手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜 作:みやび
年が明け、トレセン学園にも新しいシーズンの足音が近づいてきた。
大きな変化として、昨年の年度代表ウマ娘という輝かしい実績を手土産に、アルダンが去年いっぱいで現役を引退することになった。
史実の記憶にあったような悲劇的な故障はなく、ターフを無事に走り抜き、これ以上ないほどの最高の笑顔での引退である。担当トレーナーとして、そして彼女の先輩として、これほど誇らしく嬉しいことはなかった。
そして引退後の彼女の進路なのだが。
「ということで、トレーナー資格を取るために、今日から二年間はトレーナーさんの所でサポーターをやらせていただければと存じます」
「うん、なるほどね」
トレーナー室のデスクの隣。そこには、真新しいサポーター用のIDカードを首から下げ、上品に微笑むアルダンの姿があった。
ウマ娘がトレーナー試験の受験資格を得るためには、実務経験を二年積むか、専門の学校に二年間通学する必要がある。
ボクの時も、シニア1年目で引退して、岡辺トレーナーや俵トレーナーの所で他のウマ娘のサポートをして実務経験を稼ぎ、卒業と同時に試験を受けてトレーナーになった。アルダンもその道を追って、ボクの元で指導のノウハウを学びながら実務経験を積む道を選んだというわけだ。
「いずれは立派なトレーナーにもなりますし、トレーナーさんの専属のお嫁さんにもなります」
「はいはい。頼りにしてるよ、サポーターさん」
朝からぐいぐいと距離を詰めてくるアルダンの熱量に気圧されそうになるが、内心の照れや戸惑いを隠すためにも、あくまで仕事の顔を作って軽く流すように振る舞う。
メジロのパーティ以降、彼女の愛情表現は以前にも増してストレートで重たくなっている気がする。
横のソファでお茶を飲んでいたマックちゃんが、呆れたようなため息をついた。
「チームの後輩の目の前で、朝からいちゃつかないでくださいまし。目が当てられませんわ」
「いちゃついてないよ! ボクは真面目に新年度のプランを練ろうとしてたところなんだから!」
ボクは咳払いを一つして、手元の資料に視線を戻した。
「さて、アルダンのサポーター就任も決まったところで、ここからはマックちゃんのクラシック級のスケジュール会議だ。いよいよ本番の年だけど……」
「はい。目指すは当然、クラシック三冠ですわ!!」
マックちゃんが力強く宣言する。その瞳には一切の迷いがない。
昨年末のホープフルステークスを圧勝し、冬を越して彼女の肉体はさらに研ぎ澄まされていた。あとはその実力をどのレースでどう発揮させるかという、計画を立てるだけだった。
「よし。じゃあ、今後のローテーションのプランを三つ用意したから、一緒に考えてみようか」
「三つもですか?」
「そう。まず一つ目は『通常プラン』。王道のステップレースである弥生賞を叩いてから皐月賞、そして日本ダービーに向かい、夏を休養にあてて秋にまた一回ステップレースを走ってから菊花賞に向かう、最もベーシックな王道プランだ」
「ふむ。一般的で無難な道ですね」
あのシンボリルドルフなんかも経由した、ある種のテンプレであり王道のルートだ。つまり、それだけ無理がなく洗練されており、実力を発揮しやすいということでもある。
「二つ目は『たっぷりプラン』だ。とにかく走れるだけレースに出る。たとえば、皐月賞とダービーの間にNHKマイルカップを挟んだり、夏前にシニアクラスとも競える宝塚記念に出たり、場合によってはオークスなどのティアラ三冠路線にも手を出したりする過密ローテーションだね」
「それは……トレーナーさんが現役時代に通った道ですよね?」
「さすがにボクでも夏の宝塚記念までは出なかったけどね」
マックちゃんが引きつった顔で尋ねてきたので、ボクは苦笑しながら答えた。
ボクの現役時代は、オークスの前哨戦であるフローラステークスを走った後、あのへっぽここライオン丸に「ダービーに出ないつもりか」と理不尽な駄々をこねられて押され、オークスではなく日本ダービーに出走するといった、かなり頭の狂ったスケジュールで走っていたものである。あれは本当に過酷だった。
「そして最後、三つ目は『じっくりプラン』。ステップレースなどの前哨戦を一切挟まず、目標とするクラシック三冠レースの本番に直行するプランだ。マックちゃんはホープフルステークスを勝って賞金を満額持っているから、トライアルを使わなくても除外される心配は全くないからね」
「……本番のレースにぶっつけ本番で挑むということですか。それ、コンディション調整の面で問題はありませんの?」
「それぞれにメリットとデメリットがあるよ。走れば走るほど実戦の勘は養われるしレースは上手くなるけど、本番のピーク調整が難しくなるし、何より日々の基礎トレーニングに割く時間が減って、自分自身の能力の底上げをやりきれない可能性が高くなる」
時間は有限だ。レースに出走するためには事前の調整と事後の休養が必須となり、純粋に肉体を鍛え上げるためのハードなトレーニング期間がごっそりと削られてしまうのだ。
「ふむ。トレーナーさん自身は、現役時代どうされていたのですか?」
「ボク? ボクはさっき言った通り、とにかく数多くのレースに出走して、実戦の勘と勝負の駆け引きを研ぎ澄ませていたんだよね。連闘に次ぐ連闘で疲労抜きの調整は大変だったけど、自分の体のことだからどうにかギリギリを攻められた、って感じでしかないかな。純粋な基礎能力については、ボクはその頃にはもう伸びる余地が全くなかったからね」
「……伸びる余地がない? それは、小さい頃からストイックに積み上げてきた完成形だったから、ということですか?」
「いんや。単純に、ボクには走る才能が決定的に欠けていたからだよ」
ボクがケロッとして言うと、マックちゃんだけでなく、隣で聞いていたアルダンまでが信じられないというように目を見開いた。
「才能がないなんて、ご謙遜を。先輩は無敗の皇帝と渡り合ったミス・パーフェクトじゃないですか」
「謙遜でも何でもないよ。たとえば、マックちゃんやアルダンが持っているウマ娘としての天性の才能を100としたら、ボクの走りの才能なんてせいぜい20ぐらいしかなかったんだ。本当に早々に成長の天井を打ったから、あとは体を削って無理をしたり、レースの展開で工夫したりして、持たざる実力を無理やり100に見せかけて絞り出していただけさ。どれだけ練習を重ねても、基礎スペックはもう伸びなかったからね。正直な話、普通のやり方で走っていたら、重賞どころか未勝利戦で1勝できるかどうかすら怪しいレベルの素質だったと思うよ」
だからこそボクは、手当たり次第にレースに出て経験値を稼ぎ、他人の走りから技術やスキルをパクりまくって、パッチワークのように自分を底上げしていくしかなかったのだ。
「ふむ、ちなみに私はどれがおすすめですか?」
「マックちゃんへのボクからのおすすめは、三つ目の『じっくりプラン』かな」
マックちゃんに、ボクはにっこりと笑いかけた。
「マックちゃんについて言えば、デビュー前からボクのメニューでしっかり基礎トレーニングを積んでいたから、現時点でも相当な実力はついている。だけど、君の才能はまだまだこんなもんじゃない。鍛えれば鍛えるほど、まだまだく伸ばせる余地があると思うんだ。それに、レースの駆け引きについては、小さい頃からほかのことよく競っていたせいか、現状でも正直かなり上手い。必要なスキルやデバフ技術に関しても、ボクが持っているものは基本全部教えてあるしね」
現に彼女は、ボクが現役時代にはスペック不足で使いこなせていなかった高度なスキルなんかも、その圧倒的な才能で見事に上手く使いこなしている。わざわざ過密なレースに出て、他人から技術を必死に盗んでくる必要性は低いだろう。
「だから、夏を越えるぐらいまでは、君のその才能を限界まで引き上げるための『じっくりと鍛える時間』に充てるためにも、出走は三冠レースの本番だけ、でもいいと思うんだよね」
「……なるほど。私とトレーナーさんでは、持っているカードも置かれている状況も違うということですね。わかりました。トレーナーさんがそうおっしゃるのなら、私は『じっくりプラン』で本番に直行いたします」
マックちゃんが納得して頷いてくれたので、ボクは心底ホッとした。
よかった。ジュニア級の時のように、全国各地を飛び回る無法な密集ローテーションをドヤ顔で持ってこられなくて。もし「ティアラ路線の三冠にも全部出ますわ!」なんて言い出したら、さすがのボクでも全力で止めていただろう。
「方針が決まったわね。そうすると、今年最初のレースは本番の皐月賞になりますね」
「うん。マックちゃんは年末にホープフルステークスで同じ中山の2000mのコースを走って勝っているけど、春の皐月賞では、たぶんバ場の感じが全く違うから注意してね」
「同じコースなのに、そんなに違うのですか?」
「中山の冬の芝は、ダートよりも重くてタフだからね……」
ボクは中山レース場の事情について解説を始めた。
たぶんコース整備技術や気候の問題なのだが、冬は芝が育ちにくいうえに、年末のホープフルステークスや有馬記念の時期は、秋からずっと使い込まれた開催の最終週にあたる。そのため、コースの内側の芝は完全に剥げ回って、ほぼ砂場みたいになっているのだ。ダートコースのように綺麗にならされているわけでもないから、下手すると本当にダートを走るよりも脚をとられて走りにくくなっている。有馬記念も過酷だが、同じ中山で行われるスプリンターズステークスなんかも、あの荒れ果てたバ場を全速力で駆け抜けるのだから本当にきついのだ。スピードはもちろんパワーとスタミナが容赦なく要求される。
「一方で、皐月賞が行われる4月の時期は、春先で芝が青々と元気だから、年末の時ほどひどく荒れていない。その分、時計も早くなるし、スピード感はかなり変わってくるはずだ。そういう意味では、3月の弥生賞を走っておいた方が感覚は掴みやすいんだけど……開催期間の中頃と末でもバ場の傷み具合に差があって、『弥生賞の時の感覚で走ったら、皐月賞では思ったよりスピードが出せなくて負けた』なんていう事例も少なくない。現に、あのルドルフも王道ローテを取った時、『春の中山は芝の感じが読みにくくて結構走りにくかった』と愚痴をこぼしていたからね」
「なるほど……同じ中山でも、季節によって別のコースのようになるのですね」
「そういうこと。だから、中山の2000mの走り方やペース配分の細かいコツについては……アルダンに聞いてもらった方がいいかな。実はボク、あの距離であのコース走ったことないし……」
「……え? ないんですか!?」
「いや、中山は四大レース場の中では一番出走回数が少なくて、あまり走ってないんだよね。ボクが出たのはスプリンターズステークスとステイヤーズステークスぐらいかな……?」
「1200mと3600m!? 両極端すぎますわ!!」
マックちゃんがツッコミを入れてくれた。
いや、だってクラシックの時期はルドルフと正面からやり合いたくなくてティアラ路線に逃げていたから、皐月賞とか出てないし……。よくよく自分の過去のローテーションを振り返ってみると、そもそも2000mという中距離のレース自体、あまり経験がないかもしれない。出たのは天皇賞(秋)と金鯱賞ぐらいだったっけ。
「うーん……ボクの戦歴、意外と死角が多いな……」
「超短距離から超長距離までカバーしているのですから、トレーナーとしての経験値としては十分すぎるのでは?」
「いや、やっぱりもっとデータを集めるために、あと20戦ぐらいは現役で走っておくべきだったか……」
ボクが本気で後悔し始めると、アルダンがくすくすと笑った。
「もう一年現役を続けていたら、もっと多くのコースをカバーできたかもしれませんが、そうすると実務経験の期間が足りなくて、卒業と同時にトレーナー資格を取れなかったじゃないですか」
「あー……それもそうか。悩ましいところだね」
まあ、過ぎたことを言っても仕方がない。ボクの足りない経験値は、こうして優秀なサポーターであるアルダンが補ってくれるのだから。
「ではマックイーンさん、私と一緒に春の中山を想定したイメージトレーニングを始めましょうか」
「はい、アルダンさん。ご指導よろしくお願いいたします」
アルダンと二人で、中山の2000mの走り方について真剣に話し合いを始めるマックちゃん。
ボクはそんな二人の微笑ましくも頼もしい姿を見守りながら、休憩のためのお茶でも淹れることにした。新たな年のクラシック戦線は、もうすぐそこまで迫っている。