手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜   作:みやび

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10 有馬記念

 さて、年末の総決算ともいえる大レース、有馬記念の時期がやってきた。

 今年の出走メンバーも相変わらず豪華だ。ジャパンカップでは結果を残せなかったが実力は十分なオグリちゃんに、タマモクロスさん。もちろんうちのアルダンも参加予定である。

 ほかにも、マイルチャンピオンシップを勝って、やはり生粋のマイラーなのではないかと囁かれながらも、満を持してこの長距離に再登場してくるサッカーボーイさんもいる。

 

「勝てますかね」

「わからないね」

 

 トレーナー室で出走表を見つめるアルダンに、ボクは誤魔化すことなく正直に答えた。

 ジャパンカップの時と比べれば、温泉での湯治と休息の甲斐あって体調は万全だ。実力は十分に発揮できる状態に仕上がっている。

 だが、純粋に勝てるかというと正直なところ微妙だった。アルダンが持つ最高の実力を数値の100だとしたら、万全の状態で挑んでくるオグリちゃんやタマモさん、そしてサッカーボーイさんは、基礎能力だけで105ぐらいありそうな印象なのだ。

 もちろん、距離適性やコース適性、そして年末の中山レース場というほぼダートみたいな荒れたバ場の適性を考慮すれば、スタミナとパワーに優れるアルダンにも勝ち目は十分にある。だが、それでもこちらが有利だと自信を持って言い切ることはできなかった。

 前回みたいな前に出て押し切るといった奇策も今回は通用しないだろうし。

 ジャパンカップで勝てなかったように、冷静に後ろにつけられるとかなり厳しいのだ。

 1回通用すればラッキーの奇策でしかない。

 

「……私の、勝ち目を増やす方法はないですか?」

「あるよ」

「本当ですか?」

「うん。けど、ボクはそれを君にやるつもりはないよ」

 

 ボクが静かに告げると、アルダンは息を呑んで黙り込んだ。

 

 彼女の今の実力である100を、強引に105に、あるいは110に引き上げる方法がないわけではない。

 単純に、削ればいいのだ。

 今のアルダンの体には、ボクの指示で、怪我をしないように関節や骨を補強するための十分な筋肉や脂肪が鎧のようについている。

 これを食事制限と過酷なトレーニングで削り落とせば、体が軽くなる分、間違いなくトップスピードは上がる。怪我を防ぐための安全マージンと、レースでの速さ。この二つはトレードオフの関係にあるのだ。

 

 実を言うと、この「体を極限まで削って速さに変換する調整」のほうが、純粋なトレーニング技術としてボクは得意だった。

 なんせ、現役時代にボク自身がずっとその方法で走っていたからだ。

 ウマ娘の平均的な丈夫さが50だとしたら、ボクは生来の雑草な出自のおかげで、丈夫さだけなら300ぐらいあるかなり特殊な体質だった。だからこそ、その有り余る丈夫さを削りに削って研ぎ澄まし、本来素質だけならなら30ぐらいしかなかった実力を、無理やり100の強さにまで引き上げて戦っていたのだ。自分の体で散々実験してきたのだから、できないわけがない。

 

 この手の調整に関しては、ルドルフの担当トレーナーも非常に上手かった。

 あいつはルドルフの性格から日々の体調の揺らぎまでをすべて計算し尽くし、怪我の危険がないギリギリのラインまで彼女の体を削り込んで実力を発揮させていた。

 もともと何もしなくても100の実力を発揮できるような最強のウマ娘に、そこまでの緻密なトレーニングと限界の調整を施していたのだ。そりゃあ、誰も勝てるわけがない。

 

 だが、アルダンの場合は根本的に違う。彼女はもともと体が弱いのだ。生来的に脚元に不安を抱えている。サラブレッドの特性を受け継ぐ名家のウマ娘は全般的に体が繊細な傾向にある。

 そのアルダンが身にまとった安全マージンを削り落とすような真似を、ボクは許すつもりがなかった。

 

「多少無理なローテーションでも、本人の強い要望があれば対応するし、どうしても走りたいという情熱を否定するつもりはない」

「……」

「でも、体作りの根本に関わるここだけは、ボクは絶対に譲らない。嫌なら……ボク以外のトレーナーに変えたほうがいい」

「……っ」

 

 アルダンが傷ついたような顔でボクを見た。

 彼女の気持ちは痛いほどわかる。

 健康になって、走る喜びを知った。

 風を切って、ターフを思いっきり走れる喜びも知った。

 強敵と並んで走り、ライバルと競う喜びを知った。

 そして、レースで勝つ喜びも知ってしまったのだ。

 

 そうすれば、次は絶対に負けたくなくなる。それはアスリートとして別段おかしい話ではない。

 あとは、勝利のためにどこまでリスクをとるかという判断の問題である。

 ボクは、担当ウマ娘の怪我率が0%のレースしか認めない。

 だが、怪我をする確率を5%に上げる代わりに、勝率が5%上がるならば、そのリスクをとる者がいるのは否定しない。残りの数%をどこまで攻めるかというチキンレースの世界だ。

 

 アルダンはうつむいたまま、何も言わずに静かにトレーナー室の席を立った。

 

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 ろくに走ることすらできなかった幼いころ。アルダンにとって、あの人は救世主であり、舞い降りた天使であった。

 姉であるラモーヌが家に連れてきた、紫色の髪をした小柄な少女。彼女の言うことに従って生活し、体を動かしていれば、不思議と自分はどんどん走れるようになっていった。

 熱を出してベッドで寝込む時間が減っていった。少しずつ速く走れるようになっていった。やがて、ターフの上を全力で走れるようになっていった。

 それがすべて、あの人の与えてくれた知識と指導のおかげであると、アルダンは深く理解している。

 だからこそ、あの人はアルダンにとって絶対の存在だった。

 なのに今、あの人の言葉に素直に従えない自分がいることに、アルダンは酷く戸惑っていた。

 

 勝ちたかった。

 有馬記念で、あのオグリキャップに。

 ほかでもないあの人が自ら裏で動き、クラシック登録の壁をこじ開けてまで目をかけた、あの芦毛の怪物にだけは。

 

 勝つために何でもしようと思った。自分の身を削ってでも速さを求めたかった。だが、その時、一番味方であってほしいあの人に明確に拒絶された。

 勝利を追求することそのものを、許されなかったのだ。

 

「どうしたの、アルダン。随分と深刻な顔をして」

 

 学園の中庭で立ち尽くしていた時、ふと声をかけてきたのは姉のラモーヌだった。

 

「……姉さま。実は、トレーナーさんと少し揉めてしまいまして」

「ふうん」

 

 ラモーヌの反応は、ひどく興味のなさそうなものだった。

 だが、それが妹の話に興味がないのではなく、彼女自身の思考に深く集中しているがゆえに、相槌がおざなりになっているだけだということを、妹であるアルダンは理解していた。

 それを教えてくれたのもあの人だったな。そんなことが何となく浮かんだ。

 

「そうね。ひとまず、あなたの話を聞きましょうか。ついてきなさい」

 

 そう言ってラモーヌに連れてこられたのは、彼女の担当である小内トレーナーの執務室であった。

 今回の有馬記念で最大のライバルとなるであろう、サッカーボーイの担当トレーナーでもある人物の部屋だ。いくら姉の担当とはいえ、そんな敵陣の真っ只中に自分を連れてきていいのだろうかと疑問に思ったが、ラモーヌは気にする様子もなく、どんどん部屋の奥に入ってソファに腰を下ろした。

 書類仕事に追われていた小内トレーナーも、突然入ってきたメジロの姉妹を見てさして驚くこともなく、ペンを置いて対応してくれた。

 

「どうしたんだい、ラモーヌ君。急に妹さんまで連れてきて」

「うちの可愛らしい妹が、嫉妬と恋に惑って迷子になっているものですから」

「ああ、彼女はヴィオラ君の担当だったっけ」

「ええ。あの人がどうしてあそこまでこだわるのか、あなたから教えて差し上げて」

「やれやれ。そういう裏話なら、岡辺君のほうがよほど適任だと思うんだけどね」

 

 唐突なラモーヌの無茶振りにぼやきながら、小内トレーナーはゆっくりとアルダンに向き直った。

 

「で、ヴィオラ君の話を聞きたいと?」

「えっ? ま、まあ……そうなのかもしれません」

 

 姉のペースに巻き込まれ、展開が早すぎてアルダン自身よく理解ができていない。

 姉のラモーヌと話していると時々起きる現象だった。姉は言葉が足りないし、頭の回転が速すぎてついていけないのだ。

 ただ、目の前のベテラントレーナーの話には、確かに興味があった。

 

「彼女が、三女神様の使徒だという噂は知っているかな?」

「まあ、なんとなくは」

 

 三女神の使徒。

 前世の記憶がはっきりと残っている人間であり、三女神と直接契約を結び、ウマ娘たちの幸せに尽くすことを約束してこの世界にやってきた者たち。

 人間しかおらずその多くがウマ娘のトレーナーになるという噂だ。ウマ娘の姿で転生してきたというのは初耳だったが、あの人は普段から「自分は前世の記憶がある」とか「前はただのおじさんだったんだ」とよく笑いながら話していたので、彼女もその一人なのだろうということは何となく想像していた範疇の話だった。

 

「我々トレーナーという仕事は、常に二つの大きな矛盾を抱えている。『レースに勝たせる』という目標と、『担当を怪我させない』という目標だ」

「それは……矛盾するのですか?」

「する。確実にね。あのシンボリルドルフの陣営ですら、その二つの矛盾の間の恐ろしい綱渡りだったというのは、トレーナーなら誰もが認めるところだ」

 

 小内トレーナーは静かな声で語った。

 勝とうと限界まで鍛えれば、必ず体に無理が出る。無理があれば、ガラスのように繊細なウマ娘の脚は怪我をする。逆に、無理をしなければ怪我はしないが、その分だけレースで勝てる可能性が減る。

 このトレセン学園において、デビュー前の練習段階ですら、一割程度のウマ娘は怪我で泣いてターフを去っていくのだ。

 

「そして、ヴィオラ君は『絶対に怪我をさせない』側の急先鋒だ。様々な予防策や独自の治療法、基礎トレーニングを作り上げてきた、間違いのない天才だよ」

「そこまで、すごい方なんですか」

「少なくとも私は、今のウマ娘界で真の天才トレーナーと呼べるのは、彼女だけだと思っているよ」

 

 初のティアラ三冠トレーナーという輝かしい実績を持つ目の前の男ですら、あの小柄なウマ娘をそこまで高く評価し、認めているのか。アルダンは胸の奥が熱くなるのを感じた。

 

「だが、彼女のその手法は、同時に『勝つこと』を捨てる部分が非常に多い」

「……」

「君は、純粋に勝ちたいと思ったから、彼女と意見が衝突して喧嘩したわけだね」

「ケンカというわけではありません。ただ……」

 

 何かが食い違っているだけなのだ。

 トレーナーさんは、決して自分を見捨てたわけではない。だが同時に、自分の願いに対して一歩も譲ろうとはしなかった。

 

「彼女への恩や憧れは、一度忘れたほうがいい」

「忘れて、いいんですか?」

「ああ。勝利という夢の前では、過去の恩など些細なことだ」

「……」

「君がどうしてそこまで勝ちたいのか。ただ走るだけでなく、なぜ勝利に執着するのか。一度、一人でじっくりと考えてみるといい」

「……わかりました」

 

 この、腹の底から湧き上がるような、絶対に負けたくないという焦りは何なのか。

 今の自分には、静かな対話が必要なのだろう。

 

 

 

 

 

 学園の裏山。木漏れ日が落ちるベンチに一人座り、アルダンは自分の心と向き合っていた。

 

「私は……あの人の、唯一になりたかったんですね」

 

 三女神の使徒という言葉を聞いて、自分の中の焦りの正体がなんとなく腑に落ちたのだ。

 三女神の使徒は、歴史に名を残し、時代を作る。

 そして、三女神の使徒の傍らに立つ愛バは、例外なく誰もが知る歴史的名ウマ娘ばかりだ。

 

 例えば、シンボリルドルフ。彼女のトレーナーが三女神の使徒だというのは有名だ。

 ジャパンカップを日本のウマ娘として初めて制覇した、完璧にして無敵の皇帝。その偉業は数え切れず、まさに時代を作ったと言うに相応しい。

 それに比べて自分はというと、とてもではないがそのレベルの器に届いているとは思えない。

 

「……いやだなぁ……」

 

 ポツリと、誰に聞かせるわけでもない本音が漏れた。

 あの人の隣に立つ、運命の相手は一体誰なのだろうか。

 思い当たるウマ娘は何人もいる。

 例えば、自分の姉であるラモーヌ。史上初めてのティアラ三冠を達成したウマ娘。皇帝に続く女王。正確にはあの人の担当ではないが、サポートとして姉のレースにかなり尽力していたのは知っている。

 あるいは、あの人自身の実績だ。無敗の皇帝の陰に隠れてはいるが、それでも現役時代に四十戦以上をこなし、完全連対という恐ろしい記録を残している。「ミス・パーフェクト」の異名を持つあの人自身もまた、紛れもない歴史的なウマ娘なのだ。

 

 そんな途方もない存在に比べると、自分がどれだけちっぽけに感じることか。

 いや、菊花賞というGⅠを勝った時点で、自分がウマ娘全体の中では上澄みであることは頭では理解している。だが、「歴史的」という冠がつくには、あまりにも実績が足りない。

 あのオグリキャップを倒し、タマモクロスを倒し、立ちはだかるライバルたちをすべてねじ伏せて、それで初めてやっと手に届くかもしれない隣の席。

 今の自分では、不足がありすぎた。

 

「……いやだなぁ……」

 

 そもそも、自分はそこまで勝負に執着する人間だっただろうか。

 走るのは好きだ。

 誰かと競い合うのも好きだ。

 勝つのも嫌いではないが、姉ほど燃え上がるような負けず嫌いではない。

 怪我なく無事に走り終えることを最優先にする。そういう意味では、トレーナーさんの方針と自分の本質は、決して相性が悪いとは思わないのだ。

 

「本当に、嫌だなぁ……」

 

 このまま自分が凡庸な成績で終われば、きっとあの人の本当の愛バという席には、自分とは別の、才能あふれる誰かが収まるのだろう。

 メジロ家が誇る至宝たる、後輩のマックイーンだろうか。

 それとも、シンボリルドルフが直々に推薦してきたという、あのトウカイテイオーだろうか。

 それとも、まだ見ぬ未知の誰かだろうか。

 姉のラモーヌが今更その席に座ることはさすがにないだろうが……。

 

 胸の中に渦巻く黒い感情と焦り。

 考えれば考えるほど、悩みは結局晴れなかった。

 

 数日後。

 迷いを抱えたまま挑んだ有馬記念は、オグリキャップ、タマモクロスの激闘の前に一歩及ばず、アルダンは結局4着という結果に終わったのだった。




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