手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜 作:みやび
アルダンが手配してくれたのは、府中にある隠れ家的な高級フレンチレストランだった。アンティーク調のランプが落とす薄暗い照明に、足音が沈み込むようなふかふかの絨毯。案内された個室は防音も完璧で、テーブルの上には見たこともないようなカトラリーが整然と並んでいる。
今日の参加者はボクを含めて四人。誘ってくれたアルダンと、その姉であるメジロラモーヌ。そして件の逆スカウトの主、メジロマックイーン。見渡す限りのメジロである。
参加者は四人なのだから、普通は向かい合って座るものだろう。だというのに、なぜかアルダンとラモーヌはボクの左右にぴたりと陣取っていた。右からはアルダンの甘く優しい香りが、左からはラモーヌの気高く洗練された香りが漂ってくる。両側から最高級のメジロに挟まれても、ボクがメジロになるわけではないのだが、どうしてこうなった。
向かいの席にぽつんと座るマックイーンの視線が少し痛いが、おそらくこの姉妹のおごりだろうから文句は言わないでおこう。こんな格式高いお店、普段のボクなら絶対に入れないし。
「しかし、見事にメジロばかりだね……」
「あら、不満かしら?」
「まさか。にしてもこんなお高そうなお店、初めて来たよ」
「ふふっ。ムラサキさんの現役時代の賞金なら、この程度のお店、毎日でも通えるでしょうに」
アルダンが上品に微笑む。
「いや、そうかもしれないけどさぁ……」
実際、ボクはあのシンボリルドルフにいじめられながらも、なんとか二着に滑り込んだり、あいつがいない隙を突いてGⅠをかっさらったりしていた。そのため、総獲得賞金はかなりの額に上っている。無駄遣いさえしなければ、一生遊んで暮らせるだけの蓄えはあるのだ。この店だって、お高いだけで来られないわけではないのだが……
「どうしても、昔からの貧乏性が抜けなくてさぁ。一人でこんなフレンチ食べても味なんてわからないし」
「……ちなみに、昨日の夕食は何を食べたの?」
グラスを傾けていたラモーヌが何となく聞いてきた。
「えーっと……駅前の牛丼だったかな。紅しょうが多めで」
「へぇ、そうなの」
しまった、馬鹿正直にしゃべりすぎた。ラモーヌの声が一段階低くなり、目が完全に据わっている。
「まったく、あなたという人は。放置するとすぐに自分の扱いが雑になるんだから。現役時代は、私や妹の脚元や食事にはうるさいぐらい口を出してきたくせに」
「いやだって、ボクはもう引退した身だし。手軽で安くて美味しい牛丼は、日本が誇るファストフードの王様で……」
「アルダン」
「何でしょう、姉さま」
「しばらくこの子のこと、あなたが責任を持って面倒見なさい」
「ふふっ、喜んで。寮の合鍵は持ってますし」
「ちょっと待って!? ボクの意志は!? というかなんで合いかぎ持ってるんだアルダン!?」
アルダンにお世話などされようものなら、朝の着替えから夜の就寝まで甘々に甘やかされ、確実にダメ人間、いやダメウマ娘になる自信がある。現役時代何度かされたそのお世話焼きを楽しめないわけでもないが、アルダンは今まさに第一線で走っている現役のウマ娘なのだ。自分のレースに集中してもらわなければ困る。
そんなことを反論したら、ラモーヌがため息をついた。
「それなら、最低限の自己管理くらいちゃんとやって頂戴」
「……はーい」
有無を言わさぬラモーヌの正論に、ボクがしょんぼりと肩を落としていると。
「あの……」
「ああ、ごめんなさい。身内話に花が咲いて、主役を置き去りにしてしまったわね」
向かいの席から、鈴を転がすような、それでいて凛とした声が響いた。
薄紫色の美しい銀髪。まっすぐに見つめてくる、意志の強い瞳。
この子が、今年のトレセン学園入学試験を主席で飾ったメジロマックイーンだ。
前世のゲームの記憶でも見たことはあるが、実物の彼女は、息を呑むほど完成された美少女だった。
「紹介するわ。この子がメジロマックイーンよ」
「初めまして、メジロマックイーンですわ」
「うん、初めまして。今年からトレーナーとして開業したムラサキだよ。よろしくね」
ボクが愛想よく笑いかけると、マックイーンは少し緊張した面持ちで、しかし食い入るようにボクを見つめてきた。
「あの、失礼ですが……シンボリルドルフさんの最大のライバル、『ヴィオラレジーナ』さんでいらっしゃいますよね?」
「あー……うん、そうだよー」
その大仰な二つ名に、ボクは思わず苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
確かにルドルフとは同期だし、世間からはライバルと持て囃された。けれど、ボクはあの『絶対皇帝』に一度も勝ったことがないのだ。直接対決は四戦四敗。あいつは無敗のまま引退してしまったから、結局土をつけることは叶わなかった。
学園の定期テストで二回ほど上回ったことはあるが、レースの大半はあいつの背中を見ながら絶望を味わっていた記憶しかない。本当に、あの皇帝は完璧超人すぎる。対人関係とかポンコツ甚だしいのに。
「どうしてトレーナーになられたのですか?」
マックイーンの純粋な疑問。もっともな問いだ。
レースでこれだけ活躍したらドリームトロフィーリーグに移籍し、その中で家業を引き継いだり、タレント活動に勤しんだりするものだ。そういった路線をとらずにトレーナーに回るのは確かに不思議だろう。
「もともと、選手よりもトレーナーになりたかったんだよ。年齢制限と資格を取るための実務経験を重ねる必要があったから、それをクリアするまでの期間、トレセン学園で走ってただけなんだ」
「……相変わらずふざけた理由ね」
左側からラモーヌの冷たい声が飛んでくる。
まあレースを愛するラモーヌの癇に障る理由なのは理解している。
「まあ、自分でもそう思うよ」
ラモーヌの言うことももっともだ。ボクにとってレースは自己表現の場ではなく、トレーナーライセンスを最速で取得し、自らの理論を証明するための『途中経過』に過ぎなかった。人生を懸けて走っている他のウマ娘たちには申し訳ないと思っている。
だが、勝負の世界は残酷だ。勝てば官軍、結果を出した者が正しいのだ。
「で、マックちゃんは何を目指すの? 三冠? それとも無敗記録?」
ボクが唐突に話題を変えると、マックイーンは姿勢を正し、淀みない声で答えた。
「いえ、私は天皇賞に勝ちたいと思っております」
「ふーん、天皇賞。なんで?」
「それは……おばあさまや、メジロの皆が望むからですわ」
「うげ」
ボクは思わず顔をしかめ、あからさまに嫌な声を出してしまった。
「だ、ダメですか……?」
不安げに眉を下げるマックイーン。すかさずラモーヌがフォロー、というかボクへの刺し合いを入れてくる。
「少なくとも、どこかの誰かさんのように『資格のための腰掛け』よりは、よほど立派な理由だと思うけれど」
「まあ、ボクのふざけた理由よりはマシだね、確かに。でもさ、もうちょっと自分の意志を出したほうが、こっちとしてもやりやすいかなって思うんだよね」
「自分の、意志……ですか?」
「そう。誰かに言われたから、誰かの期待に応えるためだからっていうのは、裏を返せば『言われなかったらやらない』『誰にも期待されなかったら走らない』ってことじゃない?」
厳しい言葉だったかもしれない。だが、過酷な長距離レースである天皇賞を勝つには、生半可な覚悟では体が持たない。誰かのためではなく、最後は自分のエゴで走る必要があるのだ。
さんざん言われるボクの理由だって結局エゴだ。自分の走りを証明するためであり、だからこそあんな化け物と競い合い続けられたのだ。
「……いえ、そんなことはありません」
俯きかけたマックイーンが、再び顔を上げた。その瞳に、確かな熱が灯っている。
「確かに、周囲の期待があったからかもしれません。ですが、私は母や祖母の……メジロの天皇賞での走りに心から憧れました。あの盾を掲げる誇り高い姿に魅せられたからこそ、私は私の意志で、天皇賞を目指しているんです!」
おお、いい目をしてるじゃないか。
なるほど、親子三代での天皇賞制覇。昔の天皇賞といえば、今とは比べ物にならないほど過酷だった時期もあるはずだ。その血脈を受け継ぎ、長距離を駆け抜ける姿は、確かに想像するだけで胸が熱くなる。この子には、メジロの重圧を跳ね除けるだけの強さがある。
ボクは改めて、テーブル越しのマックイーンの体を観察した。
まだ入学したばかりで線は細い。だが、関節の柔らかさ、無駄のない筋肉の付き方、そして何より深い呼吸。長距離を走るための天性のスタミナを秘めた、素晴らしいステイヤーの原石だ。
「了解。君の目標が『天皇賞に勝つこと』だとして……で、マックちゃんのほうは本当にボクでいいの?」
「えっ?」
「ボクは天皇賞でもルドルフに二回負けてるんだよ。そんなトレーナーじゃ、信用できないんじゃない?」
天皇賞春でも天皇賞秋でも、ボクはルドルフに負けて2着だった。結局天皇賞は1度も勝ててないのだ。
試すようなボクの言葉に、マックイーンはふふっと上品に微笑んだ。
「ヴィオラレジーナさんに、私を天皇賞に勝たせる自信がおありになるなら。私は、あの絶対皇帝に最後まで食い下がったあなたの背中を信じますわ」
「……そっか。できると思うよ、ボクなら君を勝たせられる。ただ、一つだけお願いがあるんだけど」
「なんでしょうか?」
「ムラサキ、って呼んでくれると嬉しいな。本名というかレース名、ちょっと豪華すぎて背中がむず痒いんだよ」
「あら、そうですか? 『紫の女王(ヴィオラレジーナ)』、とても美しくて似合っていると思いますけれど」
「アルダンもよくそう言うんだけどさぁ……」
ボクは大きなため息をついた。
身長百四十センチメートル。平均的な中等部のウマ娘よりもさらに低い、ちんちくりんの低身長。さらにどこからどう見てもぺったんこな子ども体型。女王なんて威厳のある言葉、似合うはずがないだろう。
特に今、この豊満でグラマラスなメジロの美人姉妹に両脇をがっちり挟まれていると、己の幼児体型が嫌でも浮き彫りになる。
くそっ、挟まれたらその分、ボクもグラマラス美女の栄養を吸収して成長したりしないかな。……しないよなぁ、現実的に考えて。
「ひとまず、今日からよろしく、マックちゃん。君のトレーナーは、このボクが引き受けた」
「はい! よろしくお願いいたします、ムラサキトレーナー!」
こうして、ボクは肩書きだけの無職を無事回避し、とんでもない才能を秘めたお嬢様と専属契約を結ぶことになったのだ。