聖アステリア女学院の契約令嬢   作:Zuzuiikb

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第8話 契約書の棘

 

 

 契約書は、読めば読むほど静かだった。

 

 静かで、整っていて、白い紙の上に黒い文字がきちんと並んでいる。怒鳴り声もない。刃物もない。誰かを縛る鎖の音もしない。

 

 けれど、だからこそ怖いのだと思った。

 

 ノエルさんから預かった写しを前に、私たちは図書棟の閲覧室にいた。一般講義が終わった後の図書棟は人が多い。けれど、契約法や商会記録の棚がある奥の区画は、少し空気が硬かった。

 

 机の上には、ノエルさんの契約書の写し。

 

 契約基礎の教本。

 

 学園貨の成果換算表。

 

 保証契約の注釈書。

 

 そして、エマさんが持ち込んだ記録板が3枚。

 

 エマさんは、そのうち1枚に契約文を写し、もう1枚に数字の対応表を作り、最後の1枚に妙な線をたくさん引いていた。

 

「……エマさん」

 

「はい」

 

「それは、何をしているのですか」

 

「私にも分からなくなってきました」

 

「分からないまま線を増やさないでください」

 

「違うんです。分からないから線が増えるんです」

 

 エマさんはかなり真面目な顔で言った。

 

 その返答が妙に切実で、私は少しだけ困ってしまった。

 

 シャルロッテ様は、向かいの席で契約基礎の教本を開いている。姿勢はいつも通り綺麗だけれど、指先だけが少し早く頁をめくっていた。

 

「エマさん、今分かっている範囲で構いません。ノエルさんの契約がどう危ないのか、もう一度整理できますか」

 

「はい。できるだけ人間の言葉で話します」

 

「普段は何の言葉で話しているのですか」

 

「魔術処理の言葉です。だいたい嫌われます」

 

 エマさんは記録板の1枚をこちらに向けた。

 

 そこには、契約の流れが簡単な図で描かれていた。

 

 ノエル家。

 

 仲介商会。

 

 学園貨。

 

 保証契約。

 

 成果換算。

 

 奉仕義務。

 

 言葉だけなら、講義で聞いたものと近い。

 

 けれど、エマさんの図では、途中の線が何度も別の表へ飛んでいた。

 

「まず、最初の形はそこまで変ではありません。ノエルさんの家が、聖アステリアでの初期費用や商会保証のために学園貨を借りた。家の財産と、将来の成果を保証にした。ここまでは、まあ……重いけど、あります」

 

 エマさんは、次の線を指で叩いた。

 

「問題はここです。返済が難しくなった時、ノエルさん本人の奉仕義務に切り替わる条項があります」

 

「奉仕義務というのは、どこまでを含みますか」

 

 私が聞くと、シャルロッテ様が答えた。

 

「軽いものなら、商会業務の補助や研究手伝い、定められた時間の労働です。重くなると、学園内での自由時間や講義選択に影響します。さらに悪い形になると、事実上、所有に近い拘束へ寄っていきます」

 

 所有。

 

 その言葉は、低い声で言われても重かった。

 

 私はノエルさんの顔を思い出した。

 

 書類を抱えていた指。

 

 父親を責めたくないと言った声。

 

「ですが、すぐにそうなるわけではないのですよね」

 

「はい。普通なら」

 

 シャルロッテ様は、そこで少しだけ目を細めた。

 

「普通なら、切り替えには明確な条件が必要です。いくら返済が遅れたら、どの範囲の義務へ移るのか。誰が評価するのか。本人の再説明はあるのか。そこがはっきりしていなければ危険です」

 

「ノエルさんの契約では、そこが曖昧なんですね」

 

「曖昧というより」

 

 エマさんが口を挟んだ。

 

「後から動きます」

 

 私は記録板を見る。

 

「動く?」

 

「はい。契約した時に決まっていた数字じゃなくて、学園が毎年更新する成果換算表を参照してるんです。つまり、契約した時は階段だったものが、後から坂になったり、場合によっては崖になったりします」

 

 エマさんは手で階段を作り、それをすっと斜めに倒した。

 

「本人は、最初に階段だと思って署名した。でも、実際に歩く時には傾きが変わっている。しかも、変えたのは本人じゃない。そういう契約です」

 

 その説明は、分かりやすかった。

 

 分かりやすいから、余計に嫌だった。

 

「それは、認められるものなのですか」

 

「完全に駄目とは言い切れません」

 

 シャルロッテ様が答える。

 

「学園内では、年度ごとの評価表に連動する契約自体はあります。研究成果や商業価値は変動しますから。ですが、本人の奉仕義務へ移る条項にそれを使うなら、説明記録と本人の理解がかなり重要になります」

 

「ノエルさんは、説明を受けた記憶がないと言っていました」

 

「そこが争点になります」

 

 争点。

 

 私たちが話しているのは、もうただの困り事ではないのだと分かった。

 

 ノエルさんの父が悪いのか。

 

 仲介商会が悪いのか。

 

 契約評価局の確認が甘かったのか。

 

 それとも、全部が少しずつ悪かったのか。

 

 どれを間違えても、誰かを傷つける。

 

「ソフィアさん」

 

 シャルロッテ様が私を見た。

 

「ノエルさんは、お父様を責めたくないと言っていましたね」

 

「はい」

 

「その点は大切にしましょう。ただし、お父様を責めないことと、契約の危険を見逃すことは別です」

 

「分かっています」

 

 私は頷いた。

 

 善意だけで守れないことくらい、分かっている。

 

 誰かを助けたいなら、相手の気持ちだけではなく、書類も、制度も、相手側の動きも見なければならない。

 

 分かっている。

 

 だからこそ、間違えたくなかった。

 

「まず必要なのは、契約時の成果換算表ですね」

 

 エマさんが言った。

 

「今の表じゃなくて、契約した年の表。そこが違っていれば、ノエルさんが署名した時と、実際に適用される条件が変わっているって言えます」

 

「契約評価局へ申請すれば、取り寄せられるはずです」

 

 シャルロッテ様が言う。

 

「ただし、申請理由が必要です。本人確認、保証人確認、契約内容の再説明要求。どれで出すかによって、相手方への通知のされ方が変わります」

 

「通知?」

 

 私が聞き返すと、シャルロッテ様は頷いた。

 

「契約関係者に照会が入る可能性があります。こちらが何を調べようとしているか、相手に知られるかもしれません」

 

 エマさんの手が止まった。

 

「それ、先に言ってください」

 

「今言いました」

 

「そうですけど、胃が痛くなる種類の情報です」

 

 エマさんは書類を睨んだ。

 

「つまり、雑に申請すると、相手に“この子たち調べてますよ”って知らせることになるんですね」

 

「可能性があります」

 

「うわあ」

 

 エマさんは小さく唸った。

 

 私も、胸の奥が少し重くなる。

 

 助けようとして動く。

 

 その動きが、相手に伝わる。

 

 相手が先に動けば、ノエルさんが危なくなるかもしれない。

 

 それでも、動かなければ何も分からない。

 

「申請の仕方を間違えられませんね」

 

「はい」

 

 シャルロッテ様の声は静かだった。

 

 けれど、迷ってはいない。

 

「だから、まずは契約評価局へ行きます。ただし、ノエルさん本人を連れていきなり窓口に立たせるのは避けましょう。怖がらせますし、余計な発言を引き出される可能性があります」

 

「では、私たちだけで?」

 

「はい。本人から相談を受けた確認者として。もちろん、権限のない範囲には踏み込みません」

 

 エマさんが手を上げる。

 

「私たち、何者として行くんですか。友人? 同級生? 王女殿下の付き添い?」

 

 その問いに、少しだけ沈黙が落ちた。

 

 ここが曖昧なのだ。

 

 個人として動いているから、立場がない。

 

 善意はある。

 

 けれど、善意は受付印にならない。

 

 シャルロッテ様の名前を使えば、扉は開くかもしれない。けれど、それは王女としての圧になる。

 

 エマさんの解析力は必要だけれど、正式な代理人ではない。

 

 私はノエルさんの話を聞いたけれど、契約上の権限はない。

 

 私たちは、何者なのか。

 

 シャルロッテ様が静かに息を吐いた。

 

「今日は、あくまで一般的な確認手続きの相談として行きましょう。私の名前は出しますが、圧としてではなく、責任ある同席者として」

 

「難しいことを言っていますね」

 

 エマさんが言う。

 

「難しいから、丁寧にやります」

 

 シャルロッテ様が返した。

 

 その声を聞いて、私は自然に背筋を伸ばした。

 

「では、行きましょう」

 

「ソフィアさん?」

 

 エマさんが私を見る。

 

「契約評価局へ行くのですよね」

 

「行きますけど、ソフィアさん急に顔が変わりましたね」

 

「そうでしょうか」

 

「はい。今、礼法のスイッチ入りました」

 

 礼法のスイッチ。

 

 変な言い方なのに、否定できなかった。

 

 私は契約書の写しを丁寧に揃え、角を合わせた。机に置かれた書類の順番を直し、ノエルさんの原本と写しが混ざらないよう、別の封筒に入れる。

 

 公式の場へ行くなら、こちらの乱れは相手に見せない。

 

 小さな相談でも、扱うのは人の人生だ。

 

 軽い姿勢で持ち込んでいいものではない。

 

「私にできることは多くありません」

 

 私は言った。

 

「でも、公式の場で軽く見られないように立つことはできます。ノエルさんの相談を、ただの同級生の騒ぎに見せたくありません」

 

 エマさんが少し黙った。

 

 シャルロッテ様は、私を見て静かに微笑んだ。

 

「助かります。ソフィアさんが隣に立ってくださると、こちらの言葉の重さが変わります」

 

「それなら、なおさら乱れられませんね」

 

「もう十分整っています」

 

「まだです」

 

 私は袖口を直した。

 

 髪の乱れを指先で整える。

 

 鏡はない。

 

 けれど、姿勢なら作れる。

 

 視線。

 

 呼吸。

 

 歩幅。

 

 声の高さ。

 

 相手へ差し出す書類の角度。

 

 それらは、幼い頃から母に教わった。

 

 人を威圧するためではなく、相手に「この話は丁寧に扱うべきだ」と思わせるためのもの。

 

 ルミエールでは、何度も使ってきた。

 

 聖アステリアでも、きっと使える。

 

 戦闘場では床に押さえ込まれた私でも。

 

 こういう場なら、まだ立てる。

 

――

 

 契約評価局は、昼前でも人が多かった。

 

 白い壁。

 

 青銀の窓口。

 

 低い声で交わされる確認。

 

 書類を抱えた生徒。

 

 大人の職員。

 

 腕章をつけた補助員。

 

 そして、奥の方には、契約紋を読み取るための水晶台が並んでいた。

 

 私は入口で一度足を止めた。

 

 昨日、ノエルさんがここに立っていた。

 

 不安そうに、書類を抱えて。

 

 今は私たちが同じ場所に立っている。

 

「受付へ」

 

 シャルロッテ様が小さく言った。

 

「はい」

 

 私たちは並んで歩いた。

 

 シャルロッテ様が中央。

 

 私はその少し横。

 

 エマさんは後ろで記録板を抱えている。

 

 窓口の補助員が顔を上げた。

 

 最初にシャルロッテ様を見て、少し姿勢を正す。

 

 次に私を見た。

 

 視線が一瞬だけ止まる。

 

 けれど、私はその視線に反応しなかった。

 

 ただ、静かに会釈をする。

 

「お忙しいところ失礼いたします。契約内容の確認手続きについて、ご相談に参りました」

 

 自分でも分かるくらい、声が整っていた。

 

 大きすぎず、小さすぎず。

 

 柔らかく、けれど引かない声。

 

 補助員の表情が少し変わった。

 

 ただの新入生が迷い込んできた時の顔ではなく、正式な用件を聞く顔になる。

 

「ご相談の契約番号はお分かりですか」

 

「はい。こちらです。ただし、本人の原本ではなく、写しです。本人の許可を得て、確認手続きに必要な範囲を伺いに来ました」

 

 私は封筒を両手で差し出した。

 

 書類の角度を揃え、相手が受け取りやすい位置へ置く。

 

 補助員はそれを受け取って、中を確認した。

 

「本人は同席されていないのですね」

 

「はい。本日は事前確認です。本人に不要な負担をかける前に、必要な申請形式を確認したく存じます」

 

 補助員は少しだけ目を上げた。

 

 その言い方で、こちらが何も知らずに騒いでいるわけではないと伝わったのだと思う。

 

 シャルロッテ様が続けた。

 

「本人から相談を受けました。契約時の成果換算表と現行表の差異、ならびに奉仕義務への切替条項について、本人がどの範囲まで説明記録を請求できるか確認したいのです」

 

 補助員の顔がさらに真面目になった。

 

「少々お待ちください」

 

 彼女は奥へ書類を持っていった。

 

 エマさんが小声で言う。

 

「ソフィアさん、さっきから完全に別人なんですけど」

 

「別人ではありません」

 

「いや、でも戦闘場で床と揉めてた人と同一人物には見えません」

 

「エマさん」

 

「ごめんなさい。でも褒めてます」

 

 褒められている気は少ししなかった。

 

 でも、緊張が少しだけ解けた。

 

 シャルロッテ様が横で小さく笑う。

 

「本当に助かっています。私が前に出すぎると、相手が王女への対応を始めてしまいます。でも、ソフィアさんが先に整えてくださると、用件そのものを見てもらえる」

 

「そのために立っています」

 

 私が答えると、シャルロッテ様は少しだけ目を細めた。

 

「頼もしいです」

 

 その一言が、思ったより胸に残った。

 

 戦闘では、頼もしいとは言えなかった。

 

 でも、ここでは違う。

 

 私にも、できることがある。

 

 奥から補助員が戻ってきた。

 

「確認しました。契約時の成果換算表については、本人または正当な確認者が申請できます。ただし、契約関係者への照会通知が発生する可能性があります」

 

 やはり。

 

 シャルロッテ様が尋ねる。

 

「通知を避ける方法はありますか」

 

「契約評価局内の予備確認であれば、照会前に相談は可能です。ただし、その場合は正式記録として扱えません」

 

「予備確認では、どこまで分かりますか」

 

「契約時表と現行表の差異が大きいかどうか程度です。具体的な判断や差し止めには、正式申請が必要になります」

 

 エマさんが小さく呟く。

 

「下見はできるけど、止めるには本番がいる、と」

 

 補助員が少しだけ目を向けた。

 

 エマさんは慌てて口を閉じる。

 

 シャルロッテ様は表情を変えずに続けた。

 

「では、予備確認をお願いします。正式申請の前に、本人へ説明する必要があります」

 

「承知しました。ただ、契約番号から見る限り、仲介商会の保管記録も関係します。契約評価局内の資料だけでは不十分かもしれません」

 

「仲介商会」

 

 私は口に出さないように、その言葉を胸の中で繰り返した。

 

 補助員は書類に目を落とす。

 

「この契約の仲介者は、メルヴェ商会です。学園内にも連絡所があります。契約時の控えや説明記録の写しは、そちらに保管されている可能性があります」

 

「メルヴェ商会……」

 

 シャルロッテ様の声が、ほんの少しだけ低くなった。

 

「ご存じですか」

 

 私が小声で聞くと、シャルロッテ様はすぐには答えなかった。

 

 窓口を離れてからにしましょう、と目だけで伝えてくる。

 

 私は頷いた。

 

 予備確認の申請用紙を受け取り、必要事項を聞く。

 

 本人の署名。

 

 相談者の氏名。

 

 確認者の氏名。

 

 申請理由。

 

 そして、予備確認であること。

 

 書類を受け取る時、私はもう一度深く礼をした。

 

「ありがとうございました。本人に説明し、必要事項を整えて参ります」

 

「はい。正式申請の場合は、通知範囲をご確認ください」

 

「承知いたしました」

 

 窓口を離れるまで、私は姿勢を崩さなかった。

 

 契約評価局の扉を出て、中庭の端まで歩いてから、ようやく息を吐く。

 

「……緊張しました」

 

 そう言うと、エマさんがすぐに言った。

 

「嘘でしょ。さっきの顔で緊張してたんですか」

 

「していました」

 

「全然見えませんでした」

 

「見えないようにしました」

 

「強い。戦闘と別方向に強い」

 

 エマさんが素直に感心した声を出した。

 

 シャルロッテ様も頷く。

 

「本当に、見事でした。あの場でこちらを軽く扱わせなかったのは、ソフィアさんです」

 

「シャルロッテ様が用件を整えてくださったからです」

 

「それでもです」

 

 シャルロッテ様は、少しだけ真剣な目で私を見た。

 

「小さな組織が軽く見られるかどうかは、最初に立つ人の姿で決まることがあります。今日のソフィアさんは、それを知っている立ち方でした」

 

 私は少し返事に迷った。

 

 褒められているのは分かる。

 

 でも、胸の奥が少し熱くなる。

 

「母に、そう教わりました」

 

「素敵なお母様ですね」

 

「はい。私の自慢です」

 

 自然にそう言えた。

 

 シャルロッテ様は柔らかく微笑んだ。

 

 その隣で、エマさんが記録板を見ながら眉を寄せる。

 

「いい話のところすみません。メルヴェ商会って、何かまずいんですか」

 

 空気が少し変わった。

 

 シャルロッテ様の表情が、王女のものに近づく。

 

「メルヴェ商会は、大きな商会ではありません。ですが、学園内での契約仲介に強い。特に、地方から来た家や、初期資産が少ない生徒の契約をよく扱っています」

 

「それだけなら、普通の商会にも聞こえます」

 

 私が言うと、シャルロッテ様は頷いた。

 

「表向きは。ただ、王宮でも名前を聞いたことがあります。弱い家に親切な顔で近づき、後から条件を握る商会として」

 

「……では、ノエルさんの契約も」

 

「まだ分かりません」

 

 シャルロッテ様は、すぐに断定しなかった。

 

「でも、注意は必要です」

 

 エマさんが記録板を抱え直す。

 

「契約評価局の予備確認と、メルヴェ商会の控え。両方必要ですね」

 

「はい」

 

「で、メルヴェ商会に行くには?」

 

 シャルロッテ様が少しだけ考える。

 

「正面から請求すれば、警戒されます。ノエルさん本人を立たせるのも危険です。別の入口が必要ですね」

 

「別の入口」

 

 私が繰り返すと、シャルロッテ様の視線が私に向いた。

 

 その目で、何となく分かった。

 

「社交の場、ですか」

 

「はい。メルヴェ商会は明後日、新入生向けの小さな交流茶会を開きます。商会関係者や、地方貴族の子女、学園内で出資先を探している生徒が集まる場です。契約の控えをその場で得られるわけではありませんが、誰がこの契約に関わっているか、話を拾えるかもしれません」

 

 エマさんが私を見る。

 

「ソフィアさんの出番ですね」

 

「なぜ私を見るのですか」

 

「いや、だって……」

 

 エマさんは一度言葉を止めた。

 

 それから、少しだけ真面目に言い直す。

 

「ソフィアさん、そういう場でちゃんと立てる人なので」

 

 からかいではなかった。

 

 だから、私は素直に受け取った。

 

「分かりました。私が行きます」

 

「1人では行かせません」

 

 シャルロッテ様がすぐに言った。

 

「もちろん、私も同行します。エマさんは外から記録と術式の確認を」

 

「私は茶会に出なくていいんですか」

 

「出たいですか」

 

「出たくないです」

 

「では、適任です」

 

「ですよね」

 

 エマさんは安心した顔をした。

 

 私は茶会という言葉を、胸の中で静かに置いた。

 

 社交の場。

 

 笑顔。

 

 礼。

 

 視線。

 

 会話。

 

 人が何を言い、何を隠し、誰の名前で反応するか。

 

 そこなら、戦闘場とは違う。

 

 そこなら、私は立てる。

 

「ソフィアさん」

 

 シャルロッテ様が言った。

 

「無理はしないでください。情報を拾うことが目的です。相手を刺激しすぎる必要はありません」

 

「はい。分かっています」

 

 私は答えた。

 

 分かっている。

 

 けれど、その時の私はまだ知らなかった。

 

 刺激しすぎるつもりがなくても、こちらが動いたという事実だけで、相手が動くことがある。

 

 予備確認の申請用紙。

 

 メルヴェ商会の名前。

 

 新入生向けの交流茶会。

 

 それらが、きれいに並んだ道に見えていた。

 

 けれど、契約書の棘は、紙の上だけにあるわけではなかった。

 

 その日の夕方。

 

 契約評価局の記録室で、ノエル・アルマの契約番号に、予備確認の照会準備印が押された。

 

 同じ頃、メルヴェ商会の連絡所にも、まだ正式ではない小さな通知が届く。

 

 契約内容に関する事前確認あり。

 

 本人関係者、接触の可能性あり。

 

 それは、ただの事務連絡だった。

 

 けれど、その紙を受け取った商会員は、笑わなかった。

 

 そして、すぐに奥の部屋へ向かった。

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