手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜 作:みやび
ライスちゃんの自己肯定感をライオン丸、シンボリルドルフレベルまで引き上げ、ついでに二度と骨折しない強靭な肉体を作り上げるため、ボクは早速ヴィオラレジーナブートキャンプを開催することにした。
今回はライスちゃん以外にも、デビュー前で基礎ができていない子なら参加してもいいと口コミで告知したところ、想定以上に大量のウマ娘が集まってしまった。すでに担当トレーナーがいる子にはきちんと許可を取ってくるように言ったのだが、それでもかなりの人数である。
どうやら「怪我をしない丈夫な育成」というボクのブランドは、新人ウマ娘や若手トレーナーたちの間で相当な需要があるらしい。
さて、そんな地獄のブートキャンプ初日だが、まずは何をおいても徹底的な柔軟体操である。
ボクがメニューを発表した途端、集まったウマ娘たちは「地獄の特訓だと聞いて覚悟してきたのに、ただの柔軟体操か」と一様に拍子抜けしたような雰囲気を出した。
だが、たまたま見学に来ていたマックちゃんやアルダンは、そのメニュー名を聞いただけで顔を青ざめさせ、ガタガタと震えながら抱き合っていた。彼女たちはよく知っているのだ。ボクの言う柔軟が、どれほど常軌を逸したものかを。
当たり前だが、体育の授業でやるような準備体操とは次元が違う。体のすべての関節がぐにゃぐにゃのスライムになるまで絶対に許されない、徹底的かつ執拗なストレッチ地獄だ。
泣こうが喚こうが、ボクが定める柔軟性の基準をクリアするまで次のステップには進ませない。というか、痛すぎて泣いたり笑ったりする気力すらなくなってからが本番である。
その中で、ぶっちぎりで体が硬かったのがライスちゃんだった。
床に座って脚を伸ばす長座前屈をやらせてみたのだが、上半身が直角から一ミリも前に曲がらない。どういうことだよ。背中に鉄板でも入っているのか。
骨折のトラウマで無意識に体をこわばらせているのを差し引いても、ウマ娘として致命的な硬さだ。これじゃあ、ちょっと無理な体勢で踏み込んだだけで、すぐに関節や骨に負荷が集中して折れてしまう。
全体的なダメダメっぷりと硬さにボクが深いため息をついていると、「そんな無茶なポーズ、トレーナーさんはできるんですか?」と反抗的な目で聞いてきた子がいた。
仕方がないので、ボクは無言で股割りをして見せ、そのままペターっと胸を床につける180度開脚や、立った状態から片足を真っ直ぐ頭の上まで持ち上げるI字開脚を連続で披露してあげた。
ボクは人に教えるトレーニングやポーズは、現役時代から全部自分自身で実践してクリアしているからね。
ぽかんと口を開けて押し黙るウマ娘たち。
さらにとどめとして、横でマリーナの面倒を見ていたアルヴちゃんに「ちょっとみんなに柔軟性を見せてあげて」と指示すると、彼女は「はい、ママ」と無表情のまま、軟体動物のように体を二つ折りにしたり、ブリッジの姿勢からぐるぐると歩き回ったりしてみせた。
小学生にも満たない子供の恐るべき柔軟性を見せつけられ、周りのウマ娘たちは余計に凹んでいた。
「貴様らは小学生以下の蛆虫だ!!」
ボクが前世の映画で見た鬼軍曹のマネをして調子に乗って怒鳴り散らしていると、アルヴちゃんがボクのジャージの裾をツンツンと引っ張った。
「ママ、お口が悪いです。マリーナの教育に悪いです」
ボクはすっと真顔になり、「……はい、ごめんなさい」と小さく謝った。
鬼軍曹、わずか数秒で娘に怒られて撃沈である。しょぼんぬ。
さて、初日は全員がひたすら柔軟体操をするだけで終わってしまったが、これはまあしょうがないだろう。
夕方には、ターフのあちこちに死屍累々といった感じでウマ娘たちが倒れ伏していたが、そのうちお腹がすいたらゾンビのように立ち上がって食堂へ向かうだろうと放置することにした。というか、人数が多すぎて一人一人医務室に運ぶなんて無理だし。
ひとまず、全員がボクの求める最低限の柔軟性を確保できるようになるまでは、毎日ひたすら柔軟体操地獄である。ほかのトレーニング? 別に勝手に走ってもいいけど、そんな余力が残るほど甘いストレッチをやらせているつもりはないけど何か?
数日経つと「走らせてくれないなんておかしい」と文句を言う子も出てきたが、そういう連中には、昔撮っておいたルドルフの気持ち悪いぐらい軟体なヨガポーズの動画を見せたら全員一瞬で押し黙った。
あの絶対皇帝が怪我を一つもせずに過酷なレースを走り抜けられた前提の一つが、この柔軟性なのだ。
「自分があのシンボリルドルフより素質も才能もあると断言できるなら、別に柔軟なんてやめて今すぐ走っても止めないよ?」
と言ったら、誰も何も言えなくなった。そりゃそうだ、あいつより才能がある奴なんて、歴史上を探してもそうそういるもんじゃない。
そんなこんなで地獄のストレッチを1週間も続けると、ようやく最低限の柔軟性を獲得した子が出始めた。
なので、パスした子から次の基礎トレーニングへと移すことにした。
体幹のトレーニングだ。
ウマ娘たち、とくに学園に入ったばかりの若い子は、意外とターフを走ってばかりで、それ以外の地味な筋トレがおざなりになりがちだ。ここでプランクを長時間キープさせたり、首ブリッジで首回りを鍛えさせたりと、徹底的に体幹のインナーマッスルをいじめるトレーニングを課すと、翌日には信じられないぐらいの筋肉痛になって苦しみ出す。これくらいなら、ヒトのトップアスリートでも普通にやっているレベルのトレーニングなんだけどね。
まあ、筋肉痛になって悲鳴を上げようが、柔軟体操のメニューが終わるわけではないがな。激痛で苦しみながら、さらに痛い筋を無理やり伸ばすといいさ。
こうして、あちこちから悲鳴とうめき声が上がる地獄の第二幕が幕を開けた。
ちなみに、いつの間にかグラウンドの隅っこに俵さんとテイオーちゃんが勝手に混ざっていて、同じ体幹トレーニングメニューを平涼しい顔で普通にこなしていた。あの師弟、本当にどこにでも湧いて出るな。
「お前らの体幹はヒト以下の蛆虫だ!」
ボクがまたしても調子に乗って鬼軍曹ごっこをやっていると、ヒト娘、俵さんに負けている面々はひどくショックを受けていた。
「ママ、またお口が悪いです。妹が起きて泣いちゃいます」
ボクはベビーカーを揺らすアルヴちゃんにまたしても怒られた。
ごめんよ、すぐに調子に乗るダメなママで。
さて、他の子たちが次々と体幹トレーニングへと進んでいく中、肝心のライスシャワーちゃんだが……本気でクソ硬いままだった。
骨折の恐怖と自己肯定感の低さが全身の筋肉を硬直させているのか、彼女がボクの求める最低限の柔軟性をクリアするまでには、なんと3ヶ月もの月日を費やすことになった。
ぶっちぎりの遅さである。
ただ毎日毎日、泣きそうになりながら「ライスはダメな子だから……」と呟きつつ、必死に開脚と前屈を繰り返していた。
そんな気の遠くなるようなことをやっているうちに、季節はあっという間に巡り、年末になってしまった。
大半の子はとっくにブートキャンプの全行程を卒業し、ボクの推薦状をもらってトレーナーを見つけ始めていた。
そして世間では、テイオーちゃんが無敗のクラシック三冠という偉業を成し遂げ、年末の有馬記念では、先輩である無敗のステイヤー・マックちゃんと雌雄を決する大一番のガチ勝負を繰り広げ、日本中がその話題で熱狂していた。
そんな歴史的な大レースの熱狂の裏側で。
誰もいなくなった冬のグラウンドの片隅で、ただ一人黙々と長座前屈を繰り返すライスちゃんと、ベビーカーに乗ったマリーナ、それをあやすアルヴちゃん、そして見守るボク。
日本中がテレビに釘付けになっている時間に、ボクたちは一体全体グラウンドで何をやっているのだろうか。それは言い出しっぺのボク自身にもよくわからなかったが、少しずつ、ほんの数ミリずつだが前に倒れるようになったライスちゃんの背中を見ていると、この途方もない時間も決して無駄ではないような気がした。