手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜 作:みやび
児童養護施設、いわゆる孤児院という場所がある。
何らかの事情で親がいなかったり、親が育てられなかったりする子供を、国が保護して育てるための児童福祉施設だ。
ボクもそんな場所の出身であり、親の顔を知らない。
そもそも、ボクに『実の親』という概念が存在するのかすら怪しいところだ。なんせボクは、三女神様の手違いによって出力されたバグみたいな転生ウマ娘である。ある日突然、野原の真ん中にスポーンと発生したと言われても驚かない自信がある。
まあ、ボクがクラシック戦線で有名になった頃、どこからともなく「私が涙をのんで手放した実の親です」と名乗る胡散臭い連中が何度か湧いて出たことはあった。赤ん坊を捨てておいて、金と名誉の匂いがした途端にすり寄ってくるのだから、仮に本物だったとしても面の皮が厚すぎる。
もっとも、その手の連中はルドルフやラモーヌが裏に手を回し、DNA鑑定を突きつけた上で社会的な息の根を完全に止めてくれたらしいので、最近はすっかり静かになったが。
さて、そんな孤児院だが、ボクが育った施設は「ウマ娘専用」という少し特殊な場所であるため、全体の人数はそう多くない。なにせウマ娘の幼児の馬鹿力は尋常ではないのだ。普通のヒトの子供と一緒に遊ばせたら、じゃれ合ってちょっと押し倒しただけでコンクリートのシミになるような大事故が起きかねない。そもそもウマ娘の孤児というのがあまり多くないのもあり、一年に一人増えるかどうかのゆっくりとしたペースで回っている。
ボクにとっては懐かしい故郷ではあるのだが、もう一人立ちして自分の稼ぎで暮らしているので、頻繁に帰省することはない。それでも、少人数で奮闘している先生方にボクが元気にやっている姿を見せるため、そして将来トレセン学園に入学してきそうな有望な子に前もって便宜を図って青田買いするため、たまにこうして顔を出すようにしているのだ。
「おねえちゃーん!」
「あ、おねえちゃんだ!!」
「かこめかこめー!!」
「ぬがせー!!」
「なんで挨拶代わりにボクを脱がせようとしてくるんだよ!」
施設の玄関に足を踏み入れた途端、奥から凄まじい足音を立ててちびっこウマ娘たちが殺到してきた。みんな、血の繋がりはないけれど可愛いボクの妹分たちだ。
ちんちくりんのボクに飛びついてくる子供たちを正面から受け止め、一人残らずまとめて抱きしめ、空中に振り回し、そのまま畳まれた布団の山へと豪快に投げ飛ばす。さらに、ドサクサに紛れてボクのジャージを引きずり降ろそうとしてきた首謀者のちびっこを逆に素っ裸の刑にしてやり、玄関先はあっという間に大騒ぎの戦場と化した。
うん、今日もみんな元気で可愛いなぁ。
「ふふっ。いつも賑やかで助かるわ、ヴィオラさん」
「院長先生もお変わりなく」
暴れる子供たちをあしらっていると、奥からエプロン姿の女性が目を細めて歩いてきた。このウマ娘専用施設を長年一人で切り盛りしている院長先生だ。
種族は普通の『ヒト』なのだが、この超パワーを持つ怪獣たちの群れを大人としてきちんとまとめ上げている、紛れもない超人であり、底なしに情が深く、絵に描いたような聖人だ。ボクも現役時代の賞金からちょこちょこ寄付金を送っているのだが、この先生は自分の懐には一円も入れず、子供たちの食費や真新しい靴のために全額きっちり使い切ってしまう。
「そういえば、あなた最近婚約したんですって?」
「……相変わらず、こっちの界隈に話が回るのが速いなぁ」
「心配したのよ。嫌な思いはしていない? お相手、随分と上の格式を持つ名家のお嬢様なんでしょう?」
「ああ、大丈夫ですよ。学園でずっと連れ添ってきた気心の知れた後輩ですし、お互いに納得ずくですから」
ボクが苦笑しながら説明すると、院長先生は心底ホッとしたように胸をなでおろした。
どうやら相当な心配をかけていたらしい。……まあ、無理もないか。客観的な字面だけを見れば、ボクは孤児上がりで、相手はメジロ家の未成年のご令嬢なのだ。ボクが逆らえない権力に借金のカタか何かで強引に囲われた政略結婚にしか見えるらしい。
今度アルダンをここに連れてきて、ボクのことがどれだけ好きかを本人に小一時間ほど熱弁させるか。いや、それはそれでボクが羞恥心で死ぬな。
懐かしい少し古びた廊下を歩きながら、先生と近況を話していると、ふとリビングの部屋の隅で、一人ぽつんと絵本を読んでいる見慣れない少女の姿が目に留まった。
「ん? 新しい子ですか?」
「ええ、そうなの。……アルヴさん、こっちにいらっしゃい」
「はい、先生」
呼ばれて立ち上がったのは、艶やかな青い髪が目を引く少女だった。
まだ小学校にも入っていないかもしれないくらいの幼い年齢なのに、その立ち姿にはすでにある種の厳格さと、将来間違いなくとんでもない美人になるであろう涼やかな気品が漂っていた。
ただ、なんというか……どうしてこの子は、こんなに全身から孤高のオーラを張り巡らせているのだろうか。
可愛げがないというか、この施設の子供たちは例外なく院長先生の底なしの慈愛にあてられて大なり小なり甘えん坊になるというのに、この子はその空気に一切染まっていない。
「アルヴちゃんっていうんだ。はじめまして」
「……なっ!?」
ボクはつかつかと近寄るなり、有無を言わさず彼女の脇下に手を差し入れ、ひょいと持ち上げて抱きしめた。うん、軽い。そしてすばらしく良い匂いがする。
「や、やめてくださいっ! 放してください!」
「なんでさ。ボクはアルヴちゃんと仲良くなりたいんだよ。ほら、すりすり」
「や、やめ……っ!」
ボクのジャージの胸元を小さな手で必死に押し返して抵抗するアルヴちゃんだが、ボクは構わずそのすべすべの頬に自分の頬をぐりぐりと押し付ける。
いいか。この孤児院において、院長先生の愛情を素直に受け入れない強がりな子に、人権というものは存在しないのだ。
お前のその分厚い孤高の鎧が完全に溶けて骨抜きになるまで、ボクが責任を持って徹底的に甘やかしてやるからな。
その後、膝の上に乗せて少しかまって分かったが、このアルヴちゃんは相当に『めんどくさい』類の性格をしていた。
根本にある感情は、ごくシンプルなものだ。親の愛に対する、極度の飢餓感である。
この子もそうだし、ここにいる妹分たちの多くがそうなのだが、物心ついた時から「自分には親がいない」という現実を突きつけられて育つ。一方で、一歩外の世界に出れば、同年代の子供たちが親と手を繋いで歩いている姿を嫌でも意識させられる。
そこに嫉妬と強烈な憧れを抱いてしまうのは別段おかしなことではない。
院長先生や職員の方々がどれだけ無償の愛情を注いでくれたとしても、それは「施設のみんなに向けられたもの」であり、「自分一人だけを独占的に見てくれる親の愛」とは少し種類が違う。賢い子供ほど、その残酷な違いを本能的に悟ってしまうのだ。
その折り合いをどうつけるか。多くの子は「先生がみんなのお母さんだ」と納得して甘えるのだが、アルヴちゃんはその妥協がどうしても許せないのだろう。「誰かの一番になれないのなら、最初から誰の愛もいらない」とでも言わんばかりの、ひどく不器用で意地っ張りな防衛本能だ。
ボクはそんな彼女の心情を勝手に察しつつ、膝の上で背中をポンポンと叩きながら頭を撫で回し続けた。
「うぅ……っ、うっとおしいです……」とアルヴちゃんが耳を伏せて身をよじらせるが、ボクのロックは絶対に外さない。ミス・パーフェクトの愛のホールドから逃れられる者など、この世に存在しないのだ。
周囲のリビングで寝転んでいるほかの妹分たちが、「あーあ、新入りが捕まっちゃったよ」と哀れな生贄を見るような目でこちらを見ている。お前らもあとで順番にジャイアントスイングしてやるから首を洗って待ってろ。
「……アルヴちゃんはね、とっても足が速いのよ」
「そうそう! ちびっこレースでも、いっつもダントツで1番なの!」
ボクに捕獲されたままフリーズしているアルヴちゃんを指さして、妹分たちが教えてくれた。
どうやら彼女は非常に優秀らしい。
学校での成績は常に1番、グラウンドのかけっこでも常にぶっちぎりの1番。非の打ち所のない神童だ。
ただ、あまりにも人に甘えない孤高な態度のせいで、周りの子供たちからも少し浮いてしまっている、といったところか。ボクが彼女の柔らかいほっぺをぷにぷにとこねくり回すと、耐えかねたように「……ふしゅぅ」と情けない鼻息を漏らした。
「そうだわ、ヴィオラさん。もし都合がつくなら……今週の日曜日に開催されるアルヴさんのレースに、あなたが付き添ってあげてくれないかしら」
「ん? 付き添いですか。構わないですけど……」
ボクは首をかしげた。
マックちゃんの目標である日本ダービーまではまだ少しスケジュールに余裕があるし、日曜日の一日くらいボクが抜けてもチームの練習に支障はない。ただ、こういう外部の大会は、普通は施設の職員さんが引率として行くものだ。OGのボクにわざわざ頼むのは珍しい。
「実はアルヴちゃん、あまりにもタイムが速すぎて、今度の都の大きな合同大会に選抜で出ることになったの。ただ、会場が少し遠くて……」
「あー、なるほど。そういうことですか。いいですよ、引き受けます」
合点がいった。
都の大会ともなれば、引率だけでなく事前の受付や現場での待機時間も含めて丸一日がかりの仕事になる。普段なら何人かの子供をまとめて連れて行くから労力に見合うが、今回は出場するのがアルヴちゃんただ一人。おまけに人手不足のこの施設で、貴重な大人の職員一人が丸一日完全に拘束されるのは厳しいのだろう。
ボクとしても、未来の怪物候補の走りを生で見られるチャンスだ。ついでに参加者から優秀な原石をスカウトする算段でも立てながら、のんびり観戦させてもらおう。
「……久しぶりですね。こちらのレース場に来るのも」
「本当ですわ。なんだか、少し胸が躍ります」
日曜日。東京都品川区にある大井レース場。
なぜかボクの左右には、当日になると当たり前のような顔をして合流してきたアルダンとマックちゃんの二人が、それぞれ日傘を差して並んで立っていた。
……どうして君たちまでついて来てるのさ。
「チームの親睦を深めるための、素晴らしい休日のお出かけプランですから」
そんなことを言いながらアルダンは微笑み、さっそく出走前のパドック裏で緊張しているアルヴちゃんにすり寄っていった。
実はアルダン、メジロ家においてずっと病弱で周囲から過保護に構われる妹ポジションだった反動からか、子供を構って甘やかしたい欲求が人一倍強いのだ。
「まあ、なんて可愛らしいお顔立ち。お姉様がリボンを直して差し上げますね」
「……っ!? け、結構です! 自分でやれます!」
と、青い髪を揺らして本気でうっとおしそうに逃げ回るアルヴちゃんと、それを「うふふ、照れ屋さんですね」と逃げ道を塞ぎながら追い詰める重戦車アルダン。完全に猛獣に目をつけられた小動物の図だったが、アルダンの趣味なのでボクは止めないでおいた。
そして始まった、未就学児クラスの特別選抜レース。1000mと年齢にしてはかなり長いレースだ。
結果から言えば、アルヴちゃんは危なげないどころか大差をつけて圧勝した。
「……これは、想像以上ですね」
「ええ。とんでもないポテンシャルですわ……」
スタンドで見守っていたボクたちは、思わず息を呑んだ。
都の選抜大会ともなれば、各クラブや名家が手塩にかけて育てた将来有望なエリート幼少期メンバーがずらりと揃っている。
マックちゃんやアルダンも、このくらいの時期に同じような大会に出て好成績を出して名を知られたクチだが、当時のボクなんかは一応大会の予選には出られたものの、周りのスピードについていけずボロボロにされたレベルの大会だ。
この時期のウマ娘の実力は、良いトレーナーや整った環境がついているかどうかで完全に明暗が分かれる。だから名家の令嬢が強いのは当たり前であり、施設出身者なんて逆立ちしても勝てないのだが……アルヴちゃんは、そんな「血統と環境のアドバンテージ」を、たった一人、己の肉体と才能で完全に粉砕して見せたのだ。
神童という言葉すら安っぽく聞こえる、背筋が寒くなるような強さだっただった。
「お帰り、アルヴちゃん! すごい走りだったよ!」
「……大したことありません。当然の結果です」
「いいえ、すごいですわ! あの第3コーナーからの加速、鳥肌が立ちましたもの!」
「ええ! 本当に、息を呑むほど素晴らしい末脚でしたよ、アルヴさん!」
検量室前に戻ってきた彼女を、ボクたち三人がかりで囲んで手放しで褒めちぎる。
すると、アルヴちゃんは相変わらず「ふん」とそっけない無表情を崩さなかったが……彼女の腰の後ろから生えた青い尻尾だけが、誤魔化しようのないほどの超高速回転で、ぶんぶんと嬉しそうに左右に揺れまくっていた。
……ああ、そっか。
きっとこの子は、これが欲しかったんだ。
周囲のターフを見渡せば、走り終えた他の子供たちは皆、お父さんやお母さんの胸に飛び込んで「よく頑張ったね」と頭を撫でてもらっている。
そんな光景の真ん中で、一人だけ帰る胸を持たない孤児のウマ娘が、どれほどの寂しさと孤独を小さな胸に押し込めてスタートゲートに立っていたのか。
彼女はその飢餓感を「誰にも負けない強さ」に変換することでしか、自分を保てなかったのだろう。
その不器用すぎる空席に、今日はボクという『姉』と、メジロを代表する二人の『お姉様』が、彼女のためだけに最前列に立って拍手を送った。それだけで、彼女の張り詰めていた意地が少しだけ報われたのだ。
本当に、最高にめんどくさくて、最高に愛おしい原石である。
将来、誰かがこの子の専属トレーナーになって正面から向き合うことになったら、その重すぎる愛とプライドにめちゃくちゃに振り回されるんだろうなぁ……と、どこか他人事のように未来の同業者に同情しつつ、ボクは彼女の頭をもう一度ぐしゃぐしゃに撫でた。
さて、そんな孤児院の小さな問題児だったが、後日、ボクたちの予想もしなかった方向から事態がすこし改善していくことになった。
きっかけは、ほかでもないアルダンだった。
あの日、孤独に走るアルヴちゃんの姿にすっかり母性本能を狂わされたアルダンは、彼女を自分のお気に入りとしてロックオンしてしまったのだ。
それからのアルダンは、ボクのオフの日を見つけては「さあ、実家に帰りましょう」とボクの首根っこを掴み施設へと通い詰めるようになった。
孤高を気取って誰にも甘えられない意地っ張りな少女を、メジロの優雅な物理ホールドによって「問答無用で好きなだけ甘やかしていい」というシチュエーションが、アルダンの母性本能にクリティカルヒットしてしまったらしい。
今やリビングの真ん中で、綺麗なお洋服を着せられ、アルダンの膝の上で「あ──ん」と高級な焼き菓子を口に放り込まれながら、「……しゅぅぅぅ」と白目を剥いているアルヴちゃんの姿は、施設のすっかり見慣れた日常風景となっていた。
「……まあ、本人が満更でもなさそうに尻尾振ってるし、これでいっか」
ボクはソファーの上で温かいお茶をすすりながら、平和になった光景に目を細める。
次の瞬間、「あ! おねえちゃんまたサボってるー!」「のしかかれー!」と、背後から飛びかかってきた妹分たちの重すぎるウマ娘まんじゅうを受け、ボクの意識は暗転した。