ軽い。 「今日は、陸の食べ物と危ない場所の確認。戦うためじゃないからね。食べるため。生きるため」

 

シルヴィアが横で喉を鳴らす。「分かっている」と言いたげな、やはり得意げな顔だった。

 

 

拠点から少し離れると、広大な草地が広がっていた。今日はより細かく観察する。 背の低い草、腰くらいまで伸びた草むら、小さな白い花、葉の裏に細かい棘がある植物、少し毒々しい色をした実。土の上に残る足跡、何かが草を食べた跡、折れた枝。生き物の気配はそこら中にあった。

 

小型組は、この草むらには入れない方がいい。ドードーたちは足元が見えなくなるし、茂みの奥はまだ危ない。採取組を出すなら道を整える必要があるし、大型組を自由にしすぎると地面が荒れそうだ。ワイバーンたちが降りるなら、もっと開けた場所が必要になる――。

 

危険な島。けれど同時に、資源のある島でもあった。大型の足跡があるなら、大型の獲物もいる。 私はしゃがみ込み、地面に残った足跡を見た。丸く、深く、鋭い爪の痕がある。前に見たものとは違う。肉食か、草食か、そこまでは分からない。けれど、かなり大きい。

 

「このくらいの足跡なら、本体の肉量もありそう」

 

言ってから、少しだけ自分で苦笑した。まず肉量を考えてしまうのはどうなのだろう。でも、仕方ない。うちには食べる子がたくさんいるのだ。カイザーも、ギガノトたちも、みんな生きている。生きているなら、食べる。

 

足跡の向きは森の手前を横切り、岩場の方へ向かっている。拠点に近すぎる場所ではないが、遠すぎもしない。狩場として考えるなら候補になるけれど、血の匂いで別の生き物が寄ってくるリスクを考えると、拠点から近すぎる場所での乱獲は避けた方がよさそうだった。板に『大型生物の足跡。岩場方面』と炭で印をつける。

 

シルヴィアが私の横で、翼を少しだけ開き、森の方をじっと見つめていた。 「何かいる?」 聞くと、低く喉を鳴らした。いる――そういう返事だ。

 

立ち上がり、視線の先を見た。森と草地の境目、若木が何本も同じ方向に薙ぎ倒されている。重い何かがそこを通った証拠だ。周囲に群れや子どもの気配はない。単独行動か。 ゆっくりと進む。シルヴィアが前に出ようとしたので、「待って。まだ見るだけ」と宥めると、少し不満そうに鼻を鳴らしながらもおとなしく止まった。

 

茂みの向こうで、何かが動いた。大きい。枝が揺れ、地面がわずかに響く。 次の瞬間、それは姿を現した。

 

巨大な獣だった。 猪に似ているが、比べものにならないほど大きい。肩の高さだけで私の何倍もあり、背中には硬そうな毛が逆立っている。横へ張り出した牙は黒く、根元に苔がこびりついていた。足は丸太のように太く、蹄が地面を深くえぐっている。小さな村ならこれ一体で壊滅させるかもしれない質量だった。

 

けれど、私の最初の感想はやはり少しずれていた。 大きい、危ない、そして――肉量がありそう。シルヴィアなら対応できる。

 

獣はまだこちらに気づいていない。地面に鼻先を近づけ、太い根のようなものを噛み砕いて飲み込んでいる。皮膚に変なただれや斑点はなく、動きは力強い。食料候補。ただし未知。安全かどうかは持ち帰って確認が必要。

 

そう考えていた時、獣の頭が上がった。 目が合う。次の瞬間、低い唸り声が響き、背中の毛が逆立った。蹄が地面を掻く。突進の前触れだ。

 

逃げるには遅い。相手はこちらを敵と見なした。それなら、ここで確認するしかない。 この距離でのブレスの有効性、周囲への巻き込み、後ろに小型生物がいないか、火が広がるような乾いた草はないか。一瞬で思考を巡らせる。

 

「シルヴィア!」

 

名前を呼んだ瞬間、シルヴィアの空気が変わった。さっきまでの甘えた雰囲気が消え失せる。 翼が広がり、首が下がる。身体の内側を流れる青白い光が、脈打つように強くなった。空気が、ちり、と震える。雷の匂い。腕の表面が微かに粟立った。

 

「お願い。あれ、止めて」

 

シルヴィアが一歩前へ出た。獣が突進する。巨体が地面を揺らし、真っ直ぐこちらへ向かってくる。普通なら避けることすら難しい速度と質量。

 

けれど、シルヴィアは動じなかった。大きな翼を開き、顎を広げる。 次の瞬間、世界が白く光った。

 

雷が走った。線ではなく、奔流。青白い閃光が空気を裂き、獣の巨体を正面から容赦なく貫いた。

 

轟音。焦げた匂い。地面を打つ衝撃。 獣の足がぴたりと止まり、その巨体が前のめりに崩れた。ずん、と重い音を立てて地面に倒れる。草が押し潰され、土が跳ねた。それきり、ぴくりとも動かなかった。

 

一撃だった。あの危険な巨獣が、シルヴィアのブレス一発で沈んだ。焼き尽くしたわけではない、周囲の草へ燃え移らない程度に調整された、けれど確実に動きを止める一撃。

 

改めて思う。この子、強い。現実の光と音と匂いを伴って目の当たりにすると、やはり圧が違う。 シルヴィアが振り返る。「どう?」と言いたげな、完全に褒められ待ちの顔だ。私は少しだけ息を吐いてから、その首元を撫でた。 「うん。すごい。ありがとう」

 

シルヴィアは満足そうに喉を鳴らした。けれど、私はすぐに倒れた獣へ視線を戻した。大事なのはそこからだ。

 

 

慎重に近づく。完全に沈黙している。 焦げた匂いに混じって、生々しい肉の匂いがした。ただ、腐ったような異臭はない。変な甘さや刺激臭もない。布を巻いた手で、小さな刃物を使って表面を確認する。皮膚は厚く、肉はしっかりしている。色も一目で異常とは思わない。

 

少なくとも、肉食組の食料候補にはなる。 「陸にも、肉はある」

 

その言葉が口から出た瞬間、胸の奥に少しだけ希望が灯った。海だけではない、陸にも食料がある。シルヴィアなら倒せる相手がいる。 問題は、ここからだ。大きい。とにかく大きい。この獲物をどうやって持ち帰るか。 ここで解体するか? 道具が足りないし、血の匂いで別の生き物が寄ってくる。肉を切り分けて運ぶのが一番現実的か。

 

倒れた獣を見下ろしながら、頭の中で方法を並べた。その時、ふと、妙な感覚が浮かんだ。 回収、採集、インベントリ――そんな、言葉になりきらない感覚。

 

どうにか、持ち帰れないか。そう思った瞬間だった。

 

肉の一部が、ふっと消えた。

 

「……え?」

 

間抜けな声が出た。手元から重さが消えた。切り取ったわけでも、持ち上げたわけでもない。けれど、確かにそこにあった肉がなくなっている。いや、なくなったのではない。どこかに入った。 画面が開いたわけでも音が鳴ったわけでもない。けれど、見えない空間に、今の肉がすっと収まった感覚が確かにあった。

 

「……今の、なに」

 

頭に浮かんだのは、ゲームにおける『インベントリ』という、あまりにも馴染みのある、けれど今の現実にはそぐわない言葉だった。 便利だけれど、同時に少し怖い。仕組みが分からないオカルトのような力を、いきなり食料管理に使っていいのか。私が眉を寄せた、その直後だった。

 

シルヴィアが、倒れた獣へ近づいた。当然のように獲物へ鼻先を近づけ、軽く爪を立てるように触れる。

 

次の瞬間、残っていた肉や皮、骨のようなものが、次々と消えていった。

 

ふっと。ふっ、と。まるでそこにあったものが当然の処理として回収されていくように、巨獣の体がみるみるうちに形を失う。肉が消え、皮が消え、最後には踏み荒らされた草と焦げた跡、それから少しの血の匂いだけが残った。

 

便利だと思うより先に、少しだけ背筋が冷えた。命だったものが、素材として処理されていく。そのあまりの自然さが、少し怖かった。

 

「……あなたもできるの?」

 

シルヴィアは何事もないように顔を上げ、得意げに喉を鳴らした。「何でそんなに驚いているの」とでも言いたげだった。 「待って。今、全部回収した?」 シルヴィアが短く鳴く。たぶん、そう。 「肉も、皮も、骨も?」 また鳴く。 「……どこに?」

 

シルヴィアは首を傾げた。そんなことを疑問に思う必要があるのか、という顔だ。 私だけではない。少なくとも、シルヴィアは同じことができる。なら、他の子たちはどうなのか。採取組は、主任は、小型組は。

 

採集、回収、見えない場所への収納。ファミリアたちも、これを直感的に使っているのかもしれない。そう考えた瞬間、いろいろなことが繋がりそうになった。拠点の中が整っていたこと、素材や餌が思ったより保たれていたこと、主任の工房が動いていたこと。採取組が外に出ていなくても、内部の処理や保管を理解していたのかもしれない。

 

どれくらい入るのか、入れたものは腐るのか、誰の中に入ったのか。シルヴィアが採集した分は共有されているのか。 分からない。分からないなら、過信しない。特に、命に関わる食料のことならなおさらだ。

 

「シルヴィア。戻ったら、少し確認するよ。……うん、すごい。すごいけど、ちゃんと確認してからね」

 

シルヴィアは満足そうに喉を鳴らした。血の匂いはあるが、量は少ない。長居はしない方がいい、他の生き物が寄ってくる。

 

陸にも食料候補がいる。シルヴィアなら倒せる。肉は回収できる。私も、何かを収納できるらしい。一歩進んだ。でも、全部解決したわけではない。毒性を確かめ、少量から試すべきだ。大型肉食組を自由にしたら周辺を荒らしすぎるし、小型組にはまだこの草地も森も危ない。門の全面開放は、まだ早い。

 

「でも、希望は、ある」

 

私はシルヴィアの背に乗った。「戻ろう。肉の確認をしないと」 シルヴィアは短く鳴き、翼を広げた。空へ上がる。さっきまでいた草地が少しずつ遠ざかり、森の緑が広がり、遠くには海が光っていた。

 

この島は危険だ。でも、資源もある。食べ物もある。暮らすために必要なものが、少しずつ見えてくる。 拠点が見えた時、胸の奥がほっとした。まだ名前のない家。正門のカイザー、高所のワイバーンたち、居住区の小型組、工房の主任。帰る場所が、ちゃんとある。

 

シルヴィアが正門近くに降り立ち、私は背から降りて首元を撫でた。「ありがとう。今日も助かったよ」 シルヴィアは当然だと言うように喉を鳴らした。

 

 

中央広場へ戻ると、カイザーが片目を開け、主任が工房の前からこちらを見ていた。 「ただいま」 声をかけると、あちこちから小さな返事があった。

 

私は荷物を下ろし、さっきの見えない場所へ意識を向ける。確かに何かがある。恐る恐る、取り出すように思い浮かべた。

 

手元に、どさりと肉の塊が現れた。

 

「……出た」

 

主任がじっとこちらを見ている。シルヴィアは「だから言ったでしょう」みたいな顔をしていた。「言ってないよ」と思わず突っ込むと、不満そうに鼻を鳴らした。

 

出てきた肉を布の上に置く。匂い、色、触感を確認する。まだ温かい。少なくとも、今のところ腐った様子はないけれど、それだけで安全とは言えない。 「主任、これ、保管場所に分けたい。あと、少しだけ別にして確認用」

 

主任は何も言わず、片手を上げ、ゆっくりと工房の方へ歩き出した。案内してくれるらしい。主任は、私が何をしたいのか、どこまで分かっているのだろう。私は肉を布で包み、主任の後を追った。

 

シルヴィアがついてこようとして、通路の狭さに引っかかりそうになる。 「待って。そこは無理。後で褒めるから」 そう言うと、少しだけ納得したようだった。本当に分かりやすい。

 

工房近くの作業台に肉を置く。主任はいつの間にか別の板と器を用意していた。 私は板に、今日の結果を書きつけていく。

 

『猪型大型獣、一体。シルヴィアのブレスで討伐可能。。焼けた部位あり、食用確認時は避ける。肉、食料候補。毒性不明、安全確認必要』 『インベントリのような能力、使用可能らしい。シルヴィアも採集可能。詳細不明、過信しない』

 

便利な力だ。この力があれば、食料も素材もかなり楽に運べる。採取組が同じように使えるなら、拠点の維持もずっと現実的になる。でも、分からないことが多すぎるから、頼りきってはいけない。

 

「海には海の答えがあった。陸にも、陸の答えがありそう」

 

主任が静かにこちらを見る。シルヴィアは工房の入口の外で、まだ少し得意げにしている。正門の方から、カイザーの低い呼吸が聞こえた。

 

私は肉を見下ろした。これは戦利品ではない。勝った証でもない。この島で生きていけるかもしれないという、最初の陸の答えだ。そして、私の手の中に生まれた見えない収納と、シルヴィアが当然のように見せた採集の力。それは、このまだ名前のない家を支える強力な手段になる。

 

でも、万能ではない。そう思っておいた方がいい。便利だからこそ、ちゃんと確かめる。みんなに食べさせるものだから、なおさらだ。 私は板に最後の一行を書いた。

 

『確認してから使う』

 

それを見て、小さく頷く。まずは安全確認、食料確認。みんながちゃんと食べて、ちゃんと帰ってこられる暮らしを作ること。 門をすべて開けるのは、まだ先だ。でも、そのための一歩は、今日たしかに踏み出せた。

 

海には、波の下から返事があった。 陸には、土の上に手応えがあった。

 

最初の獲物は、ただの肉ではなかった。この島で生きていくための、最初の陸の答えだった。

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