手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜 作:みやび
さて、クラシック三冠の2戦目、マックちゃんの日本ダービーである。
春先に調子を整えて上がってくる子も例年出るが、今回は皐月賞の時のライバルたちがさらに強力に仕上がっていそうな気配だった。
「負けるつもりは毛頭ありませんわ」
マックちゃんは力強く、誇らしげに胸を張った。
皐月賞からさらに基礎トレーニングを重ね、磨き抜かれた充実の重量級ボディである。圧倒的なスタミナを支えるパワーもスピードもさらに一段階向上し、相手を抑え込むスキルにもより一層の磨きがかかっている。
これなら皐月賞に続いて負けるわけがない……と手放しで安心できないのが、最高峰のレースの難しいところだ。
一番の懸念材料は、ほぼ全員がマックちゃんの対策を徹底的に練ってきているだろうという点だ。
先行抜け出しの戦法は王道中の王道だが、当然ながら対抗策がないわけではない。もっとも有効なのは、マックちゃんが一番取りたいポジションを先に抑えてフタをしてしまう戦術だ。マックちゃんの持つ強化された独占力スキルや圧倒的なフィジカルを考えれば、最終的なポジション争いには勝てるとは思うが、道中で余計なスタミナを消耗させられる。
ほかには、デバフの影響が少ないはるか前方へと逃げを打つか、あるいは思いっきり後ろに控えてプレッシャーの範囲外へと避ける方法などが考えられる。
かつてルドルフがターフで猛威を振るっていた時、あいつが一番得意とした先行抜け出しの必勝パターンに対しては、周囲の陣営からさんざん研究が重ねられていた。当時一線を張っていたトレーナーたちなら、一つや二つは対応策を考えているはずだ。もっとも、ルドルフのやつは相手の対策を嘲笑うかのように、レースによって大逃げを打ったり最後方からの追い込みを見せたりと、変幻自在な脚質で周りを戸惑わせていたのだけれど。
一方で、マックちゃんはそこまで器用に変身できるタイプではない。
自分の得意な王道の先行抜け出しを、誰にも破られないレベルまで極めるしかないだろう。アルダンほど器用じゃないし、ある意味考えることは少なくて済む。
「アイネスさんは、思い切って逃げてくるだろうね」
「でも、直線が長い東京レース場で逃げを打つのは不利ではありませんの?」
「それでも逃げてくるさ。マックちゃんのデバフやプレッシャーから逃れるには、前方に退避するのが一番有効だもの」
一応、マックちゃんのスキルセットの中には前を走る相手にも効果を発揮するものがあるが、大体は自分より後ろにいる相手に対して影響を及ぼすものが多い。これはマックちゃんに限らず、先行策をとる場合、視界に入る前方の敵よりも背後に迫る圧倒多数の後続を抑えることの方が重視されるからだ。逆に追い込みなどの後ろを行く脚質なら、前方を捕らえるためのスキルが重視される。
だからこそ、マックちゃんの制圧エリアよりもさらに前へと逃げ込むのは、相手にとって非常に理にかなった選択だ。皐月賞の時は先行気味の好位で走っていたアイネスさんだが、今回はダービーという舞台で、自身の持ち味である逃げ足を万全に生かした勝負を挑んでくるだろう。
「メジロライアンは、間違いなく後ろから来るだろうね」
「彼女の剛脚なら、東京の長い直線があれば一番後ろからでも届きかねませんわ」
東京レース場の直線は500m以上もある。最後の直線に入ってからのスパートでも、圧倒的なトップスピードがあれば十分に前を捕らえるだけの距離と余地があるのだ。
集団から距離が離れれば離れるほど、マックちゃんの放つスキルの影響は薄れる。ライアン陣営はそこを突いて対応してくるだろう。そうでなくても、バ群から離れた最後方はごちゃつきにくいため、道中のスタミナ消耗を抑えられる。最後にすべてをひっくり返すだけの末脚があるのなら、それも立派な戦略だ。
「ハクタイセイさんは、おそらく道中でポジションをガチで争ってきそうだ」
「……それもあり得ますわね」
皐月賞での雪辱を果たすため、真っ向からマックちゃんにぶつかって勝負してくる可能性が高そうである。
フィジカルの勝負なら負ける気はしないが、相手がどういう泥臭い手を使ってくるかが少し怖いところだ。
とはいえ、マックちゃんはその瞳を鋭く細め、立ちはだかる敵を真っ向から全部叩き潰す意志を見せていた。
そして迎えた、5月末の東京レース場。
梅雨入り前の抜けるような青天のもと、スタンドを埋め尽くした十万人を超える大観衆の熱気が、ターフの緑を陽炎のように揺らしていた。
ウマ娘たちの頂点、世代の最高峰を決める日本ダービーのパドック周回である。
「……すごいな、今年のパドックは」
最前列のフェンスに腕を乗せ、ボクは思わず感嘆の息を漏らした。
ただでさえ多頭数の22人がひしめくパドックだが、放たれる気迫の密度がこれまでの重賞とは根本的に違った。
2番人気のライアンは、トレードマークの短い髪を揺らしながら、闘志を隠そうともしない鋭い足取りで歩いている。その太ももの筋繊維が、一歩ごとに鋼のように浮き上がっていた。4番人気のハクタイセイさんは、お母様譲りの華やかな美貌にひどく冷ややかな勝負師の目を浮かべ、虎視眈々とこちらの気配をうかがっている。3番人気のアイネスフウジンさんは、軽快なステップを踏みながらも、その視線はすでに「はるか前方の誰もいないゴール板」だけを真っ直ぐに捕らえていた。
そんな、一触即発の猛獣の檻のようなパドックの真ん中に──ボクの愛バが歩みを出した。
「…………っ」
スタンドの一角から、息を呑むような微かなざわめきが伝播し、それがまたたく間に無数のカメラのシャッター音へと変換されていく。
マックちゃんの勝負服姿である。
前回の白ビキニのような肌色など、そこには一ミリも存在しない。首元から足首までを黒一色で完全に包み込んだ、ストイック極まりない特製の全身タイツ勝負服。
だが、布地で隠したからこそその規格外の『質量』が、かえって浮き彫りになっていた。
ボクの指導のもと、怪我をさせないための安全マージンとして極限まで積み上げられた、分厚くもしなやかな重量級のボディ。張り詰めた広背筋、はちきれんばかりの双丘、そして何より、大地を根こそぎえぐり取るために作り上げられた大腿四頭筋の圧倒的なシルエットが、黒い光沢のあるストレッチ素材の内側から、生命力そのもののように脈打って主張している。
顔立ちはあくまで涼やかで、メジロの令嬢にふさわしい気品に満ちた微笑を浮かべている。
なのに、首から下のトータルバランスが絶対に壊れない要塞のそれなのだ。彼女が一歩、ターフの試走所を踏みしめるたび、ズン、と重たい大地の鳴りが周囲のウマ娘たちの足元にまで伝わっていくようだった。
「……あら。今日のマックイーン、ずいぶんと仕上がっているじゃない」
すぐ背後の関係者席から、メジロラモーヌがひどく愉しそうな、それでいて少し背筋が寒くなるような声音で呟いた。その隣に座るメジロのお婆様は、扇子で口元を隠しながらも、その厳格な目を細めて深く、深く頷いている。
「ええ。がんばりましたもの。……ねえ、トレーナーさん?」
ボクの隣にすり寄ったアルダンが、ボクのジャージの袖口をきゅっと摘みながら、耳元で甘く、どこか誇らしげに囁いた。
いや、最高の仕上がりなのは間違いないし、めちゃくちゃ格好いいんだけど。なんだろう、顔しか出ていないのに、どうしてこうも扇情的なんだろうか。周りのスポーツ紙のカメラマンたちが、さっきからマックちゃんの太ももの接写ばかり狙ってシャッターを切っている。あとで全員の身元を洗ってやる。
周回を終え、本場バ入場へと向かう直前。
マックちゃんはボクの目の前でぴたりと足を止め、真っ直ぐにこちらを見てきた。
「行ってまいります、トレーナーさん。……メジロの、そしてあなたの正しさを、あの東京の真ん中に刻みつけてまいりますわ」
「うん。行ってきなさい、マックちゃん。君の背中は、もう誰にも抜かれないよ」
ボクが拳を突き出すと、マックちゃんは嬉しそうに目を細め、その黒い手袋に包まれた拳を、こつん、とボクの小さな拳に合わせて走り出していった。
ファンファーレが鳴り止み、静寂が訪れる。
22枠という多頭数。マックちゃんは5枠11番という、下手をすれば左右のバ群に完全に包まれて身動きが取れなくなる、極めて難しいゲートに収まった。
──カコンッ!
乾いた金属音と共に、運命の2400mがスタートした。
「出たっ! メジロマックイーン、すばらしい飛び出しだ!」
実況の叫び声が響く。
多人数のごちゃつきなど、彼女には一ミリも関係がなかった。『コンセントレーション』と、皇帝直伝の『盤石の構え』が完全に噛み合った、恐ろしいほどの集中力。彼女はゲートが開いた瞬間に、まるで重たい水銀の雫が隙間を滑り落ちるかのような、一切のブレがない低い姿勢でするっと最前列へと抜け出した。
そのマックちゃんのさらに外側、大外枠から弾丸のような勢いで飛び出していったのは、やはりアイネスフウジンさんだった。
「マックイーンのデバフ領域に捕まる前に、はるか前方へ逃げ切る」。その予想通りの、ターフの風を切り裂くような大逃げ。だが、マックちゃんは全く慌てない。事前の作戦通り、アイネスさんの真後ろという絶好の2番手にピタリとつけ、自身の巡航速度を完全に固定する。
追い抜きはしない。ただ、背後から「絶対に逃がさない」という強烈なプレッシャーをじわじわと浴びせ続け、アイネスさんの逃げ足を、彼女の想定以上に無理やり加速させていく。
第1コーナーから第2コーナーへ。
ここで、動いた者がいた。ハクタイセイさんだ。
ダービーの栄冠を手にするには、今ここでマックイーンのポジションを強引に奪い取るしかない。その凄まじい執念と共に、外側から果敢にマックちゃんの真横に体を寄せ、王道のポジション争いを仕掛けてきたのだ。
スタンドが息を呑む。通常のレースであれば、インにいるウマ娘が外からの圧力に押されてわずかに進路を譲るか、後退する場面だ。
だが──マックちゃんは譲らない。
進路を変えるどころか、彼女は走る重心をほんの数ミリ、ぐんと下へと沈め、そのぶ厚い体幹を岩のように硬直させた。
──ドゴッ。
鈍い、ウマ娘同士の肉体が接触する音がマイクに拾われた気がした。
次の瞬間、弾き飛ばされたのは、挑みかかったハクタイセイさんの側だった。
彼女の瞳に、明確な『驚愕』が浮かぶのが見えた。マックちゃんの強靭な腰に当たった瞬間、ハクタイセイさんの渾身の踏み込みが、まるでコンクリートの支柱に全力でぶつかったゴムまりのように、いともたやすく外側へと跳ね返されたのだ。
マックちゃんは息ひとつ乱していない。ただの物理的な、ベースの質量の格差に加えて、その体幹の強さ。ボクが毎日、吐くほど食べさせて筋トレをさせた重量級ボディの前には、小手先の体当たりなど児戯に等しかった。
向正面。2400mの長丁場でありながら、全体のペースは息を入れる区間が全くないほど、恐ろしいタイムで上がっていく。
そして迎えた、勝負所の大ケヤキの向こう──第三コーナー。
後方で息を潜めていた本命の差し・追い込み集団が、いよいよ前を捕らえようと一斉にスパートの仕掛けを強める。
「今だ、マックちゃん!」
スタンドのボクの叫びと同時だった。
マックちゃんは、まだ直線まで距離がある第三コーナーの真ん中で、躊躇なく自らの全スタミナを解放する『ロングスパート』を仕掛けたのだ。
大観衆の悲鳴に似た歓声が上がる。
早すぎる! あの位置からスパートすれば、東京の長い直線で最後に必ず捕まる。誰もがそう錯覚した。
だが、マックちゃんの脚は失速しない。
ガウッ、ガウッ、と、大地の芝を根こそぎえぐり取るような暴力的なストライド音が、前を走るアイネスさんの背中へと襲いかかる。
限界を超えたオーバーペースに巻き込まれたアイネスさんが、ついに苦しげに顔を歪め、引き離されまいと必死にもがく。ポジション争いで体力を根こそぎ奪われたハクタイセイさんは、すでに失速して後方のバ群へと飲み込まれていった。
そして──大歓声が渦巻く、520mの最終直線。
第四コーナーを完璧な軌道で回ったマックちゃんが、ついに先頭へと踊り出た。
逃げ粘っていたアイネスさんが、目に見えない巨大な質量の壁に押し潰されたかのように、ずるずると後方へと後退していく。
マックちゃんの独壇場かと思われた、その時だった。
「おおおおおおおおおおおおっ!!」
スタンドの空気が、これまでとは全く違う、地鳴りのような爆発音に包まれた。
大外から──メジロライアンだ。
道中、マックちゃんのプレッシャーが届かない最後方で完全に息を潜めていた彼女が、その短い髪を振り乱し、太い腕をピストンように回転させて、信じられないほどの豪脚で坂を駆け上がってきたのだ。
それはまさに、王道漫画の主人公が、絶望的な強さを持つ『ラスボス』に最後の勝負を挑むかのような、理不尽で、あまりにも美しすぎる末脚だった。
5バ身あった差が、4バ身、3バ身と、一歩ごとに凄まじい勢いで縮まっていく。
「差せる! ライアンが差す!」。スタジアムの半分がそう叫んだ。
だが──抜かせない。
背後から迫るライアンの凄まじい気迫と足音を背に受けながらも、マックちゃんは一度たりとも後ろを振り返らなかった。
彼女の顔に焦りはない。ボクの理論の結晶である重量級の肉体は、東京レース場が誇る高低差2.1mの心臓破りの坂を、スピードを落とす障害物としてではなく、ただ己の圧倒的なパワーを地面に叩きつけてさらに前へ加速するための『発射台』として利用していた。
縮まっていたライアンとの距離が、残り200mの標識を越えたあたりで──完全にピタリと止まった。
ライアンの末脚が限界を迎え、マックちゃんの絶対にバテない最高速度と完全にイーブンになったのだ。
「いけえええええええっ! マックちゃ──ん!!」
ボクが柵から身を乗り出して叫ぶ。
マックちゃんは最後の力を振り絞るように、その黒いタイツに包まれた胸をぐんと前へ突き出し──ライアンの猛追をきっちり2バ身差に封じ込めたまま、誰よりも気高く、真っ先にゴール板を駆け抜けた。
──決着。
一瞬の完全な静寂ののち、スタジアム全体がひっくり返るような大歓声に包まれる。
電光掲示板に赤々と灯ったタイムは、これまでのダービーの歴史を塗り替えるレースレコード。
皐月賞に続くクラシック二冠達成。
ターフの奥でゆっくりと減速したマックちゃんは、くるりとスタンド側へと向き直り──黒い手袋に包まれた右手の人差し指を二本、これ以上ないほどのドヤ顔で、高く、真っ直ぐに東京の青空へと掲げてみせた。
「…………ふふっ。やった、やったよアルダン! ダービー制覇だ!」
「ええ、ええ! 本当に、素晴らしいお姿ですわ……っ!」
ボクが歓喜に沸いて隣を振り返ると、そこには感動で涙ぐみながら抱き着いてくるアルダンの姿があった。