手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜 作:みやび
1 トレーナー稼業は開店休業中
窓から見えるトレセン学園のターフを眺めながら、ボクは深く、深くため息をついた。
真新しいデスクに、まだ誰も座ったことのない革張りのソファ。壁には『日本ウマ娘トレーニングセンター学園トレーナーライセンス』が、少し誇らしげに、けれど寂しげに飾られている。
トレーナーとして開業して数日、ボクは誰とも専属契約を結べずにいた。
「史上最年少のウマ娘トレーナー」「自らGⅠを制した天才が教え導く」……スポーツ紙や学園の広報は過剰気味に、こぞってそんな見出しを躍らせてくれたが、蓋を開けてみればこの有様だ。
まあ、予想できなかったわけじゃない。
この世界には、「ウマ娘の実力はヒトとウマ娘の絆によって高められる」というジンクス、あるいは固定概念が存在する。その時点でウマ娘のトレーナーを選ぶものは少数派だ。
さらに、ウマ娘同士だと、どうしても先輩後輩、あるいはライバルという関係性が先行してしまう。特にボクの場合は先日まで学園にいたのだから知り合いも多い。
「尊敬はしてるんですけど、やっぱりトレーナーさんはヒトの方が……」と、申し訳なさそうにボクのスカウトを断った後輩たちの顔が目に浮かぶ。
「はぁ……このままだと、肩書きだけの無職直行コースだね」
誰もいない部屋で独りごちる。
一応、担当がいなくても学園の座学教官やサブトレーナという道もないわけではない。だが、それはそれで問題があった。
これでもGⅠウマ娘だ。どこかのシンボリルドルフとかいう皇帝様の陰に隠れているが、複数GⅠを勝っている有名なウマ娘である。おまけにどこかの皇帝様の暴君っぷりのフォローを生徒会でしてきたので知古はおおい。そのため、今でも学園内にボクを慕ってくれる、というか崇拝に近い眼差しを向けてくる後輩たちが山のようにいるのだ。
もしボクが教官として教壇に立とうものなら、授業そっちのけで雑談とかが始まってしまうだろう。人生相談会かもしれない。想像しただけで頭痛がしてくるし、何よりめんどくさい。
ちなみに、ボクのウマ娘としての本名は別にあるのだが、社会人として活動するにあたっては『紫(ムラサキ)』という通称を名乗っている。ウマ娘としての威光を少しでも和らげ、あくまで「トレーナー」として接してほしいというささやかな抵抗なのだが、どこまで意味があるかは今のところ不明瞭だ。
「とはいえ、背に腹は代えられないか……」
レースで稼いだ賞金があるから生活に困ることはないが、このままだとトレセン学園内でニートすることになってしまう。
なので、知り合いの中で、過去に恩を売った後輩に片っ端から相談してみるか。名家の重圧に耐えかねている落ちこぼれの子を鍛えるのもいい。最悪、レースよりも受験勉強に専念したい後輩などを捕まえて、形式上の担当メンバーにする。受験勉強教えるのなら自信あるし。そして学園から最低限のお賃金をもらうという、極めて後ろ向きな生存戦略を頭の片隅で練り始めた、その時だった。
コンコン。
上品で控えめなノックの音が、静かな室内に響いた。
「はーい」
「お邪魔します」
「あら、いらっしゃい、アルダン」
ドアを開けて入ってきたのは、元ルームメイトであり、後輩でもあるメジロアルダンだった。青みがかった美しい銀髪と、どこか儚げだが芯の強い瞳。メジロ家のご令嬢らしい気品は、相変わらず制服姿でも隠しきれていない。
「トレーナーになったお祝いに来ました。えっと……ここでは何てお呼びすればいいですか?」
「ムラサキでいいよ。ウマ娘としての名前で呼ばれると仕事モードに入れないし、何より凝った名前を考えるのも面倒だからね」
「ふふっ、わかりました。ではムラサキトレーナー、ご機嫌いかがですか?」
「御覧の有様だよ」
ボクは両手を広げて、きれいに片付いた……というより、活動している様子の欠片もない部屋をぐるりと見渡してみせた。アルダンもその視線を追い、くすりと小さく笑う。
「見事に誰も、契約できていないんですね」
「全然だめだね。こっちから声をかけたスカウトも、見事に手ごたえゼロ。お手上げだね」
「でしたら、予定通りメジロ家にきますか?」
「一度だってそんなこと予定に入ってたことないんだけどね。ボクの記憶が確かなら」
満面の笑みで、事もなげにボクをメジロ家に囲い込もうとしてくるアルダン。
まあ、彼女や、その姉であるメジロラモーヌには、現役時代から何かと頼りにされてきた自覚はある。彼女たちの脚元のケアから走りのメンタル面に至るまで、前世の知識も総動員してかなり世話を焼いたのだ。だからこそえらく気に入られているし、冗談交じりに「うちに」という話が全くなかったわけでもない。だが……。
「今なら、両手に美しい姉妹がついてきますよ?」
「美人姉妹って自分で言う? まあ、全くその通りだから反論できないのが悔しいけどさぁ」
もし本当についていったら、即座に外堀を埋められてうまぴょい(隠語)されそうな気配すらある。
具体的な方法は知らない。ボクは飛び級でトレセン学園に入り、レース一筋で駆け抜けてしまったせいで、きちんとした性教育を受けていないのだ。ただ、この世界の常識としてか、「ウマ娘同士でも子供ができる」という謎の生態だけは知っている。ウマ娘の生態怖い。
「まあ、半分は冗談なんですが」
「残りの半分が本気なのが怖いって言ってるんだよ」
「ふふっ。実は今日、ムラサキトレーナーに『逆スカウト』のお話を持ってきたんですよ」
「え? 逆スカウト? 誰から? まさかメジロから?」
「ええ、そのまさかです。メジロマックイーンという子ですよ。ご存じですか?」
「……普通に今年の中等部主席じゃないか。知らないわけないよ」
メジロマックイーン。メジロ家の期待を一身に背負うご令嬢だ。
ボクの目から見ると、現時点ではまだ少し線が細いところが気になる。だが、骨格のバランスや天性のスタミナ、そしてレースに対するクレバーな立ち回りは、まさに主席にふさわしい逸材だ。
前世の知識、すなわち史実の記憶を照らし合わせても、彼女がやがて歴史に名を残す名ウマ娘になることは容易に想像がつく。しかし、仮にそんな知識がなかったとしても、彼女が優秀で、どこのトレーナーからもスカウト選び放題なのは火を見るより明らかだった。
「なんでまた、ボクに? 引く手数多でしょ?」
「あら、飛びつかないんですね」
「アルダンが変な詐欺を働くような子じゃないのはわかってるけど、条件が良すぎて逆に怪しいよ。メジロ家と懇意にしているベテラントレーナーなんて何人もいるだろうし、メジロ家のコネを使わなくたって選び放題のはずじゃない?」
ボクの率直な疑問に、アルダンは困ったように小さくため息をついた。
「ムラサキトレーナーの仰る通りです。単純に言えば……メジロに関係する優秀なトレーナーたちの間で、マックイーンの取り合いになってしまっているんです」
「あー、なるほど。そういうこと」
話の裏が見えてきた。
マックイーンが優秀すぎるがゆえに、どの有力トレーナーも彼女を譲らない。かといって、本人に選ばせたり、当主が鶴の一声で誰か一人を決めてしまえば、選ばれなかった派閥にカドが立つ。
だから、「誰が選ばれても文句が言いにくいトレーナー」であるボクのところに話を持ってきたというわけだ。
「まあ、メジロ家がそこまでボクを信頼してくれるっていうなら、素直にうれしいけどさ」
「ムラサキトレーナーでしたら、各方面のベテランたちや、メジロの親族がいろいろと口出しをしてきても、真っ向から跳ね除けられるでしょう?」
「いやまあ、確かに。メジロの人間が、ボクに喧嘩を売りにくいのは事実だろうけどね」
目の前にいるアルダンの脚部不安を解消するため奔走したり、あの気難しいラモーヌの我儘に付き合ってレースの調整を手伝ったりと、ボクはメジロ家に対してかなりの恩を売っている。心情的に、ボクに噛みつけるメジロ関係者はそう多くないはずだ。下手するとラモーヌあたりが非常にうるさいだろうし。
政治的な緩衝材としての役割も期待されているのだろうが、素材としては文句なしの最高級だ。無職を回避できるうえに、GⅠ級の原石を預かれるのなら、悪い話ではない。
「まあ、ひとまず会ってからだね。書類や映像のデータだけじゃわからないことも多いし」
「ありがとうございます。いつならご都合がよろしいですか?」
「こっちは絶賛開店休業中だからね。基本、いつでも暇だよ」
「ふふっ。では、今日の夜にでも。夕食でも食べながら、一緒にいかがですか?」
「おっ、いいね。楽しみにしてるよ」
メジロ家のお嬢様がチョイスするご飯は、間違いなくおいしいのだ。
無職の危機から一転、ボクは今夜の豪華なディナーへの下心を隠すことなく胸を躍らせながら、優雅にお辞儀をして退室していくアルダンの背中を見送るのであった。