手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜   作:みやび

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27 菊花賞

「最も速いウマ娘が皐月賞を勝ち、最も運のあるウマ娘がダービーを勝ち、そして最も強いウマ娘が菊花賞を勝つ」

 まことしやかに語り継がれていた格言だ。

 

 いよいよクラシック三冠の最終戦、菊花賞、京都3000mの舞台が近づいてきた。だが、春先にマックちゃんと鎬を削ったライバルであるアイネスフウジンさんとハクタイセイさんの二人の姿は、そこにはない。

 二人とも、激闘の代償とも言える脚の怪我により戦線離脱してしまったからだ。アイネスさんはそのまま惜しまれつつターフに別れを告げて引退を決め、ハクタイセイさんは一応の復帰を目指して長いリハビリに入ったものの、症状はかなり重いと聞く。

 

 こういう残酷な現実を目の当たりにすると、同業者として、そして同じウマ娘だった者としてもっと事前に何か彼女たちを救う手立てはなかったのかと悩んでしまうのだが……ボクは神様ではない。手の届かない範囲の運命まで捻じ曲げることは不可能なのだ。

 ボクにできるのは、今目の前でボクを信じてくれている担当を完璧に仕上げて勝たせることだけである。

 

 さて、強敵二人が抜けたとはいえ、菊花賞のメンバーが手薄になったわけではない。夏の上がり馬としてセントライト記念を快勝し、完全に本格化したホワイトストーンさんは間違いなく手ごわい相手だろう。それに、春の雪辱に燃えるメジロライアンだって、その豪腕と末脚にさらに磨きをかけてきているはずだ。

 

 だが、現在のマックちゃんの最大の敵は、ほかならぬマックちゃん自身のメンタルだった。

 ほんの少しだけだが、彼女の気迫から絶対に負けられないというヒリついたテンションが抜け始めてしまっているのだ。

 無理もない。目の前に立ちはだかる絶対に越えなければいけないライバルがいて初めて、精神を張り詰めることができる。そのライバルがふっと消失してしまえば、どれだけ意識を高めに持とうとしても、心の奥底に微かな油断と驕りがどうしても生じてしまう。

 まああのライオン丸なんかは、周囲にまともなライバルがいようがいまいが「私が王だから勝つ」という謎の絶対基準だけで無敗を貫いていたが、あいつのメンタル構造は例外中の例外だ。

 

 夏の合宿でボクや俵さんから様々な技術を吸収し、身体能力のスペックそのものは過去最高に仕上がっているマックちゃんだが、このままのフワッとした精神状態で淀の3000mに放り込むのは少し危険だった。

 

「──ということで、本日これより『第一回ヴィオラレジーナ杯』を開催します」

「……はい? なんですの、その突発的なお祭りは」

 

 ある日の午後。トレセン学園のターフコースにマックちゃんを呼び出したボクは、拡声器片手に堂々と宣言した。

 

「いやね。最近ちょっと己のスペックに溺れて調子に乗っているマックちゃんを、一度徹底的にボコボコにして敗北の味を思い出させようかと思って」

「なっ……! 人をまるで慢心している悪役みたいに! わたくしはいつだって真剣ですわ!」

 

 憤慨するマックちゃんだが、ボクは拡声器をスタンドに向けた。

 

「出走メンバーを紹介します! 1枠2番はボク、ヴィオラレジーナです!」

「ちょっと待ってくださいまし!? 妊婦がハイレグレオタードで走らないでください! お腹が、お腹のシルエットが完全に妊婦ですわ!」

「失礼な。このお腹はボクとアルダンの愛の結晶だよ。それに妊婦が平地GⅠを勝った記録だってあるんだから、これくらい余裕余裕。保健室の先生からも『適度な有酸素運動は胎児に良い』ってお墨付きをもらってます」

 

 実際、お腹が前に出た分、全体の重心バランスが少し前傾になってかえってスタートの踏み込みがスムーズになった気がする。ウマ娘の体って本当に便利だ。

 

「続きまして! 2枠3番、シンボリルドルフ!」

「……フッ。安産祈願も兼ねて、ひと肌脱ぐとしよう」

「なんでルドルフさんがそこに腕を組んで立っているんですの!?」

「いや、岡辺さんのツテでマックちゃんをいじめる野良レースやるけど来る?って誘ったら、二つ返事で喜んで来たよ」

 

 ターフに降り立った皇帝は、現役時代よりわずかに落ち着いた雰囲気を纏っているものの、その瞳の奥にある獲物をすり潰す捕食者の光は一ミリも衰えていなかった。獅子は老いても獅子なのだ。

 

「さらに! 2枠4番、メジロアルダン!」

「うふふ。愛する先輩とお腹の子の前で、無様な走りは見せられませんわね。全力で行かせていただきます」

「アルダンさんまでやる気満々じゃありませんか!」

 

 一足早くターフを去り、現在はボクのサポーターとして実務経験を積んでいるアルダンだが、現役を退いてまだ日が浅い。おまけに同期のオグリちゃんたちがまだ現役でバリバリ走っている刺激を受けているせいか、彼女は現役時代と完全に同水準をキープしていた。

 

「そして大トリ! 3枠5番、メジロラモーヌ!」

「……あら。私を差し置いて、メジロの最高峰を語るつもりだったの?」

「ラモーヌさん……っ!? なんでお婆様までスタンドの貴賓席で扇子を広げて観戦しておりますの!?」

 

 ラモーヌさんも本気の勝負服姿で並んでいる。この人は「走ること」と「絵を描くこと」が人生のすべてみたいな人だから、引退してようが何だろうが、ターフに立てばいつでも全盛期のバケモノに戻る。

 

 総勢5名。全員が己の魂である勝負服を身に纏った、あまりにも豪華で、あまりに悍ましい野良レース。

 舞台はトレセン学園の芝3600m。生徒たちが集い、GⅠ本番以上の異様な熱気が渦巻いていた。

 

「まあまあ、ただの身内だけの楽しい練習レースだから。気楽に走ろうよ、マックちゃん」

「そ、そうですわね……所詮はエキシビション」

「でも、もし現役バリバリでクラシック二冠を獲ったマックちゃんが、引退したOGや妊婦に負けて最下位なんかになったら……メジロ家のご令嬢として相当恥ずかしい思いをすることになるけどね!」

「わたくしにプレッシャーをかけるのをやめてくださいまし!!」

 

 悲鳴を上げるマックちゃんをよそに、無慈悲な録音のファンファーレが鳴り響いた。

 

 ──カコンッ! 

 

 ゲートが開いた瞬間、ボクは前傾姿勢を活かしたロケットスタートでハナを奪い取った。

 その、わずか0.5秒後。

 ボクの背中に、何百キロという目に見えないコンクリートの塊がのしかかってきたような、凶悪な重圧が押し寄せた。

 ルドルフだ。あいつ、スタートした直後のから、出し惜しみなしで全域にデバフの弾幕をぶっぱなしやがった。

 

「相変わらず息が詰まるほど陰湿でうっとおしいよ、ルドルフ!」

 

 ボクは走りながら後ろを振り返り、すかさず『悩殺術』と『トリック』のデバフスキルを全力で投げ返す。

 

「フハハハッ! 君のその小賢しいやり口こそ相変わらずじゃないか。虫唾が走るほど性格が悪いねね、ヴィオラ君!」

 

 先頭を走る紫の妊婦と、最後尾につけた皇帝の間で、純度100%の呪いとプレッシャーの撃ち合いが始まった。

『独占力』に『魅惑のささやき』、そして『八方にらみ』。現役時代、幾度となくターフを汚染してきた二人の「いつもの挨拶」である。バチバチと、物理的な火花と黒いオーラがターフの上で衝突し、周囲の芝が急速に枯れていくような錯覚すら覚える。

 

「……っ!? な、なんですのこの空間は!? 息が……っ、空気が粘土みたいに重たいですわ!」

 

 その地獄のデバフ弾幕のど真ん中に挟まれたマックちゃんが、早くも涙目になって叫んだ。

 彼女には、圧倒的なフィジカルとスタミナというスペックがある。だが、このバケモノによる「一瞬の隙を突き合う高度なデバフ戦」を処理するための、レースの練度が決定的に足りていなかった。

 強引に前に出ようとして自身の物理的な『独占力』を起動しようとするが、皇帝の覇気とボクの巧妙な進路妨害に上書きされ、跳ね返されてふらついてしまう。

 

「相変わらず、品のないほど騒がしいわね……あなたたち」

 

 そんな中、インコースの最内にピタリと体を寄せ、ボクたちの放つデバフの余波を「柳に風」とばかりに涼しい顔で受け流しながら温存を図っている者がいた。ラモーヌさんだ。

 

「ラモーヌ! 自分だけ綺麗なまま体力を残そうったって、そうはいかないよ!」

「そうだぞラモーヌ! 闘争を放棄した者に、頂点に立つ資格などない!」

 

 ボクとルドルフの意見が、この日初めて完全に一致した。

 二人は示し合わせたかのように、インで息を潜めるラモーヌさんに向けて、ありったけのスタミナ奪取スキルを集中砲火した。

 

「……っ! 本当に、度し難いほど美しくない連中ね!」

 

 ついに堪忍袋の緒が切れたラモーヌさんが、その恐ろしい黒いオーラを全開にして潰し合いの円卓に加わった。

 三つの超弩級の領域、固有スキルが完全に干渉し合い、トレセン学園の芝コースが物理的にぐにゃりと歪んだように感じる。

 ラモーヌさんは自らに向けられたボクたちのデバフスキルを、その卓越した身体操作と気迫で弾くように受け流しし始めた。

 問題は、そのラモーヌさんが弾き飛ばしたデバフの流れ弾が、すべてすぐ後ろで必死にもがいていたマックちゃんの進路へと吸い込まれていったことだ。

 

「ひえええええっ!? なんでわたくしの所にばかり飛んできますの!? ラモーヌさん、わざと弾いてません!?」

「自分の身は自分で守りなさい、マックイーン。それがメジロよ」

 

 理不尽すぎる先輩の教育的指導。

 向正面を抜け、残り1000mを切ったあたり。ボクたちがばらまいた致死量のデバフとハイペースの消耗により、マックちゃんの自慢の重量級ボディは、すでにガス欠を起こしそうになってふらふらし始めていた。

 

 ──そこに、ずっとボクの斜め後ろの死角で、誰よりも賢く気配を消していた『4人目のバケモノ』がスッと寄り添ってきた。

 

「……マックイーンさん。ステイヤーたる者、いかなる盤面においても、最後に一歩を踏み出す余力を残しておくものですわ」

 

 聖母のように優しく、おっとりとした微笑みを浮かべたアルダンだった。

 彼女はすれ違いざま、マックちゃんの耳元で甘く囁きながら彼女の残された最後のスタミナを根こそぎ奪い取る『スタミナグリード』を、無慈悲に、そして完璧なタイミングで突き刺した。

 

「あ…………っ」

 

 マックちゃんの瞳から、完全に光が消えた。

 そのまま彼女のストライドはピタリと止まり、ずるずると、重力に逆らえなくなった石ころのように後方へと沈んでいった。ちょっと見ていて可哀想になってくるが、勝負の世界に手加減という文字はない。

 

 そして、大歓声のゴール板。

 道中、ボクとルドルフとラモーヌさんの不毛な削り合いを一番いいポジションで利用し、すべてのスタミナを最後の直線に温存していたアルダンが、ボクたちをまとめて綺麗に差し切って見事1着でゴール板を駆け抜けた。

 

 マックちゃんは、トップから数秒遅れて、全身を真っ白に燃え尽きさせた最下位でゴールした。

 

「…………もう、嫌ですわ。わたくしは今日から、ターフを走るメジロマックイーンではありません。ただの甘くて白いメジロ大福になります……」

 

 ゴール後の芝生の上にぺたんと座り込み、膝を抱えて完全にいじけてしまったマックちゃん。

 

「ちょっとルドルフ! 今の3着争いは絶対にボクがハナ差で勝ってたよ!」

「何を言うか! 映像判定だ、映像判定を持ち込め!」

 

 その後ろで、ボクとルドルフは、お互いのスネを蹴り合いながら「どっちが3着だったか」という不毛すぎる口論を延々と続けていた。

 

 

 

 10月・京都レース場。

 クラシック三冠の最終戦、菊花賞(3000m)。

 

 ゲートの中に立つマックちゃんの瞳は、これまでの彼女とは根本的に違っていた。

 それは、一切の油断を排除した、これ以上ない真剣な目だった。

 

 彼女はゲートの中で、横に並ぶライバルたち──ホワイトストーンさんやメジロライアンの顔を順番に見渡した。

 ライアンは、ものすごい気迫と闘志をみなぎらせてこちらを睨みつけている。

 だが、今のマックちゃんの心には、さざ波ひとつ立たなかった。

 

(……ライアン。あなたの放つ闘志やプレッシャーなど……あの日のターフでわたくしをすり潰した、皇帝の底なしの覇気、ラモーヌお姉様の理不尽な悪意、アルダンお姉様の慈愛に満ちた捕食、そしてトレーナーさんの仕掛けた無数の呪いに比べれば……)

 

 マックちゃんはふっと、静かに息を吐き出した。

 

(──まるで、春の野原をそよぐ、心地よいそよ風のようですわ)

 

 ファンファーレが鳴り、ゲートが開いた。

 その後のレース展開は、もはや「勝負」と呼ぶことすらおこがましい、一頭の巨大な質量を持った移動要塞による、淀のターフの蹂躙劇だった。

 

 彼女は道中、俵さん直伝のスキルで第三コーナーの坂を滑り降り、最後の直線、ライアンの渾身の追い込みをスタミナ差で突き放し、圧勝で、見事に最後のクラシックの栄冠を手にした。

 

「やっぱりあの野良レース、マックちゃんのメンタル強化に意味があったじゃないか」

 

 スタンドの最前列。ウイニングランで涙を流して喜ぶマックちゃんの姿を見つめながら、ボクは少し大きくなったお腹をさすり、自分の合理的な指導論の正しさに深く頷いていた。

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