手違いTS転生ウマ娘の運命改変録 〜ウマ娘トレーナーは史実を書き換えたい〜 作:みやび
ライスちゃんの長期休養からの復帰戦だが、春の東京レース場で行われるNHKマイルカップから行くことにした。
本当はクラシック第一弾の皐月賞を目指したかったのだが、基礎トレーニングと柔軟体操を徹底的に行ったせいで三ヶ月以上も時間がかかり、コンディション調整とかがちょっと間に合わなさそうだったのだ。休養前にオープン特別を勝って賞金を積んでいたから、このGⅠレースならギリギリ出走枠に滑り込めるレースだったという理由もある。
ただ、このマイル戦を選んだのにはもう一つ、ボクなりの狙いがあった。
性格的にじっくりと自分のペースで走る長丁場が得意なライスちゃんにとって、道中の息を入れる暇がないスピード重視の短めの距離は、本来ならば苦手とする舞台だ。だが、それはあくまで『性格的なもの』に過ぎない。
ライスちゃんの持つ強靭なバネと、減量で研ぎ澄まされた彼女のスペックは、マイル戦のハイスピードな展開でも十分に通用すると、ボクは考えていた。
そして何より、マイル戦はクラシッククラスの前半の次期なら、まだ完全なパターン化がぎりぎり可能なのだ。長距離レースのように道中の駆け引きや不確定要素に振り回されることなく、スタートからゴールまでの1600mを、あらかじめ計算し尽くした緻密な台本通りになぞらせるには、最高の舞台だった。
「……旦那様。本当にこの指示通りにスキルを発動するだけでよろしいのですか?」
控室で、ボクが用意したレース台本を覗き込んだアルダンが、不安そうな顔で尋ねてきた。
まあアルダンの時はこういう手段は使わなかったから意外なのかもしれない。むしろアルダンの場合は結構レース展開も丸投げだったし。
ただそれはアルダンの知力や性格を含めて任せた方がいいと判断したからなだけで、こういう台本を作るのは実は得意な方だったりする。
「ライスちゃんは素直で記憶力がいいから、余計なことを考えさせずに、ボクがシミュレートしたタイミングでデバフのスイッチを押させるだけの自動デバフ散布装置になってもらうのが一番強いんだ」
「自動デバフ散布装置ってまがまがしい単語が聞こえましたが…… 相手の息遣いやレースの流れを見ずに、機械的に妨害スキルを撃つなんて、普通は周りの気に当てられて自分自身のペースが崩れてしまうのでは?」
アルダンが反論するのも無理はない。通常、相手のスタミナを奪ったりペースを乱したりするデバフスキルは、相手に明確な『敵意』や『悪意』を向ける必要がある。そのため、使用する側にも精神的な負担がかかるし、敵意を向けられた相手も本能的に防御の姿勢をとる。
だが、ボクはにやりと笑って、鏡の前で自分の勝負服のフリルを直しているライスちゃんを指さした。
「それは普通に性格が良い子の場合だよ。ライスちゃんには、その常識は通用しない」
「通用しない……?」
「ああ。彼女はね、自分が他人のペースを乱して迷惑をかけているなんて、心の底からこれっぽっちも思っていないんだ。なんせ、無自覚に傲慢な上級国民のお嬢様だからね。彼女がデバフを撃つ時の心理は邪魔してやるじゃない。『ライスが通るから、みんな道を開けてね』とか『みんなの力をライスに分けてね』っていう、純度100%の無邪気なエゴイズムなんだよ」
ボクの解説に、アルダンは絶句した。
そう、この無自覚な傲慢さこそが、ライスちゃんにデバフビルドを叩き込んだ最大の理由だ。罪悪感を持たない純粋なエゴは、相手に一切の殺気や敵意を感知させない。だからこそ、彼女の放つデバフは、相手が防御の姿勢をとる間もなく、最も無防備な状態のところに深々と、そして致命的に突き刺さるのだ。
「トレーナーさん、ライス、お着替え終わったよ!」
鏡の前から振り返ったライスちゃんは、ふわりと微笑んだ。
本日の彼女の勝負服は、黒と青を基調とした、フリルがたっぷりとあしらわれたシックで可愛いドレス風の衣装だ。腰のベルトには、いっちょ前に青いバラの意匠が施された短剣が差してある。
いや、魔法使いに憧れてる設定なんだから、短剣じゃなくて杖とかでいいんじゃないですかね? 完全に物理で急所を刺しに行くアサシンの装備じゃないか。デバフビルドには合っているけど目指すところと違いすぎない?
あと、あのヒラヒラしたドレスのスカートは、風の抵抗をモロに受けて絶対に走りにくそうである。やっぱり勝負服というものは、股関節と肩甲骨の可動域を一切邪魔せず、空気抵抗を極限まで減らしたハイレグレオタードが最強で至高だと思うんだよね。ねー、アルダン。そう思わない?
「……旦那様。もしわたくしにあの破廉恥な布地を着せようとしたら、今度こそお婆様に泣きつきますよ。ほらアルヴさん、旦那様のことは見ないでおきましょうね」
同意を求めたら、アルダンには呆れたように小言を言われてしまった。その横で、アルヴちゃんが「はい、ママ」と無表情でマリーナのベビーカーを揺らしている。解せぬ。
そして迎えた、パドックの周回。
復帰戦かつGⅠということもあり、事前のオッズや競馬新聞での評価は長期休養明けで割引で、そこまで振るっていない。
だが、ターフの熱気は全くの別物だった。
休養中に精力的に続けていた絵本の朗読配信や、日々の他愛ない雑談配信で地道にファンを獲得していたため、スタンドにはライスちゃんのイメージカラーである青いバラを描いた特製の応援垂れ幕がバッチリと下がっている。
「ライスちゃーん! こっち向いてー!」
「魔法使いさーん! 今日も可愛いよー!」
最前列には、ボクの故郷である孤児院の妹たちが陣取り、手作りのうちわを振りながらキャーキャーと黄色い声援を送っている。
それに気づいたライスちゃんは、自分の可愛いドレス風の勝負服を誇らしく見せびらかすように、くるりとターンをして見せたり、観客席に向かって優雅にお辞儀をしたりと、パドックアピールに全力で励んでいた。
以前の、俯いて「ライスなんか……」と呟いていた卑屈でどよーんとした負のオーラは微塵もない。彼女の表情は、自分に向けられる称賛と視線を心の底から楽しんでいる、立派な『アイドル』のそれだった。
よしよし、コンディションの仕上がりもメンタルの張りも完璧だ。後は、ボクの書いた緻密な台本通りに、東京レース場のターフに『呪い』をばらまくだけである。
ファンファーレが鳴り響き、大歓声の中でゲートが開いた。
1600mのNHKマイルカップ。スタートは特に大きな出遅れやトラブルもなく、各ウマ娘が一斉にターフへと飛び出した。
好スタートを切ったライスちゃんは、無理に先頭集団へとハナを切りにはいかず、ボクの指示通り、全体のちょうど真ん中あたり、バ群にすっぽりと包まれる中団のポジションにピタリとつけた。
普通、短距離やマイル戦において、中団から後方に控える差し・追込の脚質は、前の壁に阻まれて進路を失いやすく、決して良いポジションとは言えない。前のウマ娘が垂れてきた瞬間にブレーキを踏まされれば、短い距離では二度とリカバーが効かないからだ。
だが、ボクが魔改造した害悪ライスちゃんに限っては、そのレースの基本セオリーは適用されない。
距離が短く、全体のペースが速いマイル戦。それはつまり、バ群が縦に長くバラけることなく、全員が密集した一つの大きな塊のまま進むということだ。
それはすなわち、バ群の『ど真ん中』に位置するライスちゃんの全方位範囲デバフが、周囲の全員に余すことなく直撃するという、最悪の地獄絵図を意味していた。
「さあ、第一コーナーから向正面へ! ペースは平均的か、いや、各ウマ娘が少し牽制し合っているように見えます!」
実況の声が響く。だが、ボクの双眼鏡越しに見える景色は全く違った。
牽制し合っているのではない。バ群の真ん中にいるライスちゃんから放たれる、恐ろしいほどの重圧とスキルによって、周囲のウマ娘たちが『前に進めなくなっている』のだ。
まずは『独占力』。ライスちゃんの周囲数メートルに、まるで空気が重たい泥に変わったかのような、ねっとりとした物理的なプレッシャーの層が形成される。彼女のすぐ隣を走っていたウマ娘のストライドが、目に見えて急に重くなり、バランスを崩してよろけた。
隣のウマ娘が戸惑うのも無理はない。ライスちゃんからは殺気も敵意も全く感じられないのだ。彼女はただ、「ライス、ここ走るね」という無邪気な笑顔を浮かべたまま、他人のテリトリーを土足で踏み荒らしている。
そこに畳み掛けるように、台本の指定秒数通りに『魅惑のささやき』と『八方にらみ』が発動する。
ライスちゃんの甘く鈴を転がすような声と、その純粋すぎる無垢な視線が、極限の集中状態で走るウマ娘たちの神経をゴリゴリと削り取る。集中力を乱されたウマ娘たちの走るリズムが狂い、足音がバラバラに砕け散っていく。
さらに恐ろしいのは、ここからだ。
周囲のウマ娘たちが、まだレースの半分も過ぎていないのに、異常なほどの息苦しさを覚え始めているはずだ。
ライスちゃんが発動させた『スタミナグリード』である。彼女は、周囲で苦しむライバルたちから吸い取ったスタミナを、自分の呼吸へと完全に同化させていた。「みんなの力をライスにちょうだいね」とでも言わんばかりの、純粋無垢なエネルギーの搾取。
極めつけに、前後左右に牽制や駆け引きの細かなフェイントをばらまき、前に出ようとする相手には『スピードイーター』で一瞬の最高速を奪い取る。
バ群は、完全にライスちゃんの支配する毒の沼地と化していた。
いくらなんでもえげつなさすぎる。現役時代のボクの走りでさえ、ここまで周囲を絶望させるほどの無法ではなかったと思う。彼女の生まれ持った無自覚な傲慢さと、ボクの台本が合わさった結果、デバフビルドの究極の完成形がターフに叩きつけられていた。
しかも、ライスちゃん自身は一切の感情を乱さず、ボクが指示した『台本』の通りに、淡々と、そして絶妙なタイミングでスキルのスイッチを押しているだけなのだ。彼女の心拍数は一定のまま、涼しい顔をしてバ群の中を漂っている。
そして迎えた、勝負所である大ケヤキの向こう。第三コーナー。
東京レース場の広く長いカーブ。通常であれば、ここで各ウマ娘が最後の直線に向けてポジションを上げようと、激しい体のぶつけ合いと進路の奪い合いが起きる。中団に沈んでいるライスちゃんは、ここで外に持ち出すか、あるいは前の壁がこじ開けられるのを待つしかないはずだ。
「よし、今だ。フェイズ3を実行しろ、ライスちゃん」
スタンドの最前列で、ボクは小さく呟いた。
その言葉が届いたかのように、第三コーナーのカーブの頂点に差し掛かった瞬間、ライスちゃんが満面の笑みで『魔法』を放った。
視界を歪ませる『幻惑のかく乱』と『奇術師』の同時発動である。
「な、なんだっ!? 前が、一瞬ブレて……っ!」
「きゃあっ! 寄らないで、ぶつかる!」
突如として視界を揺さぶられ、距離感が狂った前方のウマ娘たちが、パニックを起こして悲鳴を上げた。ただでさえ道中のデバフの嵐でスタミナと集中力を根こそぎ奪われていた彼女たちに、カーブでの急激な視界のブレを立て直すだけの余力は残されていなかった。
接触を避けようと、前のウマ娘たちが無意識に左右へと大きく膨らみ、コーナーに沿った軌道を保てなくなる。
その結果、密集していたバ群が、まるで目に見えない巨大な楔を打ち込まれたかのように、不自然なまでに綺麗に真っ二つに割れた。
旧約聖書で海を割ったモーセの奇跡、あるいはレッドカーペットが敷かれたかのように。ライスちゃんの目の前に、最内からゴールへと続く、誰もいない完璧な一本道がポッカリと開かれた。
「──ライス、いきまーす!」
進路を塞ぐ壁がすべて消え去った瞬間、ライスちゃんは一切のロスなく、その最内のルートを美しい弧を描いて抜け出した。
ここからはもう、彼女の独壇場だった。ボクの地獄のブートキャンプで泣きながら鍛え上げた強靭な体幹と、徹底的な減量によって生み出された『圧倒的な軽さ』。それは、重たい筋肉の鎧を着込んだマックちゃんたちとは対極の、まるで一本の鋭い青い短剣が空気を切り裂くような、鋭利なスパートだった。
周囲のウマ娘たちが、最後の直線の長い坂でスタミナを切らしてもがき苦しむ中、ライスちゃんだけが全く汗一つかかず、呼吸すら乱さずに、弾むような足取りでトップスピードを維持し続ける。
「強い、強すぎる! 完全に抜け出した! ライスシャワー、長期休養のブランクを全く感じさせない圧倒的な末脚だ!」
実況が絶叫する中、ライスちゃんは後続をぐんぐんと引き離し、最終的に2着に3バ身以上の決定的な差をつけて、鮮やかに1着でゴール板を駆け抜けた。
「えへへ……ライスの魔法、みんなにちゃんと届いたかな? これからも、ライスが走ってみんなをいーっぱい幸せにするから、応援よろしくね!」
あどけない笑顔で、スタンドに向かって最高にアイドルらしい無垢なコメントを残すライスちゃん。
その言葉を聞いて、スタンドのファンたちは「可愛い!」「最高だ!」と狂喜乱舞しているが、実際に彼女の『魔法』の直撃を受け、ターフの奥で膝をついて息も絶え絶えになっている同年代のライバルたちからすれば、これほど恐ろしく、絶望的な悪夢のヒロイン宣言はないだろう。
「……ふぅ。これでどうにか、無事に第一関門突破だね」
「旦那様、本当に恐ろしいものを作り上げましたね……。あの子、いずれマックイーンさんにとっても、最大の脅威になりかねませんね」
「だね。でも、だからこそ面白いんじゃないか。上級国民のお嬢様は、これくらい堂々とターフを蹂躙してくれないとね」
ボクの隣で少し引きつった笑いを浮かべるアルダンに同意しつつ、ボクはターフの中央でスポットライトを浴びて輝く、青い髪の魔法使いに、心からの拍手を送っていた。
この日、ただの卑屈でネガティブだったお嬢様・ライスシャワーは、短距離・マイル路線の有力ウマ娘の一人として、その名を全国のファンの間に轟かせるのであった。